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善知識の対話で幸の連帯を
此(こ)の法門(ほうもん)を知識(ちしき)に値(あ)わせ給(たま)いて度度(たびたび)きかせ給(たも)うべし、日本国に知る人すくなき法門にて候ぞ
(刑部左衛門尉女房御返事(ぎょうぶさえもんのじょうにょうぼうごへんじ)、1401ページ)
〈通 解〉
この法華経の法門を善知識(善友)に会って度々聞(たびたびき)かれるべきである。日本国に知る人の実(じつ)に少ない法門なのである。
同志への指針
広宣流布は友情を結びゆく聖業(せいぎょう)だ。自(みずか)らが善(よ)き友になれば、必ず善き仏縁(ぶつえん)が広がる。
生命の仏性(ぶっしょう)を信じ、開きゆく仏法対話に励(はげ)む人は、仏の使いであり、最高の善智識(ぜんちしき)である。
信仰の確信と歓喜をありのままに語って、友の生命に幸福の種(たね)を蒔(ま)くのだ。
「幸せになってほしい」との真剣な祈りが届かないわけがない。最極の麗(うるわ)しき希望と信頼の連帯を築(きず)きゆこう!
(2018年12月19日付 聖教新聞)