ここでも言及されている百魔。
だれか、ちゃんと入力(校正)してくれないでしょうかね。
これの底本は、
講談社学術文庫版「百魔」校訂の検証で、問題になっている、学術文庫です。
異郷《いきよう》の天地《てんち》に星一氏《ほしはじめし》と遇《あ》う
壮士志を決して海外に遊び、義友毒に触れて逆旅に死す
現今《げんこん》東京市京橋区南伝馬町《とうきようしきようぱしくみなみでんまちよう》一丁目に星製薬株式会社社長《ほしせいやくかぷしきがいしやしやちよう》として壮《さか》んに活動している星一《ほしはじめ》と云う紳士《しんし》がある。この人は福島県人《ふくしまけんじん》にて明治六年生の今五十四歳である、庵主《あんしゆ》がかつて八九歳の頃より育てた安田作也《やすださくや》と云う者と同じ様に可愛がった一|人《にん》である。庵主《あんしゆ》が多の人の子を育てた中《うち》にもこの人の事は後進の青年に紹介せねばならぬと思う。丁度|庵主《あんしゆ》が浮浪生活《ふろうせいかつ》をして芝佐久間町《しばさくまちよう》の信濃屋《しなのや》に泊り込んでいた時に、右《みぎ》の安田《やすだ》と共に二人連《ふたりづれ》で夜逃げをして米国《べいこく》に渡航《とこう》し、サンフランシスコに行って二人で労働に従事したのである。何様《なにさま》子供上りが二人で不見不知《みずしらず》の外国に往き、朝な夕なにはまだ親の懐《ふとこ》ろ恋しき年頃故、杖《つえ》とも柱《はしら》とも相互に便り合うて、やっと片言交《かたことまじ》りの英語を覚え、星《ほし》はある家庭のボーイに住込み、安田《やすだ》は洗濯屋《せんたくや》の集配人になって、一生懸命に勉強をしていた。然《しか》るにこの二人は素《もと》より通勤《つうきん》であるから、ある貧民窟《ひんみんくつ》の一室に起臥《きが》し、朝早く起きては互いに別れて職務ある家に馳《は》せ附《つ》けるのであったが、ある夜星は友人の処に所用あって出掛《でか》けて往《ゆ》き、安田《やすだ》は昼の疲れの為め寝台に仰臥《ぎようが》して居《お》った。星は深更《しんこう》帰宿《きしゆく》して、
『おい安田《やすだ》、今帰った』
と呼んで見ても起きぬから、電灯を点けて見たれば、安田《やすだ》は依然《いぜん》仰臥《ぎようが》している。何だか様子が変だから立寄って体に触《さわ》って見ると、こはいかに、全身氷の如く冷《ひ》え切って、手足《てあし》共に鱇子張《しやちこば》ってしもうている。おや! と思うと同時に星《ほし》の鼻《はな》を劈《つんざ》く程に感じたのは瓦斯《ガス》の臭気《におい》である。星《ほし》は雷霆《らいてい》にでも打たれたように驚《おどろ》いたが、全く安田《やすだ》は瓦斯窒息《ガスちつそく》で死んだ事が分った。それから宿の主人を起して騒ぎ出し医者よ薬と手を尽《つ》くしたが、もう間に合わぬ。警察官の調査によれば、室内のある場所の瓦斯管が破裂《はれつ》しておったとの事である、それから星《ほし》は誰彼《たれか》れを頼み、尾花《おばな》が原《はら》の片鶉《かたうずら》、一|穗《ほ》に縋《すが》る思いをしてこの安田《やすだ》の亡骸《なきがら》を野外《やがい》一|片《べん》の煙《けむり》となし遺骨《いこつ》とした。彼は安田《やすだ》が最終の眠を遂《と》げた部屋にぽつねんとして孤灯《ことう》に対した時思わず涙声《なみだごえ》を揚《あ》げたのである。
『安田《やすだ》、俺《おれ》は実に淋《さび》しいぞ』
この一声は彼が胸中《きようちゆう》に燃《も》ゆる活動力の烈火《れつか》を振り起して、その光力《こうりよく》が百千|哩《マイル》を照徹《しようてつ》するサーチライトの如く、信念の耀《かがや》きを発する小火口であったのである。彼はそれより親友|安田《やすだ》の骨箱《こつばこ》をストーヴの棚《たな》に載《の》せ、一輪の花と欠《か》け茶碗《ちやわん》の水とを手向《たむ》け、出入《しゆつにゆう》共にかく曰《い》うた。
『安田《やすだ》、俺《おれ》はこれから君と二人前働いて、二人前の成功をせねばならぬぞ。かつて先生が「人間は遊ぶ動物ではない、働く動物であるぞ」と云われた事を君と二人で聞いていた。今俺はその訓戒《くんかい》を一人で実行せねばならぬ身の上となった、しっかり働くから見ておれよ』
これが星《ほし》をして苦痛《くつう》を忘れ、辛労《しんろう》を思わず無目的主義に、ただ人間の本能《ほんのう》たる労働を不撓不屈《ふとうふくつ》に続行せしめた動機である。
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