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欠け皿
日本の遣英赤十字班が英国へ渡つた時、自惚《うぬぽれ》の強い英吉利人は、 「日本にも医者が居るのかい。」 と甚《ひど》く珍しがるやうだつたが、決して歓迎はしなかつた。 一行の食事は一人前一ケ月百円以上も仕払つたが、料理はお粗末な物づくめであつた。外科医の一人は堅いビフテキの一|片《きれ》を肉叉《フオ ク》の尖端《さき》へ突きさして、その昔基督がしたやうに、 「お皿のなかのビフテキめ、羊の肉ならよかんべえ、もしか小猫の肉《み》だつたら、やつとこさで逃げ出しやれ。」 と虫盤術《まじなひ》のやうな事を言つてみたが、ビフテキは別段猫に化《な》つて逃げ出さうともしなかつた。 ある時など態《わざ》と縁《ふち》の欠けた皿に肉を盛つて、卓子《テ ブル》に並べた事があつた。それを見た皆の者は絶《むき》になつて腹を立てたが、あいにく腹を立てた時の英語は掻いくれ習つてゐなかつたので、何と切り出したものか判らなかつた。 一行の通弁役に聖学院《しやうがくゐん》の大束《おほつか》直太郎氏が居た。氏は英語学者だけに腹の減つた時の英語と同じやうに、腹の立つた時の英語をも知つてゐた。氏は給仕長を呼んだ。給仕長は鵞鳥のやうに気取つて入つて来た。 「この皿を見なさい。こんなに壊れてゐるよ。」と大束氏は皿を取上げて贋造銀貨《にせのぎんくわ》のやうに給仕長の目の前につきつけた。「日本ではお客に対して、こんな毀《こは》れた皿は使はない事になつてゐる。で、余り珍しいから記念のため日本へ持つて帰りたいと思つてゐる。幾らで譲つて呉れるね。」 給仕長は棒立になつた儘、目を白黒させてゐた。大束氏は畳みかけて言つた。 「幾らで譲つて呉れるね、この皿を。」 給仕長はこの時|漸《やつ》と持前の愛矯を取《とり》かへした。そして二三度頭を掻いてお辞儀をした。 「この皿はお譲り出来ません。日本のお客様の前へ出た名誉の皿でがすもの。」 と言つて、引手繰《ひつたく》るやうに皿を受取つた。そしてそれ以後、縁《ふち》の欠けない立派な皿を吟味して、二度ともう欠皿《かけざら》を出さうとしなかつた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月20日 02時14分47秒
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