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カテゴリ:明治世相百話(リンクのない新着テキスト)
仮名垣門下の人々
変った風格の人物揃い 新文学の興らぬ明治の初年、|仮名垣魯文《かながきろぶん》といえば今いう文壇(?)の大御所。その盛名を慕って少しく文筆を弄《もてあそ》ぶ輩は我も我もと門下に集まり、△垣△文の戯号を授かって大得意。二十年前後にはその数三十二、三名、「いろは連」と称して師匠張りの筆陣を張った。 この連中、実はそれぞれ本職があって当時知名の顔触れ、その筆頭は例の先代談洲楼燕枝の|あら《、、》垣痴文で、駄酒落まじりのメイ文家。小手垣味文が漆喰《しつくい》細工の村越滄洲、鏝《こて》先で朝野名士の似顔額面数十枚を作って展覧会を催したり、東両国中村楼大広間の大天井を杉板|紛《まが》いに塗り上げて評判の細工人。連中の最古参は神田の畳屋富蔵という魯文の旧知、これが藁垣苧文といったが、又の名全亭おろかという投書家。 玩具博士で知られた清水晴風が清垣平文、三世広重が歌垣和文、狂言作者の竹柴飄蔵が柴垣其文、又の名四方梅彦、同じく竹柴金作が梅垣佳文など錚々たる面々、都々一畑の霧垣夢文は活版所の主人、後に『金物新報』主幹と馬鹿に堅い方へ転向、滝沢という酒問屋の息子が綾垣羅交、有名な蔵書家で考証学者というこの畑では少々毛色の変った人物、新聞記者から壮士俳優となり、また落語家に化けた川上鼠文が嫁垣鼠文で、大した人気も出ずに人情噺などやっていた。 奇人の部では、いつぞや書いた珍物茶屋の釈迦六こと木崎六之助が弥陀垣阿文、狸汁の画工松本芳延も何垣とか名乗った一人。 これら三十余名のうち、最後まで残った古老は、蟹垣といった野崎左文翁と、神垣の内田茂文君(現存)のただ二人、然るに師の魯文大人、なにに感ずったか明治二十三年三月両国中村楼に盛大な名納会を催して引退、いろは四十七人の予定数に達せぬうち、折角のいろは連も中途半端で自然に解消。
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[狂言作者の竹柴飄蔵が柴垣其文、又の名四方梅彦]の箇所について
いろは連に参加した竹柴瓢蔵は、初代の瓢蔵(別名が四方梅彦)ではなく、2代目の「瓢蔵」、後の竹柴秀葉だと思われます。此のことは、竹柴秀葉が雑誌「歌舞伎」175号の旧師(河竹黙阿弥)の追悼文に「魯文先生のいろは連に入って柴垣其文と号して・・・」と書いております。 (2018年09月13日 08時59分23秒) |
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