【新企画!】自信のない地区婦人部長が、皆に慕われた理由――コロナ禍での挑戦。
連載ルポ「一滴――新しい日々の始まり。」

日常の学会活動にある、何気ない小さな出来事(一滴の、しずくのような)には、大きな信仰の価値が詰まっています。「大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり」(御書1200ページ)――そんな小さな「一滴」の偉大さを、深掘りしてお伝えする新企画です。(記事=金田陽介、橋本良太)

築45年を迎える団地に暮らし、近隣や地域に友人を増やしてきた上野絢子さん(右から2人目)。社会の変化で、生活や学会活動に苦労も多いが、それを上回る喜びの瞬間が日常の中にある
キンモクセイの香りが、今年も季節の変化を告げる。
冬から春、夏、そして秋――今も、新型コロナウイルスは、日常に居座り続けている。
そうした中、最前線の地区はどのように、新たな日常の学会活動を始めているのか。
千葉市美浜区のある地区ではささやかな“事件”があった。
皆で工夫しながらコロナ禍と格闘していたある日、地区婦人部長の家に突然、きれいな花束が届いたのだ。
今回は、このすてきな事件の背景にあったものを取材した。時は、7カ月前にさかのぼる。
“これは、まずい!”
3月に入り、社会のあらゆる活動が自粛に向かう中、団地の4階に住む上野絢子さん(41)=地区婦人部長=は、不安を募らせていた。
思った以上に、コロナが大変なことになりつつあった。
上野さんの「広宣地区」は、60世帯ほどの地区。75歳以上の高齢者の割合は、日本全体での数字(14・9%)の2倍に迫るほどだろうか。
マンションで1人暮らしの、渡辺光子さん(69)=白ゆり長=に、久しぶりに電話する。元気だが、不安はあるという。
「会合も自粛、人にも会えないとなると、一言もしゃべらない日もあるからねぇ……」
“これは、まずい!”
地区の皆に、片っ端から電話をした。孤独になってしまう人を出してはいけない――。
ある日の早朝、本紙の配達員を務める山本郁代さん(67)=支部副婦人部長(白ゆり長兼任)=は、メンバー宅の前で、上野さんの姿を見かけた。
「上野さんがね、人がいない時間を選んで、メンバーに励ましの手紙を届けていたんです」

会合ができない中、広宣地区では、4月から“文字での座談会”を始めた。
上野さんが、地区の皆から電話、メール、LINEで「声」を集め、パソコンで編集。それを印刷、何人かで手分けして、座談会の代わりに、メンバーに届ける。
皆の近況が並んだ文面。
渡辺さんは「いま桜がちゃんと咲いています。冬は必ず春となるです。私の決意、絶対負けません!」と書いていた。
田久保陽子さん(63)=婦人部副本部長(支部婦人部長兼任)=は、「座談会で一言発言をやっているみたい。これで元気を保つことができた方も多かったのでは」と振り返る。

上野さんはコロナ禍の中、精神的な不安を訴える多くの人の話を、電話で聞き続けた。
だが、上野さん自身も、外出自粛が続くと心が沈む。“やっぱり私には、人に寄り添うなんて無理”という気持ちが、少しずつ強くなっていく。
「私の世代には多いのかもしれませんが、私はもともと、自信のない人間なんです。寝て、食べて、テレビを見る以外のことは面倒くさい、低エネルギーな人で……」
小学生の頃から、一人でいるのが好きで、大人数で騒ぐのが苦手だった。
「できるだけ人と関わらず、小さな人間関係の中で生きていきたいと思っていました」
そんな自分を、食事に誘ってくれ、丁寧に話を聞いてくれる女子部の先輩がいた。
プライベートなことを話すのは嫌だな、と思ったが、上野さんは当時、悩みを抱えていた。気付けば苦しい真情が、言葉になって漏れていた。
そして、自分もこの先輩のように、じっくり話を聞いて寄り添える人になりたいと思った。

渡辺光子さん㊨の元気な笑顔、山本郁代さん㊥のこまやかな心づかい――上野さんは「そうした、着実な信心で人柄を磨いてきた地区の先輩方がいるから、何かと自信のない私でも地区婦人部長として頑張れています」と
夫・芳生さん(37)=男子部員=を折伏して結婚し、今の団地に住み始めてからも、上野さんは、婦人部の先輩たちの励ましに包まれた。
「私は、そういう先輩たちの振る舞いを、まねするようになったのかもしれません」
例えば、手紙を書くこと。
「山本さん(白ゆり長)は、とても小まめに手紙を書く人。ちょっとした届けものにも、かわいい付箋や小さなメモが添えられていたり」
じっくり話を聞くこと。
「田久保さん(支部婦人部長)をはじめ、美浜区の婦人部は、とにかく話を聞いてくれる方が多いんです。そして“私も以前こんな悩みがあったよ”と、一緒に悩んでくれて」
だから上野さんは、近隣ともそうした姿勢で交流するようになった。団地の自治会、地域活動などにも参加してみた。
数年がたつうちに、買い物帰りの道端で話し込んだり、一緒に外食したり、池田大作先生の写真展を鑑賞したりする友人ができていった。
そして――5月末の、ある日のこと。夕方、上野さんが買い物から帰ってくると、家のドアノブに、スーパーのポリ袋が掛けられていた。
ピンクのユリ、白い野バラ、たくさんの花々が、袋から顔を突き出している。
手紙などはなかったが、団地の周りで花を育てている、顔なじみの70代の婦人が、すぐに頭に浮かんだ。
電話をしてみる。
「いつも頑張っているから。少しだけど、どうぞ」
優しい声が返ってきた。
こんな社会状況の中で、自分に真心を向けてくれたのがうれしかった。
すぐに花瓶に生け、スマホで写真を撮る。それをパソコンに送信し、絵はがきを作る。
そこに、池田先生の言葉を、書籍から探して書き添えた。
翌日、婦人宅のドアポストにその絵はがきをそっと入れた。
“やはり私は、人との関わりを大事にする自分でいたい”と心から思った。

地区で、オンラインの集いを考えたこともあったが、スマホを持っていない人、ネット環境がない人も多く、実現には時間がかかりそうだった。
地区では先月、“同盟座談会”を行った。日時を決め、当日は皆がそれぞれの自宅にいて、同じプログラムで“座談会”を行うのだ。
当日の9月20日。午後1時半――皆が一緒に“座談会”を始める。
各自が「大白蓮華」の巻頭言を読み、御書を拝読し……。
終了後、地区部長の里見英樹さん(50)や、上野さんに「皆とのつながりを感じられた」との声が次々と届いた。
なかなか座談会に参加できないメンバーも、この同盟座談会に参加してくれていた。あの3月の早朝に、上野さんが励ましの手紙を届けた人だった。

「私は今も、人と関わることは当たり前ではなくて、決意も勇気もいる挑戦なんです」
上野さんは、そう語る。
全国各地にも、同じような思いで奮闘している人は、少なくないだろう。
それでも、人を励ますために足が動いてしまうのは、コロナ禍のずっと前から、地道な学会活動の中で、そういう生き方を体に染み込ませてきたから。
“あの人に喜んでもらうために何かできないか”と能動的に考え、動く生き方を、ずっと重ねてきたからなのだ。
上野さんが、花を届けてくれた婦人に贈った絵はがきに記したのは、池田先生の、こんな言葉だった。
美しいものをたくさん発見できる人。
その人こそ、美しき人ではないか。
「ああ、きれいな空!」
「この花を見てごらん!」と、
暮らしのなかで自分らしい感動を
見つけられる人は幸せである。
その人の生活は豊かである。
(『女性に贈る 100文字の幸福抄』より)
このような人でありたいと、日々、現実の中で葛藤しながら祈り、一歩を踏み出す――。
そうした一人一人が今、不安に揺れる社会の一角を、確実にうるおしている。