1361836 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

アラビア書道とその周辺

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール


こいちR1

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

ニューストピックス

コメント新着

サキサキ@ Re:アル・マスハフとは?(09/15) こんばんは! 突然コメント失礼します。私…
http://buycialisonla.com/@ Re:アラビア書道教室の現場(広尾編)(03/08) still hard after i cum cialiscialis pat…
カリーマさん@ Re:ラクダミルクを飲んでみる(03/30) 見た感じ、美味しそうです!!! 先々週は…
カリーマさん@ Re:バンコクのスネークファームでヘビの観賞とお勉強(04/02) こんにちは。和さんこと、カリーマさんで…
tmk21515 @ Re:私的アラビア語こと始め(その3)(07/21) 伴先生のことを知りたくて アラビア文化 …

フリーページ

2008.12.15
XML
カテゴリ:鉄道
東海道新幹線の0系が無くなるということでマスコミに大きく取り上げられています。
東京・新大阪間を一番はじめに走ったひかり号の車両でしたが、さすがに老朽化に耐えず引退することになったということです。
先頭の真ん丸の部分には何が入っているのかという問題がよく出ていました。答えは連結器です。電車が動けなくなったら他の電車に引っ張ってもらうために連結器が入っているそうです。
1964年11月の東京オリンピック開会式を前に突貫工事を行い、東京と大阪を当時4時間ほどで結んだと記憶します。
0系が無くなるということで涙を流しているおじさんが居ましたが、そこまで私は感傷的ではありません。40年近くも走ってきたらさすがにガタがきています。特急電車は、近郊電車に比べ長距離を走るため部品の傷みも激しいのです。

当時新幹線ができた時にはいろいろ良いことばかり喧伝されていましたが、良いことばかりではありませんでした。
ビジネスマンたちは、それ以前は一番早い特急こだま号でも東京・大阪間は6時間半ほどかかっていたので、出張しても一泊してゆっくり戻っていたのに、新幹線開通後、その日の遅くには戻ることができてしまうようになり、出張者には大いに不満が残りました。

また、多くの鉄道ファンもがっかりしたことがあります。新幹線の開通を機に、多くの優秀な特急列車や急行列車が東京―大阪間から消えました。一部はその他の地域に新幹線ができるまでは名称だけが地方に移ってゆき、いわゆる都落ち的な現象が生じました。
現在九州で走っているつばめなどはその最たるもので、東京・大阪を走った超有名な列車の名残です。
愛称で言えば、「ひかり」などは元々は九州の片田舎を走っていた準急だったのですが、新幹線に愛称を取られてしまいました。

この新幹線に1964年に開通したのですが、この新幹線に東京―大阪間をまともに乗ったのは1972年の10月だったと思います。大学に入学した年の10月に東京で東京外国語大学との対抗戦があったため、東京まで乗ったのが初めてだと記憶します。
確か往きの運賃は大学負担だったのですが、帰りは自己負担だったので、しっかりと、まだ走っていた在来線の長距離急行「高千穂・桜島」号に8時間ぐらいかけて乗って帰ってきました。この急行は、東京から西鹿児島(現鹿児島中央)までを当時24時間以上かけて走っていた最長不倒急行でした。当時新幹線の料金は高かったので、確か寝台も付いていなかったこの急行は貧乏人や学生御用達の列車でした。電車ではなく、電気機関車が先頭で引っ張る旧式の列車でした。門司で、高千穂と桜島は別れ、桜島は鹿児島本線経由、高千穂は日豊本線経由、西鹿児島に向かいました。

リニアモーターカーが走り、東京・大阪間が1時間になると何が変わるのでしょうか。技術的には可能らしいので、あと建設費だけの問題になるのでしょう。まあこのようなご時世でしばらくは開通しそうにありませんが、何かの拍子でバブルが再来すれば、実現するかもしれません。するとまさに東京・大阪は通勤圏となります。ちょっとイカ焼きを食べに行こうということも可能になります。ただ、昔ほどワクワクする気持ちは沸きません。

0系ひかりの姉妹車(1998年1月上越新幹線「あさひ」)






最終更新日  2008.12.17 16:35:46
コメント(0) | コメントを書く
[鉄道] カテゴリの最新記事



Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.