インブリ―事件が起きた1890(明治23)年頃の野球界の中心は、今とは少し顔ぶれが違っていた。学習院、東京英和学校(のちの青山学院)、そして明治学院などだった。
その明治学院の初代主将を務めたのは、後に白洲次郎の父となる白洲文平だった。歴史の端々には、思わぬつながりが潜んでいる。
※「インブリ―事件」が残した功績。
インブリー事件を機に、一高は野球を「校技」とし、名誉挽回のため猛練習を開始。エリート意識を強め、「精神野球」の原点となった。明治23年には白金、溜池を破り、翌年には連合軍にも勝利。一高精神野球は無敵となった。