2007/10/10(水)03:12
日ハム新監督に梨田昌孝氏
先ほど、帰宅途中の車中で日刊ゲンダイを読んでいて
ギョッとした。
「元近鉄監督の梨田昌孝氏、日本ハム監督に就任」
ホントかよ?
梨田と日ハム、いったい何の関係があるんだ???
記事では、その理由をこう解説している。
日本ハムは商品の特性上、主婦を対象にしたメーカー。
よって、主婦に人気の高い人を監督に据えたい意向が
球団フロントにあった---
???
そして、ご丁寧にも梨田の名前の上に「名将」とつけていた。
それは違うだろう、とボクは思った。
同じ近鉄の歴代の監督でいうなら、西本幸雄氏や故・仰木彬氏
は名将と呼ばれるにふさわしい。でも梨田を今の段階で「名将」
と呼んでしまうのは先達のお二人にも、そしてこれから監督
として実績を作るはずの梨田本人にも失礼だと思う。
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なぜなら---。
2001年、梨田昌孝監督のもと近鉄バファローズは優勝を果たした。
でも、それは近鉄ファンだったボクが贔屓目に見ても、梨田の手腕
とは思えなかった。
球団のDNAになっていた「いてまえ打線」がミラクルを引き起こ
した結果が優勝であり、梨田の得意のはずの投手陣(バッテリー)
は年間防御率が4.98と、決していい数字ではなかった。
近鉄バファローズのDNA---。
「投手はどんだけ打たれても、それ以上に打ちまくって勝つ」。
それは、この年の多くの逆転劇に表れているし、優勝を決めた
北川博敏(現オリックス)の代打逆転サヨナラ満塁本塁打が象徴的
だった。
新たに就任する日本ハム。
ボクが思うには、当時の近鉄とは明らかにチーム事情は違う。
投手を中心としたディフェンスのチームで、最少得点で勝とうと
するチームだと思う。
だから、案外「梨田色」を出しやすいチームかもしれない。
この日ハムで実績を作って、真の意味で「名将」と呼ばれるように
なってほしい。
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梨田昌孝(島根・浜田高-近鉄)。
ボクにとっては、たくさん思い出がある。
特に1988年10月19日、「伝説の10.19」。
ロッテの打者がバントしたとき、投手の阿波野秀幸(亜細亜大)と
捕手・梨田がボールを追い、瞬間に2人が見合ってしまった。結局、
どちらもボールを拾うことができず内野安打になった。
ふだん大先輩・梨田を尊敬していたはずの阿波野。
その直後に強張った表情のまま、梨田を睨みつけていた。
梨田、どう反応することもできず、所在なげにマスクをかぶり
直していたっけ。
この時、殺気だった戦場のような空気が川崎球場全体を
包んでいた。その空気が選手たちの血を熱くさせ、阿波野をも
通常とは違い感情的にさせていたのだと思う。
そしてもうひとつ思い出すシーン。
同じ日の第1試合(この試合は延長なしの特別ルール)。
同点で迎えた9回表、代打で登場した梨田がコンニャク打法で
センターに適時打を放ち、二塁走者の鈴木貴久(故人)を本塁に
迎え入れ決勝点を挙げた時のこと。
本塁付近で倒れこみながら抱き合う鈴木と中西太コーチ。
ボクは三塁側の近鉄ベンチすぐ後でそのシーンを見ていたが、
感極まって涙がこぼれそうで仕方がなかった。
梨田は二塁ベース上で、これまで絶対に見せたことのなかった
ガッツポーズをしていた。上げた両腕は180度に開き、拳の高さは
口元のあたりで、いかにもぎこちない姿だった(ように思う)。
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梨田、これが現役最後の打席になった。
伝説となった1988年10月19日。
あと9日で、あの日から19年になる。
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