2007/01/27(土)13:36
メディアの本質 その3
ある有名人の子供がトラックに撥ねられて死亡した。マスコミはこぞって、悲しみ、憔悴しきった有名人をテレビに映した。事故自体は、横断歩道を渡っていた子供が、右折しようとしたトラックの死角になっていて撥ねられてしまったという、よくあるパターンの事故だった。
…そのトラックは花王ロジスティック社のトラックで、トラック本体にばっちりとそのロゴが入っていた。しかし、その「花王」のロゴの入ったトラック本体はほとんどテレビ映像に映されなかった。普通は事故現場の映像に、轢いたトラックの映像が一緒に入っていることが多いのだが、そういう絵はほとんどメディアに流れなかった。見覚えのある人もほとんどいないだろう。
何故「花王」のロゴの入ったトラックはニュース画像に流れなかったのか。理由は以下を見ればよくわかる。
2005年度 広告宣伝費上位50社ランキング
花王の2005年度の広告宣伝費ランキングは4位である。メディア広告の大スポンサー様だ。
平たく言うと、大スポンサー様の損失になるような情報をマスコミが握りつぶしたのである。ある意味、自主的な「言論統制」だ。
以前から花王ロジスティック社は、あまりに厳しい運送スケジュールのため事故が多い(人身事故含む)と、運送業界では取りざたされているらしい。この有名人の子供の事故の前に起こった、陶芸家をはねて車体の下に巻き込んだまま3.2Km引きずったという事故も、花王ロジスティック社のトラックだったという。
これらの情報は大手マスコミでは出てこない。今回もネットの情報に頼った。(有名人の子供の事故のトラックについては、週刊朝日にちょろっと載っていた。)
「まあ、子供の交通事故なんて痛ましい…。」ただそれだけのテレビの情報を鵜呑みにしているだけでは、メディアの問題点は見えてこない。
「そんなこと、一般人には関係ないさ。」と思うかも知れないが、不二家の不祥事は半狂乱でマスコミで叩かれて、大スポンサーである花王ならそれは徹底的に隠される。広告宣伝費の大きさによって、マスコミの報道姿勢がガラっと変わり、それによって二つの会社の存亡が左右された。あなたの会社やあなたの業界が、不確かな情報を元にマスコミにバッシングされる危険性はそれほど低くないのではないか?というか、そういう経験のある人は意外に多いのではないかと思うのだが、それでもメディアの問題点は考えなくてもいいのだろうか?
現在のかなり監視された国家権力では、ここまで横暴な事は出来ない。マスコミの権力の大きさ、怖さにもう少し我々は敏感になるべきではないかと思う。
そして、これも重要な事だが、これらの事をマスコミが常に意図的にやっているわけではないのだろうと思うのである。彼らは、テレビの視聴率や、新聞の購買率、さらには大スポンサーの意向などを考えながら、自然にこういう方向に流れているにすぎない。
だからこそ「大衆が見たがるから、聞きたがるから、知りたがるから、我々がこうやって報道して居るんだ!!」という大義名分が成り立つのだが、その考え方もまたちょっと怪しい。私の考えとしては、マスコミというのは、本質的に人々を煽動する方向に流れるようになっているのではないかと、そう考えているのだ。
私が感銘を受けたブログのエントリからほんの一部分抜粋する。
「ちょっとこのあたりは陰謀論っぽいですが、メディア自体が大衆を狂気させることでその権力を維持したいという原則的な欲望を持つ主体として大衆意識から疎外されているのです。」
マスコミというのは、大衆を扇動し狂気させることで存在感を増し、権力を増幅させていく。マスコミというものが本質的にそういうものであるなら、マスコミ各社の道徳心や良心を期待することは虚しい以外の何者でもない。もうちょっと大局的な視点でマスコミという物に対処する必要がありそうな気がするのである。
それがインターネットであり、子供達に対するメディアリテラシーの教育であり、ひいては国民全体のメディアリテラシーの底上げであり、現時点では対策としてそれに尽きるのではないかと。
(そして、そう言うことが一番苦手なのが、いわゆる団塊の世代であって、人数は多い、これから暇になる、でもネットは見ない、テレビに親和性が強く内容はほとんど鵜呑み、さらにネットに強い若者を敵視するとなれば、マスコミの格好の煽動対象なんだが彼らはその危険性にたぶん全然気づいていない。)
私は、もっとたくさんの人がネットを活用する時代になって欲しいと思う。
それがとりもなおさずマスコミに対する監視機構足りうるからだ。
「インターネットの情報なんて、いいかげんな物ばかりなんでしょ?」
と言う人は、たぶんその時点で無自覚にメディアの煽動にのせられている。
自分自身でちゃんと活用して、その上でメリットもデメリットも語るようにしたい。
押し寄せてくる情報を一つ一つ吟味するのは確かに大変だが、鵜呑みにするのは本当に危険である。最近しみじみそう思う。
…おしまひ
(ああ、とりとめもない、まとまらない文章書いちゃったなあ…。)
(…誰も読まないだろうなーこんな長文。)
(…まあいいや、自分自身の自己満足ということで。)