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カテゴリ:高校野球
今年のセンバツ決勝は、東邦が習志野を6-0で下し、30年ぶりに5度目の優勝を決めた。春5度目の優勝、そして通算勝利数は56に。ともに並んでいた中京大中京に差をつけ、単独1位に立った。ちなみにセンバツ勝利数のベスト5は以下のとおり。
1位 東邦 56勝25敗 2位 中京大中京 55勝26敗 3位 PL学園 48勝17敗 同 県岐阜商 48勝25敗 5位 龍谷大平安 42勝40敗 東邦のセンバツ初優勝は昭和9年、エース・立谷順一(のちに専修大ー東邦ガス)らが活躍、決勝で浪華商にサヨナラ勝ちし初出場初優勝を決めた。 2度目は昭和14年。圧倒的な強さを誇り、5試合で奪った安打数は73本、59得点で失点はたったの5点。完璧な優勝だった。 3度目は昭和16年。海草中、海南中と和歌山県勢を次々に撃破すると、準決勝は後藤次男(のちに阪神監督)のいる熊本工に接戦の末勝利し、決勝は同じ愛知の一宮中を下し優勝を決めた。 そして4度目は平成元年。山田喜久夫(のちに中日)と原浩高(のちに青山学院大ー日本石油)のバッテリーで勝ち進み、戦後初優勝した。 5度もセンバツに優勝した東邦だけど、ボクにとって最も印象深かった東邦の試合は、「バンビ坂本」で人気を博した昭和52年夏。坂本佳一(にちに法政大)と大矢正成(のちに法政大‐JR東海監督)のバッテリーで勝ち進んだ東洋大姫路との決勝は、延長10回裏にサヨナラ3点本塁打を浴びて準優勝に終わった。 坂本は、その後甲子園に出場することはなかった。そして法政大に進んだものの、公式戦に登板することは一度もなく、いつもスタンドから試合を見つめるしかなかった。これは後日談だが、坂本は大学に入学して初めて控え選手の思いを知ったという。「もし高校時代にその思いを知っていたら、甲子園で不用意な一球を投げてサヨナラ本塁打を浴びることはなかったろう。一球の大事さを知った」としみじみ語っていたっけ。 (写真上)東邦がセンバツ5度目の優勝を決める! (写真下)5回、東邦の石川昂弥がこの試合2本目の本塁打を放つ。1試合2本塁打は個人1試合最多本塁打タイ、史上25人目。 ※いずれもNHKより。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.04.07 22:38:42
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