〈心に刻む珠玉の言葉〉
「新・人間革命」と私 香港婦人部長 胡惠娟(ウーワイギュン)さん
メンバーは悩みをかかえている人と出会えば、信心の力を、御本尊の功徳を、語らずにはいられなかった。(中略)広宣流布は状況のいかんが決するのではない。同志に脈打つ使命感と確信と歓喜ある限り、前進の大道は開かれるのだ。<第18巻「飛躍」の章>
〈時代背景〉
1974年1月26日、山本伸一は九州から香港へ。初訪問時(61年)には、10世帯ほどだった香港の創価家族は、13年間で8000世帯を超える陣容に飛躍を遂げた。
伸一は27日、約1000人の同志と記念撮影。翌28日、香港広布の第2期となる次の10年へ、「仏法即生活なれば、一人も漏(も)れなく功徳の生活の実証を!」等の三指針を示す。
師弟共戦の魂こそ飛躍の力
世界経済の激動の中で幕を開けた1974年。“試練の時代だからこそ、仏法を持(たも)った私たちが、希望を、勇気を、活力を、社会に発信していくのだ!”――この誓願に燃える同志らが、各地の新年勤行会に喜々として集う描写から「飛躍」の章は始まります。
大悪を大善に! 逆境を前進の糧(かて)に! 未曽有(みぞう)の人類的危機に直面する今、本章に学ぶべき精神は、あまりにも多くあると感じてなりません。
香港広布の歩みを振り返ると、苦難を躍進のバネに転じてきた歴史と誇りが脈打っています。
61年1月に池田先生が初訪問し、アジア初となる地区を結成。その後、支部から総支部、本部へと発展。66年には機関紙「黎明聖報(れいめいせいほう)」が創刊され、香港会館も誕生しました。しかし70年ごろ、日本で起きた「言論・出版問題」の影響が及び、香港メディアはこぞって学会を批判。事実無根の喧伝(けんでん)に踊り、敵意をむき出しにする人が世間には数多くいました。
そうした中、私たちは“今こそまことの時”と捉え、闘魂を燃え上がらせながらも冷静に対応。大規模な会合の開催は控えるなど配慮し、「訪問激励運動」に力を注いでいったのです。すると、草の根の対話を通して、信心で功徳の実証を示した同志の歓喜が連鎖(れんさ)し、逆風の時代にもかかわらず毎月、40世帯、50世帯と弘教の波が広がっていきました。
池田先生は本章で、誤認識の批判をはね返し、社会に信頼の花を咲かせてきた当時の香港の友の奮闘に言及。冒頭の引用の言葉をつづってくださいました。
時は巡り半世紀――。アジア通貨危機、中国返還、SARS(重症急性呼吸器症候群)の流行……香港SGIは幾多の難局を、全て飛躍への転換点にしてきました。その原動力はひとえに、池田先生との固い「師弟の絆」にほかなりません。
創価の精神の正史が描かれた小説『新・人間革命』の研さんこそ、師弟共戦で進む力の源です。後継の青年部と共に学び深めながら、香港広布60周年を迎える明年へ、心一つに前進します!