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これも前回のお土産同様、個人的には旅行に欠かせない。
でも撮るときは動きを止めるし、結構面倒くさい。 最近はデジカメが主流となりその場で見られるため、面倒くささを幾分か減らしている、というか撮る楽しさを増進させていると思う。個人的にも5年半前にデジカメを買い、今でも使い続けているが大変重宝している。なんと131万画素(少なっ!)で今どきの携帯よりも性能が悪いが、美の意識が少ないため、というよりも良いものを知らないから特に不自由していない。32MBしかないスマートメディアだが(スマートメディア自体今は貴重、電器やにほとんどなかった)131万画素なので100枚は取れる(買ったばかりのスマートメディアはなんと一番キレイに取れる状態で6枚しか取れず、4MBだった)。でも本音をいうと新しいものが欲しい、ただ携帯を変えるので携帯のカメラの使い勝手を見てからと考えている。 写真を撮るのは少々面倒くさいと思うが、見るのは幼少のころから好きで、アルバムを引っ張り出してはよく見る。また大掃除のときはどうしても見てしまい掃除がはかどらない。 小さいころ、子供特有のみんなを押し分けながら写りたいと思ったことはないが、もちろん写されるのは好きだ。小学3年のときだったか写真に写るのが好きではないという女子に会い、とても疑問だった。大人になるにつれてそのような人の割合は増えて言っていると思う。 どうしてなのか? 容姿に自信がないからか?(でも私もないぞ) それを客観的に見たくないからか? 思うに基本的に自分を客観的に見ること(映像として)がないため、それを見ることに違和感を覚え、その感覚が好ましいと思わないのではないか?(考えすぎ?) 個人的には成長(老い?)も見れて楽しいのだが。 またみんなで見るのも好き。 人の歴史(成長)も知れる。 小学校のときはもちろん両親が撮ってくれていたし、中学、高校は写真がほとんどない。大学にはいったばかりは使い捨てでその後はデジカメになったため、小さいころフィルムのカメラが使えるか心配だったが自分で現像したことは結局1回もない。20才のころ大阪の芸術大学の友人にもらったが北海道の旅行中に盗まれてしまった(ごめんなさい)ためそのままデジカメにしてしまった。 思い出は自分の心の中でという意見も分かる。そのほうが100%旅行を楽しめる。 でも残念ながら人間は忘れていく生き物。でもきっかけがあれば容易にそのときにタイムスリップできる、大学四年のニュージーランドや沖縄、北海道、京都、金髪の写真がパソコンの不具合のためすべてなくなってしまった。今でも残念で記憶も薄まっていく。でも小学校のときでも写真があれば思い出せる。 まあ理屈は結果的なもので、私は写真が好き。 それだけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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