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2005/05/05(木)23:55

桐生悠々「皇軍を私兵化して国民の同情を失った軍部」

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 だから、言ったではないか、国体明徴よりも軍勅明徴が先きであると。  だから、言ったではないか、五・一五事件の犯人に対して一部国民が余りに盲目的、雷同的の讃辞を呈すれば、これが模倣を防ぎ能わないと。  だから、言ったではないか、疾くに軍部の盲動を誠めなければ、その害の及ぶところ実に測り知るべからざるものがあると。  だから、私たちは平生軍部と政府とに苦言を呈して、幾たびとなく発禁の厄に遇ったではないか。  国民はここに至って、漸く目ざめた、目ざめたけれどももう遅い。軍部は――たとえその一部であっても彼等は――彼等自身が最大罪悪、最も憎むべき国家的行動として憤怒しつつあった皇軍の私兵化を敢てして憚らなくなった。皇軍の不名誉というよりも恥辱これより大なるはない、彼等はその武器、しかも陛下の忠勇なる兵卒を濫用して敵を屠ることをなさず、却って同胞を惨殺した。しかもこの同胞はいずれも国家枢要なる機関の地位にあり、内外に陛下輔弼の大任にあるもの、これらの元老重臣を失わせらるることにより、畏多くも如何に陛下の宸襟を悩まし奉りしことよ。罪万死に値いすべきである。  国民の目ざめ、それはもう遅いけれども、目ざめないのにまさること万々である。軍部よ、今目ざめたる国民の声を聞け。今度こそ、国民は断じて彼等の罪を看過しないであろう。唯有形的にその罪を問い得ないのはこれを通して問うべき「武器」を持っていないからである。だが、無形的には既にこれを問いつつあるではないか。  と同時に、記者は、今次の如く言って満足し、今後は軍部に対して何等の追及をも試みないだろう。  曰く、今や記者の憂は彼一人の憂のみではなくなった。そしてそれは全国民の憂となった。全国民がこれを憂うるに至れば、彼の目的は貫徹されたのだ。次には国民みずからがこの憂を除くべく努力するであろうと。  だが、またこれと同時に、記者は今我日本が内外共に、如何に重大なる危機に臨んでいるかを示唆するために、本号に於て、米人E・J・ヤング氏の「強くして弱き日本」を彼等に、更に進んでは一般国民に紹介し、これをもし他山の石として我玉を磨かなければ、それこそ噬臍の一大後悔あるべきを警告せずにはいられないものである。                        (昭和十一年三月)

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