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晴ればれとBlog

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いのちの賛歌 心に刻む一節

2020/10/13
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〈いのちの賛歌 心に刻む一節〉
生死と向き合う
​永遠に共戦の同志


 企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、「指導選集」)の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、東京都の婦人に話を聞いた。

御文
 ​​​​​​​此等(これら)の大菩薩末法(だいぼさつまっぽう)の衆生を利益(りやく)したもうこと猶(なお)魚の水に練(な)れ鳥の天に自在(じざい)なるが如(ごと)し​​​​​​​(曾谷入道殿許御書、1033ページ)

通解
 これらの大菩薩(地涌の菩薩)が末法の衆生を利益されることは、魚が水中を自由に泳ぎ、鳥が天空を自在に飛ぶようなものである。

夫の死の意味を知りたい
 戸崎里美(とさきさとみ)さん=荒川総区副婦人部長=が、夫・裕隆(ひろたか)さん(当時53歳)をくも膜下出血(まくかしゅっけつ)で亡くしたのは8年前。“夫の死の意味を知りたい”と、御本尊に向き合ってきた一日一日だった。
                    ◇
 戸崎さんは2005年、知人の紹介で出会った裕隆さんと再婚した。
 「夫は、大学時代に折伏されて、家族で一人、学会に入会しました。信心一筋に人生の困難を乗り越え、社会で実証を示してきた苦労人。とにかく題目を欠かさない人でした」
 結婚生活は喜びに満ちていた。何より裕隆さんと、広布の“戦友”として夫婦で学会活動に励める日々は、これ以上ないほど幸せだった。ところが――。
 区婦人部長を務めていた12年5月のある日。「仕事中の夫から急に電話があったんです。『頭が痛いから、早めに帰るよ』って」
 昼ごろに帰宅した裕隆さんは、食事を取ると、そのままベッドに横になった。
 しばらくして、急に「手がしびれる」と言って起き上がり、トイレに駆け込んだかと思うと、嘔吐し、その場であおむけに倒れてしまった。
 すぐさま病院へ搬送されたが、意識が戻ることはなく、翌日、そのまま帰らぬ人となった。
 あまりに突然の出来事。戸崎さんは、冷たくなった夫の前で泣き崩れた。​


 葬儀を終えても実感が湧かなかった。
 “信心しているのになぜ”“もっと早く異変に気付いていたら”――ただただ自責の念に苛(さいな)まれた。御本尊の前に座っても声は出てこず、毎日、頬(ほお)を濡(ぬ)らした。
 ある日、いつも温かく見守ってくれていた婦人部の先輩が、憔悴する戸崎さんを見かねて言った。
 「ご主人の死の意味が分かるまで、題目をあげてあげて、あげ抜く時よ!」
 ハッとした。その激励が、戸崎さんの命の向きを変えた。
 「その先輩も、ご家族の宿命と戦ってきた方だったので、ありがたかったです。しっかりしようって。こういう時こその信心じゃないかって。その日から、題目をあげられるようになりました」
 地域の同志の励ましにも支えられ、前を向いた戸崎さんは、死魔を振り払うように祈りを重ねた。池田先生の指導を、むさぼるように読んだ。その中で、引用された「此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと」(御書1033ページ)との一節が心に響いた。
 
「夫の死をどう捉(とら)えるのか。祈る中で、少しずつ見えてきました。私の使命は、夫の分まで地涌の使命を果たすこと。それしかないって」
 裕隆さんとは、二度と会えない。しかし、一緒に広布に励んだ歓喜の日々は、戸崎さんの心に鮮やかに刻まれている。
 夫と共に結んできた仏縁を大切にし、幸福を祈り抜いていくこと。それが、“戦友”である裕隆さんとの“永遠の共戦”になるのではないか。戸崎さんは、そう、一つの意味を見いだしたのだ。
 祈るほど、命の底から力がこんこんと湧いた。夫婦で一緒に親交を深めてきた友人や知人、夫の両親や親族へ、戸崎さんは感謝の心で仏法を語っていった。

 裕隆さんが他界した翌年の11月18日。対話を重ねてきた義母が「息子の願いをかなえてあげたい」と、進んで入会した。御本尊授与式で、地域の同志が泣いて喜んでくれた。戸崎さんも、笑顔でうなずく夫の姿が目に浮かび、涙が止めどなくあふれた。
 裕隆さんを慕(した)っていた人からは、いまだに感謝の連絡が絶えない。それも全て、夫が残してくれた仏縁だと確信している。
 「御書に『魚の水に練れ鳥の天に自在なるが如し』(同ページ)とあります。広布に励めば励むほど、鳥が自由自在に天空を舞うように、境涯が広がります。夫の命が、私の心の中に生き続けていることを、確かに感じられるんです。だから私は、これからも広布に生き抜きます」







Last updated  2020/10/13 10:53:43 AM


2020/09/15

いのちの賛歌 心に刻む一節  生死と向き合う


挑み、勝つことが人生
 企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、「指導選集」)の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、神奈川県の壮年に話を聞いた。


御文
​​​​​ 今(いま)日蓮等の類(たぐ)いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来(なんきた)るを以(もっ)て安楽と意得可(こころうべ)きなり​​​​​(御義口伝、750ページ)​


通解
 いま日蓮と門下が妙法蓮華経を修行するのに、難(なん)が襲(おそ)ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。​


2人の幼子を遺して
 17年前の1月、新保貴史さん(58)=栄区総合長=の妻・美香さんは、霊山へ旅立った。その1年後、池田先生から激励の和歌が届いた。


 「荒れ狂う/怒涛に挑みて/偉大なる/我らの勝利は/晴れ晴れ来たらむ」
       

                     ◇


 美香さんが「乳がん」を宣告されたのは、2人目の娘が生まれて1年後のことだった。


 「妻は当時34歳。娘は3歳と1歳で、子育ても人生もこれからという時。あまりの現実に、がくぜんとしました。ともかく絶対に病魔を打ち破ってみせると、夫婦で祈りました」


 やがて、手術で腫瘍を摘出することができ、平穏な日常を取り戻した。ところが手術から3年後、がんが再発した。


 「腫瘍は、どんどん転移していって。それでも妻は常に前向きでしたが、病気の進行とともに出歩くことも難しくなっていきました」


 “自分が強くならなくては”。新保さんは懸命に御本尊に向かい続けた。


 再発から3年が過ぎた2003年1月22日、美香さんはとうとう集中治療室へ。


 付き添った新保さんは、病室で横たわる美香さんと一緒に題目を唱えた。美香さんの声が途切れた後も、新保さんは祈り続けた。必ずよくなる。そう信じて。


 翌23日の明け方、そのまま美香さんは眠るように息を引き取った。1週間前に40歳の誕生日を祝ったばかりだった。


 帰りの車中、心が乱れ、涙があふれた。


 帰宅した新保さんは、小学生の2人の娘に、しぼり出すように言った。「お母さん、亡くなったよ」。大声で泣きだした娘たちをぎゅっと抱き締め、一緒に泣いた。


 葬儀を終えると、日常に戻された。


 “自分一人で、2人の娘を育て上げることができるのか”との不安が込み上げた。


 光明を見いだそうと御書をひもとく中、胸に突き刺さったのが、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書750ページ)との一節だったという。


 「“いつまでも悲しみに浸っているわけにはいかない。負けるものか”って、御文を命の中に入れました。祈って目の前の“怒涛”に挑んでいく。もうこれしかなかったですから」


 仕事、子育て、学会活動……現実は格闘の連続だった。そんな中、池田先生から激励の和歌が届く。弟子を思う師の慈愛。新保さんは目頭を拭った。ふつふつと勇気が湧いた。心の中の悲哀を塗りつぶすように、御本尊に向かった。


 娘たちには、母親の分まで愛情を注ごう。そう決めて、どんなに忙しくても時間をこじ開け、授業参観などの学校行事には積極的に参加した。何より、同居していた義父母や義姉家族の存在は、大きな支えだった。


 思春期の娘たちとの関わり方に、人知れず悩んだこともあったというが、「妻ならどうするかと考えながら、精いっぱい向き合いました」。


 そんな新保さんの姿は、娘たちの目にどう映っただろう。
 昨春、医学部を卒業し、医師としての一歩を踏み出した長女・香織さん=女子部員。「大変だったはずなのに、私たちにはそんな顔を全く見せず、いつもニコニコしていました。お父さん、すごいなって思います」


 次女・美幸さん=女子部本部長=は、「私が悩んだ時、一番の相談相手になってくれるのが父なんです」と明るく笑う。現在、機械装置メーカーで働きながら、母の分までと朗らかに広布に励む。


 新保さん自身、学会では常に広布の最前線で奮闘。勤め先の国際輸送業会社では役員を務めるなど、信頼の実証を示す。
 

「“難こそ安楽”。それだけを信じて前に進んできました。毎日が“怒涛”でした。でも振り返ってみると、全てが祈った通りに開けました。苦闘の日々があったから、今がある。私はこれからも“怒涛”に挑み続けます」

 新保さんの2人の娘、香織さんと美幸さんは、よく地域の婦人部員から「昔、あなたたちのお母さんに励まされたのよ」と、母の話を聞くそうだ。
 香織さんは話す。


 「闘病中も、よく皆を笑わせていたお母さん。誰からも好かれていました」


 美幸さんは、「私も母のように、周囲を明るく照らす存在になれたら」と、心情を語る。


 心優しく育った2人の娘に、新保さんは思わず、在りし日の美香さんの姿を重ねる。


 「妻を亡くした悲しみが癒(い)えることはありません。ですが、そこにとどまってもいません。今こうして私たち家族が笑顔でいる様子を、きっと妻も、笑って見つめてくれているでしょう」



 池田先生は語っている。
 

「仏教の本質は、いたずらな悲観主義、厭世観(えんせいかん)でもなければ、根拠のない楽天主義でもない。人生の苦を直視し、そこから逃避するのでなく、むしろ徹底的に取り組んだ末に到達した、生の歓喜の思想だといってもよい。


 苦しみから逃避(とうひ)して、真実の喜びはない。人が目をそむけ、逃避しようとしている苦しみを如実に知見し、それに勇敢に挑戦し乗り越えてこそ初めて、金剛不壊(こんごうふえ)の、つきることなき歓喜が込み上げてくるのです」
  


 「妙法に結ばれた生命は、生死を超えて、ともどもに、たがいに、励まし合い、護り合い、導き合って、絶対の幸福と勝利の軌道を進んでいくのである。


 妙法の世界には悲嘆(ひたん)もなければ、悲観もない。妙法を行ずる家族は、何があっても『常楽我浄(じょうらくがじょう)』の月光に包まれていく。そして、その足跡が、あとに続く人々に、計り知れない希望と勇気を送っていくのである」(「指導選集」第1部下巻)
 家族で挑んだ6年間の闘病生活。そして、心の中の美香さんと歩んできた17年の歳月。それは今、希望へと続く勝利の足跡と輝いている。


[教学コンパス]
 身近な人との死別による悲嘆を支える「グリーフケア」への関心が高まっている。「グリーフ」とは、大切な人を喪失した深い悲しみのこと。特に家族を失うつらさは、筆舌に尽くし難い。


 上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進氏は、「グリーフケアが求められる時代とは、悲嘆を分かち合うことの困難が強く実感される時代でもある」と述べる(『グリーフケアの時代』弘文堂)。社会と個人の多様化が背景にある。


 仏法で説く「慈悲」の精神。「慈」は「友愛」を意味するサンスクリット語の「マイトリー」から訳され、「悲」は「悲しみを共にする」ことを指す「カルナー」などから訳される。友の苦悩に同苦し、励まし合っていく。これこそが慈悲の精神であり、真実の友情であると仏法は示す。


 試練の渦中にある友に寄り添い、温かな友情を結んでいくことが、今ほど求められている時代はないだろう。“あなたは一人じゃない”――その思いを一人でも多くの人に届ける実践に、慈悲は脈打つ。(優)


(2020年9月15日 聖教新聞)







Last updated  2020/09/15 01:32:22 PM
2020/08/18

​​〈心に刻む一節〉いのちの賛歌 
「病と向き合う」
何のための健康か

 連載「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、自らの宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介。池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、『指導選集』)から指導を掲載する。今回は「病と向き合う」をテーマに、京都府の婦人に話を聞いた。

御文
 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事、1124ページ)

通解
 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。

先の見えない闘い
 先の見えない病との闘い。
 その時、人はどう立ち向かうのか。
                       ◇
 結婚して2年がたったある日、竹村久美子さん(66)=京都伏見総県総合婦人部長=は、足の指に腫れと痛みを感じた。病院で検査をした結果、「関節リウマチ」と診断された。
 当時、32歳。そこから、長い闘いが始まった。
 足の指の痛みは、膝や股関節へと広がり、肘や肩、手の指……体中の節という節を激烈な痛みが襲ったという。
 「もう、半端じゃないくらい痛いんです。まるで、電動ドリルを関節に突っ込んで、ずっと回しているような。腫れて、痛くて、熱も出て。ひどい時は、顔も洗えない。眠ることもできない。痛む頻度も高くなって、数年後には毎日になっていました」
 当時、医師から「治療は難しい」と言われ、悪化する状況をただ耐えるしかなかった。
 激痛にもだえる日々の中で拝したのが、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)の一節だった。
 「体は痛くてしんどい。でも、心は負けないぞと。痛みは、体にとって『障り』かもしれないけど、心の『障り』にはしないぞと、自分を奮い立たせました」


 かつて竹村さんは、夫の直さん(62)=京都伏見総県長=と結ばれる前に「卵巣のう腫」を2度患い、26歳で両方の卵巣を摘出した。手術を終えた日、医師の「出産は諦めて」との言葉に、たまらずおえつした。
 当時、交際していた直さんから「共に乗り越えよう」と言われ、手渡された紙に書いてあったのが、あの一節だった。
 「病を人生の『障害』にしてはいけないって、自分に言い聞かせました。現実はつらい。だからとにかく題目をあげて、前に進んできました」
 その後、直さんと結婚。二人三脚で広布に駆けてきた。病を「人生の『障害』にしない」と誓った通り、リウマチの激痛にも、信心は一歩も引かなかった。
 どんなに痛くても負けたくなかった。会合は絶対に休まないとの覚悟を貫いた。あまりの激痛に靴が履けず、草履で会合に行ったこともあった。それでも、婦人部のリーダーとして周囲には心配を掛けまいと、歯を食いしばり、笑顔をつくった。
 とはいえ、病状は年々、悪化するばかり。終わりの見えない激痛と将来への不安。題目の「師子吼」で、それらに対峙する気力を振り絞った。


 そんなある日、学会の先輩に病を打ち明けた。“あなたの闘病は、病を抱えた人々に同苦するための試練。あなた自身が境涯を開いて、必ず治しなさい”と激励されて、気が付いた。
 「それまで周囲の幸せを祈ることはあっても、『自分の病気を治す』ことは真剣に祈れていなかったんです。きっと、心のどこかで諦めていたのかもしれません」
 この時から、“必ず病に打ち勝ち、使命を果たす!”と一念が変わった。それまでにないほど、真剣に治療にも臨んだ。
 「治らないのでは」というわずかな不安をたたき出すように、題目の「師子吼」に力を込めた。弟子である自分が元気になることこそ、池田先生への何よりの報恩だ――そう決めて。
 「気付けば、“必ず治す”という祈りが、“必ず治る”という確信に変わっていました」​​


 病の発症から24年――2010年(平成22年)夏のある日、体に違和感を覚え、病院へ。数カ月後、検査結果が出た。医師は首をかしげながら告げた。
 「竹村さん、リウマチは治っていますよ」
 驚くしかなかった。肩に添えられた夫の手を強く握った。
 「題目に不可能はない。全部、御書の通りやって、心が震えました。これでもかと悩み、祈りを重ねた私の半生。今、悩んでいる方々を励ます時に、『ああ、私の生きてきた使命はこれやったんや』って、かみ締めています」

 「関節リウマチ」が治るまで20年以上、竹村さんは激痛と向き合い続けた。
 これほど長きにわたって、病の苦しみと向き合い続ける日々というのは、どれほどのものだろう。それでも、決して負けなかった。婦人部のリーダーとして、友の激励に奔走し続けた。
 題目の「師子吼」の前では、いかなる病も「障り」とはならない。むしろ、病を「障り」とするかどうかは、自分の心次第だ。そんな覚悟が、竹村さんの姿ににじむ。
 何より竹村さんは、自身の病の意味を「友の苦しみを分かち持つための試練」と捉え返した。祈る中で、そう捉えられたのだ。
 「大病を経験したおかげで、友の『苦しみ』に本気で寄り添うことができる自分になれたんです。そして、何があっても負けへんかった自分が今ここにいる――このことが全てです」


 池田先生は語っている。
 「病気との対決を通して、新たな生命の充実をもたらしてこそ価値創造の人生です。だからこそ、あらゆる障魔と戦いぬく師子王の心が大切になってくる。『負けない魂』『負けじ魂』です」
 
 「何のための健康なのか、何のための長寿なのか。法のため、家族のため、同志のため、民衆のため、わが使命の実現のため、広宣流布の大願成就のための健康・長寿です。大事なことは、広宣流布のなかで戦う生老病死です。その姿そのものが、三世永遠の常楽我浄の実証です」
 
 「体験にもとづく確信からの励ましほど、安心と希望を与えるものはない。自分自身だけでなく、多くの同じ悩みをもつ人たちに希望を与え、救うことができる」(『指導選集』第2部中巻)
 広布の大願に心を定める時、自分のためという「小我」から他者のために尽くす「大我」へ、人間革命のギアが猛回転を始める。試練は幸福への跳躍台となるのだ。

[教学コンパス]
 長期の闘病生活が安定しているケースに多く見られる点として、患者が家族に一方的に支えられるのではなく、患者自身もできる範囲で誰かを助けているという「双方向性」を指摘する医師もいる(2018年7月16日付朝日新聞デジタル)。もちろん、価値観や状況は、千差万別ではある。


 法華経には「色心不二」の思想がある。肉体(色)と精神(心)は一体不二で、密接に関連し合っていると捉えるのだ。
 病は心身の両面に関わる。身体的な病気が精神的な苦痛を伴う場合もあれば、精神的な強さが病状に好影響を与える場合もある。
 病と向き合う学会員の中には、“病気に負けないことが周囲の希望になる”と確信し、自らを鼓舞しながら闘病生活を送る友も多い。そうした姿に、どれほどの人が勇気づけられてきただろう。
 御書には「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」(1015ページ)とある。病気をはじめ、あらゆる苦難を乗り越える力は、妙法を唱え、地涌の使命に生き抜く人の生命にこそ涌現する。(優)


2020年8月18日

 







Last updated  2020/08/18 11:26:59 AM

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