417221 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ペルーアマゾンの泥染めとシピボ族の人々

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

アマゾン屋

アマゾン屋

カテゴリ

バックナンバー

2024.04
2016.05.11
XML
日本に本帰国してから4ヶ月経ちます。Facebookを使うようになってから、なおさらにブログに書き込むことができませんでした。

1996年9月から2016年1月に20年近く住んだペルーを離れ、息子と二人で日本に本帰国しました。

必要があればすぐに帰国し介護のため同居する、というのは、長年繰り返してきた義母との約束でした。
だから息子が中学に入るタイミングで帰国し、85歳にもなる義母のところに同居する生活は、ぼんやりと「帰らなきゃ」と覚悟しながらリマ生活を送っていました。アマゾン屋のお客さんの多くは私がずっとペルーに居るイメージが強かったはずだし、私もずっとリマでアマゾン屋をやっていたかったし、何よりもアマゾン屋としては何もかもが安定して上り調子の絶好調の時期でした。お客様も駐在の奥様たちを中心に口コミで少しずつ広がり、最後の方は大使夫人が外国の大使夫人を連れて来てくださり、外国の方にも気に入ってもらえることを体験したばかりでした。別の言い方をすれば、やっとスタートラインのようなところだったかもしれません。とはいえ、それでもあえて私は「仕切り直し」したいという不思議な欲求がありました。あまりにうまくいっていて、このままだと調子に乗ってしまいそうだったからです。


楽なことばかりでなく、ひここもって旅行もしなくなってたし、確かに頑張っていたのかもしれない。とにかく長年やっていれば、山の上にたどり着くことがあるのかもしれない。自分にとっては小さな山だったけれど。

ずっと近況を記録していなかったので、最後にまとめておきます。

「あやっち工房」AYACHIS

アマゾン屋ではアシスタントの友人マルレニさんの働きもあって量を沢山作れるようになり、定番の商品が安定していきました。
この助手さんに週2回の仕事を与えるために私も追われるように仕事をしなければならず、一人でやるのと異なりどんどん忙しくなりました。
助手に教えるのは最初は面倒なことだったけれど、器用で手が早い人だったので本当に助かったし、最後の方はなんでもできるようになって安心して任せられるようになったところでした。惜しい人材。連れて帰りたいと思いましたが。

「玄関のアマゾン屋」

玄関先から食堂に続く一階のスペースが泥染の展示スペースに変わっていき、最初は不便だった展示スペースも手を加えながら使いやすくなってきたところ。
数年前に内装工事をした時に壁を白に塗り替え、壁全面に展示用の板とレールを取り付けることで、ぶら下げたり棚にしたり自由にできるようにしました。
見栄えは良くないけれど、とても合理的で、すっきりしました。


「実演会・体験会・販売会の屋上スペース」

炎天下の屋上に広く日よけの屋根をつけてもらい夏は屋上で過ごすことも多くなりました。
実演会や特に泥染体験会では、テーブルと椅子を使って、ゆっくり体験をしてもらえるようになりました。
初期の頃は絨毯をひいて、お客様にも炎天下に床で作業させておりましたから、ずいぶん改善されました。

「シピボ族の人々」

シピボ族のメンバー達とも信頼関係が深まり、やっとお互いのペースを理解し、思いやりが持てるようになってきました。
私の家に泊まることはほとんどなくなりましたが、数日間の実演会や販売会をするときには屋上の部屋に滞在してもらいました。
20年近い付き合いの中で、お互いのことを信頼できるようになったことは大きな財産です。

テレサは知り合う人に「20年の付き合いになる綾は大切な友達。家族のようなもの。娘のようなもの」と熱心に話した。
知り合った頃に小学生だったテレサの孫たちは成人し子供を産んでいて、ベロニカやレオニダ、母親を助けられるようになってきたし、学校の道具など基本的にお金のかかることも減ってきました。一方で具合が悪くなったりあちらこちらが痛くなる「老い」の問題がある。
最近テレサさんは目の手術をしたようです。
またそのうち一人一人の話をしたいものです。


「引っ越し」

一軒家に夫が一人で住むのは資金もかかりすぎることもあり、何より家賃が大きく跳ね上がっていました。私が出発する前に引っ越ししたかったけれど、予定していた近所の引っ越し先がダメになったり、3月に帰国するつもりだったのを1月に変更するなど、何よりその当時夫が厳しい締め切りのある仕事に追われていたので全く引越し作業ができないというので、早々に引越しは諦めてしまった。私も余裕がなかった。

リマのアマゾン屋は夫がしばらく住む予定だったしギリギリまで販売をしていたりして、なかなか片付かず、結局4月いっぱいで引っ越すことになったものの、荷物が多くて片付かず、引っ越しは大きな家具を運んだ後、何度も元の家に通って5月10日頃まで片付けが続いていました。
その間のやり取りは、時差を超えて、毎日繰り返され、本当に遠くにいる私まで滅入りましたが、現地では本当に大変だったはずです。夫一人では到底難しい状況で、私のものの荷造りや整理などを二人の仲良しのお友達が助けてくれました。夫の新居の倉庫に入りきれない荷物は3カ所に保管されています。

私の工房の作業用の素材である布や端切れ、パーツ、紐、などの荷物も多く、また20年近く買い取りをずっと続けてきた結果として、ストックの泥染布が相当ありました。これを果たしてどうやって運ぶのか。いや運んでこれ以上リマにうまく保管できるのか。日本に運んで収納できるのか。もやもやした不安も付きまといましたが、とにかく自分のいる場所に集めることが一番良さそうなので、頑張って片付けたいと思います。


「日本」
日本では夫の母親との同居生活。そのために帰ってきたのだから弱音を吐かずに貫きます。思ったよりも義母はお元気で何の心配もなく今は私も自由にさせてもらっています。足腰が痛く調子が悪い日もあるので、少しでもお役に立てていればいいのだけど。結婚してから「しがらみ」から完全に離れ自由に暮らしていました。本当に今考えると、リマでの生活は「自由」で「しがらみ」のない非現実みたいな生活のようです。これまで感じることのできなかった現実としがらみをたっぷりと体験していきたいと私は思っています。そして、自分の家族の近くにいられて、いつも会いに行ける幸せさを実感してます。

また続きは後で。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016.12.26 23:52:57
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。



© Rakuten Group, Inc.