2017/08/25(金)21:53
「デス・ノベル」としての『こころ』
『夏目漱石・こころ』姜尚中(NHK出版)
この本はNHKの番組「100分で名著」の、タイトル・テーマの時の内容をまとめた本ですね。この番組は私も結構楽しく拝見しています。
ところが、この漱石の時は見ていないんですねー。なんでだったんでしょーねー。
とにかく、そんなわけで本書を読んでみました。とっても面白かったです。
そもそも筆者の姜尚中氏が、漱石フェイヴァレットな方なんですね。だから、同じNHKの他の漱石特集番組なんかでも、幾つかナレーションや解説などをなさっていたのを私も知っています。
私はそんな筆者にとっても好感を抱いていたのですが、先日読書友達の女性に、本書がとても面白かったということを喋ったら、あにはからんや彼女は「でも姜尚中って方、独特の『暗さ』がありません?」と言うではありませんか。
なるほど言われてみればそうも言えそうで、さらに彼女が言うには、「あの暗いトーンで本の内容をあれこれぼそぼそと分析されてしまうと、もー、私なんか、どんどん暗ーく重ーくなってきて、その本が読めなくなってしまいそうなんです。」
……うーん、まー、いろんな感じ方があるモンですねー。
そこで私は、確かにその通りのところがありますよねー、むにゃむにゃ……とお茶を濁したのですが、言われてみればまさに本書はそんな本です。
例えば、本書の表紙には、タイトルと著者名と並んで、「あなたは、真面目ですか」という一文が書いてあります。
このフレーズは漱石の『こころ』の本文にある一文ですから、私はそんなに違和感はなかったのですが、でもよく考えてみれば、確かに「あなたは真面目ですか」なんて、いきなり表紙で問われたりすると、思わず怯んでしまいますよね。暗さもここに極まれりという感じがします。
というわけで、「暗さ」の国から「暗さ」を広げるためにやって来た使者のような姜尚中氏による、漱石作品の「暗さ」の総本山のような『こころ』の解説書です。
いえ繰り返しますが、私はとても面白く読んだのですがね。
さて読んでいると、やはり、出てきましたねー。
『こころ』は「デス・ノベル」である、とあります。
主な登場人物のほとんどが死ぬと書いてあります。(本文に列挙してあります。「先生」、K、「私」の父親、お嬢さんの母親、明治天皇、乃木将軍。……でもこの列挙は、ちょっと我田引水の感がありそうですが…。)
……うーん、確かに暗い。
もちろん本文には、筆者が『こころ』を「デス・ノベル」だと解釈する説明が、丁寧に書いてあります。
それはこういう事ですが、箇条書きにしてまとめてみますね。
1、漱石は、近代の幕開けである明治という時代の根元的な「不幸」を、
徹底的に突き詰めた最初の作家である。
2、その「不幸」は、明治という時代が近代的自我と個人主義を要求し、
そしてそれは人間の孤独を代償としていたことによる。
3、特に日本の開化は西欧列強からの圧迫による「皮相上滑りの開化」であるため、
やめるにやめられず、「涙をのんで滑って」いくしか方策はなかった。
4、その結果、国民は精神を病むことから逃れられず、そして病んだ精神の
先にあるものは「死」である。
なるほどねー。でもこのまとめは、文明評論をテーマとした有名な漱石の講演「現代日本の開化」の内容とほぼ一緒ですよね。(病んだ精神の先にある死までは、講演では述べていませんが。)
しかし姜尚中が本書で言うには、小説『こころ』にこそこの理論が血肉を持った登場人物たちのドラマとして描かれている、と。
例えば『こころ』のいくつかの疑問点、本当のKの死因は何なのか、「明治の精神」とは何なのか、なぜ「先生」は妻に真実を語らないのか、当事者男性二人が自殺するこの三角関係に別の解決策はなかったのかなどといったものが、「現代日本の開化」の内容をトレースすると、それなりに納得のいく形で見えてくるように思います。
実は私は以前より、なぜ漱石だけが今に至るまで日本国民の「師」のごとき扱いを受けのか、疑問を持っていました。
小説家としては彼以外にも優れた人はいるだろうに、なぜ漱石だけが別格なのか、漱石は私にとってもフェイヴァレットでありますが、でもよくわからないでいました。
本書を読んだ後でも、そのことについて納得できたというところまで感じることはできませんでした。
しかし、50歳になる2か月前に亡くなった、晩年は幾つもの病気に悩まされ続けていた、そして小説を作るという特殊な才能に傑出していた一人の日本人が、生涯をかけて考え続けていたことは、少し鳥肌が立つような「偉大」なことだったのかもしれないと、ふと私は考えたのでありました。
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