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2006年05月01日
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画《ゑ》の謝礼
 寺崎広業、小堀|靹音《ともね》、川合玉堂、結城素明《ゆふきそめい》、鏑木清方、平福《ひらふく》百|穂《すい》などいふ東京の画家は、近頃呉服屋が画家《ゑかき》に対して、随分得手勝手な真似をするので、懲らしめの為に、高島屋の絵画展覧会には一切出品しない事に定《き》めたさうだ。
 それには呉服屋が店の関係上、上方の栖鳳や春挙の作に比べると、東京側の作家のものを、幾らか値段を低くつける傾向《かたむき》があるにも依るらしいといふ事だ。
 大分以前京都のある呉服屋が栖鳳、香矯、芳文、華香の四人に半截を一枚宛頼んだ事があつた。出来上つてから店の番頭が金子《きんす》一封を持つて華香氏の許《とこ》へお礼に往つたものだ。
 猫のやうな京都画家のなかで、唯《たつた》一人|帆《ほ》える事を知つてゐる華香氏は、番頭の前でその封を押切つてみた。(むかしく大雅堂は謝礼を封の儘、畳の下へ投《ほ》り込んで置いたといふが、その頃には狡い呉服屋の封銀《ふうぎん》といふ物は無かつたらしい。)なかには五十円の小切手が一枚入つてゐた。
 「五十円とは余りぢやないか。」
と華香氏は番頭の顔を見た。番頭は小鳥のやうにひよつくり頭を下げた。
 「でも香矯先生にも、芳文先生にもそれで御辛抱願ひましたんやさかい。」
 華香氏は鼻毛を一本引つこ抜いて爪先で番頭の方へ弾《はじ》き飛ばした。
 「ぢや栖鳳君には幾ら払つたね。」
 番頭はさも困つたらしく頸窩《ぼんのくぼ》を抱へた。
 「栖鳳さんは店と特別の関係がおすもんやさかい…:.」
 「ぢや百円も払つたかな。」
 華香氏は坐禅をした人だけに、蛙のやうに水を見ると飛ぴ込む事を知つてゐた。
 「へ、ゝ……まあ、そんなもので。」と番頭は一寸お辞儀をした。
 「ぢや、竹内君をも怒らせないで、後《あと》の私達三人をも喜ばせる法を教へようかな。」
と華香氏は大真面目な顔をして胡坐《あぐら》を組んだ。
 先刻《さつき》から大分痛めつけられた番頭は、「是非伺ひませう」と一膝前へ乗り出した。それを見て華香氏は静かに言つた。
 「竹内君のを私達の並《なみ》に下げよとは言はないから、私達のを竹内君並に引き上げなさい。よしか、判つたね。」
 呉服屋に教へる。東京画家のもこの秘伝で往つたら、大抵円く納まらうといふものだ。






最終更新日  2006年06月05日 23時06分28秒
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蓄音機
 尾崎咢堂氏はまた政談の蓄音機吹込を始めたらしい。大隈内閣の総選挙当時にも、氏は今度と同じやうな事をやつた。そしてそれを方女に担ぎ込むで、自分の代りに喋舌《しやべ》らしたものだ。この方が汽車賃も要らねば、旅宿《はたご》賃・もかゝらないのだから、地方人に取つて、どれ丈《だ》け便利か判らなかつた。
 その吹込蓄音機は、尾崎氏の徒党《みかた》に随分担ぎ出されたものだが、反対党で居て、それを選挙の道具に使つたのは国民党の高木益太郎氏|唯《たつた》一人きりだ。
 高木氏は演説会の会場前へいつも高木尾崎立会演説と大きく触れ出したものだ。物好きな傍聴人が、軍鶏《しやも》の蹴合《けあ》ひを見るやうな気持で会揚へぎつしり詰《つま》ると、高木氏は例の尾崎氏の吹込蓄音機と一緒に演壇へぬつと出て来る。
 で、先づ先輩からといふので、その蓄音機をかける
と、尾崎氏の吹込演説は感冒《かぜ》を引いたやうな掠《かす》めた声で喇叭《ラツパ》から流れて出る。
 いい加減な時分を計つて、高木氏が一寸指先を唇に当てると、蓄音機は礑《はた》と止つて、高木氏が一足前へ乗り出して来る。
 「唯今尾崎君はあんな風な事を言つたが、吾々江戸つ子の立揚から見ると……」
と、江戸ッ子自慢の聴衆《きゝて》が嬉しがりさうな事を言つて、小《こ》つ酷《びど》く尾崎氏の演説をきめつける。
 で、幾度かこんな事を重ねて、高木氏の最後の駁論《ぱくろん》が済むと、氏はくるりと蓄音機の方へ向き直る。
 「何《ど》うだ尾崎君、君の説は僕の駁論のために滅茶滅茶になつたが、異見があるなら、言つてみ給へ。こゝには公平なる江戸ッ子諸君が第三者として聴いてゐられるんだから。」
と勝ち誇つた軍鶏《しやも》のやうに一寸気取つてみせる。弾機《ばね》の弛《ゆる》んだ吹込蓄音機は黙りこくつて、ぐうともす、つとも言はない。
 高木氏は一足前へ進んで、
 「どうだい、尾崎君、恐れ入つたかね。議論があるなら言つてみ給へ。参つたのだつたら何も言はなくともい丶。」
と扇子の先で、蓄音機の喇叭を二つ三つ叩いてみせる。喇叭は悲しさうな顔をしてくるりと外方《そつぽ》を向く。
 「どうです、皆様《みなさん》、尾崎君もあんなに恐れ入つて恥かしがつてゐますから、まあ今日はこれで許してやりませう。」
といふが落《おち》で、演説会は閉会となる。かくて高木氏は高点を収めて安々《やす/\》当選した。






最終更新日  2006年06月05日 23時05分05秒
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脅《おど》かせ
 ビスマルクが或時|仲善《なかよ》しの友達と連立つて猟に出た事があつた。すると、何《ど》うした機《はづ》みか友達は足を踏み滑らして沼地《ぬまぢ》に陥《はま》つた。
 友達は慌ててビスマルクを呼んだ。
 「君お願ひだから遣《や》つて来て僕を捉《つか》まへて呉れ、さもないと僕は沼地《ぬまぢ》に吸ひ込まれてしまふ。」
 ビスマルクは大変な事になつたなと思つたが、強ひて平気な顔をしてゐた。
 「馬鹿を言ふない、僕が其処《そこ》へ飛ぴ込んで見ろ、一緒に吸ひ込まれてしまふばかりぢやないか。」とビスマルクは相手が狗《いぬ》のやうに腕《もが》いてゐるのを見た。「もうかうなつちや、迚《とて》も助かりつこは無い。君がいつ迄も苦しんでるのを見るのは僕も辛《つら》いから、一思ひに打ち殺してやらう。」
 ビスマルクはかう言つて、平気な顔で身動きの出来ない友達に狙《ねら》ひをつけた。
 「おい、じつとして居ないか、的《まと》が狂ふぢやないか。僕は寧《いっ》そ一思ひに遣《や》つ付けたいから、君の頭に狙ひを付けてるんだ。」
 ビスマルクの残酷な言葉に、友達はもう泥淳《ぬかるみ》の事など思つてゐられなかつた。何でも相手の銃先《つゝさき》から遁《のが》れたい一心で、死物狂《しにものぐるひ》に腕いてゐるうち、古い柳の根を発見《めつ》けて、それに縋《すが》つてやつとこさで這《は》ひ上《あが》る事が出来た。
 ビスマルクは笑ひく銃を胸から下した。その糞落付《くそおちつき》が自分を救つたのだなと気づいた友達は、
 「君有難かつた/\」
と溝鼠《どぶねずみ》のやうな身体《からだ》をして、両手を拡げて相手に抱きつかうとした。ビスマルクは慌てて逃げ出した。
 「もう好《よ》い/\。そんな様《ざま》をしてお礼などには及ばんよ。」
 神戸の船成金|勝田《かつだ》氏は国民党の立場を気の毒に思つて、三十万円もふり撒くといふ墫がある。それも一つの方法には相違ないが、もつと好《よ》いのは、ビスマルク流に落選でもしたら、犬養始め皆の首根つこを縊めると脅かす事だ。ーすると五十人は屹度当選する。






最終更新日  2006年06月05日 20時12分12秒
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有松英羲
 今法制局長官の椅子に踏ん反りかへつてゐる有松英義氏が、まだ三重県知事をしてゐた頃、恰《ちやう》ど今時分月が瀬の梅を見に出掛けた事があつた。
 その頃月が瀬には、俥《くるま》に狗《いぬ》の先曳《さきびき》がついて、阪路《さかみち》にかゝると襷《たすき》に首環《くびわ》をかけた狗が、汗みどろになつてせつせと悼の先を曳いたものだ。
 有松氏はずつと前から、自分の管内にさういふ忠実《まめ》な狗が居る事を自慢にしてゐた。で、その日も出迎への律の先に鱇躍《かいつくぱ》つてゐる暹《たくまし》い狗を見ると、
 「これだな、例の奴は。」
と言つて、属官を振かへつて、一寸にやりとした。
 だが、狗はその折華族の次男と同じやうに雌の事を考へて無中になつてゐたので、知事の愛矯に一向気がつかなかつた、よしんば気が注《つ》いた所で、相手を夢にも有難いお客とは思はなかつたに相違ない。
 有松氏は俥の蹴込《けこみ》に片足をかけた。その瞬間俥のすぐ前を雌狗が一匹通りかゝつた。先曳の狗はそれを見ると、後藤内相のやうに猛然と起《た》ち上つた。
 機《はずみ》に俸がずるくと引張られると、知事は後《あと》の片足を踏み外していきなり前へのめつた。属官は可笑《をか》しさを噛《か》み堪《こら》へるやうな顔をして飛んで側《そぱ》へ往つた。
 知事は真紅《まつか》な顔をして起き上つた。属官は自分の疎忽《そこつ》のやうにお辞儀をしい/\フロツクコートの埃を払つた。フロツクコートは綺麗になつた。だが、肝腎の顔は何《ど》うする訳にも往《ゆ》かなかつた。有松氏の顔は名代の痘痕面《あばたつら》なので、その窪みに入り込んだ砂利は、おいそれと手《て》つ取早《とりばや》く穿《ほじ》くり出す事が出来なかつたのだ。
 有松氏は月が瀬に着く迄何一つ喋舌《しやべ》らなかつた。花を見ても石のやうに黙りこくつてゐた。そして県庁に帰ると、属官を呼ぴ出して、月が瀬の狗は動物虐待だから、屹度差止めると厳しく言ひつけた。
 月が瀬名物の狗の先曳はそれで御法度《ごはつと》になつた。それから幾年か経つた今日この頃、花は咲き、人は法制局長官になつて、どちらもにこ/\してゐる。






最終更新日  2006年06月01日 22時38分26秒
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2006年04月01日
侯爵夫人
 東京市の政友会新侯補者|添田《そへだ》増男氏に対して、鳩山春子夫人が伜《せがれ》一郎氏のために躍起、運動を始めた。凡《すべ》て女の運動といふものは勝手口にも政治界にも利目《きゝめ》のあるもので、添田氏は手もなく頭を引込めた。お蔭で一郎氏の地盤は先づ保証される事になつた。
 鳩山夫人のこの振舞を見て、甚《ひど》く癪《しやく》にさへたものが一人ある。それは当の相手の添田氏でも無ければ、添田氏の夫人でもない。この頃の寒さに早稲田の応接間で、口を歪めて縮《ちど》かまつてゐる大隈侯の夫人綾子|刀自《とじ》である。
 侯爵夫人はもとから春子夫人のお喋舌《しやべり》とお凸額《でこ》とが気に入らなかつたが、鳩山和夫氏が旧友を捨てて政友会へ入つてから一層それが甚《ひど》くなつた。
 侯爵夫人の考へでは、早稲田から神楽坂へかけて牛込一体は、自分の下着の蔭に、小さくなつてゐなければならぬ筈だのに、その中で春子夫人が羽を拡げて飛ぴ廻るのだから溜らない。
 「添田など何だつてあんなに意気地が無いんだらう。鳩山の寡婦《ごけ》に口説き落されるなんて。」
と侯爵夫人がやきもきしてゐる矢先へ、ひよつくり顔を出したのは早稲田の図書館長は市島《いちじま》謙吉氏だつた。侯爵夫人は有るだけの愛矯を振り撒いて迎へた。そして市島氏が椅子に腰を下すなり、もう口説《くどき》にか\つた。
 「市島さん、今度の選挙に牛込から出なすつたら如《いか》何。私及ぶ限りの御尽力は致しますよ。」
 市島氏はその折古本の事ばかり考へてゐたので、侯爵夫人の言葉が何《なに》の事だか一寸呑み込めなかつた。だが、こんな時|間《ま》に合せの笑ひを持合せてゐたので、
 「へへへへ……」と顔を歪めて笑ひ出した。そして
暫く経つてから漸《やつ》と返事をした。
 「何だつて突如《だしぬけ》にそんな事を仰有るんです。」
 侯爵夫人は側《そば》にゐる大隈侯の顔をちらりと見た。侯爵は鱈《たら》の乾物《ひもの》のやうな顔をして凝《じつ》と何か考へ込んでゐた。
 「でも、私鳩山の寡婦《ごけ》が其辺《そこら》を走り廻つてるのを見ますとほんとに癪でね……」
 「成程、御尤《ごもつとも》で……」と市島氏は型のやうに一寸頭を下げた。そしてその次ぎの瞬間には文求堂の店で見た古い唐本《たうほん》の値段の事を考へてゐた。






最終更新日  2006年05月10日 21時23分15秒
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竹越《たけごし》夫人
 「阿母《おつか》さん、お金を下さい。」
 竹越三|叉《さ》氏の、中学へ行つて居る息子さんは、上《あが》り端《はな》に編上げ靴の紐を解《ほど》くと、直ぐに追はれる様に駈け上つた。阿母《おつか》さんの竹代夫人は、その声にこの頃凝つて居る座禅を止《や》めて、パツチリと眼をあけた。
 「お帰り、いくらです。突然に、何にするの。」
 「え\、十円。」
 十円11中学へ行く子の要求としては少し多過ぎた。つい、この頃まで、物の値段も知らなかつたその子が何にするのか。兎も角何か目論《もくろ》んで、その費用を要求するといふ事は、子供の次第に一人前の人間になつて行く事を裏書する様なもので、一方には言はう様のない頼もしさがあつた。
 「十円、何を買ふの。」
 「えゝ、万年筆を買ふんです。」
 「ちと高過ぎはしなくて。」
 阿母《おつか》さんの頭には、電車の車内広告の頭の禿げた男が、万年筆を捧《さし》げ銃《つゝ》の形にした絵が思ひ出された。それには二円八十銭より種々《いろ/\》とあつた。が息子の方が、一足お先に母親の胸算用を読んでしまつた。
 「ね、二円七八十銭からも有るにはあるけれど駄目なんです。友達は誰一人そんな安いの持つてないんですもの。」
 賢明を誇る阿母《おつか》さんは、手も無く十円の万年筆を買はされた。然《しか》し腹の底では、その学校の当局者が、そんな賛沢な万年筆を、学生|風情《ふぜい》に持たせてゐるといふ行《や》り方が気に喰《く》はなかつた。
 「宅《うち》の人の二千五百年史なんか、二銭五厘の水筆《すいひつ》で書き上げたんぢやないか、真実《ほんと》に賛沢な学校だよ。」
 で、ある時竹代夫人は、何かの用事で学校に出掛けて、校長に会つた時、それとなく皮肉を言つた。校長は眼を円くして聞いてゐた。(それに無理もない。校長は万年筆が欲しい/\と思ひながら、十年|以来《このかた》鉛筆で辛抱してゐたのだ。)夫人の帰るのを待つて、生徒の誰彼は呼ぴ出されたが誰一人万年筆は持つて居なか
つた。そして最後にたつた一人あつた。その名は竹越某。






最終更新日  2006年05月02日 08時39分20秒
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中村不折
 洋画家中村不折氏の玄関には銅鑼《どら》が吊《つる》してある。案内を頼む客は、主人の画家《ゑかき》の頭を叩く積りで、この銅鑼を鳴らさねばならぬ事になつてゐる。
 ところが、来る客も来る客も誰一人銅鑼を叩かうとする者が無い。皆言ひ合せたやうに玄関に立つて、
 「頼まう。」
とか、または、
 「御免やす。」
とか言つて案内を通じる。
 何事も他《ひと》の云ふ事には聾《つんぼ》で、加之《おまけ》に独断《ひとりぎめ》の好きな不折氏も、これだけは合点が往《ゆ》かなかつた。で、お客の顔さへ見ると、六朝《 りくりてう》文字のやうに肩を変な恰好に歪めて、
 「宅《うち》の玄関には銅鑼が吊《つ》つてありますのに、何故お叩きになりません。まさか君のお目につかなかつた訳でもありますまい。」
 幾らか嫌味交《いやみまじ》りに訊いてみる。
 すると、誰も彼もが極《きま》つたやうに、
 「いや、確かに拝見しましたが、あれを叩くのは何だか気が咎《とが》めましてね、恰《ちやう》どお寺にでも詣《まゐ》つたやうな変な音がするもんですから。」
と言ふので、自分を雪舟のやうな画僧に、(残念な事には雪舟は不折氏のやうな聾《つんぼ》では無かつた)自宅《うち》を雲谷寺のやうな山寺と思つてゐる不折氏は、顔の何処かに不満足の色を見せずには置かなかつた。
 だが大抵の客は用談が済んで帰りがけには、玄関まで見送つて出た不折氏の手前、
 「成程結構な銅鑼だ。どれ一寸……」
と言つて極《きま》つたやうに銅鑼の横《よこ》つ面《つら》を厭といふ程|叩《どや》し付ける。銅鑼は急に腹が減つたやうな声をして唸り出す。
 「これはく雅致のある音《ね》が出ますね。」
と客が賞《ま》め立てでもすると、不折氏は顔中を手布《ハンケチ》のやうに皺くちやにして、
 「お気に入りましたか、ははは……」
 台所で皿でも洗つてゐたらしい女中は、銅鑼の音を聴いて、あたふた玄関へ飛ぴ出して来ると、其処《そこ》には帰途《かへりがけ》の客と主人とが衝立《つゝた》つて、今鳴つたばかしの銅鑼の評判をしてゐる。
 「まあ、帰りがけの悪戯《てんがう》なんだわ。」
と女中は、腹立たしさうに余計者の銅鑼を睨《にら》まへる。
 神よ、女中をして同じやうな聾《つんぼ》ならしめ給へ。






最終更新日  2006年05月02日 08時36分39秒
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2006年03月20日
お愛嬌
 リンコルンと云へば、亜米利加中の人間の苦労と悲しみとを自分一人で背負《しよ》ひでもしてゐるやうな、気難かしい、悲しさうな顔をしてゐる大統領であつた。
 日本でも内村鑑三氏などはリンコルンが大好きで、
「君のお顔はどこかリンコルンに肖《に》てゐる。」と言はれるのが何よりも得意で、精《せい/\》々悲しさうな顔をしようとしてゐるが、内村氏には他人《ひと》の苦労まで背負《しよ》はうといふ親切気が無いので、顔がリンコルンよりも、リンコルンの写真版に肖てゐる。
 将軍ウヰルソンが或《ある》時コネクチカツトの議員を仕《し》てゐる自分の義弟|某《それがし》と、リンコルン大統領を訪ねた事があつた。ウヰルソンの義弟といふのは、身《み》の丈《たけ》七尺もあらうといふ背高男《のつぽ》で、道を歩く時にはお天道様《てんとうさま》が頭に支《つか》へるやうに、心持|背《せな》を屈《かど》めてゐた。
 リンコルンは応接室に入つて来たが、室《へや》の中央《まんなか》に突立つてゐる背高男《のつぽ》が目につくと、挨拶をする事も忘れて、材木でも見る様に履《くつ》の爪先《つまさき》から頭に掛けて幾度か見上げ見直してゐる。材木は大統領の頭の上で馬の様ににや/\笑つた。
 「大統領閣下お初にお目に懸ります。」
 「や、お初めて。」とリンコルンは初めて気が注《つ》いたやうに会釈をした。「早速で甚《はなは》だ無躾《ぶしつけ》なやうだが、一寸お訊《たづ》ねしたいと思つて……」
 背高男《のつぽ》の議員は不思議さうな顔をして背を屈《かぜ》めた。
 「何なりとむ。閣下。」
 大統領は口許をにやりとした。
 「貴方は随分お背が高いやうだが、何《ど》うです、爪先《つめさき》が冷えるのが感じますかな。」
 「へゝ》…-御冗談を。」議員は頭を掻いて恐縮した。
 リンコルンの愛矯と無駄口を利いたのは、一生にこれが唯《たつた》一度きりであつた。






最終更新日  2006年04月20日 21時25分31秒
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欠け皿
 日本の遣英赤十字班が英国へ渡つた時、自惚《うぬぽれ》の強い英吉利人は、
 「日本にも医者が居るのかい。」
と甚《ひど》く珍しがるやうだつたが、決して歓迎はしなかつた。
 一行の食事は一人前一ケ月百円以上も仕払つたが、料理はお粗末な物づくめであつた。外科医の一人は堅いビフテキの一|片《きれ》を肉叉《フオ ク》の尖端《さき》へ突きさして、その昔基督がしたやうに、
 「お皿のなかのビフテキめ、羊の肉ならよかんべえ、もしか小猫の肉《み》だつたら、やつとこさで逃げ出しやれ。」
と虫盤術《まじなひ》のやうな事を言つてみたが、ビフテキは別段猫に化《な》つて逃げ出さうともしなかつた。
 ある時など態《わざ》と縁《ふち》の欠けた皿に肉を盛つて、卓子《テ ブル》に並べた事があつた。それを見た皆の者は絶《むき》になつて腹を立てたが、あいにく腹を立てた時の英語は掻いくれ習つてゐなかつたので、何と切り出したものか判らなかつた。
 一行の通弁役に聖学院《しやうがくゐん》の大束《おほつか》直太郎氏が居た。氏は英語学者だけに腹の減つた時の英語と同じやうに、腹の立つた時の英語をも知つてゐた。氏は給仕長を呼んだ。給仕長は鵞鳥のやうに気取つて入つて来た。
 「この皿を見なさい。こんなに壊れてゐるよ。」と大束氏は皿を取上げて贋造銀貨《にせのぎんくわ》のやうに給仕長の目の前につきつけた。「日本ではお客に対して、こんな毀《こは》れた皿は使はない事になつてゐる。で、余り珍しいから記念のため日本へ持つて帰りたいと思つてゐる。幾らで譲つて呉れるね。」
 給仕長は棒立になつた儘、目を白黒させてゐた。大束氏は畳みかけて言つた。
 「幾らで譲つて呉れるね、この皿を。」
 給仕長はこの時|漸《やつ》と持前の愛矯を取《とり》かへした。そして二三度頭を掻いてお辞儀をした。
 「この皿はお譲り出来ません。日本のお客様の前へ出た名誉の皿でがすもの。」
と言つて、引手繰《ひつたく》るやうに皿を受取つた。そしてそれ以後、縁《ふち》の欠けない立派な皿を吟味して、二度ともう欠皿《かけざら》を出さうとしなかつた。






最終更新日  2006年04月20日 02時14分47秒
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洋服和服
 下田歌子女史が最近大阪のある講演会で言つた所によると、最も理想的な衣服《きもの》は、日本服で、それも女房《かない》や娘の縫つたものに限るのださうな。女史が『明倫歌集』の講義をするのは惜し過ぎるやうな婀娜《あだ》つぽい口許で、
 「女房《かない》や娘の縫つたものには、一針づつ情愛が籠つてゐますから。」
と言ふと、その席に居合した多くの夫人令嬢達は吻《ほつ》と溜息を叶《つ》いて、
 「ほんとにさうやつたわ、些《ちつ》とも気が注《つ》かなかつた。」
と、それからは主人の着物を家庭《うち》で縫ふ代りに、女房《かない》や娘の物をそつくり仕立屋に廻す事に定《をこ》めたらしいといふ事だ。
 悲惨《みじめ》なのは男で、これからは仕立屋の手で出来上つた、着心地《きこらち》の好《い》い着物はもう着られなくなつた。然《しか》し何事も辛抱《がまん》で、女の「不貞腐《ふてくされ》」をさへ辛抱《がまん》する勇気のある男が、女の「親切」が辛抱《がまん》出来ないといふ法は無い筈だ。
 だが、下田女史の日本服推賞に対して、一人有力の反対者がある。それは広岡浅子|刀自《とじ》で、刀自は日本服などは賢い人間の着るべきものでないといふので、始終洋服ばかりつけてゐる。
 この頃のやうな寒さには、刀自は護謨《こむ》製の懐中湯たんぽを背中に入れて、背筋を鼠のやうに円くして歩いてゐる。いつだつたか大阪教会で牧師宮川経輝氏のお説教を聴いてゐた事があつた。宮川氏が素晴しい雄弁で日本が明日にも滅ぴてしまひさうな事を言つて、大きな拳骨《げんこ》で卓子《テさブル》を一つどしんと叩くと、刀自は感心の余り椅子に凭《もた》れた身体《からだ》にぐつと力を入れた。その途端に背《せな》の湯たんぽの口が弾《はじ》けて飛んだ。
 宮川氏のお説教を聴きながら、自分ひとり洋服のまま天国に登つた気持で居た刀自は、吃驚《びつくり》して立ち上つた。裾からは水鳥の尻尾のやうに熱い雫《しづく》がぽた/\落ちて来た。
 刀自は宮川牧師を振り向いて言つた。
 「でも洋服だからよかつたのです。これが和服だつたら身体中焼傷《からだぢゆうやけど》をするところでした。」






最終更新日  2006年04月20日 02時14分18秒
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