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虫がすくない? ばあチャルさん

2017年07月26日
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カテゴリ:昭和期・三十年代

  『水死』大江健三郎(講談社)

 ……えっと、わたくし、今まで本ブログで大江健三郎を取り上げるたびに、作品が難解で読むのに難儀したと書き続けてきたことを、今さっき過去の記事を振り返って確認いたしまして、……えー、にもかかわらずまた今回も取り上げてしまい、やはり難解さに辟易しつつ何とか読み上げたところであります。

 そもそも読む度に、あー、そうだったなーと何回も同じ事を思い出すのは、わたくしに「ウロ」が来ているせいであろうと思いつつ、一方で、若かりし頃は大江作品を次々に読んでいたことを思い出すと、あー、かつてはこれが難解ではなかったのだなー、少なくとも難解さを我慢するこらえ性がまだあったのだなーと、例えばもはや今となっては100メートルを全力疾走することなど思い及ばないのと同様の、しみじみとした感傷性に浸ってしまうのでありました。

 ……えっと、よーするに、今回の大江作品もとても難しかったということですが、そもそもなぜ私が冒頭の本書を読んだかと言いますと、アマゾンでぼんやり何気なく大江作品を見ていたら、本作が大江作品にしては易しい、大江もとうとうこんな平易な文体で作品を書くようになったのだなー的なレビューがけっこうあったもので、つい怖いもの見たさに(だって、文体が難解じゃない大江作品なんて想像できますか。つい怖いもの見たさしてしまうではありませんか)、ふらふらと買ってみました。

 で、読後第一の感想が、冒頭の「やはり難解」であったと。
 実際、本書は内容が複雑に絡み合ってる上に、各エピソードの抽象性が極めて高く、わたくしのようなシンプル一本槍の頭脳ではとても一度読んだだけでは読み切れないものであると思います。(じゃ、再読すればいいじゃないかという声が聞こえそうですが、この小説を再読! と考えただけで、何だか頭が痛くなりそうです。)

 以前も少し触れたような気がするのですが、まずこの大江氏独特の「私小説」の構造がよく分かりません。
 例えばこんな文章があります。この個所は、大江氏自身をモデルにした小説家の主人公に妻が出した手紙の部分なのですが、文中の「アカリ」というのは実在の大江氏のご長男(大江作品に再三登場する障害を持った男性)がモデルの人物のことです。

 (略)そこでひとつ頼みごとをしよう、と思い付いたのです。あすこにあるあなたの本で、アカリのいったこととして書いている言葉を書き抜いて送ってくださいませんか? それを真木のきれいな明朝体の、もう時代遅れだそうですがワードプロセッサーで豆本にしてもらおうと思います。(中略)
 そこでアカリの言葉としてあなたが書いていられるものを、書き抜いて欲しいのです。アカリの言葉については、事実そのままに書く、粉飾しない、アカリには自分からそれを訂正してくれと言い出すことはできないから、とあなた自身が本気でいわれたことを覚えています。


 ……うーん、どうでしょう。割と分かりやすいこんな個所でもよくよく読むと、「大江的私小説」の構造が、結構複雑な成り立ちをしていそうだということが読みとれます。
 でも、まだこんな部分はいいのです。(「いいのです」というのは、シンプルな私の脳みそでもなんとか理解できそうだということですが。)

 考えるほどによく分からないのは、例えば本書では大江健三郎の過去の作品『みずから我が涙をぬぐいたまう日』がテーマに深く関係するものとして扱われるのですが、登場人物の名前がことごとく仮名の世界の中で、なぜ『みずから我が涙をぬぐいたまう日』という実際に存在する作品名がでてくるのか、そんな出し方をしていいのか、ということであります。

 例えば本書には同様に漱石の『こころ』が登場してきます。でもわたくし的には、それは全然違和感なしです。
 ただ例えば漱石の『こころ』が、「送籍の『こころ』」となっていたら、どうですか。
 自分をモデルとしながら「大江健三郎」ではない仮名を一方で使いつつ、自分の過去の作品名は実在のタイトルそのままということに、私はとてもこだわった、なんだか拗くれたような感覚を持ってしまうのですが、それはとんちんかんな過剰反応なんでしょうか。

 自作だからいいじゃないかとか、そもそもお前(「お前」とはわたくしのことですが)は、小説表現の全ったき自由を主張していたのではないのか、とか、いえ、そうなんですが。
 ……そうなんですが、そもそも小説表現の全き自由にしても、それは、その自由表現が文学性を最終価値として目指していることが前提であり、つまり言い方を少し変えれば、作品内で小説家は仮名だがその小説家の作品は実名であるという混在は、文学性に対する不誠実ではないかと、わたくしは愚考するのであります。

 ……やっぱりピントはずれのヘンなこだわりでしょうかね。
 ともあれ、本書は全体としては私にとってとても難解で、唯一終盤のエピソードは具体性がくっきりしているもので良く理解できたものの、終盤だけがくっきり分かるという理解のバランスの悪さは、どうも落ち着いた感じにならず、上記に「大江もとうとうこんな平易な文体で作品を書くようになったのだなー的なレビュー」と書きましたが、私は全く真逆な感想を持ってしまいました。

 青春時代の愛読書作家の本を歳を取ってから読むというのは、おおむねこういった感想を持つものなんでしょうか。
 しかし、こと、大江健三郎氏ですから、……たぶん、……そういうことではなく……。……。……ねぇ。


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Last updated  2017年07月26日 07時43分26秒
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