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あま野球日記@大学野球

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2016.06.24
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カテゴリ:プロ野球
開幕前に賭博などのゴタゴタがあって、「今年もプロ野球なんか見ないぞ!」とボクは固く心に誓っておりました。が、しかし、ついにその禁を破ってプロ野球を見に行ってしまいました。6月17日、ヤクルトの二軍・戸田球場へ。


■事前に予備知識をもたず、そして特別な目的もなく、ただただ試合を眺めていました。

すると真っ先に目に飛び込んできたのは、ロッテの平沢大河(仙台育英)でした。まだ記憶に新しい「18Uワールドカップ」の彼の雄姿。堅実な打撃で、常に日本代表の3番を任されていました。

しかしドラフトのアヤというか、志望した楽天には入団できず、代わって楽天に入団したのが日本代表の同僚だったオコエ瑠偉(関東一)。連日オコエの(一軍での)活躍が報道される中、平沢の心境は穏やかでないかもしれません。この日の試合も快音は聞かれず、表情は常に曇っているように見受けました。

そんな平沢にかける言葉をボクは探しました、必死に。そして見つけた答えは「人生は長い!」(苦笑)でした。ただあまりに稚拙なため声に出すことは憚れて、結局心の中でつぶやきましたよ。「野球人生、短いようでまだまだ先は長いぞ!」と。


 
 平澤大河 (2).JPG
 
(写真)平沢大河。あ~~~空振り? いえいえファールチップです。まだ三振ではありませんよ!

 
平澤大河.JPG
 
(写真)ショートを守る平沢。「野球人生、短いようでまだまだ先は長いぞ!」。目指すは同郷の小坂誠か!?


 
■次に目についたのが、ヤクルト・西浦直亨(天理ー法政大)。ヤクルトの5番・サードで出場していました。背負った背番号は「3」。ヤクルトの「3」といえば、かつては荒川堯(早稲田実ー早稲田大)の番号でもあり、球団の期待の大きさがわかろうというもの。「なぜ背番号3が戸田にいる? キミがここに居てはいけない!」と、 この時も心の中でつぶやきました。

この試合の5回裏、西浦は三塁に走者を置いて逆方向に適時打を放ちました。それはそれは見事なバッティングでした。しかし、実はこの時、ボクはポテンヒットを打ってくれ!と念じていたのです。きれいな安打など要らない!と。その理由を説明するためには、彼の法政大時代のことを書かなければなりません。

天理高時代に「8割打者」などともてはやされた西浦は、大学入学も若い学年の頃から4番を任されることが度々でした。しかしなかなか結果が残せません。4番という重責にもがき苦しんでいるようにさえ見えました。

そして迎えた大学4年の春、打順は下位打者に降格されました。でも、ここで西浦は開眼しました。きっかけはポテンヒットです。2013年4月27日の対慶應義塾大1回戦でした。いつものように4打席を凡退し「あー、今日も西浦はダメか・・・」なんて思って見ていた5打席目、彼の打った打球はフラフラと上がってセンター前にポトリと落ちる適時打となったのです。一塁塁上の西浦のホッとしたような安堵の表情と言ったら・・・(笑)。

この一打を機に、西浦は確実に変わりました。ポンポンと本塁打が飛び出すようになったのです。ちょっとしたきっかけが転機になることは往々にしてありますが、西浦は特にその傾向が強くて、スランプが長い。2014年3月28日の開幕戦で記録した史上8人目の「初打席・初球・初本塁打」から早2年余り。西浦の復活のきっかけはポテンヒットにある。ポテンヒットが出たら西浦の復活と思え! そうボクは信じることにしています。


 
5回、勝ち越しの適時打をライト前に放つ西浦.JPG

(写真)西浦直亨の見事な逆方向打ち。でもボクはポテンヒットを見たかった・・・。
 
 
 
 西浦.JPG
 
(写真)西浦。この試合ではサードを守る。
 
 





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Last updated  2016.06.25 00:37:43
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