卵巣のう腫 顛末記 入院~手術編
【2015年12月7日 手術前日】入院。前日15時に入院。採血をしたくらいで、あとは部屋でまったり。手術前にお決まりの、剃毛&浣腸が無い。どちらもこの病院では必要ないとのことだった。(私が知る限りでは他のどの病院もこの2つは行っている)夕方麻酔担当医が部屋に来てくださった。私と同い年くらいの女医さん。この病院開院以来2000件以上の手術を、すべて一人で担当しているという。あの先生が信頼して任せている麻酔医というだけあって、こちらの目をみてとても丁寧に麻酔の流れを説明してくださった。こちらが気にしている首については、手術室に入ってから、私の持参したものを含め、何個か枕を試してみて決めましょうということになった。同意書にサインを求められたので、私がふざけて「二度と目覚めないかもしれませんという記述は無いのですね」と言うと「大丈夫、必ず目覚めます」と真っ直ぐこちらを見て仰った。後は特にすることもないまま、夕食の時間。食事は京都の病院らしく、おばんざいのような和食中心のおかずが、きちんと和食器に盛り付けられて出てきた。とても優しい味がして、「理想の病院食」だった。夜はもちろん寝付けず。睡眠薬をもらって眠る。【2015年12月8日 手術当日】手術当日。快晴。朝から慌ただしく準備が・・と思っていたが、私の手術は午後二時から。午前中は特にすることもない。朝から絶食かと思っていたが、思いの外朝食が出た。パン、フルーツ、ヨーグルトを美味しくいただく。普段あまり朝食を食べないので、食べようか一瞬迷ったが、その後のことを思うと、結果的に食べておいて良かった。【12時。手術二時間前】いよいよ準備。手術着に着替え、足には血栓予防のストッキングを履く。看護師さんが来て点滴の予定だったが、午前中の手術が伸びていて、私の手術が開始が遅れそうとのこと。どのくらいの遅れが出るのかまだ見えないので、随時報告に来ますと言われた。手術開始時間は一応の目安で、遅れる可能性もあるということは聞いていたので、特に問題なし。ただ、正直ここまで来たら早く終わってしまいたいというのが本音。手術立ち会いに来てくれた夫と、そわそわと上っ面な会話を交わす。やっぱり落ち着かない。【13時すぎ】看護師さんが部屋に来る。手術は更に伸びているので、とりあえずまだ水・お茶は飲んでもいいとのこと。【14時すぎ】看護師さん点滴を持って来室。とりあえず、点滴開始。でもまだ終了時間わからず、よって私の手術開始時間も未定とのこと。他人事だけど、午前中に手術している方のことが気になる。9時からスタートした手術。予定3時間として現時点で3時間近く遅れている。癒着が酷いのかなあ。それとも何かトラブルがあった?【15時半】看護師さん来室。「遅れているが、心配しないでいいですからね」と優しく伝えてくれる。私は流石に待ちくたびれて、イライラしてきた。おそらく17時ころのスタートになるという。3時間半の遅れ・・は想定してなかったなあ。でも、どうすることもできないので、イライラする気持ちを抑えるため、点滴刺したまま、廊下を手術着のままウロウロ歩く。ペラペラの手術着しか来てないので、寒い。そうこうするうちに両親が到着した。私がまだ病室にいることにびっくり。両親ともまた落ち着かない会話をするが、皆上の空。【16時45分】慌ただしくドアが開いて、麻酔の先生が入ってくる。手術着のまま頭にはキャップを被って、前の手術が終わったそのまんまの格好で私の病室に来てくれた。額は汗ばんで、頬は上気している。「遅くなってごめんなさいね。今準備をしているから、出来次第始めますね。前の手術が長くて、先生やスタッフが疲れて居ないか心配なさっているでしょう?スタッフ一丸となって気合を入れなおして手術するから大丈夫ですよ!」結局午前の手術は延びに延びて7時間を超えた。そのハードな手術を終え、そのままの足で病室に来てくれて私を励ましてくれた。その先生の笑顔に思わず涙が出た。待ちくたびれてイライラしていた自分を恥じた。プロって凄い。そして、この先生たちに手術してもらえる私はなんて幸せなんだろう。私はすっかり落ち着いて、手術の準備が整うのを待った。程なくして看護師さんが迎えに来てくれ、手術室に歩いて向かった。【17時半】手術室の入口で家族に笑顔で(笑顔のつもりだった)手を振って入室する。前室のようなところで、名前生年月日を確認して手術室に入る。手術は3回めだけど、今までで最も狭い手術室だった。過去に入った手術室はとにかく寒い所だったが、ここはそんなに寒くはなかった。看護師さんに促され、手術台に登る。ゆっくり横になると、背中が暖かい。手術台は裸で乗ることを想定して、暖かく保温されていた。緊張していた体が少しだけ緩んだ。麻酔の先生が枕を幾つか持ってきてくれて、順番に試す。高さ、首の位置などを細かに調整して、私は一番しっくりした枕を選んだ。「この枕にします」そう言ったら、すぐに酸素マスクを当てられた。「酸素が出ます」少し不思議な匂いがした。そして「麻酔が点滴から入りますね」と言われて、徐々に頭がクラクラ・・・そこで記憶は途切れた。目が覚めた時は病室だった。後から記録を見ると、正確には手術室で麻酔から覚めて受け答えしていたそうだが、そこは記憶にない。側に夫が居るように思ったので、「どうだった?」と聞くと「無事に終わって悪いところはなかった」よと言われた。時間を聞くと、「7時半」とのこと。結局私の手術は予定より早く終わって、2時間しか経っていなかった。後で知ったが、手術そのものは1時間で終わっていた。その後、看護師さんが「点滴に痛み止め入れますね」と言ったのを覚えている。後から家族に聞いたら、しつこいくらいに「悪いところはなかった?」と繰り返し聞いていたという。まだ眠るには早い時間だったと思うが、そもそも時間の感覚が狂っていたし、気怠くてぼーっとしていた。ただ、心配していた傷の痛みは大したことがなく、看護師さんが「座薬要りますか」と何度か聞いてきたが毎回断った。少し眠っては看護師さんが来て、検温する。痛みを聞かれるが、軽い生理痛くらい。試しに少し寝返りを打ってみたら、なんと寝返り出来た。枕元の時計で12時位。寝たのか寝てないのかよくわからない。でも不思議と気分は悪く無い。今まで手術の夜は熱と痛みでうなされて唸っているうちに朝、といった感じだったから随分と楽だ。看護師さんが「眠剤飲む?」と聞いてきたので、そのまま飲ませてもらう。そこから数時間寝た(と思う〕。【2015年12月9日 手術翌日】翌朝、6時に起床。と言ってもまだ手術から12時間も経っていない。看護師さんが、「起きられる?」と聞いてきたので、起きてみることにする。そのまま尿管も点滴も外してくれるという。帝王切開の時は3日ほど点滴挿しっぱなしで大変だったので、とてもうれしい。さすがに腹筋に力を入れるとお腹は痛いが、すっと起きられた。楽勝!とばかりに、そのまま手術着からパジャマに着替える。ベッド脇で立ち上がってみたけど、別にふらつくこともなくスムーズに着替えられる。トイレもそのまま行ってみる。やっぱり楽勝だった。「腹腔鏡手術を受ける方へ」の冊子に書いてあったが、術後の痛みは想像できる痛みを10として1から2、痛くても3から4と誠にその通り。傷の痛みは1か2で収まっていた。着替えて、朝食が出るまでに、喉が渇いたといったら、ゼリーとりんごジュースが出てきた。ごくごくと飲み干す。美味しい!朝食はおかゆ。和食器に入っているのが嬉しい。完食、と調子に乗っていたら、肩のあたりに違和感が。これも事前に聞いてはいたが、お腹に入れたガスが抜ける際に肩や横隔膜などに痛みが出るという。これが曲者で、この後数日はこの痛みとお腹の張りに苦しめられる事になった。痛みは筋肉痛を鋭くした感じ。今まで経験したことがない痛みだった。それでも傷口はほとんど痛まず。腹腔鏡手術のメリットを享受した。【2015年12月11日】夜診の終えた先生が手術の説明をしてくれるとのことで、部屋に向かった。希望すれば手術の映像を見ながら・・ということだったが、気分が悪くなりそうだったので、映像は見ないでで説明を聞いた。手術は予定通り、右側卵巣を摘出。万が一を考えて、お腹の中で卵巣を袋に入れた状態で取り出したので、のう腫の内容物がお腹に漏れだすこともなく、スムーズに摘出できた。術前に懸念されていたお腹の中の癒着は殆ど無く、過去二回の帝王切開術が大変丁寧に行われていたと思われるとのこと。ちなみにどこの病院で帝王切開をしたのか、わざわざ聞かれたくらいだった。取り出した腫瘍は先生が中味を見てみたところ特に悪性の所見はなかったとのことだった。病理検査に出しているので、その結果を持って確定診断となる。とりあえず、ほっとして涙が出た。そして同時に先生やスタッフの方に心から御礼を言った。そして、先生から言われた。「大きな病院で腹腔鏡手術をしている所は多いのに、このような小さな病院を わざわざ選ぶ患者さんは、病気について懸命に調べ、勉強する方ばかりです。 言い換えれば、そのように色々と調べる方はそれに伴う、悩み、不安に耐えうる力を 持っている方ということです。 回復したら、ここに辿り着いたそのパワーをどうか、 社会や次世代(子どもたち)のために使っってくださいね。」と。私が今感じている大きな感謝の気持ちは、これから周りに還元していってくださいね、ということだった。先生は先生で、ご自身が出来ることを最大限続けていかれる。最大限と書いたが、本当に先生は休みを取っていない。月曜から土曜までは診察と手術、日曜はその週に手術を受ける方への術前説明の日に充てられていた。看護師さん、受付の方、掃除の方、食事の調理師さん、誰もがプロフェッショナルで、丁寧で完璧な仕事をしている病院だった。私は、そのことにとても感銘を受けて、これからの自分に大きな力をもらった。私は人一倍気が小さくて、怖がり。なので、大した病気でもないのに、大騒ぎして、あーでもないこーでもないと、自ら不安を大きくするところがある。その上、疑い深いから中々先生を信用できず、あれこれ調べまくる。そして、調べてまた不安になる。この自作自演とも言える、面倒なドタバタをこんなに評価してもらえるとは。しかも、それは自分の弱点だと思っていたけれど、先生に言われると、それが何かに活かされるような気がしてきたから不思議。病室に戻る廊下で私は心から思った「この病院で手術して良かった。そして、これは自分にとって必要なことだったのだ」と。部屋を出る前、USBメモリを手渡された。手術を録画した映像が入っているという。「要らなかったら消して、普通に使って下さい」と先生は言った。私は見る勇気はなかったが、一つの記録として大切に取っておこうと思った。しかし、手術の映像を渡す先生って、なかなか珍しいと思う。どこに出してもらっても結構ですという先生の言葉に、手術に対する揺るぎない自信が伺える。【2015年12月13日】術後5日で無事退院。まだお腹は張っていて、普通のズボンは履けない。傷は力を入れると痛い。車の振動がお腹に響いた。傷は日にち薬だからしばらくは痛んでも仕方ない。腹腔鏡手術といっても手術は想像以上に体に負担をかけているから、年末年始はくれぐれもおとなしくしているように、と念を押された。【2015年12月28日】術後診察日。病理検査の結果は良性。術後の回復も順調とのこと。そこで、入院中のカルテと数々の検査結果、手術の記録(何時何分にどういうことをしたかという詳細な記録)麻酔の記録(術中の血圧、体温、使用薬剤とその量など詳細に書かれている)を渡された。通常患者には渡ることがないと思われる、その専門的な書類にびっくりした。私は物珍しさもあって、それら書類を食い入るように読んだ。今までの診察も今回の入院手術も、すべて患者がどのような医療行為を受けたかが、最大限分かるように情報開示されていた。その極めつけが手術の映像。私が「素晴らしいですね」と先生に伝えたら、「それでもまだまだ足りない、至らない所はあります」との先生の弁。この謙虚さ・・本当に医者の鑑の様な方だ。家に帰って、すっきりした気分で、一区切りにと、手術の映像を見てみることにした。感想は・・見ていてお腹が痛くなった。自分のお腹の中はあんまり見るものじゃ無いですね(笑)