連載ルポ「一滴――新しい日々の始まり。」
ルポ【一滴】 地区は人間ドラマの舞台。その経験があるから、学会員は変化に強い。
コロナ禍の今年は「激変」の年。あらゆる物事が“コロナ前”とは変わった社会……。しかし、ふと、ある思いが湧きました。創価学会の活動の「現場」は、実はずっと昔から、さまざまな変化の連続だったのでは――。今回はそんな視点から、婦人部を中心に、深掘りしてみました。(記事=金田陽介、橋本良太)
地区内を歩く奥田恭子さん、下清水蝶子さん、折田コトエさん。高台からは、噴煙を上げる桜島がよく見える。眼下の市街の一部も地区内だ
全国の組織では今、会館などを使用した座談会や、訪問激励が行われている。
コロナ禍による社会の変化。その変化に応じ、皆で新しい知恵を絞りながらの、学会活動の“再出発”――。
鹿児島市のある地区も、その一歩を踏み出している。
時に静かに、時に激しく噴煙を上げる桜島が、鹿児島市街からは、よく見える。
その市街の一角にあるこの地区では、2018年の冬、組織の再編成があり、新たなエリアとして出発した。
JR鹿児島駅に近い住宅地、市街を一望できる高台が連なった地区。所属メンバーも新しくなった。地区婦人部長の任命を受けたのは、奥田恭子さん(46)である。
前の所属地区は違っても、お互いに知らないわけではない。だが座談会のやり方一つにも、それぞれの文化や伝統がある。
奥田さんは、地区部長の末廣裕茂さん(69)と心を合わせて、新たな団結をつくるため、訪問激励を始めた。
奥田恭子さん
「道の向こうを歩いているのを見つけて手を振ると、2倍も手を振り返してくれる人」
末廣さんは、奥田さんのことを、こう表現する。
その明るさに触発を受けて、“地区の皆さんが幸福に向かって歩めるよう、新しい地区で頑張ろう”と思えた。
ところが、当の奥田さんは、自信を持てなかった。
「私は教学も詳しくないし、他の地区婦人部長の皆さんのように、しっかり話ができるわけでもないし……」
介護職として、フルタイムでデイケアに勤めている。自分に地区婦人部長が務まるとは思えなかった。
「私も支えるから、大丈夫」――以前の地区でずっと一緒に活動してくれた先輩や、長年この地でメンバーを励まし続けてきた先輩の応援があったから、勇気を出せた。
「難しい話はできないから」、とにかく相手の話を聞いた。
分からないことは分からないと正直に言い、何かに困ったら「助けてください」と、素直に周囲の力を借りた。
語る相手が悩みを打ち明けて泣けば、つられて泣いた。
奥田さんは2002年(平成14年)の入会。信心を教えてくれた婦人が、とにかく人の話を聞き、背中をさすらんばかりに励ます人だった。
その姿が、知らないうちに、学会員としての生き方の手本になっていたのかもしれない。
下清水蝶子さん
新しい地区にも、手本となる先輩たちが何人もいた。
下清水蝶子さん(83)=地区副婦人部長=は、自宅の仏間を、地区の会場に提供してくれている。本棚も壁際も、小説『新・人間革命』、池田大作全集、世界の文学全集などで埋まった仏間である。
人前で話すのが苦手な奥田さんの言葉を、下清水さんはよく補ってくれた。
ある日の、婦人部グループ長の集まり。奥田さんが話の途中で、言葉に詰まって、黙ってしまった。沈黙が流れ……そうになった時、下清水さんが絶妙のタイミングでつぶやく。
「お、今、いい風が入ってきたな……」
肩の力が抜けそうな一言に、皆が笑い声を上げる。
そんな小さな心遣いが、いつも地区の雰囲気を、晴れ晴れとしたものにさせた。
宮下安江さん
宮下安江さん(86)=支部副婦人部長=は、実直な人。「人が見ていようといまいと、御本尊様は見ているから、地道に頑張りましょう」と、いつも真顔で励ましてくれる。
宮下さん自身が、その言葉の通り、筋ジストロフィーと闘う娘をはじめ3人の子を育てながら、学会活動に励み、充実の人生を開いてきた。
ある時、メンバーと友人で一緒に参加できる、大きな集いがあった。どこの地区でも「絶対に友達にも参加してほしいね」と語り合っていた。
ところが、奥田さんの連絡に手違いがあった。
前日に気付き、慌てて、皆にフォローの連絡をする。
宮下さんは、電話で一部始終を聞いた時、とがめず、声色も変えず、ただ言った。
「ん。分かった!」
翌日――。集いの会場には、3人の友人を連れて参加する、宮下さんの姿があった。
そんな、それぞれの色をもつ一人一人が主役となって、少しずつ心の距離を縮めて、地区の団結がつくられていく。
そうした中で、毎月の座談会は、参加者が、少しずつ増えていった。毎回のように、友人も参加するように。やがて青年・未来部の参加者も、目標にしていた10人を超えた。
地区は南北に長い形で広がっており、北側には高台の住宅地もある
だが――。
コロナ禍で、地区は今、新たな試練に直面している。
デイケアに勤める奥田さんは感染を防ぐため、人との接触を控えざるを得ない。今までにない部分で気を使う必要があり、心の疲れも大きい。
でも、やはり皆の様子が気になる。一人一人のことを祈り、短時間、玄関先に会いに行く。「皆さんがいるから、自分も、成長しようと思えています」
コロナ禍という地球規模での激変にも、学会員の、生き方の根っこ(自分も他者も一緒に元気になろうとする生き方)は、ぶれていない。
むしろ、これをきっかけに、オンラインの会合にも挑戦し、最近は感染対策を行った上で、訪問激励や会合を再開し……状況に応じた「攻め」の学会活動は、より勢いを増しているともいえるのだ。
それは、ある意味で当然なのかもしれない。宗門事件も、経済苦も、宿命の嵐も――コロナ禍のずっと前から、あらゆる種類の「激変」を越えてきた人が全国どこの地区にもいるのが、創価学会なのだから。
折田コトエさん
そうした“ベテラン”の一人である、折田コトエさん(79)=地区副婦人部長=は、数年前から、肝臓がんや左足の複雑骨折などで、何度か入院している。
だが、何分、生命力が強く、そのたびに“病院友達”を増やして退院する。
「最近まで、居酒屋を経営していたから、知り合いは多くてね。今も、誰にでも気軽に話し掛けるからね」
今年も、心臓の手術で1カ月ほど入院したが、元気に退院してからは、新しくできた友達にまた対話を重ねている。
地区の新出発から2年。
この9月には、地区で2世帯の御本尊流布ができた。
「壮年と、男子部世代の方。長年、地区の皆さんが励ましを送ってこられていた方です」と地区部長の末廣さんは語る。
末廣裕茂さん
池田先生は、つづっている。
「『地区広布』即『世界広布』――身近な人と人との絆、自分の住む近隣地域を大切にする行動を広げることが、必ず世界をも変える」
「地区」には、さまざまな人がいて、毎日のように、多様な“人間ドラマ”がある。
そんな変化、変化のど真ん中に身を置いて、何があっても人を励まし続ける生き方を選び取ってきた学会員が、このコロナ禍を、乗り越えられないわけがない。身近な世界を、変えていけないわけがないのだ。
噴煙を上げ続ける、桜島。
雨の日も、風の日も――その威容は変わらない。
私たちの励ましの生き方も、時代の行く先がどうあろうと、根っこが揺らぐことはない。
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〈ファクス〉03-5360-9645
(2020年11月11日 聖教新聞)