寝言は寝て語れ (旧analyzer的独白)

2019/12/14(土)14:09

・“桜を見る会” 大事な問題です

時事&立腹(3815)

税金そして国家の「私物化」 桜を見る会何が問題か 前編 毎日新聞 2019年12月14日07時00分 2019年の「桜を見る会」であいさつする安倍晋三首相=コラージュ  安倍晋三首相主催の「桜を見る会」問題。「前夜祭」「首相枠」「名簿の廃棄」「60番」「ジャパンライフ」――。新しいキーワードが次々と噴出するあまり、混乱している人も多いに違いない。「いつまでやっているのか」「もっと大事なことを取り上げろ」との声も聞こえてくる。しかし、その批判は違う、とあえて言いたい。今回の問題には日本という国の根幹に関わる問題が凝縮されているからだ。では、いったい何が本質なのか、2回にわたって考えたい。前編は東京・新宿御苑で開かれた「桜を見る会」本体について。 税金で支援者を「接待」  「桜を見る会は国の公式行事で、当然税金が使われています。そこに首相個人の支援者を多数招待したとなると、首相が税金を自分の財布にしたようなものです」  そう表現するのは、田中信一郎・千葉商科大准教授(政治学)だ。田中氏はかつて、新党さきがけの田中秀征衆院議員、中村敦夫参院議員の秘書を務め、民主党政権で内閣官房国家戦略室上席政策調査員として政府の仕事に携わった。その後も長野県総合政策課企画幹などを歴任し、政治や行政の現場をよく知っている。  「本来、税金は国民全体の福祉や公益のために使われるものです。にもかかわらず、桜を見る会では、それが個人的な支援者の接待に回されていたというわけです」  首相らが自由に招待者を選べたのかどうかについて菅義偉官房長官は当初「総理枠、政治枠といった特別なものはない」と、否定していたが、結局、今年は首相推薦の招待者が約1000人、さらに自民党推薦が約6000人いたことを認めた。そしてこれらの「枠」は、実はもっと多かったのではないか――というのが、今取り沙汰されている疑惑だ。  招待者の中に「60」という数字が振られた案内状を受け取った人たちがいる。野党は内閣府の資料から首相枠を示す番号の可能性が高いとみており、その後に2000や3000番台の番号のついた案内状を受け取った人もいることから「首相枠は本当は1000人以上いたのではないか」と疑っている。  そして、マルチ商法が社会問題となり、強制捜査を受けた「ジャパンライフ」元会長、山口隆祥氏もその中に含まれていた疑惑が浮上している。 「何が悪い」相次ぐ発言  だが、首相に近い人物や自民党幹部からは、支援者を招くことの何がいけないのかと言わんばかりの発言が相次いだ。安倍首相の秘書だった前田晋太郎・山口県下関市長は11月18日の記者会見でこう述べた。  「選挙で勝って、主催になって、多くの方に喜んでもらえるのは悪いのか」  「何十年も頑張って応援してきた議員がトップをとって、招待状が届いて、『今まで応援してきてよかったな』となるのはよいのでは」  自民党の二階俊博幹事長も11月12日の記者会見でこう言った。「誰でも議員は、選挙区の皆さんに機会あるごとに、できるだけのことを呼びかけて参加いただくことに配慮するのは当然だ」「(議員枠が)あったって別にいいんじゃないですか。何か特別問題になることがありますか」  これらの発言は、安倍首相や自民党議員の支持者には「ウチの先生は人情に厚い」と響くかもしれない。だが、民主党政権時代に当時の首相側近や党幹部が同じことを言ったとしたらどうだろうか。  田中氏は言う。「首相が支援者のために税金を使うのは不公正です。政権維持のために接待したことになる。これはどんな政党が政権に就いても同じこと。主義主張は関係ありません」 私費で有権者接待は犯罪  では、税金ではなく、首相のポケットマネーなら支持者を接待していいのか。答えはノーだ。それは公職選挙法で禁止されている買収という行為になる。  選挙の時に有権者に「飲ませ食わせ」、いわゆる供応接待をして候補者や陣営幹部が公選法の買収罪などで起訴される例は国政、地方を問わずある。さらに、候補者が直接関係していなくても、陣営幹部の有罪が確定すれば連座制が適用されて当選が無効になることもある。それだけ買収は厳しく禁じられているのだ。  それはなぜか。公選法の罰則規定に詳しい立命館大学法科大学院の松宮孝明教授(刑法)は言う。  「選挙は民主主義の基本です。有権者が政党や候補者の主張を判断したうえで自由な意思による投票で行われなければなりません。ですが、供応接待をすれば、有権者が誘導されて票を入れてしまう可能性があります。これではカネで民主主義がゆがめられてしまう。だから罰則を設けて禁止しているのです」  つまり、民主主義の根幹に関わる問題なのだ。 飲食物は総額2191万円  今年の桜を見る会では、次のような飲食が提供された。小西洋之参院議員(無所属)の問い合わせに内閣府が答えた。  それによると、料理は▽山菜がトッピングされた茶そば3000食▽老舗惣菜店が実演で提供した焼き鳥7000本▽タケノコご飯・赤飯各7000食▽フライドチキン4500個――だった。飲み物は▽安倍首相の地元・山口県の銘酒として知られる獺祭(だっさい)を含む日本酒40本▽たる酒4たる▽甘酒・紅茶・緑茶(それぞれホット)各2500杯――など。このほか、和菓子と洋菓子の詰め合わせがそれぞれ1万8000パック用意されるなど、業者との契約総額は2191万3232円だった。 買収にならないのか  なかなか豪華なメニューだが、これらのもてなしは買収にならないのか。  政府は「招待者は最終的に内閣官房及び内閣府で取りまとめており、推薦された人がそのままではない」(大西証史・内閣審議官の国会答弁)として、飲食物提供は買収にあたらないとの見解だ。  だが、松宮氏の見方は違う。「買収に当たると考えていいと思います。『安倍晋三』という衆院議員が自身の後援会を使い、自分の選挙区の有権者を招いて利益を与えた。後援会は国会議員を応援して当選させる目的の組織なので、公選法の買収罪における『当選を得させる目的をもって』の部分に該当します。捜査機関は本腰を入れて捜査をすべきです」  また、今年の桜の会には今夏の参院選で改選だった議員に多くの枠が割り当てられていた。選挙を控えた議員の枠を増やし、そこに後援者が多数参加していたなら、やはり「同じように公選法違反の可能性が出てくる」(松宮氏)という。 「私人」昭恵氏に推薦枠  こうした状況から浮上してきたのが、「私物化」というキーワードだ。  例えば、首相夫人の安倍昭恵氏にも推薦枠があることが明らかになっている。しかし、政府は2017年3月に「首相夫人は私人」と閣議決定し、今年11月29日にも「首相夫人は公人でなく私人との認識は変わりない」との答弁書を改めて閣議決定した(熊谷裕人参院議員=立憲民主=の質問主意書への回答)。この答弁書は、昭恵氏が桜を見る会に出席したのは「首相の公務の遂行を補助する一環」とも記している。 「森友・加計」との共通点  しかし、前出の田中・千葉商科大准教授は「私人なら公的行事への招待者は推薦できないはず。夫婦で税金を私物化しているとの批判は免れない」と指摘する。そして「首相の『私物化』は今回が初めてではない」とも。  それは「森友・加計問題」だ。森友学園問題では安倍首相の支援者だった籠池泰典理事長(当時)が設立を予定していた小学校の用地として、国有地が大幅に値下げされた。首相の妻昭恵氏はこの小学校の名誉校長に一時就任していた。加計学園の加計孝太郎理事長は首相の友人。その学園の大学獣医学部開設の手続きが、加計学園に有利に扱われた疑いがある。  田中氏は言う。  「これらは税金というより、首相の権限が私物化されたケースです。税金も権限も、となれば、安倍首相は国家を私物化しているということになります」 潔白が証明の名簿破棄  それらに付随する形で深刻な問題となっているのが、公文書の廃棄だ。  今年の桜を見る会にいったい、どんな人物が何人参加したのか。政府が潔白を主張するのであれば、招待者の名簿さえ公開すればすぐに証明できる。だが、内閣府は名簿を5月9日に大型シュレッダーで細断して廃棄したと説明している。  捨てた理由について政府は、招待者名簿は保存期限が1年未満の文書であり、「個人情報を含んだ膨大な文書を適切に管理する必要が生じるため、内閣府は遅滞なく廃棄している」(菅官房長官の国会答弁)などと説明している。 復元「考えていない」  だが、名簿がシュレッダーにかけられたのは、宮本徹衆院議員(共産)が桜を見る会について内閣府に資料を請求した約1時間後だった。証拠隠滅を図ったのではないかと疑われても仕方のないタイミングだ。しかし、内閣府は「連休前に予約を入れたら5月9日しか取れなかった」(酒田元洋・官房総務課長)と繰り返し、偶然だったとの主張を貫いている。  三権分立制の日本では、国会には行政をチェックする責任がある。要求された資料を行政が破棄したのでは国会はチェック機能を果たせず、形骸化しかねない。  野党の追及で、政府は紙の名簿を処分した後も電子データがしばらく残っていたことは認めた。コンピューターのデータは削除しても記憶媒体に残っていることが多く、技術的に復元できる場合があることが知られている。だが安倍首相は12月2日の参院本会議で「復元不可能」と答弁。12月10日には中谷一馬衆院議員(立憲民主)の質問主意書に対し「復元することは考えていない」との答弁書を閣議決定している。 公文書は政府の所有物ではない  公文書管理法の1条はこううたっている。  「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るもの」  公文書は政府の所有物ではなく、主権者である国民と共有しなければならないという理念だ。公文書も税金で作られる。都合が悪いからと意図的に公文書を捨てたり削除したりしていたとしたら、それは民主主義をないがしろにする行為にほかならない。  「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然」――と、菅官房長官も自著「政治家の覚悟 官僚を動かせ」(文芸春秋企画出版、2012年)で指摘している。旧民主党政権下、東日本大震災に関する会議の大半で議事録が残されていなかったことを批判した一文である。【毎日新聞;元記事はこちら】  ◆「(議員枠が)あったって別にいいんじゃないですか。何か特別問題になることがありますか」と怖い顔で記者を睨んだ自民党幹事長の会見が忘れられない。あそこでどこか一社でもムキになって食い下がって欲しかったがそういう記者はいなかった。わたしは二階さんに“桜を見る会”を公費で催す必然性を問うてみたい。  菅官房長官のブーメランへのツッコミもまことに甘い。「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然」と民主党政権をしっかり批判したのであれば自分の行動にも責任を持ってしかるべきだ。説明にもならない屁理屈を繰り返さざるをえない自分に嫌気がささないか。権力の座につくと主義主張は変わるのか。バックアップは公文書じゃないなんて正気とは思えない。  証拠となるべき公文書をまたまた破棄し復元はできないと言い張る。辻褄があわなくなれば改竄もする(させる)。こういうことがまかり通るのが権力であるようだ。近頃は世界のあちらこちらで同じような強弁を聞く。権力の座にあるものはもっと謙虚でなければならないとつくづく思うのです。知性と理性のない者を権力者にしてはいけませんね。

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