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先史・縄文・弥生・古墳

2008年12月17日
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 先日、鳥取に行ってきました。

 実は鳥取は米子しか行ったことがなかったのです。今回、たまたま仕事で近くまで行く機会があり足をのばしてみました。もちろん車を運転して山陰を走りました。

 上は、白兎海岸。鳥取といえば「白い兎」ですが、その舞台になった海岸です。海岸前には大国主とウサギの像が建っています。

 鳥取では「因幡の白ウサギ」としてお土産もウサギのオンパレードなんですが、神話が知られなくなった現在、「なんで鳥取はウサギなの?」という質問が多くなりました。おそらく戦前生まれや戦後間もない生まれの人で知らない人はいないでしょう。

 ご不明な方はぜひ「古事記」を読んでみてください。






最終更新日  2008年12月17日 06時00分23秒
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2006年12月19日

 JRの阪和線に乗っていたとき、大阪に向かって左側にごくありふれたなんの変哲もないフツーの森が現れます。必ず意識しないと見落としてしまうでしょう。

 実はこの森、「仁徳天皇陵」こと大山古墳。日本は勿論、世界一大きいお墓の森なんです。

 上から見るとてるてる坊主のような形をしているのですが、地上からは全く解らずただの森に見えます。当然ですね。

 ここは、とっても大事な史跡なのですが、そばにいっても単なる森でしかないので、電車から見学しました。







最終更新日  2006年12月19日 04時42分19秒
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2006年12月17日

 ある本からの中身の引用です。

 写真は京都伏見稲荷の赤い鳥居、膨大な鳥居は名物になっていますが、「なんじゃこりゃ」といく気分でなく自然に景観になじんでいますね。

 昔、中国では赤が神聖な色だった文化は韓国や日本にも及んでいたそうで、縄文時代には神聖視されていたようです。ただ、我々が神聖だと考えているのは「赤」ではなく黄色がかった赤、すなわち「朱色」という感じなんですね。

 神社の門前にある鳥居が赤いのが多いのは「ここから神域なんだぞ」というのを表しているようですね。「鳥居」についても今度色々勉強したいものです。







最終更新日  2006年12月17日 11時04分08秒
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2006年02月28日
             上 弥生人の昼食風景

 今日はこのブログであまり扱わない弥生時代をみてみましょう。

 上のジオラマは大阪で発見された弥生時代の住居をもとに当時の食卓の様子を再現したものです。

 縄文時代を決定的に違うのはやはりお米を食べていることですね。他にも魚介類、小豆、粟などをそれぞれお皿(高杯)にもって食べています。

 手前左の女の子はお魚を棒にさして食べています。このころになると韓国や中国から渡来人が入ってきて、今の日本人の原型ができたころです。

 今から2000年以上前の日本の食卓も今と変わらぬ会話がはずんでそうですね(当時の言葉はどんなだったのでしょうかね?)。






最終更新日  2006年02月28日 02時02分57秒
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2006年01月10日
           上 縄文人の食事の復元

 前回の中世の食事が多くの方の反響をいただいたので、ついでに縄文人の食事も載せて見ました!!

 縄文時代というのは今から1万2千年前ごろから始まったといわれる時代で、狩猟が中心でした。

 お米を作るようになった弥生時代との区分がいまだにはっきりせず、論争になっています。

 今回は紀元前5世紀ごろ(と思う)の縄文時代晩期のご飯を宮城県の縄文遺跡から出土した土器で再現したものです。

 縄文時代に日本人は土器を創りだし煮炊きができるよになったので、食事のバリエーションがかなり広まったと思います。

 献立は右が魚のハゼ、鶏肉、海草、山芋の鍋で左が海草や栗、クルミなどですね。

 古代の食事よりなんだか栄養がつきそうですね。

 この鍋、どんな味がするのでしょうか?食べてみたいんですがね~。






最終更新日  2006年01月10日 00時35分58秒
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2005年09月10日
 着物のことを「呉服」といいますね。なんででしょうか?真相はわかりません。

 ただ一説に、中国の「呉」という国からわたってきた衣服だからだという説があります。

 呉という国は紀元前の春秋時代というころに中国の上海前後を支配していた王朝です。後に、始皇帝で有名な秦が天下統一するのですが、この国から着物がきたとなると、まさに沖縄ルートや直行で日本に伝来したことになります。

 これが本当だとすると大島紬など南方のつむぎは本土の着物の原型が残ったものかもしれませんね。

 「着物の元祖大島紬」かもしれません。

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本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから)
   http://www.amakara.jp   
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最終更新日  2005年09月12日 18時35分56秒
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2005年08月19日
          上 弥生人の衣装(推定復元)

 弥生時代になると定住して田んぼを耕しムラができました。
その過程のなかで組織に上下関係ができました。つまり身分ができたわけですね。

 特に身分の高い人の服装が左の赤い染めの着物です。明確に織った帯もつけていて、大陸から来た渡来人の影響が大変強いですね。

 当時は中国や朝鮮が先進国でしたから、着物も当然影響を受けました。

 この後、着物は中国式になり、平安時代になると独自の着物が生まれてきます。更に室町時代になると現在の着物の原型ができました。

 2千年以上のときを経ていまの着物が出来上がっていると改めて感じました。

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本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから)
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最終更新日  2005年08月19日 16時56分37秒
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2005年08月18日
          上 弥生人の服(推定)

 弥生時代は先史時代なので、当然文字に書いた資料はありません。そこで参考になるのが「埴輪」です。当時の文化、とりわけ衣装についてはかなり
参考になるはずです。
 
 上の写真はそこから参考に作られたのだと思いますが、生地は麻などよりごわごわですね。何の生地だかは忘れてしまいました。

 当時の衣服は貫頭衣(かんとうい)という頭からかぶる形が多かったようです。
 
 ちなみに弥生時代の「弥生」とは文京区の地名から来ています。明治時代に東京帝国大学が置かれたとき、そこの先生が弥生町ですでに知られていた縄文土器とは違う高温で焼いた土器を発見。「弥生式土器」といわれたのが
始まりです。

 弥生人たちは後世で自分たちが「弥生人」なんていわれているのはどう思うでしょうかね?

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本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから)
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最終更新日  2005年08月18日 17時28分42秒
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2005年08月16日
           上 卑弥呼の衣装の推定復元

 これが弥生時代、日本にいたという卑弥呼が着ていた衣装の推定復元です。
 当時は大陸から渡ってきた渡来人の影響をかなり受けていたと考えられ、
大陸の文化をかなり受けた衣装になっています。

 当時は麻のような着物が一般人に着られていましたが、卑弥呼さんは正絹
のかなり立派な着物です。刺繍のような模様まで入っていて、以前ご紹介した高松塚古墳の着物よりさらに古い「現代着物のルーツ」と言えるのではないでしょうか?

 卑弥呼の肖像画などないので、人形の顔はもちろん推定ですが、きれいな
人だったのでしょうかね?

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本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから)
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最終更新日  2005年08月16日 17時03分16秒
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2005年08月15日
            上 卑弥呼の食事の再現

 上の写真は特別展に展示されている卑弥呼の推定のお食事の再現です。
「卑弥呼」とはご存知の方が多いと思いますが、中国の歴史書に出てくる人物で弥生時代の王様です。もちろんどんな人だったかわかりません。

 遺跡からわかる範囲で再現してあり食器はもちろん後の時代のものです。
右下には当時らしくお米がもってあります。(チャーハンではありません!!)

 他には、魚の干したもの、あわび、鹿肉、芋、果物なんかがあります。 
まだ仏教の影響を受けてないので動物なんかも食べていますね。

 けっこうゴージャスな食生活で後の奈良時代ごろとあまり変わらない気がします。どんな味がするんでしょうかね?

 明日はな、なんと卑弥呼さんに登場してもらいます!!!

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本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから)
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最終更新日  2005年08月15日 08時59分44秒
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