宇治川右岸を花見がてら散策してきた。
桜が満開で綺麗な中之島(通称「塔の島」)を川越しに見ながら、
宇治神社の中を通って、世界文化遺産の一つ『宇治上神社』へ。
【薀蓄】
宇治上神社は1994年(平成6年)に平等院とともに世界文化遺産に登録されました。近くに大型バスが止まれる場所がないため、平等院に比べると訪れる人も少なく、じっくりと国宝と向かい合える静かなところです。宇治上神社が世界遺産に登録されたのは、本殿の中の3つのお社が現存する最古の神社建築であることと、拝殿が平安時代の住宅様式が取り入れられた建物だからです。ともに京都市内ではもう残っていない貴重な建造物です。
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇を祀り、平等院の鎮守社ともいわれています。
宇治上神社 本殿
本殿(国宝)は平安時代の建築で、現存するわが国最古の神社建築である。一間社流造りの三殿からなり、左右の社殿が大きく中央の社殿が小さい。すいません。この角度では、分かりにくいですね。
宇治上神社 拝殿
境内正面の拝殿(国宝)は鎌倉初頭のもので、寝殿造りの様式を伝えている。特に縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた屋根の美しさは格別。
次に訪ねたのは、『興聖寺』。ここは、春の桜より、琴坂の秋の紅葉が良い。
写真は、琴坂を登ったら最初に行き着く中国風の楼門。
境内に入って、ぶらぶらしていると、茶色い作務衣を着た80歳前後のおっさん(オッサンじゃないですよ。京都では寺の住職のことをこう呼びます。オッサンとはイントネーションが違います。)らしき人が。ひょんなことから、色々と庭の案内などをしていただいた。
以下、会話の抜粋です。『 』はおっさんらしき人、「 」は私たち(私と妻)
おっさんらしき人が庭の雑草摘みをしながら、
『こんなとこに沢山スミレが生えているやろ、こんなんもわしに言わせたら雑草や。(確かに杉苔の中から沢山花を咲かせている。)こんなん抜かへんかったら、花のあとに種が出来て来年はもっと酷いことになる。これは、花は小さいけど、根は土の中で二股に分かれて7センチほどある。ほれ、今引き抜いても根っこが途中で切れてしまうやろ。雨の後なんかやないとなかなか上手いこと抜けへん。こんなとこ(石段の隙間)からも生えとる。これは蛍草言うねん。これもいらん。これは××。根が横に広が取るやろ。わしは60年もこの寺に居るから、雑草の根の生え方もよう知ってるしええけど、今の雲水さんは若いから余り知らへん。上っ面だけ引き抜いても、根は生きとるからまた生えてくる。・・・この寺の敷地は三千坪くらいあるから、草引きだけでも大変や。』
「へぇ~、うちの100倍や!あっ、こんなとこに銭苔が生えてるけど、これも雑草ですね。」
『そや。この銭苔は横に根が張って、抜くのが大変なんや』
「スミレなんか、なかなかうちの周辺では見かけへんわ。なんかもったいないわ。抜かはんねんやったら頂戴。」
『そんなん持って帰るまでにしおれてしまう。この松知ってるか、五葉松って言うねん。普通の松とちごうて(違ってという意味)5本の松葉が束になってるやろ。普通の松は、枯れて落ちても夫婦連れていうけど、これは、枯れて落ちても親子連れや。』
「ふ~ん。(上手いこと言わはるなあ、説法なんかで使わはるんかな?)」
庭に入り、
『普通はあんまりこんなことまで説明しいひんのやけど、樹齢は150年ほどやけどこの椿見てみ、汚のうなっとるやろ。よう鳥がつつきに来よるからやねん。』
「へぇ~、何でです?」
椿の花をもぎ取り、がくを取り、花の後ろを突然口に押し付けられた。
『どや、舐めてみ。甘いやろ。』
「ホンマや、甘いわ。」
『鳥はよう知っとんねん、その蜜をつつきに来よるねん。そんで、受粉が行なわれるわけや。・・・・・』
「へぇ~。」
『こっちの椿見てみ。普通の椿のおしべはこっちの花みたいに、黄色い花粉がついてるだけやろ。そやけど、ほれ、こっちよう見てみ。何本かのおしべが花びらみたいになっているやろ。』
「ホンマや!」
『突然変異かも知れへんけど、古い木になってくると、こんなんが沢山咲くねん。』
「へぇ~、そうですか。」
『あの石見てみ。何の形してるか分かるか。』
「さあ?」
『亀の形や。この石が頭で、これとこれが前足。そしてあれが後ろ足で、あれが尻尾。』
「いやっ、ほんまや。説明聞いたらよう分かるわ。」
『こっちの石は分かるか?こっちは鶴や。これが頭で、これとこれとで鶴が羽を広げたところを表してる。』
「教えてもろたら分かるけど、ただ見ているだけやったらよう分からしませんわ。」
『あれは親子の鶴や。』
「ふ~ん。(これはよく分からなかった)」
そんな説明を聞いていると、若い雲水さんが桶に何やら入れてきて、石の上に撒かれた。
水につけられた白飯だった。
『あれを“さば”ていうて、生の飯、生飯と書いて“さば”て読むねん。雲水が、昼ごはん終わったら、生きとし生けるもの、鳥達にやけど、食べ物を施してるんや。さばを読むって言うやろ。あれの“さば”や』
(《さばを読む》について、家に帰って調べてみると諸説紛々と有り、確かにそんな解釈の説もありました。皆さんも一度調べてみてください。)
『この石は何に使うか知ってるか。平べったいやろ。』
と言って、おっさんは、おもむろにスリッパを脱いで、そこにあぐらをかいて座った。
『この石の上であんまり寒ない晩、ちょっと石の上やし痛いんで、何か敷くもん持ってきて座禅組むねん。この石はちょうど北を向いとって、正面に北極星が見えるんや。何時間か座禅組んでると、その周りを北斗七星がまわっとるのに気付く。最前あそこにあったのに、2時間ほどしたら位置がかわっとる。こうして、時々、気候のいい晩に座禅を組んでると、何にも音が聞こえてきいひん夜中に、自分の吸う息、吐く息の音だけが聞こえんねん。その自分の呼吸の音を聞いていると、ワシくらいになると、まるで、自分自身が、大宇宙と一体になったような感じがしてきて、気持ちいいねん。毎月、第3日曜に座禅を組む会があんねんけど、そんなんでは全然味わえへん。』
「でも、それはそれで値打ちのあることと違いますのん。」
『まあ、それはそやけど。』
『こっち来てみ。これが普通のつつじ。あれが、九州の霧島のつつじや。』
『ここ見てみ。雲水さんが、草引きしてくれとんねんけど、まだこんなに残こっとる。草引き言うても簡単やないねん。』
「庭の手入れは誰がしたはるんですか?」
『専門の庭師にやってもろてんねんけど、年に○○○万もついて大変やねんや。』
てな感じで、大変丁寧に色々と面白い話を聞かせてもらいました。おっさん、ありがとうございました。いい散策になりました。でも、後で思うと、お寺の説明はほとんど聞いてなかったなあ。
PS.おっさんの名誉のためにも、次のような説明は聞かせてもらいました。
この興聖寺は、道元禅師が建仁寺から中国に渡り、修業の後、三十四歳で座禅の道場としてこの寺を開いて、その後、有名な福井県の永平寺を建てたとのことでした。
五葉の松について、先っちょから数センチのところから切り、大根にさす。おせちに飾ると縁起物になってよい。松竹梅の松やさかいに・・・といった話も聞かせて貰いました。
【薀蓄】
曹洞宗永平寺派の修行道場。宇治川右岸に沿った道を上流へ歩くと、左手に楓におおわれた上り坂があり、奥に中国風の白い楼門が見える。この参道は琴坂と呼ばれ、小川の水音が琴の音のように聞こえるからという。もとは道元によって深草に建てられたが、慶安元年(1648)、この地に再建された。本堂、大書院、方丈、禅堂などが朝日山を背景に建ち、禅寺らしい厳粛な気配が漂っている。本尊は釈迦三尊。天竺殿には『源氏物語』宇治十帖の手習にちなむ手習観音という聖観音像が安置されている。