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晴ればれとBlog

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「新・人間革命」と私

2020.05.21
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​​​「新・人間革命」と私 総千葉長 髙木義介さん

(山本伸一は「水滸会」の野外研修の場所を考え)太平洋の旭日を仰ぐ、千葉県・犬吠埼としたのである。そこには、伸一がこの年の秋に、世界平和への第一歩を印す、アメリカにつながる海がある。広宣流布の大海に船出する、気宇壮大な丈夫の集いにふさわしい景勝の地といえた。〈第2巻「練磨」の章〉​​​


〈時代背景〉


 1960年(昭和35年)7月30日、31日にかけて、男子部の「水滸会」の野外研修が千葉県・犬吠埼で行われた。山本伸一は、駆け付けた地元・銚子の同志と即席の“野外座談会”を開催。誠実に、真剣に、時にユーモアを交えながら、友に励ましを送った。また31日には、千葉の富津へ。女子部の「華陽会」の研修に参加し、激励を重ねる。


世界を照らす人材の天地と 


 「錬磨」の章に描かれる銚子と富津での山本伸一の激励行は、千葉の黄金の歴史として輝いています。


 この章を改めて読み、思うのは、千葉の持つ使命です。第3代会長に就いたばかりの伸一が初の海外訪問を目前に、世界広布の未来を見据え、次代を担う青年育成の場として千葉を選んだ。そこに深い意義を感じます。池田先生の会長就任60周年、さらに銚子・富津訪問から60周年の今、千葉から世界の未来を照らす人材を輩出することを深く誓っています。


 また、銚子での“野外座談会”で伸一が同志のために自ら摘んだ花を贈る場面では、一瞬の出会いを逃さず、一人一人と原点を築こうとする真心が胸に迫ってきました。


 私自身、先生のそうした慈愛を感じた思い出が幾度もあります。中でも男子部書記長として本部幹部会等の運営に携わらせていただき、同志の喜びになればと、次から次に励ましを送る先生の姿を間近に学んだ日々は、人生の宝です。この師の魂を一人でも多くの友に伝え、師弟の大道を歩んでいきたいとの一心で、小説『新・人間革命』を学び深めながら、同志と共に千葉広布に走り抜いてきました。



 小説には、千葉の友との歴史が数多く描かれていますが、特に心に刻むのは、千葉の県歌「旭日遙かに」の制作の背景が書かれた「広宣譜」の章です。同章で先生は、日蓮大聖人有縁の千葉を舞台に戦う同志は「最も功徳を身に受け、幸せの実証を示してほしい」と記されました。


 この心に応えようと、千葉で開催された2年前の関東総会では、ブロック1を超える拡大を達成しました。そして、総会直後の6月6日、牧口先生の生誕日に池田先生が千葉に来県。浦安平和会館を写真に収め、先師の千葉での足跡をしのんだ思いを後日の随筆でもつづってくださり、新たな歴史を刻んでくださいました。


 我らが掲げる「旭日の千葉」とは、師弟の“誓いの合言葉”。師への尽きせぬ感謝を胸に、一人一人が地域の太陽として輝いていきます。


(2020年5月21日 聖教新聞)







最終更新日  2020.05.21 19:25:29
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2020.05.18

​​「新・人間革命」と私 欧州女性部長 スザンヌ・プリチャードさん

“現在の世界の悲劇も、結局、人間が引き起こしたものだ。ならば、人間が変えられぬはずはない”
 伸一は、地球を一身に背負う思いで、人類の融合と平和への挑戦を開始したのである。〈第5巻「開道」の章〉



〈時代背景〉​​


 1961年10月8日、山本伸一は東西冷戦による分断の象徴となったベルリンの壁の前に立つ。そして、その夜、東西ドイツの統一と世界平和への誓いを込め、同行の友と祈りをささげた。翌日にケルンを訪れた後、オランダ、フランスのパリ、そしてイギリスのロンドンへ。平和と文化、歴史を巡り、同志や市民と各地で語らいの花を咲かせる。


“勇気・誠実・確認の言葉が閉ざされた人間の心の扉を開く”
 

生死や人間主義の哲学について、また政治、芸術、教育といった幅広い題材が取り上げられている「開道」の章は、山本伸一が、欧州分断の象徴であるベルリンの壁に立った、その日の夜の出来事から描かれています。


 分断の兆しが見られる現在の欧州にあって、“道を開くことは対話から始まる”“勇気の言葉、誠実の言葉、確信の言葉が閉ざされた人間の心の扉を開く”とのメッセージは、私たちの胸にとても強く響いてきます。


 このような時代だからこそ、『新・人間革命』を徹底して研さんし、広布と社会をリードしゆく“開道の使命”を担う後継の青年のスクラムを、欧州にさらに広げていかなければならないと強く決意しています。


 私自身、『新・人間革命』を学ぶ中で、自分自身の道が大きく開けたような思いがした経験があります。それまでの私は、個人主義を称賛する文化が色濃く残る欧州にあって、「師弟」という概念をなかなか受け止めることができなかったのです。しかし、『新・人間革命』の中の伸一の振る舞いや言葉に触れ、その心が変わりました。


 戸田先生との師弟の誓いに生き抜きながら、深き祈りで無限の智慧、勇気、慈悲を湧現させ、広布の原野を切り開いていく。しかも、どんな時も謙虚で、ユーモアと温かさがある……。師弟の中にこそ人間の道があり、ここに幸福な人生があると確信しました。



青年と共に欧州の未来開く


 欧州青年部は今、「『新・人間革命』世代よ 光り輝け!」と題して、小説の研さん運動を推進しています。私自身も触発を受け、再び『新・人間革命』読了への挑戦を開始。師の心を学び、実践する中でさらに強固な師弟の絆を結ぼうと、対話にも挑んでいます。


 本章には「伸一は、青年の育成に、真剣に取り組んできた。どこにいても、青年たちの栄光の未来に期待を寄せ、その成長を念じながら、懸命に対話したのである」と記されています。


 この言葉のままに、どこまでも青年と共に、いつまでも青年の心で、欧州の希望あふれる未来を開いていく決意です。


(2020年5月18日 聖教新聞)







最終更新日  2020.05.20 12:53:32
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2020.05.16

​​心に刻む珠玉の言葉

「新・人間革命」と私 沖縄男子部長 銘苅伸一さん

 創価学会の広宣流布の戦いには、誰人たりとも、また、一人たりとも犠牲はありません。すべての人が、最後は必ず幸福になれるのが、日蓮大聖人の仏法です。楽しく、愉快に、幸せを満喫しながら、この沖縄を楽土に転じていこうではありませんか。<第6巻「若鷲」の章>

〈時代背景〉
 沖縄支部結成から2年、総支部結成から1年を経た1962年(昭和37年)7月17日、山本伸一は目覚ましい広布伸展を遂げた沖縄の地を訪問。18日に沖縄本部の落成式に出席し、炎天下、本部の屋上に上がって「沖縄健児の歌」の指揮を執り、同志を鼓舞した。翌19日には、帰京する前に南部戦跡を回り、恩師の平和思想の実現を誓う。

師の真心に応える前進!
 「若鷲」の章には、山本伸一が沖縄の同志を鼓舞するため、炎天下の屋上で「沖縄健児の歌」の指揮を執るシーンが描かれています。
 以前、その場に集った草創の先輩に話を聞いたことがあります。「貧しかったけれど、いよいよ広宣流布が本格的に始まると胸を躍らせ、対話に走った」と語る姿は、とても印象に残っています。​​


 本年は、沖縄支部結成60周年。今こそ私たち青年部が、池田先生との原点を築き、後継の道を歩まなければならないと強く感じます。
 私が先生との原点を築いたのは12年前、介護施設の職員として勤務していた頃です。当時、父が営んでいた中古車販売会社が倒産。職場では自身の力のなさに落ち込み、家に帰ると経済苦に悩む毎日でした。
 そんな中、男子部の先輩が私を訪ねて激励してくれました。「宿命を転換するには折伏しかないよ!」

  ――私は変わりたい一心で、がむしゃらに対話に挑戦。家族で祖母の介護をしながら、一緒に学会活動に走り回りました。くじけそうな時もありましたが、先生の『新・人間革命』の連載を読んでは“きょうも負けないぞ!”と自身を鼓舞し、その年の7月16日についに初の弘教が実ったのです。くしくもその日は、池田先生が沖縄を初訪問された日でした。
 以来、不思議にも家計に希望の兆しが見え、仕事でも少しずつ自信が持てるように。後に二つの部署の責任者を任されるまでになりました。
 先生と共に諦めずに前進すれば、必ず苦境は乗り越えられる。これが私の確信です。


 現在、沖縄でも新型コロナウイルス感染拡大の影響は甚大です。苦境に立たされている同志もいます。だからこそ、沖縄男子部では『新・人間革命』をはじめ先生の著作を通して沖縄の使命を学び、師匠の真心に触れ、「きょうも負けない一日を」と共に励まし合っています。先生は沖縄に、「世界で最初の広宣流布の地帯に」と指針を贈ってくださっています。必ずや皆で大成長し、幸福勝利の人生を歩み抜いてまいります。


(2020年5月16日 聖教新聞)







最終更新日  2020.05.16 21:51:59
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2020.05.12

​​心に刻む珠玉の言葉「新・人間革命」と私 
岐阜総県婦人部長 田中一恵さん

「皆さんの手で、必ず飛驒(ひだ)に、『幸福の花園』を、『人間共和の故郷』を築いていってください。これだけの同志が本気になって立ち上がれば、絶対にできます。断言しておきます」<第12巻「愛郷」の章>
 
〈時代背景〉
 1967年(昭和42年)5月末にアメリカ、ヨーロッパ訪問から帰国した山本伸一は、休む間もなく日本各地の同志の激励に奔走する。8月15日には、岐阜県高山市へ。江戸時代、悪政によって民衆が苦悩の辛酸(しんさん)をなめ、近代になっても貧苦(ひんく)を強いられた地を、創価の同志の手で「幸福の花園」「人間共和の故郷」にと熱い期待を寄せる。
 
無理解の中で
 かつて飛騨(ひだ)地方の学会員は、旧習深い土地柄の影響で、いわゆる“村八分”や親からの勘当などの無理解に苦しみました。また交通の便も悪く、大変な困難の中で広布を進めていました。
 そうした渦中の1967年(昭和42年)8月、池田先生が高山市を訪問。飛騨の地に師弟の原点が刻まれました。
 先生は“強き一念が功徳を引き出す要諦”と訴え、ユーモアを交えて“女性は素晴らしい着物を、男性は超高級の背広を着て、またお会いしましょう”と呼び掛けられたのです。経済苦と格闘するメンバーにとって、宿命転換した姿で師匠に応えようとの誓いの日になりました。
 
師弟の誓願を胸に
 以来、約半世紀。友は誓願を胸に、学会理解の輪を広げてきました。
 近年、東西の創価学園生が白川郷をはじめ飛騨の各地を研修等で訪れる機会があり、地域の方々は真心の歓迎をしてくださっています。
 またうれしいことに、飛騨地方から、今年で32年連続で創価教育の園に人材を送り出すことができました。
 飛騨池田県婦人部・女子部の『新・人間革命』の勉強会には昨年末、150人が参加。うち32人は友人で、後にこの中から8人が入会しました。
 飛騨の前進と符合するように、現在、この地を訪れる人々は年間400万人以上に。日本屈指の観光地となり、見事な発展を遂げています。
 
“地域建設の主体者”の自覚強く
 また、岐阜市は池田先生の奥さまが、若き日に疎開(そかい)された地です。私は、同市内でボランティアグループに所属。当初は学会に対する無理解もありましたが、今では学会への入会者や、聖教新聞の購読者も誕生しています。
  3年前には、奥さまも経験された岐阜空襲を語り継ぐ活動を開始。本年、岐阜地区子ども会育成協議会から表彰を受け、地域貢献の実証を示すことができました。現在は、コロナ禍で急増する生活困窮者に食料や衣服等を配送などする活動にも尽力しています。
 未曽有の感染症拡大に伴い、不安が漂う今こそ“地域建設の主体者”との自覚を強め、地域に希望を送ってまいります。​​


(2020年5月12日 聖教新聞)







最終更新日  2020.05.12 22:36:18
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2020.05.09

​心に刻む珠玉の言葉「新・人間革命」と私
男子部大学校事務局長 中原洋平さん


​ 彼(山本伸一)は思った。“師の確信は、いつでも真実を語る。されば弟子も真実で応えねばならない”。それは苦闘の時代ではあったが、師弟の道を歩む一日一日は、黄金の輝きに満ちていた。(中略)人生の勝負は、一時の浮沈(ふちん)ではなく、(中略)一生という流れのなかで明確になる​。<第4巻「凱旋」の章>​


 <時代背景>
 戸田城聖先生の四回忌法要の翌日である1961年(昭和36年)4月3日から、山本伸一は各地の支部結成大会などに出席。群馬・高崎では、前年に詩を贈って励ました青年たちとの再会を喜び、島根・松江では、口べたで悩む支部長に「声仏事」と認めて贈った。迎えた第3代会長就任1周年の5月3日を、伸一は広布の大躍進で飾る。
 
師弟こそ人生勝利の羅針盤
 山本伸一が全国各地を訪れ、友を励ます様子が描かれた「凱旋」の章。埼玉指導への途次、伸一は、かつて恩師・戸田先生と大宮方面に来たことを思い起こします。
 事業が最大の苦境にあってもなお、悠然たる恩師の姿に、伸一が感慨を深くする場面が、強く印象に残りました。
  “人生の勝負は、一生をかけて決まる”とあります。そのことを、ずっと教えてきてくださったのは池田先生です。私自身、創価教育で学び、また学会活動を通して、一時の活躍ではなく「人生に勝つために」、何が大切であるかを先生に教えていただきました。
 読書や親孝行、そして何より師弟こそ、人生勝利の“人間学”です。男子部大学校生に伝えたいのも、この一点です。
 これまで多くのメンバーと出会いを刻んできました。本章の舞台となった各地でも、大学校生やその出身者が広布の人材として躍り出ています。
 彼らの中には、人生の紆余曲折(うよきょくせつ)を経験し、自分に自信を持てなかったメンバーもいます。しかし先輩や同志に背中を押され、大学校で挑戦の一歩を踏み出すのです。
 そうした一人一人に送るかのように、本章で、伸一はこうも語ります。「青年にとって大事なことは、どういう立場、どういう境遇にあろうが、自らを卑下しないことです。何があっても、楽しみながら、自身の無限の可能性を開いていくのが信心だからです」と。
 小説『新・人間革命』や大学校指導集を研さんする大学校生は、池田先生の指針を、生命に刻むように学んでいます。そうして師匠の心に触れたメンバーが、信仰歴の長短や先生との出会いのあるなしにかかわらず、師弟を人生の真ん中に置いて成長する様子を、目の当たりにしてきました。
 大学校の1年間は、信心の確信を深め、人生勝利の羅針盤たる「師弟の絆」を確立する時。「久遠の『誓い』を果たすために、君と私は、今ここにいる」との先生の万感の期待を胸に、社会が揺らぐ今だからこそ、全国・全世界の同志と手を携えて、前進してまいります。​


(2020年5月9日 聖教新聞)







最終更新日  2020.05.12 22:26:59
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2020.04.09

〈心に刻む珠玉の言葉〉

​​​「新・人間革命」と私
九州男子部長 岩田健児さん

​ 人生は、20代、30代で、ほぼ決定づけられてしまう。ゆえに、これから10年間を一つの目標として、広布の庭で戦い、自身を磨(みが)き、高め、進んでいってもらいたい。​
 そして、10年後に、再びこのメンバーで集い合いたいと思う。<第2巻「民衆の旗」の章>
 
〈時代背景〉
 山本伸一は、会長に就任した7カ月後の1960年(昭和35年)12月、大分支部の結成大会に出席。この支部結成をもって、九州の布陣は整った。大会終了後には、役員の青年たちを激励し、“10年後に勝利した姿で再び集い合おう”と提案。その約束通り、彼らは10年後、自らを磨き鍛え、見事に成長した姿で伸一のもとに集ったのである。
 
10年後を目指して
 10年後を目指して進もう!――山本伸一が、大分の青年たちに未来への指標を与える場面が描かれた「民衆の旗」の章。
 ここには、10年後に伸一との感動の再会を果たしたメンバーが、さらに切磋琢磨(せっさたくま)しながら、広宣流布を担う人材へと成長していったこともつづられています。
 本年、学会は創立90周年。10年後には100周年の佳節を迎えます。師の期待を胸に、九州広布を担う男子部の“後継の若き力”と、成長と勝利の節を刻んでいこうと誓い合っています。
 また私自身、今こそ、同志に師の心を伝えられるようにと、池田先生の小説『新・人間革命』を研さんしています。小説を学べば学ぶほど、前進の活力がみなぎり、師弟の原点が深まっていく。これが私の確信です。

 創価高校に通っていた時には、創価学園の歴史がつづられた「栄光」の章が、創価大学生だった時には「創価大学」の章が聖教新聞紙上で連載。先生の深い慈愛を感じながら、悔いなき鍛えの青春を送りました。
 大学卒業後、新社会人として旅行会社に就職した際には、小説に描かれた伸一の奮闘にどれほど勇気をもらったか分かりません。その後も「薫風」「人材城」「清新」「雄飛」「勝ち鬨」などの各章で、幾度も九州広布の歴史や同志との絆を教えていただきました。
 3年前には「雌伏」の章を何度も読み返しては折伏に挑戦。熊本での全国男子部幹部会の直前に、御本尊流布を達成できたことは忘れられない思い出です。
 
「火の国」から一騎当千の陣列を
 新型コロナウイルスの感染拡大で閉塞感(けいそくかん)が漂う現在、九州男子部では一人一人が『新・人間革命』を“自分に贈られた先生の激励”と捉(とら)え、自身の人間革命に挑んでいます。また、電話やSNSなどあらゆる方法を駆使(くんし)して、一段と連携を密に、徹底して励まし合いながら進んでいます。
 令法久住を決定づける重要な10年。「先駆」の使命に燃える九州男子部が、「火の国」に一騎当千の池田門下の陣列を築き、先生の会長就任60周年の「5・3」を荘厳してまいります!​​​


(2020年4月9日 聖教新聞)







最終更新日  2020.04.09 12:18:40
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2020.04.04

〈心に刻む珠玉の言葉〉

​「新・人間革命」と私
女子中等部長 榎本浩美さん

​​ 大切なのは触発(しょくはつ)だ。その触発をもたらすには、日々、命を削(けず)る思いで、成長を祈ることだ。そして、“どうすれば、みんなの励みになるのか”“どうすれば、希望がもてるのか”“どうすれば、勇気が出せるのか”を、瞬間瞬間、懸命に考え続けていくことだ。​​〈第9巻「鳳雛」の章〉
 
〈時代背景〉
 1964年(昭和39年)6月、高等部と中等部の設置が発表された。まず高等部が各地に順次結成。翌年1月15日には中等部が、9月23日には少年部(後の少年少女部)も誕生する。次代を担う若き力の育成に心血を注ぐ山本伸一の姿に触れ、子どもたちは自らの偉大な使命を自覚する。ここから後継の大河の流れは一段と開かれていった。
 
全ては成長を願う真剣さから
 本章に描かれた1964年は、東京オリンピックが開催され、日本国内が沸き返った年でした。
  一方で子どもたちを取り巻く状況は決して楽観視できるものではなく、特に、青少年の非行化が憂慮(ゆうりょ)されていたのです。
  「日本の未来、世界の未来を考える時、高校生や中学生などをいかに育成していくかは、極めて重要だ。そして、その模範を示していくことが学会の使命であり、これからの社会的な役割の一つといえる」――山本伸一は、この決心で、高等部や中等部への激励の手を次々と打っていきます。
 
 その姿に感服した青年部のリーダーが、尋ねました。「そうしたお考えは、どうすれば出てくるのでしょうか」
  伸一は「すべては真剣さだよ。私は、21世紀のことを真剣に考えている」「強き祈りの一念が智慧(ちえ)となり、それが、さまざまな発想となる。責任感とは、その一念の強さのことだ」と。
 
どんな状況でも希望は創れる
 私は、この一節に触れるたび、自分の未来部時代に励ましてくださった創価家族の姿を思い起こします。合唱団に所属して挑戦の日々を送っていた私に、いつも勇気と自信を与えてくれた担当者の方々の笑顔と声。高校受験の不安やプレッシャーで押しつぶされそうだった時に、地域の同志の方々から頂いた手紙やはがきの数々――。どれほどの真剣さで私の成長を祈ってくださっていたかと思うと、感謝が込み上げてなりません。
  今、全国の未来部の中にも、悩んでいるメンバーがいます。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う休校の延長などで、寂しい思いを募らせたり、苦しい思いを抱いたりしている子も少なくありません。私自身、直接会うことはできなくとも、どうすれば先生の心を伝えられるか、皆さんが笑顔になれるか、元気になれるかを祈り考えながら、電話や手紙、メールで励ましを送る毎日です。
  どんな状況であろうとも希望は創り出せる――そのことを私は学会の中で学びました。今ここから師と共に、深い使命を持った未来部と共に、創立100周年を朗らかに勝ち開いてまいります。​


(2020年4月4日 聖教新聞)







最終更新日  2020.04.04 13:08:18
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2020.03.17

​​「新・人間革命」と私
信越青年部長 浦沢茂樹さん

​ 伸一は、“わが生涯の師と定めた戸田先生のことを、広く社会に、後世に、伝え抜いていかなくてはならない”と、深く深く決意していた。その時の、炎(ほのお)のごとき思いは、生命(いのち)の限りを尽くして、師弟の尊(とうと)き共戦の歴史を織​​(お)​り成​(な)​していくなかで、不動の誓いとなっていくのである。​〈第9巻「衆望」の章〉

 〈時代背景〉
 広布に生涯を捧げた恩師・戸田城聖の伝記を書かねばならない――そう決意していた山本伸一は1964年(昭和39年)12月2日、沖縄本部で小説『人間革命』の執筆を開始。最も戦争の辛酸(しんさん)をなめた沖縄から、幸福と平和の波を広げようと思っていたのだ。冒頭が「戦争ほど、残酷(ざんこく)なものはない……」と決まると、ペンは滑らかに走り始めた。

師の偉大さを証明する弟子に
 生涯を懸け、偉大な師匠の功績(こうせき)を宣揚(せんよう)する――この池田先生の“ペンの闘争”がなければ、今日を生きる私たちは、学会の歴史や師弟の精神を正しく学ぶことはできなかったと感じています。
 「衆望」の章では、全ての同志にとって、最高の“信心の教科書”である小説『人間革命』の執筆を開始した当初の真情を、教えてくださっています。特に、山本伸一が戸田先生の逝去の8カ月前、軽井沢での恩師との語らいの中で、“小説を書き残すことこそ師の期待である”と確信する場面が心に残りました。
 信越(しんえつ)の私たちこそ、誰よりも真剣に小説『人間革命』『新・人間革命』を学び、広宣流布の新たな歴史をつづっていかなければならないと改めて決意しました。
 小説には、伸一が恩師と胸中で語らい、恩師に誓いを立てる場面が数多く描かれていますが、私たちもまた、師と心で対話し、師に誓願を立てて進むことが、自らの信心を深め、勝利を開く力になると確信します。

 忘れられない思い出となったのは、2018年5月に信越総会が行われた時のことです。当時、信越男子部長として「皆が勝利した姿で総会を迎え、池田先生に報告しよう」と呼び掛けていた私は、先生の指導を心に刻みながら率先の折伏に挑む中、自身の殻(から)を大きく破り、友人に弘教を実らせることができました。
 これに各県、創価班、牙城会、男子部大学校のリーダーが続き、信越男子部として、限界を破る対話拡大を達成。大歓喜の中で、総会を迎えることができました。
 『新・人間革命』第30巻<下>の「あとがき」で、先生は「師の本当の偉大さは、あとに残った弟子が、いかに生き、何を成したかによって証明される」とつづられました。この言葉のままに、世界中の池田門下が『新・人間革命』を学び抜きながら自身の人間革命に挑戦し、わが生涯を懸けて、その真価を発揮する時代が到来しました。
  信越青年部は、『新・人間革命』の起稿・脱稿の地で戦う誇りも高く、広布の先頭に立って戦い抜いてまいります。​​


(2020年3月17日 聖教新聞)







最終更新日  2020.03.17 17:28:38
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2020.03.10

​​心に刻む珠玉の言葉 「新・人間革命」と私
在日外国人部女性部長 杉原容子さん

 学会の世界には、なんの差別もない。学会が弘めんとする日蓮仏法は、人種、民族、国籍、性別、年齢等のいかんにかかわらず、すべての人が、必ず幸福になる方途を説き明かした生命の法理であるからだ。<第8巻「激流」の章>

時代背景
 日本が韓・朝鮮半島で行った非道(ひどう)な支配の影響は戦後も続き、日本には在日韓国人への差別(さべつ)と偏見(へんけん)が満ちていた。1951年(昭和26年)5月、隣国の民の幸福をも祈っていた戸田城聖が第2代会長に就任する。在日の人々は差別のない学会の温かな世界に触れ、信心をするように。宿命転換を果たす中で、祖国の広布への思いを強くしていく。

励ましのスクラムを世界へ
 「激流」の章につづられた在日韓国人の同志の奮闘に、胸を打たれました。戦後間もなく折伏を受け、日本に根付く差別や偏見に信心根本で立ち向かいながら、宿命転換を果たし、祖国の広布のために尽くす様子に感動を禁じ得ませんでした。
 私は昨年、在日外国人部の女性部長の任命を受け、各国の在日メンバーと共に学会活動に励んでいます。在日外国人部では、英語、スペイン語、ポルトガル語、韓国語、中国語、フランス語などの言語別でメンバーが定期的に集い、信仰体験を語り、御書や小説『新・人間革命』を研さんしています。また、通訳翻訳部の方々に尽力いただき、多言語に対応した本部幹部会の中継行事を開催し、皆で師弟の誓いを深め合っています。
 メンバーは、言葉や習慣の壁、それぞれの国の社会情勢の変化など、さまざまな悩みを抱えつつも、唱題に励み、信心の確信を深めています。そして何より、同じ師匠のもとで広布に歩む学会員であることを一番の誇りにして、挑戦の日々を送っているのです。その姿を目の当たりにするたびに、創価の温かな励ましのスクラムを世界に広げてこられた池田先生に、感謝の念を抱かずにはいられません。

誤解と偏見を超えて
 本章には、韓国国内で学会が日本の宗教という偏見と誤解から、批判的に見られていた中にあって、韓国SGIの友が誠実に社会貢献に励む様子とともに、苦難に耐える韓国の友が日本に来るたびに山本伸一が直接、真心の励ましを送ってきた場面も描かれています。
 思えば、私が創価大学に在学していた時、創立者の池田先生が在日韓国人の学生に渾身の励ましを送る場に居合わせたことがありました。この時の模様は、第15巻「創価大学」の章にも紹介されていますが、民族や文化、国境を超え、一人一人の幸せを心から願われていた師の姿は、今も脳裏から離れません。
 こうした師の心をわが心とし、在日メンバーの具体的な悩みに寄り添いながら、創価の励ましのスクラムがさらに広がっていくよう、力を尽くしていく決意です。​​


(2020年3月10日 聖教新聞)







最終更新日  2020.03.11 00:57:42
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2020.03.09

​​〈心に刻む珠玉の言葉〉

新・人間革命」と私
東海道青年部長 米澤卓哉さん

 戦ってきたわが同志にとって、(宗門からの)“破門”なるものは、栄えある解放であった。
 それは、仏法の人間主義をもって世界を潤す、新しき夜明けの到来であり、その日は、創価学会の魂の独立記念日となったのである。〈第16巻「羽ばたき」の章〉
 
〈時代背景
 1972年(昭和47年)10月、総本山に山本伸一が発願主となって建立寄進した正本堂が完成した。ところが98年(平成10年)、創価の師弟の分断を企てた“法主”の日顕によって、正本堂は解体。それは800万信徒の赤誠を踏みにじる暴挙(ぼうきょ)であった。学会は宗門の暴虐(ぼうぎゃく)の嵐を勝ち越え、人間主義の世界宗教として羽ばたいていく。
 
信徒の赤誠を踏みにじった宗門の暴挙
 正本堂破壊やC作戦の歴史がつづられた「羽ばたき」の章を開くたびに、大恩ある池田先生を裏切り、学会員の真心を踏みにじった邪宗門への憤怒(ふんぬ)の気持ちが湧き上がります。私の祖母も正本堂建設のために生活費を切り詰めて供養した一人であり、破壊された年に聞いたその話は、今も忘れられません。
 「“学会の正義は厳たり。邪宗門と断じて戦わん”との決意を込めて、大石寺周辺でも、創価の同志は、厳然と三色旗を掲げていた」――本章には当時の模様がこう記されていますが、寺周辺の青年部員と会うたびに、この闘魂は今も赤々と燃えていると感じます。
 ある友の父親は寺に関係する仕事に就いていましたが、学会の破門に伴って解雇。食べるものにも事欠く家族を支えるために、その友は16歳で就職する道を選びました。学会の正義を示そうと懸命に働き、今では会社の要の存在に。弟も弁護士となり、地元の有力者から「地域で一番幸せな一家だね」と言われるまでに信頼を広げています。
 
正義の魂継ぐ弟子の陣列を
 東海道には先輩方が味わった悔しさを忘れず、創価の師弟の道を歩み抜こうと誓う青年部員が陸続と育っています。それもひとえに、池田先生が『新・人間革命』に学会の歴史を書き残してくださったからにほかなりません。私自身、『新・人間革命』につづられた指導を、常に戦いの規範としてきました。
 先生と呼吸を合わせれば必ず勝てる。これが私の確信です。学会活動の時間が思うように取れずに悩んでいた18年前、先生から“楽しくやるんだよ”と声を掛けていただきました。祈る中、“苦労を重ねた先に楽しさはある”と気付き、時間をこじ開けて対話に挑戦。1カ月後に弘教を実らせることができました。


 本年は、C作戦から30年。この時に、私を含め東海道青年部のリーダーの多くが、先生が「正義」の二字を神奈川で認められた1979年(昭和54年)生まれであることに深い意義を感じます。今こそ『新・人間革命』を心に刻み、正義の魂を継ぐ堂々たる弟子の陣列を築きます。​​


(2020年3月9日 聖教新聞)







最終更新日  2020.03.09 12:50:04
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