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洋服和服
下田歌子女史が最近大阪のある講演会で言つた所によると、最も理想的な衣服《きもの》は、日本服で、それも女房《かない》や娘の縫つたものに限るのださうな。女史が『明倫歌集』の講義をするのは惜し過ぎるやうな婀娜《あだ》つぽい口許で、 「女房《かない》や娘の縫つたものには、一針づつ情愛が籠つてゐますから。」 と言ふと、その席に居合した多くの夫人令嬢達は吻《ほつ》と溜息を叶《つ》いて、 「ほんとにさうやつたわ、些《ちつ》とも気が注《つ》かなかつた。」 と、それからは主人の着物を家庭《うち》で縫ふ代りに、女房《かない》や娘の物をそつくり仕立屋に廻す事に定《をこ》めたらしいといふ事だ。 悲惨《みじめ》なのは男で、これからは仕立屋の手で出来上つた、着心地《きこらち》の好《い》い着物はもう着られなくなつた。然《しか》し何事も辛抱《がまん》で、女の「不貞腐《ふてくされ》」をさへ辛抱《がまん》する勇気のある男が、女の「親切」が辛抱《がまん》出来ないといふ法は無い筈だ。 だが、下田女史の日本服推賞に対して、一人有力の反対者がある。それは広岡浅子|刀自《とじ》で、刀自は日本服などは賢い人間の着るべきものでないといふので、始終洋服ばかりつけてゐる。 この頃のやうな寒さには、刀自は護謨《こむ》製の懐中湯たんぽを背中に入れて、背筋を鼠のやうに円くして歩いてゐる。いつだつたか大阪教会で牧師宮川経輝氏のお説教を聴いてゐた事があつた。宮川氏が素晴しい雄弁で日本が明日にも滅ぴてしまひさうな事を言つて、大きな拳骨《げんこ》で卓子《テさブル》を一つどしんと叩くと、刀自は感心の余り椅子に凭《もた》れた身体《からだ》にぐつと力を入れた。その途端に背《せな》の湯たんぽの口が弾《はじ》けて飛んだ。 宮川氏のお説教を聴きながら、自分ひとり洋服のまま天国に登つた気持で居た刀自は、吃驚《びつくり》して立ち上つた。裾からは水鳥の尻尾のやうに熱い雫《しづく》がぽた/\落ちて来た。 刀自は宮川牧師を振り向いて言つた。 「でも洋服だからよかつたのです。これが和服だつたら身体中焼傷《からだぢゆうやけど》をするところでした。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月20日 02時14分18秒
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