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あま野球日記@大学野球

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2015.02.27
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テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:日本野球史

DSCN5392.JPG

 

■まずは、上の写真をご覧いただきたい。時計の針はもう午後10時を指そうというのに、スコアボードはまだ2回裏までしか進んでいない。1964年(昭和39年)6月3日に行われた広島対阪神15回戦に、いったい何があったのか・・・?

実はその2回裏、広島の攻撃時に戦後初の事件が起きた。

無死一・二塁で打者阿南のバントは投手前の小飛球。稲田主審は「石川はワンバウンドで捕った」とフェアのゼスチュアをしたため、走者はそれぞれ次塁へと走った。ところが阪神の石川投手は直接捕球したものとして一塁へ投げ、次いでボールは二塁へ転送された。するとなぜかボールが転送される間に稲田主審は「バッターアウト」に判定を変更したため、トリプルプレー完成かと思われた。

フェアなら走者の進塁が認められるが、アウト(ダイレクトキャッチ)ならば走者は帰塁しなければならない。セーフと聞き次塁に駆けた走者から見れば、まるで騙し討ちにあったも同然。いったいどっちの判定が「正」なのか?



■阪神、広島両監督は黙っていなかった。まずセーフの判定時には阪神・藤本定義監督が飛び出しかけたが、主審がアウトと変えたため引き下がった。今度は広島・白石勝巳監督が登場した。以下『野球百年』(時事通信社)より。

「プレー中に判定を変えるのはけしからん。打者のアウトは認めるとしても、二人の走者のアウトは承知できぬ、一死で走者が一・二塁に残っている状態で試合を続けよ」
と抗議した。無論、阪神の選手は三重殺完成としてダッグアウトへ引きあげていた。審判団は広島の説得に努めたが、広島は受け入れず、
「審判団が誤審を認めながら、三重殺を認めるのはおかしい」
の一点張り」。

困り果てた審判団はどうしたか。やむを得ず、折衷案として広島の主張を採用することにした。

審判団は「一死一・二塁で試合を再開してもらえまいか」
と、阪神に頼み込んだが、はねつけられてしまった。



■こうして審判団が右往左往するうちに、時計の針は9時50分を指した。中断したのが7時20分だから2時間半の空白である。そして突然、場内マイクを通して「ノーゲーム」の宣言。すると今度は長時間待たされたファンが黙っていない。約500人のファンがどっとグラウンドになだれ込み、審判控室の窓ガラスやらを叩き割ったり、バックネットを壊すなどの大騒ぎ。

警察官動員の中、ほうほうの体で球場を脱出する選手たち、そして審判団。またノーゲームゆえに入場料払い戻しもあったから、こちらもまごついて収拾つかず、ついに翌日の試合まで中止になった。

藤本監督談。
「野球に折衷案などあってたまるか」


広島、阪神に痛み分けを要求し、それでいて審判団の体面を保とうと目論むのは、あまりに虫のいい話に過ぎた。結果、いっそう事態を混乱させてしまった。

「折衷案? 三方一両損は 落語の噺」 (お粗末・・・)

 

  • DSCN5393.JPG

(写真)審判に詰め寄る阪神・藤本監督ら。左から杉下コーチ、朝井、藤本監督、背番号60の土井垣コーチ。(上下ともに『激動の昭和スポーツ史 プロ野球(上)』ベースボール・マガジン社より)。



※なお、「伊予の狸」藤本定義は、3年後の1967年には放棄試合を引き起こしている。http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201402070000/






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Last updated  2015.02.28 09:12:48
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