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晴ればれとBlog

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ジャズと人生と仏法を語る(全15回・完)

2010.11.22
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♪ 魂の人間讃歌    ジャズと人生と仏法を語る

第5回 学ぶ心 育てる心

青年を励ませば青年の生命に
SGI会長 一流になるには一流に触れよ

池田SGI会長: 音楽は、若者の心に「磨きをかける」――。こう洞察していたのは、アメリカの民衆詩人ホイットマンです。彼は語っております。
 「よい音楽とは、確かに、他のどんな影響力にもそなわっていない方法で魂の微妙な琴線に触れる」(溝口健二著『「草の葉」以前のホイットマン』開文社出版)
 青春は、永遠に開拓です。永遠に挑戦です。永遠に創造です。その勇気を奮い立たせてくれる力こそ、音楽ではないでしょうか。
 師と仰ぐ戸田先生のもと、私たちも青年時代、常に決意の歌声と共に、新たな使命の闘争へ走り抜きました。
 音楽には、惰性や停滞を打ち破り、生命を躍進させゆく響きがあります。

ウェイン・ショーター: そうですね。
 ジャズは、自己を表現する挑戦の音楽です。今の瞬間への挑戦の音楽です。ジャズの精神は進化し続けています。池田先生が言われる通り、その進化の中心になるのは、青年です。

ハービー・ハンコック: ウェインも、私も、池田先生に続き、青年を育てていきたいと念願しています。
 今の世の中では、若い人たちは、自身の自由闊達な世界を開拓することを、周りからあまり勧められません。うまくいく仕事だけを見つけるよう、奨励されているのです。
 青年は、型にはまらないで、彼ら自身が関心を寄せる、別の事柄、別の新たな方向性を探求していくべきなのですが、そのための励ましを受けることはないのです。今、私は、若い人たちの開拓精神を鼓舞するため、できる限りのことをしたいと思っています。これは、心からの願いです。

池田: まったく同感です。
 「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)です。今この時、青年が、どれほど快活に開拓精神を燃え上がらせるか。どれほど勇敢に創造的生命を発揮していくか。そこに人類の文明の未来が託されているといっても、過言ではないでしょう。
 その先頭を、世界の創価の青年たちが、欣喜雀躍と進んでいます。わが音楽隊や鼓笛隊、合唱団の友の奏でる旋律は、新時代へ前進しゆく行進曲です。
 この秋には、音楽隊の代表が、吹奏楽の全国大会に出場しました。
 創価グロリア吹奏楽団が「金賞」の栄冠に輝いたのをはじめ、関西吹奏楽団、創価中部サウンド吹奏楽団、北海道吹奏楽団が「銀賞」を受賞するなど、強豪がしのぎを削る大舞台で、堂々たる勇気と希望の音律を響かせました。

ハンコック: 素晴らしいですね!
ショーター: 音楽隊・鼓笛隊といえば、私たちを育ててくれたドラマーのアート・ブレイキーを思い出します。
 私は一九六一年に「ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」という彼のバンドの一員として日本を訪れました。ブレイキーも私も初めての訪日で、それ以来、ブレイキーはすっかり日本の人々が好きになりました。一九六五年に再度、訪日した時には、私は既にブレイキーのバンドを離れていましたが、彼が創価の音楽隊・鼓笛隊に演奏技術を教える機会があったと聞いています。

池田: 不思議なご縁です。アート・ブレイキーさんは、日本に一大ジャズブームを起こした名奏者の一人ですね。
 この年(一九六五年)、ブレイキーさんたちは、創立して一年余りの民主音楽協会(民音)の招聘に応え、東京と熊本で公演してくれました。当時の関係者によると、大変な人気で、前売りには三倍以上もの申し込みがあったそうです。
 私が民音を創立した時、周囲は、なかなか理解できなかった。反対の声もありました。いまだかつてない、民衆の音楽運動でしたから、まさに「建設は死闘」でした。その無名の民音の草創期に、快く力を貸してくださったブレイキーさんたちの御恩は、決して忘れておりません。 
 お陰さまで、民音は今、百三カ国・地域へ海外交流を広げ、日本国内での公演の鑑賞者も、累計で一億一千万人を突破するに至りました。
ショーターさん、ハンコックさんにも、重ねて御礼を申し上げます。

ショーター: こちらこそ感謝いたします。アート・ブレイキーは、ジャズ音楽の存続が極めて重要であり、私たちには伝えるべきメッセージ(使命)があると、痛感しておりました。

池田: バンド名の「メッセンジャーズ」には、「使命を伝える人」との意義が感じられますね。

ショーター: ですから、海外巡業で飛行機に乗っていて、機体が激しく揺れたりすると、ブレイキーは、よく言ったものです。「諸君、心配することはないぞ。われわれには使命があるんだ!」(笑い)。

ハンコック: ブレイキーらしいですね。彼をはじめ、真の意味で息が長く、亡くなった後も伝説的な存在と輝く音楽家たちは、皆、逆境を乗り越えて何度も蘇った人たちです。ブレイキーの音楽隊・鼓笛隊へのレッスンは、どのような経緯で実現したのですか?

池田: それは、鼓笛隊のメンバーが、直接、「演奏の仕方を教えてください」と願い出たのです。東京での公演の直後、代表が楽屋を訪問したようです。いきなり、ぶしつけだったかもしれません(笑い)。しかし、ブレイキーさんは、彼女たちのまっすぐな向上への情熱を、大きく深く受けとめてくださったのです。
 実は、鼓笛隊の結成(一九五六年)当初から、私はよく「一流から教わるんだよ」と激励をしていました。それは、戸田先生の教えでもありました。
 一流のものに触れることは、自分が一流になる第一歩です。より高きものに学ぶ心が、飛躍への鍵となります。
 私が、世界の一流の識者との会談に、青年を同席させてきたのも、その意味からです。当然、礼儀やマナーをわきまえた上で、青年は一流の世界に積極果敢にぶつかっていくことです。「教えてください」「学ばせてください」――この求道の姿勢が、人生を開くからです。

ショーター: ブレイキーの人柄を考えれば、鼓笛隊の乙女たちに会った時、知らんぷりをすることなど、とてもできなかったのでしょう。彼は思ったに違いありません。「この乙女たちはどう育っていくのだろう」「将来、どんな立派な人生を送ることだろう」と。

ハンコック: ブレイキーは、いつも若い音楽家に、チャンスを与えようとしていました。いつもながらの演奏でよしとしているミュージシャンではなく、特に、向上心ある若手ミュージシャンに対しては、必ずしも彼と一緒に演奏しているメンバーでなくとも、彼はとりわけ熱心でした。
 探究心のある若手を、常に育成しようとしていたのです。ですから彼は、鼓笛隊メンバーの熱心さに、心打たれたのでしょう。

池田: 一流の人格には、「学ぶ心」とともに「育てる心」が光っているものです。
 ブレイキーさんは、無名の音楽家を一流に育てる名人だった。ゆえに彼のバンドは「大学」と謳われましたね。
 青年を励ます人には、自らも青年の生命が脈打ちます。青年を大切にする団体にこそ、未来が開かれます。

 戸田先生は言われました。
 「論語に『後生畏るべし』という言葉がある。君たちは『後生』だから、先生である私より偉くなれ」
 青年には、自分以上の使命があると信じてくださったのです。

ショーター: ブレイキーも、語っておりました。「われわれにはリーダーが必要なのだ。君たちは皆、やがて僕のバンドを去る時、リーダーになっていなければならない」と。

池田: ブレイキーさんは、特別レッスンをすぐ行ってくれました。鼓笛隊の依頼から八日後。民音主催の「音楽教室」として実現したのです(一月二十六日、港区の虎ノ門ホール)。
 公演でお疲れであったにもかかわらず、音楽隊・鼓笛隊の熱心な姿に感激され、全身から汗を噴き出しながら、ドラムの打ち方、シンバルの鳴らし方、マラカスの振り方等々、一つ一つ教えてくださったのです。

ショーター: ブレイキーは、鼓笛隊や音楽隊が創価学会の団体であることは知らなかったと思いますが、青年の情熱に応えようと、そのように情熱的に対応していたのだと思います。

池田: ありがたいことです。当時、七百人ほどの参加者の中には、氏がどれほど著名であるかを、よく知らないメンバーもいたかもしれません。
 しかし、情熱的な指導に圧倒され、皆、夢中でレッスンについていきました。「会場全体が、一つの心臓になったように鼓動した」と振り返る友もおります。
 なかんずく、参加者の胸に刻まれたのは、「形式や、型で打つのではない。心で打つのだ!」という魂のアドバイスでした。

ハンコック: ブレイキーは、技巧に走らないことで有名でした。
 彼の演奏には、基本的な要素が幾つも備わっています。それは、単純な要素ともいえます。しかし、聴衆は、彼の演奏に飽きることがありません。その演奏は、人々の気分を高揚させるのです。
 まさに「心」で打ち、「心」を打っていました。

池田: 「みんな一日のつらい仕事を終えて音楽を聴きにやってくる」「そういう人々を幸せな気分にするのが、私の仕事だ」――このブレイキーさんの心意気は、ショーターさんとハンコックさんにも、受け継がれていますね。
(2につづく)






最終更新日  2010.11.22 18:11:53
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2010.10.25
♪ 魂の人間讃歌    ジャズと人生と仏法を語る

第4回 失敗は終わりではない


池田: ハンコックさんご自身が、その達人の境地を勇敢に開いてこられたことも、よくわかります。
 ところで、ウェイン青年が、最初に手にした楽器は何でしたか?

ショーター: クラリネットです。当時、父が聴き入っていた音楽の中で、有名なバンド・リーダーのベニー・グッドマンやアーティ・ショウは、クラリネット奏者でした。グレン・ミラー楽団も、後にクラリネットを加えました。どの楽団も、クラリネットが加わると、音色がすっかり変わって、ロマンチックな音になったのです。そこからあの有名な「イン・ザ・ムード」も生まれました。
 街の大きな楽器店の前を通りかかる時、いつも横目でクラリネットを眺めては、通り過ぎました。私はクラリネットを、あたかも「人間」のように感じていました。

池田: 私が創価学会の音楽隊を手作りで結成したのは、1954年のことです。皆が反対でした。戸田城聖先生だけが、「大作がやるんだったら、やりたまえ!」と理解してくださった。私はお金を工面して楽器を贈りました。その時の楽器の中にも、クラリネットがあったと記憶します。
 名奏者だったべニー・グッドマンは、世界的に人気を博しましたね。文化大王として名高いタイのプーミポン国王が、若き日、グッドマンと共演された歴史もうかがっています。
 日本でクラリネットの名曲といえば、「鈴懸(すずかけ)の径(みち)」が有名です。以前、横須賀(よこすか)の友が「文化音楽祭」で披露してくれたことも懐かしい。わが創価学園や創価大学の友も、クラリネットの名演奏を聴かせてくれます。
       
ショーター: そうでしたか。ダミーコ先生は、クラシック音楽の講義で、こう語ったことがありました。
 「クラリネットは、いわば木管楽器部門のバイオリンである。いや、さらに上空を飛翔(ひしょう)する楽器なのだ」
 私にとってクラリネットは、スーパーマンのようでした(笑い)。
 私は母と祖母にねだり、ついにクラリネットを手に入れました。
 その楽器店の店主は、オーケストラの楽団長で、この方から楽譜の読み方や楽器への指の当て方など、演奏の初歩を教えてもらいました。

ハンコック: ウェインのことだから、夢中で練習したのでしょう?

ショーター: もちろん! 毎日、平均して6時間は練習したよ。

池田: やはり努力こそ力です。身近な先生を見つけ、その門を叩いて、基本を一歩一歩、学んでいったことも、大成への礎となりましたね。
 ところでショーターさんは、高校卒業後、まず、お父さんの勤めるミシン工場で働かれましたね。

ショーター: ええ。もうこれ以上、学校に行く必要はないと考え、父の職場であるミシン工場で働きました。
 1年間働いて、お金を貯めました。
 1年経った年の暮れのこと、あることに気がつきました。“できあがったミシンは工場から出ていくのに、それを作る自分はいつまでも工場に居残っている。私もどう進んでいくかを真剣に考えないといけない”と。
 私は母に言いました。「ニューヨーク大学の入学試験を受けてみたい」
 入試を終えて、大学のホールを歩いていた時、自分が進むべき人生の方向が、いくつか思い浮かびました。
 高校の歴史の教師は「君は歴史を専攻しなさい」と勧めてくれましたし、ニューヨーク大学に入学した後も、哲学の教授が哲学専攻を勧めてくれたことがありました。しかし、大学では、何をするにせよ、決めるのは自分自身です。結局、私は、音楽の道を選んだのです。
        
ハンコック: 自分で自分の人生を決める。これは、ウェインの演奏スタイルを彷彿(ほうふつ)させます。音楽の道を選び、大学に進学したことを、両親も喜ばれたでしょう。

ショーター: ええ。私には両親を喜ばせたいという願いがありました。特に、母の喜ぶ顔を見たかった。
 当時、父も母も、昼と夜、二つの仕事をかけもちして働いていました。2人とも、夜はダウンタウンでビル清掃の仕事をしていたのです。

池田: 苦労されているご両親を、何としても喜ばせたい──その心が、ショーターさん自身の人生を大きく開いたのではないでしょうか。
 御書には、「聖賢(せいけん)の二類(にるい)は孝(こう)の家よりいでたり何(いか)に況(いわん)や仏法を学せん人・知恩報恩(ちおんほうおん)なかるべしや」(同192ページ)と説かれております。とともに、「母を喜ばせたい」「人を喜ばせたい」という心──これこそ真の芸術の原点ではないでしょうか。芸術の道とは、最高の人間の道だからです。

ショーター: ありがとうございます。私は親だけでなく、自分自身も「喜ばせる」必要がありました。それは進歩、前進、向上の喜びです。池田先生がおっしゃる通り、私はそれを親孝行を通じ実現できたのです。
 私は音楽の道を選択することで、単に生活のために働くのではなく、それ以上の目標へ向かいました。それは私にとって新しい挑戦でした。
        
池田: 若い時から、自分の希望通りの進路を歩める青年は少ない。とくに、今は雇用の問題も深刻です。思いもよらぬ仕事をしなければならないことも多々あるでしょう。
 しかし、戸田先生は青年によく言われました。「まず、自分の今の職場で全力をあげて頑張ることだ。『なくてはならない人』になることだ」と。そこから、必ず道は開かれるのです。

 仏法では、「人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(御書1598ページ)という譬(たと)えがあります。自分だけのことを考えて悶々(もんもん)としていても、力は発揮できません。
 青年ならば、親孝行のため、職場の発展のため、友の幸福のため、そして、新しい平和と文化の創造のために、皆と力を合わせて、若き生命を思い切り燃焼させていくことです。そこに前途を照らす光が生まれます。

 ショーターさんは本年、ヤンキースタジアムに2万5千人が集って行われた母校ニューヨーク大学の卒業式で、晴れの名誉博士号を贈られました。
 受章に際し、後輩たちを励まされ、「失敗は終わりではない」と。この味わい深い言葉に、私は続けたい。「それは、次の勝利の始まりである」

ハンコック: ウェインと私は、いつも仲間たちに、人生にはコラボレーション(共同作業)の機会がたくさんあると語っています。
 池田先生は、SGIのメンバーであると否とを問わず、世界中の人と対話を重ね、平和の連帯を広げてこられました。誰にも使命があり、どんな人も、その人にしかできない貢献をすることができるのです。
 私たちは、仏法を基調とする社会・文化運動である広宣流布にとって、一人残らず必要な存在です。人々がこの事実に目覚める時、真に平和で豊かな社会建設のプロセスが始まると思うのです。(つづく)
2010年10月23日付 聖教新聞






最終更新日  2010.10.25 13:48:15
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♪ 魂の人間讃歌  ジャズと人生と仏法を語る

第4回 失敗は終わりではない

苦しみも楽しみに変えられる


池田大作SGI会長
音楽は「若き心の戦友」「戦う魂の盟友」
ジャズピアニスト ハービー・ハンコック氏
人生は自他共のコラボレーション
ジャズサックス奏者 ウェイン・ショーター氏
進歩、前進、向上の喜びを分かち合う


池田: 20年前の10月、人権の大英雄マンデラ氏を、私は多くの青年たちの歌声とともに熱烈に歓迎しました。氏は、ご自身の長き獄中闘争(ごくちゅうとうそう)が、この?剌(はつらつ)たる若人の熱唱で報(むく)われたとまで、喜んでくださいました。
 音楽は、若き心の戦友であり、戦う魂の盟友です。
 音楽を携えて前進しゆく青春は、皆に快活な勇気と希望を贈ります。
 音楽隊や鼓笛隊、また合唱団などで健闘す友も、この鼎談(ていだん)を楽しみにしてくれています。今回は、その若き読者から寄せられた質問「二人の音楽との出あい」からうかがいます。

ハンコック: 「音楽との出あい」となると、いつのことでしたか……遠い昔なので、なかなか思い出せません(笑い)。ただ幼いころ、わが家では母が、子どもにクラシック音楽を聴かせることを決めていました。わが家には常に音楽がありました。これは、アフリカ系アメリカ人社会独特の文化的傾向であったと思います。

池田: 音楽は、母からの贈り物だった──。ハービー少年にピアノを買ってくれたのも、お母さんのウィニーさんでしたね。ピアノが好きなことを見通して、大変な家計の中、お父さんを動かし(笑い)、7歳の誕生日にプレゼントしてくれた。
 お母さんは、ハービーさんをはじめ、3人のお子さん方を全員、大学へも進学させてくれましたね。

ハンコック: そうです。どうして母に、そんな芸当ができたか、いまだにわかりません。奇跡としか言いようがないんです。母は、私たちのために、一生懸命に、やりくりしてくれました。
       
池田: どんな貴婦人よりも尊い姿です。母たちの戦いは、まさしく「奇跡」の物語そのものですね。
 日蓮大聖人は、「母の御恩(ごおん)の事 殊(こと)に心肝(しんかん)に染(そ)みて貴(とうと)くをぼへ候」(御書1398ページ)と仰せです。
 ハンコックさんやショーターさんたちが、世界の婦人部のために、「母」の曲を劇的に演奏してくださったことがありましたね(2002年5月)。
 私と妻は、皆さんの偉大な母上を偲(しの)びながら、聴かせていただきました。
 ショーターさんが誕生されたのは、1933年。大恐慌から立ち上がるアメリカ市民の息吹を体現したかのように、ジャズが人気を博し、世界的にも広がっていく時代に育ちましたね。

ショーター: わが家でも、父が仕事から帰宅すると、いつもラジオから流れる音楽の演奏を聴いていました。私自身は小さいころから、絵を描くのは好きでしたが、音楽には、それほど興味はありませんでした。

池田: ウェイン少年の絵は、地元の美術コンテストで1位に輝き、新聞で紹介されたこともあったそうですね。高校でも、美術を専攻されたと聞きました。音楽の道を歩み始めたのは、いつ、どのように?

ショーター: アメリカで一番古い芸術専門の公立高校に学びました。私が音楽に出あったと言えるのは、この高校の2年生の時です。15歳でした。
 当時、興味のない授業の時は、学校に行かないこともありました。なぜなら、映画館へ行くほうが面白くなっていたのです(笑い)。
 街には数軒の映画館がありました。そこでは毎日、映画の幕間(まくあい)にジャズ演奏などのステージショーを上演します。有名なジミー・ドーシー楽団やディジー・ガレスピー楽団も、この劇場で演奏していました。この音楽に私はすっかり魅了(みりょう)されてしまったのです。学校を休む言い訳に、ニセの診断書を作ったこともあります。実在しない医師の名を書き、両親の名前も使いました。

ハンコック: 今の真面目なウェインからは想像できないね!(爆笑)

ショーター: ある日、私が教室にいると校内放送が鳴り響きました。
 「ウェイン・ショーター、ただちに副校長室へ来なさい!」と。
 副校長室に一歩入ると驚きました。そこに父と母がいたからです。私は、恥ずかしくて真っ赤になりました。
 副校長のミズ・ハミルトンが「なぜ、ずる休みをしたの? 授業をサボってどこへ行っていたの?」と尋ねました。
 私は、ハミルトン先生と両親に、映画館に行っていたことを告白しました。「あそこでは、音楽ショーも上演していますね。あなたは、あのショーが好きなの?」と彼女は言いました。私がそうだと答えると、ハミルトン先生は受話器を取り、アキレス・ダミーコという先生を呼び出しました。
 ダミーコ先生が入ってくると、ハミルトン先生は「ダミーコ先生は、大変、規律に厳しい人で、わが校の音楽部長です。厳しい罰則を加える前に、訓練のために、あなたを、この先生のクラスに入れることにしました」と言うのです。そして「あなたのご両親はとても素晴らしいので、学校側としてはできるだけ、ご両親の意向に沿いたいのですよ」とつけ加えました。
       
池田: 両親は、ショーターさんを信じて、愛情深く見守っておられたのですね。その親心を察するとともに、両親に申し訳ないと反省するショーターさんの心を汲んで、学校の先生は新しいチャンスを開いてくださった。
 私も、創価学園の草創期、進級が危ぶまれていた何人かの高校生と面談したことがあります。彼らは“創立者が成績不振の生徒と会う”と聞かされていたようで、気まずそうな顔で部屋に入ってきました(笑い)。
 「緊張する必要はないよ。叱(しか)るために会ったんじゃないからね。ぼくは、君たちを勇気づけたいだけなんだ」
 私がこう語ると、皆、安堵(あんど)の表情を浮かべました(笑い)。それから一人一人の状況を丁寧(ていねい)に聞いていったのです。「先生。勉強、頑張ります!」と決意する学園生もいました。若き生命は本来、伸びようとしている。その伸びゆく命を心から愛し、信じて応援するのが大人の役目です。後年、この生徒たちの中から大学教授も出た。皆、立派になりました。創立者として、これ以上、嬉しいことはありません。

ショーター: 私も両親と先生方に本当に感謝しています。最初の授業で、ダミーコ先生はモーツァルトについて語り、交響曲第40番の1小節をピアノで弾きました。そして「どんな音楽にも主題があり、その主題への回答が続いていく。どの文章にも主語と述語があるように」と語りました。
 しかし、生徒が授業の秩序を乱すようなことがあると、彼は「今は私が話しているのだ!」と言い、手に持った黒板消しを投げつけるのです。私は内心、“これは楽しい授業だ!”と喜びました(笑い)。ダミーコ先生は生徒の間で評判の教師でした。

池田: 私たちの先師である牧口常三郎先生は、“教育は、生命という無上の宝珠を対象とする最高至難の技術であり、芸術である”と言われました。人を育てることは、絶妙な心の芸術であり、究極の創造です。
 お2人のジャズの大先輩であるマイルス・デイビスさんも、多くの青年を実演の中で育てられましたね。

ハンコック: ええ。マイルスとの共演中、私はミスとしか言いようのない音を出してしまったことがあります。すると、その瞬間、マイルスは、私のミスを何とも素晴らしい和音に変えてくれたのです。まさに魔術師の技でした。あまりの驚きに、私は数秒間、身動きもできませんでした。
 マイルスは、私の演奏を「批判」しなかったのです。「さて、このミスをどう利用してやろうか」と考えたのでした。こうした一瞬の機転もまた、仏法で説かれる「変毒為薬(へんどくいやく)」に通ずるのではないでしょうか。
       
池田: 見事な手本ですね。アメリカの経済学者レスター・サロー博士と会談した折、博士は米国のベンチャー企業が幾度かの失敗を乗り越えて成功していることに触れ、日本再生の鍵(かぎ)として「もっと『失敗に寛容な社会』にならなくては」と提言されていました。挑戦しなければ、失敗もないかわりに創造もない。失敗こそ「創造の母」です。だから「勇気」が大切なのです。
 「勇気」の一念を炎と燃やせば、自他共に必ずすべてを活発な向上と創造のエネルギーヘ転じられます。

ハンコック: 深く理解できます。
 ジャズにおいては、演奏者が、自分として限界まで才能を開発し尽くし、それ以上、前に進めないという試練に突き当たることがあります。その時、「信頼」の境地を開くことによって、突破口が開けるのです。マイルス・デイビスや、ウェイン・ショーターがそうです。その境地は、もはや「批判」など恐れない、超越した境地です。
 そこでは、演奏者は、自身を深く「信頼」し、他の演奏者を「信頼」します。仲間がミスを犯したと気づいても、それを逆手にとって、価値あるものに変えてみせるのです。この「信頼」に必要なものも「勇気」ですね。(2につづく)

 







最終更新日  2010.10.25 13:47:08
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第3回 生命尊厳の響き



池田: 万人の心を打つジャズの即興性や独特のリズムは、まさに、戦って戦って戦い抜いてきた無名の英雄たちからの宝の贈り物ですね。
 日蓮大聖人は、命に及ぶ竜の口の法難の頸(くび)の座(ざ)にあって、お供した愛弟子の四条金吾に、「これほどの悦(よろこ)びをば・わらへかし」(御書914ページ)と悠然(ゆうぜん)と仰せになられました。
 何ものにも負けない。絶望しない。一切を変毒為薬(へんどくいやく)しながら、歓喜の中の大歓喜の生命の讃歌を謳(うた)い上げていく。これが仏法の真髄(しんずい)です。
 ともあれ大切なのは、何があろうとも、心が善の方向へ、太陽の方向へ向かっていることです。希望の調べ、勇気の曲を奏でながら、前へ前へと進んでいくことです。その人こそ、偉大な精神の王者です。
 そして、人々の心を善の方向へ、太陽の方向へと向けていくことが、私たちの戦いです。
 半世紀前のアメリカの人権闘争においても、歌が人々の心に、勝利への太陽を昇らせました。「ウィ・シャル・オーバーカム(我らは勝利する)」も、その一曲ですね。公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスさんをアメリカ創価大学にお迎えした際には、皆で大合唱して歓迎しました(1993年1月)。

ハンコック: ジャズ・ミュージシャンのなかには、公民権運動で活動した人も多くいます。また、公民権運動の心を謳い上げた曲も数多くあります。例えば、チャールズ・ミンガスは、「フォーバス知事の寓話」という曲を作曲しました。

ショーター: 黒人女性歌手のビリー・ホリデイが歌った「奇妙な果実」もあります。あの有名な一節「ポプラの木に吊されている奇妙な果実」は、人々の記憶に残りました。

ハンコック: これは、黒人へのむごいリンチを歌った歌です。
 私自身も「ザ・プリズナー(囚われ人)」という曲を作曲しました。この曲名には“公民権運動で囚われた人たち”と“人間の生命が虜にされること”という二重の意味を込めました。

池田: 1969年、すなわち公民権運動の大指導者キング博士が暗殺の悲劇に遭われた翌年に発表された作品だそうですね。
 私も若き日、大阪で無実の罪で投獄されました。一切の矢面に立って恩師をお守りするとともに、人間の生命を虜にする権力の魔性との断固たる戦いを、獄中で決意しました。
 キング博士の葬儀で、ハンコックさんが演奏されているジャズの名曲が流れたことも、忘れ得ぬ歴史です。

ハンコック: 公民権運動には、数多くのジャズ・ミュージシャンが、さまざまな形でメッセージを送っています。人種差別への抗議をあからさまに描いた作品もあります。差別なき未来への希望を描いた曲もあります。
 この運動への人々の励ましや支援を心から願い、それを表現した曲もあります。
 こうして、いわゆる公民権運動時代には、多種多様なジャズ音楽が生まれました。1960年代のジャズは、誰の心にも深い印象を残しています。
 私自身、演奏家としての道を進みながら、同時に公民権運動に進むべきかどうかを、思い悩みました。事実、各種の行進に参加した音楽家も数多くいます。けれども、私は演奏活動があまりにも多忙であったために、行進には参加できなかったのです。しかし、心はいつもそこにありました。
 実は最近、キング博士の盟友であったビンセント・ハーディング博士から著作を頂きました。博士も先生と対談されていますが、私たちのジャズ鼎談(ていだん)が開始されることを知り、大切な著作を贈ってくれたのです。先生との対談が結ぶ魂の交流に、感動を覚えます。

池田: ハーディング博士は、「公民権運動」を「民主主義を拡大する運動」との名称で呼びたいと主張されていました。その運動は、世代から世代へと受け継ぎ、拡大していくべきものだからです。
 また、ハーディング博士は、歌が人々に与える「励ましの力」が、いかに大きいかを語っておられました。
 「人々は、しばしば大変危険な状況にあって『私は恐れない』と歌いました。彼らは、『恐れていない』と歌っていたのではありません。
 実際、しばしば恐怖に身を震(ふる)わせていたからです。しかし、彼らは『恐怖心に征服(せいふく)されない』『我々は克服(こくふく)しなければならない。恐怖に我々を止めさせはしない』と歌っていたのです」「多くの人々にとって、歌なしには、運動で遭遇した多くの困難を耐え抜くことはできなかったでしょう」と。
 まさに今も変わらぬ心で、人々に勇気と希望を贈る二人の音楽活動こそ、この魂を継承する「民主主義の行進」であると確信しています。

ショーター: ありがとうございます。以前、韓国のラジオ局からインタビューを受けた折、若いアナウンサーが驚いていました。「あなたは50年も世界中でジャズを演奏しています。さらに続けることは、肉体的に可能でしょうか」と(笑い)。
 私は答えました。「どこへでも行きますよ。人々の心にインスピレーションを与える使命があるかぎり、そして、私の生命の続くかぎり」と。
 これが、池田先生の弟子である私とハービーの魂です。
        
池田: 嬉しいですね。
 黒人文化を宣揚(せんよう)した大詩人ジェイムズ・ウェルドン・ジョンソンが、1900年、戸田先生の生誕の年に発表した詩が、私は大好きです。

 「ことごとくの声をあげてうたえ
   天地が鳴りひびくまで
   自由の旋律にあわせて
       鳴りひびくまで」
 「生まれたばかりの
      新しいわれらの日の
   昇る太陽に顔をむけ
   勝利をこの手にするまで
       行進し続けよう」

 すべての人間が等しく尊厳(そんげん)を謳歌(おうか)していく「生命の世紀」に向かって、共々に前進していきましょう! 自由の旋律を轟かせて! 
(2010年10月9日付 聖教新聞)






最終更新日  2010.10.25 13:45:07
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 ♪ 魂の人間讃歌  ジャズと人生と仏法を語る

第3回 生命尊厳の響き

万人の心を太陽の方向へ!


池田大作SGI会長
文化は人間を絶望から救う闘争
ジャズピアニスト ハービー・ハンコック氏
精神の力は苦難をも歓喜の詩に
ジャズサックス奏者 ウェイン・ショーター氏
諦めより意欲を蘇らせる演奏を

 万人の心を太陽の方向へ


池田: 音楽は心を結ぶ。命を開きます。音楽ほど、いかなる差異(さい)も瞬時(しゅんじ)に超えて、魂(たましい)の一体感を生み出し、互いに高め合っていけるものはないでしょう。
 世界最高峰のバイオリニストのメニューイン氏とお会いした折、アフリカの大地での思い出が話題になりました。氏は、離れた丘と丘の間で、太鼓の音が交互にこだましているのを聞いた。それは、仲の良い友だち同士が交わす、夜のあいさつだったというのです。音楽に脈打つ「結合の力」は、なんとロマン豊かに、なんと自在闊達(じざいかったつ)に、生命と生命の共鳴(きょうめい)を広げていくものでしょうか。
 アメリカ生まれのメニューイン氏は、ジャズとの共演も行ってこられましたね。氏は言われておりました。
 「音楽はどんなにたいへんな時代でも、なんとか私たちを力づけようと、繰り返し繰り返し励ましの言葉をかけてくれる。深い根底から発した音楽であればなおさらである」

ハンコック: 音楽は「生命の尊厳」を歌う活動です。歌は詩をともなう音楽です。人間の言葉は、自分の思いを表現する手段です。人々は、その手段を使って、人間の尊厳を守る働きができます。音楽は言葉よりも、さらに自由です。何ものにも妨(さまた)げられませんから、言葉を超えた働きができます。言葉に国境があっても、音楽には国境がありません。

ショーター: 私も、国境を超えた音楽の力を実感しています。
 昨年、国務省とロサンゼルス市長からの依頼で、メキシコのグアダラハラに行ったのです。当時、不安定な社会状況が続いており、多少の不安もありましたが、多くの聴衆が「君たちの演奏のおかけで、みんなが楽しい気持ちになったよ」と喜んでくれました。
 若い人が多く、アンコールは5回にも及びました。私たちを招待することを企画した女性の顔も誇らしげでした。「この文化交流の企画は正しく、素晴らしかった」という自負が、彼女の表情から、ありありとうかがえました。

池田: グアダラハラですか! 懐かしいです。私も1981年に訪問しました。グアダラハラ大学では、「メキシコの詩心」をテーマに講演をしました。メキシコは、わが師・戸田城聖先生が「行ってみたいな」と夢見ていた国なのです。
 ともあれ、ジャズを「国境も時の流れも知らない音楽」(ナット・ヘントフ著、藤永康政訳『アメリカ、自由の名のもとに』岩波書店)と表現した作家がいました。
 ジャズには国を超え、世代を超えて、魂を結び合い、奮い立たせずにはおかない大きさがあり、深さがあります。

ショーター: 私は、時には人々の心の奥底に訴え、諦(あきら)め失(うしな)いかけた希望や意欲を取り戻させ、時には人々が抱く未知への恐れを取り除き、時には不測の事態に対処する方法を提示する──そんな演奏を挑戦目標にしています。
 この文化的な覚醒(かくせい)作業は、着実に進めていくべきものです。私が心に刻む格言は「急がば回れ」です(笑い)。一人一人にしっかりした認識を与えることが、やがて大衆を動かすことにも通じると思うのです。
 同じことは、文化間の交流にもいえます。他の文化に触れ合うことで、人々は、さまざまな異なる観点や生活様式が存在することを学ぶのです。それによって、今日の世界には通用しない、旧来の杓子定規(しゃくしじょうぎ)で偏狭(へんきょう)な文化観を克服でき、異文化間の理解がもたらされるのだと思います。

池田: 実践者だからこその卓見(たっけん)です。文化交流は地道です。しかし、幅広く多元的に、粘り強く持続的に積み重ねていくなかで、平和と創造の大河が必ず流れ始める。このことを、民音(民主音楽協会)の活動を通じ、私も強く実感してきました。
 民音は、この10月で創立より47周年。交流は103力国・地域を数えるまでになりました。
 東京・信濃町の民音音楽博物館には、ハンコックさんが、30年以上にわたり愛用されてきた、宝の中の宝のグランドピアノを展示させていただいております。苦楽を共にされ、数多の名曲を紡ぎ出してこられた、尊い尊い戦友ともいうべきピアノです。大好きな宝器を手元から放されることは、どれほど深い真心の決断であったか。私たちは、心で涙し拝受いたしました。
 今、ハンコックさんの分身の如く、世界中からの来館者の胸に、大いなる感動と喜びを奏でてくれています。永遠性の命を帯びた至宝です。

ハンコック: 池田先生のご配慮に感謝します。このピアノの寄贈を通して、私自身、素晴らしい経験をさせていただきました。
 私も、公的な活動として、外交上の緊張関係にある国で演奏会を行う機会があります。しかし、目の前の聴衆の顔が見る見る変わって、国家間の緊張など、どこかへ吹き飛んでしまうのです。ジャズに聴き入る人たちの顔には、もはや疑念(ぎねん)などありません。聴衆の気持ちの高ぶりが直(じか)に感じられるのは、まさにそんな時です。

池田: 偉大な文化大使、平和大使の貢献です。お二人は、毀誉褒貶(きよほうへん)を超越して、信念の行動を貫き通してこられた。本物です。ゆえに、人々の魂を揺り動かす響きがあるのです。
 仏法では、「賢人(けんじん)は、八風(はっぷう)といって八種の風に侵(おか)されない人を、賢人というのである。八風とは、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)である。そのおおよその意味するところは、世間的利益があっても喜ばず、それを失っても嘆かないなどということである。この八風に侵されない人を、必ず諸天善神(しょてんぜんじん)は守られるのである」(御書1151ページ、通解)と説かれております。不動の賢人こそが、最後に勝つのです。

ハンコック: ありがとうございます。ジャズは、黒人が経験した苦難・苦悩から生まれた創造的な音楽です。
 奴隷(どれい)として連れてこられたアフリカ系アメリカ人たちは、古来のさまざまな伝統から分断されました。その音楽は演奏を禁じられ、その宗教は信仰を禁じられ、その言語は会話を禁じられました。学校へ行くことも、学ぶことも許されなかったのです。ある黒人の少女──確かソジャーナ・トゥルースだったと思います──が本を読もうとしたら殴られたという話もあります。
 子どものころ、父が私を一軒の家に連れて行き、一人の老人に会わせてくれました。「この人は昔、奴隷だったのだ」と。その折、かつて奴隷所有者から文法的に正しい英語を話すことさえ認められなかったこと、「お前たちは無知のままでいいのだ」と怒鳴りつけられたことを聞きました。

池田: お父さんの重大な教育でしたね。学ぶことは、人間の尊厳の証しです。かけがえのない権利です。それを踏みにじってきたところにも、奴隷制の残酷さが表れています。
 戦争も貧困も、子どもたちから学ぶ機会を奪い取ります。第2次世界大戦を経験した私たちの世代は、それを嫌というほど味わってきました。だからこそ、若い人たちが思う存分に学べる、平和で豊かな社会をと願い、私は教育の道を開いてきたのです。
 創価学会の「創価」とは「価値の創造」であり、「学会」は「学ぶ会」です。幸福の価値、平和の価値、文化の価値を創造しゆく「学の光」を、世界の民衆が共に輝かせていく連帯です。
        
ハンコック: アフリカ系アメリカ人は、奴隷制によって、身にまとった装飾品こそ、はぎ取られましたが、その心臓部は切り取られませんでした。これは、特筆すべきことです。そこからブルース、ゴスペルが生まれ、さらにジャズが生まれていきました。
 そして、このアフリカ系アメリカ人の経験から生まれたジャズは、すぐに白人によっても演奏され始めたのです。これはつまり、ジャズとは、人間の生命を詩的に表現する音楽であるということです。どんな苦難をも詩的に表現してしまう人間の精神力。ジャズのリズムは、あらゆる人間の心を揺さぶるリズムなのです。

ショーター: そういう意味では、ジャズ発生のプロセスは、すでに奴隷制が現れる以前からあったのではないでしょうか。一民族の言語を奪うなど、あらゆる時代にあらゆる「奴隷化」がありました。
 私は、映画「ジュラシック・パーク」の「あらゆる生命は必ず生きる道を見出す」というセリフを思い起こします。どんな奴隷化に晒(さら)されようとも、創造のプロセスは、必ず別の表現の方法を見つけ出すものです。

池田: その通りです。それこそが、挑戦と応戦、また試練と成長、そして苦難と創造という、深遠にしてダイナミックな生命の法則です。
 生命は、安閑(あんかん)とした順境で飛躍するものではありません。個人であれ、団体であれ、民族であれ、文明であれ、極限の圧迫を耐え抜き、はね返していく戦いのなかで、真の生命の躍進が成し遂げられる。逆境に立ち向かい、苦難を乗り越えた負けじ魂には、誇り高き勝鬨(かちどき)が轟(とどろ)きます。その象徴の魂の讃歌が、ジャズではないでしょうか。

ショーター: 先生がメニューイン氏と語り合われたように、奴隷であったアフリカ系アメリカ人たちもまた、リズムに合わせて拍子を取り、それを暗号にして、互いにニュースや出来事を知らせ合いました。
 とりわけ緊急時には、農場で働く仲間同士で暗号を送り、連絡を取り合いました。ダンスをしたり、娯楽に打ち興じたりしている時でも、彼らの間では、奴隷主たちが気づかないうちに、合図が送られていたのです。
 そうした技術が洗練されて、芸術的な技巧を生み出していきました。
 たとえば、タップ(軽い叩き)は複雑なドラムの技巧を生み出しました。また、教会で歌われるゴスペルの音律や構造に改訂が加えられ、やがて、教会を離れて一般の人々の間に浸透し、新しい音楽の一部となりました。
 アフリカ系アメリカ人のミュージシャンたちは、自分たちにも音楽の才能があることに気づきました。彼らは歌手となって歌い、楽器を手にとって演奏し、音符を書いて作曲をしました。そしてジャズが生まれたのです。(2につづく) (2010年10月9日付 聖教新聞)

 







最終更新日  2010.10.25 13:44:23
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2010.09.19
♪ 魂の人間讃歌 ♪ ジャズと人生と仏法を語る

第2回 出会いの共鳴

ショーター: 池田先生が、アメリカ芸術部のメンバーと語り合ってくださったことも、私は忘れません(2002年5月)。
 そこには、ハービーをはじめ、俳優のパトリック・ダフィー、フルート奏者のネスター・トーレス、ギタリストのラリー・コリエル、トランペッターのシュンゾウ・オオノ、スパニッシュダンサーのオリベラ夫妻など、皆、同席していました。
 あの時、先生は私たちに「信頼」の大切さを教えてくださったのです。
「自分と一緒に仕事をする人たちを信頼し、互いを信頼し合うことが大切である」 ── そう言われました。

ハンコック: そうです。ICAPはあの時、先生のもとから前進を開始したのです。

池田: 仲の良い、呼吸の合った結合でしたね。皆、超一流の実力と人格を併せ持った方々です。創大記念講堂での本部幹部会の時でした。本当に美事な演奏をしてくれました。大病を乗り越え、夫人とともに再び舞台に立たれたオリベラさんの「勝利の舞」も、皆の命に鮮烈に刻まれています。

ショーター: 先生は重ねて「皆、急ぐ必要はないんだよ。結果ばかり追わずに、『心こそ大切』で、信頼し合っていきなさい」と言われました。

ハンコック: 先生が、その点を強調されたことを、私もよく覚えています。池田先生がおっしゃるように、自己を信頼し、他の人々を信頼できるようになることが大切だと思います。
 私は、ジャズの演奏の中でも、また即興の瞬間でも、この「信頼」が重要な役割を果たしていることを痛感しています。相手を「信頼」できなければ、とうてい、ステージに立つことなどできませんから(笑い)。
 あの時、先生は奥様に、「これで全部、必要なことは言ったかな?言い残したことはないね」と念を押されました。奥様は「いいえ、何にもありません。もう十分言われましたよ」と微笑まれました(笑い)。

池田: 皆、世界の最高峰の芸術家です。皆さんには、本当のことを言っておきたかった。私の大切な大切な友人ですから。宝の兄弟ですから。

ハンコック: これまでの日本訪問の経験に照らして、私は、(本部幹部会での)先生との会見は一定の形式に沿ったものになるだろうと考えていました。しかし、勇気を奮ってあえて申し上げるならば、先生は、そうした形式には、まったくとらわれない方といえましょう。
 先生の自由闊達さ。人間的な温かみ。先生はどこか一国の文化には縛られません。そしてどんな挑戦目標も、全力で成し遂げておられます。その行動はパイオニア・スピリット(開拓者精神)に満ちています。
 そこで引き合いに出したいのが、形式にとらわれないアメリカ人の生き方です。時には度を過ぎた規則破りをすることもありますが……(笑い)。
これがアメリカ人の特質であり、パイオニア・スピリットです。
 その特質がどこから来るのか ── アメリカには広大な国土があります。そして、もちろん先住民もおります。とともに国民のほとんどが、移民か移民の子孫たちです。私たちの祖先は、地球の全域からきているのです。

池田: 私はアメリカの人々が大好きです。明るくて、自由で、陽気でユーモアがあり、親切で、よく働く。私は、「よきアメリカ人」即「よき世界市民」に、一つの理想的な人間像を見出しています。そして、自分自身もまた、そうありたいと願ってきました。
 初代会長の牧口常三郎先生も、いち早くアメリカに脈打つ人間主義に注目しておられた。
 1903年に発刊された『人生地理学』で、人類はもはや軍事や政治、経済の競争ではなく、「人道的竸争」へと進むべきであると展望されていました。個人にあっても、国際関係にあっても、“その目的を、利己主義にのみおかず、自己とともに他の生活をも保護し、増進させていく。他のために行動し、他を益しつつ、自己も益する方法を選ぶ”ことを提唱されたのです。
 そして牧口先生がその人道の競争の担い手として期待していたのは、アメリカでした。先生は“将来の文明の統合・結合の地は、アメリカ合衆国である”と展望したのです。
 そこで育(はぐく)まれたジャズは、まさしく偉大な世界市民の魂の音楽です。
 創立80周年の佳節を彩る、新たなアメリカ・ルネサンスの開拓者との語らいを、牧口先生も喜び見守ってくださっていることでしょう。(つづく)
2010年9月18日付 聖教新聞






最終更新日  2010.09.20 17:08:38
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 ♪ 魂の人間讃歌 ♪ ジャズと人生と仏法を語る

第2回 出会いの共鳴
 
創価学会インタナショナル 池田大作会長
ジャズサックス奏者    ウェイン・ショーター氏
ジャズピアニスト     ハービー・ハンコック氏

池田: 嬉しいことに、ショーターさん、ハンコックさんたちに続き、アメリカ青年部も立派に成長してくれています。この夏の全米各地での青年文化祭も大成功でした。思えば、ハンコックさんとの初めての出会いも、アメリカのサンディエゴで行われた文化祭の折でしたね。

ハンコック: おっしゃる通りです。1974年のビューティフルな春4月、私は34歳になる直前でした。この時、先生は「また会おう」と再会を約してくださったのです。

池田: そうでした。涼やかな目に希望が光る青年でした。その後、ゆっくりとお会いできたのは、夏の東京でしたね。

ハンコック: はい。同じ年の7月、わがバンド「ヘッド・ハンターズ」の訪日コンサートの折でした。先生が、学会本部の近くにある和食のお店に招待してくださったのです。私たちは、先生にお会いできることに、興奮し、緊張していました。実は皆、“堅苦しい会見”を予想していたのです(笑い)。ところが先生には少しも形式張ったところがなく、堅苦しさは微塵もありませんでした。

池田: いや、私は江戸っ子ですから、もともと堅苦しいのは大嫌いなんです。仏法は「本有無作(ほんぬむさ)」です。ありのままの人間性で光っていくことです。日本で、3ヵ月ぶりにお会いでき、バンドの皆さんやご家族とも、親しく懇談したことが懐かしい。

ハンコック: 先生は、その場にいた私たち全員に、こまやかに心を配ってくださいました。心から歓迎し、一人残らず楽しい時間を過ごせるようにとの、深いご配慮を感じました。気が付くと先生は、エプロンを着けておられたのです。驚きました(笑い)。自らの手で料理を出してくださったのです。その振る舞いは本当に温かく、慈愛あふれるものでした。

池田: よく覚えていますね(笑い)。皆さんは同志です。家族です。尊い仏様です。海外から日本に来ることが、どれほど大変か。私は常に一期一会の思いでお迎えしています。
 法華経には「当(まさ)に起(た)って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」とあります。日蓮大聖人は、これこそ法華経の「最上第一の相伝」と教えておられます。

ハンコック: あの日、お疲れのはずだったのに、先生は私たち全員に激励の言葉まで揮毫して贈ってくださいました! 今も大切に宝としています。
 そこには、こうありました。「世界中の人びとの友であり 私の兄弟であり そしてジャズ界の大勝利者に生涯にわたって栄光あれと祈りつつ わが友ハービー・ハンコック様」。息ができなくなるほど感動し、強い力で、心がしっかりつかまれたように感じました。

池田: 私の心にも、未来への大いなる希望が高鳴りました。
 法華経に登場する妙音(みょうおん)菩薩は、行くところ、向かうところ、「百千の天楽(てんがく)は、鼓(く)せざるに自(おのずか)ら鳴る」と説かれています。
 お二人との語らいは、それ自体が妙なる調べのように、私の心に響いて離れません。ショーターさんとの忘れ得ぬ出会いも、同じく1974年の4月でしたね。

ショーター: その通りです。池田先生が講演のために訪問された、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のキャンパスでした(「二十一世紀への提言」と題し、1時間15分にわたり講演)。
 先生は、講演を終えたばかりで、たくさんの人々の間を歩いてこられました。その時、アメリカSGIの友人と、今は亡き妻アナ・マリアが、人込みの中から私を先生の方に押し出してくれたのです。

池田: そうでしたね。アナ・マリアさんのことも、深く心に刻まれております。聡明な奥様でした。偉大な母であり、気高い女性でした。あのお姿は、私たち夫婦の胸に焼きついています。アナ・マリアさんも、この鼎談(ていだん)をきっと喜んでくださっていることでしょう。あらためて妻とともに、懇(ねんご)ろに追善させていただきました。

ショーター: ありがとうこざいます。妻を亡くした時、先生が「苦難が深いほど、人生の真価は輝くのです。どうか人間の王者として生き抜いてください」と励ましてくださったことを、私は一生涯忘れません。

池田: その通りに、「人間の王者」として堂々と勝ち抜いてこられました。一番深い悲しみに耐え抜かれたことが、一番深い奥様への愛情の証しです。 苦しみ、悲しみを味わった人間でなければ、悩んでいる人の真の味方にはなれません。ショーターさんは試練を乗り越えて、世界中の人を勇気づける音楽を奏でてこられました。アナ・マリアさんに捧げる最高無上の勝利です。また、ショーターさんが、今、新しいご家族とともに、仲睦まじくお元気に活躍されていることも、本当に嬉しい限りです。
 1974年、UCLAでの講演は、海外での初めての大学講演でした。日本時間で4月2日、奇(く)しくも戸田城聖先生の祥月(しょうつき)命日です。
 生涯、海外に行かれなかった恩師に代わり、そして恩師に捧げる思いで講演しました。
  この講演では、人類が抱える諸課題の解決には、戸田先生が一貫して弘められた「生命尊厳の思想」を全人類が等しく分かち持つことが急務と訴えました。さらに72年から2年越しに行ったトインビー博士との対談も踏まえつつ、仏法の生命論を展開しました。
「小我(しょうが)」に翻弄(ほんろう)された文明から「大我(たいが)」に基づく文明への転換こそ時代の要請であると強調したのです。二十一世紀を「生命の世紀」にと提唱したのも、この時です。
 以来、モスクワ大学、北京大学、フランス学士院、そしてハーバード大学等、海外の大学・学術機関での講演は、32回を数えます。その原点は、ショーターさんとお会いした日なのです。

ショーター: 私たちは外でお待ちしていて、講演は聴けなかったのですが、先生のお姿を拝見した瞬間、「ああ、この方が池田先生なのだ」という感覚が胸をよぎりました。それまで私の脳裏に刻まれていた名前と、実際の人物が一致した瞬間でした。

池田: ずいぶん長い時間、お待たせしてしまったことでしょう(笑い)。すみませんでしたね。あらためてお詫びします。
 初めての出会いから36年。お二人はいよいよ若々しく、みずみずしい。求道と創造の大情熱を燃え上がらせておられる。日蓮仏法は「本因妙」です。常に「今から」「これから」「いよいよ」と、未来へ勝ち上がっていくことです。
 ところで、UCLAといえば、ショーターさん、ハンコックさんは、「平和のための国際芸術家委員会(ICAP)」のメンバーとともに、コンサートを開かれましたね。大きな大きな感動が広がったと伺っています。(2007年12月。2,000人の聴衆を魅了し、セッションには学生も参加。大学側も「大きな期待を超越する感動の演奏」と絶讃した)

 アメリカの芸術部の代表を中心に結成されたICAPは、芸術を通して平和の心を広げる団体です。崇高な行動に、私は心から敬意を表します。
 なお、このコ一ンサートでは、光栄にも私の誕生日を記念して、ショーターさんが作られた交響曲を演奏してくださいました。さらにまた、ハンコックさんも、ご自身の曲を披露し、私に贈ってくださいました。重ねて御礼申し上げます。ハンコックさんは、コンサート当日の朝までかかって、曲を完成してくださったと聞きました。

ハンコック: 先生に捧げる曲「わが師匠への讃歌」を作りたいと決意した当初は、大変に重大な責務を担ったように感じたことを覚えています。
 その曲に託したいイメージは幾つもありました。「感謝」「勇気」「パイオニア精神」「会員への慈愛」「広宣流布のため、会員の幸せのため、人類のため、常に全魂込めて尽くす心」……。
 そして、同志であるメンバーにも「励まし」を送ることができればと望んでいました。

池田: この曲は、半年後の2008年の5月4日、創価教育同窓の集いが行われた創価大学でも演奏してくださいましたね(席上、SGI会長夫妻に中国の延安(えんあん)大学から終身教授称号が贈られた)
 あの時、記念講堂を包み込んだ壮麗な音律は、今も蘇ります。来賓の延安大学の先生方も、創価教育の同窓生も、深く感動していました。青年部、未来部の友にとっても、芸術の真髄に触れられたことは、無限の心の啓発となったに違いありません。

ハンコック: 先生の前で、そして意義深き式典で演奏することができ、光栄でした。
 正直に言えば、実際に楽譜を書き出したのは、UCLAでのコンサートのほんの一週間前でした。私は、作業に作業を重ねましたが、コンサート当日まで、最終版には至りませんでした。それで、私は自分に言い聞かせました。「これは、生きるか死ぬかだ」と。
 わが師への讃歌なのですから! 私は徹夜して、最後の、本当に最後の瞬間まで戦いました。だから、最後の段階になって、さまざまな部分をつなぎ合わせ、曲の全体像が見えてきた時には、感動の涙が溢れ出てきました。
 その時、自分の進んでいる方向が正しいと分かったのです。私はメンバーの心に触れたいと、心から望んでいたのです。 それが先生の心であり、先生が望まれることだからです。
 そして、その曲の演奏を終えた時、みんなが素晴らしい曲だと言ってくれました。本当に深い感動を覚え、「私は勝った」と実感しました。

ショーター: 私も、「民衆こそ偉大!」との先生の哲学に触発され、交響曲「池田大作讃歌 ── 鎖を解かれたプロメテウス」の作曲を開始しました。
 これまで池田先生にも一部を披露させていただきましたが、実は、先生の交響曲は、いまだに「制作中」なのです。人々の物語を表現する、オーケストラ的探究をしたいと考えています。

池田: 恐縮の限りです。また、壮大な創作のスケールに感嘆します。ギリシャ神話に登場するプロメテウスは、独裁者ゼウスの怒りを買い、岩に鎖で縛られる。
 なぜか ── 人類に「火」を与え、「言葉」を与え、「音楽」を与え、「文化」を与えたからです。民衆が賢く、強くなることを、権力者は嫌います。支配しにくくなるからです。
 日蓮大聖人は濁世(じょくせ)の様相を「民の力よわ(弱)し」(御書1595ページ)と喝破されました。
 大事なことは民衆が強くなることです。
 力をもつことです。これが時代を変えていく鍵です。ジャズは魂の叫びです。勇気を呼び起こし、人間を強くします。生命を躍動させます。民衆を連帯させます。その次元で、仏法と深く響き合うのです。(2へつづく)
2010年9月18日付 聖教新聞






最終更新日  2010.09.20 17:07:18
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2010.09.06
 ♪ 魂の人間讃歌 ♪  ジャズと人生と仏法を語る

第1回 文化は民衆の声


(1からの続き)
池田: 私とジャズの出あいは、戦後まもない青春時代にさかのぼります。日本では戦争中、ジャズは敵性音楽ということで、演奏することも、聴くことも禁じられていたのです。
 しかし、日本の敗戦から1カ月後の9月(1945年=昭和20年)には、早くもラジオで日本人の奏者らによるジャズ演奏が放送されました。17歳の私は鮮烈な印象を受けました。
 ジャズの音色は、戦難の時代を生き抜いた私たち日本人にとって、自由な新しい時代の到来を告げる音でした。ちょうど、人々が力強く復興に立ち上がっていった時期であり、ジャズの演奏に大いに勇気づけられました。
  この同じころ、アメリカ主導による改革の流れの中で、日本でも事実の上で「信教の自由」が保障されていきました。戦時中、軍部政府から弾圧された創価学会 も、思う存分、活動ができるようになったのです。恩師・戸田先生はその深い意義とアメリカの恩義をかみしめられていました。
 ともあれ、「文化の力」に勝るものはありません。文化が人間を、真に人間らしくする。文化は社会を照らし、明るく変えていく光です。私たちが一貫して「文化の力」に目を向けてきた理由もここにあります。

ハンコック: 池田先生のお話を聞いて、文化は、ある意味で「民衆の声」ではないか、と思いました。
 文化とは、民衆一人一人の声であり、民衆の声の集積された表現ではないでしょうか。その声は、ある場合には最悪の状況に対して民衆が上げる抵抗の声であり、ある場合は、より良い明るい未来を求める民衆の、希望の表現といえるでしょう。
 ジャズとは、まさに「自由」を謳う音楽です。ジャズの自由奔放さは、どんな抑圧的な政権でも、押さえ込むことはできません。

ショーター: ジャズは、独断的な教義や規定、命令といった表面上の制約を突き破ることのできる、即興の対話を生み出す創造的な過程なのです。
        
池田: それは、人間の心の本源的な自由と通じています。
 ユネスコが世界の人権の名言を集大成した『語録 人間の権利』に、日蓮大聖人の撰時抄(せんじしょう)の一節が収録されています。
「王地に生れたれば身をば随(したが)えられたてまつるやうなりとも心をば随(したが)えられたてまつるべからず」(御書287ページ)と。
 仏法では、何ものにも縛(しば)られない、何ものをも恐れない究極の生命の自由を明かしているのです。
 民衆一人一人が魂の自由を勝ち開いてきた創価学会の歴史でも、多くの歌が生まれてきました。
 戸田先生も、よく言われました。
 「民族の興隆には、歌が起こるのだ。どんどん新しい勢いのある歌が出るのは、学会の発展の姿だ」と。
 学会歌は、勇気と希望を奮い起こします。どんなつらいことがあっても胸を張り、学会歌を歌って、母たちも、青年たちも、再び困難に挑戦していきました。学会歌が生きる喜びの源になって、創価の友は大前進してきたのです。

ショー ター: 私は、共に戦うに値する民衆の願望を代弁する音楽を奏でたいと思っています。それは、音楽的に表現された「決してあきらめない」精神であり、また 名声や成功に目がくらむ心の迷いに挑戦する新たな音楽です。それらは、一瞬の満足を売り物とするような今日の音楽界では、なかなか出あえないものです。

ハンコック: そうです。重要なのは「何のため」です。私たちの真の目的は、自分が新たに発見したことを、そのまま聴衆と分かち合うことです。自分が感じるまま、聴衆に披露する勇気をもつことです。
        
池 田: 正しい芸術の真髄(しんずい)です。仏法では「喜(き)とは自他共(じたとも)に喜(よろこ)ぶ事(こと)なり」「自他共(じたとも)に智慧(ち え)と慈悲(じひ)と有るを喜とは云(い)うなり」(同761ページ)と説かれます。真の喜びは分かち合うものです。分かち合えば、ますます増えるものな のです。
 芸術の世界も本来、触れた人が身構えるものではないでしょう。皆が「ほっ」とでき、喜びきえることが大事ではないでしょうか。お2人の気取らない「ありのままの情熱」が、聴衆の胸に響き、心を打つのでしょう。

ハ ンコック: ジャズのルーツ(起源)はアフリカ系アメリカ人の経験にありますが、私の実感から言えば、その淵源は、さらに人間の心に、もともと具わる偉大 な特質にあると思います。それは、最悪の環境もありのままに捉え、そこから大きな価値を生み出す能力です。これは仏法でいう「変毒為薬(へんどくいや く)」に通じると思います。
 ジャズの心を私流に言えば、「仇討(あだう)ち」です! もちろん世に言う「仇討ち」ではありません(笑い)。人間の生命に巣くう「魔性」に対する「仇討ち」です。「攻撃」です。ジャズが表現を求めるものは、この「攻撃精神」なのだと思います。
 巡りあった仏法の正しい実践を通して、私は初めて、ジャズの最大の特質がはっきりと感じられたのです。

池田: 魂を揺さぶられる言葉です。ジャズは、不屈の生き方そのものですね。
 学会も草創期、「貧乏人と病人の集まり」と揶揄(やゆ)されました。その中で、生命尊厳の仏法哲理を掲げ、「この世から悲惨(ひさん)の二字をなくしたい」と、苦悩に喘(あえ)ぐ民衆を一人一人、抱合かかえるように励まし、戦ったのが戸田先生でした。
 私も不二の弟子として立ち上がり、尊き庶民と共に、今日の学会を築き上げてきたのです。この草創の心を、青年には厳然と伝えていきたい。
  ともあれ仏法は「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」「生死即涅槃(sとうじそくねはん)」です。悩みや苦しみがあるからこそ、成長できる。偉大な境涯を 開ける。「苦楽(くらく)ともに思い合せて」題目を唱え、「歓喜(かんき)の中の大歓喜」の人生を歩んでいけるのです。
 ジャズも、苦悩の大地から生まれ、鍛え上げられた音楽だからこそ、生命を鼓舞する強さをもっているのではないでしょうか。これこそ文化の究極の力です。
        
ショーター: 文化の創造には、責任が伴います。今の社会では、文化の向上は、人間のさまざまな努力のうちで、優先順位が最も低い位置に置かれています。残念なことです。
 しかし、私は、文化の向上のために、ジャズは何かできるか、何をすべきかを追求していきたいと思います。

ハンコック: ジャズは今なお、改良と向上を続けています。興味深いのは、よい時代にも、不幸な時代にも、ジャズが常に生き延びてきたという事実です。私は個人的には、ジャズは永遠の生命をもつ音楽だと信じています。

ショー ター: ジャズの演奏は、私たちに深い人間性と、何が起こるか分からないという挑戦の機会を与えてくれます。そして、どんなことが起こるか分からないとい うことが、即興的な演奏と関係してくるのです。これは、実に恐ろしいことです。尻込みすれば、恐れは怪物のようにいっそう大きくなります。ステージの上で は、それまでレッスンしてきたことなど、どこかへ忘れてしまい、自分自身が傷つきやすい、弱い存在に感じられるものです。
 でも私たちは、それに打ち勝つ自分自身の戦いの瞬間、勝利の瞬間を、聴衆に見てもらいたいのです。その時、私は、無常の生命を超越した何ものかに到達したかのように感じます。人生において、悲劇は、いつまでも続くものではなく、わが使命は永遠なのですから──。
 ジャズの演奏は私たちに、どんな不測の事態が起きようとも、困難に挑戦し、勝利する勇気を与えます。

池田: 素晴らしい。感動しました。人生も文化も戦いです。限りなく向上し、価値を創造するための戦いです。戦いは、勇気がなければ勝てない。
 お二人は勇敢に、幾多の試練を勝ち越えてこられました。ジャズという文化の武器で、「人間」そして「生命」の力の偉大さを証明してこられた。
 いま、時代は混迷を深めている。不測の試練の連続といっていいでしょう。時々刻々と待ったなしで、まさに「即興演奏」で応えなければならない。
 だからこそ私は、「芸術の王者」「人生の王者」の2人に続いて、勇気と正義を貫く勝利の価値創造の道を、青年に歩み抜いてもらいたいのです。
 ショーターさんは、この8月25日で77歳になられましたね。おめでとうございます!
 ハンコックさんは70歳。記念のコンサートを9月1日に開かれました。
 日本では「喜寿(きじゅ)」「古希(こき)」といって、いずれもおめでたい年齢です。お2人のますます若々しいご活躍を念願します!

ショーター: サンキュー・ソー・マッチ、センセイ!
ハンコック: 私たちは壮年部の一員として、先生のご指導通り、“今の年齢マイナス30歳”の気概で戦います。
(2010年8月4日付 聖教新聞)








最終更新日  2010.09.06 11:55:25
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 ♪ 魂の人間讃歌 ♪  ジャズと人生と仏法を語る

第1回 文化は民衆の声

創価学会インタナショナル 池田大作会長
ジャズサックス奏者    ウェイン・ショーター氏
ジャズピアニスト     ハービー・ハンコック氏


芸術は価値を創造する戦い

池田SGI会長: 対話は、心と心が奏でる音楽です。世界最高峰の音楽家であるハービー・ハンコックさん、ウェイン・ショーターさんとの対話の「共演」を、私は心から楽しみにしておりました。
 お2人は芸術界の至宝です。音楽界の世界的な最高栄誉であるグラミー賞も、繰り返し受賞されています。
 また、世界を舞台にした音楽活動とともに、平和のために尽力し続けておられます。2人の信念の行動は、アメリカのみならず、世界192カ国・地域のSGIメンバーの誇りです。

ハービー・ハンコック: ありがとうございます! この鼎談(ていだん)に参加できて、私は本当に幸せです。
 ショーターさんと私が、全身全霊をかけ、世界で創造してきた音楽、そして実践してきた仏法についての対話の機会をいただけたことは、私たち二人にとって大変光栄で、格別に意義深いことです。

ウェイン・ショーター: 私は今、池田先生が新たな対話を世界へ開こうとされていることを感じます。このような形で新時代の鼎談(ていだん)を進めてくださる勇気は、多くの人々の目を覚ますでしょう。
       
池田: ジャズはアメリカで生まれ、アメリカが誇る音楽文化です。現在、対話を重ねているデューイ協会のガリソン前会長が、アメリカの最も大切な精神の宝を、四つ挙げておられた。デューイの教育哲学、エマソンのアメリカ・ルネサンスの文学、キングの人権闘争、そして市民の大地から生まれたジャズ音楽です。
 このうちデューイ、エマソン、キングについては、すでに第一人者の方々と語り合ってきました。いよいよジャズです。この鼎談(ていだん)を、私はアメリカの皆さんとの50年来の交流の一つの集大成とも感じています。

 いまや、世界中で妙法の芸術家が活躍する時代になりました。SGIの芸術部長である2人との対話から、仏法を根底とする大文化運動の明るい未来を展望していきたい。
 また、広宣流布の最重要の拠点である「地区」「支部」を舞台に、地道に誠実に活動を続けてこられた2人との語らいは、多くの最前線の同志に大いなる励ましを贈るに違いありません。

 まず、「ジャズ」にあまり馴染みのない日本の読者もいるでしょうから、今回はジャズ誕生の歴史などにも触れていただきたい。私も若々しい青春の生命で、大いにジャズを学びたい。お2人から「特別講義」を受ける思いで臨みたいと思います。
        
対話こそ心と心が奏でる音楽

SGI会長  人生は試練の挑戦に即興の応戦
ハンコック氏 文化の力は苦悩を希望に変える
ショーター氏 ジャズは人間と人間の真の触発

ハンコック: 私たちこそ、先生から「特別講義」を受けさせていただく立場です。私たちは、これまで何度も池田先生にお会いすることができ、スピーチを伺う機会にも恵まれてきました。そこで、いつも痛感するのは、先生の当意即妙の「対話」は、なんとジャズの精神と合致しているのだろうということです。

ショーター: 私は15歳の時、ジャズの即興演奏をラジオで初めて聴きました。ジャズマンたちは、リスク(危険)を覚悟で一瞬一瞬、その場で対応しながら、同時に完璧さを目指しているように感じられました。
 私も、初期のころ、同じように演奏しようと努力しましたが、いわゆる「ビバップ」や「モダン・ジャズ」と呼ばれるジャズの革新者たちがするような方法で「即興演奏」の準備をすることは、所詮、無理であることが分かりました。準備することそれ自体が、隠れた動機や巧みな操作から解き放たれた創造的表現に忠実であろうとする音楽家にとっては、本質的に、相いれないものであることに気づいたのです。

池田: 重みのある言葉です。即興──すなわち一瞬の出あいから自在に価値を創造していく力は、真剣勝負の一念から生まれます。
 仏法では「命已(いのちすで)に一念(いちねん)にすぎざれば仏(ほとけ)は一念随喜(いちねんずいき)の功徳(くどく)と説(と)き給(たま)へり」(御書466ページ)と説かれます。
 今この時を逃さず、歓喜あふれる智慧(ちえ)と力を発揮するのです。
 とともに、冴えわたる即興の力を鍛えるためには、人知れぬ基本の研鑚を重ねなければならない。私も対話の際は、相手のことをよく勉強して臨みます。それが礼儀であり、誠意と思うからです。
 そのうえで、「臨機応変(りんきおうへん)」です。対話も演奏も、いざ始まったら、瞬間瞬間が勝負です。自在の「随縁真如(ずいえんしんにょ)の智(ち)」を働かせて、最大の価値を創造していく。ここに即興の妙があります。
 さらにまた、何より大切なのは、一国の大統領であっても、庶民であっても、いかなる国の人であっても、「同じ人間同士、分かり合えないはずはない」という信頼、共感です。その心で、平和と友好の橋を架けるために、私は「人間」に会いに行きました。「人間」と語り合いました。
 1974年、初めての中国訪問の折、可愛らしい1人の少女が私に尋ねました。「おじさんは、何をしに中国に来たのですか?」。私は答えました。「あなたに会いに来たのです」と。

ハンコック: 池田先生の入魂の「対話」と、ジャズの演奏は相通ずるところがあるのです。
 ジャズは「対話」を基本にすえた音楽です。われわれが大切にするのは、まさにこの点です。ジャズは、きわめて“精神的な音楽”なのです。
 演奏中に即興で生まれる「対話」は、場当たり的でも、軽薄でもありません。ジャズは、陽気な側面がありながら、真剣さのある音楽です。生きる歓びを讃える、まっすぐな表現法なのです。人間の感情の奥底からの叫び──それがジャズです。

ショーター:  1961年ごろのことですが、私が出演していたニューヨークの劇場で出会った、1人の老人の言葉が印象に残っています。「わしゃあ、イギリスの女王陛下の前でダンスを踊ったこともある。だが今じゃあ、おまえら若い衆が演奏する、あの音楽(ジャズ)に聴き入っとるよ。わしにゃあよく分からんが、聴いていて気持ちがいいのは確かじゃな」というものでした。
 「聴いていて気持ちがいい」──これはジャズの本質を突く言葉です。
 ジャズの本質は、楽器との「対話」にあります。そして、楽器抜きの「対話」もあります。欺瞞(ぎまん)、見せかけ、ごまかし、下心など、すべて剥(は)ぎ取って、自己を全面的にさらけ出し、心と心、本質と本質でぶつかり合う──それがジャズなのです。

ハンコック: ジャズはアフリカから奴隷(どれい)として連れてこられた人々に起源をもち、ブルースや黒人霊歌、ゴスペルなどを基盤にして発達してきた音楽です。アフリカの文化的な遺産も色濃く感じられますが、ジャズは特定の民族文化や民族精神をはるかに超越した、新しい表現法に立つ音楽です。
 その証拠に、ジャズファンは世界中にいます。アフリカやアメリカから、はるかに離れた日本にも、熱烈なジャズファンが大勢おられます。
 ジャズは、アフリカ系アメリカ人から、世界の人々への贈り物なのです。抑圧の苦悩の中から生まれましたが、今では、苦悩を表現することに限定されず、むしろ、それをはるかに超越した音楽として、広まっています。
 そして、ジャズのもう一つの特徴は、開放性です。他の文化の影響を熱心に取り入れ、逆に他の文化に強い影響を与えています。これらの特徴は、人間精神の核心をなすものです。
        
池田: そこに私は、ジャズ、そして音楽文化がもつ「大いなる力」を感ぜずにいられません。何がそうさせるのか、その魅力や力の「源」はどこにあるのか。
 ジャズ文化を真摯に探究しゆく時、人間が誰でも自分自身の胸中に脈打つ、偉大な魂の発現に気づくのではないでしょうか。仏法は、その奥にある最極の尊厳なる生命を覚知したのです。

ショーター: 私は仏法の実践を通し、誰人にも文化的な力、芸術的資質があることを実感してきました。その資質に皆が目覚めるよう、私たちは人々の生命をさらに覚醒させる必要があるのです。ところで池田先生は、どのようにジャズを知られたのでしょうか。(2に続く)
(2010年8月4日付 聖教新聞)








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