2012/03/07(水)06:35
芥川龍之介の牧歌的幸福時代
『戯作三昧・一塊の土』芥川龍之介(新潮文庫)
本文庫本の収録作品は、こんなラインナップです。
『或日の大石内蔵助』『戯作三昧』『開花の殺人』『枯野抄』
『開化の良人』『舞踏会』『秋』『庭』『お富の貞操』『雛』
『あばばばば』『一塊の土』『年末の一日』
本書の解説を吉田健一が書いているんですが、それによると芥川の歴史小説は、「今昔もの」「切支丹もの」「王朝もの」「江戸期もの」「明治開化期もの」と分けることができるということでありますが、えーっと、でも、これって、日本史の時代区分ほぼ全部じゃありませんか。だってこういう事でしょ。
「王朝もの」……平安時代
「今昔もの」……平安時代後期~鎌倉時代
「切支丹もの」……安土桃山時代~江戸時代初期
「江戸期もの」……江戸時代
「明治開化もの」……明治時代初期
ちょっと弱いのは「中世」ですかね。奈良時代も弱そうですが、そもそも奈良時代の小説なんて、全体として余り無いんじゃありませんかね。(だからこそ書けば良かったという考え方はもちろんありますが。)
芥川の小説家としての実動期間を以前調べてみたことがあるんですが、わずか約十年なんですね。(1917年処女短編集『羅生門』上梓から1927年睡眠薬自殺として。)
それを考えますと、書きも書いたりという感じがします。それも、一定のレベルを常に維持し続けて。
とはいえ、やはり本人にも得意不得意はあったでしょうし、はばかりながら読者にも少々好き嫌いがあったりします。
今回の短編集の中で私が一番面白かったのは、やはり『戯作三昧』かなという気がします。
有名な作品ですし、出来もよさそうですし、たぶん私も過去に読んだ覚えがあるんですが、今回特に思ったのは、やはり作家はこんなのを書きたく思うのだなということでありました。
これは同じく芥川の『地獄変』とセットの話ですよね。『地獄変』がネガで『戯作三昧』がポジ。表現者の光と陰ですね。
特に『戯作三昧』には、(最後にアリバイのようなエンディングはありますが)思いの外に作家が表現者としての自分自身を赤裸々に描いています。例えばこんな部分。
馬琴の経験によると、自分の読本の悪評を聞くと云う事は、単に不快であるばかりでなく、危険もまた少なくない。と云うのは、その悪評を是認する為に、勇気が沮喪すると云う意味ではなく、それを否認する為に、その後の創作的動機に、反動的なものが加わると云う意味である。そうしてそう云う不純な動機から出発する結果、しばしば奇形な芸術を創造する惧があると云う意味である。時好に投ずることのみを目的としている作者は別として、少しでも気迫のある作者なら、この危険には存外陥り易い。だから馬琴は、この年まで自分の読本に対する悪評は、なるべく読まないように心がけて来た。が、そう思いながらもまた、一方には、その悪評を読んでみたいと云う誘惑がないでもない。
どうですか。ほとんど、楽屋話か創作余話の様ではありませんか。
この作品は1917年に書かれていますが、なるほど、芥川の、職業作家と呼べるような呼べないような「駆け出し」の頃の、小説との蜜月時代を扱ったものゆえかも知れません。
ついでに、もうひとつ、思ったことがあるのですがね。
それは、なぜ馬琴なのかと言うことです。馬琴と言えばいわずと知れた大長編作家ですし、一方芥川は何度か長編小説(中編小説?)に挑戦し、そのたびに失敗しています。(『偸盗』『邪宗門』などがそうですね。でもこれらのお話は、現在の未完の形でも結構面白いんですけどねぇ。)
そんな典型的な短編小説作家の芥川が、なぜ自らの内面を語るに大長編作家馬琴をモデルとしたのか、このテーマは、この視点でいろんな作品を読み直してみたら、ひょっとすると瓢箪から駒で、何かが出てくるかも知れませんね。
ともあれ、『戯作三昧』の、牧歌的といってもよい創作活動そのものがテーマの話は、その後この作品のネガのようなペシミズムの見える『地獄変』(1918年)を経由して、とうとう晩年には『歯車』の様な痛々しい姿になってしまいます。
芥川の師であった漱石の、小説家としての実動期間もほぼ十年。(1905年『猫』連載開始から1916年死去まで。)
漱石は芥川に、花火になるな牛になれという有名な手紙を送っていますが、芥川は奇しくも師の職業小説家期間とほぼ同量の小説家期間を過ごした後、牛になれずに花火となって自死しました。
漱石は、晴れて職業小説家になった時、肺腑にたくさんの空気が入るような気がしたと書きましたが、そのような小説との蜜月時代は、見る見るうちに過ぎ去り、その後小説は、彼を殺した胃病の最大原因となってしまいました。
芥川も、こんな所まで師に倣わなくてもよかったのにという気が、つくづくしますね。
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