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小説『新・人間革命』に学ぶ

2020/10/28
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〈世界広布の大道〉
小説「新・人間革命」に学ぶ 第24巻 解説編 
池田主任副会長の紙上講座    
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第24巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

池田主任副会長インタビュー 新・人間革命24巻 4:39

ポイント
 ①「冥の照覧」の確信
 ② 人間のための宗教
 ③「地区」強化の要点


 現在、女子部・白蓮グループが、「セレブレイト(祝賀)期間」(11月18日まで)として、励ましの輪を拡大しています。
  


 池田先生は各地で開催されているオンラインの集いにメッセージを寄せられ、「最高に福運あふれる白蓮のいのちで、何があっても朗らかに前へ前へと進み、友情を広げ、『新・人間革命の世紀』を照らしていってください」と万感の思いを述べられました。
  


 「厳護(げんご)」の章は、「白蓮グループ」をはじめ、男子部人材グループ「創価班」「牙城会」のメンバーにとって、任務の意義やグループの精神を深めるための重要な章です。
  


 各グループの結成の歴史は異なります。しかし、根本精神は共通しています。「『冥(みょう)の照覧(しょうらん)』を確信して、仏道修行に励むこと」(146ページ)です。
  


 そのことは、清掃に励む白蓮グループの姿を見て、山本伸一が詠(よ)んだ「かみくずを ひろいし姿に 仏あり」(142ページ)との句にも端的に示されています。誰が見ていなくとも、広布への無私の献身(けんしん)を貫(つらぬ)く――その心に、功徳・福運が積まれていきます。
  


 今月1日、日本の白蓮グループとブラジルの「セレジェイラ(桜)グループ」のオンライン懇談会が開催され、「厳護」の章に記された「冥の照覧」の精神、「自発の心」を学び合いました。「冥の照覧」の精神は、世界の青年部にも受け継がれています。
  


 また、「灯台」の章では、「社会部」「団地部」「農村部(現・農漁光部)」の友の奮闘が描かれています。
  


 三つの部は、1973年(昭和48年)10月に誕生しています。この時、学会は翌74年(同49年)の年間テーマを「社会の年」と掲げました。当時、中東戦争によって石油価格が急上昇し、世界は不況に覆(おお)われつつありました。また、異常気象による、深刻な食糧不足にも脅(おびや)かされていました。
  


 こうした状況の中で、創価の同志は、「社会のテーマに、真っ向から挑み、活路を開き、人びとを勇気づけていくことこそ、仏法者の使命」(291ページ)との誇りを胸に、職場や地域で信頼の輪を大きく広げていきました。
  


 仏法を社会に開いていくことは、私たちの使命です。その根本こそ、一人一人の「人間革命」なのです。

“世界のすべての母たちをたたえたい”――創価世界女性会館にある「母」の歌碑の前で、「母」と“大楠公”をピアノ演奏する池田先生。香峯子夫人が笑顔で見守る(2016年6月25日、東京・信濃町で)


創価の教学運動
 「厳護」の章に、教学は「民衆の日々の生活に根差し、行動の規範」(164ページ)となるものであり、「人生の確信、信念となり、困難や試練を克服する力」(同)とあります。
  


 伸一は、教学運動の潮流をさらに広げようと、77年(同52年)を「教学の年」とすることを提案します。仏法の法理を世界に展開するためには、“人間のための宗教”という視座に立ち、教学上の一つ一つの事柄を捉(とら)え直(なお)す必要性を感じていたのです。
  


 同年1月15日、伸一は大阪で開催された教学部大会で、「仏教史観を語る」と題して記念講演を行います。この中で、「現代において創価学会は、在家、出家の両方に通ずる役割を果たしている」(188ページ)、「寺院の本義からするならば、学会の会館、研修所もまた、『現代における寺院』というべき」(191ページ)と語ります。
  


 ところが、宗門の僧たちは、この講演を宗門批判と捉え、あろうことか、学会攻撃の材料としました。(第27巻「正義」の章参照)
  


 この背景について、佐藤優氏は、週刊誌「AERA」(10月12日号)の「池田大作研究」で論じています。「1977年に入ると日蓮正宗の宗門僧が創価学会に対する攻撃を始めた。多くの諍(いさか)いが生じたが、その背景には、僧侶が『上』、一般信徒は『下』とする宗門の宗教観と、そのようなヒエラルキーを認めない民衆宗教である創価学会の基本的価値観の対立があった」。そして、「創価学会が世界宗教として展開するために宗門との訣別は不可欠だった」と結論付けています。
  


 学会が世界宗教として飛翔(ひしょう)できたのは、「人間のための宗教」という視座に立ち返り、“生きた教学”を現代に蘇(よみが)らせたからにほかなりません。


  


 今、世界の教学運動は同時進行です。「大白蓮華」に連載されている池田先生の御書講義「世界を照らす太陽の仏法」は、世界中で学習され、SGIの前進の原動力となっています。仏法の哲理が、「創価学会員という市井の人びとのなかに、確固たる哲学、思想として、生き生きと脈打っている」(164ページ)のです。
  


 その源流には、「仏法を、時代の要請に応えた『希望の哲学』として、現代社会に復権させなくてはならない」(205ページ)との、師匠の並々ならぬ闘争があったことを、決して忘れてはなりません。


幹部同士の団結
 今月18日、香川・小豆島(しょうどしま)のサンフラワー地区(小豆島圏)のオンライン座談会に参加しました。
  


 初のオンラインでの開催でしたが、これまで参加できなかった方も集うことができ、歓喜あふれる座談会となりました。この大成功の陰には、地区部長・地区婦人部長が、担当幹部と連携を取り合い、感染防止に留意しながら、地区内をくまなく訪問激励に回った奮闘がありました。
  


 「人間教育」の章では、77年(同52年)の活動方針の一つが「大ブロック(現在の地区)」の強化であり、伸一自らが大ブロックに光を当て、リーダーを激励していく場面が描かれています。
  


 伸一は、大ブロック強化の最も重要な点として、「(担当で入る)幹部同士の団結」(211ページ)を挙げます。さらに、「幹部が力を合わせて、一人ひとりを徹底して励ますんです」(同)、「皆さんに声をかけ、悩みに耳を傾け、勇気づけ、元気づけ、抱きかかえるようにして励ましていただきたい」(212ページ)、「“会長だったら、どうするか。どういう思いで、どう励ますか”を考え、私をしのぐような激励をしてください」(同)と、何度も「励まし」を強調しています。
  


 ここに示されているように、「地区の強化」といっても、どこまでも「一人への励まし」に尽きます。「人間の心こそが、すべての原動力」(213ページ)だからです。
  


 「大白蓮華」10月号の巻頭言で、池田先生は「一隅(いちぐう)を 照(て)らす宝光(ひかり)の 励ましは 地涌(じゆ)のいのちを 未来の果(は)てまで」と詠(よ)まれました。
  


 今月から、「励まし週間」も再開しました。一人一人が真心の励ましに徹し、わが「誓願の地区」から希望の光を放ってまいりましょう。

緑輝く山形県の田園風景(1987年7月、池田先生撮影)。「灯台」の章には、山本伸一が74年9月、同県・東根市の果樹園を訪れ、農業に従事する友と懇談する模様が描かれている


名言集
●平和の原点
 わが子を愛し、慈(いつく)しむ母の心には、敵も味方もない。それは、人間愛と平和の原点である。(「母の詩」の章、47ページ)


●訓練の大切さ
 頭で理解し、わかっていることと、実際にできることとは違う。災害の時なども、知識はあっても、いざとなると、体がすくんで動けなくなるケースが少なくない。訓練を繰り返し、習熟(しゅうじゅく)していってこそ、教えられたことが、実際に行えるようになるのだ。訓練とは、体で、生命で習得していくことである。(「厳護」の章、157ページ)


●座談会
 座談会は、創価学会の大地である。この大地がよく耕(たがや)され、肥沃(ひよく)になってこそ、木々も生い茂り、花も咲き、果実も実るのだ。(「人間教育」の章、202ページ)


●人間教育の場
 創価学会は、自分を磨き高め、真の人間の生き方と、社会建設の道を教える、人間教育の場である。(「人間教育」の章、210ページ)


●創価の使命
 あきらめと無気力の闇(やみ)に包まれた時代の閉塞(へいそく)を破(やぶ)るのは、人間の英知と信念の光彩だ。一人ひとりが、あの地、この地で、蘇生の光を送る灯台となって、社会の航路を照らし出すのだ。そこに、創価学会の使命がある。(「灯台」の章、374ページ) 







Last updated  2020/10/28 09:44:07 AM


2020/10/21

〈世界広布の大道〉
小説「新・人間革命」に学ぶ 第24巻 御書編

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第24巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。挿絵は内田健一郎。


生も歓喜、死もまた歓喜
【御文】
 いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり(御書1504ページ、上野殿後家尼御返事)​


【通解】
 生きておられた時は生の仏。今は死の仏。生死ともに仏なのです。即身成仏(そくしんじょうぶつ)という重要な法門は、このことです。

【小説の場面から】
 <1976年(昭和51年)、山本伸一は、母・幸の見舞いに訪れ、御書を拝して語る>


 母は、病床に伏しながら、「うん、うん」と、目を輝かせて頷(うなず)き、伸一の話を聴いていた。それは、伸一が母のために行う、最初で最後の講義であった。
 伸一は、母は危篤状態(きとくじょうたい)を脱(だっ)したとはいえ、余命いくばくもないと感じていた。ゆえに、彼は、この機会に、仏法で説く死生観を、語っておきたかったのである。(中略)


 「広宣流布に戦い抜いた人は、生きている時は『生の仏』であり、どんな苦難があっても、それに負けることのない、大歓喜の日々を送ることができる。そして、死して後もまた、『死の仏』となる――それが、即身成仏という大法門なんです。
 ゆえに、生も歓喜であり、死もまた、歓喜なんです。永遠の生命を、歓喜のなかに生きていくことができるんです。万物を金色に染める、荘厳な夕日のように、最後まで、題目を唱え抜いて、わが生命を輝かせていってください」


 仏の使いとして生きた創価の母たちは、三世永遠に、勝利と幸福の太陽と共にあるのだ。伸一が語り終えると、母は、彼の差し出した手を、ぎゅっと握(にぎ)り締めた。(中略)
 翌日、母は、家族に語った。
 「私は、悔(くや)しい思いも、辛(つらい)い思いもした。でも、私は勝った。社会に貢献するような、そういう子どもが欲しかった。そして、自分の子どものなかから、そういう人間が出た。だから私は、嬉しいんだ」
 (「母の詩」の章、58~60ページ) 


広布の原理は「一人立つ」
【御文】
 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり……(御書1360ページ、諸法実相抄)​


【通解】
 はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである……。

【小説の場面から】
 <1977年(昭和52年)1月5日、聖教新聞紙上に山本伸一の「諸法実相抄(しょほうじっそうしょう)」講義の第3回が掲載された>


 「いつの時代にあっても、絶対に変わらない広宣流布の根本原理が、『一人立つ』ということです。大聖人も、そして牧口先生も、戸田先生も、決然と一人立たれた。(中略)
 『一人立つ』とは、具体的に言えば、自分の家庭や地域など、自身が関わっている一切の世界で、妙法の広宣流布の全責任をもっていくことです。私たちは、一人ひとりが、家族、親戚、友人等々、他の誰とも代わることのできない自分だけの人間関係をもっています。妙法のうえから見れば、そこが使命の本国土であり、その人たちこそが、自身の眷属となります。(中略)


 ゆえに、『一人立つ』という原理が大事になります。御本仏・日蓮大聖人の御使いとして、自分は今、ここにいるのだと自覚することです。
 そして、おのおのの世界にあって、立ち上がっていくのが、地涌の菩薩です。そのなかにのみ、広宣流布があることを忘れないでください」


 最も身近なところで、仏法を弘めていくというのは、地味で、それでいて最も厳しい戦いといえる。
 自分のすべてを見られているだけに、見栄も、はったりも、通用しない。誠実に、真面目に、粘り強く、大情熱をもって行動し、実証を示しながら、精進を重ねていく以外にない。しかし、そこにこそ、真の仏道修行があるのだ。(「厳護」の章、177~178ページ)


ここにフォーカス 人間のネットワーク
 「母の詩」の章が、聖教新聞紙上で連載された2010年(平成22年)は、新語・流行語大賞のトップ10に「イクメン」が選ばれた年です。
 一方で、胸を締め付けられるような児童虐待(じどうぎゃくたい)のニュースも相次ぎ、子育てを支える社会の構築へ、関心が高まっていました。


 同章では、「子育て支援や虐待の防止のためには、行政などの取り組みも必要不可欠である。しかし、より重要なことは、地域社会の中に、共に子どもを守り、若い母親を励まそうとする、人間のネットワークがあるかどうかではないだろうか」との指摘がなされています。


 “縁する全ての人を幸福に”との「太陽の心」で、創価の母たちは、あの友、この友に励ましを送ってきました。その温かな声掛けが、子育てや仕事などで悩むヤング白ゆり世代を、どれほど勇気づけてきたことでしょう。


 婦人部指導集『幸福の花束Ⅲ』の「発刊に寄せて」で、池田先生は、「幸福の春を創り広げ」ゆく創価の女性をたたえ、ヤング白ゆりの年代を、「『青春』に続く『創春』の時代」と意義づけています。
 ライフスタイルや価値観が多様化する現代社会。その中で、地域に幸福の種をまく創価の女性の連帯は、「社会の希望」と光り輝いています。







Last updated  2020/10/21 11:07:43 AM
2020/10/13

〈世界広布の大道〉
小説「新・人間革命」に学ぶ 第24巻 名場面編


 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第24巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。挿絵は内田健一郎。
 


親孝行こそ最も大切な人道
 〈1976年(昭和51年)9月、山本伸一の母・幸(さち)は、安らかに霊山(りょうぜん)へ旅立った。伸一の胸に母との思い出が浮かぶ〉


 母は、自分を犠牲(ぎせい)にして、たくさんの子どもを育ててきた。伸一は、その恩に報いるためにも、元気なうちに旅行もしてもらおうと、力を尽くした。母は、楽しそうに出かけて行った。その地の学会員との出会いを喜びとしていた。母の笑顔を見ることが、彼は、何よりも嬉しかった。


 母は子に、無尽蔵の愛を注いで育ててくれる。子どもは、大威張りで、母に甘える。母が老いたならば、今度は、子どもが親孝行し、恩返しをする番である。子どもに、その「報恩」の自覚がなくなってしまえば、最も大切な人道は失せてしまうことになる。


 母の幸は、学会本部に来る時には、よく自分で縫った黒い羽織を着ていた。


 本部は、広宣流布の本陣であり、歴代会長の精神が刻まれた厳粛(げんしゅく)な場所である。正装して伺(うかが)うのが当然である――というのが、母の考えであった。


 息子が会長であるからといって、公私を混同するようなことは、全くなかった。

 母が亡くなる前年の1975年(昭和50年)4月のことである。(中略)


 伸一は、母と久しぶりに会う時間があった。諸行事が続くなか、言葉を交わしたのは、数分にすぎなかった。彼は、花の大好きな母のために、レイと桜の小枝を贈った。レイを首にかけると、母は、「ありがとう、ありがとう」と、何度も言い、桜の花を見ては、微笑んだ。


 別れ際、伸一は、自分にできる、せめてもの親孝行として、母を背負って、坂道を歩こうと思った。

 伸一が、かがみ込んで背中を向けると、母は、はにかむように言った。


 「いいよ、いいよ。そんなことを、させるわけにはいかないよ」


 「いいえ、お母さん。私が、そうしたいんです」
 伸一が、強く言うと、母は、「悪いねえ」と言って、彼の背中に乗った。


 小柄な母は、年老いて、ますます小さく、軽くなっていた。


 伸一が、「うーん、重い、重い」と言うと、屈託(くったく)のない笑い声が響いた。


 背中に感じた、その温もりを、彼は、いつまでも、忘れることができなかった。
 (「母の詩」の章、53~54ページ)

基本の徹底が事故を防ぐ 
 〈76年の晩秋の夜、執務を終えた山本伸一は、牙城会の青年2人と共に、学会本部の周辺や建物内の点検に回る〉


 伸一は、給湯室の火の始末や、電気の消し忘れはないかなどを、一つ一つ点検して回った。さらに、表の花壇では、木や草の根元まで懐中電灯を照らし、不審物などが隠されていないか、入念に調べた。(中略)
 

「小さなことを見逃さない目が、大事故を防ぐんだよ。事故を防ぐには、みんなで、よく検討して、細かい点検の基本事項を決め、それを徹底して行っていくことだ。(中略)そして、基本を定めたら、いい加減にこなすのではなく、魂を込めて励行することだ。形式的になり、注意力が散漫になるのは、油断なんだ。実は、これが怖いんだ」(中略)

 伸一は、さらに、本部周辺の建物を見回りながら語っていった。


 「これから年末いっぱい、火災に限らず、詐欺(さぎ)や窃盗(せっとう)などの、さまざまな犯罪が多発しやすい時期になる。しかし、ともすれば、“まさか、自分はそんなことに遭うわけはない。大丈夫だろう”と思ってしまう。それが油断の第一歩であり、そこに、隙(すき)が生まれていく。また、会合で、交通事故に注意するよう呼びかけても、“そんなことは、わかっている”と思って、聞き流してしまうケースがよくある。だが、その時に、“そうだ。用心しよう!”と自分に言い聞かせ、周囲の人とも確認し合うことだ」(中略)


 伸一は、「牙城会」の青年と、聖教新聞社を経て、自宅まで来た。妻の峯子が、玄関前に、迎えに出ていた。峯子は、「牙城会」の青年たちに、丁重に礼を言った。伸一は、別れ際、彼らに語った。


 「今日は、ありがとう。ともかく、絶対無事故をめざそう。私も、無事故、安全を、毎日、しっかり、ご祈念しているからね。私は、いつも君たちと一緒に行動するわけにはいかないが、心は一緒だよ。使命は同じだよ。どうか、私に代わって、本部を守ってください。会館を守ってください。同志を守ってください。また、お会いしよう」


 この日、伸一と峯子は、彼らが、風邪をひかないように、また、はつらつと使命を果たし、立派に大成するように、深い祈りを捧げた。
 (「厳護」の章、105~108ページ)

時代は「人間革命」を志向
 〈77年(同52年)は、大ブロック(現在の地区)の強化をめざし、全幹部が大ブロックに入り、座談会を中心に奔走した〉


 伸一は、大ブロック座談会を担当した最高幹部が学会本部に帰ってくると、必ず尋ねることがあった。それは、青年は何人集っていたのか、特に女子部員は元気であったのかということであった。
 そして、女子部員が、はつらつと、研究発表や体験発表、活動報告などをしていたことを聞くと、途端に笑みを浮かべるのであった。


 「嬉しいね。未来があるね。学会が、どうして、ここまで発展することができたのか。その要因の一つは、常に青年を大切にし、青年を前面に押し出すことによって、育ててきたからだよ。


 時代は、どんどん変わっていく。信心という根本は、決して変わってはいけないが、運営の仕方や、感覚というものは、時代とともに変わるものだ。(中略)


 社会の流れや時代感覚は、青年に学んでいく以外にない」(中略)


 伸一は、あらゆる角度から、未来を、21世紀を、見すえていた。(中略)


 初代会長・牧口常三郎は、価値論を立て、「罰」という反価値の現象に苦しまぬよう警鐘(けいしょう)を鳴(な)らすことに力点を置いた。第二代会長・戸田城聖は、戦後、広く庶民に、仏法の偉大さを知らしめるために、経済苦、病苦、家庭不和等の克服の道が、仏法にあると訴え、御本尊の功徳を強調した。


 では、これからは、人びとは、仏法に何を求め、私たちは、どこに力点を置いて、仏法を語るべきなのか。伸一は、青年たちと、忌憚(きたん)のない対話を交わすなかで、こう実感していた。


 “心を強くし、困難にも前向きに挑戦していく自分をつくる――つまり、人間革命こそ、人びとが、社会が、世界が求める、日蓮仏法、創価学会への期待ではないか!

 もちろん、経済苦や病苦などを解決していくためにも、人びとは仏法を求めていくであろうが、若い世代のテーマは、自己の変革、生き方の転換に、重点が置かれていくにちがいない。つまり、『人間革命の時代』が来ているのだ”
 (「人間教育」の章、203~205ページ)

気遣いと対話が信頼育む

 〈山本伸一は青年時代にアパート暮らしを始め、近隣の人たちと誠実に友好を結んできた〉
 伸一が、青年として心がけていたのは、明るく、さわやかなあいさつであった。同じアパートに住んだのは、決して偶然(ぐうぜん)ではない。深い縁(えにし)があってのことだ。(中略)


 彼は、隣室の子どもたちを部屋に呼んで、一緒に遊んだこともあった。自分の縁した一家が、幸せになってもらいたいと、その親には仏法の話をした。やがて、この一家は、信心を始めた。


 伸一は、自分の部屋で座談会も開いた。何人かのアパートの住人や近隣の人たちにも声をかけ、座談会に誘った。そのなかからも、信心をする人が出ている。(中略)

 伸一は、「青葉荘」で3年間を過ごし、1952年(昭和27年)5月に峯子と結婚する。(中略)8月には、大田区山王のアパート「秀山荘」に移った。


 赤い屋根の2階建てで、10世帯ほどが住んでいた。伸一たちが借りたのは、6畳2間の1階の部屋であった。(中略)


 ここにいた時、長男の正弘、次男の久弘も生まれている。また、伸一が、青年部の室長として、学会の重責を担うようになるのも、この時代である。


 「秀山荘」に転居した伸一は、すぐに名刺を持って、近所にあいさつに回った。和気あいあいとした人間関係を、つくっていきたかったのである。


 正弘が成長し、走り回るようになると、妻の峯子は、隣室や上の部屋に気を使い、なるべく早く寝かしつけるようにした。


 彼の部屋には、実に多くの人が訪れた。当時、伸一が、峯子と語り合ったのは、「どなたが来ても温かく迎えて、希望を“お土産”に、送り出そう」ということであった。(中略)


 語らいは、時として深夜にまで及ぶこともあった。翌朝、峯子は「昨夜は、遅くまで来客がありまして、すみません。うるさくなかったですか」と、近隣の人びとにあいさつして回った――。


 いずこの地であれ、誠実さをもって、気遣(きづか)いと対話を積み重ねていくなかで、友好の花は咲き、信頼の果実は実るのだ。
 (「灯台」の章、347~349ページ)







Last updated  2020/10/13 11:02:21 AM
2020/10/07

〈世界広布の大道〉
小説「新・人間革命」に学ぶ 第24巻 基礎資料編
2020年10月7日

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第24巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は13日(火)付、「御書編」は21日付、「解説編」は28日付の予定。
 
【物語の時期】1976年(昭和51年)8月~77年2月17日

「母の詩」の章
 1976年(昭和51年)の8月末、山本伸一とフランスの作家アンドレ・マルローとの対談集が発刊された。また、同月半ばから10月上旬にかけて開催された県・方面の文化祭は、「人間革命の歌」とともに、人間讃歌の絵巻を繰り広げた。
 9月5日、伸一は東京文化祭に出席。彼の作った詩に曲をつけた「母」の歌が演奏された。伸一は、歌声に耳を傾けながら、世界中の尊き母たちへの感謝を込め、病床にある母・幸を思い、心で唱題。また、再挑戦で5段円塔を完成させた男子部員らを励ます。文化祭の終了後、伸一は容体が急変した母を見舞うため、実家へ急ぐ。母は、彼の姿を見ると、安心したようにほほえみ、目を閉じる。伸一は、明るく、忍耐強かった母の思い出をかみしめる。翌朝、母は安らかに霊山へと旅立つ。


 伸一は15日、静岡県の東海研修所(当時)で、牧口常三郎を顕彰する胸像除幕式に臨む。10月25日には戸田城聖の故郷・厚田村で戸田記念墓地公園の着工式に出席する。さらに石川に戸田記念室、富山に牧口記念室の設置を提案するなど、師弟の魂を永遠にとどめようと力を尽くす。
 
「厳護」の章
 1976年(昭和51年)晩秋の夜、山本伸一は「牙城会」の青年と共に、学会本部周辺の施設を隅々まで点検し、絶対無事故を期す基本を徹底。学会厳護の精神を訴える。
 また、「創価班」には、翌年1月6日の総会の開催を提案。「創価班」は、76年11月に、「輸送班」を発展的に解消し、諸行事の運営などを行う人材育成機関として新発足した。77年(同52年)の元日の新年勤行会終了後、伸一は、学会本部の前庭で、「創価班」の青年ら役員と記念撮影。「吹雪に胸はり いざや征け」との精神で進むことを訴える。「白蓮グループ」のメンバーとも、何回もカメラに納まり、民衆奉仕の精神と「冥の照覧」への確信をと語る。


 「教学の年」と名付けられた77年、聖教新聞の元日付には、伸一の「諸法実相抄」講義が、さらに「大白蓮華」1月号には、「百六箇抄」講義が連載開始される。伸一は、1月15日には、大阪で開催された教学部大会で、“宗教のための人間”から“人間のための宗教”への大転回点が仏教の発祥であることなどを講演。彼は、広布のため、大教学運動で新時代開拓の扉を開こうとする。
 
「人間教育」の章
 1977年(昭和52年)、学会は、広宣流布の主戦場である第一線組織の強化に取り組む。山本伸一は、各部大ブロック幹部の勤行会に出席し、仏法への大確信を打ち込んでいく。伸一に代わって勤行会を担当する最高幹部との懇談では、全同志の功徳と歓喜の実証こそが、組織強化の要点であることを訴える。
 人間教育の大切さを痛感する伸一は、61年(同36年)に教育部が誕生して以来、教育部の育成に力を注ぎ、主要な催しには、長文のメッセージを贈り、人間教育への指針を示してきた。


 その期待に応え、教育部では各地で教育相談室や「父母教室」などを実施。75年1月7日の第9回教育部総会では、「人間教育運動綱領」(第1次草案)が発表された。以後、実践報告大会の開催や体験談集の発刊などに取り組んできた。
 77年2月6日夜、伸一は東京教育部の第1回勤行集会に出席。学会が永遠に発展し続けるには“人類のために”“民衆のなかへ”とのたゆまざる流れが必要不可欠と訴える。教育部は、新時代の大空に雄々しく飛翔し、人間教育の潮流を広げていく。
 
「灯台」の章
 1973年(昭和48年)10月24日、社会本部に、社会部、団地部、農村部(現在の農漁光部)、専門部の設置が発表される。信心を根本に、社会、地域に貢献していくことを目指して設置されたものである。
 山本伸一は、77年(同52年)2月2日、社会部の勤行集会に出席し、皆が職場の勝利者となる要諦を語る。彼は、社会部のみならず、社会本部の各部メンバーを次々に激励。


 17日には、全国の農村部、団地部の代表メンバーが集って開催された第1回「農村・団地部勤行集会」へ。過疎化のなかで農業再生のために「農業講座」や「農村青年主張大会」などを開催する農村部に、伸一は“地域、学会の灯台たれ”との指針を示す。一方、団地部は、過密化した居住環境のなかで、潤いのある人間共同体をつくるために献身していた。伸一は、団地部のメンバーには“幸福への船長、機関長たれ”との指針を贈る。また、翌78年(同53年)6月25日には、第1回「団地部全国大会」(東日本大会)にも出席する。
 社会本部のメンバーは、一人一人が社会に蘇生の光を送る「灯台」となって、社会の航路を照らしていく。
 
長編詩「母」の直筆原稿と歌碑
長編詩「母」の直筆原稿の冒頭の1枚。原稿は11枚にわたる

 「母」の歌は、1971年(昭和46年)10月に池田先生が詠んだ長編詩「母」をもとに作曲された。長編詩に推敲の筆跡が記された直筆原稿が保存されている。76年(同51年)8月、メロディーを付けた「母」の歌が発表。婦人部結成60周年を迎えた2011年(平成23年)6月、“創価の母”をたたえる同歌の歌碑が、創価世界女性会館に設置された。

山本伸一と各種本部の友

教育本部
8・12「教育原点の日」の淵源となった教育部の夏季講習会(1975年8月、東京・八王子市で)

社会部
社会部の勤行集会に出席し激励(1977年2月、東京・信濃町の学会本部で)

団地部・農漁光部
農村・団地部勤行集会でピアノを演奏(1977年2月、東京・信濃町の学会本部で)


青年部人材グループへの激励
牙城会
牙城会の友に励ましを送る(1983年10月、東京・信濃町の学会本部で)

創価班
池田先生が創価班の代表と記念のカメラに(1983年4月、山形で)

白蓮グループ
白蓮グループの第1回総会(1977年4月、静岡で)







Last updated  2020/10/07 12:13:52 PM
2020/09/23

〈世界広布の大道〉
小説「新・人間革命」に学ぶ 第23巻 解説編 
池田主任副会長の紙上講座

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第23巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。
 
池田主任副会長インタビュー ・新・人間革命23巻 4:33

 ポイント
 ①学会歌の調べとともに
 ②弟子が立ち上がる時
 ③学の光で社会を照らす


 草創期以来、広布の歩みは、学会歌の調べとともにありました。「勇気」の章では、「人間革命の歌」の誕生の経緯が詳細につづられています。
  


 1976年(昭和51年)、「7・17」の正義の人権闘争から20年目を迎えるに当たり、山本伸一は、学会歌の制作に取り組みました。「学会の精神と思想を端的に表現」(259ページ)し、「愛する同志が、何ものにも負けぬ闘魂を燃え上がらせる、勇気の歌」(261ページ)を作ろうと決意していたのです。
  


 「人間革命の歌」の制作過程の中で、伸一は「戸田城聖が獄中で悟達した、『われ地涌の菩薩なり』との魂の叫び」(285ページ)をいかに伝えるかに最も心を砕きました。この戸田先生の「獄中の悟達」にこそ、「仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の団体である創価学会の『確信』の原点がある」(同)からです。
 

 
 伸一は推敲(すいこう)を重ね、恩師の悟達を、2番の「地よりか涌きたる 我なれば 我なれば この世で果たさん 使命あり」との歌詞で表現したのです。

池田先生ご夫妻が「人間革命の歌」の歌碑の前で
 先月26日、約半年ぶりに、「世界広布新時代第46回本部幹部会」が広宣流布大誓堂(東京・信濃町)で開催されました。池田先生は、メッセージの中で、今再び、命に刻みたい師弟の原点として、戸田先生の「獄中の悟達」に言及され、「師弟の一念によって呼び出された地涌の菩薩の陣列こそ、創価学会」と述べられました。
  


 そして、学会創立100周年となる2030年までの10年は、「人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時」であり、今月27日に開催される「世界青年部総会」は、「遠大な師弟旅の希望の出発」と強調されたのです。
 

 
席上、世界青年部歌「Eternal Journey with Sensei!~永遠の師弟旅~」が発表されました。同歌は、小説『新・人間革命』から着想された、「人間革命」の精神を表現する“弟子の誓いの歌”です。
  


「人間革命の歌」が「人間革命運動の推進力」(285ページ)となったように、世界青年部歌は世界広布の推進力となり、青年部の前進の原動力となるに違いありません。

広宣流布大誓堂の「三代会長記念会議場」で初めて開催された本部幹部会。席上、「世界青年部歌」が発表された(先月26日)
新聞連載から10年
 「敢闘」の章は、2010年(平成22年)6月から8月にかけて連載されました。この年は、池田先生の第3代会長就任50周年と学会創立80周年を刻む大きな節目の年でした。
  


 同年6月3日、「新時代第41回本部幹部会」が行われました。前日、先生は「皆が、創価学会のすべての責任を担って戦う時が来ているのである」「ゆえに、私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である」と指導されました。
  


 当日には、「君たちに万事を託していく総仕上げの『時』を迎えている」「師匠の薫陶に応えて、弟子が今一重の深い自覚をもって立ち上がる時に、未来を開く新しい前進と勝利の息吹が生まれるのであります」と、メッセージを贈られたのです。
  


 「敢闘」の章の連載が開始したのは、この本部幹部会が開催された6月3日でした。
  


 同章は「時代も、社会も、時々刻々と変化を遂げていく。創価学会も、新しい人材が陸続と育ち、新しい会館や研修所も次々と誕生し、新時代を迎えようとしていた」(287ページ)との一節で始まります。
  


 関西文化祭にどうしても出席できないことを伝える場面では、伸一はこう語ります。「いよいよ、弟子が立ち上がる時代だよ」「みんなの力で、私が出席した以上に、意気軒昂(いきけんこう)で、大歓喜が爆発する文化祭にしてください。それができてこそ、本当の弟子です。じっと見守っています」(338ページ)
  


 池田先生は、同年10月1日から、第24巻「母の詩」の章の連載を開始されました。その後も、執筆闘争を続けられ、18年(同30年)9月8日、『新・人間革命』は全30巻をもって完結を迎えました。
  


 先生は「あとがき」に、「完結を新しい出発として、創価の同志が『山本伸一』として立ち、(中略)自身の輝ける『人間革命』の歴史を綴られんことを、心から念願している」と書きとどめられています。
  
 

「敢闘」の章の連載から10年。この間は、一人一人が、師匠に“励まされる弟子”から、師の心をわが心として、友を“励ます弟子”へと、挑戦を重ねる10年であったともいえます。
 

 
 社会は今、さまざまな変化に直面しています。困難な時代だからこそ、「山本伸一」として立ち、日々、自らの人間革命に挑戦してまいりたいと思います。


創価教育原点の日
 学会創立記念日の「11・18」は、1930年(昭和5年)のこの日に、『創価教育学体系』が発刊されたことが淵源です。「未来」の章では、「創価教育原点の日」(102ページ)とも意義付けられています。
  創価教育の新たな飛躍の年となった76年(同51年)には、札幌創価幼稚園と創価大学の通信教育部が開設され、創価教育の舞台が、幼児教育と通信教育にも広がりました。
  


 「学光」の章では、通信教育事業が、牧口先生と戸田先生の悲願であったことが記されています。両先生とも、通信教育事業を展開しましたが、牧口先生は日露戦争後の不況で、戸田先生は第2次世界大戦後のインフレによって事業の撤退(てったい)を余儀(よぎ)なくされました。
  


 人びとの幸福のための教育を実現しようとした先師の思い、「万人に教育の機会を与えたい」(118ページ)との恩師の教育構想を継ぎ、伸一は創価大学に通信教育部を設置したのです。
  


 伸一は青春時代、大世学院(現・東京富士大学)の政経科夜間部に通っていました。その苦学の経験から、通信教育で学ぶ友には、「学の光をもって、わが人生を、そして、社会を照らしゆくのだ」(124ページ)と期待を寄せ、2部学生のメンバーには、「皆、私の大切な後輩たち」(201ページ)と親しみを込めて呼び掛け、「私と同じ青春の道を、真の師弟の道を歩む内証の誇りをもって、うんと苦労し、自らが自らを磨(みが)いていくんだ」(202ページ)と万感の思いを語りました。
 

 
今年、創価大学通信教育部の夏期スクーリングは、コロナ禍のため、全ての授業をオンラインで行うという初の試みに挑みました。その中で、日本と海外18カ国・地域の方々が授業に臨みました。通信教育の歴史に、新たな一ページを刻んだのです。
  


 『創価教育学体系』の発刊から間もなく90周年。人間教育の大光は、世界を照らし始めています。

マレーシアの首都クアラルンプールの通信塔(2000年12月、池田先生撮影)。第23巻「未来」の章では、山本伸一がマレーシア創価幼稚園で園児たちと交流し、「今日は“未来”と出会った思いだ」と語る場面が描かれている


名言集
真の経験
 人間が直面する課題は、常に新しい。昨日と全く同じことなど、何一つない。ゆえに、大切なのは、挑戦への情熱である。勇気である。行動である。最善の道を究(きわ)めようと、試行錯誤(しこうさくご)を重ねていく挑戦の軌跡(きせき)が、やがて真の経験となって結実するのだ。(「未来」の章、14ページ)


生涯、勉強
 生涯が学習である。生涯が勉強である。それが、人間らしく生きるということなのだ。(「学光」の章、108ページ)


人材の要件
 21世紀に求められる人材の要件とは何か。それは、磨(みが)き抜かれた「英知」とともに、苦境のなかで培われた「勇気」と「人間性」を備えているということである。(「勇気」の章、205ページ)

●「宿命」は「使命」
 最も苦労した人こそ、最も成長を遂(と)げる。過酷(かこく)な「宿命」を背負った人こそ、最高の「使命」を担っている人である。(「勇気」の章、213ページ)


学会の黄金柱
 壮年には、力がある。壮年は、一家の、社会の、学会の黄金柱である。そして、広宣流布の勝敗を決していくのは、壮年が、いかに戦うかにかかっている。(「敢闘」の章、354ページ)







Last updated  2020/09/23 01:31:02 PM
2020/09/16

〈世界広布の大道〉

​​小説「新・人間革命」に学ぶ 第23巻 御書編​​

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第23巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。挿絵は内田健一郎。

​​​​
三世永遠の幸福境涯開く


【御文】
 先臨終(まずりんじゅう)​の事(こと)を習(なら)うて後(のち)に他事(たじ)を習うべし​(御書1404ページ、妙法尼御前御返事)​​​​


【通解】
 まず臨終のことを習って、後に他のことを習うべきである。

【小説の場面から】
 <1976年(昭和51年)7月、山本伸一は、女子部の代表に、「生老病死」の問題について語る>
 

 
「いかなる人間も、死を回避することはできない。(中略)トインビー博士も、対談した折に、しみじみと、こう語っていました。
  


 ――人間は、皆、死んでいく。生死という冷厳な事実を突き付けられる。しかし、社交界で遊んだり、それ以外のことを考えたりして、その事実を直視せずに、ごまかそうとしている。だから、私は、日本の仏法指導者であるあなたと、仏法を語り合いたかった。教えてもらいたかった。
 

 
死という問題の根本的な解決がなければ、正しい人生観、価値観の確立もないし、本当の意味の、人生の幸福もありません」(中略)
  
 

「その死の問題を、根本的に解決したのが、日蓮大聖人の仏法です。
  


 広宣流布に生き抜くならば、この世で崩れざる幸福境涯を開くだけでなく、三世永遠に、歓喜の生命の大道を歩み抜いていくことができるんです。(中略)
  


 広宣流布のための人生であると心を定め、強盛に信心に励んでいくならば、わが生命が大宇宙の根本法たる妙法と合致し、あらゆる苦悩を悠々と乗り越えていくことができるんです。信心に励んでいる生命の大地には、福運の地下水が流れていく。大風や日照りの日があっても、やがては、その生命の大地は豊かに潤い、幸の実りをもたらします」
(「敢闘」の章、291~292ページ)
 

 
  
題目は苦難克服の原動力

​​​
【御文】
 南無妙法蓮華経と唱(とな)うるより外(ほか)の遊楽(ゆうらく)なきなり(御書1143ページ、四条金吾殿御返事)​​​


【通解】
 南無妙法蓮華経と唱える以外に遊楽はない。

【小説の場面から】
 <76年(同51年)8月24日、山本伸一は、九州総合研修所近くの二総ブロック合同の代表者勤行会へ。信心根本に歩む大切さを訴える>
  


 「法華経には、『現世安穏(げんせあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)』(現世安穏にして、後に善処に生ず)とあります。しかし、広宣流布の道には、さまざまな難(なん)が競(きそ)い起こってきます。また、人生は、宿命との戦いともいえます。
 

 
現世安穏というのは、なんの波風もない、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の人生を生きるということではありません。怒濤(どとう)のように諸難や試練があっても、勇敢(ゆうかん)に、一歩も引かずに戦い、悠々とそれを乗り越えていける境涯をいいます。
  


 何があろうが、堂々と、人生に勝利していける姿が、現世安穏ということなんです。途中は、いかに波瀾万丈(はらんばんじょう)でも、それを勝ち越え、晩年に、しみじみと、わが人生は現世安穏なりと、実感していくことが大事です。そのためには、どんなことがあっても、一生涯、学会から、御本尊から離れず、題目を唱え抜いて、勇んで、広宣流布に生き抜いていくことです。(中略)
  


 たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、“絶対に負けるものか!”と、唱題し抜いていくんです。そうすれば、苦難に立ち向かう勇気が湧きます。生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです。
  


 題目、題目、題目です。誰も見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていく――それが、一切の原動力です」
(「敢闘」の章、365~366ページ)
  
  


ここにフォーカス 恩師記念室の淵源
 「敢闘」の章に、恩師記念室の設置の淵源が詳細につづられています。
  


 1953年(昭和28年)、学会本部が東京・千代田区の西神田から、新宿区の信濃町に移転。この折、恩師・戸田先生は会長室よりも立派な一室を「牧口先生のための部屋」とし、「牧口記念室」と定め、先師の写真を大切に飾りました。
  


 「学会を永遠ならしめるために、師匠の魂魄を永遠にとどめる場所をつくらねばならない」――この戸田先生の構想を継ぎ、各地に初代・第2代会長の遺品等を展示した記念室の設置を提案したのが、池田先生でした。
  


 先生はそれまでにも、未来を見据え、戸田先生の映像を動画として残すことを考え、重要な行事を映画フィルムに収めることを推進。戸田先生の逝去後には、恩師の講義などのレコード製作を進めます。「すべては、師匠の真実の姿を永遠に残し、その精神を、誤りなく伝えたい」との「一念から発したもの」でした。
  


 2010年(平成22年)5月3日、総本部に「創価学会恩師記念会館」が誕生。「世界平和の日」50周年に当たる同年10月2日には、池田先生が初めて訪問し、牧口先生、戸田先生の崇高な生涯を偲んで、勤行・唱題しました。
  


 日々、心に師をいだき、“師ならばどうするか”を考え、行動する――ここに、弟子の証しがあるのです。


(2020年9月16日 聖教新聞)







Last updated  2020/09/16 01:21:05 PM
2020/09/08

連載〈世界広布の大道〉
​小説「新・人間革命」に学ぶ 第23巻 名場面編​


 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第23巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。挿絵は内田健一郎。
  


創立者の思い胸に病を克服
 〈1992年(平成4年)、香港創価幼稚園が開園した。園長の黄瑞玉(こうずいぎょく)は、毎日、玄関で子どもたちを、笑顔で迎え、見送ってきた〉
 開園から6年ほどしたころ、その黄園長の姿が消えた。癌(がん)が発見されたのである。


 彼女には、深く胸に刻まれた、魂ともいうべき言葉があった。それは、職員室の壁に掲げられた「香港幼稚園は 私の生命也」という、山本伸一が認めた、あの言葉であった。


 黄園長は、癌の摘出手術を受けるために入院した。創立者の生命である幼稚園と園児たちから離れることが、辛くて、悔しくて仕方なかった。病魔に蝕まれた自分が、情けなく、不甲斐なかった。(中略)


 ――彼女は、健康を回復し、微笑みながら、登園してくる子どもたちを迎える、自分の姿を思い浮かべた。すると、それだけで、幸せな気分になれた。


 さらに、創立者の山本伸一と一緒に、幼稚園の玄関に立つ自分を想像した。希望の光が、全身に降り注ぐ思いがした。
 “園児たちが、山本先生が、私を、待っていてくれる。私は、山本先生に代わって、園児たちに生涯を捧げるのだ。絶対に負けるものか! 病を克服して、また、幼稚園の玄関で、子どもたちを出迎え、見送ろう!”(中略)


 やがて、黄園長は病を乗り越え、再び、幼稚園の玄関に立った。


 彼女は、毎日、伸一と一緒に出迎え、見送っているつもりで、園児たちに向かって、笑みの花を贈る。



 2000年(平成12年)12月、香港を訪問した伸一は、卒園生の第1期から第3期の代表と再会し、記念のカメラに納まった。


 「お会いできて嬉しい。皆さんは、私の誇りです。宝です」


 第1期生は、既に中学2年生になっていた。伸一は、成長した皆の姿に目を見張った。未来へ伸びゆく姿に、深い感慨を覚えた。代表が、伸一に花束を贈った。


 「ありがとう。大きくなったね。立派に成長したね……」


 創立者と卒園生の語らいを見る黄園長の頰に、涙が光っていた。それは、子どもたちへの情愛と、生きる喜びの結晶でもあった。(「未来」の章、82~84ページ)


学び抜く人生に勝利の輝き
 〈80年(昭和55年)3月、創価大学の通信教育部は、初めての卒業生を送り出すことに。そのなかに、3人の娘の母である今井翔子という女性がいた。彼女は中学生の時に、事故で耳が不自由になり、大学進学を断念したが、向学の情熱を燃やしてきた〉

 創価大学の通信教育部が開設されることを知った。


 “通教で学問を身につけよう。娘たちが誇りに思える母親になりたい!”
 

子どもへの最高の教育とは、親が生き方の手本を見せることである。


 創大通教に入学した彼女は、育児と家事の傍ら、懸命に勉学に励んだ。しかし、あの事故に遭った時から、頭痛や耳鳴りが続いており、30分も机に向かっていると、吐き気もしてくるのだ。それでも、身を横たえながら勉強を続けた。(中略)


 自分には無理なのではないかと考えることもあった。そんな時、いつも瞼(まぶた)に浮かぶのは、最初の夏期スクーリングの時に授業を見に来てくれた、創立者の山本伸一の姿であった。


 “お忙しい先生が、わざわざ私たちの教室に足を運ばれ、額に汗をにじませ、生命を振り絞るようにして激励してくださった!”


 耳が不自由な彼女は、伸一の話の内容はわからなかった。しかし、懸命に語りかける彼の表情から、深い真心と限りない期待を感じた。魂が震える思いがした。


 その時、今井は感極まって、泣きだしてしまった。涙でかすむ伸一の顔は、自分をじっと見ているように感じられた。(中略)


 “この励ましに、なんとしてもお応えしたい。そのために、私は必ず4年間で卒業し、先生に勝利のご報告をしよう!”(中略)


 スクーリングでも、教師が書く黒板の文字を見て、必死に理解しようと努めた。学友たちも応援し、筆記したノートを見せてくれた。


 そして、遂に卒業を勝ち取ったのである。


 伸一は、今井の奮闘の報告を聞き、卒業記念にと、自著の詩集を贈った。


 その中に、こんな一節があった。
 

 「他人を教育することは易しい


  自己自身を教育することは難しい


  生涯 確たる軌道に乗りながら


  自己を教育していくところに


  人間革命の道がある」
 (「学光」の章、180~182ページ)

地涌の使命に生きる共戦譜
 〈76年(昭和51年)7月、「人間革命の歌」が完成。“同志の心を奮い立たせる生命の讃歌を”と、山本伸一が作詞・作曲したものであった〉

 山本伸一は、「人間革命の歌」で、戸田城聖が獄中で悟達(ごたつ)した、「われ地涌の菩薩なり」との魂(たましい)の叫びを、いかに表現し、伝えるかに、最も心を砕(くだ)いた。


 戸田は、この獄中の悟達によって、生涯を広宣流布に捧(ささ)げんと決意し、一人立った。


 大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せである。この悟達にこそ、日蓮大聖人に直結し、広宣流布に生きる、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の団体である創価学会の「確信」の原点がある。


 「地涌の菩薩」の使命の自覚とは、自分は、人びとの幸福に寄与する使命をもって生まれてきたという、人生の根源的な意味を知り、実践していくことである。


 それは、人生の最高の価値創造をもたらす源泉となる。また、利己のみにとらわれた「小我」の生命を利他へと転じ、全民衆、全人類をも包み込む、「大我」の生命を確立する原動力である。


 いわば、この「地涌の菩薩」の使命に生き抜くなかに、人間革命の大道があるのだ。


 伸一は、若者たちが、人生の意味を見いだせず、閉塞化(へいそか)した精神の状況を呈している時代であるだけに、なんのための人生かを、訴え抜いていきたかった。そして、彼は、その思想を、「人間革命の歌」の2番にある、「地よりか涌きたる 我なれば 我なれば この世で果たさん 使命あり」との歌詞で表現したのである。



 この年の暮れには、伸一の49歳の誕生日にあたる、翌1977年(昭和52年)1月2日を記念し、学会本部の前庭に「人間革命の歌」の碑が建立され、その除幕式が行われた。山本門下生として、地涌の使命を果たし抜かんとの、弟子一同の誓願によって建てられたものだ。


 「人間革命の歌」は、師弟の共戦譜である。そして、生命の讃歌である。
 碑の歌詞の最後に、伸一は刻んだ。


 「恩師戸田城聖先生に捧ぐ 弟子 山本伸一」(「勇気」の章、285~286ページ)

師弟が紡いだ「創価」の二字
 〈創価学会の創立の日となった、30年(同5年)11月18日は、『創価教育学体系』の発行日である。その不朽の大著は、師と弟子の語らいから生まれた〉

 冬のある夜、牧口と戸田は、戸田の家で火鉢(ひばち)を挟(はさ)み、深夜まで語らいを続けていた。(中略)

 牧口は、自分の教育学説出版の意向を戸田に語ったあと、すぐに、それを打ち消すように言った。


 「しかし、売れずに損をする本を、出版するところはないだろう……」(中略)


 「先生、私がやります!」


 「しかし、戸田君、金がかかるよ」
 「かまいません。私には、たくさんの財産はありませんが、1万9千円はあります。それを、全部、投げ出しましょう」


 小学校教員の初任給が50円前後であったころである。師の教育学説を実証しようと、私塾・時習学館を営んでいた戸田は、牧口の教育思想を世に残すために、全財産をなげうつ覚悟を定めたのである。(中略)


 牧口は、じっと戸田を見て頷(うなず)いた。
 

「よし、君が、そこまで決心してくれるのなら、ひとつやろうじゃないか!」


 牧口の目は、生き生きと輝いていた。そして、つぶやくように言葉をついだ。


 「さて、私の教育学説に、どんな名前をつけるべきか……」


 すると、戸田が尋ねた。
 

「先生の教育学は、何が目的ですか」


 「一言すれば、価値を創造することだ」
 

「そうですよね。……でも、価値創造哲学や、価値創造教育学というのも変だな」
 

「確かに、それでは、すっきりしない。創造教育学というのも、おかしいしな……」


 戸田は、頰(ほほ)を紅潮させて言った。
 

「先生、いっそのこと、創造の『創』と、価値の『価』をとって、『創価教育学』としたらどうでしょうか」
 

「うん、いい名前じゃないか!」
 

「では、『創価教育学』に決めましょう」


 時計の針は、既に午前零時を回っていた。


 師弟の語らいのなかから、「創価」の言葉は紡ぎ出されたのである。
 (「敢闘」の章、297~300ページ)


(2020年9月8日 聖教新聞)







Last updated  2020/09/08 08:24:58 AM
2020/09/02

〈世界広布の大道〉
小説「新・人間革命」に学ぶ 第23巻 基礎資料編


今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第23巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。挿絵は内田健一郎。


  
【物語の時期】1976年(昭和51年)1月~8月30日

「未来」の章
1976年(昭和51年)4月16日、札幌創価幼稚園が開園。創立者の山本伸一は、入園式に出席し、自ら園児たちを出迎える。式の前日にも幼稚園の教職員と懇談し、「仲良く、団結して、最高の人間教育の城をつくってください」などと励ます。


 式典で伸一は、園児たちを生涯、見守り続けていこうとの思いから、最後列に座る。引き続いて、記念撮影と記念植樹に参加。さらに、園児をバスで送り、通園状況を確認する。翌17日も、幼稚園の各保育室を回り、園児たちと心の絆を結ぶ。


 その後も伸一は、多忙なスケジュールの中、折にふれて幼稚園を訪問。入園式や卒園式には、園児たちに思いを馳せながら、メッセージを書き贈った。教員たちも幼稚園のモットー「つよく ただしく のびのびと」を実現するために懸命に奮闘する。伸一と教職員の情熱に育まれ、園児たちは伸び伸びと成長し、「未来」へ羽ばたいていく。


 札幌創価幼稚園に続いて、香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国にも幼稚園が開園する。各国・各地域で創価の人間教育は、高い評価を得ていくことになる。
  


「学光」の章
 創価大学に通信教育部が開設され、5月16日に開学式が行われる。山本伸一はメッセージを贈り、通信教育とは“信”を“通”わせ合う教育であり、「第一期生の皆さんこそ、通信教育部の創立者」と訴える。
 通信教育部は、伸一が、創価大学の設立を構想した当初からの念願であり、民衆教育の眼目であった。開設準備に当たる教職員は意見交換を重ね、各都道府県に通教生の相談にのり、アドバイスする「指導員」を置くことを決定。また、伸一は、通信教育部の機関誌を「学光」と命名。それは“学の光で人生、社会を照らしゆく”との指針となった。


 8月15日からは創大通教初の夏期スクーリングが開始となり、伸一も大学を訪れ、通教生を激励。秋期スクーリングでも、懇談や記念撮影を行う。また、11月の「創大祭」では通教生の展示が好評を博す。
 通教生たちは伸一の心に応えようと、苦闘を重ねながら勉学に励み、1980年(昭和55年)3月、通教から初の卒業生が巣立つ。その後、医学・工学の博士、公認会計士、教員をはじめ、社会に貢献する人材が数多く育っていく。
 

 
「勇気」の章
 5月16日の夜、大学の2部(夜間部)に学ぶ男子学生部員による「勤労学生主張大会」が開催される。前年(1975年<昭和50年>)に、伸一の提案で2部学生の集い「飛翔会」が結成。メンバーは伸一と同じ青春の道を歩む誇りに燃え、先駆の学生部のなかでも一段と輝きを放っていた。


 大会の報告を聞いた伸一は、“広布の重要な局面で猛然と先駆し、大勝利の突破口を開くのが「飛翔会」だ”と期待を寄せる。8月29日に開催された第2回総会では、各方面に「飛翔会」を結成することが提案された。その後も伸一の励ましは続いた。


 伸一は、「7・17」を記念し、全同志の広宣流布への誓いを託した「人間革命の歌」の制作に取り組む。その日は、57年(同32年)に、事実無根の容疑で、大阪府警に不当逮捕された伸一が、釈放され、創価の正義の勝利を誓い合った日である。


 歌詞は18日午後の本部幹部会で発表。さらに、推敲(すいこう)が重ねられ、同日夜、歌詞・曲ともに完成し、師弟の共戦譜「人間革命の歌」が誕生したのだ。翌日の夜には、全国各地の会合で声高らかに歌われ、世界各地の同志へと広がっていく。
  


「敢闘」の章
 7月23日、伸一は名古屋で女子部の人材育成グループ「青春会」を激励。夕刻、三重県の中部第一総合研修所へ。歴代会長の精神を学び、継承するための遺品などが展示された記念館をはじめ、研修所内を視察。26日は中部学生部の代表と懇談し、「学生部厚田会」を結成した。


 一人ひとりの励ましに徹する地道な「敢闘(かんとう)」の日々は続く。


 8月6日には鹿児島県の九州総合研修所を訪問。12日には東京に戻り、3日間にわたる茨城指導へ。


 19日から再び九州総合研修所に向かい、20日、人材育成グループ「鳳雛会(ほうすうかい)」の結成10周年記念大会に出席する。席上、伸一は、皆が山本伸一の分身として、師と共に広布に生きることを願い、和歌を贈る。また、22日には本部幹部会や女子「鳳雛グループ」の大会に出席。23日は、喜界島(きかいじま)の草創期を築いた婦人に最大の励ましを送る。


 伸一の入信記念日であり、恩師との思い出深き24日には、清水、国分の両総ブロック合同の代表者勤行会へ。翌日は「伸一会」の集い、さらに神奈川、埼玉の文化祭に出席するなど、同志の激励に力を尽くす。


【「人間革命の歌」の書】


 池田先生が「人間革命の歌」の歌詞をしたためた書の一部。3番の歌詞の最後に、「人間革命 光あれ 合掌」と記されている。書全体は幅3メートル30センチに及ぶ


 池田先生は「人間革命の歌」の完成を記念し、1番から3番の歌詞を一幅の書にしたためた。


 冒頭には、「わが広宣流布に勇敢に向いゆく わが同志乃益々御健斗と無事とを祈りつつ 此の一詩を全学会乃諸兄諸姉に贈る」との言葉とともに、歌が完成した「昭和五十一年七月十八日」の日付が揮毫されている。


 また、結びには「一千万地涌の同志乃永遠なる栄光の旅路を祈る 初代 牧口常三郎先生 二代 戸田城聖先生 三代 池田大作 記す 創価学会本部 会長室にて」と書きとどめられている。


 こちらのURLから、「人間革命の歌」の動画を視聴できます。
 

 ​https://youtu.be/yeBV79f63ME


(2020年9月2日 聖教新聞)







Last updated  2020/09/02 12:58:09 PM
2020/08/26

〈世界広布の大道〉
小説「新・人間革命」に学ぶ 第22巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第22巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

池田主任副会長インタビュー 新・人間革命22巻   04:52

紙上講座 池田主任副会長

ポイント
1-“ヒロシマ”の心
2-師弟の生命の共鳴
3-学会の社会的役割

 広島の被爆から75年となった今月6日、聖教新聞(10面)に、平和のためのヒロシマ通訳者グループ・小倉桂子代表のインタビューが掲載されました。
 8歳で被爆した小倉さんが、原爆の時に感じた不安・恐怖を、その後、2度経験されたというのが印象的でした。一つは2011年3月の福島原発事故、もう一つは今回のコロナ禍です。
 小倉さんは、平和のために闘う「ヒロシマの心」は、核兵器廃絶の精神だけでなく、「私たちの生存を脅かす、あらゆる『敵』と闘う強い心」であるとし、新しい一歩を踏み出すことを訴えます。
  
 私たちが、小説『新・人間革命』を学ぶ意義の一つも、75年前の戦争の史実を風化させずに、“平和の心”を継承し、新しい時代を開くことにあります。
  
 さて、第22巻は、終戦・被爆から30年となる1975年(昭和50年)が舞台です。21世紀を「『平和の世紀』『人間の世紀』『勝利の世紀』『栄光の世紀』、そして『戦争なき世紀』『生命の世紀』」(7ページ)とするために、山本伸一は米ハワイや広島などで、激励行を重ねていきました。
  
 とりわけ、広島での本部総会に向け、伸一は果敢な平和行動を展開しました。1年半の間で、3度の訪中、2度の訪ソを実現し、平和・文化・教育の「友好の橋」を架けたのです。さらに同年1月26日には、SGI(創価学会インタナショナル)が結成されました。
  
 11月、広島を訪問した伸一は、現地の青年部に真情を語ります。「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」(342ページ)
  
 こう語る背景には、広島指導を目前に倒れた第2代会長・戸田先生の、壮絶な闘争がありました。
  
 57年(同32年)9月8日、戸田先生は、歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表。同年11月、広島平和記念館(当時)で行われる大会に出席し、平和への新たな潮流を起こそうとされました。
 しかし、体の衰弱は激しく、広島への出発の朝、倒れてしまいます。その恩師の闘争を知る伸一にとって、平和への戦いなくして、広島の地を踏むことはできなかったのです。
  
 「潮流」の章に、「『ヒロシマの心』とは『平和の心』であり、それは『創価の心』だ。だから、私たちには、世界平和への波を起こしていく使命がある」(135ページ)と記されています。広島に原爆が投下された8月6日を、池田先生が小説『新・人間革命』の起稿・脱稿の日とされたのも、恩師の平和への熱願を継承するとの弟子の誓いであり、その誓いを若い世代に託し、未来に伝え残すためではないでしょうか。
  
 世界の識者が池田先生を称賛するのは、“平和の行動”の先駆者だからです。「平和のために、何をするのか――その具体的な行動こそが、肝要」(345ページ)です。平和の道は、どこか遠くにあるわけではありません。自身の地域・職場で、「友情を結び合っていくなかに、激動する世界に平和の火を点ずる道がある」(42ページ)のです。

広島の原爆ドーム(1985年10月、池田先生撮影)。長編詩「平和のドーム 凱旋の歌声」で、先生は詠んだ。「広島を/忘れるな!/ヒロシマを/忘れるな!」「平和を願う人間の心/民衆の心はひとつだ/それは『ヒロシマの心』だ」

「会長に聞く」の意義
 今月は、池田先生が戸田先生と運命的な出会いを結んでから73年。池田先生は、恩師を宣揚(せんよう)し続けられました。
  
 弟子が師匠を宣揚するのは、「運動の原点を明らかにすること」(24ページ)です。「師の教え、生き方のなかに、自分たちの運動の目的が示されている」(同)からです。いかなる時も、師匠という原点に立ち返った時、進むべき正しい道が明確になっていきます。
  
 伸一は、文豪・井上靖(いのうえきよし)氏に、恩師への思いを吐露(とろ)します。「私の心の中には、いつも戸田城聖という人格がありました。それは生きつづけ、時に黙して見守りながら、時に無言の声を発するのです。生命と生命の共鳴というのでしょうか」(52ページ)
  
 それに対し、氏は、師弟の絆が“会う”“会わない”を超えた「運命的なもの」(53ページ)であると讃嘆しました。
  
 法華経には「在在の諸仏の土に 常に師と俱に生ず」――つまり、仏法の師弟は三世永遠の絆で結ばれていると説かれます。師弟は「一体」なのです。大切なのは、弟子が心の中に師をいだき、師と共に戦おうとする求道心です。
  
 戸田先生とお会いしたことがない青年たちが、“戸田先生について教えてもらいたい”と伸一に要望した時、「戸田先生の指導は、ほとんど本に収録されているし、私もこれまで、先生のことは、みんなに話してきた」「今度は、みんなで先生の指導について思索し、君たちにとって“戸田先生とは”また“学会の師弟とは何か”を考えていくんだよ」(25ページ)と、大いに語り合うことを望んだのです。
  
 池田先生の第3代会長就任60周年の本年、いやまして、池田門下が師に学び、師を語る時です。現在、「青年部が原田会長に聞く」が聖教新聞で連載され、後継の青年が主体的に師匠について学ぶ一助にもなっています。積極的にひもときながら、創価の魂を継承していきたいと思います。

「世界青年部総会」へ
 「命宝(めいほう)」の章では、「激動する社会のなかで、時代を正常な軌道へと引き戻していく力、生命のバイタリティーを、民衆一人ひとりの心田に植え付けていく」(361ページ)ことが、宗教の根本的な使命であると強調されています。
  
 感染症や異常気象等、不安が覆(お)う中で、社会を“正常な軌道(きどう)”へと導いていく役割が創価学会にはあるのです。
  
 目の前の課題から逃げたくなることもあるでしょう。しかし、「社会のかかえる大テーマを、自らの課題ととらえ、仏法者の立場から、解決のための挑戦と努力を開始していくところに、日蓮仏法の精神がある」(160ページ)とある通り、困難に挑み続けていくところに、希望の未来が開かれます。
  
 青年部は、10・2「世界平和の日」60周年の佳節を「世界最大の青年の連帯」で荘厳しようと、「世界青年部総会」をオンラインで行います。コロナ禍の中、一人一人がさまざまな状況を抱えながらも、友情を広げています。
  
 「波濤(はどう)」の章では、「社会が創価学会の真価をわかるまでには、200年かかるだろう。学会は歴史上、かつてない団体だから、誰も、その本当のすばらしさがわからないのだ」(272ページ)との戸田先生の言葉が紹介されています。歴史的な師弟誓願の会座(えざ)「世界青年部総会」は、学会創立100周年、さらには創立200周年に向かう世界広布の新たな歴史を開く第一歩となると確信します。
  
 後継の青年に励ましを送りながら、わが地域に大いなる青年の連帯を築いてまいろうではありませんか。

名言集
●「自律」と「自立」
 師弟とは、形式ではない。常に心に師があってこそ、本当の師弟である。心に師がいてこそ、人間としての「自律」があり、また、真の「自立」があるのだ。(「新世紀」の章、13ページ)

原点に返る
 行き詰まったら原点に返ることだ。唱題から出発するのだ。妙法は宇宙の根源の法なるがゆえに、妙法への祈りこそ、一切を動かす原動力となるのだ。(「潮流」の章、119ページ)

“良き市民”に
 SGIの精神とは、一人ひとりが、その国や地域の“良き市民”となることだ。“良心”となることだ。社会の繁栄と平和と、人びとの幸福を築く原動力となることだ。(「潮流」の章、174ページ)

人材を見つける
 人材を見つけようとすることは、人の長所を見抜く力を磨(みが)くことだ。それには、自身の慢心(まんしん)を打ち破(やぶ)り、万人から学ぼうとする、謙虚(けんきょ)な心がなければならない。まさに、人間革命の戦いであるといってよい。(「波濤」の章、284ページ)

●“精神”の戦い
 創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの外的拘束力(がいてきこうそくりょく)をもって人間の尊厳を冒(おか)し続ける“力”に対する、内なる生命の深みより発する“精神”の戦いである。(「命宝」の章、361ページ)​


(2020年8月26日 聖教新聞)







Last updated  2020/08/26 11:27:55 AM
2020/08/19

​​​〈世界広布の大道〉
小説「新・人間革命」に学ぶ 第22巻 御書編

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第22巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。挿絵は内田健一郎。絵・間瀬健治
  
広布の大誓願に生き抜け
【御文】
 日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか(御書1360ページ、諸法実相抄)

【通解】
 日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であることは間違いないであろう。

【小説の場面から】
 <人材育成グループ「五年会」の第3回総会で、山本伸一は、師弟について語る>
  
 「日蓮大聖人と『同意』であることが、信心の根本です。その大聖人の御心のままに、広宣流布の大誓願に生き抜いたのが、牧口先生、戸田先生に始まる創価の師弟です。
  
 ゆえに、創価の師弟の道を貫くなかに、大聖人と『同意』の実践があります。具体的な生き方でいえば、自分の心の中心に、常に厳として師匠がいるかどうかです」(中略)
  
 初代会長の牧口常三郎も、第二代会長の戸田城聖も、国家神道を精神の支柱にして戦争を遂行(すいこう)しようとする、軍部政府の弾圧によって投獄された。(中略)戸田は、日蓮大聖人の御金言通りに、広宣流布のために戦う牧口に、勇(いさ)んで随順(ずいじゅん)したのだ。そこに、「日蓮と同意」という御聖訓に則った、現代における実践がある。(中略)
  
 戸田は、牧口という師と同じ心、同じ決意に立つことによって、地涌の菩薩としての使命を自覚することができたのだ。伸一は、この牧口と戸田の師弟の絆について触れ、若い魂に呼びかけた。
  
 「私は、その戸田先生に仕え、お守りし、共に広宣流布に戦うなかで、自分の地涌の菩薩の使命を知りました。創価学会を貫く信仰の生命線は、この師弟にあります。
 どうか諸君も、生涯、師弟の道を貫き、この世に生まれた自身の崇高な使命を知り、堂々たる師子の人生を歩み抜いていただきたいのであります」(「波濤」の章、202~204ページ)


創価学会は個人の中に
【御文】
 ​​​​​​百草(ひゃくそう)を抹(す)りて一丸乃至百丸(いちがんないし)となせり一丸も百丸も共に病(やまい)を治(なお)する事これをなじ​​​​​​(御書1121ページ、四条金吾殿御返事)

【通解】
 百の薬草をすって一丸あるいは百丸の薬とする。一丸も百丸も共に病を治すことは同じである。


【小説の場面から】
 <1975年(昭和50年)11月9日、山本伸一は、広島で開催された第38回本部総会で講演。広布の使命と自覚について語る>
  
 「皆さん方、一人ひとりが、創価学会そのものです。それ以外には、創価学会の実体はありえないと確信していただきたい。
  
 また、一人ひとりに、それだけの、尊い使命と資格があると説いているのが、日蓮大聖人の仏法であります」
  
 自分自身が創価学会なのだ。そして、自分の周りの同志との絆が、自分のブロックが、創価学会なのだ。ゆえに、自身が成長し、友のため、社会のために尽くし、貢献した分だけが、広宣流布の前進となるのである。
  
 自分が立ち上がり、勝っていく以外に、学会の勝利はない。
  
 社会の組織は、集団のなかに埋没(まいぼつ)するようにして個人がいる。しかし、学会は、それぞれの個性の開花をめざす、異体同心という人間主義の組織である。
  
 その組織の目的は、広宣流布の推進にある。それは、生命の哲理を人びとの胸中に打ち立て、人間の尊厳を守り、輝かせていく聖業なのだ。
  
 私たちは、組織のなかの個人というだけでなく、自身の規範、誇り、勇気の源泉として、それぞれの心の中に、創価学会をもっている。
  
 つまり、個人のなかに創価学会があり、その自覚が、各人の心中深く根を張っていることに、学会の強さがあるのだ。(「命宝」の章、362~363ページ)
  

ここにフォーカス 「いよいよ」の心意気
 20世紀を代表する歴史学者トインビー博士は、1967年(昭和42年)11月、実業家の松下幸之助氏と対談した折、「これからの日本にとって一番大切な人は誰か」と尋ねます。この問いに、松下氏は池田先生の名を挙げました。
  
 氏が先生と初めて会ったのは、その1カ月前の67年10月に行われた東京文化祭。役員の対応、一糸乱れぬ演技とともに、氏の胸を打ったのは、先生の心遣いでした。
  
 多くの来賓の対応で多忙な中、先生は担当者を氏のもとに向かわせ、「なにか不都合はありませんか」等と伺います。この対応に、氏は「なんでもないことのようだが、(中略)そこまで心をくばっておられることに私は驚いた」と振り返っています。
  
 「新世紀」の章に、「人との出会いは『一期一会』」「渉外は、誠実をもってする真剣勝負」とあります。この伸一の信念が、氏の心に感動を呼び起こしたのです。
  
 88年(同63年)1月、還暦(60歳)を迎えた伸一に、氏は「本日を機に、いよいよ真のご活躍をお始めになられる時機到来とお考えになって頂き、もうひとつ『創価学会』をお作りになられる位の心意気で」と祝詞を贈りました。
  
 今年の10月2日は、池田先生の海外初訪問から60周年の佳節。私たちも「いよいよ」との決意で世界平和を誓い、祈り、わが地域から新たな歴史の一歩を刻みましょう。​​​


(2020年8月18日 聖教新聞)










Last updated  2020/08/19 11:00:05 AM

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