網迫の電子テキスト新着情報

全32件 (32件中 1-10件目)

1 2 3 4 >

カテゴリ未分類

2005年11月10日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
ちょっと休載しています。済みません。
体調と心の調子がちょっと下り気味なんです。






最終更新日  2005年11月15日 23時00分35秒
コメント(2) | コメントを書く


2005年11月04日
カテゴリ:カテゴリ未分類
 私の知っているかぎりで、奥州にはもう一つネズミの起原の話があります。その話は『江刺郡昔話』という私の本のなかにも書いておきましたから、ここでざっとその話の梗概だけをいってみましょう。ただしここでちょっと言いたいことは、奥州ではお正月にかぎってネズミのことを嫁子《よめこ》と呼び、お正月の晩などにはとくに嫁子だちの餅といって、小餅をとって土蔵の大黒柱の下や、その他家のなかの平素ネズミの通うような箇所に置くことがあります。私だちも毎年その季節になると嫁子、嫁子と言いながら、そのわけもわからずにおりましたが、先年江刺郡という土地の民間伝承を収集しているうちに、はからずも左のような童話をえたので、私は非常にうれしかったのです。
 われわれの間にはいま、名称や言葉だけが残っていて、その起原とか由来とかの本話がとんと民間の記憶から忘れられたものが多くあります。私のこのような話などももうすこしの間気がつかずに放っといたなら、すでに取返しのつかぬ運命に落ちいっていたのだろうと思います。そうなったら日本民族の新しい文化のために、まことに大きな損害でございます。皆さまも民問に残っている詔にとくに別な愛護と追惜とをおもちくださいまし。
 昔、ある山寺に花若という若衆がありました。その若衆が、和尚さまから勘当をさせられることがあって、寺を出るとき、和尚は夜になったらかならず戸の口一つに一本柱の家に宿かれよといわれました。その夜、花若は山中の草舎に辿り着き、和尚のいったような所に宿づきましたが、その草舎には老婆が一人おります。
 これは年経た古蝦蟇の化けたのでありました。その占蝦蟇の老婆は、花若の身の上活を聞いて、谷下の郷の長者の家に、竈の火焚き男として住みこませました。
 その長者には娘が三人ありました。その娘らが、秋祭りに笛を吹いて通る美しい若衆を見て、いちように深く思いこがれる身となりました。その若衆というのが花着でありました。花若は主人から娘の婿になってくれといわれましたけれども、三人のうちいずれの娘を娶《めと》ってよいかわかりませぬ。そこでやむなくあの谷の蝦蟇の老婆、のもとへいって聞きますと、老婆は花若に三つの試し事を教え、三人のうちそれを首尾よく成し遂げた娘を娶れと言いました。
 三つの試し事とは、第一には一束の麻を苧《お》んで紡いで機に織って、一すじの縞の帯を作ったもの、第二には畳の上にいちめんに引ぎ伸ばした真綿の上を新草履で、わたってすこしも足に綿を絡み着けぬもの、第三にはスズメのとまった木の小枝をそのまま折ってきて、男の手に持たせてくれたもの、こうありました。二人の姉娘どもはいずれのわざにも失敗をしましたが、三番めのいちばん末の妹は三つの試しをどれもりっぱに成し遂げました。そこでその娘が花若のお嫁さんになりました。
 ところが二人の姉娘どもは、あんまり泣いてそうして恥ずかしがってとうとうネズミになって、梁の上に逃げていってしまいました。長者はそれをかわいそうだと思ってそうでないんだけれども嫁子どもだといってやりました。そのことのあったのが小正月の晩だったというので、いまでもそれを思うてやるために、村の家々ではかならず嫁子だちの小餅をとってやるのだということであります。江刺郡の村に残っているネズミの起原の話がまずこんなふうなのであります。
 私はこれで奥州地方の民間に残っている、二つのネズミの起原の話をいたしました。そうして二つともたいへんすじが違っているけれども、人間の少し邪《よこしま》なことが原因で同じくこの小獣になったというように物語られております。ほかにも多くの違った例があることと思います。そのような末々の話を集めて比較してみますと、われわれの祖先の人たちがこんなものに対して考えた、なつかしい心持が今日のわれわれにもあらましながらにわかって参ります。私たち自身の今日の生活によりむずかしい美しい磨きをかけてゆくには、こうした昔の人たちの心の生活をも考え味わってみねばなりません。深く潤いのある心持、真に感じ味わってゆくところの心持ほど今日のわれわれに必要なものはありません。私は間違っていようがいまいが、そういう心持で、まさに滅びようとしつつある、民間伝承を収集してゆきたいと思っております。







最終更新日  2005年11月05日 15時39分25秒
コメント(0) | コメントを書く
2005年10月27日
カテゴリ:カテゴリ未分類
「大場さよ子のほうですが、あのほうはいかがです。まったく信用していいですかね」
「さあ」
 藤枝が急に不愛想に答えた。明らかにかれは何か心の中で考えていることがあるらしい。
「そうそう、ぼくはまだ急用があるんだった」
 かれは不意に立ち上がった。そうして驚く警部のほうを見ながら、
「また来ますよ。ちょっと今日は忙しいので失礼します」
 相良警部も藤枝のこういう性質をよく知っているので、しいては止めようとはしないけれども、多少面食らっている様子で、
「そうですか。じゃあ」
 と立ち上がった。
「そうだ。ひと言きみに言っておかなきゃならないことがある。あの大場さよ子ね、あれが十日の夕方浦部子爵家にいたということはぼくも調べたから確かなんだ。しかし相良くん、大場はあの日、十時ごろに風呂《ふろ》に行くと言って二十分ばかり子爵家を出た事実をきみは知っているかね」
「いいや」
「ぼくは子爵家の女中を一人買収して訊き出してみたのだが、なにしろその間だけは確かに浦部家にはいなかったんだ。浦部家も麹町区にあるしタクシーという剽軽者《ひようきんもの》のある時代だから、二十分という時間にはかなりいろんなことができるわけだぜ。この点をはっきり考えておく必要はないかしら」
「いやありがとう。ところで大場は、一歩も外へ出なかったと言っているよ」
「きみに外出を突っ込まれればきっと、忘れていたといって言い直すに違いない。ところで、かの女が本当に風呂に行ったかどうかを調べるにはごく都合のいいことがある。ぼくは調べてみたんだが、浦部家の女中はあの付近の『柳湯《やなぎゆ》』という湯屋に行くはずなのだ。ちょうどかの女が風呂に行っているころ、あの夜あの付近一帯に停電があったんだ。風呂の中で不意に電気が消えられちゃあちょっと困るだろうから、いやしくも風呂にほんとに行ってたとすれば、停電の件は忘れるはずはない。そこを訊いてみたまえ――いったい今日のきみの取調べを聞いていると、ぼくは黒沢よりも大場のほうを疑いたくなるね。大場の言うことはどうもおかしいよ。たとえば百合子のことを、あんな優しい方がなどとわざと褒めたり、少しも外へ出なかったなんかというのはぼくは気持ちが悪いね」
「そう、ぼくもそう思わぬことはない」
 相良警部が相槌《あいつち》を打った。
「気持ちが悪いといえばもう一つ妙なことがある。相良くん、きみは気がついたろうが、ぼくがほら、あの黒沢の言った茶色の襟巻というやつね、それを言ったときの大場さよ子の顔色さ」
「そう、ぼくもそれはへんに感じたんだが……」
「茶色の襟巻というひと言を言ったら、大場さよ子がなんともいえない変な顔をしたろう。あれはいったい何を意味するのだろう。……この謎《なぞ》を解くことが一つの仕事さね。いやお邪魔をした」
 こう言うと、藤枝真太郎はまだ相良警部が何か言おうとするのに構わず、さっさと出ていってしまった。
 ちょうど、相良警部が黒沢玄吉・大場さよ子を調べていると同じころだった。すなわち三月十二日の昼前、簑川博士の邸では応接間で、楢尾警部と仲井長太郎が何かひそひそと話をしていた。
「いま申したとおりの次第ですから、仲井さん、あなたからひとつ簑川博士を説得してもらいたいものですがね。むろんわれわれは被疑者なり参考人を取り調べるのが商売なんだから、直接調べてもいいんだが、ともかく相当の地位ある方でもあり、あまりひどくいじめたくはないのです。親戚《しんせきよ》の誼《しみ》で、あなたからでもよく利害を説いて話したら、博士も本当のところを喋《しやべ》る気になられるだろうと思うのですけれども……いかがですか」
「いやよく分かりました。まったくおっしゃるとおり、このまま簑川が黙ったままでいますとますますかれに対する疑惑は深まるばかりですから、少しも早く真実を述べさせたいとわたしも思っているのですが……」
「あなたから充分言ってくださったらいいでしょう。わたしの考えでは、博士は必ず犯人を知っている。もしくは犯人らしいと思う者を知っているに相違ないのです。ではわたしはちょっと失礼しますが、またあとで来ますからそれまでに博士を充分説得してください。それから一言博士に警告しておいてください。たとい動機が何であろうとも、いやしくも犯人と目せられた者のために証拠物などを隠すということは明らかに刑法上の責任を逃れぬものだということ、これをはっきり言っておいてください。たびたびお話ししたとおり、何で縊《くび》り殺したかそのものが見えぬというのは実に奇怪千万です。これは博士以外に隠す人はないはずなんですからね」
 楢尾警部はこう言って、博士邸を辞し去ったのであった。
 その午後二時ごろ、楢尾警部の姿はふたたび藤枝真太郎の事務所に現れた。
「やあ、今朝きみちょっと寄ったそうだね。なんだか変な手紙を井上に書かしたそうだが、おかしいじゃないか。いったいどうしたんだい」
「いや、ちょっと考えたことがあったもんだからな。ときに井上くんは、留守ですか」
「ああ、用事があって使いに出した。いまぼく一人だよ。何か新しいことでもあったかね。そうそうぼくは今朝本庁に行って、相良くんの取調べぶりを見てきたが、なかなかかれやるね」
「黒沢玄吉を調べたのかな」
「そう、そのほかに大場さよ子という女も調べていた。いやなかなか二人ともがっちりしているよ。ことに、美しい若い女というものがいかに巧みに平気で嘘《うそ》を言うかということを、いまさら見せつけられてきたよ」
「それで、相良警部の見込んでるところは?」
「さあ、先生もわれわれ同様なかなか意見を言わない男だから、どこを狙《ねら》っているのかちょっと分からないね。しかし、博士・黒沢・大場、この三人を狙っていることは確かだね。きみも何か探し当てたらしいが、相変わらず意見は言わずかい?」
「ところが、今日はそれをはっきり言いに来たんですよ。とくにそのためにここに来たわけなのです」
「というと、いよいよ犯人の目星はついたんですな」
 藤枝は乗り気になって聞きはじめた。
「そう、少しく怪しむに足るべき人物を見つけたのです。博士もその人物の怪しいことを知っているらしい。いや知っているからこそ、あんな瞹昧《あいまい》な態度を取っているのではないかと思う」
「ぼくにはちょっと話が分からないが。……つまり博士は犯人を知っているが、なんらかの理由で庇《かば》っているというのですか」
「まあ、つまりそうです」
「これは面白い。そしてその理由は」
「二つの理由からですよ。一つには家庭の名誉を重んずるという点、一つには犯人をすぐに挙げるのは具合が悪いという点」
「ほう、初めのほうはよく分かるが、あとの理由がぼくにはちょっと分からんね。何か犯人と博士とは親しいのですか」
「いや、そうとは限らんのです。――そうですね、なんと言っていいか――さあかりに博士が、相良警部なりまたは藤枝さんあなたなりを疑ったとして、すぐわれわれに言うでしょうか」
「おや、きみはまた変なことを言うじゃないか。まさかきみはこの藤枝真太郎を疑ってるわけじゃないだろうね」
「もちろんですよ」
 楢尾警部は大きく笑いながら言った。
「そりゃ一つの例ですよ。相良警部を疑ってるわけでもないのです。ただ博士は、あなたのあまりよく知っている人を疑っているから隠しているのです」
「なに、ぼくの知っている人? これは驚いた、いったいそりゃだれのことだい、きみ」
 藤枝が急《せ》き込んで訊く。
 楢尾警部はいっこう騒ぐ様子もなく続けた。
「ねえ藤枝さん、十日の夜、博士邸に行った男があるのですよ」
「そりゃ分かっている。黒沢玄吉さ」
「黒沢?」
 今度は楢尾警部が驚いて言った。
「黒沢が行ったとは相良くんからも聞いたが、相良くんもあなたもそれを信じているのですか。あの晩、博士邸に行ったのはもっと若い男ですよ。もっとロマンチックな用で夫人に会見に行った男がいるのです。藤枝さん、あなたは本当にそれを知らないんですか」
 楢尾警部は狡《ずる》そうな顔をして言った。
「知らないさ。いったいそれはだれのことなのですか?」
「しかもその男が博士邸にのっぴきならぬ証拠品を忘れていったのです」






最終更新日  2005年10月27日 01時20分03秒
コメント(0) | コメントを書く
2005年10月19日
カテゴリ:カテゴリ未分類
 義姉《あね》の部屋から、どうして脱け出したのか、絢子《あやこ》には分らなかった。義姉が、最後に何と云ったのか、絢子の耳にはいらなかった。
 彼女は、耳が割れるように鳴り、眼が眩《くら》みそうになり、危く昏倒《こんとう》せんとする身体を、ようやく支えて義姉の部屋を出て来たのである。しかし、深窓に育った処女である。絢子には、(いいえ、お断りします)とは、どうしても云えなかった。まだ明治は四十年なので、女性の自我意識は、  また女性の自由も、少しも発達していなかったのである。
 ただ、義姉のいろいろな勧め文句を、(考えさせて頂きます)と、云って、やっと切りぬけて来たのである。しかし、いくら考えたところで、承諾できる問題ではなかった。
 絢子は、その翌日から、食事をしなかった。四十年頃の弱い女性にとっては、そうしたハンガー・ストライキをすることが、せめてもの弱い反抗だった。
 でも、絢子は女中達に、
「私、御飯たべたくないの。でも、お兄様やお義姉様《ねえさま》が、心配なさるといけないから、黙っていてね。」
 と、云う気の弱い女性だった。
 しかし、康貞に守ろうとする操だけは、強かった。もし、義姉が  兄もそれに賛成して、芳徳と結婚させようとするのだったら、自殺するほかはないと、心の底で決心していた。
 女中のいち《、、》だけが、甲斐甲斐しく絢子を慰めて、取らないと云う食事を、無理に取らせるようにしていた。
 絢子が、部屋に閉じ籠ってから四日目の晩だった。
 案内もなく、兄の康為が部屋に、はいって来た。
 絢子は、驚いて、床の上に起き直った。
「病気だって?」
「はい。」
「そうか。」
 兄は、憮然《ぶぜん》として妹のやや蒼褪《あおざ》めた顔を見詰めていたが、
「お義姉様から、何か聞いたのではないか。」
 と、云った。肉親だけあって、絢子の病気が肉体の病気であるか、心の病気であるか、分っていたのである。
 絢子は、たちまち涙ぐんでしまった。
「そうだろう。お義姉さんから、何か聞いたのだろう。」
「はい。」
 絢子は、ほとんど口の中で返事した。
「それで、そんなにガッカリしているのか。」
「………」
「新しい縁談など、今お前は聞きたくないのだろう。」
 絢子は、黙って頷いた。
「そうだろう。しかし、絢子お前は、康貞のことは、思い切らねばならないよ。」
「はい。」
 そう返事するほかはなかった。
「新しい縁談の話は、これは当分待って貰うよう、わしからも話しておこう。」
「どうぞ。」
 絢子は、兄を頼もしく思った。
「しかし、義姉さんはお前も知っている通りの人だから、兄さんも実は、困っているのだ。お前は、芳徳はどうしても嫌いか。」
「私、どなたとも結婚したくございませんの。」
「いや、それは無理だ。今すぐとは、云わないけれども、お前も年が年だし、ああした破談の後だから、早く適当な人を見つけたいということは、わしも義姉さんと同意見なのだ。ただ芳徳が、適当かどうか、それは疑問だが  」
「お兄さん、どうぞ縁談の話は、当分なさらないで下さい!」
「うむ、当分はね。しかし、お前を、このまま埋《うも》れ木にする訳には行かないよ。」
「………」
 絢子も、とにかく当座だけ逃げれば、どうにかなると思った。
「しかし、芳徳の話を断るのは、わしにも、少し苦手なんだ。だから当分待ってくれという風に云っておこう。だからお前も、その積りでいてくれ。とにかく、話を延期しておいて、お前がどうしても厭なものなら、先へ行って、ハッキリ断ることにしよう。お前も、その積りでいてくれ!」
「はい。」
「そうと定《き》まったら、お前も機嫌を直してくれ。義姉さんは、お前が不貞腐《ふてくさ》れて寝ていると云って、…機嫌を悪くしているよ。」
「まあ!」
 絢子は、この先の義姉との関係を考えると、胸が潰されそうだった。
「とにかく、兄さんが、どうにか話をしておこう。」
 そう云って、兄は出ていったが、ほかの方面では、頼もしい兄ではあるが、義姉に関する限りは、何だか頼りにならないようで、絢子はかなり不安だった。






最終更新日  2005年10月21日 03時02分09秒
コメント(0) | コメントを書く
2005年10月13日
カテゴリ:カテゴリ未分類
 秀吉暗殺の壮図破れ、面目を失った五右衛門は、秀次の許《もと》を浪人! ふたたび剽盗の群へ這入った。
 秀次が高野山で自尽した後、しばらくあって五右衛門も、新左衛門の手で捕えられた。
 千鳥の香爐《こうろ》の啼音《なきね》に驚き、仙石権兵衛の足を踏み、法術破れて捕えられたのでは無い。
 瓜一つのために捕えられたのであった。
 京師警備の任にあった、徳善院前田玄以法師が、ある日数人の従者を連れ、大原野を散歩した。その中には曽呂利新左衛門もいた。
 それは中夏三伏《ちゆうかさんぷく》の頃で、熱い日光がさしていた。
 と、一つの辻堂があった。縁下から二本の人間の足が、ヌッと外へ食《は》み出していた。そうしてその側に一つの瓜が、二つに割られて置いてあった。
 一行はそのまま通り過ぎようとした。
 機智縦横の新左衛門だけが、それに不審の眼を止めた。
「徳善院様徳善院様」
 彼はそっと囁《ささや》いた。「誰か人が寝ております」
「附近の百姓が労働に疲労《つか》れ、辻堂で昼寝をしているのさ」
 徳善院は事も無げに云った。
「足をごらんなさりませ」
「人間の足だ、異ったこともない」
「白くて滑らかで細うございます。百姓の足ではございません」
「そう云えば百姓の足では無いな」
「瓜が傍に置いてあります」
「さようさ、瓜が置いてあるな」
「蠅《はえ》が真黒にたかっております」
「蠅や虻《あぶ》がたかっている」
「あれは賊でございます」新左衛門は自信を以って云った。
「夜働きに疲労れた盗賊が、瓜の二つ割で毒虫を避け、昼寝をしているのでございます」
「うん、成程、そうかも知れない。それ者共召捕って了《しま》え!」
素晴らしい格闘が行われ、その結果賊は捕縛された。
それが石川五右衛門であった。
(終)






最終更新日  2005年10月15日 00時09分19秒
コメント(0) | コメントを書く
2005年10月02日
カテゴリ:カテゴリ未分類
      豆腐料理及び田楽の拾遺
 ○烏羽玉《うばたま》豆腐 水をよくしぼった豆腐一丁に、黒の炒り胡麻一合を摺り交《ま》ぜ、麺粉大匙一杯、白砂糖二十匁を加え、固い加減に板の上で捏《こ》ねて丸棒の如くし、蒸して小口切りにす。(菓子)
 ○采配豆腐 豆腐一丁を卯の花切りの如く、庖丁刀目を深く十文字に入れて、酒五勺、醤油三勺、味醂二勺で調味す。
 ○島原豆腐豆腐一丁を、二寸四方ほどの角に切り、焼いて後水から煮て、平々《ひらひら》と切り、椀に盛り、葛餡、香煎などをかけ、おろし生姜を置く。
 ○犂焼《からすきやき》 石焼豆腐に同じ。昔は古き犂のさきを鍋の代用とし、これよりすき焼きの名起れり。今は朝鮮焼の焼鍋を用うれば最も妙なり。
 ○ホロカベ豆腐 空蝉豆腐に同じ。
 ○別山焼 温飯を手にて少し揉む、これにて後に串にさす時くだけぬなり。さて小さくつくね、胡椒味噌に包み串にさし少し焼きて、温めおきたる茶碗に二つ入れ、煮加減よく饂飩《うどん》豆腐を網杓子で掬いてざぶとかける。別山は禅師の名なるよし、百珍の妙品に挙ぐ。
 ○砂田楽《すなでんがく》 炉の辺《ぐるり》に砂を多くつみ、田楽を斜めに砂へさし、火を熾《つよ》くして常の田楽よりは遠火に焼くなり。京の洛北今宮の門前の茶屋の名物なれど、加茂糺河原など所々遊山の宴に、この占風なる賈人ありき。
 ○衛士田楽 常の田楽を淡醤油付け焼きにして、白葛溜りの温かなるをかけ、すり柚を置く。衛士の名詳ならざるに、或人の説に絵事のあやまりなるよしいえり。絵事は素《しろ》を後にするとなり。いかなる好事の人の穿ちて名づけたるやおかし、百珍続篇に出づ。
  白葛溜りは、葛に醤油を入れず、焼塩焼酎を入れて煉りたるなり。
 ○胡麻豆腐 現今|摺胡麻《あたりごま》(缶詰にて販売せり)または支那の蘇醤(胡麻味噌)にて製する法あれども、黄檗《おうばく》普茶伝来の製法は、白胡麻二合をよく摺り潰し、それに上葛山盛り一合を加え、砂糖大匙二杯を入れ、水四合にて鍋へ漉し、中火にかけて擂木《あたりぎ》にてソロソロ攪拌しながら糊を煮る如くし、やや粘り始めたる時に、酒塩五勺を加えて手早に煉り上げ、深さ曲尺一寸二分ぐらい、横六寸、幅八寸ぐらいの杜丹《とたん》製枠箱の底に濡らした紙を布き、それへ鍋より流し込み、しばらく冷してから、急ぐなれば水に冷してのち好みの形に切る。これにておよそ十六人前ぐらい出来るなり。山葵味噌、または葛かけなどにする。
  次に天明板「豆腐百珍続編」(浪華醒狂道人何必醇輯)に載する珍料理を二三抄録す。
 ○西洋腐衣《なんばんゆば》 実胡桃こまかに刻み、麺粉にまぶせ、巻腐皮《まきゆは》の中へよく詰め、醤油にて煮染め、小口切りにす。
 ○広東斟羹《かんとうしる》 鶏卵をすりまぜたる味噌汁をよく沸し、雪花菜《きらず》の油炒りを入るるなり。
 ○呉洲斟羹《こすしる》 丹後の金太郎鰯を焦《や》きて、尾と頭を去り、つぶ切りにして葱白《しろね》のつぶ切りとを入れ、腐滓《きらず》の味噌汁にす。
 ○腐衣《ゆば》の白和《しらあえ》 ゆば細くきり罌粟《けし》味噌に、豆腐をすり和《ま》ぜ、白あえにす。
 ○落葉から 腐滓鰹脯《きらずかつおぶし》の細末等分に、山椒の粉末、胡麻油少し加え、醤油の加減を常の如く炒る。刻み椎茸、割り銀杏、焼《やき》栗、油揚、獄など、別に味をつけ入れ、ぎり飯の木型に容れおし出す好き下物《さかな》なり。
 ○鮓烹《すしに》 大平鍋に豆腐滓《きらず》を厚さ六七分に布き、生|鰮《いわし》一ぺんならべしき、また同じく豆腐滓《きらず》をしき、いわしをならべ、かくの如く四五層もして真中《まんなか》へ孔《あな》を穿《あ》け、その孔へ醤油をひたひたに入れ、酒塩をさして煮る。
 ○デンボウ煮 白豆腐、鶏卵、いわたけ、見《かも》を混交《こちやまぜ》にうち込み、醤油加減してデソボウ焼きにす。摺り山椒。
 ○狸斟羹《たぬきじる》 蒟蒻《こんにやく》をつぶつぶに携《むし》り、ごまの油にて爍《あ》げ、これを実《み》にしてよく摺りたる雪花菜《きらず》の味噌汁なり。
 ○初霜 雁にても鴨にても、鳥の吸物に芹にても水菜にても、青料《あおみ》をあしらい、よそうたる上へ、雪花菜を焙《ほいろ》にかけ茶研《やげん》にていかにもよく細末にしたるを、ばらりとまくなり。もっとも消えぬうちに手早く出すべし。
 ○うずみ樺焼 鰻のかばやきその他の炙肉《やきもの》にても、雪花菜を常の如く油炒りにし、その煖《あたた》かなるに炙《や》きたての肉をかくれるほどによくうずみ、手早く取り扱い器のふたをよくしめておくなり。これは久しく置くも冷えぬという趣向なり。あるいは遠く齎《もち》あるき、または人に遺《おく》るなど最も佳し。鶏卵の煮ぬきをうずむもまたおもしろし。






最終更新日  2005年10月03日 03時52分40秒
コメント(0) | コメントを書く
2005年09月27日
カテゴリ:カテゴリ未分類
さ之部

     鮫豆腐
 茄子三四個の皮を剥き、輪切りにして油煎出しに作った上へ、雷豆腐の如く、水を絞《しほ》って、醤油でざっと炒りつけた豆腐一丁を、ばらりとかけたもの。熱いうちに好みの薬味で食す。

 
     さい揚げ豆腐
小賽に切って揚げた豆腐をいう。汁の実に用う。


    茶礼《されい》豆腐
 大平鍋の底へ笹をみっしりと布き、その上へ豆腐を五つ切りぐらいにしてムラなく並べ、その上に服紗味膾を厚く敷き、また笹を布き、豆腐を列《なら》べ、味噌を敷くという順序に、かくの如く二遍も三遍にもして半日余り煮たもの。平茶碗へ盛り、山椒を撒《ふ》って出す。また笹を茶碗の底へ布いても出す。

 草《そう》の茶礼豆腐は、豆腐一丁を五つ切りぐらいに切形して、服紗味噌(薄みそ)に終日煮て、味噌を払い、味加減して出すもの。

 茶礼豆腐 平鍋の底に笹をびっしりと布きならべ、その上へ豆腐一丁五つ切りぐらいにしたるを、またびっしりとならべ、その上へ摺り味噌を厚くしき、また笹をしき、かくの如く段々にして、半日あまり煮たる後、笹をしきならべたるまま、平茶碗によそい山椒をふり出す。


      実盛《さねもり》豆腐
 豆腐一丁を薄く好みに切形して、煮出汁一合と薄醤油三勺で煮て、汁を少くして盛り、絞り生姜をかけ、その上へ擂った黒胡麻を一面にまぶせたもの。斎藤実盛が白髪を染めて出陣した故事から出た酒落。


      笹の雪
豆腐一丁を四つ切りにし、椀に一つずつに、葛を溶いた水で鍋に仕掛け、浮き上った時、重炭酸|曹達《ソーダ》を少し加えて椀に盛り、どろどろに溶いた葛をかけ、山葵のうわ置きして供す。


      三清豆腐 (塩豆腐の一種)
 大根半分ほどの絞り汁に、等分の水を加えて沸し、炒り塩で味加減し、一丁ほどの豆腐を砕《くす》したおぼろ豆腐を入れ、湯豆腐の煮加減にして、大根の絞り汁をかけて出すもの。


      砂糖漬豆腐
 豆腐を厚さ三四分ぐらいに切り紙に包み、灰の中へ半時間ばかり埋め置き、取り出しよきくらいに切り、鍋に入れ、豆腐のかさほどの上等白砂糖を入れ、水を五六滴ほど入れ、よく攪拌し、強火にて漸々煮つけ、煮る間はしばらくも手を休めずかきまぜ、段々煮つまりたるを見て、指頭にてその砂糖をつまみ試みるに、砂糖ねばりて糸を引くようになれば、これ砂糖充分に煮え熟したるなり。その時鍋の底に溜りある水気を別器へしたみ尽し、その上また別に砂糖を多分に加え、その後は弱火にてそろそろと煮るなり。水気かわきてからからとなるを度として、別器に取り入れ、三盆白の砂糖をふりまぶし貯うべし。これ普通砂糖漬の法にて、果物、蒟蒻《ごんにやく》なども同じ。


      索麺豆腐
 豆腐二丁に葛一合ほど入れて、よく摺り合わせたものを、俎板《まないた》に紙を敷いた上に、庖丁にて薄く平らに延ばして付け、紙ぐるみ小口から巻き、茹でて索麺《そうめん》の如く細く切る。
 また、玉子をつなぎに加えて、擂り上げた豆腐を裏漉しにかけ、板の上に和紙を敷き薄く延ばして、それを竹の簀に載せて熱湯中に入れ、取り上げて冷水に投じて冷まし、紙を剥がして細く切り、汁につけて食う。
 また、豆腐を布に包みてよく水を断り、毛篩にて漉し、葛の粉を入れ、擂鉢にてよく擂りて美濃紙一枚を四つ切りに、さし身庖丁刀にてよく平らにつけ、紙一枚ずつ重ね蒸籠にてむし上げ、しばらく水に浸け冷して一枚ずつ紙をへがし、またかさねて切るべし(うんどん豆腐も同じ)。


      桜豆腐
 二合ほど熱湯を沸立てた鍋へ、葛粉を大匙一杯入れ、絹漉し豆腐一丁を四角に切って入れて、ざっと煮て掬い、椀に盛って海老のオボロをかけ、薄葛の汁をかけ、生姜のしぼり汁をかけたもの。海老のオボロは芝海老五十匁ほどの皮を剥き、茹でて摺り、味醂三勺ほど加えて鍋の中で溶き、火にかけ杓子でかきまわし、醤油少し加えて、ボpポロに炒り上げたもの。



き之部

      祗園豆腐
 一切れ盛りの大きさに豆腐を切って狐色に焼き、煮出汁に一割の醤油を加えた汁で煮て器に盛り、煎道明寺糒、花鰹、胡桃等を置いて出すもの。


      掬水《きくみ》豆腐
 鰹の生節を三本ほど小口切りにして、平鍋にみっしりと敷き列べ、魚がつかるほどに水を加えて、豆腐をまるのまま二丁載せ、強火で半日余り煮て、豆腐ばかりを、炒塩仕立ての潮煮にしたもの。葱、花柚、木芽の類を吸い口にして、薄葛におろし山葵などかける。掬水という浪花の俳人が嗜好せしに因んで名づけたもの。


      金砂《きんすなご》豆腐
 豆腐を布巾に包みて水気をしぼり、これを擂鉢《すりばち》にてよく擂り、食塩で味をつけ、玉子の白身をつなぎに入れ、さらによく擂り合わせ、これを小板の上に延ばし、その上に茹で玉子の黄身をほぐして撒布し、金砂子の如く綺麗になして、蒸籠に入れて蒸し上ぐるなり。色紙《しきし》形に切り、醤油にて食す。


      巾着《きんちやく》豆腐
 大|茄子《なす》六七個の肉を刳《く》りぬいて、巾着形の袋に作り、豆腐}丁に飛竜頭加料《ひりようずかやく》のうち、一一三品交ぜたものを、醤油と酒少量で煮て填め、口を括り、煮出汁一合、醤油三勺、砂糖大匙一杯で煮たもの。


      雪花菜飯《きらすめし》
 豆腐滓《きらず》三合ほど摺って、煮出汁五勺、醤油三勺、砂糖大匙一杯で味を付け、玉子の黄身一個を加えて炒りつけたものを、一升の飯を移すとき交ぜたもの。また白飯を盛って、雪花菜をうちかけて出すもの。薬味に生姜を繊にして添う。


      雪花菜《きらず》ぬた
 新鮮の鰯の皮を剥き、百匁ほどの量を携《~ '》(.て、塩酢一合ほどにしばらく漬け、豆腐滓二合を摺って醤油大匙一杯入れて煎り、酢三勺、酒塩二勺で塩梅したもので和える。また鯖《さば》、鰺《あじ》その他の魚を用うるもよし。


      菊豆腐
 豆腐を一寸二三分の厚さに、二寸四方ぐらいの大きさに切り、板の上に載せて隅を切り落し、さらに上面を縦横に布目に下まで切り下ろさぬように庖丁刀を入れ、板のまま水中に入れて動揺すれば、豆腐の折れ屑を洗い落し、それを葛粉少量溶き入れた熱湯の中に入れ、豆腐の浮き上らんとする時に、網杓子で掬《すく》いて椀に盛り、この際菊の葉をざっと茹でて豆腐の下に敷き、別に小皿に注汁《つけじる》を入れて添う。
 注汁は味醂一杯に鰹節の削りたるを入れて煮てさらに醤油一杯半を注して製る。
 また、吸物に用う菊とうふは、豆腐を平らに二つに切り、そのまま水をたらし、縦横に庖丁目を深く入れおき、これを六つほどに四角に切り、その一つを角々をおとし丸く形をつくり、湯の中へ金杓子にて一つずつ入れ、ちょっと杓子にてとうふの上を触れば、ばらりと菊花のようになる。一つずつこの通り湯煮して、水へおろし出す時にそっと煮こむ。吸い口は菊の嫩《わかば》をあしらう。


      雉焼とうふ
 料理物語に、ぎじやきはとうふをちいさくきり、塩をつけうちくべて焼くなり。
○宗鑑の犬筑波集に、しやじ汁にまじろふしやうじ、雉やきをよくく見れば豆腐にて、(淀川一口、此句に付て、不審たつほどまつ白なしほ。註に、きじ焼はやき塩つける故なり)云々。
○松屋筆記巻九二、雉焼豆腐は、豆腐を広二寸四方計り厚五六分計に切て焼き、それを薄醤油にて味をつけ、茶漬茶碗やうのものに盛りて、その上より暖酒をつぎいれて呑をいふ、これは禁中父は宮の御所などにて正月の佳例也、一献に一つもりて酒をつぎ、二献には二つ、三献には三つ、だん/\に豆腐をもり上げて酒をもる也、豆腐は喰事なし。
○O宗鑑の新撰犬筑波集、女房私記、御歯固の御祝の条に二献きじやき云々、また、物の呼名を記せる条に、きじやきとは豆腐に塩付やく也云々。


      義清豆腐
 豆腐二丁ほどを崩して水気を断《き》り、酒一合、醤油三勺で炒《い》り上げ、切溜《きりだめ》の蓋に.平らに盛って圧蓋をして固めたもの。一寸五六分ほどの角切りにして、焼鍋で片面だけ焼いたもの。
 ぎせい豆腐 豆腐をから炒りにして、これに味醂と塩と加え玉子一個を交ぜ、油を引いた銅器または玉子焼鍋に詰め、上蓋をして、下火、一分、上火八分の火加減にて、ドの方程よく焼けたる頃を見計らい(厚さ二寸なら大抵三十分間)蓋の上に四角な石を載せてやや強く圧し、上下の火を大方去り、側面より温むるなり。焼き上らば取り出し、適宜に庖丁刀する。
 五目ぎせい豆腐 豆腐を潰して鍋に入れ、水を加えて火にかけ、一度沸たたせたる後これを布を敷いた笊《ざる》の中にあけ、水気を断り鍋に移し、玉子を加えてかきまぜつつ炒り、砂糖と醤油にて味をつけ、椎茸、蓮根等の煮付を細かに刻みつめ、ト火を弱く、上火を強くして焼き上げ、取り出して適宜に庖丁刀する。
ぎせい豆腐 生豆腐をよく煮ぬき、崩して笊にあげ水を切って、味醂と醤油にて味をつけ、また角鍋へ胡麻の油を引き、右の豆腐を入れ、よく煮、蓋をして石でおしをかけ、一夜置きて切るべし。


      義性豆腐(擬製)
 江戸山王なる勧理院の義性僧正の創めたるもの。豆腐二fほどを崩し水気を断ち、酒一合と醤油三勺で炒り上げ、切溜の蓋に平らに盛り、圧蓋をして固めたもの。適宜に切り焼鍋で片面焼ぎたるものをいう。
 また、右の如くして玉子を加え、野菜類を混じて焼きたるもの。
 また、ぎせい豆腐は常のとうふを湯煮し、笊へあげ水気をたらし、擂鉢にてすり、砂糖少し入れ、醤油にて加減し、玉子焼鍋に入れ、上ふたして焼きまた返して焼く。冷めて程よく切り重ねて出すべし。






最終更新日  2005年09月29日 17時34分48秒
コメント(0) | コメントを書く
2005年09月20日
カテゴリ:カテゴリ未分類
そ之部

      揃豆腐
 よくしぼった豆腐を漉《こ》して摺り、玉子の白身を一丁の豆腐へ五つの割で摺り交ぜ、紙へ薄く展し、二十分間蒸して切ったもの。


      蕎麦《そば》豆腐
 豆腐二丁ほどの線麺豆腐に蕎麦《そば》の花粉《はなご》百匁ほどを交ぜて作り、常の蕎麦のように切って作ったもの。
 また、蕎麦粉三合に葛粉二合ほどを煮出汁一升三合ほどを加え、塩少し、砂糖少しで味を付け、火に架けて、煉り加減をして、ブリキの箱か塗り箱に充《つ》めて、冷してから適宜の形に切ったのもいう。


      宗旦《そうたん》豆腐
 一丁の豆腐の四角を切り取り丸くして、鍋で周囲を焦し焼きにして、輪切りにしたもの。汁、煮物などの材料に用う。



      蕎麦湯
 蕎麦切、蕎麦飯等の後に出す、吸物の如きもの。豆腐一丁を小賽に切り、八分の一ほどに味噌漬一切と一緒に入れた清汁。



     そぼろ豆腐
 鍋に煮出汁をたっぷり作り、豆腐は一度湯煮して布巾に包み、両端を手で持って固くしぼり、鍋の中によくほぐして入れ、鶏の挽肉を入れてよくさぼき、それに椎茸、玉葱の刻みたるを加え、砂糖、塩、醤油にて味をつけ、片栗粉を水溶きしてドロリとなし、グリソピースを散らして温かいうちに供す。


     殺《そぎ》豆腐
豆腐をそぎて、薄醤油にて煮たもの。汁を多くして豆腐を少くするを法とす。


  つ之部

      ■豆腐《ついとうふ》  (普茶料理)
 豆腐一丁砕き、油で炒った中へ、青菜の微塵切りを等分に交ぜて、醤油三勺、水少しで味を付けたもの。


      苞《つと》豆腐
 水を絞った豆腐二丁に、甘酒五勺ほどを摺り交ぜ、少しずつ棒の如くに取って竹|簀《す》で巻き、蒸したもの。小口切り。
 水気を絞った豆腐二丁に、仏掌薯《つくねいも》五十匁ほどを摺り交ぜ、饂飩粉《うどんこ》大匙一杯加えて固め、藁で巻き、茹でてから醤油三勺、酒五勺ほどで煮|染《し》めたもの。


      釣豆腐
 豆腐を正方形《まつしかく》に切り、白煮または薄清汁で煮て、柚子の絞り汁を少し入れて、香を付けた色紙豆腐を、鍋のまま井戸に釣り下げて冷したもの。


      包《つつみ》豆腐
 豆腐一丁を、摺って葛粉少し加え、紙へ少しずつ包み、茹でたもの。紙を去り、房菘《ふさな》などを短く切って配合《とりあわ》せて本汁に用う。
 また、豆腐一丁を三つ切りにして、中央を刳《く》って擂胡麻《すりこま》、胡桃《くるみ》味噌を嗔《う》め、上を豆腐で蓋をし、丸く取って美濃紙で包み、ざっと茹で、酒三勺、醤油大匙一杯で味を付けたもの。
 また、豆腐を四角に切り、真中を匕《さじ》にてえぐり、摺りごま、くるみ味噌少し練りまぜ、豆腐の中へ入れ、また豆腐にて蓋をし丸く取り、紙に包みてゆで上げ白葛溜りにして、あつきを出すこと。


      包油揚《つつみあげ》(一名、雪白揚)
 豆腐一丁を好みに切って、少量ずつ美濃紙で沙金袋包みにつつみ、水気を去って、袋のまま胡麻の油三合ほど沸立てた中で揚げ、紙を去り、醤油二勺に煮出汁五勺加え、かくし葛で煮たもの。一に雪白揚《ゆきしろあげ》ともいう。


      蒸豆腐《ツントウフ》 (支那料理)
 豆腐一丁を摺り潰した中へ、椎茸三個、筍半本、葱半本の微塵切りを加え、塩、胡麻の油を少し加え深鉢に盛り、蒸籠に入れ、四五十分間ほど蒸したもの。


      つみ豆腐
 豆腐を布に包みて水気をしぼり、これを鉢に取りて麺粉少量を加えてよく捏《こ》ね交ぜ、板の上に二分ばかりの厚さに展しおき、別に鍋に湯を沸立たせ、この中へ右の豆腐を庖丁刀の先にて少しずつ掬《すく》い込み、煮上るを見て網杓子にて掬い取る。吸もの種とす。


      氷柱《つらら》豆腐
 つらら豆腐は楷《しべ》豆腐(線麺豆腐の項参照)を葛粉にてまぶし、湯煮して皿に盛り酢味噌などにて食す。つらら蒟蒻《こんにやく》もこの製に拠るべし。

付記 包油揚の製法に豆腐の水を去ること、常の如く布巾にてしぼらず、板に乾きたる灰を厚さ四五分に布《し》き、その上へ乾きたる布をしき、また和紙を=遍しき、その上へ前に包みたる豆腐をならべ、自然に水を去るなり。水をしぼり過ごせば固まりて味をうしなうなり。注意すべし。



ね之部

      葱巻《ねぎまき》豆腐
 豆腐を布にて絞り、水を垂らし、俎板《まないた》に押しかけし後、うら漉し、次に擂鉢にて摺り、砂糖と醤油にて味を付け、焼鍋へ油をしき一杯に展《のは》して、前に味をつけおきし葱四五本を入れて巻焼きとする。


な之部

      難波江《なばえ》豆腐
豆腐一丁を小賽に切り、潮煮仕立てにして盛り、浅草海苔を一枚ほど細かく揉んでかけたもの。


      鍋焼豆腐
 割銀杏、揚麩、繊切りの木耳《きくらげ》、茹|慈姑《くわい》の輪切り、割葱、焼栗、松露、なめたけ、青昆布等を、酒塩、薄醤油で煮加減して、朧《おぼろ》豆腐閉じにして鍋のまま出すもの。摺山葵《すりわさひ》を薬味にする。分量の割は、野菜の材料全部で百匁ぐらいならば朧豆腐二丁、酒塩少量、醤油三勺、煮出汁五勺。


      南禅寺豆腐
 豆腐一丁を二つまたは三つ切りにして小判形につくり、両面を油で狐色に焼き、煮出汁一合と酒五勺で煮たもの。


      なでしこ豆腐
 豆腐→個、白味噌二十匁、菠薐草《ほうれんそう》二把、片栗粉十匁、白砂糖六匁、味醂少々、つくね芋二十匁、蕃椒二《とうがらし》本、昆布煮出汁、塩を用意し、豆腐を一寸角に切り塩をふり、後片栗粉をつけて煮出汁で煮る。片栗粉が煮えて透明になった時(糊化した時)取り出しおく。菠薐草を青ゆでにして裏漉しにかける。白味噌を擂って、菠薐草のうら漉したるものをまぜ、砂糖、味醂で味をつけ、豆腐を盛った上にかける。つくね芋をゆでて裏漉しにかけてそのhにのせ、蕃椒を細かく切って添える。暖かいうちに味わう。つくね芋がなければ卵白でもよい。


      馴染《なじみ》豆腐
 上々の白味喀三十匁ほどを擂って、酒五勺で中稀《ちゆううす》に延べた中へ、好みに切った豆腐一丁を二時間ほど浸けて、そのまま中火で煮たもの。葱のざくざく、育|蕃椒《とうがらし》、おろし大根をおく。柚味噌皿等に盛って食す。


      梨子《なし》豆腐
 青干菜を炙《あふ》り細末にして、擂りたる豆腐にかきまぜ、よぎほどに取りて布に包みゆでるなり。調味は好み次第。


      南京蛤《なんきんはまぐり》
 蛤剥《はまぐり》身一合五勺ほどを、生醤油一合ほどで煮たものを、豆腐滓《きらず》二合に山椒の粉を少量加えて、醤油五勺ほどで炒った中へ入れて混ぜ合わせたもの。


      奈良漬豆腐
 奈良漬の粕へ太き棒をさし込み、一旦引き出して、棒の頭へ布裂《きれ》を冠せて再び以前の穴へさし込み、布を残して棒だけ抜き取り、その穴へ豆腐一丁を茹でて絞り、炒塩《やきしお》と葛粉少量で摺り合わせたものを突き入れ、布の口を捻じて塞ぎ、粕をかぶせておいて製ったもの。出す時は、布ぐるみ引き出して、好みに切る。


      ナンチン豆腐
 ナソチン意未詳。葱を二本五分切りにして、酒五勺で煎り、醤油三勺で味加減をして、掴みくずした豆腐一丁と一緒に煮たもの。青蕃椒をざくざくにして置く。


      賽淡鼓《なっとうもどき》
 青菽《あおまめ》三合ほどを茹でて摺り、味噌二十匁ほどに擂り交ぜ七八合の水で製《つく》った汁に、青菜の微塵五十匁、豆腐一丁の一分賽切りを加えたもの。柚皮の微塵切り、芥子《からし》などを薬味とする。


      長崎|巻煎《けんちえん》
 豆腐皮《ゆば》一枚を展《のば》した上へ木耳《きくらけ》の繊切り少し、干柿、牛蒡《ごほう》の細切り、緑豆|萌《もやし》などを少量ずつ、絞り豆腐一丁と一緒に油で炒ってのせ、巻き締めて、酒五勺、醤油三勺で味を付けたもの。






最終更新日  2005年09月20日 21時07分33秒
コメント(0) | コメントを書く
2005年09月06日
カテゴリ:カテゴリ未分類
わが最初の境界
隧道、ちご
美小鬟、即興詩人
花祭
蹇丐
露宿、わかれ
曠野
水牛
みたち
学校、えせ詩人、露肆
神曲、吾友なる貴公子

青空文庫で公開されたので、これまでとします。(2005.9.18)


めぐりあひ、尼君
猶太をとめ

謝肉祭
歌女
をかしき楽劇
即興詩の作りぞめ
謝肉祭の終る日
精進日、寺楽
友誼と愛情と
画廊
蘇生祭
基督の徒
山寨
花ぬすびと
封伝
一故人
旅の貴婦人
慰藉
考古学士の家
絶交書
好機会
古市
噴火山
嚢家
初舞台
人火天火
もゆる河
旧羇■
苦言
古祠、瞽女
夜襲
たつまき
夢幻境
蘇生
帰途
教育
小尼公
落飾
未練
梟首
妄想
水の都
颶風
感動
末路
流離
心疾身病
琅■洞







最終更新日  2005年09月18日 09時50分27秒
コメント(0) | コメントを書く
2005年08月10日
カテゴリ:カテゴリ未分類
 豚を飼ったら税金がかかった。その豚が肥ったら肥った分に税金がかかった。季節が来たので交尾させたら、それに税金がかかった。月満ちて仔豚が生れたらそれに税金がかかった。仔豚を売ったらもちろん税金で、親豚を殺しても税金、その肉を食ったらそれでまた税金をとられねばならなかったという話。先頃の中国の話だと聞いてむしろ可笑しがって手を叩いたものだが、さて現在のわが国、拍手などしたらそれも税金になりはしないか。
 口に税金はかからぬから、とよくいったものだが、ラジオの録音ニュースで議会の騒ぎを聴いていると、弥次の一声一音に税金をかけられたらどんなものだろうという気がした。あまり騒々しい時分、池田大蔵大臣などから、税金をかけるぞと一喝してもらったら、きっと水を打ったように静粛になるにちがいない。折角の文化功労年金に税をかけるよりもこの方がずっと知恵である。
 三十万円の年金を出すためには五十万円の年金を出さねばなりません、ということはあまりに非文化的で誰にもすぐには呑込めない。しかし高利貸から金を借りた人間ならすぐわかる。ずっとの以前だが私も、一割の手数料と一割の利子と二割を引かれるので、千円入用のために千三百円の証文を入れねばならなかったことがある。いやこれは、まことにどうも無礼な連想をしてしまった。
 取られるのは仕方ないと諦めるとして、取られた方に上手下手があるといわれると考えたくなる。所得額を申告しろというが、私のようなだらしない生活者には収支の数字などまるっきりわかっていない。そこで国税庁から決定して来たのに従って文句なく払っているのだが、聞いてみるとそれが吉田さんとほぼ同額なのだそうだ。総理大臣と同じ暮らしをしているとおもうと一寸得意にもなるが、しかし総理ともなる人が、しがない私と同じ暮らししかできずにいるのが日本か、ともおもうと情なくならずにはいられない。
 ルーズヴェルトの伝記を読んでいたら、彼は所得申告のため専門家を雇ったと書いてあった。やっぱりウマクやるためかなどと申すなかれ。大統領とあるからには一仙の脱税もあってはならぬからと、全くの正確を期するためだったのだそうである。
 しかし誰だって、ウマクやれるものならウマクと、こう考えるのが人情かもしれぬ。あの男はとても所得申告書の書入れがうまいよという評判が立ったら、その人を紹介してくれぬかで、たちまち彼は引っぱり凧になるにきまっている。現にそんな例があった。といってもそれはわが日本のことではない。サマセット・モームの小説の中に出てくるので、ロンドンの社交界での話である。これを聞いて、ああアチラでも、と妙に感心する人は多かろうとおもわれる。                             (二・二三)






最終更新日  2005年08月10日 16時47分30秒
コメント(0) | コメントを書く

全32件 (32件中 1-10件目)

1 2 3 4 >

PR


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.