■NHK『ヒーローたちの名勝負-代打男優勝弾』を見た。(写真も同番組より)
2001年9月26日、北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁本塁打で近鉄バファローズがリーグ優勝を決めた試合を、北川の視点から振り返った番組だ。
上の写真は、北川が生還する場面。正面でタフィ・ローズが迎えている。右端、大泣きしているのは大塚晶文。少し左側に目を移すと大村直之が見える。さらに左には吉岡雄二、礒部公一、山村宏樹、水口栄二、中村紀洋がいる。
この時、ボクはもちろん嬉しかったが、2,3日後のロッテ-近鉄戦(千葉)のチケットを持っていたから、「今日決めなくなくてもよかったのになぁ」なんて不遜なことも考えていた。また、相手オリックスの監督が仰木彬さんだったことも、ボクの気持ちを複雑にさせた。
■そして同番組には、たまたま故・小林繁投手コーチも映っていた(写真左)。小林さんと番組の趣旨は特に関係ないけれど、ボクは先日、日刊ゲンダイで読んだ小林さんについての一文を思い出した。
その一文は、若菜嘉晴氏が連載している『サスライ野球道』(10月18日付)にあった。
「(江川卓の交換相手になり、阪神へ移籍後)小林さんは絶大な人気に加え、巨人戦では大きなプレッシャーを背負った。心に鬱積した感情を酒で洗い流しているようだった」
と書かれていて、ボクにはとても印象深いものだった。
さらに若菜氏は続ける。
「小林さんとは一時、毎日のように朝まで飲んだ。小林さんはブランデーを一気に流し込む。決して酒は強くないのに強いフリをして、ボトルはすぐに空になった。・・・2人で飲んでいると、巨人への未練が垣間見えた。それがグチになる。巨人を愛し、戦ってきた。それなのに江川との交換相手になった。
『なんでオレなのか・・・』まるで、愛する女性を失ったような・・・」。
そしてまた、小林さんは若菜氏相手にグチを肴にして、心に鬱積した感情を酒で洗い流していた、のだ。
■この時期はおそらく江川卓が引き起こした、いわゆる「江川事件」後、小林さんが阪神へ移籍した1年目、1979年頃だと思う。
ただ夜は浴びるように酒を飲んでいたものの、肝心の仕事は順調だった。巨人と当たるようなローテーションを監督に直訴し、対巨人戦8連勝を飾った。そして、通期は22勝を挙げて沢村賞、ベストナインを獲得した。その後も毎年二けた勝利を挙げ、1983年に現役を引退。スポーツニュースのキャスターなどの活動をして、いかにも小林さんらしく派手な、そして、順風満帆な人生を送っているように見えた。
■驚いたのは1997年、近鉄の一軍投手コーチに就任した時だ。少なくとも小林さんは、コーチとかいった指導者に向いていないと思えた。一匹狼でテレビの世界などで活躍するタイプに見えた。なぜ、小林さんはコーチをやっているのだろう? ボクにはとても不思議な出来事だった。
2001年、冒頭に書いた北川の本塁打で優勝を決めた後、近鉄の監督・コーチ・選手たちはチャンピオンフラッグをもってグラウンドを一周した。みんなが歓喜し、はしゃぎまわって歩く中、ひとりだけ浮かない表情で歩く人がいた。それが小林コーチだった。この時の小林さんの表情をボクははっきり憶えている。
優勝したものの投手成績は最悪、この年を最後に辞任が決まっていたが、それだけが理由だったろうか。江川事件をきっかけに、それまで小林さんが考えていた人生設計とのギャップが広がり、その溝が埋まらないことに、ただただ一人でもがいていたようにも思える。
■若菜氏は最後にこう書いて、コラムを締めくくった。
「苦労をひとりで背負い、なんでも自分の力でやろうとした小林さん。・・・江川は孤独だったという人がいる。でも本当に孤独だったのは小林さんだったんじゃないか。私はそう思っている」。
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