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うちのぽよこがとてもとてもお世話になった
私塾のY先生が天に凱旋されていかれたそうです... まだ60歳で、天に急いで帰らなければならない年齢ではないでしょう.. うちの今中一の長女ぽよこは6年生のとき学校に行かれなくなりました。 というより、 行かなくなりました^^; 本人曰く、 「(担任の)先生が信じられないし、信用できない。 そんな先生から勉強を教わりたいと思えないし、 そんな中で無理やり勉強しなきゃいけないとも思えない。」 だそうで、、 まあ、一番大切なことは、 《 言っている事ではなく、言わんとしている事 》 を汲み取る! ってことなのですが、 他人様ではなく、自分の娘がそのような状態だと、だいたいにおいて試されます(笑) 普段仕事でカウンセリングをさせていただいてる、なんてことは な~んの意味もなさなくなるんですよね~☆ 彼女も、いろいろ試してみたかったらしく、 朝、迎えに来てくれたお友達と一緒に登校するのですが、 1時間目が始まる頃に先生から 「今日ぽよちゃんがお休みされたのは具合が悪いんでしょうか、どうされましたか?」 と電話があったり、、 そして手の空いた先生方と一緒に学区内を探し回ったことは一度ではなく。。 「あと30分探して見つからなかったら、警察に捜索願を出しますので、 今日の服装を教えてください。」 と言われた事も、今は懐かしい思い出です。 それから本当に登校しなくなってからは、昼夜逆転していくし、 夜中の3時にに自転車で出て行ってしまったこともありました。 でも、そんな生活の中で、 唯一、Y先生のところだけは休まず(寄り道とかはしてたみたいですケド)通ってたんです。 終わる時間は夜遅くなるので、ぽよをお迎えに行くと 時々先生は心配してくださって 「最近学校のほうはどうですか、、?」と聞いてくださったり。 「ぽよちゃんは本当に賢いお子さんだから な~んにも心配することなんかありませんよ。」と 彼女のbeing(存在)を否定しないで丸ごと受容してくださっただけでなく、 doing(行為)をも受け入れてくださいました。 いわゆるカウンセリングなるものを学ばれたことはないそうでしたが、 ぽよこ本人だけでなく、私もどれだけ目に見えないちからで助けていただいたかわかりません。 今日、カウンセリングのセミナーをさせていただいていた中で being 《存在そのもの》 と doing 《 行為 》 について話させていただいてたときに、 改めて、身をもって示してくださった先生のこと、 そして、わたしにぽよこにその「受容される感覚」という心地よさをこころから味あわせてくださった。。 そんなまだほんの1年半程しかたっていないことを 改めて思い起こさずにはいられませんでした。 私は永遠の命を信じていますから、 いつか私が天に召されたときには先生にお会いできることを信じています。 どのひとももれなく、 いつかは「死」というものを迎え入れるわけですが、 最近、私個人的に、亡くなってほしくない方が天に召されていくことが続きました。 それは本当に悲しいことですが、 私がいつか帰天したら必ず会える。 そうしたら、あんなこともこんなこともはなさなくっちゃ♪ なんて、最近は少しずつ思えるようになってきているように思います。 明日は盛岡でのセミナーのこのクールの最終日。 「こころと向かい合う」 そして、 「否定も肯定もすることなく存在そのものを認め受け入れる」 ことを通して、 「答えはあなたの中にある。もうすでに持っている。」 ということに気付く。 その過程を、また見つめなおしていく。 そして、そこからの発見をワクワクしながらシェアさせていただこう、と思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.01.09 00:39:45
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