あま野球日記@大学野球

2010/01/30(土)15:32

大学野球と観客数

大学野球(1009)

早大の第100代主将に就任した今秋ドラフトの超目玉・斎藤佑樹投手(3年)が 28日、都内で行われた東京六大学野球連盟の理事会に初出席。学生服姿で 新理事として初仕事をこなし、学生の観客動員増を呼びかけた。 新年度初の理事会で、観客動員対策活性化委員会の設置が決定。4月の春季 リーグでは前年(全35試合で30万1000人)比10パーセント増を目指す。近年、 学生の来場者数が減っており、「もっと来てもらえるような対策を考えなきゃいけない」 と斎藤。同連盟は800円の学生割引席の新設を決定、広報紙も作り、来場者など に配る方針も固めた。  (スポーツ報知) ■早稲田大・斎藤佑樹(3年、早稲田実)のコメントに対し思うのは、「現役の一選手が 集客のことまで考えなければならないのか?」ということ。ただ連盟にとって観客増に 向け、人気・知名度で群を抜く斎藤がどうしても必要という事情もあるんだろうけど。 今年は斎藤にとってのラストイヤー。今年の観客動員数も大事だけれど、来年以降 はもっと深刻なのだ。 詳しい観客動員数の推移を調べてコメントを書きたかったけれど、残念ながらその データが見つからなかった。仕方がないので断片的な情報(『スポーツ報知』『TOKYO HEADLINE』より引用)に、推測を加えざっくりまとめると、次のようになりそうだ。 「戦後、次第に人気が盛り上がった東京六大学リーグは、1954年および74年頃は 50万人(1シーズンあたり)を動員したことがあった。だが次第に低迷し、2000年~ 2006年頃までは20万人前後(同)に。そして斎藤ら88年組が大学に入学した2007 年以降は30万人(同)に若干上昇している。ただ盛り返しているといっても、絶頂期 の6割程度でしかないが・・・」 ■以下、『TOKYO HEADLINE』より引用。 1925年(大正14年)に発足した東京六大学リーグが発足、学生野球の最高峰 として人気が高まった。戦後は、試合前日から徹夜で並ぶ観客もいるほどで1シーズン の観客動員数が50万人に達したこともあった。 例えば立教大に長嶋茂雄さんが入学した54年(昭和29年)や、昭和の怪物・江川卓 さんが作新学院高から法政大に進学した74年(昭和49年)などが人気の絶頂だった とされている。 だが、ここ数年は1シーズン20万人前後で推移。06年春のリーグ戦では"ドル箱"の 早慶戦が、3試合計で4万9000人。うち2試合が平日開催という点を考慮に入れても、 01年春には2試合で6万8000人を集めていた。低迷は続いている。 (以上、『TOKYO HEADLINE WEB』2006年9月24日) ■凋落ぶりの大きい東京六大学リーグだけど、先日、絶頂だった頃の映像を見た。 それはNHKのテレビ番組(※)でのこと。立教大・長嶋茂雄さんがレフトスタンドに 本塁打を打つシーンが白黒映像で映っていてた。その場面を見てボクが驚いたのは、 長嶋の豪快な打球よりも観客数の多さ。 たぶん映像は58年(昭和33年)頃のものだと思うけど、外野席にまで人・人・人・・・。 観客でギッシリと埋まっていたのだ。まさに人気絶頂の頃の映像。今では早慶戦だって お目にかかれない光景だった。 (※)テレビ番組『ONの時代 スーパーヒーロー50年目の告白』(NHK、2009年9月 21日放送)。 ■東都大学リーグも同じ。今は閑古鳥が鳴いている状態だけど、以前は違った。 観客席が人・人・人で埋まっていたことがあったようだ。ボクはそのことをブログ 「応援します 東洋大野球部」で知った。 このブログでは、東洋大が初優勝した時の新聞(昭和51年秋)が紹介されていた。 掲載された写真に写っているのは、内・外野席をギッシリと埋めた人・人・人・・・。 東京六大学リーグ同様、この観客の多さは、現在と比較すると感動的ですらあるのだ。 「応援します 東洋大野球部」はこちらです。 今日も1クリックお願いします    

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