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晴ればれとBlog

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ジャズと人生と仏法を語る(全15回・完)

2011.02.14
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♪ 魂の人間讃歌——ジャズと人生と仏法を語る

第9回 平和への勇壮な響き<下> 

世界を競争から協調へ

ショーター氏:人類の挑戦を音楽で励ましたい
ハンコック氏:文化の結合力をあらゆる分野に

池田: 仏法の縁起観から見れば、この世界では万物が互いに支え合っており、無関係な存在はありません。環境問題などの地球的問題群は、まさにその自覚を深めるよう、警鐘(けいしょう)を鳴らしています。
 日蓮大聖人が、なぜ「立正安国論」を認(したため)められたのか。
 御書には、「但(ただ)偏(ひとえ)に国の為(ため)法(ほう)の為人(ひと)の為にして身(み)の為に之(これ)を申(もう)さず」(35ページ)と仰せです。

これを現代的に敷衍(ふえん)して申し上げれば──
 「国の為」──民衆が生きる国土の平和と繁栄のためです。ここには、身近な地域社会から世界全体、さらには地球環境も含まれます。
 「法の為」──正しき精神世界の確立のためです。生命尊厳と万人平等の法理、さらにまた人間主義の文化芸術の次元にも通じます。
 「人の為」──どこまでも人間の幸福のためです。あらゆる差異を超えて、一人一人の人間を大切にし、生老病死の苦悩を打開していくための限りなき戦いです。
 どの次元も、それぞれに重要です。
 この3つを絶妙に調和させながら、皆が良き市民として、わが身を惜しまず、平和・文化・教育に貢献し、「立正安国」の連帯を広げているのが、私たちSGIです。

ハンコック: 本当にその通りですね。私の最新のアルバム「イマジン・プロジェクト」も、平和創造の一助となることを願って作ったものです。人類という種の存続自体に影響を与える環境問題を解決するには、まず「平和」でなければならないと、長年、私は考えてきました。
 そのために自分は、何ができるか。文化の面で、どんな貢献ができるか。このグローバル化(地球一体化)が加速する世界で──。
 そして得た結論が、「グローバルな協力による」アルバム作りでした。
 「協力」という発想は、文化的にも音楽的にも新しいものではありません。しかし、「グローバルな協力」というテーマのもと制作されたアルバムは、あまり例がありません。

池田: 素晴らしい、壮大な挑戦です。御聖訓にも、「自他彼此(じたひし)の心なく水魚(すいぎょ)の思(おもい)を成(な)して異体同心(いたいどうしん)にして」(御書1337ページ)という、最も深く強い協力の心が示されています。
 人類が、平和と永続的な発展という大目的で心を合わせ、それぞれの智慧と力を結集していくならば、まだまだ偉大な創造性を開花させていくことができるでしょう。その時は来ています。
 一昨年、ゴルバチョフ氏(元ソ連統領)と語りあった折、氏も金融危機の教訓として「『競争』だけではなく、『協力』する世界をつくらねばならない」と強調されていました。

ハンコック: 重要な教訓だと思います。近年の世界的な金融危機によって、初めて一般のアメリカ人は、「グローバリゼーション」の真の意味を実感として理解することができました。あの金融危機が、アメリカ人自らの懐(財布)や日常生活に影響を与えていることを、私は強く感じました。
 このことを念頭に、私は、直面する課題に向き合ったアルバムを目指しました。異文化への敬意があってこそ、自分の文化と他の文化を結び合わせることができる、ということを表現したかったのです。それが、「グローバルな協力」への足がかりとなります。そこで、まず頭に浮かんだことは「言語」でした。このアルバムには7つの異なる言語が使われていて、7つの異なる国でレコーディングしました。

ショーター: 音楽界や演劇界、さらには映画界では常に、多様な人々の間で友情が芽生え、心の通い合う集いがなされています。ジャズの分野でも、世界中の音楽を融合させ、クラシックを含め、南米、ラテン、アフリカ、その他の音楽的伝統などを結集するという、創造的な作業が行われてきました。
 今、私も、妻のキャロライナと「キューバやアフリカやヨーロッパの音楽など、いろいろな音楽を演奏したいものだね」と語り合っています。現在、アメリカのフィラデルフィア美術館のための作曲に取り組んでおり、美術館側からは「アジア風の曲を」との要望が寄せられています。

池田: 広く深く、人間の心を結びつける音楽の力は計り知れませんね。
 古代インドで仏教を基(もとい)として平和を築いた名指導者・アショカ大王は「伎楽(舞と音楽)の供養」を行ったと言われています。偉大な法に生きる喜びが文化として表現されていたのです。
 人間の善性を信じ、高めゆく文化が興るところ、平和は広がります。
 芸術や文化は、人間と人間を結び、心と心を結びつけることができる。
 政治や軍事力では、永遠の平和は築けない。経済力だけでも、エゴや欲望のぶつかり合いが避けられない。
 文化の力こそ、平和を築くための、最も豊かな源泉ではないでしょうか。

ショーター: そう思います。
 その上で忘れてはならない音楽の側面の一つは、音楽が、しばしば戦争への道を煽動するために利用されてきたということです。人々は時には太鼓の響きなどの音楽に合わせて、戦場に赴(おもむ)いたのです。
ハンコック ウェインが言うように人々を操作するため、音楽が使われてきたこともあったと思います。音楽が常に、よい意味での「民衆の結束」のために使われてきたわけではありません。それほど、音には強い力があり、音楽には大きな影響力があります。

池田: それは、宗教も同じです。
 戦時中の日本にあっても、ほとんどの宗教が、軍部政府に迎合し、利用されてしまった。その中で、命を賭して「立正安国」の戦いを貫き通したのが、牧口先生であり、戸田先生でした。
 仏法では、仏や菩薩が法を説く声を「妙音」と言います。広い意味で言えば、人々に希望を贈り、気高い信念の生き方へと鼓舞する音律もまた、「妙音」と呼べるでしょう。
 人の心に、刹那的(せつなてき)な快楽を志向させ、あきらめや虚無感(きょむかん)をもたらすような「哀音」ではなくして、強く前向きな生き方へと人々をリードしゆく「妙音」の音声(おんじょう)を、いやまして高めていくべき時ではないでしょうか。
        
ショーター: 21世紀における音楽の役割とは、人々に、人生のあらゆる課題に挑戦し、自らが持つ生命の傾向性やネガティブ(否定的)な側面に真正面から立ち向かい、勇敢に、前に踏み出すよう励ますことであると思います。
 音楽には、日常生活での私たちの振る舞いを左右する力があります。
 音楽には、無気力や無関心の充満する今日の社会に眠っている偉大なものを目覚めさせ、揺り動かすことができる本源的な力があるのです。そうした力を引き出すのが、私自身も含めた音楽家の責務です。
 人々が、この素晴らしい音楽の響きと手を結び、偉大なことを成し遂げようとする時、本当の力が発揮されます。この音楽の共鳴の響きは、卑屈さではなく、偉大さの模範です。
 私たちが演奏を終えた後、聴衆が私たちのところへやって来て、「私も、あなたたちの戦いの渦中に一緒にいましたよ」と言うことがよくありました。彼らは、私たちの戦いを見て、私たちが、予期せぬ困難にも勇敢に挑戦していた姿に、とても励まされたのです。彼らは私たちに、「ワオッ! あなたたちは恐れずに思いっ切りやっていましたね。私も自分の人生の課題に挑戦し、とにかく思い切ってやってみようという気持ちになりました」と言ってくれました。

ハンコック: そうですね。私は「イマジン・プロジェクト」のレコードアルバムに、「さあ目覚めよ! そして、何かを始めよ!」という意義を込めました。その中心的なメッセージは、「愚痴や文句を言うのはやめよう! 我々自身や、子どもたち、そして孫たちのために、私たちが求めるグローバル化の作業を始めよう」です。
 一歩ずつ一歩ずつ、私たちは、その作業を進めました。これは、文化面での一例に過ぎません。しかし、他の分野でも、このようなモデルを示すことができたら、どんなことが起こるか、ちょっと想像してみてください。
 不透明で、急激に移り変わる現代を生き抜き、勝利するには、師子王のような勇気が必要だと思います。池田先生は、ご自身が尽力される姿と振る舞まいをもって、私たちにその完璧な模範を示してくださっています。

池田: 私は、ただ戸田先生の弟子として戦い抜いてきました。これからも変わりません。

 御聖訓には、「浅(あさ)きを去(さ)って深(ふか)きに就(つ)くは丈夫(ますら)の心なり」(御書509ページ)と引かれております。
 勇気こそ、幸福の門です。
 勇気こそ、正義の銅鑼(どら)です。
 勇気こそ、勝者の旗です。
 一切の原点は、戸田先生が教えてくださった通り、「一人立つ勇気」にあります。そして、究極の勇気である「師子王の心」は、誰の胸中にも厳然とあるのです。
(2011年2月12日付 聖教新聞)

「"The Imagine Project" イマジンプロジェクト」について

"The Imagine Project" EPK Part 1

"The Imagine Project" EPK Part 2









最終更新日  2011.02.15 13:51:27
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♪ 魂の人間讃歌——ジャズと人生と仏法を語る

第9回 平和への勇壮な響き<上>

地球民族主義の大交響楽を

ショーター氏:音楽で太陽の輝きを世界へ
ハンコック氏:「人類への奉仕」から始めたい

ハンコック: ブラジル、またポルトガル、ベルギー、スペイン、ドイツなど各国を訪問し、心を込めて演奏してきました。
 いずこの国にも、池田先生の平和旅の足跡が留められています。
 各地のSGIメンバーとも交流できました。皆さんが、この連載をとても楽しみにしていると言っておられました。先生は、私たち二人にしてくださっているように、世界の友へ惜しみなく励ましを贈り続けておられることを強く実感しました。
       
池田: 世界への旅は、戸田先生の夢でした。先生は会長として最初の誕生月となった2月(1952年)、壮大な「地球民族主義」のビジョンを掲げられたのです。その先生の生誕111周年の日を迎えました。
 仏法では、「一人を手本として一切衆生(いっさいしゅじょう)平等(びょうどう)」(御書564ページ)と説かれます。戸田先生が展開された「人間革命」の哲学は、国を超え、民族を超え、世代を超えて、希望と勇気の連帯を広げています。その模範を示されている、お二人の世界的な活躍を、先生は、どれほど喜ばれることか。先生も音楽が大好きでした。

ショーター: ありがとうございます。これまで新たな鼎談(ていだん)を重ねるたびに、私はいつも、深い感動を覚えてきました。
 池田先生のもと、繰り広げられる私たちの語らいには、真の平等の対話があり、民主主義の縮図があります。
 この鼎談には「ジャズと人生と仏法を語る」との表題が掲げられておりますが、私たちが仏法の口頭試問を受けるのでもありませんし(笑い)、あらたまって一方的にジャズを講義するものでもありません。あくまでも平等な人間同士の「開かれた対話」です。
 深い信頼と尊敬をもって、人間としての共通の基盤に立ち、それぞれの差異から学び合う──。ここに精神の民主主義の本質があります。
 私は、この鼎談が、常に「人間の振る舞い」という次元に立ち返り、対話が進められていることに深い意義を覚えます。この「振る舞い」の中にこそ、仏法の人間主義と、人間主義に根ざした芸術の真髄(しんずい)があると思います。

池田: まったく、その通りです。
 日蓮大聖人は、「不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の人を敬(うやま)いしは・いかなる事ぞ教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)の出世(しゅっせ)の本懐(ほんかい)は人の振舞にて候けるぞ」(同1174ページ)と仰せです。
 仏法は、遠くにあるのではない。日々の私たち自身の行動にこそある。
 人間それ自体が偉大であり、尊貴なのです。ゆえに飾ったり、繕(つくろ)ったりする必要はない。ありのままの人間として、自他共の生命を最大に光り輝かせていくために、仏法はあります。
 相手を尊敬し、誠実に対話していくことが、その一歩です。そこから触発が生まれ、信頼が深まり、躍進の力が広がる。
 これは、人間力や対話力の衰退(すいたい)が憂慮(ゆうりょ)される現代にあって、ますます重要な実践でしょう。

ショーター: そう思います。演奏も対話です。私が演奏中に人々に伝えたいことは、「予期せぬことや未知のことに真正面から立ち向かおう」というメッセージです。
 演奏中には、あらゆる難問が出てきます。その時こそ、安易な道や慣れ親しんだ道に安住したり、予期せぬことや未知のことから逃げるのではなく、それらの問題とどう関わっていくべきか、真剣に考え、取り組むべきなのです。
 同時に私は、冒険の喜びを伝えるよう努めます。新たな冒険の喜びは、あらゆる恐れを一掃してくれるからです。
       
池田: それこそ、歓喜の響きです。賢者の勇気の響きです。
 人生は、戦いを避けた瞬間から後退が始まっています。
 御聖訓には、「必ず三障四魔(さんしょうしま)と申す障(わざわ)いできたれば賢者(けんじゃ)はよろこび愚者(ぐしゃ)は退(しりぞ)くこれなり」(同1091ページ)と仰せです。
 試練が競い起こるほど、喜び勇んで迎え撃つ──これが賢者の魂です。
 深き使命に生き抜く人生は、ショーターさんが言われるように、偉大な「冒険」です。それは、艱難辛苦(かんなんしんく)の連続かもしれません。
 しかし、その時はつらくとも、越えられない坂はない。一つまた一つ、苦難を乗り越えゆく生命には、何ものにも勝る充実がある。誇りがあります。
 御書には、「此れより後(のち)も・いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(1090ページ)とも叱咤激励(しったげきれい)されています。
 大変な時こそ、まず突破すべき目標を明快に定めて、いよいよ明るく賑やかに希望の音楽を奏でながら、前進する。そして積極果敢に、未来への勝利の因を創り出していくのです。ここに、太陽の仏法に照らされた「本因妙(ほんいんみょう)」の生き方があります。

ショーター: ええ。先生が語ってくださった「本因妙」の精神は、私が深く胸に刻んできた仏法の法理です。
 音楽の世界では、未知の事柄についての対話を、楽曲を通して行う場合、単純明快な形で行うことが大切だと思います。なぜなら、単純明快であることこそが、複雑な逆境の後に得られる最大の勝利であるからです。
 私は、音楽を、「逆境」のように、複雑なものにしておきたくありません。太陽のように輝きのある音楽の素晴らしさを聴衆と分かち合えるようにしたいのです。そして、高貴さに裏打ちされた演奏がどんなものであるかを、聴衆のみんなと分かち合いたいと思います。それは、しばしば営利的で欺瞞的(ぎまんてき)な「易(やす)き道」を取る、旧来の芝居じみたメッセージとはまったく違うものです。
        
池田: それは、時代が一番、渇望(かつぼう)している生命の輝きでしょう。
 御書にも、「音の哀楽(あいらく)を以(もっ)て国の盛衰(せいすい)を知る」(88ページ)と引かれています。希望の音楽の響きは、未来を開く活力です。
 この母なる地球そのものが、大海原の潮騒(しおさい)や天空に轟(とどろ)く雷鳴(らいめい)、渓流(けいりゅう)の迸(ほとばし)りや森の風音、鳥の囀(さえず)りや子どもたちの笑い声など、あらゆる音に満ち満ちています。それは、生命の喜びの鼓動、生き抜く力の響きをはらんでいます。

 その究極の「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)の音律(おんりつ)が、南無妙法蓮華経なのです。
 大聖人は、仰せです。「法界の音声(おんじょう)・南無妙法蓮華経の音声に非ずと云う事なし」(同801ページ)と。

ハンコック: はい。
 音楽は、実にすごい力を持っています。それは、生命から、人間からくる力です。
 今お話があったように、音楽は、人生の盛衰や、変化する生命のさまざまな側面を映し出す素晴らしい象徴です。同時に音楽は、人間が主役として奏でる「偉大な生命の交響楽団」の象徴と表現することもできるでしょう。
 その妙なる音楽の源泉である地球を、もっともっと大切にしていかなければなりませんね。
 私が若い時には思いもよらなかった危機に、今、人類は直面しています。それは、気候変動や生態学的・環境的な危機、地球温暖化、自然環境の劣悪化などの危機です。
 人類の破滅を助長している、飽くことを知らない地球資源の搾取(さくしゅ)を減速させるために、私たち自身が身を粉にして献身する必要があります。
 私たちの直面する地球的課題を共に解決していくためには、対話を通して「平和」を築き、文化鑑賞や文化交流を通して「人間性」の感覚を育まねばなりません。
池田: 全面的に賛同します。母なる地球は、かけがえのない生命体です。
 地球的問題群は、科学技術の向上や経済手段だけでは、決して解決できない。人間一人一人の発想の転換が求められ、自らを内面から高める「人間革命」が不可欠である──。
 これは、地球資源の有限性に、いち早く警鐘を鳴らしていたローマクラブの創立者ペッチェイ博士との語らいで一致した点でもあります。
 博士は、ファシズムと戦い、投獄にも屈しなかった。その獄中闘争で、人間の極限の悪とともに、人間性の極限の崇高さも知ったと述懐されていました。博士は、この崇高さを信じて、地球環境の破壊に対し、立ち上がったのです。
        
ハンコック: ペッチェイ博士の世界観は、仏法の生命観に驚くほど近いですね。
 仏法の信仰を始める以前、私は、自分の行うさまざまな演奏活動や決断について、それらが及ぼす目先の影響にしか、注意を払っていませんでした。
 しかし仏法を通して、私の行動や意思決定の過程に影響を与える「縁」や、予想される結果など、より多くのさまざまな要因が、よく見えるようになりました。その結果、私のなす決断や、瞬間瞬間の行動が変わったのです。
 この信仰のおかげで、今、私が行動を起こす時に、最初に考えることは、「自分の行動が、どれだけ人類への奉仕という大目的に貢献するだろうか」ということです。
(2011年2月11日付 聖教新聞)







最終更新日  2011.02.14 10:58:56
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2011.01.26
♪魂の人間讃歌——ジャズと人生と仏法を語る

第8回 桜梅桃李の個性<下>

人間は共に学び合って磨かれる


ショーター氏 今この瞬間も自己の変革に挑戦
ハンコック氏 すべての音楽家は“育む感性”を

池田SGI会長: アカデミー・フランセーズの会員であった美術史家ルネ・ユイグ氏との語らいのなかで、私たちが得た一つの結論があります。
 それは、さまざまな可能性をもった多くの人が、自らの才能を存分に発揮して、喜びや満足を味わっている社会こそが、豊かな創造を生み出すことができるということでありました。
 日蓮大聖人は、「鏡(かがみ)に向って礼拝(れいはい)を成(な)す時(とき)浮(うか)べる影(かげ)又我(またわれ)を礼拝するなり」(御書769ページ)と説かれています。
 開かれた心で打って出て、多彩な人々と生き生きと対話し交流する。他者の生命を尊敬し、共に学び合ってこそ、互いの個性がより光り輝いて、創造の花を咲かせていくことができるのではないでしょうか。

ウェイン・ショーター: その通りだと思います。アート・ブレイキーも、「独創性は多様な相互作用から生まれる」と語っていました。
 彼は、湖を例に挙げて言いました。「水が流れ込む入り口と流れ出る出口のない湖の中に存在する生き物は、やがて汚染され、死んでしまう。しかし、ジャズには、この入り口と出口があって、前進し、多様化し続けている」と。
 アート・ブレイキーの音楽に接する時、聴衆は、そこに多様性から生まれる何かを聴くのです。

ハービー・ハンコック: 私も、若い世代や異なったジャンルの演奏家と積極的に共演しています。ステージで実際に演奏している時、私は、すでに名人の域に達した演奏家と、成長過程にある演奏家とを区別しません。
 もちろん、私の役割として、演奏者の配置や、彼らの経験レベル、演奏家としての立場を認識することは必要です。舞台では、できる限り最高の音楽を作ることが最終目標だからです。
 その上で、一人の音楽家から奏でられる旋律は、すべてがかけがえのない宝となりうるのです。音楽家としての才能のレベルは、関係ありません。たとえば、粗い角を取り除いたり、型作りを手助けしたりしながら、宝石作りに手を差し伸べることはできるのです。それは、演奏中に、皆が相互に相手を引き上げようとすることです。

池田: 大事なお話です。世代を超えて切磋琢磨(せっさたくま)しながら、互いの持てる力を引き出してこそ、偉大な躍進があります。
 大聖人の立正安国論には、「悦(うれ)しきかな汝(なんじ)蘭室(らんしつ)の友に交(まじわ)りて麻畝(まほ)の性(しょう)と成(な)る」(同31ページ)という一節があります。蘭(らん)のように芳(かんば)しい人格の友や、麻(あさ)のように真(ま)っ直(す)ぐな心の連帯と交われば、おのずと良き感化を受け、わが生命を律し、高めていくことができると示されています。
 特に青年にとっては、そうした良き集いを求めて、真剣勝負で自らを鍛えていくことが大切ですね。

ショーター: ええ。ジャズは大きな変化や改革を基調とする音楽です。そこでは、今この瞬間も、次の瞬間も自己を改革し、常に自己を浄化することが必要です。そこでの創造的表現が、内面の自分、つまり自分の本質、内面の法則からあまりにもかけ離れているなら、私たちは何も改革していないことになります。
 「こうすれば創造的なプロセスになる」という保証は、どこにもありません。聴衆の前で、真に独創的な演奏をするには、音楽自体が、その真価を発揮しなくてはならないのです。

池田: ダイヤは、ダイヤでしか磨けません。
 あの大作曲家マーラーも、後輩を心から励ましました。
「頭を高く上げて!」「仮にも本物であるなら、つねに学ぶ者でありつづけるのです」(須永恒雄訳『マーラー書簡集』法政大学出版局)と。その励ましを受けた後輩が、後に二十世紀の大指揮者となったブルーノ・ワルターでした。
 若き世代を、惜しみなく激励し、伸ばしていくことも、自身を磨き上げた一流の人が成しうる聖業です。それは未来への使命であり、責任であるといってもよいでしょう。

ハンコック: その通りです。成長過程にある相手の個性という果実を実らせ、成熟させるには、園芸家のように一つ一つの花や実を大事にする“育む感性”がなければなりません。それはすべての音楽家が持つべきものです。

池田: 後輩を自分以上の人材へと育てたい――その思いは確かに、農作物をわが子のように懸命に育む方々の心に通じるものがありますね。
 南米アルゼンチンの芸術家で、ノーベル平和賞を受賞した人権の闘士であるアドルフォ・ペレス=エスキベル博士と、私は対談集を発刊しました。
 その中で、博士が、最高の品質のトウモロコシを作る農民のエピソードを紹介されました。なぜ、素晴らしい作物が作れるのか。それは、自らの農場でとれた良質の種を近隣の人々に分け与えているからだと。つまり、トウモロコシの花粉は風で運ばれるので、近隣の品質を高めれば、それだけ自分の畑の品質も高まるというのです。
 “私たちはお互いがそれぞれのために重要であり、共に助け合っていこう”と呼びかけるエピソードです。仏法の「自他不二(じたふに)」の精神とも一致します。

ショーター: よく、わかります。
 今の私の挑戦課題は、聴衆自身が、演奏に連なり、その創造的な作業に参加できるよう、そう願って演奏することです。自分は、音楽家ではないし、演奏などできないと思い込んだり、また、人からそう言われてきた人々がいるかもしれません。私は、そうした人々に、私の音楽を聴いて、それまでできないと思っていたことが、自分にもできるのではないかという気持ちを抱かせるような音楽を目指しています。

 ある時、ドイツの医師の方から、一通の手紙を受け取りました。
 「マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、チャーリー・パーカー、ハービー・ハンコック、それに貴方が演奏した音楽を聴いたおかげで、私は、より良き医師、より良き夫、より良き市民、より良き父親になることができました」と。
 音楽の中に飛翔する生命の共鳴音を聞く時、子どもも、若者も、年配者も、みんな、あたかも自分たちが共に演奏しているかのように、振る舞うようになるのです。

池田: 胸を打たれました。聴衆を思うショーターさんの一念が、深く強く波動を広げていることが、伝わってきます。人間の一念の力は、無窮(むきゅう)です。

 55年前(1956年)、28歳の私は、関西の同志と共に、「一支部で1カ月に11111世帯」という折伏を成し遂げ、「“まさか”が実現」といわれる歴史を残しました。その時の私の祈りも、大阪中の内外の人が1人でも多く、この新たな民衆勝利の歴史に参加するようにとの一点にありました。
 大目的に向かって皆で邁進していく中で、人は自分1人の才覚や技量を超えた、巨大な力を発揮できるものです。集団の中に個性が埋没するのではありません。自分を信じ、良き仲間を信じて全力を出し切る時、個性はさらにまぶしく輝き出すのです。

ハンコック: 音楽においても、たとえその人の才能に限界があろうと、それにもかかわらず偉大なことをなす道は見出せると、私は信じます。
 たとえば、世界的に著名な歌手でも、最も心地よい声を持っているとはいえない人がいます(笑い)。
 しかし、彼らには、確かに、歌う力や、歌う際の誠実さ、それに伴う品性があります。たとえ、パズルのすべてのピースがそろっていないからといって、失望してはいけません。それがないから、音楽で素晴らしいことができないとは限らないのです。

池田: それは万般に通じますね。
 人を育てるには忍耐が必要です。それぞれ性格も違う。性格や性分はなかなか簡単に変わらない(笑い)。
 “三世変わらざるを性”という言葉もあります。
 たとえば川をとってみても、その川幅や場所は変わらないかもしれない。しかし、よどみ濁った流れを、迸る清流に変えることはできます。
 人も止まることなく人間革命し、生命を浄化していくならば、それぞれの個性や性格を活かして、自分らしく価値を創造し、社会へ貢献していけるのではないでしょうか。

ハンコック: 私は今、どうしたら、ジャズが未来へ発展し続けられるか、ということに心を砕(くだ)いています。
 世代やジャンルを超えて、積極的に他者と関わりながら、音楽をつくっていくことは、長年、ジャズ奏者として経験を積んできた者の責任だと思っています。
 そのためにも、できる限り多くのことを、若い人たちから学びたいのです。

池田: 尊いです。人の成長のため、幸福のためにとの心で行動する人は、自分が一番成長できるものです。
 仏法では、「人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(御書1598ページ)と説かれます。
 なかんずく、青年の心に光を送っていくならば、未来を明るく照らしていくことができます。
 世界の情勢を見ても、政治や経済の次元だけでは、さまざまな利害の対立や軋轢(あつれき)は、どうしても避けられない。
 だからこそ、平和・文化・教育次元での青年の交流が、ますます大事になってきます。
 私も、お二人をはじめ、192カ国・地域の「桜梅桃李」の同志とともに、いやまして、世界市民の心の連帯を広げていきたいと思っております。(つづく)
(2011年 1月15日付 聖教新聞)







最終更新日  2011.01.26 18:26:37
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♪魂の人間讃歌——ジャズと人生と仏法を語る

第8回 桜梅桃李の個性<上>

きょうも生命に元朝の太陽を


ハンコック氏 音楽は“独自の音”をもつ戦い
ショーター氏 座談会には差異を結び合う力

池田SGI会長: 「春のはじめ御喜び花のごとくひら(開)け」(御書1575ページ)
 これは、日蓮大聖人が弘安4年(1281年)の正月、青年門下・南条時光のお母さん(上野尼御前)に送られた御手紙の一節です。
 この時、南条家は試練と戦っていました。「熱原の法難」に際し、わが身を顧みず同志を守り、経済的な圧迫も受けていた。
 さらに、時光の凛々しき弟が16歳の若さで急逝するという深い悲しみがありました。
 その中を、大聖人の御指導を支えに、母を中心として、厳寒の冬を耐え抜き、毅然と決意の新春を迎えていたのです。一家が「冬は必ず春となる」(同1253ページ)との実証を示していったことは、歴史にも明らかな通りです。
 ショーターさんもハンコックさんも、苦難を勝ち越えて、勝利の花を咲かせてこられました。その魂の凱歌を、今年も力強く奏でてください。
 吹雪に胸張る友に、希望と勇気を贈りながら!

ハービー・ハンコック: ありがとうございます。池田先生のご期待に応えられるよう、全力を尽くしていきます。

 音楽も、何が起ころうと、それを活かして、春のように花を咲かせていくことができます。どんなことも、音楽の創造を織りなす一端としていけます。こうした創造の力を、私たちが持っていることを自覚していきたいですね。

ウェイン・ショーター: そうです。人々は、自らが創造者であることを自覚しなければなりません。また、壮大な無限の創造性と責任は、規律と相俟って真価が発揮されることを知らなければなりません。
 自由や、構成、創造性、規律のための作業において、私たち一人一人が、一個の人間としてリーダーシップをとっていく使命があります。
 偉大なジャズドラマーであった、アート・ブレイキーは、「自分自身のことが分かり、自分自身に目覚めなければならない」という言葉を好んで口にしました。
 よく、「君は自分がわかってきたかい?」と問いかけていました。
 彼は、「演奏の技術が熟達したら、今度は、独自の色を出していくんだ」とも言っていました。

池田: まさしく、お二人の演奏は、錬磨し抜いた音色が鮮烈ですね。
 仏法には、「桜梅桃李(おうばとうり)の己己(ここ)の当体(とうたい)を改(あらた)めずして」(同784ページ)という御文があります。
 すなわち、桜(さくら)も梅(うめ)も桃(もも)も李(すもも)も、寒さに負けず、時とともに自らの花を爛漫と咲かせます。他の花を羨んだり、嫉んだりなどしない。それぞれが、ありのままに、個性豊かな花を色とりどりに開花させていきます。

 人間も皆、尊極なる生命を持っています。その生命を、最大に輝かせ、自分らしく尊き使命の花を咲かせ切っていく。これが「自体顕照(じたいけんしょう)」です。そして、互いに尊敬し合い、学び合い、励まし合って、幸福と歓喜の花園を広げていくのです。ここに妙法の世界があります。日本の詩人が歌った通り、「みんなちがって、みんないい」のです。(金子みすゞ著「私と小鳥と鈴と」、『さみしい王女』所収、JULA出版局)

ハンコック: 「桜梅桃李」を音楽的な観点から言えば、それは、音楽家の個性であり、まさに、音楽家一人一人の音色のことになると思います。つまり、一人一人が「独自の音」を持っているということです。
 仏法に照らせば、すべての人の個性が独特の音を持っていることを深く理解できます。仏法を実践することによって、私たちは、自分ではない誰か別の存在になるわけではありません。私たちは、あくまでも同じ自分自身です。

池田: 戸田先生は、個性について、よく言われました。
 「どんな立派な人間でも、短所がある。また、どんな癖のある人間でも、長所がある。そこを活かしてあげれば、皆、人材として活躍できるのだ」と。
 ですから、音楽に例えれば、それぞれの持ち味の最高の音を鍛え上げながら、互いに活かし合って、人々の心を打つ名演奏を成し遂げていくことに通ずるでしょう。

ショーター: はい。「桜梅桃李」の譬(たと)えには、実に豊かな智慧(ちえ)があります。
 自分と外見が違ったり、行動が異なる人間に対して先入観を持つ「偏狭(へんきょう)な人々」がいますが、私は最近、このような人々に、間違った差別観を捨てさせるさまざまな方法を示すために、この信仰や公演旅行を、活用できないだろうかと考えるようになりました。
 どうすれば、差異を受け入れることの素晴らしさを示せるのか。
 私は、一つの方法を見つけました。バンドで公演旅行に出る時、私は、よく「ほかに誰か一緒に旅をする人はいないか」と呼びかけます。なぜなら、多様であればあるほど、私たちの平和と愛を求めての運動は成功することを、私は知っているからです。
 人々は、多種多様な私たちを見て、「小型版の国連のようだ」と言います。

ハンコック: 本当にそうだね。
 それぞれの音楽家にとって、独自の音を持つためには、開発を要します。単に楽器を手にすれば、自分の音が持てるというものではありません。それは、葛藤して、自分で見出して、創り上げるべきものです。
 私たちが自分自身の真の生命を顕現するためには、それを妨げている障害を打ち払っていく作業が大事なのではないでしょうか。
 仏法には、「発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)」(迹(しゃく)を発(ひら)いて本(ほん)を顕(あらわ)す)という法理もありますね。

池田: その通りです。常に、自らの本源的な生命に立ち返って、生まれ変わったように新出発していくのです。
 戸田先生は教えてくださいました。
 「行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが、我々の月々日々の『発迹顕本』である」と。
 ですから、妙法に生きる私たちは、毎日が久遠元初(くおんがんじゃ)であり、毎日が元旦です。今日も、わが生命に赫々たる元朝の太陽を昇らせ、無明の闇を打ち破っていける。その暁鐘(ぎょうしょう)こそ、南無妙法蓮華経という音律なのです。

ハンコック: 池田先生が教えてくださった通り、私たちが勝利者となり、智慧を使い、自身の環境を成長の糧と転ずる方法を見つけ出すことによって、この「無明」という迷いを打ち破り、「元品(がんぽん)の法性(ほうしょう)」を顕(あらわ)すことができます。

池田: そうです。御聖訓には、「一念無明(いちねんむみょう)の迷心(めいしん)は磨(みが)かざる鏡(かがみ)なり是(これ)を磨かば必ず法性真如(ほうしょうしんにょ)の明鏡(めいきょう)と成(な)るべし、深く信心を発(ほっ)して日夜朝暮(にちやちょうぼ)に又懈(またおこたら)らず磨(みが)くべし」(御書384ページ)と説かれています。
 わが生命を明鏡の如くに磨き上げる―― ここに、たゆみなき仏道修行の意義があります。
 ショーターさん、ハンコックさんが率先されている、自分と異なる他者との対話・交流も、自他共に生命の明鏡の輝きを増していく力ですね。

ショーター: ありがとうございます。私は、公演旅行の中で出会った人々に、これまで自分が体験した偏見や、相手を受け入れない狭い心について語ってきました。
 ただし、そこでは、偏見(へんけん)、嫌悪(けんお)、先入観(せんにゅうかん)といった言葉は使わずに、そうした問題の壁を破った物語を紹介します。そして、幸福を得た段階にまで話をもっていきます。
 この人間の差異を結び合うことについて語る上で、SGIの座談会での体験発表は、とても効果的であり、これほど誠実で心に触れる瞬間をもたらしてくれるものはありません。

池田: お二人は、地域でも自宅を座談会の会場に提供してくださっています。多忙な中、積極的に座談会に出席されていることもうかがっています。以前、関西の座談会に入っていただいた時も、皆、大喜びでした。
 学会の座談会は、法華経に説かれる「人華(にんげ)」のごとく「人間の花」「人間性の花」を咲き薫らせていく対話の園です。
「人華」という美しい言葉は、南アフリカのマンデラ元大統領とお会いした折にも、話題になりました。

 私は、ハーバード大学での2度目の講演で、釈尊がどんな人たちとも自在の対話をなしえたのは“あらゆるドグマ(教条、独断)や偏見(へんけん)、執着(しゅうちゃく)から自由であったからである”と指摘しました。
 そして釈尊の言葉を通し、人の心に刺さっている“差異へのこだわり”という「一本の矢」こそ、克服されるべき悪であると強調しました。それは人間の外ではなく、内面にあります。
 人間の心にある「差別の意識」「差異へのこだわり」を克服してこそ、開かれた対話が可能になるからです。

ハンコック: 自分の文化と異なるものを受け入れられることは、実に重要だと思います。それは「包容(ほうよう)」という智慧であり、開放性、他者への尊敬、自分の外にあるものへの尊敬の心から生じる智慧です。

ショーター: マイルス・デイビスも、アート・ブレイキーも、偏屈(へんくつ)で偏狭(へんきょう)な音楽家ではなく、学者や、青年の素晴らしさから、進んで学ぼうとした点で、「開かれた心」の持ち主でした。二人とも、バンドメンバーとして、十代の若者たちを雇い、また、他文化の音楽や音楽家を取り入れ、用いていました。
 私も彼らと同じ思いです。

池田: 誰もが同じ「人間」です。
 ヨーロッパ科学芸術アカデミーのウンガー会長も「人間が『生理学上、世界中のだれとでも、驚くほど同じである』」ことを強調されていました。
 そして、「この生理学上の同一性のうえに、文化や宗教の差異が構築されている。そうである以上、文化や宗教の違いを根本的対立だと解釈することは間違いではないでしょうか」と訴えておられました。まったく同感です。
 博士とは、宗教間や文明間の対話の重要性を大いに語り合いました。
 「異なるもの」「自分にないもの」を尊敬できる人、他者の個性を尊重できる人には、新しい発見がある。未来への展望が開けます。その人が、自分の個性を輝かせることができるのです。
(2011年 1月14日付 聖教新聞)






最終更新日  2011.01.26 18:25:31
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2010.12.28
「♪ 魂の人間讃歌 ジャズと人生と仏法を語る」

第7回 真剣勝負が最高峰の証し<下>

師弟は不可能を可能に

音楽の師マイルス・デイビス氏の薫陶
ショーター氏 毎日が生命の新しい始まり
ハンコック氏 共演する全員が高められる

池田SGI会長: 偉大な文化には、必ずといってよいほど師弟の系譜があります。日本の古典芸能である能や邦楽、落語なども、師匠のもとで厳しい訓練を受け切って、芸を磨き上げていく――そうした伝統が脈打っています。
 あの大音楽家のメニューイン氏も、師への深い感謝と畏敬(いけい)を込めて、行動や存在そのものも含めたすべてにわたって「並みはずれたスタイルがありました」と語っておられました。(ダニエルズ編、和田旦訳『出会いへの旅』みすず書房)
 師弟にこそ、人間と芸術の最も美しい結合が光ります。

ハービー・ハンコック: 音楽の師といえば、私は、希有のトランペット奏者であるマイルス・デイビスを挙げなければなりません。
 マイルスと過ごした日々は、特別な機会の連続でした。

ウェイン・ショーター: 私も15歳の時、ラジオでマイルス・デイビスがチャーリー・パーカーと演奏をしているのを聴き、いつか、このマイルスと一緒に演奏できるようにと準備をし始めました。そして29歳になる時、彼と共演し、バンドに加わったのです。その時、ハービーはすでに、マイルスのバンドの一員でした。

池田: ハンコックさんが、マイルス・デイビスさんのバンドへと加わったのは、いつ、何歳の時でしたか? その時の思い出を聞かせてください。

ハンコック: 1962年、22歳の時で、大学を卒業したばかりでした。楽団に入るためのオーディションは、マイルスの自宅で行われました。それは、いささか不思議な経験だったのです。
 実際にマイルスが一緒にいたのは、ほんの5分か10分程度でした。トランペットでいくつかのメロディーを吹いた後、彼はすぐ階上の別室へ上がって行きました。代わりの人が私たちの面倒を見てくれて、これを演奏せよ、あれを演奏せよ、と指示したのです。
 そして3日目、ようやくマイルスが下りてきて、少し演奏するや、「オーケー、あすスタジオで会おう」と言うのです。「あなたの楽団に入れるのですか?」と尋ねると、彼は「君はレコーディングをするのだよ!」と答え、ちょっと微笑んだのです。私は間違いなく、彼のバンドの一員になりました。というのは、私たちは、レコーディングが終わるとすぐ、一緒に演奏旅行に出かけたからです。
 ずっと後年になって、彼が3日間、姿を現さなかった理由を知りました。実は彼は、別室のインターホンで演奏を聴いていました。もし自分がその場にいたら、私たちが硬くなって、思い通りに力量を発揮できないだろう――そう思って陰から見守り、伸び伸びと演奏させたのです。
 このことがわかったのは、マイルスが亡くなる少し前、パリで一緒に演奏していた時のことでした。

池田: 美しいエピソードですね。
 師匠の心の深さは、弟子が一生をかけて迫っていくものかもしれません。私は19歳で戸田先生にお会いしました。初対面でしたが、じつは先生は、事前に地域の方から私のことをよく聞いて、知ってくださっていたのです。今、その師の心が深くわかります。
 先生が逝去された後、日本の首相と挨拶を交わした時には、「あなたのことは、戸田会長からよく伺っております」と丁重に迎えていただきました。弟子のため、人知れず要所要所に、的確な手を打ってくださっていました。ありがたい先生でした。

ショータ: それは、私たちが池田先生に対して抱いている思いです。
 私が、所属したバンドのリーダーだった、マイルス・デイビスとアート・ブレイキーの二人から受け取った最も素晴らしいことは、不可能だと思われていたことでも、現実に達成することが可能であることを学んだことでした。
 マイルスと一緒に仕事をするようになって、演奏スタイルは「爆発的な瞬間」へと移っていきました。まさに、演奏中に、私たちが存在すると思わなかったものが「本当に存在するのだ」と、単なる感情の次元ではなく生命の次元で悟るような瞬間でした。それは、つかみどころがないもので、全身全霊でとらえなければなりませんでした。マイルスと演奏することは、何か極めてユニークな新しいものの始まりのようでした。

池田: 「不可能を可能にする」――これが師弟の力です。自分一人では越えられない壁も、師匠と弟子が一体になることで打ち破れる。その巨大な力が生まれるのです。
 アメリカ・ルネサンスの哲人エマソンも語りました。
 「人生で最も必要なものは、自らの可能性を引き出してくれる存在です」と。

ハンコック: マイルスと一緒にいると、音楽家としての私たち一人一人の演奏力のレベルがグーンと上がるのです。演奏しているのが、ウェインだろうが、私だろうが、何もかもが高められていきました。
 全体が、それを構成している部分の合計以上のものになる――マイルスと共に演奏することの素晴らしさを、私は時にそう表現しています。

池田: それこそ「団結の妙」です。「和の力」です。
 御書にも「異体同心(いたいどうしん)なれば万事(ばんじ)を成(じょう)し」(1463ページ)と仰せです。
 お二人は、アメリカ芸術部の友と一緒に、これまでも幾度となく素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。あらためて、心から感謝申し上げます。
 とくに、お二人をはじめ演奏者同士の“呼吸の妙”は息をのむほど見事です。個々は自由自在に奏でていながら、それでいて絶妙な調和があり、秩序がある。
 自己への強い自信とともに、互いへの固い信頼が伝わってきます。
 音楽は、人間を最大に輝かせ、人間と人間を最強に結びつける――この偉大な力を実感します。

ショーター: 池田先生が、私たちの演奏をそこまで深く聴いてくださっているとは、本当に驚きです。先生は、まさに青年の精神で、ジャズを理解してくださっています。
 先生は、こうした対談を、さまざまな異なる立場の方々と続けてこられました。先生は、開かれた対話を通して、人間は皆、本質的に平等であるということを世界に宣言されています。
 人々の生活の中で、いまだに存在する多くの人為的な境界線を、先生の勇気は貫通してこられたのです。

池田: 仏法は「一閻浮提(いちえんぶだい)」であり、「末法(まっぽう)万年(まんねん)尽未来際(じんみらいさい)」です。いよいよ大きく広く、青年たちの道を開いていきたいと思っています。お二人と共に! 同志と共に!

ハンコック:> ありがとうございます。
 人間のもつ精神の強さを信じ、誰もがこの仏法の信仰を始めた時に起こる、生命の覚醒(かくせい)や変革を深く信じて疑わない人生を、私たちは生きていきたいと思います。
 仏法は、人類が、将来に直面する最も困難な課題をも乗り切れるということを、確実なものにしてくれる――そう強く確信します。

池田: そうです。歴史学者のトインビー博士とも語り合った展望です。
 ところで、ハンコックさんにとって、マイルス・デイビスさんに出会う前に学んだジャズの先生は、どなたでしたか。

ハンコック: 聞いてくださって、嬉しいです。私を見出してくれたのは、トランペット奏者のドナルド・バードです。本当に重要なたくさんのことを教えてくれ、面倒を見てくれました。
 彼と一緒にいた時に、私たちが演奏した曲目の一つに「チェロキー」という曲がありました。大変に速いテンポで演奏され、私は、速い弾き方を知らなかったので、それを演奏できませんでした。
 最初のステージが終わった後、ドナルドは、彼自身が他のピアニストから教えてもらった、速く弾く学習法について、私に話してくれました。
 「君が速く弾けない理由は、そんなに速く自分が弾いたことを一度も聴いたことがないので、自分はできないと思っているからだ」「一度、速く弾いている自分を聴けば、速く弾くことができるようになるよ」と。
 それは、速さについて「学ぶ」というより、自分が速く弾くのを「聴く」やり方でした。その通りに練習しました。次の夜、その「チェロキー」を、バンドは速く演奏しました。私も、速く弾くことができたのです。

池田: 巧みな指導法ですね。
 戸田先生も、青年を信じて、まず、やらせてみました。
 御書には、「人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである」(1574ページ、通解)と示されています。
 師弟の魂の交流には、困難を乗り越える勇気と智慧が漲ります。そこに偉大な創造の源泉があります。

ショーター: 師を広い意味でとらえれば、私には、ピアニストのアート・テイタムや、ショパン、ドビュッシー、ストラビンスキーなど、尊敬する音楽家がたくさんおります。そして、彼らからの影響を実現化する過程は、今も進行中です。例えばモーツァルトを聴く時、「彼は、その時、どんな人生を生きていたのだろうか」と考えるのです。

池田: なるほど。ジャズのみならず、クラシックを含めた幅広い音楽家を師と仰ぎ、学ばれてきたのですね。心に師を持つ人は謙虚です。偉大な師という目標を持つ人に、限界はない。
 私は今でも、毎日、胸中の戸田先生と対話しながら生きています。
 「戸田先生なら、どうされるか」と常に思いを致しながら決断し、行動してきました。ゆえに迷いません。

ハンコック: 私は、師匠と弟子が目指すものは同じでなければならないと理解しています。師匠の夢は、弟子の夢でなければならず、両者が目指すものが違ってはならない。これは、とても重要なことです。師匠と弟子が別の夢を持ってしまえば、それは、もはや正しい師弟関係ではありません。
 ジャズにおけるマイルスとの師弟の関係は、今も続いています。私は、彼の生命を背負って生きていると感じるのです。
 私は、池田先生が戸田先生のことを語られる時、同じ思いでおられると感じます。つまり戸田先生の命は、池田先生の中では、決して断絶することはないでしょう。それは継続的な永遠のつながりです。

池田: マイルス・デイビスさんの自叙伝には、お互いに影響を与え合う関係から、素晴らしい音楽が生まれるとの一節がありますね。
「教え、教えられながら、もっとずっと先に進んでいくんだ」(マイルス・デイビス、クインシー・トループ著、中山康樹訳『マイルス・デイビス自叙伝II』宝島社文庫)と。
 師弟や同志の間に麗しい心が流れ通う時、前途は限りなく洋々と開かれるのです。
 仏法では、「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」(御書900ページ)と明かされています。
 師弟とは、弟子を自分以上の人材にと願う師匠と、何としても応えようとする弟子という相互の真剣の一念から生まれる生命の紐帯です。
 法華経には「在在諸仏土(ざいざいしょぶつど)常与師倶生(じょうよしぐしょう)」と、仏法の師弟の永遠性が説かれています。
 師弟の旅は永遠です。師弟の誓願を果たしゆく挑戦も、永遠に続きます。いよいよ若々しく、魂を燃え上がらせながら!
(2010年12月20日付 聖教新聞)






最終更新日  2010.12.29 00:03:16
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「♪ 魂の人間讃歌 ジャズと人生と仏法を語る」

第7回 真剣勝負が最高峰の証し<上>

わが道を歩み通した人が勝利者 

ハンコック氏 真の芸術家の探究に終わりはない
ショーター氏 偉大な演奏は挑戦と忍耐から


池田SGI会長: 「完全なるものへ、あるが上にも完全へ」――創価の父・牧口常三郎先生の励ましです。
 牧口先生ご自身が、弾圧の獄中にあっても、カントの哲学を精読され、最後の最後まで探究を続けておられた。
 「創価」とは無限の向上です。いついかなる状況にあっても、そこから偉大な価値の創造へ、たゆまず前進し抜いていく生命の息吹です。

ハービー・ハンコック: はい。私たち音楽家も、皆、すべての演奏が自己の最高の演奏であることを望みます。それは、決して終わりのない追求です。

池田: 芸術の道は、果てなき挑戦と創造の連続です。
 有名であろうがなかろうが、人気が出ようが出まいが、真剣に鍛錬(たんれん)し抜いて、その道を歩み通した人は、魂の勝利者です。世の毀誉褒貶(きよほうへん)を超えて、天の喝采に包まれゆく人生です。
 日本でも、世界各国でも、多くの若き芸術家たちが、苦難に挑みながら、精進を続けています。そこで、真摯に芸術を志す青年に代わって伺いたい。
 「良い演奏」「偉大な演奏」とは、どういうものか。そうした演奏を生み出す条件とは、いったい何でしょうか。

ウェイン・ショーター: たくさんの要素がつまったご質問です。先生の問いは、私が今までしたこともない方法で、自問や内省――それは、どのようにして今の自分があり、なぜそのように考える自分がいるのかについての思索――を促してくださいます。
 時に、ステージでアーティストが偉大な演奏をすることがあります。それは、たくさんのレッスンや練習、経験の賜物(たまもの)であると思われています。
 ただ、私が今、強く感じているのは、以前にも増して、音楽を奏でていない日常生活においてさえ、独自に解釈すべき何か特別な素材が与えられているということです。

 ですから毎日の日常生活において、貴重な一瞬一瞬をどう挑戦しているか――これに尽きると思います。池田先生が常々、語られているように、「長く持続的な忍耐」の結果として、偉大な演奏は成し遂げられるのです。

池田: 見事な答えをいただきました。芸術と人生の真髄を突いてくださった。
 「一瞬一瞬の挑戦」そして「長く持続的な忍耐」――あらゆる偉業を成し遂げる要諦(ようてい)が、ここにあります。安逸(あんいつ)の生命からは、偉大な光は生まれません。
 仏法の極理では、「一念(いちねん)に億劫(おくごう)の辛労(しんろう)を尽(つく)せば本来(ほんらい)無作(むさ)の三身(さんじん)念念(ねんねん)に起るなり」(御書790ページ)と説かれます。
 仏といっても、現実からかけ離れた存在ではありません。法のため、人々のため、まさに一瞬一瞬、わが一念に億劫の辛労を尽くして精進していく。その生命にこそ、仏の力も、仏の智慧も、仏の振る舞いも脈動するのです。

ショーター: 深く納得できます。
 私にとって、作曲は大きな闘争です。今、私自身、単に音楽や芸術としての楽曲ではなく、人生そのものに匹敵する作曲に挑んでいます。
 作曲の戦いは、人生におけるさまざまな障害を克服する私の戦いと同時進行です。私にとっての音楽は、感傷や美しさを求めるだけのものではありません――それは、私の葛藤と勝利、難関への抵抗と克服の物語です。
 芸術家としての私の使命は、音楽だけでなく、あらゆるところで“創造しゆく存在”になることです。
 それは、すなわち、「妙法」つまり「生命の不可思議」を探究することに等しいものです。

池田: 歴史を振り返っても、偉大な創造は、恵まれた環境より、苦難との激闘から生まれる場合が多い。
 楽聖ベートーベンは、聴覚を失うという、あまりに厳しい苦悩を突き抜けて、人類に歓喜を贈りゆく数多の名曲を生み出しました。
 ショーターさん、ハンコックさんの音楽も、幾多の試練を勇敢に勝ち越えてこられた生命の勝利の響きです。
 「最高度の芸術は人間性の全体を要求する」(芦津丈夫訳「芸術論」、『ゲーテ全集13』所収、潮出版社)とのゲーテの卓見が思い起こされます。
 ここで、二人の心に残るご自身の演奏について、お聞かせください。

ハンコック: そうですね。演奏旅行に出ると、何夜にもわたって公演するのですが、その中でも特に傑出した演奏が幾つか生まれます。特に忘れられないのは、ウェインと二人で出した「ワン・プラス・ワン」というアルバムの楽曲を演奏した時のことです。

ショーター: あの時の演奏旅行では、シカゴやブエノスアイレスなどを訪れました。私たちは毎晩、違う聴衆を前に演奏の「対話」をしたね。
 こうしてステージで楽器を通しての対話をするように、私は演奏者と現実の生活上の事柄でも対話を重ねています。より個性的、より人間らしくなること――これが、ジャズというものが、実際に目指すものです。

ハンコック: あるステージで、私は完全な自由を感じました。無限のエネルギーが湧き出て、それが、ウェインと彼の演奏に私をしっかり結びつけているかのようでした。まるで2台のロケットのように飛び立ち(笑い)、どんどん音楽が作り上げられました。それが、まさにその時の実感であり、「完璧な対話」のようでした。私が何を演奏し、その後にウェインが何を奏でても、すべての音の間で、すべてが完璧に合致していました。
 私が「完璧」というのは、すべての音が明確かつ正確に奏でられるという意味ではありません。ジャズの醍醐味(だいごみ)は、ミュージシャンが提供し得る最高の高みへと至る過程にあり、それを聴衆も感じるのです。
 音楽を演奏していく中で、あるエネルギーのレベルに達し、そこで、瞬間をとらえ、人々と結びつき、そして音楽家同士の結合の深さが生まれるように思える時があります。これは、音楽家が持つことのできる最も充足感のある体験です。
 私は、それを、池田先生のご執筆やピアノ演奏、写真作品に深く感じます。このような創造の喜びは、仏法では、どう説明できるのでしょうか?

池田: 難しい質問ですね(笑い)。私自身は素人で、同志に喜んでもらえればという一心で、ピアノにも取り組んできただけです。写真も、執務の合間や移動の折々など、限られた時間の中で、一瞬の自然との出あいをカメラに収めてきたものです。
 ですから、答えになるか、わかりませんが、若き日、恩師の事業の苦境を打開するために奔走する中で、命に刻みつけた御金言があります。
 「我(わが)心(こころ)本来(ほんらい)の仏なりと知(し)るを即(すなわ)ち大歓喜(だいかんき)と名(なづ)く所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同788ページ)と。
 たとえ絶体絶命の窮地(きゅうち)に立たされようとも、わが心には、尊極なる仏の生命が厳然と具わっています。この生命の太陽を輝かせていく大歓喜は、何ものにも奪われません。
 それは、ハンコックさんが言われるように、大宇宙の最高のエネルギーの次元と合致して、自他共に智慧と慈悲を力強く広げていける境涯です。
 ショーターさんは、偉大な演奏の源に「長く持続的な忍耐」を見出されました。尊き使命を果たしゆくために、あえて苦難に立ち向かい、生きて生きて生き抜いて、戦って戦って戦い抜く。その中で、湧き起こってくる智慧があります。宇宙の本源的なリズムに則って、尽きることのない価値創造の喜びが込み上げてくるのです。

ショーター: それこそ、池田先生が教えてくださった「法華経の智慧」ですね。一人の人間が、自らの生命力の強さを自覚した時、そこから出てくる智慧です。毎日の生活の困難から逃げないで戦う智慧であり、一時的な出来事によって惑わされない智慧です。きらびやかさや、誘惑、高飛車な態度、大小さまざまな、いじめの世界にも、ぐらつかない智慧です。
 さらにまた、ある対立があった時に、暴力を行使するのではなく、対話で解決するべきだと、互いの生命を目覚めさせていく智慧です。
 今、私が知らない間にも、仏法を実践している192カ国・地域の人々から、こうした智慧が生き生きと現れ出ているに違いありません。

池田: その通りですね。
 智慧は、戦う勇気から生まれる。
 智慧は、友を思う慈悲から生まれる。
 智慧は、不屈の忍耐から生まれる。
 それは、現実の大地を踏みしめて、一日また一日、真剣勝負で生き切る中で、磨かれ、鍛えられていくものでしょう。

ハンコック: マイルス・デイビスも、いつも一瞬一瞬に、自分が提供し得る最高の演奏をしようとしていました。彼は身をもって「一瞬に生きること」を示しました。そして彼は私たちに、聴衆を前に舞台の上で「練習すること」を教えました。その上で、何でもやらせてくれました。他の誰かがやっていることを真似たり、自分の部屋で練習しておいたことをそのまま機械的に演奏することを除けば、何事も「こうしてはいけない」ということはありませんでした。
 マイルスは言いました。
「何かに真剣に取り組んでいる限りは、それこそ、私が君に求めるものなのだ。そのほかのことは一切、心配はいらない。聴衆に好かれるかどうかなん気にするな。ただ何かに真剣に取り組むのだ」と。
 これは、私にとっての、大きな教訓となりました。私は、聞こえを良くするために、外側を甘い砂糖でくるんだり、リボンをつけたりして、完璧な演奏に見せようと苦心する必要はありませんでした。
 たとえ、出てくる音が不器用なものだったとしても、マイルスは、わかってくれたのです。私たちが何かを求める努力をしているのかどうか、を。

池田: 含蓄(がんちく)のある言葉です。体裁がどうかではない。いかなる時も努力と苦労を惜しまぬ自分になれ!――人生の万般に通ずる励ましです。
 創価大学の硬式野球部に、私は指針を贈ったことがあります。
 「心で勝て 次に技で勝て 故に 練習は実戦 実戦は練習」と。
 その通りに、野球を通して、一人一人が、人生と社会で勝つ「心」を鍛えてくれていることが、嬉しい。

ハンコック: 「心で勝て」という指針は、胸に迫ります。
 マイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」という名盤があります。ジャズ史上、記録的な売り上げを残したレコードであり、彼の代表作の一枚に挙げられるでしょう。
 なぜ、そのレコードが素晴らしいのかといえば、最も重要な要素は、「聴く人の命に響いた」ことだと思います。その人と人とを結ぶつながりの深さというものが、演奏の質を決定するのではないでしょうか。

ショーター: 私も、今、自分が取り組んでいる音楽が、聴衆一人一人の目覚めを呼び起こせるものとなるよう願っています。
 偉大な演奏は時代を超えたものであり、その演奏の過程には人類の物語があることでしょう。ともかく私は、「演奏は上手だが、中身のない、見せかけのアーティストである」と言われるような人には、決してなりたくありません。

池田: 真剣勝負の人生は美しい。その精魂が込められたものには、心が揺さぶられます。お二人と一緒に見つめた、日本の最高峰たる富士山も、頂上は常に烈風(れっぷう)に曝(さら)されています。最高峰の創造を目指す人生も同じです。
 戸田先生は言われました。
 「瞬時も戦いを止めないから、神々しいまでに荘厳なのだ」

ハンコック: 時折、芸術家があるレベルに達したら、それが彼らの発展の終着点であるような見方があります。
 しかし真の芸術家には、まさに永遠の生命や、人間の無限の可能性のように、学習し、探究し、成長し、人生のあらゆる側面と結びつく限りない能力があり、そこに終着点はないのです。(下につづく)
(2010年12月18日付 聖教新聞)







最終更新日  2010.12.29 00:02:42
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2010.11.30
「♪ 魂の人間讃歌 ジャズと人生と仏法を語る」 

第6回 生命の歓喜の目覚め<下>

すべては「一人」から始まる

ハンコック氏 信ずるものを表現するのが芸術
ショーター氏 祈りとは自分の慢心との戦い!

池田SGI会長: ブラジルの著名なピアニストで、青年部の音楽指導にも当たってくださっているアマラウ・ビエイラ氏との語らいを思い起こします。ピアノ教育においては、指の器用さなど「技量面の向上」とともに、弾く人の「精神面の成長」こそ重要であると強調されていました。
 また「ド」から「シ」の七つの音階について、「一つ一つ上がっていく音階。それは、あたかも一人の人間が、さまざまな体験を経ながら人生の坂を上っていく姿を思わせます」と語られていました。
 ハンコックさんが奏でるピアノも、限られた鍵盤から、自由自在に、妙なるメロディーが生まれ、不可思議な生命の律動が響きわたります。まさに、音楽とは「生命の語らい」ともいえますね。

ハービー・ハンコック: ピアノ固有の特徴をあげれば、まさにピアノは、オーケストラを一つの楽器にしたようなものだということです。ピアノは、人間の両手の十本の指で八十八の鍵を叩き、さまざまな音や和音を出します。ピアノを弾く時、機械的な仕組みを通じて弾き手の個性が表現されるのは、驚嘆すべきことです。

池田: ところで、これは多くの読者の質問なので、うかがいたい。今でも舞台に立つ時に、緊張して、あがるようなことはありますか(笑い)。

ハンコック: 今では、本番で緊張することはありません。自分のベストを尽くそうという気持ちの方が、強いのです。ニューヨークのカーネギーホールやリンカーンセンター、ロサンゼルスのハリウッドボウルやディズニーホールといった、アメリカを代表する大会場で演奏する時は、ベストを尽くす気持ちが、さらに強くなります。昔のようには緊張しません。自分の演奏に確信をもち、ミスを恐れなくなっています。

池田: 自分を信頼して、恐れを乗り越えていく。ありのままの自分で飾らず、前へ前へと勇敢に進んでいく――人生万般に通じる生き方です。それは、見えないところでの不断の努力があってこそでしょう。

ハンコック: たとえ楽器を使って演奏していても、私は、ミュージシャンである前に、「人間」であることを忘れないようにしています。私が、楽器を手にして聴衆の前に出る時、目の前にいるのは「人間」であり、自分自身も「人間」なのです。ミュージシャンとしてではなく、一人の「人間」として聴衆に接するべきなのです。
 この仏法に巡り合うまでは、そうは考えませんでした。あるがままの一人の人間としての自分を表現することよりも、一人のミュージシャンとして、「どんな演奏をするか」ということばかりに、心が向いていたのです。

 今はこう思います。演奏者が心にかけるのは、ただ一つ、「ジャズが真に伝えるべきものは何か、自分が心から信じるものを、どう表現するか」だけである、と。 ジャズが、真に伝えるべきものは、音楽そのものに関することではなく、「人間の精神」に関することなのです。

ウェイン・ショーター: 同感です。私はステージに上がる前の準備として、勤行をするようにしています。そして、いつも自分に言い聞かせます。「何事も感謝を忘れて、当たり前だと思ってはならない」「こうして勤行ができるのも当然と思ってはいけない」「聴衆がいるのは当然だなどと思ってはならない」「これからやるのは、単なる音楽演奏ではない。コンサート以上のことをするのだ」と。

 偉大なジャズドラマーで、バンドリーダーだったアート・ブレイキーは語っていました。「たった一人でも座席にいたら、決してステージを立ち去ってはならない。たった一人しかいないのだから、とびっきりリラックスして、その一人を心に思い描いて、自分にとって、これが、その一人のための最後の瞬間と思って演奏するのだ」

池田: 学会精神も同じです。どこまでも「一人のために」です。
   それが、仏法の人間主義の真髄です。
 戸田先生は、「一対一の膝詰め談判によって、広宣流布は成し遂げられる」と宣言し、一対一の対話、そして少人数の座談会を最重視されました。人が集まらなくても、「いいよ、いいよ。しんみりやろうよ」と笑われながら、その場の一人一人とじっくり語り合われた。すべては「一人」の人間革命から始まるからです。その一人から一人へと、生命の歓喜の目覚めが広がり、拡大の波動は広がっていったのです。
 釈尊が悟りを開いた後に行った初めての説法は、旧友五人への数日間に及ぶ対話であったと伝えられます。法華経方便品では、舎利弗に「汝が為めに説くべし」と告げています。仏法では、仏が法を説く相手である「対告衆」も、極めて重要な存在です。

ハンコック: 音楽のコンサートでも、聴衆が重要な役割を演じています。聴衆と演奏者に分け隔てはありません。演奏会場にいる人全員が同じ経験を共有し、誰もが同じ感動を経験するのです。
 私たちが演奏を終え、ステージから立ち去ろうとすると、聴衆の誰かが、「君たちの演奏は素晴らしかった!」と讃えてくれることがあります。私が「あなた方も素晴らしいのですよ」と言うと、聴衆は一様に「いや、我々は何もしていないよ」と答えるのです。
 仏法者として、また演奏家として、演奏に対する私の価値観が変わったことに気づきました。演奏は、私だけのため、つまり、自らの喜びや自分の意気を高めるためだけにするのではない、と考え始めました。演奏は確かに楽しいし、意気を高めてもくれる。だが、聴衆それぞれが自分自身の素晴らしさに気づくために演奏することの方が、私にとって、より重要だと思えるようになりました。
 そんなある日、コンサートの後に、楽団員の一人が、「化粧室でこんな会話を耳にしたよ」と言ってきました。二人の男がやって来て、「今夜の演奏は凄かったね」「ああ、自分がすっかり生まれ変わったような気持ちだよ」と話し合っていたというのです。それを聞いて私は、まさに「勝った!」と思いました。そのために私は祈っているのですから。

ショーター: 私も、ハービーと同じように、聴衆に一種の“目覚め”をもたらす演奏であるように願っています。ステージでは、いつも、聴衆が人間としての“目覚め”を生み出す触発となる演奏を目指しています。

池田: 高邁な心に感動しました。
 仏がこの世に出現したのは、なぜか。法華経では、「衆生に仏の智慧を開かせるため」と説かれています。
 仏法は万人に開かれた民衆宗教です。わが心にも、人々の心にも尊極の仏の生命が具わっている。このことに目覚め、皆を幸福にするために大地から躍り出るのが、地涌の菩薩です。
 私は、この“大いなる人間の目覚め”を、こう歌いました。

 地よりか涌きたる
 我なれば 我なれば
 この世で果たさん 使命あり

この「人間革命」の誉れ高き歓喜の舞を、さらに楽しく賑やかに広げていきましょう!
(2010年11月28日付 聖教新聞)








最終更新日  2010.12.29 00:01:51
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「♪ 魂の人間讃歌 ジャズと人生と仏法を語る」

第6回 生命の歓喜の目覚め<上-2>


人生は人間革命するためにある
ハンコック氏 音楽は人格 音から心が聴こえる

池田: ハンコックさんの「学びたい」「上達したい」という自発の力が目覚めていくように、忍耐強く流れを作ってくれたのですね。ハンコックさんも、ショーターさんも、偉大な人間教育の母に育まれました。

ハンコック: ええ。母が私に受けさせてくれたのは、クラシック音楽のレッスンでした。
  そこでは最初に、身体を痛めないよう、また、力強く、より正確に指を使えるよう、ピアノに対する正しい座り方、正しい両手の置き方などを教えられました。 年齢につれて背中とか首、指とか腕に問題を抱える音楽家もいますが、私は、少年時代に受けた基本的な指導のおかげで、そうした問題で悩んだことは一度もあ りません。
 また、クラシック音楽の基礎によって、私は楽曲中の緊張感の高まりと緩和や、音楽を彩る多くの重要な特性についての感覚を培うことができました。これは、今なお学び続けている事柄です。
 母は正しかったですね。母が、私にクラシック音楽の教育を受けさせる決断をしてくれたおかげで、実に多くのものを得ることができたと思います。

池田: 「母に感謝する心」と「基本を大切にする心」は、人間が大きく羽ばたくための二つの翼といってよいでしょう。 
 両親の愛情や兄姉の励ましに包まれて、ハンコックさんが早くから才能を開花させ、11歳で「シカゴ交響楽団」と共演したことも有名です。

ハンコック: 当時、シカゴには「若者のコンサートシリーズ」という演奏会がありました。楽器ごとのそれぞれのオーディションの入賞者に、「シカゴ交響楽団」と一緒に演奏するチャンスが与えられたのです。  このコンテストに入賞したわけですが、交響楽団との演奏の当日は、とても緊張しました。シカゴの「オーケストラ・ホール」(「シカゴ・シンフォニーセン ター」)という大舞台で演奏するのですから。まだ背の低い、小さな少年だった私は、足がピアノのペダルに届くのがやっとでした(笑い)。演奏した曲目は、 モーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」の第1楽章でした。

池田: モーツァルトといえば、民音音楽博物館には、ハンコックさんに 寄贈していただいたピアノとともに、モーツァルトが愛用した古典ピアノと同型の「アントン・ワルター」も展示されています。私が親しく語り合ったブラジル の大詩人であり、人権の闘士でもあるチアゴ・デ・メロ氏も、自らを奮い立たせる時は、モーツァルトを聴かれるそうです。
 そのモーツァルトが、煌びやかな技巧にのみこだわる音楽家を「一介の機械にすぎない」と厳しく断じたことはよく知られる逸話です(吉田秀和著『モーツァルトの手紙』講談社)。
 確かに同じ楽器、同じ曲でも、演奏者のいかなる魂の響きが込められているか。それが、技巧を超えて、感動を伝える不思議な力になりますね。

ハンコック: おっしゃる通りです。
  サックス奏者についても、ただ楽器を演奏していて、私たちが、ただそれを聞いている場合も少なくありません。ウェイン・ショーターがサックスを演奏する時 は、私たちは、サックスを聴いているのではありません。ウェインその人を聴いているのです。サックスは、あくまでもウェインその人を聴く媒体となります。 それは、単に演奏されたサックスの音を聴くのとは、まったく違うのです。演奏者が楽器を超越する時、その楽器は演奏者自身の声を発するのです。

ショー ター: ありがとう! サックスの発明者アドルフ・サックスは言いました。「私が発明したこのサックスは、人間の声、バイオリンの音、金管楽器、木管楽器 がすべて溶け合い、複合的な音を出すのです。この新しい楽器には、いわばオーケストラのすべての音が盛り込まれているのです」と。
 サックスは、単に人間の声を真似ただけでなく、さまざまな音を複合的に出します。吹奏楽器の音色はとても複雑で、多面的です。それは、未来のメッセージを運んでくるかのような音色です。
 サックスは、ある種の神秘的な意味で私の友人です。演奏する時、私は、サックスと溶け合い、一体化しています。これは、人間が人と知り合い、友人として溶け合うことと、よく似ています。

池 田: 含蓄深い言葉です。仏法には「境智の二法」という法門があります。敷衍して申し上げれば、「境」とは外にある一切の対象、「智」とは対象の本質を照 らし出す人間自身の智慧です。この「境」と「智」が一体になると説くのです。それを、今のお話に即して言えば、サックスが「境」、そのサックスから妙なる 音色を紡ぎ出すショーターさんの心は「智」です。ショーターさんの磨き上げた心が、サックスという楽器の深遠な泉と融合し、尽きることのない音を流れ通わ せているともいえるでしょう。

ハンコック: ウェインのサックスからは、時にはフレンチ・ホルンの音、チェロの音、バイオリンの音が聞こ え、時にはオーケストラ全体の音が聞こえます。しかし、最も肝心なことは、聴き手は、そこにウェインの心を聴くのです。感じるのです。私は、これが究極の 楽器演奏だと思います。そこでは、楽器が、演奏者と、楽器から生まれる表現とを切り離すことはなく、すべてが渾然一体になっているのです。

池田: 「心を聴く」とは、いい表現です。聴衆もまた、演奏者の心の深さを聴き取りながら、心を深めていくことができます。中国の古典(礼記)にも「楽は徳の華なり」と記され、壮麗なる音楽の響きに、偉大な人間性の開花を見出していました。

ショー ター: その通りだと思います。ジャズの演奏で難しいのは「創造的」「独創的」であることと、単純なストーリーを、多種多彩な形で表現することです。その ために、私たちは、ジャズを通して、音楽表現の法則をさまざまなレベルで理解していくことができます。そして、私たちは、人生の法則の本質とは何かを、よ り強く肌身で感ずることができるのです。モダンジャズの演奏は、より「人間的」になるための努力でもあります。
 モダンジャズの創始者の一人であるチャーリー・パーカーが、サックスを演奏するのを聴いた時、皆がびっくりしました。その音色は、まるで、多くの小鳥が自由を求めて鳥かごを打ち破り、大空へ飛び立つような音だったのです。彼のニックネームは「バード(鳥)」でした。

池田: 妙法の音律の力を鳥に譬えられた御書の一節を思い起こします。
 「譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(557ページ)

 妙法の音声は、自分自身の内なる尊極の生命を解き放つとともに、宇宙に遍在するあらゆる善性を解き放っていく響きです。
 民衆が互いに生命を高め合いながら、生きる喜びの連帯を現実の社会に広げていくのが、広宣流布の文化運動です。妙法の音楽家には、その陣頭に躍り出て、生命尊厳の妙音を奏でていく偉大な使命があるのです。
 お二人は、その模範を堂々と示されています。

ハンコック: ありがとうございます。師匠から、このような評価の言葉をいただくと、何よりも勇気づけられます。私たちは、生命の尊厳を守る文化活動に、世界の芸術部の同志と共に尽力していきます。(下につづく)
(2010年12月27日付 聖教新聞)






最終更新日  2010.12.29 00:01:18
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「♪ 魂の人間讃歌   ジャズと人生と仏法を語る」

第6回 生命の歓喜の目覚め<上>

ショーター氏 創造とは自己流から一流への挑戦

ハービー・ハンコック: 池田先生、小説『人間革命』と『新・人間革命』の連載6000回、誠におめでとうございます! 毎日毎日、全世界の友の心に、惜しみなく希望と勇気のメッセージを発信してくださり、いくら感謝してもし尽くせません。

ウェイン・ショーター: 世界の同志と共に、深く感謝申し上げます。
 本当にありがとうございます!
 実は、私も、青年時代から『人間革命』のタイトルを心に留めておりました。かつて、入会する前のことですが、日本へ演奏で行った際、ホテルの書架で、最初に目に入った本が『ザ・ヒューマン・レボリューション』(『人間革命』の英語版)だったのです。
 その時は必要に迫られて、隣にあった「漢字の書き方」の本を手にとったのですが(笑い)、『人間革命』というタイトルは、なぜか深く記憶に残りました。とても鮮烈で印象に残るものがありました。

池田SGI会長: 仏法の哲理に基づく「人間革命」を提唱されたのは、私の恩師・戸田城聖先生です。戸田先生は軍国主義と戦い、2年間、投獄されました。その大難を勝ち越えて「人間革命」の哲学を確立されたのです。
 歴史上、青年を犠牲にし、民衆を失望させた革命が、あまりにも多かった。そうではなく、一人一人が自他共に生命の尊厳に目覚め、万人が幸福勝利の劇を飾っていけるのが、「人間革命」です。
 今、「人間革命」が、21世紀の世界の確かな思潮となってきたことは、弟子として、この上ない喜びです。
 お二人をはじめ、「スーパーサウンズ」の皆さんが、ニューヨークで「人間革命の歌」をジャズの極致の編曲で演奏してくださったことも懐かしい(1996年六月、世界青年平和文化祭)。
 芸術も人生も、一日また一日、生まれ変わった生命の息吹で、新たな創造を成し遂げていく。これが「人間革命」です。

ショーター: 一般に我々男性は、30代で自分の型にはまりがちだといわれます(笑い)。傲慢や不遜ゆえに、他人の言うことを真摯に受け入れられないのです。特に、生き方や人生観が異なる場合は、なおさらです。そうした頑固な考え方により、自己流の生き方から抜け出せなくなるのです。
 でも、私は40歳になる直前に、この仏法について多くのことを学び始めました。ギリシャ神話のプロメテウスが鎖につながれたように、知らぬ間に、巧妙で、目には見えない、さまざまな束縛の鎖につながれている自分に気づきました。そして自分の心を開き、「人間革命」への挑戦を開始したのです。

池田: 30代、40代で成長が止まってしまうかどうか。大きな分岐点です。そうした時に自分自身の人生をさらに加速し、いよいよ上昇させていける力が、この信心なのです。
 日蓮大聖人は、門下一同に、「権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切って仏果を遂げしめ給え」(御書177ページ)と教えられました。
「人間革命」を勝ち開く宝剣は、恐れなき勇気です。鎖を断ち切る勇気です。
 ところで今年は、ポーランドが生んだ「ピアノの詩人」ショパンの生誕二百周年にあたります。試練に苦しむ祖国の民衆のために、音楽を武器として戦った文化の英雄です。今、日本各地で反響を広げている「ポーランドの至宝」展(東京富士美術館の企画・協力)でも、ショパンの直筆文書などが展示されています。このショパンが、ピアノの才能を発揮し始めたのは、6、7歳のころ。ハンコックさんがピアノのレッスンを受け始めたのも、同じ年代でしたね。

ハンコック: 7歳の誕生日に母よりピアノをプレゼントしてもらってから、数カ月後だったと記憶しています。
 この1947年は、池田先生が、19歳で仏法に巡り合われて、信仰を始められた年でしたね。
 兄と姉と私で、3人揃ってピアノのレッスンを受け始めました。兄と姉は数年後にやめ、私だけがレッスンを続けました。楽器の選択においては、私がピアノを選んだというより、ピアノが私を選んでくれたといったほうがいいかもしれません(笑い)。
 私が弾き続けた大きな動機――それは、ピアノ演奏なら兄にもひけをとらなかったからです。私は、兄姉や彼らの友人たちよりも上手に演奏できるとは思いませんでしたが、演奏の上達のためには、誰よりも熱心に取り組もうと思いました。

ショーター: 小さい時は、ピアノより、外で他の子どもたちと遊びたいと思ったことはなかったかい?

ハンコック: もちろん、あったよ(笑い)。一時期、ずるをして、練習をさぼったこともありました。それで、とうとう母が「ハービー、いいですか。レッスンが嫌なら、もうやめさせますよ。続けたいのなら、しっかり練習に励みなさい。すべてはあなた次第ですよ」と言ったのです。私は練習したくなかったので、母に「いいよ、やめさせたって」と答えました。母は「わかりました」と、レッスンをやめさせました。
 でも1年ほどたった時、私はたまらず「ピアノをもう一度習わせて! しっかり練習するから」と頼みました。レッスンのない日々が、さびしくてならなかったのです。母は、もう1度チャンスを与えてくれ、レッスンを受けられるようになったのです。私は自身を“調律”して(笑い)、すっかり態度を改めたのです。(上-2につづく)








最終更新日  2010.12.29 00:00:40
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2010.11.22
ジャズと人生と仏法を語る

第5回 学ぶ心 育てる心

名ドラマーが音楽隊・鼓笛隊に「心で打て! 心が心を打つのだ」
音楽の師が若きハンコック氏に「自分の誠実と真剣さを信じろ」

ショーター: ありがとうございます。ブレイキーの演奏こそ、人々を元気づけるものでした。最初に日本を訪問した時、私たちが頻繁に耳にしたのは、「オリジナリティー(独創性)とはどういうものですか」「モダンジャズとはどんなものですか」という質問でした。ブレイキーはいつも、「心で演奏することだ」と答えていました。
 「ジャズの演奏は、クリニカル(分析的・客観的)に考えたり、アカデミック(学問的)に考えてはいけない。クリニカルに演奏するな! 分析や客観にはストーリー(物語)がない。君の心をさらけ出すのだ! 君の心にあるのは何だ? それを吐き出すのだ!」「ステージでは聴衆をごまかすな。楽器の陰に隠れるな。トランペットの陰に隠れるな!」――ブレイキーのこの言葉は、音楽だけでなく、人生万般に通じる言葉だと思います。

ハンコック: 「心で演奏する」――私も若いころ、マイルス・デイビスから、この点を鍛えられました。
 マイルスは「拍手ばかり求めて演奏するやつは、バンドから解雇するぞ」と言うのです。「技巧をひけらかす演奏や、聴衆を幻惑するような演奏はするな。聴衆におもねるな。聴衆の人質になるな。拍手喝采だけを求めるのは、卑怯な演奏である。自らを恃む強さを持て。それがあれば、自分を内面から支える芯ができるのだ」――これが、私がマイルスのバンドで受けた訓練でした。自分の演奏への確信を持つこと。それが演奏への正しい取り組みです。しかし、彼が最も強く求めたものは、誠実さと真剣さでした。

池田: まさしく、「一流」に共通する「一念」の構えが、ここにあります。
 「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)。これは、仏法の一つの重大な結論です。
 この一節は、日蓮大聖人が、試練と戦う弟子の四条金吾に贈られました。
 金吾は、武術に優れ、医術の心得も深かった。重々そのことを御存知の上で、この御文の前の部分では、兵法を極め、知略を尽くした武将であっても、最後は敗れた歴史の事例が挙げられております。
 いかなる道であれ、実力も、技術も、知識も、戦略も、もちろん大切である。人に倍する努力も大事だ。しかし、より一重深く、人生の幸不幸を決定するのは、心です。相手を生命の奥底から感動させ、揺り動かすのも、心です。勝負を決しゆく究極の力は、心なのです。
 この心というものを、いかに正し、律していくか。いかに磨き、賢くしていくか。いかに高め、強くしていくか。そのためには、わが心を、偉大な法則に融合させ、偉大な師匠に合致させゆく努力が、絶対に不可欠なのです。

ハンコック: 本当に、そうですね。仏法の実践でも、音楽の練習でも、「心こそ大切なれ」はキーワードです。

 音楽の練習ではまず「音階」(スケール)を練習し、旋律の「進行」(モーション)へと進みます。問題は、どこへ向かうかです。また、練習は何のためにするのか、その根底が大切です。
 単に自分が偉くなるとか、栄誉を勝ち取るためではありません。それはひとえに、自分にできることを他の人たちと共有し、他の人たちに尽くすためなのです。それができるのは、わが心のチャンネル(回路)を閉ざさずに、開放する時だと、私は信じています。

池田: 信心も同じ道理です。よき師、よき同志と共に進もう。よき友情を築こう。共に勝利の人生を歩もう。この「異体同心」の前進の中にこそ、限りなき自他共の歓喜の成長がある。
 ブレイキーさんの「音楽教室」でも、最後に美しきドラマが生まれました。音楽隊・鼓笛隊の参加者全員が、ブレイキーさんに心からの感謝を込めて、合唱を捧げたのです。すると、ブレイキーさんは、肩をふるわせ、感泣されたと伺いました。
 巨匠と青年の「心」と「心」が、深く強く共鳴し合った瞬間でした。

ショーター: その通りです。その時、ブレイキーは、「日本の本当の姿を見た。日本は、僕の故郷だ」と言ったそうです。なぜ彼がそう言ったのか、私にもよく理解できます。ブレイキーはおそらく、どんな国へ行っても、私たちに同じことを教えたはずです。「君たちにとって、この国は外国ではない。君たちの故郷なのだよ」――そう彼は教え諭していたのです。

池田: 音楽は、世界市民の共通語です。国境の壁を軽々と飛び越え、皆の心を一つの家族に結び合わせます。文化交流、芸術交流の素晴らしさです。
 二十一世紀のグローバル化は、物理的な距離の消滅から、さらに心の距離の消滅へと進んでいかねばなりません。五十年前に世界への平和旅を開始して以来、私は国や民族、イデオロギーを超え、心を結ぶ対話の行動を続けてきました。
 SGI発足の際は、芳名録の国籍の欄に「世界」と記しました。仏法は、国家の枠を超えた普遍的な人間主義の宗教だからです。だからこそ、多彩な文化や習慣を尊重し、互いに学び合うことを心がけてきました。

ショーター: 半世紀にわたり、世界を結び、人材を育ててくださった池田先生の大闘争に、感謝申し上げます。
 弟子の成長を祈り、喜んでくださる師匠ほど、有り難いものはありません。
 一九六三年のことでした。リハーサルの最中に、突然、電話が鳴りました。ブレイキーはドラムを叩いていました。トランペット奏者のリー・モーガンが電話に出て、大声で私に言いました。
 「ウェイン、マイルスからだぞ!」
 電話に出ると、マイルス・デイビスが、私に彼のバンドに入るよう申し入れてきたのです。私がマイルスとの話を終えると、ブレイキーは、「彼は、サックス奏者を、僕のバンドから横取りしようとしている!」と叫びました(笑い)。
 でも、ブレイキーは陰では、あの偉大なマイルスが電話をかけてきたことを誇りに思っていました。というのは、いったん、マイルス・デイビスのバンドに入れば、音楽と人生の使命を果たせる指導者のレベルまで“進級”することは必然であることを、ブレイキーは知っていたからです。

ハンコック: ジャズのハートは、商業的な価値ではありません。人間の心臓に酸素がなくてはならないように、ジャズに重要なのは使命感です。
 ブレイキーは、ジャズ音楽の存続がいかに重要であるか、その使命を痛感していたのです。

池田: まさに、偉大な「メッセンジャー(使命を伝える人)」の人生でしたね。
 日本語の「使命」は「命を使う」と書きます。かけがえのない命を使い、果たしていくのが「使命」です。
 私は、草創期の高等部に、「使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びる」との指針を贈りました。
 尊き使命を果たすために、学び、祈り、戦い続ける春夏秋冬の中で、わが生命それ自体が輝きを増す。妙なる楽器のように、平和と幸福の調べを奏でていける。お二人は、その至高の手本です。
 四十五年前、ブレイキーさんから、「心で打つ」という音楽の極意を学んだ音楽隊・鼓笛隊の使命の友も、今や円熟の壮年・婦人のリーダーとなり、多くの青年を励まし、育ててくれています。

 仏法には、「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(同1190ページ)と説かれます。

 昨日より今日、今日より明日へ! 勇気の音律を轟かせながら、新たな開拓に挑みたい。
 そこにこそ、「人間革命」の偉大なる光で、次の世代を照らしていく太陽が昇るからです。(つづく)
(2010年 11月13日日付 聖教新聞)






最終更新日  2010.11.22 18:12:47
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