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晴ればれとBlog

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青年想 Essay from Youth

2020.11.12
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〈青年想 Essay from Youth〉14 =完 世界の同志と共に
女子部国際部長 馬塲俊子


「心の壁」破り勇気の挑戦を
 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面する中、青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考えてきた連載「青年想」。最終回は、馬塲女子部国際部長が「世界の同志と共に」をテーマにつづる。
 ​


希望あふれる姿
 “距離を超え、時差を超えて青春の命を結び合った”歴史的な「世界青年部総会」――。
  


 今この時、湧き上がる「地涌の誓願」を、歌声に、演奏に、舞に託した、各国・各地域のメンバーの、はじける笑顔は、未曽有の危機と闘う世界を照らしゆく、希望と勇気にあふれていました。
  


 私もリアルタイムで視聴する中、“この世界の同志と共に、コロナ禍という試練に負けず、必ず平和と幸福の未来を祈り、切り開いていくのだ”と、誓いを新たにしました。
  


 そして、総会を通し、改めて強く実感したのは、文化や言語が異なる一人一人の心に、日蓮大聖人の仏法の蘇生(そせい)の光が確かに広がり、今や世界のあの地この地で、桜梅桃李(おうばいとうり)の「人間革命」のドラマが、瞬間瞬間、築かれているということです。
 


“留学生”の悩み
 私は、父の仕事の関係で、幼い頃を香港(ホンコン)と上海(シャンハイ)で過ごしました。一時期、日本で数年ほど学校生活を送りましたが、小学5年の時、再び家族で中国の蘇州へ。当時、住む地域には日本人学校がなく、現地の学校の外国人クラスで学びました。
  


 語学の習得、人間関係や文化の違いなど、苦労や悩みは尽きませんでしたが、池田先生が友情の“金の橋”を築いてこられた中国で、自身も信頼の絆(きずな)を結ぼうと、日々挑戦しました。高校3年まで中国で生活した後、先生のもとで学びたいと、親元を離れ帰国。創価大学に進学しました。
  


 しかし、中国での生活が長かったためか、入学した当初、すぐには日本の環境になじむことができませんでした。自分は日本人であるのに、日常の習慣や感覚の違いを感じては、戸惑うことや、葛藤することが重なり、次第に、自らのアイデンティティーに悩むようになりました。
  


 また、私は大学に留学生として在籍していました。通常、留学生といえば、母国を離れて外国で学んでいる学生のことですが、私は長く中国にいたことや、当時、家族も中国で生活をしていたことなどから「留学生枠」となりました。
  


 しかし、他の国から来て、さまざまな苦労を抱えながら学ぶ外国人留学生たちの中で、日本人である自分が同じ“留学生”でよいのかと、どこか違和感や、いたたまれない思いも感じていました。
 

コロナ禍の中、世界の青年がオンライン空間で一堂に会した世界青年部総会


いかに生きるか
 そんな悩みの渦中、思いがけず、創立者・池田先生から「留学生に」とのことで、激励の書籍を頂きました。その宛名に「中国・馬塲俊子」と自身の名前が記されているのを見た時、国籍や出身がどうであるかということではなく、私を留学生の一人として、さらには“一人の学生”として、励ましを送ってくださっている先生の真心を素直に感じ、感謝が込み上げました。
 

 


 また、小説『新・人間革命』を学ぶ中、山本伸一が在日韓国人の女子学生に、次のように語る場面に出合いました。
  


 「あなたのことは、伺っています。人間が人間であるという視点に立つならば、どこの国籍であるとか、民族だとか、そんなことは問題ではありません。ちっぽけなことです。青年にとって大事なことは、未来に向かって、皆が幸福になるために、いかに生きるかです。あなたは、一人の人間として、自由に伸び伸びと頑張ってください。見守っています」(第15巻「創価大学」の章)
 

 


 私はそれまで、自分の立場を気にしたり、周囲との違いを感じて苦しんだりしていましたが、“大事なことは、自分が「未来に向かって、皆が幸福になるために、いかに生きるか」なのだ”と思えた瞬間、勇気が湧くのを感じました。
  


 さらに、ある時、池田先生がご自身を「世界市民」と言われていることを知り、“ならば、私も「アジア市民」という思いでいけばいいんだ!”と、心が大きく広がり、それからは創価大学で学べる感謝を胸に、留学生として、世界から集った学友たちと、共に充実した学生生活を送れるようになったのです。
  


 私が感じていた葛藤(かっとう)は、つまるところ、自らがつくった「心の壁」であったのだと思います。池田先生の指導を学ぶ中で、その壁を打ち破り、“自分らしく前進する勇気”また“挑戦する勇気”を持つことができました。
  


 そして、自らが「一人の人間」として、どのように生き、成長していくかということ。他者との関わりにおいても、互いを「一人の人間」として尊重し、誠実を尽くしていくこと。それを大切に、私も、師と共に世界広布の使命の道を進んでいこうと決意することができました。
 


100周年へ新出発
 「世界青年部総会」では、人生の苦難を信心根本に勝ち越えてきた、世界の青年たちの体験談にも心から感動しました。
  


 大切なわが子を亡くした深い悲しみから立ち上がり、友に励ましを送る人生を力強く歩むアフリカのメンバー。家庭不和と薬物依存に苦しんだ過去を乗り越え、教育者として子どもたちの未来のため奮闘する欧州のメンバー……。
  


 その姿を通し、どんなに過酷な「宿命」をも輝く「使命」へと転じていける偉大な力が“一人の人”の中にそなわっていることを、改めて深く学びました。
  


 御書に「南無妙法蓮華経と唱え奉(たてまつ)るは自身の宮殿に入るなり」(御義口伝、御書787ページ)とある通り、妙法によって、誰もが、自らの生命の最高の力を開くことができる――。国籍も性別も、立場や肩書も何一つ関係なく、まさに“全ての人”の幸福と勝利を築きゆくのが仏法なのだと実感します。
  


 女子部国際部は、“妙法の国際人”を目指し、語学の研さんに励んでいる女子部員で発足し、本年10月で結成41周年を迎えました。世界広布が加速して伸展する今、語学の翼を鍛えながら、一人一人が師の心をわが心として、縁する友と仏縁を結び、平和と幸福のスクラムを広げようと前進しています。
  


 池田先生は、かつて「世界広宣流布」の原点の精神について、このようにつづられました。
  
 

「広宣流布とは、単に仏教の知識や言葉が弘まることではない。この地球上のいずこであれ、その土地で生きる一人が、仏法を抱いて、勇気凜々と宿命転換に立ち上がることだ。尊き地涌の使命に目覚め、自分の周囲に理解と信頼と歓びを広げていくことだ」(『随筆 我らの勝利の大道』「『行学の道』を共々に<上>」)
  


 華陽姉妹と励まし合い、共に祈り、共に御書を学び、共に「人間革命」に挑戦していく中に、世界広布の実像があり、前進がある――そう心に刻み、学会創立90周年から、いよいよ2030年の「学会創立100周年」へ!

 まずは、新たな目標である小説『新・人間革命』完結5周年、「広宣流布大誓堂」完成10周年の2023年に向け、“Eternal Journey with Sensei!”(永遠の師弟旅を!)との思いで、一日一日を朗らかに勝ち進んでいきます。


(2020年11月12日 聖教新聞)







最終更新日  2020.11.12 19:52:31


2020.10.29

〈青年想 Essay from Youth〉13 変毒為薬の信心

    男子部総合教学部長 高野秀行
    病をも仏の境涯開く契機に

 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面している。青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、高野男子部総合教学部長が「変毒為薬(へんどくいやく)の信心」をテーマにつづる。


 
久しぶりの座談会
 「地区の皆さんと会えて、うれしかった」「久しぶりに顔を見ることができ、元気をもらった」
  
 9月19日の夜、私の地元の会館で行われた8カ月ぶりの地区座談会――。同志のはじけるような笑顔が印象的だった。
  


 座談会の模様はオンラインで同時配信され、過去最高となる27人が参加。いくつも語らいの輪ができているのを見て、改めて、直接会い、語り合う重要性を実感した。
  


 学会は本年、コロナ禍でもオンラインを使った励ましの対話を内外に広げてきた。友の悩みや不安に寄り添い、同苦する「励ましの輪」は、今や世界中に広がっている。
  


 特に、自分や家族が苦難に直面した時に、「励ましの一言」がどれほど心の支えとなるか――。


 
深夜の緊急手術
 8月16日の夜、母からSNSのメッセージが届いた。「お父さんが胸の痛みと息苦しさで救急搬送されました。お題目をお願いします」
  


 その日は、久方ぶりに実家を訪れ、両親とつかの間の団らんをすごしたばかり。突然の出来事に、しばらく思考が追い付かずにいた。
  


 運ばれた病院で、71歳の父は「急性大動脈解離」と診断され、深夜の緊急手術が決まった。私も病院に駆け付け、母と待合室で一夜を明かした。
  


 一報を受けて以来、ずっと題目を唱え続けていたが、動揺は激しかった。“何としても父を救いたい”と願う一方で、“もし助からなかったら……”との思いもよぎる。手術が終わる明け方まで、一睡もできなかった。
  


 幸い手術は成功したが、執刀医からは「一両日中は、何があってもおかしくない」と言われた。実際、手術の3時間後に父の容体は一時悪化し、集中治療室(ICU)で緊急の処置が施された。
  


 私は自宅に戻ってからも御本尊に向かい続けていたが、不安の闇(やみ)を消せずにいた。これまで聖教新聞の記者として、長年にわたって多くの同志を取材し、病を乗り越えた体験も聞いてきた。
  


 だが、病魔が自身の家族に降りかかってきた時、なかなか、「信心で必ず乗り越えられる!」との確信を持ち切れない自分に、もどかしさを感じていた。池田先生の指導を求め、御書を開く中で、ふと目に留まった御聖訓があった。
  


 「此(こ)の曼荼羅(まんだら)能(よ)く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病(やまい)さはりをなすべきや」(経王殿御返事、御書1124ページ)
  
 

「このやまひは仏の御(おん)はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病(やみ)ある人(ひと)仏(ほとけ)になるべきよしとかれて候、病によりて道心(どうしん)はをこり候なり」(妙心尼御前御返事、同1480ページ)
  


 これまで何度となく拝してきた日蓮大聖人の大確信の言葉が、この時ほど、強く自身の心に響いたことはなかった。
  


 同じ頃、父の病を知った地元の同志や、父の元同僚の方から、次々と励ましの電話をもらった。「絶対に大丈夫! 祈っているから」「必ず乗り越えられる。変毒為薬の信心だよ!」と。池田先生からも伝言と激励をいただき、“家族で病魔に立ち向かい、必ず打ち勝つ!”と腹が決まった。
 
男子部員の自宅を訪れ、確信を込めて励ます志賀青年部長(今月11日、東京・調布市内で)


周囲の励ましが
 池田先生は、「病魔を恐れず、侮らず、戦い挑む『強い信心』が、仏界を力強く涌現させるのです。病魔の『挑戦』に対し、『応戦』していくのが、私たちの信心です」(『創価学会 永遠の五指針』「健康長寿の信心」)と、つづられている。
  


 また、先生は先に挙げた「妙心尼御前御返事」の御文を拝してつづられた。「決定した信仰に立てば、病を契機として『道心』を起こして仏になれる。ゆえに病をも『仏の境涯を開くチャンス』と捉えて、『必ず信心で乗り越えてみせる』と覚悟を決めることです。そのためにも、周囲の励ましが大切です。励ましによって立ち上がることができるからです」(同)
 

 
父は手術の翌日には意識を取り戻し、ICUで1週間を過ごした後、一般病棟に移ることができた。ただ、退院までの残り3週間は、感染予防のため家族も面会することができなかった。
  


 唯一のつながりはSNSだけ。私たち家族は日々、真剣に回復を祈るとともに、励ましの言葉を父に送り続けた。多くの同志の励ましに支えられ、父は9月中旬に退院。「池田先生をはじめ、同志の祈りで命を救ってもらい、感謝しかない。元気になって恩返しの人生を歩んでいきたい」と語る父は、現在、自宅で療養を続けている。


 
不屈の信仰貫く
 熱原の法難の渦中、日蓮大聖人が南条時光に送られた「法華証明抄」には、「すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か」(御書1587ページ)との一節がある。
  
  当時、時光は24歳。激しい弾圧の矢面に立って、同志を自邸にかくまい勇敢に戦い続けてきたが、その中で、命に及ぶ病を患ってしまう。その知らせに対して大聖人は、“時光が不屈の信仰を貫いたゆえに、最高の幸福境涯を開くのは間違いない。だから今回の病も起きたのであり、断じて負けてはいけない”と、励まされた。
 

 
師匠の大激励を受けた時光は、病を克服。その後、50年にわたり信心を貫き、広布に生き抜いた。私たちもまた、病などの苦難に直面した時にこそ、自身の信心が試される。だが、実際に直面すると、「頑張ってきたのになぜ?」「どうして自分が」といった思いを抱くこともある。
  


 池田先生は、「病気になることは、決して敗北などではない。信心が弱いからでもない。広宣流布に生き抜く中で起きた病気という苦難は、成仏を阻もうとする魔の働きである。ゆえに、怯んではならない」(「若き君へ――新時代の主役に語る」)と語られている。
  


 私自身、御書に照らし、また先生の指導を学ぶ中で病の意味を見いだし、病魔に立ち向かう勇気が湧いた。同志の励ましが、心の支えとなった。また、父の病は、これまで取材で聞いた同志の言葉の重みや、信心の大確信を、自分なりに一層深く知る、貴重な経験になったと感じている。


  


 学会には、苦難や試練に直面しても、その意味を捉え直し、「宿命を使命に変える」生き方を実践している同志が世界中にいる。その生き方がどれほど周囲に希望を与えていることか――。
  


 アメリカのジョンズ・ホプキンス大学のまとめによれば、新型コロナウイルスの感染者数は、世界全体で4371万人を超え、亡くなった人は116万人に上っている(10月28日現在)。
 

 
いまだに終息のめどは立っていないが、人類がこれまで何度も感染症を乗り越えてきたように、病に打ち勝ち、必ず乗り越えていけると確信している。いかなる病や試練にも負けない「不屈の信心」を持った私たち学会員の真価は、こうした困難な時代でこそ発揮されていくに違いない。







最終更新日  2020.10.29 12:17:30
2020.10.15

〈青年想 Essay from Youth〉12 レジリエンス(困難を乗り越える力)

​  学生部教学室長 三國秀夫
  不屈の可能性を開く仏法

 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面している。青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、三國学生部教学室長が「レジリエンス(困難を乗り越える力)」をテーマにつづる。
 ​


歩みを止めない
 8月30日、全国の会館で学生部教学実力試験を開催することができた。当日まではオンラインで研鑽。コロナ禍の中、“リアル”とオンラインで取り組み、大成功の試験となった。
  


 9月には「全国学生部オンライン総会」、そして世界の青年の連帯を示した歴史的な「世界青年部総会」と、“広布の前進を決して止めてはいけない!”との決意で進んできた。
  


 振り返れば2月以降、「これからどうなってしまうのだろう」との不安や、緊急事態宣言下での「家から出られない」「人と対面で会うことが難しい」という大きなストレスにさらされてきた。学生部員たちは自宅でオンライン授業を受講しており、なかなか集中力が持続しないことや学生生活での切実な悩みの声も多く聞いた。
  


 しかし、私たちは、困難に対して力強く挑戦を重ねてきた。この8カ月の歩みに、日蓮大聖人の仏法を持つ信仰者としての「困難を乗り越える力」が示されていると感じる。そして、「現状に立ち向かい、未来を切り開こう!」と創価の負けじ魂を燃やし、座談会や訪問・激励をスタートできた。


 
発揮の要因とは
 「困難を乗り越える力」といえば、「レジリエンス」という言葉が思い浮かぶ。池田先生が「SGIの日」記念提言や随筆など折々に言及されており、2018年のアルゼンチンのエスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者)との共同宣言でも強調された。
  


 日本人宇宙飛行士の野口聡一さんらが乗船する予定の宇宙船も困難への克服の意志を込めて「レジリエンス」と名付けられたそうだ。東日本大震災や、気候変動により相次いでいる自然災害に対抗する力として注目されている概念である。
  


 この言葉は、もともとは物理学・工学の分野で、外から力を加えられた物質が元の状態に戻ろうとする弾性や復元力を表す。
  


 転じて、環境破壊や経済危機のような深刻な外的ショックに対して“社会を回復する力”の意味でも用いられるようになった。
  


 私は、創価大学教育学部で心理学の分野におけるレジリエンスについて学んだ。心理学では、困難な出来事を乗り越える人間の能力として、この言葉が使われている。困難をはねのける人間の力強さに着目したこの言葉に出合い、自分自身もそうした、しなやかな人間的強さを身に付けたいと感じたことを思い出す。
  


 人間がレジリエンスを発揮するために、いくつかの要因が必要だと考えられている。「現実を見つめ、明るい未来を信じる」「正義を実践する」「信仰」「ロールモデル(模範=本紙編集部注)を手本に」「人生の出来事を成長につなげる」などである(スティーブン・M・サウスウィック/デニス・S・チャーニー著、森下愛訳『レジリエンス:人生の危機を乗り越えるための科学と10の処方箋』岩崎学術出版社)。
 

困難を乗り越え、希望の前進を!――全国の学生部員は同志と共に、人間革命の挑戦を誓う(写真は、9月20日に長野研修道場で行われた信越学生部の集い)


“春”へと転じる
 先に挙げたレジリエンスの要因は、いずれも、仏法を日常的に信仰する私たちにとって身近な要素である。
  


 「現実を見つめ、明るい未来を信じる」――「相構(あいかまえ)て相構て心を翻(ひるが)へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏(げんせあんのん)・後生善処(ごしょうぜんしょ)なるべし」(御書1528ページ)との御聖訓の通り、確信を持って進む私たちは、何があろうと希望を忘れない。
 

 


 「正義を実践する」――「悪を滅(めっ)するを功(く)と云(い)い善(ぜん)を生ずるを徳(とく)と云うなり」(同762ページ)。初代会長・牧口常三郎先生が示された通り、悪を見て見ぬふりをする者は、悪と同じである。そして、最高の善であるこの仏法を勇敢(ゆうかん)に実践している。
 

 


 「ロールモデル(模範)を手本に」――師への報恩を重んじられた大聖人に連なり、学会は「師弟不二」の生き方を何よりも大切にしている。御書には「法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし」(同230ページ)と示されている。
  


 「人生の出来事を成長につなげる」――「鉄(くろがね)は炎打(きたいう)てば剣(つるぎ)となる」(同958ページ)。いかなる困難があろうと、それは自身の生命を磨く試練であると捉える姿勢がある。
  


 何より、大聖人の御生涯こそ、レジリエンスを発揮された一人の人間の極致であると感じる。竜の口の法難をはじめ、想像を絶する幾重もの試練を勝ち越えられた悠然たる姿であられた。
  


 そして門下たちも、多くの困難を乗り越えている。四条金吾は、主君や同僚からの抑圧(よくあつ)に耐(た)え抜(ぬ)き、信頼を獲得(かくとく)した。富木尼御前は大病を患(わずら)いながらも、力強く生き抜いた。池上兄弟は、他宗を信仰する父からの厳しい待遇(たいぐう)に屈(くっ)せず、兄弟で団結し、やがて父を正法に導(みちび)いた。
  


 このように、御書には、日蓮仏法には、レジリエンスの世界が色鮮やかに広がっているのである。
  


 700年以上の時を超えた現代において御書を根本に進む学会員も、レジリエンスを大いに発揮している例は、挙げれば数え切れない。
  


 御聖訓には、「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(同1253ページ)とある。この仏法を信ずる人は、冬のようであっても必ず春へと変わっていく――いかなる苦難の冬にいる人にも希望を届ける一節だ。
  


 見方を変えれば、厳しい寒さが襲(おそ)う試練の冬があってこそ、暖(あたた)かな歓喜の春は訪れる――ともいえよう。人間の生命には冬を春へと転じる力が確かに具(そな)わっている。
  


 大聖人は「蒼蠅驥尾(そうようきび)に附(ふ)して万里を渡り碧蘿松頭(へきらしょうとう)に懸(かか)りて千尋(せんじん)を延(の)ぶ」(同26ページ)とも仰せである。この仏法を受持することで、冬を春へと転じる、生命の持つ可能性は、自然と発揮されるよう導かれる。しかも、万人にそれは可能なのだ。
 


内なる変革から
 池田先生は2014年のSGI提言で、レジリエンスの持つ可能性を「希望の未来を開くために発揮すべき力」と位置付け、そのために一人一人が“自分にしかできない価値を創造し続ける人間革命の挑戦”に励むことを提起された。そして、「その“内なる変革”がもたらす勇気や希望が、厳しい現実を突き破るための価値の創造に結実してこそ、“社会的な変化”を起こすことができ、その変化が積み重なる中で、人類が直面する問題を乗り越える『地球革命』の道が、一歩一歩踏み固められていく」と教えてくださった。


 コロナ禍時代を生きる私たちが、目前の困難を勝ち越え、新たな時代を開く「人間革命」の挑戦に打って出てこそ、世界の未来は大きく開かれていく。
  


 その挑戦とは、混迷の現代で、仏法によってこそ人間に具わる未来を開く力を発揮できることを、自身の姿を通して訴え抜くことだ。その志を胸に、学会創立100周年の2030年へ前進していきたい。







最終更新日  2020.10.15 09:47:06
2020.10.02

​〈青年想 Essay from Youth〉11   看護の現場から
白樺グループ委員長 山本宏子
「至宝の生命」護る誉れの道


 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面している。青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、山本白樺グループ委員長が「看護の現場から」をテーマにつづる。
 

厳しい環境の中
 「生命の虹(にじ)の世紀を創(つく)りゆく
  深き使命の貴女(あなた)たち
  看護という尊(とうと)き仕事に身を捧(ささ)げ
  人間ルネッサンスの朝を開かんと
  
  病(や)める人 苦悩の人を
  優(やさ)しくも強き祈りで包みゆく
  地涌の貴女の微笑(ほほえ)みは
  民衆の希望と勇気の源泉なり
  
  至宝(しほう)たる生命を護(まも)る王女らに
  福徳の大華よ薫(かお)れと念じつつ
  結成二十五周年を記念して
  ここに白樺(しらかば)の碑(ひ)を建立す」
  
 北海道・函館研修道場に立つ「白樺の碑」。この碑文を拝するたび、1969年(昭和44年)の結成以来、白樺グループ(女子部の看護者の集い)をたたえ励まし続けてくださっている師匠・池田先生への感謝の思いがあふれてきます。
  
 「至宝たる生命を護る」――先生は、「看護」とは“何よりも尊い生命”を守るための聖業であることを記し、とどめてくださいました。私たちはこの深き使命と責任に、これまで以上に真剣に向き合いながら、挑戦の日々を重ねています。
  
 本年、世界に新型コロナウイルス感染症が拡大し、国内の医療現場も大きな影響を受けました。ウイルスという見えない恐怖との戦い。時に科や病棟を越えて慣れない対応を求められるメンバー、厳しい緊張感のなか多忙な業務に走り回るメンバー、そうした状況から家に帰り着くと自然に涙がこぼれてしまうメンバーもいます。
  
 そのなか、自身の職場で“なくてはならない人”に成長し、皆が今こそ「妙法の看護者」としての使命を果たそうと、誓いを胸に看護に当たっています。
 
患者さんが中心
 私は、幼い頃に読んだナイチンゲールの伝記がきっかけで、看護師を志(こころざ)すようになりました。高校生の時、父が病で霊山へ旅立ちました。闘病生活の間、身近に接した看護師の方が、父や私たち家族の心に寄り添ってくださる姿に感動し、“私も誰かを守れる力をつけたい”と、看護師になることを強く決意しました。
  
 病棟で働き始めて1年目の頃、目の前の仕事をこなすことに精いっぱいで、心が追い付かず、自信を失ったことがあります。そんな私を温かく受け止めてくださったのが、白樺グループの先輩でした。
  
 「一番苦しいのは患者さん。患者さん中心の看護ができるように祈っていこう」と励まされ、題目を唱えていきました。すると、自分が失敗しないようにとの気持ちが強く、患者さん中心ではなかったことに気が付きました。
  
 それからは、病棟の隅々に題目をしみこませる思いで患者さん一人一人のことを具体的に祈るように。ある夜勤の日、痛みで数日眠れていない患者さんを受け持つことになり、胸中で題目を送りながら心を込めて看護すると、翌朝「ここ数日で一番痛みなく、よく眠れました。ありがとう」と言ってくださいました。
  
 その後もこのような経験を積み重ねるなか、題目のすごさを何度も実感してきました。同時に、どこまでも「目の前の一人」の苦悩に寄り添い、励ましを送り続けることが大切だと感じ、白樺としての使命が深まっていきました。
  
 池田先生は、小説『新・人間革命』第14巻「使命」の章につづられています。
 「看護婦は、人間と直接向き合い、生命と素手でかかわる仕事である。その対応が、いかに多大な影響を患者に与えることか。体温を測るにせよ、注射一本打つにせよ、そこには看護婦の人間性や心が投影される。患者はそれを、最も鋭敏に感じ取っていく。そして、看護婦の人間性や患者への接し方は、どのような生命観、人間観、いわば、いかなる信仰をもっているかということと、密接に関係している」
  
 まさしく、自分の触れる手、思っている心が、そのまま相手に伝わる看護の仕事において、大事なことは、技術や知識の向上はもちろんのこと、人間性や心を磨く挑戦なのだと感じます。
 


あたたかな彩りの紅葉に映える「白樺の碑」(北海道の函館研修道場)。中央には、池田先生の和歌「偉大なる 慈悲の溢るる 使命ある あゝ 白樺の 白衣の天使は」が刻まれている

「心の変革」から
 生死と向き合う看護の現場では、多忙で不規則な勤務、また職場での人間関係に悩み葛藤(かっとう)することもあります。しかし仏法は、自らの「人間革命」によって、どのような悩みも必ず打開していけることを教えています。
  
 日蓮大聖人は「浄土(じょうど)と云(い)ひ穢土(えど)と云うも土(ど)に二(ふたつ)の隔(へだて)なし只我等(ただわれら)が心の善悪(ぜんあく)によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此(またか)くの如し迷(まよ)う時は衆生と名(なず)け悟(さと)る時をば仏と名けたり」(御書384ページ)と述べ、人々が自らの仏の生命を輝かせていく「心の変革」から、国土、すなわち環境も変わっていくことを示されました。
  
 そして、池田先生はこの御文を通して「『自身』が変われば『世界』が変わる。『わが一念の変革』が、すべての変革の鍵なのです」(「一生成仏抄」講義、『池田大作全集』第34巻所収)とご指導されています。
  
 嘆(なげ)きたくなるような環境に対して、その原因が自分にあると単に卑下(ひげ)するのではなく、自身の「心の変革」からいかなる環境をも変えていけるのだと確信をもって立ち向かう、無限の希望の生き方を教えられているのだと思います。
 
「一回」を大切に
 看護の現場において、白樺の一人一人が「かけがえのない生命を守り抜く」との強き思いをもって、「わが一念の変革」に挑み、祈りを込めて慈愛の看護に当たっています。
  
 感染症の対応に当たる医療現場では、防護服やマスクで覆(おお)われているため、お互いの表情が見えにくく、また普段であれば患者さんの様子を小まめに見に行けるはずが、感染リスクを避けるために頻度(ひんど)を抑えることが必要な場合もあります。
  
 ある白樺のメンバーは「だからこそ、一回のナースコール、一回の会話を大切にしよう」と、これまで以上に一人一人の表情や声に気を配り、変化に気付けるよう真剣に看護に当たっています。
  
 また別のメンバーは、院内での感染防止の観点から、入院中の患者さんが家族と自由に面会できない状況を目の当たりにし、「ならば私が、この方の“家族”との思いで寄り添っていこう」と一つ一つの振る舞いに真心を込める挑戦を続けています。
  
 池田先生は、白樺グループを結成してくださった折に“同じ職業の人たちで、共に励まし合い、切磋琢磨(せっさたくま)していきなさい”と語られました。
  
 未曽有の感染症との戦いにあって、不安な時や苦しい時、思いを分かち合える白樺の皆と、祈り合い、励まし合えることが、どれほどの支えとなり、力となっているか計り知れません。改めて、「生命を守る尊い方々」と、いつも白樺を心からたたえ、励まし続けてきてくださり、“姉妹の絆”を結ばせてくださった先生に、感謝の思いでいっぱいです。
  
 私たちは、師匠への報恩を胸に、全ての人の生命が輝く生命尊厳の世紀を、優しく強き“白樺のスクラム”で、朗らかに開いていきます。
(2020年10月2日 聖教新聞)






最終更新日  2020.10.15 09:33:27
2020.09.17

​​〈青年想 Essay from Youth〉10  生命尊厳の確立
青年平和会議議長 山口雅明
「苦悩」をも「幸福」の源泉に

 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面している。青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、山口青年平和会議議長が「生命尊厳の確立」をテーマにつづる。
 


戦争証言に学ぶ
 終戦・被爆から75年という大きな節目を迎えた今夏。一方で新型コロナウイルスの感染拡大によって、さまざまな行事や取り組みが、規模を縮小するなどの変更を余儀なくされた。広島の平和記念式典に初めて出席する予定だったグテーレス国連事務総長の欠席も、それを象徴していた。
  ​​


 戦争経験者の高齢化が進む今、戦争体験の風化を防ぐための方策が社会的に求められている。
  

 学会の青年部はこの夏を「不戦の誓い継承月間」と定め、オンラインで戦争・被爆証言を聞く集いを計5回開催した。全国の青年部・未来部の代表延べ2000人が参加。そのうち約4割は、今回の集いで初めて戦争証言に触れることができた。後世に残る資料とするために、証言の模様をSOKAnet(創価学会公式サイト)で公開し、多くの反響を頂いている(​こちら​からアクセス可能)。


 証言者は、筆舌に尽くせぬそれぞれの戦禍を、同じ言葉で表現していた。
  


 “地獄のようだった……”と。
  


 実際、戦争体験があまりにも凄惨(ひさん)であるため、口にするどころか、思い出したくもないという人も多い。心にまで深い傷を負わせたという意味で、“まだ戦争は終わっていない――”と語る方もいた。
  


 それでも、証言してくれた同志は戦後、妙法に巡り合い、戸田先生の原水爆禁止宣言や池田先生の平和思想に触れ、人生を劇的に変えてゆく。戦争体験を語り、未来を担う世代に平和を希求する心を伝えることを、自らの「使命」と定めたからだった。
 


「嵐は誉れ」の詞
 私はこうした体験に触れ、いかなる逆境をも変革していく「地獄即寂光(じごくそくじゃっこう)」の法理を思い起こした。
  


 「夫れ浄土(じょうど)と云(い)うも地獄と云うも外(ほか)には候はず・ただ我等(われら)がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫(ぼんぷ)と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ」(御書1504ページ)
  


 日蓮大聖人が、上野殿後家尼御前(南条時光の母)に与えられた一節である。尼御前の夫・南条兵衛七郎は、重い病を患う中、強盛な信心を貫き病で逝去。時光をはじめ、幼い子どもを抱えた尼御前は、いかに心細かったことだろう。大聖人は本抄で、尼御前が悲哀を乗り越え、信心の実践に励んでいくよう激励されている。
  


 大聖人の励ましに触れた尼御前はその後、子どもたちを広布の後継者へと立派に育て上げたことからも、「地獄即寂光」の法理を体現し、苦悩の淵から這い上がったことが拝される。
 

 


 私自身にも、苦しみを抱えていた中で、希望を見いだした経験がある。大学生の頃に自身の難病が判明し、闘病を続けていた2014年(平成26年)、一家の宿命にも直面していた。苦悩の渦中で参加した、同年4月の本部幹部会。ここで、ある詞が耳に響いてきた。
  


 〽創価の心 嵐は誉れ……
  


 学会歌「誓いの青年よ」の発表の瞬間だった。“創価の丈夫(ますらお)は、宿命の嵐こそ誉(ほま)れではないか!”。池田先生が作詞された新学会歌に触れ、悩みに向き合う自身の一念を一変させることができた。
  


 4カ月後に臨んだ手術は大成功。今、同志や家族と共に広布に生きる幸せをかみ締めている。


 
「即」の一字とは
 「地獄即寂光」のほかに、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」など、仏教では「即」を用いた法門が説かれている。「地獄」「煩悩」「生死」と、字義通りにとれば正反対の意味をもつ「寂光」「菩提」「涅槃」が、いかにして「即」で結ばれるのか。
 

 
池田先生は語っている。
  


 「大聖人は『即の一字は南無妙法蓮華経なり』(同732ページ)と明かしておられる。妙法を唱え、妙法に生き、『勇猛精進(ゆうもうしょうじん)』していけば、この法理に則り、どんな苦難も栄光に転じゆく『逆転劇』が、必ず必ず開かれるのだ」(2009年10月、方面長協議会でのスピーチ)
 

 
 

「即」は前後を単に“イコール”で結んでいるわけではなく、地獄の苦しみや煩悩の迷い、生死の苦悩の質を転換させる意味をもつ。苦悩が幸福を“妨げる”のではなく、苦悩をも幸福の“源泉”へと転じることができるのだ。
  


 なぜなら、万人の生命に尊極の「仏性」が等しく具わっているからだ。苦悩を御本尊への強盛な祈りに変えることで、一人も漏れなく、一切の差別なく、たちまちに自身の胸中に仏界を開くことができる。「即」という一字に、仏法のもつダイナミックな「変革の原理」が拝されてならない。
  


 この「生命の尊厳」の確立に基づく、「万人の幸福」と「世界平和」を目指すのが創価学会である。一人の友に仏法を語ることと、反核・反戦を訴え、恒久平和実現を志すことは、その本質において全く等しい振る舞いといえる。
  


 先述した広島の被爆証言でも、原爆の後遺症によって青年期は就職や結婚の不安が拭えず、周囲からの偏見や差別に苦しむ体験が語られていた。それでも、池田先生から贈られた「大思想は原爆を恐れじ」との指針に、希望の明かりをともす。以来、核兵器廃絶のために力強く歩んでこられた証言者の姿を見て、私は“生命の尊厳を確立しよう”との信念に触れた思いがした。
 


地涌の友の連帯
 9月6日にオンライン上で行われた「青年不戦サミット」では、イギリスとマレーシアの同志が各国の平和運動を報告。目前に迫った「世界青年部総会」を目指して仏縁を広げる模様も力説し、参加した日本国内のメンバーからは、“世界広布の広がりを肌で感じることができた”など、喜びの声が寄せられた。
  
 この半年で学会活動においても、オンラインが活用されるようになった。それを支えるのは、通信技術の革新によることは言うまでもない。その上で、「世界青年部総会」で世界とつながる今、改めて確認したい点がある。
  


 世界各地に妙法の種をまき、励ましを送り続けた池田先生の60年にわたる行動。そして、師に続いて広布開拓に汗し、涙した同志の奮闘――そうした労苦が凝縮して「即」、全世界の青年部が一堂に会することができるということを。
  


 世界を見渡せば、貧困や難民問題、気候変動、人種差別など、解決が困難な課題が山積している。そうした困難と対峙しながら、各地で同志が澎湃(ほうはい)と立ち上がり、地涌の菩薩としての使命に生きている。
  


 世界広布の本陣たる日本の青年部も、自他共の幸福を開きゆく日々を勝ち進んでいきたい。


(2020年9月17日   聖教新聞)







最終更新日  2020.10.15 09:40:03
2020.09.04

​〈青年想 Essay from Youth〉9   学び抜く青春
女子学生部長 林玲子
感謝と報恩が成長の力に

 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面する中、青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、林女子学生部長が「学び抜く青春」をテーマにつづる。
 ​


かけ離れた現実
 希望に燃えた学生が、向学と挑戦の決意を抱いてキャンパスに集い、夢や目標に向かって新たなスタートを切る春学期。しかし本年は、新型コロナウイルスの感染拡大により、各地の大学が「オンライン授業」に切り替わり、ほとんどの学生が、数カ月もの間をそれぞれの自宅で過ごすこととなりました。
  
 “画面上で授業を受ける”という難しさに加え、思い描いていた学生生活とはかけ離れた現実への戸惑い、友人や教職員と会えない寂しさ、そして、将来に対する不安や焦りなど、心が揺れ動く一日一日であったと思います。
  


 そうした中で、女子学生部員は互いに励まし合い、この逆境に負けまいと試行錯誤しながら、それぞれの場所で努力を重ねてきました。“オンラインであっても、今まで以上の学びを得よう”と挑戦するメンバーや、留学が急きょ中止となるも“日本でそれ以上の力をつけよう”と語学に励むメンバーもいます。
  


 柔軟な心で、ひたむきに前へ進む皆の姿に心から感動するとともに、改めて痛感するのは、コロナ禍が続く状況においても、現在のこの日々が、一人一人にとって、どこまでも“かけがえのない学生時代”であるということです。
 


同じ苦労ならば
 私は高校生の時、「勉強することが自分の将来にどう役立つのか」と悩み、学ぶ意味が見いだせず、挑戦を避けていた時期がありました。周りの友人が真剣に勉学に励む姿も、どこか、一歩引いた目線でしか見ることができずにいたと思います。
 

 
その後、創価女子短期大学に進学し、「とにかく将来の進路のために勉強しなくては」という思いで、自分なりに挑戦を始めました。しかし、分からないことに突き当たったり、思うように学習が進まなかったりと、壁にぶつかるとそれ以上頑張り抜くことができず、自分に、限界を感じるようになっていました。
 

 
そのような時、以前に池田先生が女子学生に対して行われた講義を学ぶ中で、次の指導に出あいました。
  


 「同じ苦労をするならば、『大きな理想』のために苦労してもらいたいのです。自分の小さな殻に閉じこもるのではなく、『友のため』『社会のため』そして『人類のため』という大いなる理想を掲げて、学んでいってもらいたい。そこに学問をする本当の意義もあるのです」(『池田大作全集』第143巻「創価女子短期大学で学問と人生と幸福を語る」)
  


 この言葉に触れ、これまで私は、まさに「自分の小さな殻」に閉じこもっていたのではないかと、はっとしました。そして、私たちの成長を心から願い、励ましてくださる先生の真心が胸に響き、まだ将来の道は漠然としていましたが、この限られた学生時代を、私も「友のため」「社会のため」「人類のため」に、苦労しながら学び抜く時にしていこうと決意することができたのです。
 


 それからは、行き詰まることがあっても「自分が学び、力をつけた分、未来が開かれていくのだ」と、決意を固め直し、粘り強く勉学に向き合えるようになりました。先生との誓いを胸に全力で学び続ける中、卒業時には思いがけず、代表で表彰していただくこともできたのです。
 

 
その後、ある時に母から「あなたが、広布の使命の道を歩めるように、幸福になっていけるようにと、お母さんはずっと祈っていたんだよ」と言われ、一生の原点となる宝の青春を過ごせたのは、母が私以上に私の幸福を願い、祈ってくれていたからなのだ、ということにも心から感謝しました。


振る舞いを示す
 どんなに素晴らしい環境にいても、自分の心が、学ぶことの“意味”に迷っていれば、結局は、自らの可能性を大きく開いていくことは難しいと思います。反対に、心に確かな“誓い”や“想い”があれば、いかなる環境であったとしても、大切な青春の日々を、自らを磨き鍛えゆく最高の価値ある一日一日としていけるのではないでしょうか。
 

 日蓮大聖人が心を砕いて薫陶された青年門下の一人に、南条時光がいます。幼い頃に父が亡くなっており、10代後半になると、時光は若くして一家の柱としての重責を担うようになりました。この時期に、大聖人が時光に与えられたのが「上野殿御消息(四徳四恩御書)」(御書1526ページ)です。
 

 
これから一家の柱として、また広布の後継者として、使命を担いゆく若き弟子に対して、大聖人が述べられたのは、どのようなことだったのでしょうか。
  


 そのご指導は、とても具体的です。親孝行をすること。主君の信頼を勝ち得ること。友人に礼儀正しくあること。守るべき立場の人に慈悲深くあること。そして、今ある自分を支えてくれている人の恩を知り、その恩に報いていくこと。こうした「人の振る舞い」を示して、大聖人は周囲の人々を大切にし、感謝の心で報恩の生き方を貫くことが仏法の真髄の教えであるということを、人生の基盤を築く年代にある後継の青年門下の心に、深く刻まれたと拝されます。
 

 “報恩の生き方を貫く”とは、何よりも、自分自身が成長し続けていくことであると思います。自分を支えてくれている人々の思いを知り、心から感謝するからこそ、徹して学び、力をつけようと努力する――。私たちが、限りなく成長し、人間革命の勝利を開いていく道も、この「報恩」の心で、学び抜く青春の中にあるのだと思います。
 


悔いなき挑戦を
 池田先生はかつて、ご自身の青春時代を振り返られて、その真情を次のようにつづられました。
  
 「私も苦学した。働きながら夜学に通った。恩師を支えるために、途中でその夜学も断念した。だが、学ぶ戦いは、絶対にやめなかった。そして、わが師の個人教授『戸田大学』という稀有の大学で学び通した。一点の悔いもない、最高に幸福な青春だった。私には、師弟勝利の使命の光が輝いていたからだ」(学生部指導集『先駆の誇り』「偉大なる才知の学生部」)
  


 そして、学生部に限りない期待をこめ、励ましを送ってくださっています。
  


 「尊い使命の君たちだ。一にも二にも、自身を鍛えねばならぬ。“鉄は熱いうちに打て”だ。心も、頭脳も、今こそ鍛え抜くのだ」(同)
  


 今、刻一刻と状況が変わる感染症との戦いの中で、学生生活も、先行きの見えない不安な日々が続いています。しかし「心も、頭脳も、今こそ鍛え抜く」とのご指導通りに、今できることに懸命に挑戦を重ねている、創価の女子学生部一人一人の胸中には、池田先生と同じ「師弟勝利の使命の光」が輝いていると確信します。
  


 本年は、9・9「女子学生部の日」45周年。この時に生まれ合わせた、使命深き宝の“女学姉妹”と、仲良きスクラムで励まし合いながら、皆で誓いを胸に学び抜く「勝利の青春」を歩んでいきます。

(2020年9月4日   聖教新聞)






最終更新日  2020.10.15 09:34:05
2020.07.02

〈青年想 Essay from Youth〉5 ​仕事と向き合う​

男子部長 西方光雄
逆境に「心の財」輝く生き方


 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面する中、青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、西方男子部長が「仕事と向き合う」をテーマにつづる。
 
働くという難題
 北海道の会合を終え、10分後には沖縄の集い。時には一日の間に東北、東京、関東、九州へ――。距離を超えるオンライン会合の利点を生かし、日々、全国の男子部員と語らいの場をもっている。
 ​

 
各地に共通して、皆が近況として語るのは、やはり仕事環境の変化である。


 日本では近年「働き方改革」が叫ばれてきた。コロナ禍という切迫した事態により、フィジカルディスタンス(身体的距離)に配慮して“改革”は進んだようである。だがもちろん一部にすぎない。
 

 
在宅勤務などのリモートワークに対応できない企業は多く、エッセンシャルワーカー(社会の維持に不可欠な仕事の従事者)は心身ともに緊張の中で働く。先行きが見通せない分野もあれば、業態を変える試みもある。そして休業や失職の方々もいる。ウイルスが労働現場にもたらした影響は、不条理なほどにバラバラである。
 

 
ほんの数カ月前には想像できなかった目まぐるしい状況変化の中で、青年世代の私たちが直面するのは、「働き方」の課題以前に、「働くこと」自体の難題なのかもしれない。


 
美・利・善の理想
 働く目的は何か。生活のため、自己実現のため、親孝行のため、社会貢献のため、趣味の充実のためなど、答えは十人十色であろう。


 アメリカの細菌学者ルネ・デュボス博士が寓話を紹介していた。


 ――通行人が、レンガを運ぶ3人に何をしているのか問うと、返事が異なっていた。一人目は「石運び」。二人目は「壁を積んでいる」。三人目は「聖堂を建てている」と(『生命の灯』思索社)。



 同じ作業をしていても、目的観や志の高さによって、業務の質や量、スキルアップ、成長の度合いは変わると感じる。
  


 そして仕事とは何かを考えるとき、初代会長・牧口先生が『価値論』で示された、人生の上に創造すべき「美(び)・利(り)・善(ぜん)」の価値が思い浮かぶ。利(経済的価値)は基本として、美(好き嫌いなどの感覚的価値)があれば充実感は増し、さらに善(社会的価値)を職場や世の中にもたらすことができれば、これ以上ない理想的な仕事といえよう。


 現実には、三つの価値が申し分なくそろう仕事と出合うことは、簡単なことではない。感染症の流行に直面し、その困難さは増しているように思う。
新潟・牧口圏男子部のオンラインによる集いに参加する西方男子部長(先月6日)


自己を磨く場所
 仕事に悩んでいた日蓮大聖人の門下に、四条金吾(しじょうきんご)がいる。
 

 
主君(しくん)に仕える武士だった金吾は、同僚(どうりょう)による讒言(ざんげん)などのせいで、主君から理不尽(りふじん)にも遠ざけられてしまう。現代的にいえば、職場の人間関係の中でハラスメントを受け、まさに八方ふさがりだった。


 弱音を吐く金吾は、主君のもとを去り、より信仰にいそしむことができる入道の立場になろうと決意する。しかし大聖人は思いとどまらせた。悩みから逃げてはいけないことを教えられた。大聖人の仏法は、生活に生きる信仰なのである。


 苦境と向き合った金吾は信心を全うするなかで、さらなる危機に陥るが、やがて主君からの信頼を回復することができた。そんな金吾に大聖人は指針を送られる。
  


 「蔵(くら)の財(たから)よりも身(み)の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)


 物質的な財産(蔵の財)、技術・地位など(身の財)も大事だが、心の豊かさ(心の財)が第一である――。事態が好転しつつあっても、本当の勝負はこれからという局面での言葉である。仕事の悩みから逃げそうになったところを包み込むように励まし、そこから立ち上がって信心根本に進んでいく門下に対して、信仰と人生の本質を語られたと思えてならない。
  


 心の財は、根本的には信仰を通して磨(みが)かれるものであり、仕事の次元で見れば、どんな業務であれ、お金や技術等を得るとともに、心を豊かにすることが最高の働き方ということになろう。むしろ、蔵の財や身の財は労働環境によって左右されてしまうのに対し、心の財はどんな時や職場でも積める上に、何があっても失われないのである。


 大聖人は“何事においても人々から称賛されるようになりなさい”と金吾に願われている。心の財の具体的な現れが、あつい信頼であり、深い人格であるといえよう。
  


 仕事に関して大聖人は、「御(おん)みやづかいを法華経とをぼしめせ」(同1295ページ)とも仰せである。「御みやづかい」、すなわち自分の仕事を、単なるビジネスではなく仏道修行と捉えるのである。
  


 そう思えば、職場で悩むことも、業務で行き詰まることも、ともすれば休業や失職という事態に陥ることがあっても、その中でもがき、奮闘すること自体が自身を磨き高め、心の財を積むことになるのではないだろうか。
 


三人前の責任感
 「信心は一人前、仕事は三人前」とは、第2代会長・戸田先生の指針である。「仕事は三人前」の意味について、かつて池田先生はこうつづられた。
  


 「大きな仕事を成し遂げるには、自分だけでなく、周囲にも目を配り、皆の仕事がうまくいくように心を砕くことが大切である。また、後輩も育て上げなければならない。さらに全体観に立ち、未来を見すえ、仕事の革新、向上に取り組むことも望まれる」(「随筆 人間世紀の光」〈わが社会部の友に贈る〉、『池田大作全集』第135巻所収)と。


 この学会精神ともいうべき責任感に燃えるドラマが、聖教電子版の投稿企画「青年部員と仕事」に寄せられている。
 

 
兵庫のある男子部員は、かばんの設計の仕事をしていたが、コロナ禍で流通が止まり、売り上げが落ち込んだ。そんな中、マスク不足の解消のために技術を生かそうと決意。現在の設備で可能な縫製(ほうせい)方法と、最適なマスク生地の研究を重ねた末、近隣特産の布地を使用した商品を開発できた。一般販売はもちろん、地元のこども園や小学校に無償配布(むしょうはいふ)し、社会貢献を果たせたという。
  


 池田先生は「苦しい時、大変な時こそ、不屈(ふくつ)の負けじ魂(たましい)で挑戦を続ければ、思いもよらぬ英知の底力が発揮される。必ず新しい価値を創造することができる」(2015年11月、創価学園「英知の日」へのメッセージ)と語られている。
  


 仕事にはその人の生き方が表れると思う。それは職種や業種、会社の規模などで決まるのではない。自分には何ができるか。現状をどう改善していくか。その責任感が強ければ強いほど、善の価値をもたらす創造と智慧が生まれる。ましてや、私たちには無限の希望を湧き出させる信仰の力がある。
  


 あまりに不安定な世の中で、「だからこそ」と前を向き、変毒為薬(へんどくいやく)(毒を変じて薬となす)の誓願(せいがん)と確信をもって働く創価の同志の姿に、心の財の輝きを見る。目の前の仕事を通して、職場や社会に光を送る一人一人でありたい。


(2020年7月2日 聖教新聞)







最終更新日  2020.10.15 09:34:39
2020.06.19

​​〈青年想 Essay from Youth〉4   デジタルネーティブ世代
学生部長 樺澤光一
真の分かち合い生む人間力を

 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有(みぞう)の困難に直面する中、青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、樺澤学生部長が「デジタルネーティブ世代」をテーマにつづる。
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オンラインの壁
 教室で机に向かい、講義から知的な刺激を受ける。学生同士のグループワークで、諸課題を掘り下げる。全国や海外から集まった仲間と語り合い、友情を築いていく。


 こうした当たり前の日常が、新型コロナウイルスの感染拡大により、キャンパスから消えてしまった。
 ​

 
今、多くの大学では、講義が“オンライン化”されている。学生たちは、幼い頃からデジタル機器に囲まれて育った世代、いわゆるデジタルネーティブ世代のど真ん中にいる。だからこそ、感染症による不測の事態にあっても、オンライン化に何とか対応できているのであろう。一昔前だったら、ウイルスの脅威(きょうい)を前に、学問の場はなす術もなく閉ざされていたかもしれない。
  


 ただし、オンラインの試行錯誤(しこうさくご)の中で、受講環境の整備の問題、いわゆる「通信格差」の問題が浮き彫りとなっている。全ての講義がオンライン化されると、経済格差にもとづく通信の格差が、そのまま教育の格差に直結してしまう。


 さらに、学生部員たちと話す中で、通信格差とは別の、大きな壁に直面していることに気付いた。それは、「学びへのモチベーションの維持」という課題だ。
  


 キャンパスの講義では、他の学生の姿勢や、講師との“生”のやり取りも刺激となる。そうした“学びの空気”を、オンライン講義では感じにくい。“学びの場”としての空気感や臨場感の喪失が、思った以上に影響しているようだ。


 これは、教室ならばうまく行われている“知のコミュニケーション”が、オンラインでは難しいことを示している。
 


伝わりづらい心
 デジタルネーティブ世代は、物理的距離を超えて情報を入手したり、他人と接したりすることを当たり前と感じる世代といわれる。「インターネットと現実の世界を対立するものとしては区別しない」「インターネット上の対等な関係になじんでいるため相手の地位や年齢、所属などにこだわらない」などの特徴が挙げられるという。
 

 
裏を返せば、他の人との“心の距離感”を測ることが難しい環境に育った世代ということもできる。
 

 例えば同じ言葉を発するにも、対面では、表情や身ぶりなど言語以外の部分も補って意図を伝えやすいが、デジタルでは、言葉以外は通じにくい。「熱量」や「思い」といった心に関する部分は、なおさらである。


 そもそもコミュニケーションとは、「互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと」などと説明されるが、もともと「分かち合う」「共有する」という意味が含まれるとされる。特に“知のコミュニケーション”では、学びの場を「分かち合う」ことが大切な要素であることは間違いない。


 総じて、デジタルはどうしても、思いを分かち合いにくいという点でコミュニケーションが十分でないのであろう。

新入生歓迎の意義を込めたオンラインによる集いに参加する樺澤学生部長(先月10日)


巡ってくる重み
 そうしたデジタルが抱える問題は、コミュニケーションの一つである「シェア」(共有すること、分かち合うこと)という行為にも見られる。
  


 今は「シェア」の時代である。ウェブ上のさまざまなサイトやニュース、SNSには「シェア」機能があ

り、気になった情報を簡単に他の人に伝えられる。
 しかし、シェアの手軽さは、責任の軽さをも生みかねない。特にSNS上のシェアは、人を鋭く痛めつける誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)さえ“1タップ”で拡散できてしまう。


 なぜそうなってしまうのか。デジタル世界でのシェアは、「分かち合う」ことの本義から離れてしまっているからであろう。
 

 
本来のシェアは、複数の人による相互性で成り立つ。例えば、目の前の人と、何か好きなものや良いことを分かち合えば、喜びや感謝などの気持ちが返ってくる。だからこそ、目の前にいる見知らぬ人を突然、誹謗中傷することはしない。
 

 
しかしデジタル上のシェアは、発信によっては、不特定多数の人が目にすることになる。また他者からの反応を無視することさえできる。そうなると、受け取る側との対等なコミュニケーションが成立しないという“一方的なシェア”であるため、相手を思いやる想像力に欠けてしまい、真の「分かち合い」にならないのである。


 「相手の側に立つ」ことが問われているデジタル社会の課題に対して、仏法は次のような視点を提示している。
 

 
日蓮大聖人は、「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)と仰せである。
 

 
ここに、一段高い「シェア」への洞察(どうさつ)がある。他者に差し出した光は、同じく自身の前もともす、つまり、一方的なものではなく、本当の意味での分かち合いをもたらすことを表している。相手への振る舞いが自分にも巡ってくる重みがある。
 私たちが善の価値を共有すれば、それは何倍にも社会へ広がる。これこそ自他共の幸福をもたらす哲学といえないだろうか。
 


思いを響かせて
 この哲学をもとに、デジタル時代を生きていく武器は、「人間力」であると思う。言い換えれば、自分自身の“人格”を懸けて、熱量や思いを伝えていく力であるといえよう。相手があってのコミュニケーションであり、シェアである。匿名性の高いSNSであろうと、他者に及ぼす影響に無責任であっていいはずはない。
  


 大聖人は「言(ことば)と云(い)うは心の思いを響(ひび)かして声を顕(あらわ)すを云うなり」(同563ページ)と示されている。心を伝えるのが難しいデジタル時代だからこそ、あえて伝えようという情熱によって言葉をつむぎだすことで、あたたかな温度とともに相手へ届く。


 そのためには、他者へと、世界へと、自身の境涯を大きく開きながら、思いを伝えていける力を鍛えていく挑戦が必要である。こうした「人間力」こそが、コミュニケーションにおいて最重要であろう。
 

 
今、世界の学生――デジタルネーティブ世代は、同じく困難な状況に立つ。この世代が“コロナ後”の新たな世界をつくっていく。その中にあって、創価の哲学は、新時代の希望になると確信する。
 

 師匠・池田先生は示されている。
  


 「一人一人が生老病死の苦悩を打開しゆく『人間革命』の哲学がいやまして渇仰(かつごう)されているといってよい。今、創価の若き哲人たちが、自行化他(じぎょうけた)の題目を朗々と唱え抜きながら、身近な自身の課題にも、友の悩みにも、社会の改革にも、励まし合いながら挑みゆく一日一日の積み重ねによって、どれほど偉大な知性と人格が錬磨(れんま)されていくことであろうか」(学生部指導集『先駆の誇り』「発刊に寄せて」)
  


 師匠の学生部への期待を胸に、デジタル時代を生きるための哲学を社会へ広げるべく、私たち学生部は、学問とともに人格を鍛えて人間力を磨き、次代を築きゆくリーダーへと成長していきたい。


(2020年6月19日 聖教新聞)







最終更新日  2020.10.15 09:35:25
2020.06.05

​​〈青年想 Essay from Youth〉
   励ましとは敬うこと     女子部長 大串博子


「心大歓喜」で希望の世紀を
   
 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面する中、青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、大串女子部長が「励ましとは敬うこと」をテーマにつづる。
 


華陽姉妹と前進
 「今から、唱題を始めます!」「今日は、この御書を拝読しました」――直接会えない状況でも、女子部の華陽姉妹たちとSNSやメールで声を掛け合いながら、皆で「信行学」の挑戦の日々を前進しています。
  ​​


 新型コロナウイルス感染症の不安や恐怖(きょうふ)と隣(とな)り合わせの中で、医療や保育、宅配、介護、生活必需品の販売などに従事(じゅうじ)してきた友も多くいます。


 人々の健康や生活を守るため、最前線で尽力される全ての方々に、感謝の思いは尽きません。
 

 
多様性に富み、置かれている状況も意見も皆が異なる現代社会にあって、先行きの見えない経済不安と対峙しながら、いまだ経験のない世界的な感染症流行という危機(きき)を、いかに乗り越えてゆくのか。
  


 今こそ、世界の英知を結集すること、そして、人々が手を取り合い、励まし合いながら、粘り強く前に進んでいくことが求められている――。そのように思う時、私たちが池田先生から教えていただいている「一人を大切にする」「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」との、仏法の「生命尊厳」に基づく生き方を、今いる場所で自らの行動に移していく。その地道な積み重ねが、どれほど大切な実践であるかを感じてなりません。
  


 ここでは、法華経に説かれる「竜女(りゅうにょ)の成仏(じょうぶつ)」を通しながら、どんな人も自らの生命を輝かせ、幸福拡大の使命を果たしゆくことができると教える日蓮仏法の精神を確認し、縁する友に、希望の光を広げる誓いを新たにしていきたいと思います。
 


報恩誓う竜女
 法華経の提婆達多品(だいばだったほん)第12の後半では、釈尊の説法が続く虚空会(こくうえ)に、大海の竜宮で弘教をしていた文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)が出現します。
  


 文殊(もんじゅ)は、自らが竜宮で法華経を説き、無量の衆生を化導(けどう)したことを述べ、さらに、そこでは竜王の娘である竜女も、法華経を聞いて、即座に覚(さと)りを開いたと語りました。


 しかし、同座する聴衆は、それを簡単には信じられません。なぜなら、竜女は畜生の身をしたわずか8歳の幼い少女であり、当時の考え方では「最も成仏から遠い存在」とされていたからです。
 

 
そこに突然、竜女本人が登場し、釈尊に向かって誓いを述べます。


 「仏(釈尊)だけが自分の成仏を知ってくださっています。私は大乗の教え(法華経)を開いて、苦悩の衆生を救ってまいります」(法華経407ページ、趣意)
  


 そして、この誓いの通り、竜女はあらゆる人々に、妙法の素晴らしさを語り伝えていきました。


 見かけや境遇は関係ない。いかなる人も「仏の生命」を具えた尊極の存在なのだ――この偉大な真実を、自らの身をもって知った竜女の大歓喜の姿は、周囲にも波動を広げます。
 

 
まず、釈尊のもとで説法を受けてきた娑婆世界(しゃばせかい)の衆生が、「心大歓喜(しんだいかんき)」(心の底からの大歓喜)をして、竜女に最敬礼をささげました。さらに、竜女の姿を見た数え切れないほど多くの衆生が、自分の内にも尊極の生命が具わっていることを覚知して、「心大歓喜」の大いなる渦(うず)が巻き起こっていったのです。
  


 妙法を教えてくれた師匠への“報恩の誓い”を胸に、「次は自分が苦悩の人々を救っていこう」と、勇んで民衆の中に飛び込み、「心大歓喜」の波動を広げていった竜女。


 その姿は、一人の無限の可能性を開花させる仏法の偉大さを、何より雄弁に物語っているのではないでしょうか。

思いやりに昇華
 「即身成仏」すなわち、その身のままで、仏界の生命を開き顕した竜女の姿を、文殊はこのようにたたえています。
  


 “弁舌は自由自在で、人々への慈愛に溢(あふ)れている。あらゆる修行の功徳を具え、思うことも述べることも、深遠(しんえん)かつ広大で、情(なさ)けは深く、心は穏(おだ)やかで優雅(ゆうが)で、よく覚りに到達した”と。
  


 法華経と出あうまで差別(さべつ)や偏見(へんけん)の目を向けられ、成仏を否定されてきた竜女には、その分、他の人々の悲しみや苦しみに、深く寄り添うことのできる心が光っていたのかもしれません。
  


 自分を認めてもらえた喜びは、他の人々への思いやりに昇華します。人を敬う真心は、「心大歓喜」の波動のごとく、幾重にも広がっていきます。
 

 “目の前の一人”の個性を敬う行動は、生命尊厳の思想で社会を潤す励ましの根本なのだと思います。
  


 妙法を唱えゆく中で、どんな人も、ありのままの自分を最も輝かせ、周囲を幸福へとリードする仏の力を発揮していくことができる――今、世界中で華陽の乙女が、自らもさまざまな悩みと戦いながら、友の心に寄り添い、智慧を湧かせ、真心の励ましを送っていることは、まさに竜女の姿にも通じる、慈愛の振る舞いです。
  


 この挑戦の一歩一歩に、仏法が教える、自他共に仏界を開きゆく道があり、私たちが誓ってきた「人間革命の勝利」が輝いていると確信します。


 
一人から始まる
 日蓮大聖人は御書の中で、法華経を供養する一人の真心から生じる功徳が、縁する人々にまで広がることを、鮮(あざ)やかな譬(たと)えをもって明かされています。
  


 「たとえば、春の野が千里(せんり)ほどにも広がって草が生い茂(しげ)っている所に、豆粒(まめつぶ)ほどの小さな火を一つの草に放てば、それはたちまちに燃え広がって無量無辺(むりょうむへん)の火となります」(御書1231ページ、通解)
 

 
この御文を通し、池田先生は女子部に語られました。


 「『一人』の真心が、どれほど偉大か」「“一つの行動”から、すべては始まる。“一言の励まし”から、勇気が生まれる」
  


 感染症との闘いが続き、行動が制限される中でも、創価の同志は「今できる励まし」を広げようと挑戦を重ねています。


 白蓮グループのあるリーダーは、自身もこれまで白蓮の仲間の励ましに支えられ、さまざまな悩みを乗り越えたことを、大切な原点として心に刻んでいます。思うように皆と集まれなくても、「だからこそ、私から励ましを送ろう」と、班員一人一人のことを祈り、真心の手紙や手作りカードを届け、皆に喜びが広がりました。
 

 
私たちはどんな時も、世界の平和と安穏を真剣に祈りながら、一人また一人へと、励ましの拡大に挑戦していきたい。
  


 世界に広がる華陽姉妹と共に。また、いつも温かく励ましてくださる、創価の“母”であり、“模範の先輩”である婦人部の皆さまと共に。明るく朗らかな創価の女性の祈りと振る舞いで、全てを変毒為薬(へんどくいやく)し、人類の新たな「生命の世紀」「平和の世紀」を開きゆくとの決意で、日々、自分らしく“希望の絆(きず)”を結び広げていきます。


(2020年6月5日   聖教新聞)







最終更新日  2020.10.15 09:36:12
2020.05.27

​​〈青年想 Essay from Youth〉2
「自分ごと」を広げる


男子部教学部長 大津健一
分断超える共感のつながり

 新型コロナウイルスの感染拡大により、社会が未曽有の困難に直面する中、青年部の代表が仏法の視点から価値創造の使命を考える「青年想」。今回は、大津男子部教学部長が「『自分ごと』を広げる」をテーマにつづる。
 
距離を取る社会
 わが家のインターホンが鳴ると、やんちゃ盛りの子どもたちは、われ先にと駆けていく。まるでプレゼントでも届いたかのように瞳をキラキラさせて(そんなケースはまずないのだが)。
 新型コロナウイルス感染症がまだ流行していなかった数カ月前。親が家事でインターホンに出られない間に、未就学の息子が応答してしまった。宅配便だと分かり、「したに、おいといてくださーい!」と言ったらしい。妻がドアを開けると、ちょこんと小包。子どもたちに勝手に応答しないよう注意しつつ、在宅でもサインなしで置いてくれるのかと不思議がっていた。だがもっと驚くべきは、1カ月も経たないうちに、それが通常のサービスの一つになったことであろう。


 ウイルスが社会にもたらした影響は、「分断」の一言に尽きる。
 ソーシャルディスタンス(社会的距離)の名のもと他人と距離を取り、密閉・密集・密接の「3密」を避けることが求められる。ステイホーム(家にいる)が即、大切な人のいのちを守ることになる現実。知らない誰かが知らない誰かの生活や仕事を支えるという、複雑に関係し合った現代社会の急所を、見えないウイルスが冷酷(れいこく)に突いてきた。いのちでいのちを守る医療従事者や介護関係の方々はもちろん、社会を維持するために奮闘される方々は全て、“分断に立ち向かう勇者”であると思う。どれだけ感謝してもしきれない。
 緊急事態宣言は解除されたが、引き続き、正確な情報に基づいて落ち着いた行動をとっていきたい。
無知や不安から
 中国で感染者が拡大した頃、欧米でアジア人差別が顕在化(けんざいか)したものの、またたく間に流行は世界へ広がった。ヒトもモノも五大陸を動き回る時代。他者に投げた鋭い視線は、たやすく跳ね返ってくる。それでも、いや、それゆえに差別は強いと聞く。
 国内では、さまざまな自粛が呼び掛けられてきたが、人々の振る舞いは一様でない。家にいることの大切さに取り合うことなく、気ままに外出を重ねる人たちがいる。一見して社会に同調していないような人に、脅迫的な言動を向ける人たちもいる。
 社会を顧(かえり)みない消極性も、義憤(ぎふん)に駆(か)られた攻撃性も、“自分たち”と“それ以外”とを線引きし、向こう側の置かれた状況に深く思いをはせないという点で、実は同根であろう。感染症対策による物理的な隔離(かくり)とは異なる分断――無知や不安などを背景として“自分の意に添うように”物事を見てしまうことで起こる精神的な分断が、多様な姿をまとってうごめいていると感じる。
 ただ、それは誰でも陥り得ることでもある。ひと呼吸を置いて“私があの立場だったら”と想像できればいいのだが、「他人ごと」を「自分ごと」として捉(とら)えることは、なかなか難しい。
迎え入れる智慧
 法華経の中心思想の一つに「開会(かいえ)」がある。最勝(さいしょう)の経典である法華経により、爾前経(にぜんきょう)の仮の教えを生かし、真実の意味を明らかにすることであり、万人成仏の教えを示していく。
 とはいえ、それまで教えを聞いてきた聴衆にとって、法華経の説は信じ難い。法華経の前半迹門(しゃくもん)で仏になる記別が次々と与えられていき、提婆達多品(だいばだったほん)で、悪人である提婆達多のほか、女性で畜身(ちくしん)である竜女(りゅうにょ)の成仏が明らかにされたことに、納得できない。
 私とは違う存在だから――こうした見方に凝り固まっているのだろうか。悪人や女性・畜生の生命も自身にそなわるのが十界互具(じゅっかいごく)である以上、他者の成仏を否定すれば、自らの成仏も閉ざすことになるのだが。
 日蓮大聖人は、提婆達

多と竜女の成仏を、こう表現された。
 「今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母(ひも)の成仏も顕(あら)われ・達多の悪人成仏の時・慈父(じぶ)の成仏も顕わるれ、此の経は内典の孝経なり」(開目抄、御書223ページ)
 あらゆる人々を成仏させる法華経は、父母を救う孝行の経典である、と。一切衆生は父や母であるという古来の仏教思想に基づき、儒教等と対比させて真の孝の教えを述べる文脈であるが、自分とは違うと思ってしまう二人の成仏を近しい存在で表したところに、他者のことを自身の中に迎え入れる智慧がある。
 思わず遠ざけてしまう「他人ごと」は、身近に感じられれば、「自分ごと」へと寄ってくるのではないだろうか。
善縁結ぶ菩薩行
 ある経典に、幼子を亡くした母親の物語が描かれている。
 母親は亡き子を抱いて、生き返る薬を探し回った。そして釈尊と出会う。「今まで死者を出したことのない家からケシをもらってくれば生き返らせることができる」と釈尊は告げた。母親はすがる思いで家々を訪ねるも、死者を出したことがない家などない。世の定めに気付いた母親は、仏の教えを求め、新たな人生を歩んでいく――。
 物語で印象的なのは、他者と向き合うことで心の扉が開かれたことである。
 母親はこれまでも、誰かの死を聞いたであろうが、「自分ごと」ではない。
 愛情をかけた子を失う母親の悲嘆(ひたん)は筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い。深い愛情ゆえ、母にとって死は「自分ごと」になった。
 そんな母に釈尊は、説法をせず、人と向き合うことを勧めたのである。誰もが最愛の人を失った悲しみと生きている。そうした身近な人々に耳を傾け、自分の思いを聞いてもらえれば、慰(なぐさ)めとも安らぎともなるであろう。それによって母親は「自分ごと」の世界に他者を迎え、心が広がったのではないだろうか。
 「みんな苦しいんだから我慢しなさい」という“同調圧力”などでないことは、前を向いた母のまなざしに表れている。
 身近な関わりに、より共感を抱くことで「他人ごと」は「自分ごと」に入り、心は豊かになる。そんな一人一人が集まる社会を開く主役が、利他の精神をもつ菩薩であり、私たち学会員であろう。それは、自他共の「自分ごと」を広げる生き方にほかならない。​​


 池田先生は、こう述べられている。
 「我らが掲げる平和の大道である『人間革命』もまた、一人との誠実な対話から始まる。それは、対話によって、自分自身も、縁する人も、変えていく戦いである。小さな殻(から)を打ち破り、無慈悲なエゴの壁(かべ)を乗り越えながら、善縁を結び、広げていく行動である」(『随筆 栄光の朝』「対話こそ わが人生」)
 幸いにも現代は、たとえ直接会えなくても、電話やSNSなどで「分断」を超え、真心を交わすことができる。「最近どう?」「大変だと思うけど祈ってるからね」――同苦や共感という、つながりの輪がいくつも重なれば、たくさんの人々の「自分ごと」が広がり、精神的な分断をも乗り越えていけると信じたい。


(2020年5月27日 聖教新聞)







最終更新日  2020.10.15 09:37:50

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