新・人間革命」と私 第2総東京青年部長 長田泰弘さん
〈心に刻む珠玉の言葉〉
何があろうが、広宣流布の軌道を外さず、自ら定めたことを、日々、黙々と実行していく――まさに太陽の運行のごとき前進のなかにこそ、人生の栄光も広布の勝利もある。<第30巻(上)「雌伏」の章>
〈時代背景〉
山本伸一は、第3代会長を辞任した1979年(昭和54年)、広布の新たな未来を展望し、行く先々で同志と語らい、励ましを重ねていった。9月15日には東京の狛江(こまえ)文化会館(当時)を訪れ、居合わせた同志を激励。田園と新しい住宅が広がる風景を見ながら、「第二東京は広宣流布の新舞台だ。ここも未来が楽しみだ」と期待を込めて語る。
“会う”挑戦で希望の凱歌を
山本伸一が純真に戦う同志を草の根を分けるように探し、励ます姿に、何があっても変わらない師の慈愛と、会員厳護の烈々たる気迫が脈打っていると感じます。
私は高校生の時、部活動で頸椎の骨がずれるけがをし、医師から“一生治らない”と宣告を受けました。治療と学業を両立するため、定時制高校へ転校。宿命転換を懸けて唱題と仏法対話に挑みました。やがて治療が実を結び、奇跡的にけがは完治。5年間の高校生活を経て、創価大学へ進学することができました。
男子部の部長時代、再び自身と家族に宿命の嵐が。苦悩する私に先輩は「題目だよ。大事なことは、他の誰でもない、君が信心で立ち上がることだ」と激励してくれました。また折々に、「戦いの中で『新・人間革命』を研さんしていこう」と師と共に前進する姿勢を教えてくれました。
自身を見つめ直し、地道な祈りから開始。『新・人間革命』を読み深めると、命の底から勇気が湧くのを感じました。そして訪問激励と仏法対話に走り抜いた結果、部として最高の結集を果たし、私自身も弘教を実らせることができたのです。
現在、青年部は、新型コロナの苦境に負けず、一人一人が目標を定め、“「新・人間革命」世代”の誇りを胸に前進。男子部では、学会創立90周年の「11・18」から100周年への初陣を飾る責任感で、「体験談大会」を活発に開催しています。
明年は、第2総東京の前身である「第2東京本部」の設置から50周年の節目を迎えます。かつて池田先生は「第2総東京の建設は、第2の創価学会をつくる決心での大事業であったことは間違いない」と語られました。第1次宗門事件の渦中、第2総東京で指揮を執られ、同志を守り抜いてくださった先生。当時の真情を「会うこと、それ自体が戦いであり、一瞬一瞬が真剣勝負であった」とつづられています。
第2総東京青年部は、師が示された“徹底して人に会う”行動に連なってまいります。そして、友と固い絆を結び合いながら、希望の天地に勝利の凱歌を響かせます。