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カテゴリ:青年想 Essay from Youth
〈青年想 Essay from Youth〉5 仕事と向き合う 男子部長 西方光雄
各地に共通して、皆が近況として語るのは、やはり仕事環境の変化である。 日本では近年「働き方改革」が叫ばれてきた。コロナ禍という切迫した事態により、フィジカルディスタンス(身体的距離)に配慮して“改革”は進んだようである。だがもちろん一部にすぎない。 在宅勤務などのリモートワークに対応できない企業は多く、エッセンシャルワーカー(社会の維持に不可欠な仕事の従事者)は心身ともに緊張の中で働く。先行きが見通せない分野もあれば、業態を変える試みもある。そして休業や失職の方々もいる。ウイルスが労働現場にもたらした影響は、不条理なほどにバラバラである。 ほんの数カ月前には想像できなかった目まぐるしい状況変化の中で、青年世代の私たちが直面するのは、「働き方」の課題以前に、「働くこと」自体の難題なのかもしれない。 アメリカの細菌学者ルネ・デュボス博士が寓話を紹介していた。 ――通行人が、レンガを運ぶ3人に何をしているのか問うと、返事が異なっていた。一人目は「石運び」。二人目は「壁を積んでいる」。三人目は「聖堂を建てている」と(『生命の灯』思索社)。 同じ作業をしていても、目的観や志の高さによって、業務の質や量、スキルアップ、成長の度合いは変わると感じる。 そして仕事とは何かを考えるとき、初代会長・牧口先生が『価値論』で示された、人生の上に創造すべき「美(び)・利(り)・善(ぜん)」の価値が思い浮かぶ。利(経済的価値)は基本として、美(好き嫌いなどの感覚的価値)があれば充実感は増し、さらに善(社会的価値)を職場や世の中にもたらすことができれば、これ以上ない理想的な仕事といえよう。
現実には、三つの価値が申し分なくそろう仕事と出合うことは、簡単なことではない。感染症の流行に直面し、その困難さは増しているように思う。
主君(しくん)に仕える武士だった金吾は、同僚(どうりょう)による讒言(ざんげん)などのせいで、主君から理不尽(りふじん)にも遠ざけられてしまう。現代的にいえば、職場の人間関係の中でハラスメントを受け、まさに八方ふさがりだった。 弱音を吐く金吾は、主君のもとを去り、より信仰にいそしむことができる入道の立場になろうと決意する。しかし大聖人は思いとどまらせた。悩みから逃げてはいけないことを教えられた。大聖人の仏法は、生活に生きる信仰なのである。 苦境と向き合った金吾は信心を全うするなかで、さらなる危機に陥るが、やがて主君からの信頼を回復することができた。そんな金吾に大聖人は指針を送られる。 「蔵(くら)の財(たから)よりも身(み)の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ) 物質的な財産(蔵の財)、技術・地位など(身の財)も大事だが、心の豊かさ(心の財)が第一である――。事態が好転しつつあっても、本当の勝負はこれからという局面での言葉である。仕事の悩みから逃げそうになったところを包み込むように励まし、そこから立ち上がって信心根本に進んでいく門下に対して、信仰と人生の本質を語られたと思えてならない。 心の財は、根本的には信仰を通して磨(みが)かれるものであり、仕事の次元で見れば、どんな業務であれ、お金や技術等を得るとともに、心を豊かにすることが最高の働き方ということになろう。むしろ、蔵の財や身の財は労働環境によって左右されてしまうのに対し、心の財はどんな時や職場でも積める上に、何があっても失われないのである。 大聖人は“何事においても人々から称賛されるようになりなさい”と金吾に願われている。心の財の具体的な現れが、あつい信頼であり、深い人格であるといえよう。 仕事に関して大聖人は、「御(おん)みやづかいを法華経とをぼしめせ」(同1295ページ)とも仰せである。「御みやづかい」、すなわち自分の仕事を、単なるビジネスではなく仏道修行と捉えるのである。 そう思えば、職場で悩むことも、業務で行き詰まることも、ともすれば休業や失職という事態に陥ることがあっても、その中でもがき、奮闘すること自体が自身を磨き高め、心の財を積むことになるのではないだろうか。
「大きな仕事を成し遂げるには、自分だけでなく、周囲にも目を配り、皆の仕事がうまくいくように心を砕くことが大切である。また、後輩も育て上げなければならない。さらに全体観に立ち、未来を見すえ、仕事の革新、向上に取り組むことも望まれる」(「随筆 人間世紀の光」〈わが社会部の友に贈る〉、『池田大作全集』第135巻所収)と。 この学会精神ともいうべき責任感に燃えるドラマが、聖教電子版の投稿企画「青年部員と仕事」に寄せられている。 兵庫のある男子部員は、かばんの設計の仕事をしていたが、コロナ禍で流通が止まり、売り上げが落ち込んだ。そんな中、マスク不足の解消のために技術を生かそうと決意。現在の設備で可能な縫製(ほうせい)方法と、最適なマスク生地の研究を重ねた末、近隣特産の布地を使用した商品を開発できた。一般販売はもちろん、地元のこども園や小学校に無償配布(むしょうはいふ)し、社会貢献を果たせたという。 池田先生は「苦しい時、大変な時こそ、不屈(ふくつ)の負けじ魂(たましい)で挑戦を続ければ、思いもよらぬ英知の底力が発揮される。必ず新しい価値を創造することができる」(2015年11月、創価学園「英知の日」へのメッセージ)と語られている。 仕事にはその人の生き方が表れると思う。それは職種や業種、会社の規模などで決まるのではない。自分には何ができるか。現状をどう改善していくか。その責任感が強ければ強いほど、善の価値をもたらす創造と智慧が生まれる。ましてや、私たちには無限の希望を湧き出させる信仰の力がある。 あまりに不安定な世の中で、「だからこそ」と前を向き、変毒為薬(へんどくいやく)(毒を変じて薬となす)の誓願(せいがん)と確信をもって働く創価の同志の姿に、心の財の輝きを見る。目の前の仕事を通して、職場や社会に光を送る一人一人でありたい。
最終更新日
2020.10.15 09:34:39
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