000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ペルーアマゾンの泥染めとシピボ族の人々

PR

X

全30件 (30件中 1-10件目)

1 2 3 >

アマゾン・シピボ族の人々

2020.08.29
XML


よくある観光客の記念写真のように写っているワタシ。1997年
この時まさか、こんなに長く彼らとの付き合いが続くとは思っていなかった。
最初の訪問の時のものが出てきたので載せてみることにした。

先日テレサさん(上写真)の娘からのチャットで、彼女が64歳の誕生日だったと知らせがあった。
写真を送ってよと言ったら、娘二人と沢山の孫たちに囲まれて、大きな四角いケーキを前にした、いつものカメラを前に緊張したような、つまらなそうな感じの顔で写っていた。

さぞかし幸せだろうよ。こんなに大家族で、ちゃんと集まってお祝いしてくれるなんてね?コロナだっていうのに、マスクもせずに、べったりと集まって笑顔の記念写真を撮っていたところを見ると、みんな無事らしい。

それは、なんとも、なんとも言えない写真なのだ。
いつも感じる違和感なのだけど、黒髪で民族衣装なのはテレサだけで、浮いている。
娘も孫も、おめかししてお洒落な流行服に化粧をしていて、孫たちの中には大学生で優秀な子もいる。
三女はアメリカ人、長男はドイツ人と結婚していて、みょうに国際的だったりする。
先住民集落に残って暮らしているのは、テレサと長女のベロニカだけだ。


私が知り合った時に、テレサは40歳だった。私は25歳だった。15歳の違いがある。


20年の付き合いを経た末に、彼女は私のことを、20年来の親しい友達であり家族のような存在だと他人に紹介していた。たまに、「娘のような」と言いそうになって「友達」と言い直す風があった。

私も同様に、彼女のことは、もともと友達のようでいて、母のように甘えられる存在でもあり、金銭的に私が支える時があるのでビジネスパートナーのようでいて、どうするのが一番うまくいくのか試しながら、その辺を少しあやふやにしてうまくやっている一面があった。


テレサが64歳になったか。老後はうまくいくかな。きっと不安だろうね。






最終更新日  2020.08.29 08:12:41
コメント(0) | コメントを書く


2020.05.10


私のお気に入りの写真の女の子から、珍しくメッセージが届いたんだ。


木の実をぶら下げて立っている浅黒のシピボ族の少女メリーちゃん。うんと高いひょろりとした木のずっと上の方までするすると猿のように木登りをして、アノナという美しい果物を取ってくれて、ただ私はその野性的な身体能力に感動し、彼女を尊敬した、思い出の写真だ。

シピボ族の集落をひとりで訪れた時は、行く前にシピボ族のテレサさんとリマで出会った後で、遊びに来いと言われて、興味津々で出かけて行ったのだ。
サンフランシスコ集落行きの小さな乗合いボートに乗って、船着場で降りたものの、どこへ行ったらいいのやら住所は知らない。川辺で最初に会った子供達に、ねぇ、テレサって知ってる?と聞くと、自分達のおばあちゃんだと言って案内してくれたんだ。

それでその時に、小学生になる前くらいの女子ばっかりの子供達5人くらいと遊んでもらい、泥染めの作業も初めてみた。たまたま作業をしているところだったから見れただけで、毎日泥染め作業をしているわけではなく、実際には滅多にみられないと思う。それで、その作業というのが、木の棒切れを使ってゆっくり一本一本の線を大判の布一面にフリーハンドで描いていくのだけど、あまりにも何ていうか、原始的で、シンプルで、「えー〜〜〜ーー!!??そうやってたの?!!マジか。これやあ大変だ」という感じだった。



当時の写真より 1999かな




それで、この布はちゃんと作業工程説明しないと、価値だけでなく何か大切なことが伝わらない、伝えなきゃ!という使命感をもった。誰にも頼まれないし、望まれたわけでもない。彼らにとってあまり重要じゃなかったと思う。今も!
私は自分の自己満足だけのために、アマゾンの泥染め布の染めの工程を手書きでパンフレットを作り、知り合った人に説明をして布をみてもらうようになった。興味を持つ人は多くなかった。ほんのちょっとした、一時的な手助けというか、気まぐれだったかもしれない。



これまで考えたことがなかったのだけど、

考えてみれば、そもそも最初に訪問した時に、子供達と知り合って、次からは子供達のための学校に必要な文房具などを送るようになった。忘れていたけど、毎年学年のはじめに
ノートやら鉛筆を10人分だったかと棒付きの飴ちゃんなど送った。
子供達のママは、テレサの娘のベロニカとレオニダで、ママ達は学校に通わせるためにお金がかかることに苦しんでいた。それで、彼らの子育てを応援しながら、稼いでもらうために布を注文し買いとるようになったのだった。

【なるほど、少しずつ思い出してきた。子供への支援がスタートだったんだ。最近、と言うかずっとモヤモヤして何もすっきりしないのだけど、自分の中でも整理ができずにいるようなので、思いついた時にブログにメモしていこうと思った。】



さて、この写真のメリーちゃんとの出会いから20年以上か?彼女にはもう3人の子供もいて立派な大人だ。
メッセージは、久しぶりという挨拶と、
コロナ感染の影響で、彼らの集落でも、外出禁止など厳しい処置が続いていて、個人業である夫達は収入が途絶えて、生活費もなくなっているという話だった。

コロナではないが、雨季によく流行するデング熱が流行しているようで、先日はテレサ、その後、ベロニカ、そして今度はメリーが言うには彼女の母のレオニダが病気だと言う。

考えた末に、みんなで分配するようにと銀行口座に送金することを決めた。

ただ、私は、彼らが困っていると確認できた時に少しだけ支えるための送金をするけれど、これはあくまでもお金をあげる「寄付」ではなくて、布を買いあげることで「前払い」することでしかない。困っている人にお金をポンと出すことがその人にとってプラスになるとは限らないという、苦い経験がある。
だから、私がしてることって「支えている」けど、社会貢献のような「支援」という文字のような立派なことではないんだ。

いつもそのことを考えていて、まだぼんやりしているのだけど
私のように「支える」ことは、みんながしていることとあまり変わらないことと思う。

特に今は、多くの人が、医療関係で頑張る人や身近でコロナの影響で困っている個人事業者を応援したり支えることを考えていると思う。私がたまたま知り合ったシピボ族の人にしていることと同じと思うんだ。

お金の支援であることが必要なのだけど、気持ち的に不安になっている人の「精神的な援助になること」、そしてそれが「持続可能であること」が大切なのだと思う。

私は、やっと少し納得した気がしている。

自分がしたいことが、シピボ族のファミリーを精神的に支えるための支援だったということ。
そして、私がこの活動を続けるために必要なこともまた、身の回りの人からの精神的援助だいうこと。
東北の被災者の方々への支援も、コロナで不利になった方の経済支援も同じ。


誰かを支えること。ひとりひとりが簡単にできることなのかもしれない。
「だいじょうぶ?ここにいるよー」と伝えてあげること。



でもね、気持ちだけでは多分意味がない。
やっぱり現実は、お金がないと人を助けられない。


話は続く
「シピボ資金」
どうして支援が続けられるのか?


アマゾンの泥染め布の専門ネットショップ
https://amazonya.thebase.in







最終更新日  2020.05.11 20:29:16
コメント(0) | コメントを書く
2018.11.30
私は長年彼らの布を買い取ることで、彼らが伝統の泥染めの手法を続けることで生活できるよう、最低限の「ギリギリ支援」をしている。多すぎてはいけない。

最初は「支援のために買い取っている、応援してほしい」と協力を願ったけれど、最近では「支援」という言い方をするとき自分の中で違和感を感じる。ほっておいても「良いものだから買う」ストレートな勝負ができる素晴らしい工芸なのに支援なんていうべきじゃないと思うようになった。実際、大したことはしていない、応援して支えてるだけ。

良いものを作るなら私は買おう。やりたければやればいい。無理に続けて欲しいわけじゃない、続けるかどうかは彼らが決めること。






ただ、20年もの間、私は必死に戦った。彼らが自分たちの仕事に対する品質のことだ。
私が思うに、同じ泥染めの手書きの模様でも、見るからに価値のあるものと、子供が描いたようなものが混ざっていることがあった。部分的に他の人に手伝わせる時、違いはみれば分かる。下手でも丁寧なものには良いものがある。できの具合を安定させることはあまりに難しかった。

その不思議な幾何学模様は誰もが描けるわけではない。丸ごとコピーはできても、すぐに習得することはできない。布に模様を描くのはシピボ族の女性の仕事で男性はしない。

何よりも。下手の前に、この模様のイメージが湧くかの能力の問題がある。身近な例を見るとシャーマン家系の遺伝&伝承のようにも思える。薬草の目薬という説明をされるがアヤワスカとは関係はない。それが、天から降りるという神秘の模様か、何かを真似て描く落書きなのかは一目瞭然。


彼らはもともと、良いものも悪いものも同じ値段で売ろうとする性質があった。
単にやることが雑というかシンプル。
私は通常彼らから特別に卸値で仕入れているわけではない。彼らはお金のこととなると頭が冴え、値下げ交渉をしても譲ることはあまりない。

ずっと言い続けていること。
「良いものは評価され高く売れます、悪いものは売れません。」
「良いものを作れば私は買い続けます」「
「大事に作らずに雑に作ったものは欲しくありません」

頭がクラクラするほど、同じことを繰り返し、毎回伝え、お金のことで言い合いをし、嫌な気分になり、やっと「良いものを作るべき」と、分かってきたかと思う。
それくらい、単純なことでも、何度も繰り返し、伝え、バカみたいに言ってきた。

美しいものは誰でも分かる。
お客さんにも一目で判断できること。

私はいつも雑な作品を見ると、本当にムカムカして気分が悪くなる。
大切に作られたものとの差は、誰の目にも見えるはずで、それは表面に浮き出ている。
それをどうにかしたくて、ずっとやってきた。

今は満足させてくれるものばかりなので、文句を言うことはない。






最近のテレビ番組でシピボ族の泥染め布を大量に買い取って視聴者にばらまいているというが、
私がこれまで見たことがないようなものばかりで
一体どこにそんな品質の、変なものが存在しているのか、知りたい。

執拗に売りつけられるということも特徴的なところだけど、言いなりになってナンでも買う外国人が出ればバカにされるだけだ。本当にやめてもらいたい。(過去の下書きより)






最終更新日  2018.11.30 18:00:12
コメント(0) | コメントを書く
2018.08.22
今日だか明日だかはシピボ族のテレサさんの誕生日らしい。
63歳だったかな。

いつものパターンなんだけど、今回はレオニダさんがメッセージを送ってくる

L「来週はテレサの誕生日だよ」ア「・・・・・・」

L「・・・・・・・・」ア「じゃあその日は電話でお祝いしようかな」

うすうす何を言いたいのか分かっているが・・・・
何か言いたそうなのになかなか言わない。

「・・・・・・・・・」
ア「ケーキを買いたいの?」
L「はい、ケーキを買いたいです」
「・・・・・・」「・・・・・・・・」

リマにいた時は、たまにお祝いのケーキ代を出すことがあったため何か期待されてる。
けれど、私は毎回思う。
もともとケーキを食べる習慣がなかったのに、高い菓子にお金をかけて無駄に使う必要があろうか。
そんなお金がかかるもの食べなくてもいいじゃないか。


私は彼らをできるだけ甘やかしたくないんだ。
しかしいつも色々わがままも聞いてもらっておるのでケーキ代として50ソル出すことにした。

自分のお金でお祝いするならそうしたらいい、悪いことじゃない。

ア「前払いしてほしいの?」
L「あや、300ソルを前払いしてくれないか」
ア「ケーキ買うなら50ソルで足りるでしょう」

私だって景気は良くない。何がケーキだ、とイラッときてる。

ア「あのさーー何に使うんよ」

L「サプライズのプレゼントをしたい」「・・・・・・・」

ア「はー?」「何がサプライズだ」

L「台所にコンロを買ってあげたい」

あ「はー???・・・サプライズ・・・・・」
「コンロ・・・・・!!」そんな太っ腹かいっ!

実際、どういうわけか、いつもテレサは娘たちから良いものを次々ともらっている。
携帯電話、冷蔵庫、テレビ、なんだかんだ、どんどん文明の利器が増えている。

私はレオニダに言った。
ア「私は賛成じゃないよ。コンロはテレサはすでに持ってるし、昔ながらのマキで火を焚けるじゃんか。
必要ないじゃん!生活費も足りてないのに、無駄遣いしないほうが良いよ」




なぜ彼らは、お金がないのに、人に前借りしてまで無駄にお金を使うんだ。
私には理解できないことなのだろう。

何度言ってもわからない。金があれば全部をさっと使ってしまう。

お金を貯めることはない。

しかし時代だ。文明の利器を次々と取り揃える、周りの家庭との競争なのだ。
あの人はテレビを買った、冷蔵庫を買ったと、三重の張り合いか。

日本でもつい最近同じことをしてたじゃないか。
三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)


こうしてどんどんモノが増える。必要ないものが増えて行く。
繰り返される流れを止めることはできない。世の中の宿命を変えることはできない。


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

おすすめ
ぶどう色というかぶどう酒色というのか。特別な色で、同じ色はない。
この中央の模様は伝統的なものではないけど、ちょっと流行っていたみたい。
オンラインショップにて販売中。








最終更新日  2018.08.22 23:36:54
コメント(0) | コメントを書く
2018.02.11
【進化する通信手段・日本ーアマゾンの先住民集落】

現地とのやりとりは全てFacebookのメッセージで、主に集落に母と暮らしているベロニカの息子エルリンが仲介してくれている。母ベロニカや祖母テレサの作品を写真に撮って画像を送ってくれるので、それらを瞬時に確認したり指示したり注文したりが可能だ。信じられない通信手段の進化だ。

もちろん遠方のため顔を合わせて作品を見てあれこれ評価したり文句を言ったりできず、小さなトラブルになりやすい問題はある。考えてみればリマにいた時も電話などで遠隔でのやりとりで、出来栄えを確認できないまま受け取りをするのが常だったので、画像で一枚一枚細かく確認できる現状は、今の方が断然やりやすくなっている。ただ、スマホを使いこなせる若者が近くにいることが絶対条件だ。

リマでもスタッフが必要になることがあるが、ベロニカの娘たちがいる。どの子も頭が良くて、よく母を助け、そして私に協力してくれるのである。




FOTO 2017 NOV



右側のベロニカ、その息子エルリンが左端。ベロニカ、太り過ぎだよね????????知り合った頃は確かゴツゴツした男みたいな強そうな体だったのに、腹がポヨポヨだ。


【変化する食生活】

リマで初期の頃、私の家で豚肉などの食べ慣れない食物を食べるとすぐに腹を壊し大騒ぎになった。シンプルな食生活でつくられた体はあまりに純粋で、都会の邪悪な食べ物は合わなかったのだ。その野性的な彼女の肉体反応に感動があったことを思い出した。が。

珍しいものは何でも食べたい、もらったら何でも食べる、あるだけ全部食べる、という食いしん坊だ。



【見えない病気】

今日もやりとりの中で、具合が悪いから医者に行きたいとの話をされており最初は半信半疑で探りを入れていた。いつものように、食べ過ぎか、変なもの食べたか、心配性などストレス性の胃炎とか?どっちかなんじゃないのー?しかし息子のエルリンが説明しているのを聞くと少し心配になってくる。
とにかく検査をするとのことだった。


彼らはもともと具合が悪ければシャーマンに診てもらうものだったが、最近は、シャーマンでも治せないと分かると街へ出て病院へ行き検査をしようとする。彼女の親族の多くが病気で亡くなっているので不安があるのかもしれない。しかし検査はお金がかかる。


何ヶ月も前から具合が悪いそうだけど、三ヶ月前の11月に会った時は元気そうだったし、基本的に嘘をつくこともあり、前払いが必要となると「具合が悪いから病院に行きたい」という説明になることが多く、本当かどうか分からない。

検査をしたって簡単には病気の原因は分からないだろうに・・・・と思いつつ、とにかく精神的なことであれば助けたいと思い、布を多めに買い取り生活の不安を解消してあげるための手を打つことにした。

昔から4人の子供たちの学費が払いきれないという不安定な時期には決まって具合が悪くなっている。ベロニカは精神面が弱く、感情がストレートで、なんというのかな、野性的に感じる。


多分直ぐケロッとしてるだろうよ。会ってみないと分からないな・・・この上写真(去年)の際には現地に一泊もできず日帰りだったので、注文の打ち合わせと清算と、仕事の話ばかりであれこれ世間話も相談も聞いてあげていなかったのが悔やまれる。






最終更新日  2018.02.13 10:36:54
コメント(0) | コメントを書く
2013.10.22
ここのところ、1年以上にも渡り、テレサの母アナスタシアの容態が回復しない。
高床式の家の中たっぷりと広い蚊帳を吊って簡単な布を敷いて板の間に寝ている。
大きな布を広げて作業ができるような、広い縁側のような板の間があり、娘ふたりが泥染の作業をしながら看病をする。

アナスタシアはサンフランシスコ集落の創立者の娘であり、彼女とその家族(テレサを含む)の住居は集落の中心にある。
通りをひとつ超えるだけの距離に居るので食事も鍋ごと運んで来れるし、何かあれば飛んで来る。

息づかいが荒くなったり、突然息を大きく吸い込んで息が止まりそうになったりするため、ひとときも目を離すことができなかった。
24時間体制で、誰かしらが付き添うことになっていた。アナスタシアの息子や嫁や孫たちは不定期に見舞いに来たが、看病を交代することはなかった。テレサは兄と弟もいるが男は全く役に立たないらしく、それどころか酒を飲んで帰って来るなど姉妹の怒りを増長させていた。

テレサは長期にわたり看病が続き、疲れているのを感じながら、このような問題はどこの国でもどんな民族でも同じような問題が起きるものなんだなとしみじみと考えた。ただ、彼らは心から母の回復を祈り全力を尽くし寄り添っていた。

看病により自分の時間がなくなっていくことへの不満や不安も募っていたが、それ以上に母の回復を目指していた。

IMG_2999.jpg



看病をしている間は、常に何が起きるか分からないため、落ち着かず仕事も全くはかどらないらしい。

今年に入って今まで何ヶ月もの間ずっと寝たきりで、これまでにその度に私のところへも連絡があった。

とても具合が悪く危篤という知らせ、
病院に連れて行ったと連絡、
その前後に電話がある。病院費用が必要で親族カンパするため今月分を前借りさせてくれという相談だ。
テレサ(娘)、ベロニカ(孫)、レオニダ(孫)、それぞれから別々に電話をかけてくる。
全員から別々に状況確認し話を聞いて一致することが分かってから少しずつ振り込んだ。


看病で付きっきりの生活になると、仕事もできないためお金がなくなり、病院費用や薬代が出せなくなる。
2ヶ月前に最終的に足りないと判断し、最低限の援助をした。キリがないことを分かっているから、安易には助けられない。

前借りしても彼らはキチンと後から清算する習慣になっており、借金が積もり積もっていくことはないが、医療に出費が重なると生活は成り立たなくなって行くことが予測できた。

病院では検査と薬代と入院費がかかる。集中治療室に何日もいたこともある。しかし病気が治ることはなかった。
お金をかけているのに病気が治らず、病院は居心地の良い場所じゃない。すぐに帰りたくなる。

病院の医者はあてにならない。シャーマン(祈祷師)をよんで再び自然療法にきりかえようと相談する。
治らないので家で寝たきりが続く。また悪くなる。シャーマンの自然療法も効かない。

病院とシャーマンの自然療法(薬草や祈祷で治癒)も効かず、「誰かが黒魔術をかけているらしい」と真剣に結論付けようとしていた時もあった。
具合が悪い原因として、誰かに呪いをかけられている、と純粋に考えることがあった。

呼吸が苦しそうで、痛い、辛い、と声を出すので、看病している方も見ていられないのだ。
本人は希望しないが、最終的に病院に連れて行く。
病院で点滴をうち、少し回復する。安心して退院する。

しかし
しばらくするとまた悪くなる。
永遠にこれを繰り返している。どうすることもできない。

孫、ひ孫まで親族が皆なけなしのお金を集め、一体となってアナスタシアの病状を見守り協力していた。
アナスタシア本人は自分のためにお金がかかっていることを気にしていて、病床にいながらも枕元の袋から取り出して「買ってもらえないか?と私にかすれた声で言った。これ以上親族に出費をさせ迷惑をかけたくないから病院へも行きたくないと言った。

病院は苦しくて汚くて家族の面会も許されず、治ることもない、このまま静かな自分の家で死を待った方がよっぽどいいと言った。

ハンモックのアナスタシア.jpg

具合が悪いのに病院から離れた自分の家に戻してしまうのは危険ではないかと心配したが、住み慣れた住み慣れた自分の家はやはり安心するようだった。少し調子がよくなると縁側に出ていつものようにハンモックで揺られた。硬い床に寝るよりも心地が良いのだろうか。


それでも親族は悪くなると無理をして病院へ連れて行った。
悪路を1時間かけて行かなければならない。
雨期の前だから車で行けるはずだが辛い道のりだろうに。


病院へ行けたとしても、ただ、お金がかかることが問題だった。
先住民を保護する法律により医療が無料になったはずだったが、全てをカバーできるわけではないことが分かった。

見守るしかなかった。

つづく






最終更新日  2014.03.21 00:56:10
コメント(0) | コメントを書く
2013.05.18

泥染に使われる染料はタンニンの色素を多く含む「カオバ木(マホガニー材)」と、森の奥地から採取する「鉄分を多く含む特別な泥」である。

大木の表皮を煮だして茶色の染料をとり、何度も染めては天日干しを繰り返して濃く染めあげ、そこに泥で模様を描くと、タンニンと鉄分が反応し泥でく描いた模様が黒く定着する。

泥を使う前の、木の染料で染めた茶色はとても美しく、回数を重ねることにグラデーションを楽しめる。



今回ベロニカさんに現地で鮮やかなオレンジ色にガーゼを染めてもらった。
今までになく素晴らしい発色だ。この色はたったの2枚しかないんだけど。
晴れが続いたので、水で洗って干す作業をした。ムラなく美しく染まっている。
鉄分で反応すると黒っぽいシミができて致命的になるし、陽が強すぎるとシワが影をつくりムラになってしまうのだ。
地面に天日干しをしているところに、風が吹いて飛ばしたり、トリやら犬やらが通りすぎて足跡を残すこともある。

染料のカオバ木はもともとは近所の川岸に流れ着いたり、近くで簡単に採取できたらしいが、ここ数年で染料を入手するのがとても困難になっているようだ。
去年はベロニカさんがボートで1週間かけて上流を旅して染料探しをしたが伐採されていることが多く見つからなかったという。自力では遠くまで動けないテレサさんはすでに奥地から運ばれてくる染料を買い取るようになっていて、一度買うと抱えきれないくらいの量なので当分は使えるし、できれば家族で分け合えばいいのに何故か助け合わない。

今年はベロニカさんも染料を買う機会を狙っていたようだ。あるとき電話がかかってきて、染料売りが来ているからゲットしたい、しかし今投資するお金がないから染料を買う分を前払いしてくれないか、今すぐに必要、間に合わなければ他の人に染料をとられてしまう、滅多にチャンスがないから頼む・・・

彼らがお金が必要だから振り込んでくれと言ってくるのはいつものことで、いちいち応じているわけにもいかないし、染料を買うことを口実にしていたが本当かどうか怪しいと思った。
しかし、やっぱり今回も事実だった。結局染料を買うためのお金はすぐ私が振り込まなかったために間に合わず他の人に先に買われてしまったようだ。しかし仕方がないことだった。


それにしても。いよいよ材料が手に入りにくくなる。たぶん染料を煮だすための薪も探すのに苦労をしているはずだ。

泥染の布を作るのには苦労が多過ぎる現状・・・・

美しいオレンジ色の布を見ながら、これだけに染めるのに、どんなに手間がかかるのか。ちゃんと伝えきれているだろうかと改めて考えてしまった次第。

森の大木の、木の表皮を少しずつ頂いて、それを染料に使い、同じ場所でまた採取できた。
だけどその木自体を伐採してしまったのでは、二度とその木から恩恵を頂けない。そこには何も残らない。
森で生きている人々は森が死ぬようなことはしない。今までもこれからも共存するつもりがあるからだ。
伐採する人は自分のことしか考えてない。


カオバ木が気になる。どのくらいまだあるんだろうか。まだ染められるんだろうか。森の実態が気になる。









最終更新日  2013.05.19 15:58:10
コメント(0) | コメントを書く
2013.05.02
シピボ族の人々とのやりとりは15年にもなるが、大変なことのひとつに商品の受け取りに手間がかかることがあった。
最近は毎月定期的にシピボ族3人(母テレサ、長女ベロニカ、次女レオニダ)の作品がバス会社留めで荷物が届き、それを取りに行き同時に次の注文と素材(コットン生地白)を送る作業は常に時期がズレ込み送られてくる内容も、それに対する支払い金額も不安定だった。3人分まとめてひとつの荷物を送ってくれればいいものの、それぞれが自分のペースで仕事をし決めた出荷時期に合わせることも難しい。交通費がかかることもあり乳飲み子のいる次女のために荷物発送を買って出ることもない。つまり仕事に関しては家族間の協力はなくどちらかというと競争相手という意識が強いところが特徴だ。

色々と事情はあるとはいえ何度言っても毎月荷物をバラバラに送って来るので、忙しいこちらとしてもその度に荷物を取りに行くわけにはいかないため長い間バス会社の倉庫で荷物を放置することになった。渋滞の中タクシーでバス会社へ往復することは時間のロスになるため、最近はM女史に行ってもらうことが多かった。それにしても時間と人件費と交通費がかかった。こういう費用は商品の金額に加算されていないが、面倒なやりとりを金額に加算したらとんでもない金額だろう。

それまでに国内の宅急便を利用するという考えはなかった。そんな業者があるのかも分からないのだけど、少なくとも郵便局が小包の宅配をしてくれるはず。とにかくお互いのため少しでも楽になるために、現地から自宅への宅配サービスを検討するように申し渡した。が、郵便局の存在さえよく分からない様子、最終的にいつものバス会社で自宅までの宅配を頼めることが分かり、早速試したところみごと実現した。

日本では宅配サービスがあまりに身近で当たり前になっているので、荷物が家に直接届くことは珍しくないけれど、シピボ族の人たちにとっては驚くべきサービスだったようだ。送った時も不安そうで大事なものは送れないと気が進まない様子、無事に荷物が届いたことを報告すると、かなり驚いた様子でそれは良かった良かったと大笑いしていた。

支払いも以前は荷物と一緒にバスの宅配荷物に忍ばせて送ったが、最近はやっと全員が銀行預金カードを作ってくれたので振込が簡単にできるようになった。

銀行に預金したり引き出したりというシステムも、彼らにとってはかなり不思議で理解できないことだった。未だに多くの月でお金が足りなくなって前借りを要求してくるが、荷物と一緒にお金を送らなければならなかった頃は送金が大変だった。お互いのために銀行に口座を持つことが必要なのだと諭しても、自分が何か損するようなイメージがあったらしく、なかなか実現しなかった。銀行送金ならば記録が残るしすぐに対応できるので、本当に楽になった。

そして携帯電話の利用によって遠方の彼らとのやりとりをスムーズにした。大雨が降るだけでラインが繋がらなくなる事もよくあるが、町にひとつある公衆電話にかけて相手を放送で呼び出しやっと話ができた時代を考えると、今は必要なメッセージを送っておけば、相手は後からでもチェックできるところが本当に助かる。多くの場合残金がないらしく受信専用だが、割と頻繁に公衆電話から電話をしてくるので密接に現地の様子が分かる。また、もともと民族間の情報ネットワークが徹底されている彼らの生活自体も携帯電話の普及によって大きく変化したに違いない。

こうしてプカルパの町からほど近いサンフランシスコ集落に住むシピボ族のパートナー達の暮らしは、少しずつ変化している。生活に関して便利なものは柔軟に取り入れる性質があり、無理をしてでも手に入れ割とすぐに文明の利器に馴染むことができるところが感心する。(奥地の集落は別だけれど)決して原始的に暮しているだけではない、常に政治や行政に関心を持っているし、時代の変化の波にしっかりと乗っていると感じる。

ただ、環境の変化は決して彼らの生活を向上させるわけではなく、自給自足をできなくさせ、豊かだった自然の恵みの恩恵を受けられなくなった分だけお金がかかる。

これから彼らが生き抜く道のりはいかなるものなのか。












最終更新日  2013.05.03 00:01:13
コメント(0) | コメントを書く
2012.07.13

何度電話してもベロニカの携帯につながらない。ついでに母親のテレサにも不通。まあ、携帯があるだけマシな時代なんだけど。大雨だったり、電源がないところに居たり、持ち歩いていなければ連絡が取れなくなり、これは日常茶飯事。

もうすぐ私は日本への一時帰国なので、留守中の仕事のことで打ち合わせと支払いやら色々を済ませたいのに何度電話してもつながらない。

妹のレオニダの話によればベロニカは再び漁に出たという。「彼女ペスカドーラ(漁師)になっちゃったみたいよ」って本当かよ。ベロニカは「染料の木の皮を探しに上流へ旅に出る」と私には言うが、実際には何日もかけて保存食料となる魚を沢山ゲットするために夫とボートで漁に出ているのだ。内心では、ここのところ修羅場&離婚寸前だった夫と仲良く旅をしていると知って安心していたところ。

今日になって電話があって、私が1週間以上前に送った素材の布をやっと手にしたところだという。捕った魚を最近では街中に住んでいる娘や息子に分けに来ているとのこと。

「で、doncella(ドンセーヤ=骨が少なく淡白なたっぷりの白身が絶品)は釣ったのか?」 と聞くと、そうだそうだ大漁だと早口で色々しゃべって、よく分からない。

「恐ろしくて夜眠れなかった」という部分だけはよく分かる。とにかくものすごい魚で怖くて眠れなかったのだ、すごい魚なのだ、眠れなかったのだと、繰り返す。ぜんぜん意味分からず。

何度か聞きなおしたところ、こうだ。++++++++++++

 

上流へ自前ボートで2泊ほどの旅、宿はない、ボートが生活の場であり寝る場所でもある。ボートを川岸につけて、夫と息子のエルリン(蓮と同年齢)と三人で横になって、どうやって吊るのか知らぬがボートに蚊帳を張って寝るのだという。

以前、夜釣りに連れて行ってよと頼んだときに、ものすごい蚊だから無理だと言われたことを思い出す。

とにかく上流まで出れば魚が沢山いるらしい。

それで、夜になると、魚の大群が通りかかり、びしゃびしゃと音を立てて川面に飛び跳ねて、その勢いとは恐ろしくて恐ろしくて眠ることができなかった、というのだ。

魚が音を立てて大群で押し寄せる?恐ろしくて眠れない??そんなこと聞いたこともないし意味が分からなかった。どんな状況??夜の川岸には夜行性の動物が色々居るだろうしワニも出るだろう。観光地ではそういう動物を見るためのツアーもあるはず。しかし、ボートで夜を越すというのはまた別の話だ。

あー夜のボート泊。どんな感じなんだろうか、どんな魚なんだろうか。とにかくあのベロニカが興奮してしゃべっていたので、よっぽどすごい体験だったんだろう。

20代とか若かったら自分も是非とも一緒に行って体験しようと思っただろうけど、今はぜーんぜんそんなこと思わない。蚊に刺されまくるのはとても恐ろしいし、彼らのような野生感覚がないと、安易に同行すればとんでもないことになると思うのだった。こんど詳しく聞いてみよう。

また、夜にそういう魚の大群にあったことがある人は是非私に教えてください。

忘れないうちに記録しておくことにした。ドンセーヤ、食べたかったな・・・・


ベロニカは染物や刺繍の仕事もキッチリやる。一番腕が良いので、特別な注文は彼女に頼むことにしている。

一方で彼女は野性的に生きる行動力も息づいている。すごいヤツだ。私よりひとつ年下だが尊敬すべき一面を持つ人物ではある。こんど釣った魚を食べさせろっていつも言ってるのにチャンスがない。







最終更新日  2018.01.24 11:32:47
コメント(0) | コメントを書く
2012.03.04

テレサさんは、知り合った時には確か42歳位だったが、今は55歳なのであり、髪を木の実で黒く染めているからか見た目は太ったくらいで大して代わりがないが、やはり若くはなくなっているらしい。

ここ数年はいつもどこかが悪いと言っていて、たまにリマに来て検査などもしているが、結局出費だけして結果がよくわからない。

今回は、というか、今月も前払いを望んでいて、生活するのに十分なはずなのにと思って「何に使うのか」と聞くと、リウマチらしく足が痛くて痛くて、医者で見てもらいたい、そのためにお金がかかる、という。

いつもお金が余計に必要だというときは、自分の具合が悪いか、自分の母親が病気か、そのあたりなんだけど、それにしたって希望する額が大きいので不思議に思うのだ。なにか他の理由があるんじゃないかなと考えている。正直に言ってくれればいいのに、嘘を言ってたりすることがあるので、様子をみているところ。




テレサ50×40.JPG






いずれにせよ、彼らが住むサンフランシスコ集落は、ロウソクの灯りで夜を過ごした10年前とは大きく変わってきている。最後まで自然の状態を好んだテレサさんの家まで、2年前ほどから、電気がきて、テレビがあり、ガスを使っている。金銭が余計に必要になるのも無理はないのだ。




レオニダやベロニカのように、まだお金のかかる子供たちが居ない分、テレサさんはお金がかからないはずなのだけど、実際、医療に必要以上の投資をしていることも確かで、そのことも心配だ。

基本的には森の人たちの医者はシャーマンで、たいてい薬草やまじないで治療をする。それでも治らない時に病院へ行く。最近はシャーマンの治療では治らない病気が多いのだという。


去年行った時、集落のはずれに不自然にも見えるコンクリートの大きな病院を建設中だった。地元の人が利用できるとは思えないのだけど、何故そこにそれを作ったのか私には意味が分からない。


去年、テレサさんの義姉で、女性シャーマンとして有名だった人が子宮癌で息をひきとった。

シャーマンが治療できず、病院でも治療することができず、最後に集落の静かな自宅に戻って過ごしていた。どんどん弱って苦しむ義姉のことを、テレサは心配し心を痛めていた。

医者でもあるシャーマンも、病院も、高額な薬も、ちっとも治してくれないどころか、悪くなる一方で苦しみは増すばかりだという。そんな現状に腹を立て、医者やシャーマンを責め恨んでいた。報道関係やアメリカ人の言いなりになって立て続けにアヤワスカを飲み続けたから毒がまわった、とも本気で怒って言っていた。

末期の癌だったので仕方がなかった。テレサは、癌の治療が難しい病気なのだということを知らなかった。高額な薬も痛み止めも買えるわけはなく、苦しんでも助けることはできなかった。
そばで介護する苦しみや難しさも、老後に抱える問題は都会もジャングルの集落も、何も変わらない。

アマゾンの夜、ロウソクの灯りで夕涼みするときの、ぽつりぽつりのおしゃべり。
テレサは「苦しみ弱っていく義姉が可哀想で可哀想で・・・どうしたらいいんだか・・・」と泣きそうな声をしてため息を繰り返した。元気な時に私も会って話をしたことがあったので、テレサと一緒に悲しんだ。

テレサさんに癌という病気のことを、一般知識のレベルで話し、医者も治せなくても仕方がない病気なのだと説明したけど、何も理解しようとはしなかった。

それで、最後にしてあげられるとしたら、できるだけ、そばに、いてあげること、だと思うよ、と言った。死を待つ人にいったい何ができるか、それは、とても難しいことだった。


しばらく後に、義姉は亡くなった。

彼女の家系が望んでそうしてきたということで、墓地ではなく、庭に埋葬したということだった。









最終更新日  2012.03.05 01:34:08
コメント(0) | コメントを書く

全30件 (30件中 1-10件目)

1 2 3 >


© Rakuten Group, Inc.