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晴ればれとBlog

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「新・人間革命」と私

2020.07.04
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「新・人間革命」と私 農漁光部女性部長 鈴木真紀子さん


〈心に刻む珠玉の言葉〉


 状況にのまれ、流されていくのか。状況に立ち向かい、改革していくのか――それは、常に、人間に突き付けられている課題である。しかし、改革(かいかく)は至難(しなん)である。本当の信念と強靱(きょうじん)な意志力が求められるからだ。それを引き出すための力が、信仰なのである。
〈第24巻「灯台」の章〉



〈時代背景〉

 1973年(昭和48年)、社会本部に、社会部、団地部、農村部(現在の農漁光部)、専門部が設置されることが発表。農村部の友は「農業講座」などを開催し、活動を推進していく。77年(同52年)2月、山本伸一は第1回「農村・団地部勤行集会」に出席し、同志を激励。友は、伸一が示した“地域の灯台たれ”との期待を生命に刻む。



“食”を守る誇りを胸に前進


 本章で山本伸一は「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(御書1597ページ)との精神のままに、人の命をつなぐ食の生産に従事する農村部を重要な部として位置づけ、結成しました。 


 1973年の農村部結成当時、世界は重大な食糧不足に陥っていました。米以外の穀物を輸入に依存していた日本では、小麦、大豆などが高騰。食料品の値上げとなって、国民生活を圧迫したのです。また政策の影響もあり、農業従事者の減少も深刻でした。 


 農業、漁業は自然を相手にする仕事のため、不測の事態が起きることもあります。だからこそ、常に信心に励み、知恵を湧かせて前進し続けなければなりません。

 
本章につづられている通り、池田先生は部の結成以来、友に励ましを送り続けてくださっています。

 現在、新型コロナウイルスの影響が大きく広がっています。特に緊急事態宣言の発令時は、学校が休校し、飲食店も休業。収穫した物の販路が断たれてしまいました。メンバーは経験したことがない状況に不安や焦りを感じましたが、それでも“戦う「農漁光部」の一員”との思いで激励を続けてくださる先生と心を合わせ、唱題根本にまい進しています。


 山梨のあるヤング白ゆり世代の友は、父の後を継ぎイチゴ農園を経営。人気の観光農園でしたが、コロナ禍で来訪者は激減しました。


 彼女は“絶対に負けない”と真剣に祈る中、友人がSNSで情報を発信してくれ、それを見た人が次々に訪問。「おいしい」との評判が広がり、地域の市場が買い取ってくれるなど、全てのイチゴを売り切れたのです。


 このほかにも全国のメンバーは、大変な中だからこそ地域を元気にと周囲の人々と心を通わせ奮闘しています。特に女性たちは、知恵と行動で新しい販路を開拓するなどの挑戦をしています。


 これからも農漁光部は“地域社会を照らす灯台”としての使命と責任を果たせるよう、後継の青年と手を取り合い、新たな時代を切り開いてまいります。


(2020年7月4日 聖教新聞)







最終更新日  2020.07.04 18:57:31
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2020.07.02

「新・人間革命」と私 メキシコ理事長 ネレオ・オルダスさん

〈心に刻む珠玉の言葉〉
 ​“(戸田)先生! 私は、世界を駆け巡っております。必ずや、世界広布の堅固な礎(いしずえ)を築いてまいります。先生に代わって!”​<第30巻(上)「雄飛」の章>
 
〈時代背景〉
 1981年1月、山本伸一は北・中米指導に出発。ところが、弁護士の山脇友政が学会への恐喝及び恐喝未遂の容疑で逮捕され、伸一は東京地検から事情聴取の要請を受け、いったん帰国する。2月、再びアメリカに戻り、パナマ、メキシコを訪問。メキシコでは、独立記念塔を仰ぎ、師・戸田城聖先生への広布の誓いを新たにする。
 
幸福の花園を師と同じ心で
 「雄飛」の章には、1981年の山本伸一のメキシコ訪問の様子が描かれています。中でも、逝去10日ほど前の戸田城聖先生が、メキシコに行った夢を語りつつ、「伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征(ゆ)くんだ」と訴える回想シーンは、感動を禁じ得ませんでした。


 また同章には、伸一が日本・メキシコ親善文化祭に出席したことが記されていますが、私もこの文化祭に参加した一人でした。当時の感動は昨日のことのように思い出しますが、同章を読み、当時、反逆者(はんぎゃくしゃ)と悪侶(あくりょ)らが学会攻撃に狂奔(きょうほん)する中で、師匠がどれほどの決意を持って、メキシコを訪問されたのかを知り、胸が熱くなりました。


 メキシコでは個人主義を称賛(しょうさん)する文化があり、「師弟」という概念が理解されにくいことがあります。しかし、私たちは『新・人間革命』の勉強会を毎月、開催し、皆で感想を語り合い、“師弟の絆”を固く、強くしています。メキシコの同志は皆、戸田先生、池田先生が思いを馳(は)せたこのメキシコの天地で、広布に走る誇りと喜びにあふれています。


 メキシコでも新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、3月12日から全ての会合を中止し、訪問による激励も自粛しました。このコロナ禍でも、師弟の精神を赤々と燃やし、皆が電話やメール、SNSを駆使して連絡を取り、オンラインを活用して会合を実施。“希望を絶やさない”と励まし合いを続けています。
 特に未来部では、学校の休校と外出制限によって、自宅に居続けるメンバーのために、未来部担当者が毎日のように夕方、オンラインの会合を開催し、未来部員の悩みや状況を聞き、寄り添っています。
 私自身も、「全メンバーを直接激励する」と心を定めて、日々、できる限り、多くの同志に連絡を取っています。
 伸一が独立記念塔の前で“戸田先生に代わって”と広布を誓うように、私も師と同じ心で立ち上がり、“池田先生に代わって”、メキシコに幸福の花園を築いていく決意です。


(2020年7月2日 聖教新聞)
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最終更新日  2020.07.03 00:18:19
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2020.06.30

​〈心に刻む珠玉の言葉〉

「新・人間革命」と私 北海道男子部長 平井祐嗣さん

 師弟の絆の強さは、物理的な距離によって決まるのではない。己心に師が常住していてこそ、最強の絆で結ばれた弟子であり、そこに師弟不二の大道があるのだ。<第27巻「求道」の章>
 
〈時代背景〉
 1978年(昭和53年)6月11日、北海道を訪れていた山本伸一は、厚田での北海道青年部の第6回総会に出席した。13日には、別海(べつかい)の北海道研修道場を初訪問し、役員の友を激励。14日、標津町(しべつちょう)にも足を運び、個人指導に力を注ぐ。16日には、上春別(かみしゅんべつ)で雑貨店とドライブインを営む壮年と、77歳の求道心旺盛な母親をたたえ、真心の句を贈る。
 
師の激闘を書き写した日々
 本章では、1978年(昭和53年)6月の山本伸一の北海道指導の様子が描かれています。
 伸一は“草の根を分けるように同志を探し、たたえよう”との思いで道内を駆け巡り、16日間で約5000人の友と一緒に記念撮影し、延べ2万人を超える会員と会い、激励しました。
  冒頭の引用は、これまで伸一と一度も会ったことがなかった上春別(かみしゅんべつ)の谷沢千秋・徳敬親子と出会いを刻んだ場面を通し、池田先生がつづられた言葉です。千秋はこの日まで、“師の心をもっと知りたい”と真剣に祈り、“今日も弟子らしく戦い抜きました”と、心の師に胸を張って報告できる自分であろうと純真に信心に励んでいました。​​


 この信心の姿勢は師弟不二の模範であると思います。この部分を読み、学生時代、初めて師匠の心を知ろうとした時のことを思い出しました。
 きっかけは、創価大学1年の時、“池田先生にお応えしよう”と奮闘する先輩や学友の姿に触発を受けたことです。そこで私は、“先生のことを学びたい”と、当時、聖教新聞に連載されていた小説『新・人間革命』を毎日、ノートに書き写すことにしたのです。
 そこで、心から感じました。先生があらゆる場所で絶え間なく、人を励ましていること。激務の中で『新・人間革命』を執筆されていることを。そして、書き写した一字一句から伝わる先生の闘争に、畏敬(いけい)の念を抱きました。師匠の心を求めたこの日々は、“先生にお応えしゆく生涯を”と誓った原点となりました。


 後に、山本伸一の北海道での激闘がつづられた「厚田」の章、そして「求道」の章が聖教新聞に連載されました。この二つの章もノートに書き写し、伸一の激励行を心に刻みました。このノートは、今でもかばんに入れ、メンバーへの激励の際に使用しています。
 「求道」の章に「求道心を失った時、信心の向上は止まり、慢心(まんしん)に侵(おか)され始める」とあります。厳しい社会状況の中ですが、北海道男子部は求道の炎を絶やさず、「三代城」の弟子の底力を示していきます。


(2020年6月30日 聖教新聞)







最終更新日  2020.06.30 23:48:04
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2020.06.18

​〈心に刻む珠玉の言葉〉

「新・人間革命」と私  大分総県長 千布明宣さん

 「今まで苦しんできた同志のことを考えると、私は、それこそ一軒一軒、皆のお宅を訪ね、励まして歩きたい気持ちです。しかし、日程的にも、それは難しい。そこで、今回、お会いできなかった人たちを、私の代わりに激励してください。私の心を伝えてもらいたいんです」〈第30巻(下)「勝ち鬨」の章〉
 
〈時代背景〉
 1981年(昭和56年)12月8日、山本伸一は13年半ぶりに大分を訪問。正信会を名乗る“邪信”の若手僧らによって、非道な仕打ちを受けてきた同志を励ます。10日夜、県青年部幹部会の席上、長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表。熊本に移動する際には岡城址(おかじょうし)で、竹田の同志とカメラに納まり、「荒城の月」を大合唱する。
 
師に応える幸福の実証を
 本章では、大分の友へ記念に揮毫していた山本伸一が、「ほかに、まだ書き贈るべき人はいないのかい。宗門の事件で苦しみながら、頑張り抜いてきた方は、まだまだいるだろう」と県の幹部らに語る場面が描かれています。
 1981年(昭和56年)12月の大分訪問で池田先生は、長編詩の発表や会合への出席などの合間を縫い、功労者宅へ足を運ばれ、同志と記念撮影されるなど、激励の手が止まることはありませんでした。
 滞在された5日間で励まされ、会われた方々は、約1万人。先生の“正義の反転攻勢”とは、ひたすらに民衆の中へ飛び込むことであったのだと心から思います。こうして同志一人一人と直接結んでくださった“心の絆”こそ、「師弟の大分」にとっての共戦の原点です。
 
 私自身も、師の励ましの言葉に奮い立った原点があります。
 父が事業に失敗し、多額の借金を抱える中で、私は中学・高校時代を過ごしました。
 一家の苦闘が続く中、大学受験に挑むも不合格。その一番苦しい時期に支えとなったのが、池田先生の「苦に徹すれば珠(たま)となる」との指針と、「友よ強く雄々しく立てよ/僕が信ずる君が心を」とつづられた詩「友よ強く」でした。
 翌年、志望大学に合格すると、アルバイトと奨学金で学費等を工面し、大学を卒業。その後、兄弟で力を合わせ、借金を完済できたのです。


 コロナ禍の現在、仕事や生活環境の大きな変化に直面し、奮闘されている方や、病や悩みと懸命に闘われている大勢の同志がおられます。
 私も毎日、手紙や電話で励ましを送っていますが、その際、常に思い浮かぶのが、本章で伸一が「私の心を伝えてもらいたいんです」と語る場面です。
 池田先生は、81年の大分訪問の折、「皆さまが幸福になることが、私の勝利です」と語られました。今再び、先生の真心を大分の全同志と分かち合い、この難局を“幸福勝利”の実証へと転じゆく決意です。​​


(2020年6月18日 聖教新聞)







最終更新日  2020.06.18 23:40:58
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2020.06.14

​心に刻む珠玉の言葉
「新・人間革命」と私 
婦人部教学部長 小泊摂さん


 教学を身につけていれば、なぜ、正しい信仰に難が競い起こるのか、どうすれば一生成仏できるのかがわかります。また、仏法を語る場合も、なぜ大聖人の仏法が偉大なのか、正しい宗教とは何かなど、理路整然と語り、納得させることができる。〈第7巻「萌芽」の章〉
 
〈時代背景〉
 1963年(昭和38年)は「教学の年」であった。山本伸一は1月2日に「法華初心成仏抄」を講義。同6日には教学部任用試験を行っていた都内の会場を回り、受験者を激励する。そして同8日からはアメリカ・欧州・中東・アジアを巡る世界一周の平和旅に出発。ロサンゼルスやニューヨークで行われた教学試験でも真心の励ましを送る。
 
世界を協調へと変える哲学
 冒頭の一節から、広布推進のため、そして人生の苦難を乗り越えるために、“実践の教学”がいかに大切かを学ばせていただきました。
 婦人部では、数人で御書の一節を拝読し、励まし合う「グループ学習・懇談」を、40年以上にわたって全国で開催してきました。この地道な取り組みの中で、一人一人が実践の教学を身に付けているところに、婦人部の強さがあると思います。​


 現在は感染症の影響で会合等を自粛していますが、ある友は毎朝、御書の一節をメンバーに発信し、ある友は希望者と池田先生の講義の読み合わせをオンラインで行うなど、それぞれが工夫を凝らしています。その中で「勇気をもらった」と感謝の声が返ってきたり、未活動の方とのやりとりが始まったりと、触発の喜びが広がっています。閉塞感が漂いがちな今だからこそ、変毒為薬という“希望”を心にともす教学運動の素晴らしさを改めて実感します。


 加えて婦人部では、先生が命を削る思いで執筆された小説『新・人間革命』を日々拝読し、信心の糧(かて)としています。私自身、小説を学ぶ中で困難の壁を幾度となく乗り越えることができました。
 忘れられないのは、第1巻「錦秋」の章です。アメリカで人種差別を感じる黒人の青年に、山本伸一が“人類の究極のルーツは地涌の菩薩です”と語り、その自覚で行動すれば、世界の平和は築かれると励ますのです。
 この場面が新聞連載された当時、私は2人の幼子を育てながら学会活動に励んでいました。年齢層が幅広く、人生経験も多彩な婦人部で、若い自分がリーダーを務めることに引け目を感じていましたが、「地涌の菩薩」という共通のルーツに語り掛けていけばよいのだと感じた瞬間、目の前が開ける思いがしました。
 感染症によって人との距離を保つことが求められる中、“心の距離”まで広がることが懸念されます。今こそ、人々の地涌の使命を呼び覚まし、世界を分断から協調へと変えていった先生の闘争を心に刻み、人類を結ぶ創価の教学運動に全力で取り組んでまいります。​


(2020年6月14日 聖教新聞)







最終更新日  2020.06.14 22:21:24
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2020.06.11

​​心に刻む珠玉の言葉
「新・人間革命」と私 
第2総東京男子部長 海沼隼人さん

 伸一が、最も力を込めて訴えたのは、「自身の心を折伏せよ」ということであった。広宣流布の前進を阻むものは、外にあるのではなく、自身の内にこそあるからだ。<第17巻「本陣」の章>

 〈時代背景〉
「広布第2章」の本格的な開幕を迎えた1973年(昭和48年)、山本伸一は青年たちに広布に生き抜く“師弟の道”の大切さを訴える。そして本陣・東京の再構築へ、各区の友と記念撮影するなど激励を重ね、同年3月31日には、創価大学で行われた第2東京本部の幹部会に出席。伸一の励ましに応えるように、各地の友が立ち上がっていく。
 
一念の変革から勝利を開く
 本章には、第2総東京の前身である「第2東京本部」の幹部会に出席した山本伸一が、組織の大発展の要諦として、「自身の心を折伏せよ」との言葉を贈る場面が描かれています。自分自身の心に臆病や慢心といった弱さがあれば、いかなる戦いにあっても壁を破ることはできません。だからこそ、まずは腹を決めて誓願の題目を唱え抜き、「自身の心を折伏せよ」と訴えたのです。


 私自身、直面する数々の苦難を、勇気の折伏で切り開いてきました。
 2012年、当時未入会だった父が病に倒れました。真心の祈りと対話を重ねた結果、父は入会。その後も、母の脳挫傷や妻の手術など、相次ぐ宿命の嵐に見舞われましたが、「自身の心を折伏せよ」との指導を胸に前進。同志と苦楽を分かち合い対話に挑む中で、毎年のように弘教を実らせることができ、家族の病苦も乗り越えることができたのです。自身の一念の変革こそが一切を開く出発点であると、確信を深めました。
 本章には、第2東京本部こそ「日本の中心、世界の教育と文化の中心となっていく地域である」とつづられていますが、まさにこの言葉通り、第2総東京は、世界に誇る平和・文化・教育の大城となりました。池田先生の期待を胸に、どこまでも自らの壁を破り、新たな金字塔を打ち立てていくのが、私たち男子部の使命だと感じます。


 新型コロナウイルスの影響によって、メンバーと直接語り合うことができない状況が続き、改めて自分がいかに多くの同志から勇気をもらっていたかを痛感します。だからこそ、今が報恩の時と決め、電話やSNS等を駆使して、縁する一人一人に寄り添い、徹底して励ましを送る努力を重ねています。また、友人にも、学会青年部が推進する「savelifeプロジェクト」や、先月完成した青年の歌「未来の地図」を紹介しながら対話を進めています。
 師が“拡大の電源地”と定められた第2総東京で活動する使命と誇りに燃え、異体同心の団結で、新たな広布拡大の歴史を開いてまいります。​​


(2020年6月11日 聖教新聞)







最終更新日  2020.06.11 20:12:08
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2020.06.10

「新・人間革命」と私 
オーストリア婦人部長 ヴァレリー・ルボーさん


 苦悩に挑み、乗り越えていくところに、真実の人間の偉大さがあり、ヒューマニズムの勝利がある。そして、その源泉(げんせん)こそが歓喜である。歓喜の炎は、使命の自覚とともに燃え上がり、烈風(れっぷう)に向かって突き進むなかで、黄金の光彩(こうさい)となって、自己と世界とを照らし出す。<第5巻「歓喜」の章>


〈時代背景〉
 1961年10月、山本伸一はオーストリアのウィーンを訪問した。著名な音楽家たちが眠る中央墓地を訪れ、楽聖(がくせい)ベートーベンの墓碑(ぼひ)の前に立つ。苦悩の激浪(げきろう)を身に受けながら、交響曲第九番を完成させた崇高(すうこう)な生涯に思いをはせつつ、万人の幸福と世界の平和の実現のために、自らも、あえて困難な道を征(ゆ)こうと固く誓う。


使命を燃やし苦悩を歓喜へ
 池田先生が初めて訪問された際、オーストリアにメンバーは一人もいませんでした。その折の滞在期間は、わずか1日あまりでしたが、地涌の友の出現を願い、文化融合の天地に題目を染み込ませてくださいました。
 この先生の深き一念によって、現在の広布の伸展があるのだと、感謝の念は尽きません。
 ​


 本章には、この初訪問の模様とともに、楽聖ベートーベンの不屈の生涯や、信念を貫かれた戸田城聖先生の獄中闘争について、つづられています。そこには、崇高な使命に生き抜けば、いかなる苦悩の闇をも喜びに満ちた人生に変革できるとのメッセージが込められていると感じます。
 


 思えば、私の人生も苦難の連続でしたが、心が折れそうになるたびに、池田先生との原点が支えとなりました。
 


 初めて先生との出会いを結んだのは、1987年10月。その時の日本での胸の高鳴りは、今も忘れられません。慈愛あふれる先生の姿に、生涯、師弟不二の道を歩む誓いを固めました。
 


 その後、直面したのは子育ての悩みでした。家事や学会活動に加え、国連職員としての仕事で多忙を極める中、2人の子どもとの時間が取れなくなったのです。呻吟する日々が続きましたが、先生との誓いを思い起こしては自らを奮い立たせ、懸命に歯を食いしばりました。この経験があったからこそ、同志に励ましを送れる存在に成長することができたのだと実感しています。


 
 新型コロナウイルスの流行の影響で、思うようにいかない状況が続いています。しかし、誰もが不安を抱える今だからこそ、“一対一の励まし”に力を注いでいます。対面で会えなくても、知恵と工夫次第で、心のつながりは幾重にも広げていけると確信します。


 
 本年は、2030年を勝ち開く上で、重要な一年となります。私も、学会の未来を託しゆく後継の人材育成を中心に、この10年間の具体的な目標を掲げて、スタートを切りました。これからも池田先生と共に、同志と共に、悔いなき凱歌の人生を歩んでまいります。


(2020年6月10日 聖教新聞)







最終更新日  2020.06.10 09:20:04
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2020.06.07

「新・人間革命」と私
アメリカ壮年部長 ケビン・モンクリーフさん


〈心に刻む珠玉の言葉〉
 青い湖面(こめん)も、太陽の光を浴びれば黄金に輝く。人もまた、仏法の光に照らされれば金色の人間性の輝きを放つ。偏見(へんけん)と憎悪(ぞうお)の雲に閉ざされた無明の闇(やみ)を照らす妙法の太陽を、このアメリカの大地に昇らせるのだ!<第1巻「錦秋」の章>


〈時代背景〉
 1960年10月8日、山本伸一は米シカゴへ。翌日、散策した公園で“黒人少年”への差別的行為を目の当たりにした。伸一は、人類の共存を目指す「地球民族主義」の実現を誓い、少年に心の中で“君が本当に愛し、誇りに思える社会をつくるからね”と呼び掛ける。その後、座談会へ。帰途、超高層ビルから、夕日に映えて輝くミシガン湖を眺める。


万人の尊厳と平等が輝く社会を
 冒頭の引用は、1960年10月、アメリカを訪問した山本伸一が、シカゴのミシガン湖を眺めた際の心情を描いた「錦秋」の章の一節です。

 同章を読み、体調の優れない中、アメリカ広布の礎(いしずえ)を築こうと、友に渾身(こんしん)の励ましを送る伸一の決意と行動、そして、その心に応えようと立ち上がる草創の同志の姿に、大変感動しました。
 


 池田先生がシカゴを初訪問し、リンカーン・パークでアフリカ系アメリカ人の少年への差別的行為を目撃した約2カ月前に、私は同じアフリカ系アメリカ人として、この世に生を受けました。
 


 自分自身、これまで人種差別を受け、その痛みや屈辱的な気持ちを味わったことがありました。また、人種や社会的立場など、表面的な差異に執着する自身の心に悩み、葛藤(かっとう)することもありました。だからこそ、先生の弟子として、わが国をより良き国土に変革し、人々の幸福に尽くす、地涌の使命に生き抜く人生が、どれほど素晴らしいかを実感しています。
 


 現在、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、アメリカでは、会合や訪問による激励ができない状況が続いています。
 


 その中で、友とのつながりを絶やすことなく温かな絆を内外に広げるための三つの挑戦――①満々たる唱題(Abundant Daimoku)②仏法研さん(Buddhist Study)③生命と生命をつなぐ励まし(Connect Life to Life)を開始。それぞれの頭文字を取った「ABC運動」と名付け、各部一体でにぎやかに推進しています。
 


 力強い勤行と唱題で朝に勝つこと、小説『新・人間革命』等の研さんに励むこと、そして「声仏事(こえぶつじ)を為(なおえぶつじ)す」(御書708ページ)の御聖訓を胸に、同志や友人とつながり、励ましを広げることに皆で挑戦し、孤独や不安を抱える友に勇気と希望を送っていきたいと決意しています。
 60年前、先生がシカゴの公園で差別を受けた少年に誓った“君が本当に愛し、誇りに思える社会”の実現を自身の使命と捉え、報恩感謝の心で、これからも広布にまい進してまいります。


(2020年6月7日 聖教新聞)







最終更新日  2020.06.07 09:39:25
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2020.06.01

​​「新・人間革命」と私 北陸青年部長 山上勝信さん
​​​ 広宣流布の航海は、波瀾万丈(はらんばんじょう)である。疾風もある。怒濤(どとう)もある。嵐もある。しかし、風を突き、波を砕(くだ)き、ただひたすら、前へ、前へと、進み続ける以外にない。あの地にも、この地にも、苦悩の岸辺をさまよい、われらを待ちわびている、数多(あまた)の友がいるからだ。​​​<第8巻「清流」の章>
 
〈時代背景〉
 1963年(昭和38年)8月14日、山本伸一は北陸へ。富山の初代支部長を務めた友の支部葬に参加するためであった。その後、北陸総支部の幹部会にも出席し、初代支部長の遺志を継ぎ、広布に生き抜こうとする同志に励ましを送る。広布前進の舵(かじ)を必死に執り続ける伸一の胸には、苦悩にあえぐ友を必ず救ってみせるとの決意が光っていた。
 
今こそ広布の誓願を胸に!
 「生涯、妙法を胸に、大勝利の人生を」――本章には、山本伸一が北陸総支部の幹部会で、こう訴える場面があります。
  この時、同志は初代支部長の死という悲しみを乗り越え、彼の遺志を受け継いで広布に生き抜こうと奮起していました。その姿を見た伸一は、生涯、妙法を胸に生き抜く中に彼は生き続け、一人一人の勝利が彼の勝利であると、同志に激励を送ったのです。伸一が打ち込んだ、こうした楔(くさび)があってこそ、北陸広布は大きく伸展し、盤石な土台が築かれていきました。
 師弟――ここに、いかなる逆境をも乗り越え、勝利を開いていく力があると確信します。


 私自身が大切にしている原点は、2015年8月に、北陸で開かれた第4回「全国男子部幹部会」です。当時、北陸男子部長として、この決勝点を目指し、男子部の友と一丸となって拡大に走り抜いていました。
 この時、皆で確認していたことは一つ。それは「一人一人が師匠と心を合わせれば勝てる」ということでした。
 小説『新・人間革命』に描かれた場面をはじめ、8・24「北陸青年部の日」の淵源など、池田先生と北陸との師弟の歴史を皆で学びながら前進した結果、各地で壁を破るドラマが生まれ、全国をリードする広布前進の結果を残すことができました。
 当時、出演者だったメンバーは今、男子部大学校生を激励する側として立ち上がり、最前線で奮闘しています。北陸の人材育成の着実な流れを生み出したこの経験は、私の心に深く刻まれ、リーダーとしての大きな原点となりました。


 今年に入り、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、学会活動が思うようにできない状況が続いています。しかし、北陸の同志は、そうした中でも、一人一人が師弟の魂を心に刻み、互いに励まし合いながら進んできました。この団結をさらに強め、今こそ一人一人が地域の中で光り輝く時と感じています。
 学会創立100周年の勝利を開くのは我ら――この心意気で、北陸青年部は広布の誓願に生き抜いてまいります。​​


(2020年6月1日 聖教新聞)







最終更新日  2020.06.02 02:34:48
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2020.05.30

「新・人間革命」と私 中国男子部長 升田美樹雄さん


​​​ 人を強くするものは、自(みずか)らが心に定(さだ)めた信義(しんぎ)である。(中略)己心に師をいだき、師との誓いを果たそうとするなかに、信念の“芯”がつくられるといってよい​​​。
<第28巻「広宣譜」の章>

​

〈時代背景〉


 1978年(昭和53年)7月19日、山本伸一は中国方面の指導へ。この頃、伸一は宗門の理不尽な攻撃に苦しめられている学会員に“希望の歌”を贈っていく。移動の車中や懇談(こんだん)の合間も作詞や推敲(すいこう)に取り組み、鳥取県米子で中国方面歌「地涌の讃歌」を発表。さらに岡山では、新高等部歌「正義の走者」(現在の未来部歌)などを完成させる。



新たな広布のうねりを


 第1次宗門事件の折、悪辣な坊主らにより繰り返される学会・師匠への誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)に、中国の同志は悔(くや)し涙を流しながら、じっと耐えていました。「広宣譜」の章には、そうした状況で伸一が中国方面を訪問し、同志を励まし、歌をつくっていく場面が描かれています。


 「広宣流布の情熱がほとばしる力強いものに」との思いを込め、列車の中でも推敲を重ねていく伸一。中国方面歌「地涌の讃歌」は、弟子を思う師の間断なき闘争から誕生したのです。


 満月が皓々と輝き、ホタル舞う鳥取・米子文化会館の前庭でテープに耳を傾けた伸一は、「これで決定だ!」と。原稿には「決」の赤い文字が躍りました。


 そして、完成した歌の合唱を聴きながら、同志一人一人に思いをはせるのです。“この歌とともに、中国の同志が、はつらつと前進を開始してほしい。幸せの花を咲かせてほしい。人生の勝利を飾ってほしい”と。


 こうした師の深い思いを胸に、中国の同志は、その後も続いた広布の厳しい試練の冬にも微動だにせず、「地涌の讃歌」を高らかに歌いながら前進し続けてきました。


 今月7日、「中国青年部の日」の淵源である第1回中国青年平和総会から25周年を迎えました。


 中国青年部は当時、東京牧口記念会館に方面として“一番乗り”を果たし、池田先生に出席いただくことができました。“自身の戦いに勝利し、師匠との誓いを果たす”――先輩方が示してくれたこの共戦の伝統こそ、永遠に変わらぬ中国男子部の魂だと確信します。


 中国男子部は今、この「5・7」から男子部結成記念日の「7・11」までを励まし期間として、前進中です。池田先生が一人一人と心の絆を結び続けてこられたように、電話や手紙、オンライン等を活用しながら、目の前の友への励ましに全力で取り組んでいます。


 さらに、小説『新・人間革命』の研さんや自身が掲げる唱題目標の実践に勇んで挑戦してまいります。そして、“人材の中国”の底力で、新たな広布のうねりを巻き起こしていく決意です。


(2020年5月30日 聖教新聞)







最終更新日  2020.05.30 20:15:47
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