|
カテゴリ:御書と青年
池田名誉会長が語る青春勝利の指針
御書と青年 11 異体同心の前進 (下) ◆ 「勇気」から波動が 阿部: マハトマ・ガンジーの直系の弟子であったパンディ博士(インド国立ガンジー記念館副議長)も、紛争の歴史を転じゆく願いを込めて、こう語られました。 「何よりも人類を融合させるために皆が団結すべきです。それには創価学会が有効な働きをもっていると信じます」と。 なぜ、創価の「異体同心」には、人類の融合をリードする力があるのでしょうか? 名誉会長: 第1に、深い「哲学」があるからです。 第2に、たゆまぬ「行動」があるからです。 第3に、一貫した「勇気」があるからです。 異体同心には、万人が皆、平等であり、尊極の生命であるという法華経の「哲学」が裏づけにあります。 日蓮仏法には、人種や民族、階層、男女などの差別がまったくありません。 大聖人は「一人を手本として一切衆生平等」(御書564ページ)であり、「男女はきらふべからず」(同1360ページ)と宣言されています。 「万人の成仏」という可能性を信じ抜いているからこそ、「異体」の「同心」が成り立つ。一人一人が妙法の力によって最大に輝いているからこそ、最高の調和が可能になるのです。 熊沢: 今の指導者層の迷走を見ても、その根底に深い哲学がない、確固たる信念がないことが、根本的な要因だと思います。 私たち女子部は「世界一の生命哲学を学ぶ」「正義と友情の華の対話を」との指針のままに前進します。 名誉会長: そうだね。創価の乙女が語った分だけ、時代は大きく動き、未来が開ける。 創価の異体同心が、なぜ強いか。たゆまず対話の「行動」を積み重ねているからです。手を抜かないからです。 組織の異体同心といっても、人類の結合といっても、原理は同じです。 友のもとへ、何度も何度も足を運ぶ。立場や肩書ではなく、一人の人間として語り合い、心を結んでいく。その堅実な繰り返しから、真実の和合が生まれるの です。 また社会にあっては、どんなに不信の壁が立ちはだかっていても、爪を立てる思いで、誠実に対話を繰り返してきた。だからこそ、妙法は、世界に広まったのです。 埼玉が生んだ、日本の近代経済の父・渋沢(しぶさわ)栄一氏も、「世に至誠ほど根底の深い偉力あるものはない」と語っています。人間関係が希薄になっている現代社会にあって、ますます大切なのは誠実な「対話」です。 大聖人ほど「対話」を大切にされた方はおられません。御書には「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人とは比較にならないほど多くの人に会ってきた」(1418ページ、通解)とも仰せです。 皆さんの対話は、この大聖人に直結する仏道修行です。 反発される時もあるでしょう。しかし、その分だけ自分の生命が強く鍛えられます。 大聖人は「ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん」(御書1138ページ)と仰せです。 その時は相手の心が変わらなくとも、勇気と誠実の対話は必ず信頼を残します。その信頼が、最後に大きく花開くのです。 ◆ 魔を打ち破れ 熊沢: あまりにも尊い創価の「異体同心」の世界を、私たちは断じて護り、広げてまいります。 名誉会長: 仏法は峻厳です。「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(同1190ページ)と仰せの通り、油断すれば、魔に付け入る隙を与えてしまう。魔とは分断を狙う働きでもある。 御書には、こう戒められています。 ── 内(うち)から言い争いが起こったら、“シギとハマグリの争い”のように“漁夫の利”となるおそれがあります。南無妙法蓮華経と唱えて、つつしみなさい。つつしみなさい ── (同1108ページ、趣意)と。 この御書をいただいたのは、池上兄弟の弟の宗長(むねなが)です。兄の宗仲(むねなか)が、極楽寺良観(ごくらくじりょうかん)らの陰謀によって、父から勘当されたのも、いわば兄弟に対する離間策(りかんさく)でした。 ですから、大聖人は、兄弟の団結、そして夫人たちも含めた団結こそが、勝利への決め手であると御指導されたのです。一人一人が自らを人間革命しながら、広宣流布の大願のために心を一致させる「鉄桶(てっとう)の団結」こそが、魔を打ち破り、「異体同心の勝利」を実現するのです。 阿部: 3年前、先生は埼玉池田研修道場を訪問された際、「『破邪顕正(はじゃけんせい)』といっても、あくまで『破邪』が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ」と教えてくださいました。関東の青年部は、この指針を生命に刻みつけて勇猛精進してまいります。 名誉会長: 青年時代、私は埼玉でも、栃木でも、破邪顕正の闘争の先頭に立ちました。千葉で、茨城で、群馬で、広宣流布の拡大のため、会員を護るために、全身全霊で戦いました。 「関東に難攻不落の大城を築け! そうすれば広宣流布の未来は盤石だ」とは、戸田先生の遺言です。 「異体同心」の「心」とは「広宣流布を願う心」です。 「同志を尊敬する心」です。 「師子王の心」です。 その究極は「師弟不二の心」です。 棚野: 青年部は、「師弟不二の信心」「破邪顕正の言論」、そして「異体同心の団結」で、必ずや大勝利の金字塔を打ち立ててまいります。 名誉会長: 苦しい時こそ、題目を朗々と唱え抜くことです。題目は師子吼です。 大変な時こそ、けなげな同志に、声を惜しまず、ねぎらいと励ましを送り続けることです。学会歌を、皆で声高らかに歌うことです。声が、力になり、勢いになる。 御聖訓には、「始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」(同1182ページ)と仰せです。 「もう、これくらいで」といった安易さや、「もう大丈夫だ」との油断は大敵です。互いに励まし合いながら、共に最後の最後まで持てる力を最大限に出し切っていく。これが「異体同心の団結」です。 立正安国のため、一つ一つ力を合わせて勝ち越えていく。そこに広布と人生の金剛不壊の城が築かれるのです。 ともあれ、万年の広宣流布の実現へ、戦いは「いよいよこれから」だ。一切は今から始まる。目覚めた青年の異体同心の奔流は、誰も止められない。 「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同1192ページ)です。「いよいよ・はりあげてせむべし」(同1090ページ)だ。 若き敢闘精神のスクラムに勝るものはない。青年の怒濤の前進で、新時代の緑野を開いてもらいたい。君たちの青春の大勝利を待っています。 2010年6月19日付 聖教新聞
最終更新日
2010.09.28 21:13:50
コメント(0) | コメントを書く
[御書と青年] カテゴリの最新記事
|