コロナ禍のシピボ族の人々(10月の日記より)
コロナになってからパートナーのシピボ族の人々の話はあまりしなかった。いくつか理由があるんだけれど、まず第一に自分が現地に行ってないから特別面白い話はないし、世の中のみんなが困っているのだから、彼らが困っている話をする気にならず、話すとなるとつい小さな愚痴みたいなもの話になってしまうからだったかもしれない。たまにシピボ族の人たちは皆さんお元気なの?とペルーからのお客様に聞かれたりするので、少しは報告しておかなければとは思っていた。コロナでペルーに行けなかったが、1、2ヶ月に一度くらいのペースでシピボ族の布を買い取っていた。つまりコロナであってもなくても、やりとりのペースは大して変わらず、ただ、布を買い続けていても、払うばかりで手元には来ない、という状況が続いている。 2020年と2021年に少しずつ選んでいた分の大判布が現地(アマゾンの集落)に溜まったままだ。現地ではたまに訪れる観光客がぱったりと来なくなったのでいつもに増して生活が大変だと言っていたが、このコロナの間はあえて情けをかける気はなかった。世界中の誰もがみんな困窮している時なのだと考えると、自分たちばかりが苦しいと泣きつかれても甘えてはいけないと言いたくなる。「川で魚でも釣れば飢え死にしないんだから、あなたたちは良い方だよ。世の中の人はもっと困ってるよ。」と何度か話した。お金がないからと言って、できることを必死で探して努力はしたのかと。 彼らは本気を出せば自給自足できるはずなのに、魚はいないとか言って、金銭に甘えることを覚えてしまったことが私には情けないと感じてしまう。集落に、漁に出て大きな魚を沢山とって帰って皆に分け与えるような、頼もしい若者はいないのか??携帯ばかりいじってる人種に変わってしまったのだろうか。コロナ感染の初期の頃は集落にも不安が広がり、男たちは失業し、プカルパまで物資が運ばれて来なくなり、収入もない上、ものが高くて買えないということだった。同時にデング熱も流行し、熱が出て倒れてもコロナか?デング熱か?という混乱が生じていた。連絡が来るたびに家族の誰かしらが具合が悪くて大変だという話を聞いた。その度に振り込みを求められ、できる限りの布の買い取りをした。具合が悪いと聞けばお金が必要なんだろうと察した。若くて妊娠するケースが多く、自分の幼い子供たちに食べさせることができず空腹が続いているという話も直接聞いた。これまでになく切迫していると感じた時は一度だけ買取ではなくお金を送って支援した。困っているからといって、ただお金をあげるということはしたくない。それに慣れてしまった時、すべての終わりが来る。彼らが染めた工芸布(芸術品)を正しく評価し支払う、当たり前の対等な関係であることが基本だ。フェアかどうかというと、毎回お金のことで揉めるが、こちらが搾取するわけではなく、その反対のように感じることさえある。彼らの提示する値段はとても高額で品質は安定しないため常に不信感を生んだり、難しい交渉となる。とにかく写真を見て品質を見定めるのは難しく、話をするべきところを後回しにした遠隔操作は混乱を招きとっても危険。何れにせよ、現地の材料費、輸送費、生活費全てが極端に値上がりしているらしく、納得できる面もあるけど、相変わらずいい加減で自分勝手な人たちでもある。このように、なんだかんだといいながらも、私のパートナーたちは元気にしているし、まあ、私も同様なんだけどあちらこちらが具合が悪いなど、お互いに言い合ってはいるものの深刻なことはない。ただ、テレサが同居している(内縁の夫?)マヌエルの具合がとても悪く、辛い看病が続いているらしい。早く現地に行きたいけど、来年の4月以降になりそう。とても心配だし、テレサのそばに行って励ましたい。11月に、現地にある布を、せめてリマに運んで欲しいという計画は、なかなか実現できず、結局、とりあえずの分として、ベロニカの作品を送ってもらうことになった。新年からは少しずつ現地から届いている新作を紹介していけそう。メモ風になってしまった。書きかけを見つけて年末の12時にちょっとずれたブログを書いている。珍しく一年の反省や今後の抱負を書いたのに、なぜかうまく投稿されなかった。またそのうちにーー今年こそ、ちゃんと反省と新年の挨拶をするつもりだったのに失敗してしまった。ショック・・・新年もよき理解者との出会いがありますように。。。アマゾンの泥染め布の専門ネットショップhttps://amazonya.thebase.in