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池田先生のスピーチ

2019/11/28
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11月の本部幹部会で紹介された池田先生の指針 広布の長征へ前進!

​ 「世界広布新時代第44回本部幹部会」(11月18日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、1996年10月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。学会創立90周年となる明「前進・人材の年」へ、先駆する友の指針として掲載する。

いかなる状況になっても戦おう! 前進しよう!──1996年10月の本部幹部会で、同志にエールを送る池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)

自身を鍛えよ! 岩山のごとく フランスの作家「戦うことで君たちは強くなる」
 一、全国の皆さま、ご苦労さまです。
 まず、フランスの作家アンドレ・モロワ(1885~1967年)の言葉を紹介したい。
 「君たちのためには、障害や闘争があった方がいいと思う。闘うことで君たちは強くなるだろう。50歳または60歳になったときには、嵐にたたかれたあの古い岩山のように、ごつごつしたたくましい姿になるだろう。敵と闘うことで、君たちの人物が彫刻(ちょうこく)されるのだ」(「ある何人かの青年に寄せる手紙」、『人生をよりよく生きる技術』中山真彦訳、講談社学術文庫)
 青年の財産は何か。それは闘争(とうそう)である。苦労である。戦わなければ強くなれない。青年時代に戦っていれば、人生の総仕上げの時に、何も恐れるものはな
い。厳然たる岩山のごとき大境涯である。
 仏法でいえば、何ものにも侵されない「仏の境涯」である。偉大なる人間王者の姿である。そうなるために、若い時は苦労しなさい、戦いなさいと言っているのである。
 
 一、私も戦ってきた。だから強い。何も恐れない。
 私は偉大なる戸田先生の弟子である。創価学会の崇高な伝統を背負った人間である。ゆえに、だれにも頼らず、一人、師子のごとく戦ってきた。
 強いことは幸福である。強いこと自体が勝利である。
 弱さ、臆病(おくびょう)に幸福はない。
 戦いには勝つことも負けることもあろう。しかし、「戦い続ける」こと自体が人間としての勝利なのである。
 「強き心」「強き信心」「強き祈り」。これを鍛え上げれば勝利である。それが「仏界」である。
 ゆえに、私は青年部に申し上げたい。
 「何ものにも屈(くっ)しない自分自身を彫刻せよ!」と。

進まざるは「退転」
 一、明1997年は「新世紀へ前進の年」と決まった。おめでとう。
 前進といっても、さまざまな「前進」がある。
 朗らかな前進。
 堂々たる前進。
 忍耐の前進。
 勝利の前進。
 スクラムの前進。
 社会での成功への前進。
 楽しい前進。
 生活のすべてが前進。
 笑いの前進。
 求道の前進。 ​


 前進──日蓮大聖人も、「進まざるは退転」の精神を教えてくださっている。
嵐があろうが、苦難があろうが、前へ進む。何ものも恐れず、「師子」となって前へ進む。

 一、「仏法即人生」である。人生のすべてが即仏法である。「仏法即社会」である。社会も即仏法である。
 広宣流布も、人生、社会という現実のなかにしかない。
 その現実と格闘(かくとう)した人は、自分が鍛(きた)えられていく。自分が向上していく。自分の心が「勝利の旗」に包まれていく。
 反対に、戦うべき時に戦わず、前進するべき時に前進せず、愚痴(ぐち)と臆病(おくびょう)と無責任と批判(ひはん)ばかり──そういう人は、一見、楽しそうに、また安穏無事に見えても、「心の敗北者」である。
「未来の果(か)」は「現在の因(いん)」に今の行動で人生は決まる
 「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)──(心地観経(しんじかんきょう)に)未来の結果を知ろうとするならば、その現在の因を見なさい(等とある)──。
 これが、「開目抄」での御言葉である。
 今、自分は、いかなる原因をつくっているのか。今、どう行動しているのか。
これで、未来は決まるのである。一生にわたって。三世にわたって。ここに信心の根本がある。この根本法則に生き抜くところに、栄光があり、勝利がある。
 ゆえに、一人一人が師子となって、今再び広宣流布の闘争を始めていただきたい。

縁する人を味方に
 一、中国の「長征(ちょうせい)」について、周恩来(しゅうおんらい)総理の話を紹介したい。
 <長征は、1934年から36年までの2年間、紅軍(こうぐん)が行った戦略上の大遠征。
「万里長征(ばんりちょうせい)」ともいわれ、後に“20世紀の奇跡”とたたえられた>
 人間の二本の足で1万2500キロ(2万5000華里)を歩いた「長征」。
 なんと、アメリカ大陸を横断して往復する距離になる。
 長征の行軍は過酷(かこく)を極(きわ)めた。何十機もの飛行機に連日、爆撃される。地上でも、敵の大軍に追われ、包囲される。病気にも、飢えにも苦しめられる。だが、“歩き通す”ほかなかった。“戦う”しかなかった。“前進する”しかなかった。
 しかも、ただ、歩いただけではない。この間に通った広大な11の省、2億の人民を、着実に味方にしていった。話し合い、自分たちの理想を教えながら。
 派手な姿は、一つもなかった。静かに山々を越え、村々を回りながら、未来の「勝利」の種を植えていったのである。仏法で言えば「下種(げしゅ)」である。

 一、新中国ができて10年ほど後、著名なアメリカ人記者が、周総理にインタビューする(1960年)。
 (以下、「今日の中国──もう一つの世界──」<上>松岡洋子訳、『エドガー・スノー著作集』5所収、筑摩書房)
 二人は新たな国家建設の展望を語り合う。やがて話題は24年前の長征に及ぶ。
 周総理の苦渋の思い出を聞いて、記者は述べる。
 「それに比べれば、他の国家的な問題も比較的容易に解決できると考えておられるに違いない」
 すると周総理は答えた。鋭い口調であった。
 「容易ですって? 容易なものは何一つとしてありませんよ」。さらに、厳しく釘をさした。
 「容易なものがあるとわたしが言ったなどと、決して書かないで下さい」
 「10年前全中国は第二の長征をはじめたのです。われわれは第一歩を踏み出した。そう、第一歩にすぎないのです」
 「第一の長征」は、勝利した。しかし今、私たちは「第二の長征」を始めたのだ、と──。
 この一念、この気概。総理は、「もう、これでいい」などとは思わなかった。
民衆を救いきるまでは、永遠に前進する決心であった。

「青年」が焦点
 一、創価学会も、広宣流布の「万年の長征」を前進している。戦いは、今まさに始まったばかりである。
 1万メートル走でいえば、まだ50メートルぐらいしか走っていない。
 これからである。
 これからが本当の「前進!」である。
 私どもの前には、洋々たる舞台が開けている。
 「『万年の長征』へ、私たちは今、1年1年を歩んでいるんだ!」──この思いで、勇(いさ)んで「信心の前進」をお願いしたい。
 「いかなる状況になっても戦おう! 前進しよう! 必ず勝とう!」。この学会精神で、楽しく、朗らかに、ともに進んでまいりたい。


 一、万年の長征である。先は長い。
 そのために、若い人材が、ぐんぐん成長してもらいたい。21世紀は青年部に託す以外にない。青年部が焦点である。本格的に鍛えたい。育てたい。そして、立派に一切の総仕上げをお願いしたいのである。
 「新世紀へ前進の年」とは「新世紀へ人材をつくる年」である。こう決めて、全力を挙げていただきたい。
 人材は「実戦」のなかでしか、現実の戦いのなかでしか育たない。人任せでなく、自分が全責任をもつか、もたないか。人材の成長は、これで決まる。
 本年を有意義に総仕上げし、来年また、よき一年を迎えたい。
 きょうはご苦労さま。本当にありがとう!
 きょう、お会いできなかった皆さまにも、くれぐれもよろしく伝えていただきたい。
 楽しく、朗らかに進みましょう


(2019年11月28日   聖教新聞)







Last updated  2019/11/28 05:00:06 PM
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2019/09/13

​「世界広布新時代第42回本部幹部会」で紹介された池田先生の指針

(1993年4月の本部幹部会での池田先生のスピーチ)


広宣流布は信念の言論戦
正義を叫べ!真実を語れ! 

「新聞」は民衆の勝利のために

 「世界広布新時代第42回本部幹部会」(8月31日、横浜市鶴見区の神奈川池田記念講堂)の席上、1993年4月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。11・18の「創価学会 世界聖教会館」完成へ、勇躍前進する友への指針として掲載する。

 一、きょう4月20日は、「聖教新聞」の創刊記念日である(1951年創刊)。
まず全国の、わが愛する「無冠の友」──配達員の方々、また配達協力者の方々に、心より感謝を申し上げたい。ありがとうございます!
 これからも、どうかご健康で、一日一日、無事故であっていただきたい。素晴らしい福運を積みながら、ご長寿で、素晴らしい生涯であっていただきたい。
 「聖教新聞」は、発行部数においても日本有数の新聞である。しかも、それ以上に、仏法を根底とした「人生の指針」「人間哲学」「人間讃歌」「人間の生き方」という、
内容の深さにおいては“世界第一”であると確信する。
 
希望を万年先まで
 一、新聞こそ、言論戦の“武器”である。私の尊敬する、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁も、新聞を精神闘争の“武器”として戦ってこられた。
 総裁は青年時代から、新聞記者として活躍された。しかし独裁政権から、何度も弾圧(だんあつ)される。投獄(とうごく)もされた。国外追放にもあった。
 けれども総裁は、絶対にペンを折らなかった。書いて書いて、書きまくった。民衆に真実を訴え抜いた。
 何があろうと“道を貫く”“退転しない”。これが人間としての「勝利者」の証しである。
 どこまでも、正義を叫び切っていく。真実を語りに語り抜いていく。ここに私たちの折伏精神もある。広宣流布は、永遠不退の闘争であり、信念の言論戦なのである。

 アタイデ総裁とは、今回のブラジル訪問の折に初めてお会いした(93年2月、リオデジャネイロ)。お顔には、長き闘争の風雪が刻まれていた。まさに“獅子の顔”であった。戦士の心は、会ったとたん、瞬時に響き合った。
 「戦いましょう」「二人で力を合わせ、人類の歴史を変えましょう」──これが、出迎えてくださった空港での総裁の言葉であった。

 一、アタイデ総裁は、新聞の使命について、こう述べられた。
 「新聞は毎日、また常に、民衆の光輝ある力のために、現在と未来の間に立って、歴史の行進を先取りする。そして世界の地平線へ、鋭きまなざしを広げていく」
 商業主義でもない。自己満足のためでもない。新聞は「民衆の勝利」のためにある。
 わが「聖教新聞」は、これからも、世界の第一級の良識と広く深く連帯しながら、さらに力強く、さわやかに、民衆の心、人類の心を動かしてまいりたい。
 一波が二波、三波、そして万波となっていくように、新世紀へ、万年の未来へ、限りない希望の生命の波を送っていく。これが「聖教新聞」の使命である。

無冠の友は「仏の使者」
 一、日蓮大聖人は、門下の大田乗明へのお手紙で、「金珠女」の説話を引いておられる。
 「昔金珠女(こんじゅにょ)は金銭一文を木像の薄(はく)と為(な)し、九十一劫金色(こんじき)の身と為(な)りき」(御書1012ページ)──昔、金珠女(こんじゅにょ)は、仏の木像を飾る金箔(きんぱく)を金銭一文で供養し、九十一劫の間、金色の身となった──。
 (昔、毘婆尸仏(びばしぶつ)という仏が入滅したあと、人々は七宝の塔を供養したが、そのなかの木像の顔の金色が一カ所、欠け落ちていた。このとき、貧しい一女性が、乞食(こじき)をして得た金珠〈金の宝珠〉で補修した。その功徳で九十一劫もの長い間〈一劫は一説には約1600万年との計算もある〉、金色の身と生まれて、人界・天界の喜楽を受け続けたと、「付法蔵因縁伝(ふほうぞういんねんでん)」〈『大正新脩大蔵経』第50巻〉に説かれている)

 「金色の身」とは、光り輝く最高の大福徳の身ということであろう。お金も「いらない」「いらない」と言っても入ってくる(爆笑)。
 それはともあれ、くめどもつきぬ福運、体からあふれ、にじみ出てくる歓喜の光。
こうした「金色の身」が生々世々に続いたというのである。
 わずか「金銭一文」でも、時にかなった真心からの供養であれば、計り知れない功徳を得る。「心」の不思議な作用である。


 一、さらに大聖人は、「仏」を供養した金珠女の功徳以上に、「仏の師」である「経(法華経)」に供養する大田乗明夫妻の功徳は大きい。必ず一生のうちに成仏されますよ、と断言しておられる。
 大聖人のお言葉には、絶対に、うそはない。必ず、その通りになっていく。私は大確信をもっている。
 今、私たちは、最高の供養である「妙法流布」をなしている。「広宣流布」の聖業をなしている。その人は、「金珠女」すなわち「黄金の宝珠の女性」以上の大福徳を得る。必ず「金色の身」となる。これが、御本仏のお約束であられる。
 なかんずく配達員の方々の功徳は大きい。
 というのは、大聖人は「仏は文字に依(よ)って衆生(しゅじょう)を度(ど)し給うなり」(御書153ページ)──仏は(経文の)文字によって、人間を済度(救済)される──と仰せになっている。
 「文字」には、人を救う力がある。人を救う「文字」がある。
 経文そのものとは次元は異なるが、「聖教新聞」の根本は「文字によって人々を救う」新聞である。広宣流布をなしている唯一の新聞である。
 それを届けてくださる方々は、実は「仏の使者」であられる。一日一日が、偉大なる価値を生まないわけがない。一歩一歩が永遠の福徳を積まないはずがない。
 尊き仏使であられる配達員の皆さまが、また、ご一家が、永遠に無事故で、色あせぬ金色の幸福に包まれておられることを私は願い、祈っている。

「無限の知恵」を
 一、大航海時代、はるかな海を越えて、マカオを訪れた一人の詩人がいた。彼の名はカモンイス(1524~80年)。ポルトガル文学史上、最大の詩人とうたわれる人物である。
 詩人は語る。
 「権威や権力を利用して卑劣な中傷、根拠なき批判をする者は、絶対に勝つことはできない。それは勝利の因に欠けているからだ。真の勝利は、唯一無二にして完全なる正義をもっているかどうかで決まる」と。
 「正義」こそ力である。私たちは、大聖人の仏法という、「唯一無二にして完全なる正義」をもち、進んできた。ゆえに、一切を乗り越え、堂々と勝ってきた。いかな
る中傷も、ものともせず前進してきた。そして今や、全世界にこれほどの信頼の輪を広げつつ、この上なく楽しい「世界一」の学会となった。

 一、カモンイスは、また「勝利は権力ではなく、知恵で勝ちとるものだ」と。
 仏法の精神にも通ずる、英知の言葉である。
 いわんや大聖人の仏法は、「以信代慧(いしんたいえ)(信を以って慧に代う)」である。「幸福への知恵」「勝利への知恵」は、信心のなかに含まれている。
 周囲がどうか、環境がどうかではない。大切なのは、自分自身の知恵である。知恵で決まる。その知恵を開くために、自分自身が「信心」を奮い起こしていくことである。
 また、そうした強き信心の祈りは、すぐに目には見えなくとも、時とともに、必ず、「勝利のリズム」を生み出していく。「無限の知恵」が、「無限の勝利」の道を開いていく──それが信心である。
 本日は、海外20カ国の求道の同志も集っておられる。心から感謝申し上げたい。
遠いところ、本当に、ご苦労さまです。
 最後に、皆さまの健闘をたたえ、また「無冠の友、万歳!」と申し上げ、本日のスピーチとしたい。
 本当にご苦労さま! ありがとう!


(2019年9月13日  聖教新聞)







Last updated  2019/09/13 12:10:04 PM
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2019/05/14

​「世界広布新時代第41回本部幹部会」で紹介された池田先生の指針

学会は正義の中の正義の団体
行動こそ真実の信仰の証し

2005年5月の本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)

 「世界広布新時代第41回本部幹部会」(3日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、2005年5月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。師弟勝利の月・7月へ、いよいよの決意で前進する友への指針として掲載する。

 一、恩師・戸田先生は、常々、こうおっしゃった。
 「正義は絶対に勝たねばならない。正義が負ければ正義ではなくなる。創価学会は、正義の中の正義の団体である。ゆえに、絶対に勝たねばならない。勝ってもらいたい。永遠に勝ち抜き、勝ち誇って、一生を送ってもらいたい」
 厳しく、正しき恩師の指導であった。
 この恩師の言葉の通り、全国の同志が力を振りしぼり、何があっても我慢して、広宣流布のために戦い、勝ってくださった。忍耐と希望を持ちながら、敢然と前進してくださった。
 それゆえに、会長就任以来、この45年間を連戦連勝で進んでくることができたのである。 ​


 一、戸田先生の希望は「青年」であった。
 「これからの日本、そして世界は、青年が嵐のごとき絶讃の応援をしていくならば、どんなことでも実現できる。否、それしかこれからの大業の実現はありえない」
 これが、先生の大確信であった。私も「青年の時代」をつくっている。世界広布という大業の実現は、青年に託すしかないからだ。日本はもとより、海外も、頼もしい青年が増えてきた。私は本当にうれしい。
 一、戸田先生は言われた。
 「生命力の弱い者は、強い者に負ける!」
 生命力を増す。それには題目をあげることだ。色心ともに健康になるのだ。
 生命力を強くする軌道が、折伏であり、広宣流布である。そのリズムに乗った人間は強い。
 広宣流布の組織から離れた人間は弱い。強いように見えても、勝手気ままに偉そうな格好をしていても、弱い。
 また、戸田先生は「新しい仕事というのは、自分たちのこれまでの枠を破るところから出発するものだ」と言われていた。
 深い意味をもった言葉である。よく思索していただきたい。偉大な仕事、価値ある仕事をすることだ。

善の連帯を拡大
 一、戸田先生は師子吼された。
 「広宣流布の大業というものは、魔との闘いである。たじろぐことは許されない。
負ければ、人類は、永遠に闇に包まれてしまう」
 広宣流布は魔との闘争である。魔に打ち勝てばいいのである。そうすれば、平和と幸福の花園が広がっていく。
 魔が出現しない広宣流布の戦いなど、ありえない。大聖人は「此の世界は第六天の魔王の所領」(御書1081ページ)と、明確に仰せである。
 では、「魔を打ち破る利剣」とは何か。
 それは「題目の力」である。
 魔を打ち破って、多くの人を味方につける。これは、すごいことである。折伏である。邪義を破折して屈服させるのだ。
 魔との戦いは、幸福になるためである。仏になるためである。永遠の功徳輝く生命になるための、いちばんの力であり、近道である。
 魔と恐れなく戦え! 魔の蠢動を許すな! 絶対に妥協するな!──そう恩師は叫んだ。
 正義が負ければ、人類は闇に包まれる。地球を救うには、善の連帯を広げるしかない。

 一、さらに、小樽問答(1955年〈昭和30年〉3月)の時のことである。
 問答は学会の正義を満天下に示した、歴史的な他宗との法論であった。日蓮宗(身延派)は宗門を相手にしたいと言ってきたが、宗門が逃げ回り、代わって学会が、受けて立った。社会も大いに注目した。
 戸田先生は、私を中心とする青年部に、全権を任された。「大作、やってやろうじゃないか」「行ってくれ」と。
 〈池田先生は当時、青年部の室長として、実質的に対策の指揮をとっていた。法論では、学会側の司会を務め、痛烈な破折の第一声で、勝敗の帰趨を決した〉
 法論の勝利のために、もっとも大事な点は何だったか。
 それは、法論の中身の問題ではなかった。戸田先生はただ、「思いきり攻撃する」ことを教えられた。「攻めることが肝心なのだ」と。
 学会は永遠に、この攻撃精神で進みましょう!

幸福への王道を
 一、戸田先生は訴えた。
 「最後に勝つ、その人が本当の勝利者である」
 「戦わなければ正義は敗れる。正義であればこそ負けるわけにはいかない。断じて勝たねばならない。だから戦うのだ。師子は吠えてこそ師子である」
 たとえ正義であっても、敗れてしまえば、現実に何の波動も起こせない。
 勝ってこそ正義である。だから勝ちましょう!
 戸田先生は達観されていた。
 「野良犬が吠えるような、いかなる罵倒や非難があっても、決して動ずるな! 
そんな、つまらぬことに、決して紛動されるな! 
 英雄の道を歩むのだ。偉人の道を歩むのだ。私たちの信奉する大聖人の難から見れば、すべて九牛の一毛(取るに足りないこと)に過ぎないのだ」
 私たちもまた、恩師のごとく、こういう境涯で頑張ろう!

 一、インド独立の父マハトマ・ガンジーは言った。
 「信仰が、その結果として行動に移されないとしたら、いったい信仰とは、何であろう?」
 信仰は、観念論ではない。「行動」こそ、真実の信仰の証しである。
 私はかつて、世界的に有名な微生物学者であり、医学の分野で大きな業績を残されたルネ・デュボス博士とお会いしたことがある(1973年〈昭和48年〉11月)。

 デュボス博士は、こう述べている。
 「努力のない人間が堕落し、努力なくしては人は進歩することができず、そして努力なくして人が幸福になりえないことは、歴史の教えるところである」(『生命の灯』長野敬・新村朋美訳、思索社)
 「努力のない人間は堕落する」──まったくその通りである。
 努力していない人が、本当に幸福になったためしはない。
 皆さんには今、さまざまな苦労があるかもしれない。
 しかし、大変ではあるけれども、そうした苦労のなかで努力しているからこそ、幸福になれる。努力と幸福は一体である。
 その確信をもって、広布のために勇んで苦労し、幸福への王道を歩み抜いてまいりたい。



(2019年5月14日   聖教新聞)










Last updated  2019/05/14 12:24:42 PM
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2019/01/22

本部幹部会で紹介された池田先生の指針 

最後は「信心強き人」が勝つ

幸福 希望 広布は行動の中に
万年に輝く栄光の歴史を
牧口先生「体験はダイヤモンド 実験証明なき宗教は観念論」

イギリス・ロンドン郊外のタプロー・コート総合文化センターで同志を励ます池田先生。同センターにはチャーチル首相が植えた杉の木も(1994年6月)

 「世界広布新時代第40回本部幹部会」(12日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、1993年1月の新春幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。勇気の対話拡大に走る友への指針として掲載する。
 一、遠いところ、また寒いなか、本当にご苦労さまです。
 文永12年(1275年)正月24日、日蓮大聖人は、大田乗明への御手紙にこう仰せである。
 「抑(そもそも)俗諦(ぞくたい)・真諦(しんてい)の中には勝負を以て詮(せん)と為し世間・出世とも甲乙を以て先と為すか」(御書1002ページ)
 ──そもそも俗世間においても、真実の世界である仏法においても、勝負が肝要であり、世間も出世間(仏法)も、甲乙(勝劣)を決することを最も大切なこととするか──と。
 世間においても、仏法においても、何が勝れ、何が劣るかを明らかにせねばならない。そして、正義は邪義に絶対に負けてはならない。

 一、仏法も、社会も、人生も、「勝つか負けるか」──これが根本となる。
 個人も、一家も、団体も、すべて「勝負」である。戦闘である。ゆえに、大聖人は御書に教えてくださっている。「世間でも勝ちなさい。仏法でも勝ちなさい」──と。
 「勝つ」なかに「幸福」もある。「希望」もある。「広宣流布」もある。
 ゆえに、大聖人直結の誉れの同志は、絶対に負けてはならない! 断じて勝たねばならない!
 学会はこの「断じて勝つ」信心を貫いたゆえに、あらゆる障害を乗り越え、奇跡と言われる大勝利、大発展を成し遂げたのである。

仏法も社会も勝負
 一、また大聖人は、弘安3年(1280年)正月11日、南条時光にこう仰せである。
 「花は開いて果となり・月は出でて必ずみち・燈は油をさせば光を増し・草木は雨ふればさか(栄)う・人は善根をなせば必ずさかう」(同1562ページ)
 ──花は開いて、やがて実となり、月は出るごとに必ず満ち、灯は油をさせば光を増し、草木は雨が降れば繁る。(それと同じように)人は善根を積めば必ず栄える──。

仏法は道理である。
 私どもは、法のため、人のため、広宣流布のために、日々、懸命に行学に励んでいる。
 その真心の信心が、しんしんと降り積もる雪のように、わが身の善根とならないはずがない。「信心」強き人は、最後は必ず勝つ。必ず栄えていく。三世永遠に、無量の福運に包まれ、物心ともに、幸福に満ちみちていくのが仏法である。そうなるに決まっているのが、信心なのである。
 ゆえに信心は、まじめに、地道に貫くことである。
 仏のことを「能忍」という。広布のさまざまな労苦を、あるいは無理解な周囲の声を、「能く忍び」、耐え抜き、乗り越えてこそ、永遠の勝利者となる。
 また仏の別号に「世雄」とある。民衆を救う“世の英雄”として、苦しい戦いも勇敢に戦闘し、勝つ人が仏なのである。
 反対に、要領よく立ち回るだけの人は、表面は良いように見えても、福運はつかない。善根は積めない。
 だれであろうと、どんなに高い地位にあろうと、学会を利用するだけの人間、学会員を裏切る恩知らずの人間は、善根を、すべて失ってしまう。
 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(同1190ページ)──始めは何もないようであって、ついには滅びないものはない──と仰せのように、最後は必ず滅びていく。
 
燦然たる人生劇
 一、初代会長・牧口先生は、戦時中の昭和17年(1942年)、功徳の実証に満ちあふれる学会員の体験談を喜ばれ、心からたたえられた。(『牧口常三郎全集』第10巻)
 「斯る体験談の発表は、全く命がけの結果であり、ダイヤモンドの様なものである」と。さらに先生は「今までの宗教は観念論ばかりで実験証明はなかった」と言われ、この悪しき宗教史を変えゆく事業が、創価学会の使命であることを訴えられたのである。
 私どもは、この一年、燦然と輝くダイヤモンドのごとき、福徳に満ちた大勝利の人生劇を、ともにつづってまいりたい。

 一、ところで、イギリスのチャーチル首相が、独裁者・ヒトラーと本格的な戦いを開始したのは何歳か──それは、65歳の時であった。
 首相就任の折、彼は獅子吼した。
 「われわれの目的はなんであるかとお尋ねになるならば、私は一言でその問いに答えましょう──勝利、この二字であります!」(ロバート・ペイン著『チャーチル』佐藤亮一訳、文化放送出版部)
 世界的に有名なスピーチである。
 “目的は何か──勝つことである”と。最後の勝利を信じて戦ったチャーチルが、常に人々と「V」(ビクトリー。勝利)サインを交わしたことは有名である。

 一、当時、ヒトラーの狂気は、ほしいままにヨーロッパを蹂躙していた。イギリスの情勢は極めて厳しかった。
 ある日、悪化する戦況の報告を聞いた後、チャーチルは静かに口を開いた。
 「さあ、これでおもしろくなった」──と。
 苦境に立たされれば立たされるほど、彼は、ますます闘争心を奮い起こし、悠然と指揮をとったのである。
 “今こそ、私の出番だ。力の見せどころだ”“大変であるほど、やりがいがあるではないか!”
 世界は“イギリスの運命は、近く終わりを告げるだろう”と見ていた。しかし、彼は人々に呼びかけた。(下院演説と放送で)
 「もし、イギリス帝国が千年の久しきにわたって存続するならば、『これぞ彼らのもっとも輝かしいとき』と後世の人をして言わしめよう」(加瀬英明編『チャーチル名言集』講談社)
 “「彼らは最も輝かしい勝利の歴史をつくった」──千年先の未来において、こう言われるような戦いをしよう!”というのである。
 今、この時の戦いが、万年の果てまで「最も輝かしい歴史」となることを確信して進みたい。 ​


世界に希望の灯を
 一、ロンドンへの激しい空襲は続いた。食糧や武器も不足した。激動と混乱──。
 戦況の報告を聞いた彼は、厳然と言った。
 「イギリスが絶対に征服されずに、決然とナチに抵抗している事実を目のあたりにみることによって、踏みにじられ、絶望のどん底に苦しむヨーロッパの数億の男女の胸に、否、その境界を遠く越えて全地球上の自由を愛する人々の胸に、希望の灯が点じられ、やがてこの灯が燎原の火のごとく燃えさかることは間違いあるまい」(同)──。
 “私たちの戦いで、人々の胸に希望の灯を!”──と。
 私どもの戦いも、さらに赫々と世界の民衆の胸に「希望の灯」を点火している。
そして万年の未来の民衆の胸にも点火している──この意気で、勝利また勝利の前進を広げてまいりたい。
 本年一年の、皆さまのご活躍とご健康、そして輝かしい栄光を念願し、私の新春のごあいさつとさせていただく。
 きょうは、本当にありがとう!(大拍手)


(2019年1月22日  聖教新聞)







Last updated  2019/01/22 03:00:06 PM
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2018/11/27

​​​​本部幹部会で紹介された池田先生の指針 
人間主義の夜明けの鐘を高らかに

地道に広布に尽くす人こそ、真の英雄!

──遠大な未来を展望し、同志に励ましを送る  池田先生(2000年12月、大阪の関西戸田記念講堂で)

 「世界広布新時代第39回本部幹部会」(18日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、2000年12月度の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。
明“創価勝利の年”へ、勇躍前進する友の指針として掲載する。

 一、20世紀最後の本部幹部会、おめでとう!
 きょうの日を全国の代表の皆さま方とともに、喜びに満ちて迎えることができた。
そしてまた、21世紀も、大勝利の歴史を、ともどもに築き残してまいりたい。
 一、ドイツの詩人シラーは、「鐘の歌」という有名な詩を詠んだ。その中に、こういう一節がある。
 「鐘は愛すべき人達を集めて
 和合させ、親密に団結させるのだ。
 そしてこれが鐘の今後の使命だ」
 「平和こそこの鐘の第一の響にてあれ」(木村謹治訳、『シラー選集』1所収、冨山房)
 世界は今、新しい世紀、新しい千年の夜明けを告げゆく、高らかな「平和の暁鐘」を待ち望んでいる。
 弱々しく、もの悲しい哀音(あいおん)では、人々を覚醒(かくせい)させることはできない。
 汝自身の中に眠る、尊極なる生命に皆を目覚めさせていく、鮮烈な「哲学の鐘」が必要なのである。
 あらゆる人々を、平和の方向へ、希望の方向へ、幸福の方向へ、繁栄の方向へと和合させ、団結させていく鐘は、どこにあるのか。
 力強く、勢いのある、妙なる歓喜の響きは、どこにあるのか。
 心ある世界の知性は、それを創価学会の「人間主義の鐘」に求め始めた。

23世紀への展望
 一、ご存じの通り、これまで創価学会は、「七つの鐘」を7年ごとに打ち鳴らしながら前進してきた。「七」は「南無妙法蓮華経」の七字にも通ずる。
 第一の「七つの鐘」は、学会創立の昭和5年(1930年)から、昭和54年(79年)までの50年間であった。
 第二の「七つの鐘」を打ち鳴らす、21世紀の前半の50年では、アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくってまいりたいと、私は申し上げた。そのとおりに私は祈り、一つまた一つと、手を打ち続けてきた。 今回、私がアジアの各地を訪問したのも、この21世紀の構想の上からの新たな第一歩である。


 続く第三の「七つの鐘」を鳴らす21世紀の後半では、「生命の尊厳」の哲学を時代精神にし、世界精神へと定着させたい。
 さらに、第四の「七つの鐘」に当たる22世紀の前半には、世界の「恒久の平和」の崩れざる基盤をつくりたい。
 その基盤の上に、第五の「七つの鐘」が高鳴る22世紀の後半には、絢爛たる人間文化の花が開いていくであろう。


 それが実現すれば、第六の「七つの鐘」、第七の「七つの鐘」と進みゆく。日蓮大聖人の立宗1,000年(2253年)を迎える23世紀の半ばごろから、新たな展開が始まるであろう。


 このように私は、未来の遠大な展望を、深い決意と願望と確信をこめて、関西の同志と語りあった。

勇気と希望の声をはつらつと!
世界平和のために
 一、発足時、SGIは51カ国・地域。それが、今では163カ国・地域へと大発展することができた。〈現在、192カ国・地域〉
 これもすべて、皆さまのおかげである。
 今後もさらに、平和と文化と教育のネットワークを着実に広げてまいりたい。

仏法の智慧に行き詰まりはない

 一、御聖訓には、「一切のことは、国により、時によることである。仏法は、この道理を必ずわきまえていくべきである」(御書1579ページ、通解)と仰せである。
 この御文の通りに、学会は実践してきた。
 どのような国であっても、どのような時代であっても、仏法の「随縁真如(ずいえんしんにょ)の智」には、絶対に行き詰まりがない。異なる文化、異なる社会の中にあっても、見事に調和しながら、人々の幸福のため、国家の繁栄のため、世界の平和のために、最大に貢献していくことができる。
 これが、大聖人の仏法を持った私たちの信仰の力なのである。
 ともあれ、第二の「七つの鐘」を乱打しながら、勇気と希望の声を、はつらつとあげていっていただきたい。
 慈悲といっても、勇気と希望を与えることである。

広布に戦い抜いた魂は永遠
異体同心のスクラムで前進
勝利の100年を
 一、大聖人は、こうも仰せである。
 「日蓮の弟子のなかに、異体異心の者がいるならば、それは、例えば、城を守るべき人間が城を破るようなものである」(同1337ページ、通解)
 21世紀の100年間、創価学会は、さらに「異体同心の団結」で、勝利のスクラムを組みながら、素晴らしき前進の歴史をつくってまいりたい。
 皆、100年間は生きていられないかもしれないが(笑い)、戦い抜いた魂は永遠である。また、後継の青年がいる。お子さんや、お孫さんがいる。
 日蓮大聖人の仏法の「永遠の証明者」として、また「永遠の勝利者」として、誉れ高き大福運を積んでいっていただきたい。
 
 一、皆さま方が、いつまでもご健康で、ご長寿で、頑健なる身体と信心をもって、「人間王者」の、また「人間横綱」の大力を発揮しながら、悠然たる勝ち戦の一生を、一日一日、忍耐強く、つくりゆかれんことを切望して、私のスピーチを終わりたい。
 本当にありがとう。 ​​​​


(2018年11月27日  聖教新聞)







Last updated  2018/11/27 12:18:49 PM
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2018/09/13

「世界広布新時代第37回本部幹部会 全国壮年部幹部会」の席上、池田先生のスピーチ映像が上映されました。

第13回関西総会、第5回兵庫県総会、県・区代表幹部会(1991年(平成3年)10月16日)での指導です。池田大作全集より抜粋して掲載します。

永遠の指針「創価学会の歴史と確信」

戸田先生は、「創価学会の歴史と確信」の中で、結論として次のような趣旨を語っておられる。
「ただ願わくば、賢明な僧侶があって、創価学会の同志を(楠木正成のように)湊河原で死なせることがないよう願うものである」と。
創価学会員は、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の広宣流布に生きる無上の使命を持つ。
いかなる立場の人間であれ、学会員を利用し、手段とするならば、厳然たる仏罰は間違いない
――戸田先生はつねにそう叫ばれていた。
その叫びをわが叫びとして、私どもも敢然と進んでいきたい。


学会員をどこまでも大切にする――ゆえに学会は強い。
幹部が中心なのではない。


学会員を尊重し、会員中心の行動を貫いてきたからこそ、学会はここまで発展してきたのである。


この戸田先生の精神のままに、聡明に、すべてを見極め、学会を悪に利用させてはならない。


策謀にだまされてはならない。


護法の御旗を掲げ、これだけの正法興隆をもたらした歴史は仏法史上、例がない。
御本仏日蓮大聖人の御称賛を深く確信していただきたい。

私は、現在、小説『人間革命』第11巻の「裁判」の章を「聖教新聞」に連載している。
きょうの掲載分は、「大阪事件」の無罪判決が下された場面を描いている。


このシーンを、ちょうど関西の地で、愛する関西の同志とともに迎えることができたことを喜びたい。
私は今も鮮明に覚えている。
判決の1年ほど前、旧関西本部の会長室で、数人の弁護士から、厳しい口調で「あなたは有罪です。そのつもりでいてください」と言われた。

これが人を守るべき弁護士であろうか――。
私は堂々と言いきった。


「私は絶対に間違ったことはしていない。潔白です。絶対に無罪を勝ち取ってみせる」と。


そのとおりに、私は勝った。
この「裁判」の章は、きたる10月21日付の26回で終了し、これをもって第11巻は完結となる。
そして、11月18日の「創価学会創立記念日」から、第12巻の連載を開始したい。


第12巻は、ふたたび時代を昭和32年(1957年)8月に戻し、33年4月の、恩師戸田先生の御逝去の直後までを書きつづっていく予定である。


この間、お亡くなりになる寸前まで、戸田先生は全魂をかたむけて、後継の青年を育成された。


また、時とともに不滅の光を放つ、9月8日の原水爆禁止宣言、そして闘病――。


さらに、病を押しての「3・16」の盛儀――。
最後まで燃えさかった恩師の精神の炎と光をつづって『人間革命』を完結させたいと考えている。


私が『人間革命』の執筆を決意したのは、戸田先生の「真実」を、正しく後世に伝えたい、残しておかねばならないとの思いからであった。
戸田先生の弟子と名乗る人は多かった。


また、戸田先生にお世話になり、直接、指導を受けた人も数多くいた。


にもかかわらず、戸田先生の死後、師敵対して、学会に反逆する者も出ている。


それは、戸田先生の「真実」を知る人がきわめて少なかったことを物語っている。
事実と真実――これほど判別のむずかしいものもない。


人間の目に映った「事実」が、必ずしも「真実」を表しているとは限らないからである。


「事実」は、ある意味で、だれにでも見える。
しかし「真実」は、それを見極める目を磨かなくては、決して見抜くことはできない。


こんなエピソードがある。


戦前のことだが、初代会長の牧口先生が一生懸命に講義をされているのに、理事長の戸田先生は、よく将棋をさしていたというのである。
周囲の人は、それを見て、「会長は講義、理事長は将棋」と陰口を言い、「不遜極(ふそんきわ)まりない、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な振る舞いである」と非難した。


しかし、そこには、戸田先生の深いお考えがあった。


当時、厳しく罰論を説く牧口先生についていけず、一部に離れていこうとする人々もいた。


そこで戸田先生は、悠々と将棋をすることで、学会の自由さを示しながら、雰囲気をなごませ、励まし、退転への防波堤(ぼうはてい)となっておられたのである。
また、戸田先生が本当の力量を出されると、他の幹部が《男の嫉妬(しっと)》を起こすことも見抜いておられた。
戸田先生は、非難も覚悟のうえで、同志を一人たりとも落とすまいとして、あえて、こういう行動をされたのである。


そうした戸田先生の「真実」を、牧口先生だけはご存じであった。


だからこそ、あの厳格な牧口先生が、そうした振る舞いを、決して咎めようとはされなかったのである。
そして重要な問題は、ことごとく戸田先生に相談されていた。


これは、妙悟空すなわち戸田先生著の小説『人間革命』に記されている逸話である。


また、戦後、戸田先生の事業が暗礁に乗り上げた時のことである。
莫大な負債。会社は倒産。給料も、もらえない。人々も去っていった。
しかし、そのさなかで、先生は私に言われた。
「大作、大学をつくろう、創価大学をつくろうよ。いつごろつくろうか」と――。


他の人が聞いたら、何を《ほら話》をと思ったであろう。
苦境という「事実」はどうあれ、この悠然たる心に、先生の「真実」があった。
その壮大なる希望、闘争の一念、絶対の確信――私は知っていた。
私は忘れない。
だが、その先生を、「ペテン師」「詐欺師」と非難する者は多かった。


一時の姿のみで、先生を悪人と決めつけたのである。


先生は、まったく弁解されなかった。
そうした人々とは、あまりにも次元が違っていた。


境涯が、人間としての格が違っていた。
そして「創価大学」は遺弟の私が実現し、年ごとに大発展している。
「事実」といっても、一断面のみ見れば、「真実」とまったく違った様相を呈する場合もある。


また、同じ「事実」を前にしても、そのとらえ方、見方は、人によって異なる。
歪(ゆが)んだ鏡には、すべてが歪んで映る。
歪んだ心の人には、一切が歪んで見えてしまう。


物事を見極める眼力――それは、みずからの《境涯》で決まる。


「利己主義」「保身」「傲慢」「偽り」の人に、偉人の真実の生き方は見えない。


「謀略」の目には、「誠実」も「真心」も「無私の心」も映らない。


まして汚れなき信心の「心」、広宣流布への深き、深き一念を、理解できるはずもない。


ゆえに、いかなる戦いも、断じて勝つことである。
他人の境涯の低さを嘆いていても仕方がない。


まずみずからが、勝って、「正義」を明かすことである。

御書に「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(御書237ページ)と。


また戸田先生も、この御聖訓を拝して、「大聖にほめらるるは一生の名誉なり」と言われていた。


そう肚を決めれば、何ものも恐れることはない。
戸田先生の「真実」とは何か。
結論していえば、「広宣流布あるのみ」――ただそれしかなかった。


そして、「広宣流布」を進めゆくための「創価学会」を築き、守りぬいていく以外にない――ここにこそ、先生の「真実」があった。
そして「大切な仏子を、一人残らず幸福にさせたい」との一念――先生のお考え、行動の一切は、そこに発し、そこに尽きていた。
もとより、相手の地位や名声、財産など、まったく眼中になかった。


ある時は、阿修羅(あしゅら)のごとく悪を砕き、ある時は、大海のごとき慈愛で同志をつつんでくださった
――まさに、天を支える巨人アトラス(ギリシャの伝説に登場する巨人)のように、ただ一人、広布の前進を担われた先生であられた。


私は、19歳の夏、先生とお会いした。


1年数ヵ月後、21歳からは直接、先生のおそばで働いた。
365日、朝から夜中まで、懸命にお仕えした。


ある時など、朝の4時ごろ、急に呼ばれたことがある。
今と違って、車など簡単に見つからない。
それでも不思議とタクシーが見つかり、先生のもとに駆けつけた。


一事が万事で、毎日が、それは厳しい訓練の連続であった。
――「真実」を知るためには、多面的に「事実」を多く知ることも、その一つの前提となろう。
なかでも、その人物が、「最悪の事態のなかで、何をなしたか」を見極めることが肝要であろう。


「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」(御書1190ページ)
――よくなることは不思議であり、悪くなって当然であると思いなさい――と大聖人は仰せである。


人物の真価は窮地にあってこそ、明らかとなる。


その意味で私は、先生を、あらゆる面で、つぶさに見てきた。
先生の「真実」を、魂の奥底に刻んできた。


私は「先生の行くところ、どこまでも行く。


先生とともに生き、先生の目的のために死のう」と決めた。


弟子として先生の志を受け継ぎ、広宣流布の一切の責任を担いゆかんと決めた。


その時から、先生のお気持ち、お考えが、鮮明に心に映じはじめた。


師の真の偉大さ、すばらしさを、胸中深く焼きつけることができた。


また打つ手、打つ手が、師のリズムに合致しゆく自身を確信した。
私が言っていること、やっていることは、すべて先生の心を受けての言動のつもりである。


師弟の心は、どこまでも「不二」でなければ、仏法の生命はない。
師の教えを守ってこそ弟子である。「師弟」である。

(第13回関西総会、第5回兵庫県総会、県・区代表幹部会 1991年(平成3年)10月16日 池田大作全集79巻より)









Last updated  2018/09/13 05:30:08 PM
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2018/07/19

​2008年12月の本部幹部会での池田先生のスピーチ

​永遠なる師弟の勝利劇を共に

 「世界広布新時代第36回本部幹部会」(7日、福岡市の九州池田講堂)の席上、2008年12月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。師弟の月・7月を勝ち飾りゆく友の指針として掲載する。

 一、私たちが敬愛してやまぬ、大文豪トルストイ先生は綴りました。
 「お母さまの顔はただでも美しかったけれど、微笑(ほほえみ)によってそれはいっそうすばらしくなり、まるで周囲のもの全体が明るくなるようであった。生涯のつらく苦しいおりおりに、もしほんのちょっとでもあの笑顔を見ることができたら、私はおそらく悲しみとはどんなものであるかをすら知らなかったであろうと思う」(中村白葉訳『トルストイ全集1』河出書房新社)
 お母さんの微笑みは、すべてを明るく照らしてくれる。お母さんの微笑みがあれば、私たちは、人生の苦しみも悲しみも、朗らかに乗り越えていくことができるのだ──。

平和を祈る心
 一、じつは、トルストイ先生は、幼くして母を亡くしました。〈ちょうど2歳になるころ。文豪は、母の面影を求め、作品を通して母の愛を宣揚した〉
 私がお会いした、偉大なる文豪ショーロホフ先生も、最愛の母を戦争の空襲によって奪われました。
 それだけに、お二人の大文学には、世界のお母さんたちの幸福を願い、そして人類の平和を祈る心が深く深く込められていると感じてなりません。
 きょうは、わが未来部の代表も集いました。高等部、中等部の若き皆さん、本当にご苦労さま! お休みのところ、よく来たね。成績は大丈夫かな。
 若いということ自体が、一番の財産だ。
 電車賃が足りない時は、一駅や二駅は“マラソン”で(笑い)。そのくらいの心で、朗らかにいくのです。
 青春時代は、悩みが尽きないものだ。だからこそ、先輩は、後輩を大事にしてあげてほしい。何か困っていることはないか、悩んでいることはないか、相談にも乗ってあげてもらいたい。うんと応援してあげるのです。
 親を一番、大事に! 後輩をまた一番、大事に!
 これが、「人道」の出発です。
 それから、男性は、女性を大事に! なかんずく、全員が、お母さんを大事に!
 これが、人生の「根本」です。

青年ならば試練に挑め
「強敵」こそ自身を鍛える“第一の味方”

 一、トルストイ先生の名作『戦争と平和』。読んだことのある人はいますか?〈会場から多くの手が上がった〉 内容は聞かないから、心配しなくてもいい(笑い)。
 『戦争と平和』は200年前、ナポレオン軍がロシアに攻め入った時代が舞台である。荒れ狂う動乱の激流の中で、真摯な青年が、いかに悩み、いかに苦難を勝ち越えていくか。
 試練に打ち勝つ「青年の勝利」が、この大河小説の主題の一つであるといってよい。

全てが財産に
 一、トルストイは記しています。
 「試練こそ私にはこよなく有難い」(ビリューコフ著、原久一郎訳『大トルストイ』勁草書房)
 また、「苦難に耐えることを知る人間は、不幸になるわけがない」というのが彼の信念でした。
 その通りと思う。私の人生も、そうだった。戸田先生も、そうおっしゃった。
 青年ならば、苦難にぶつかっていくことだ。試練(しれん)に挑(いど)んでいくことだ。要領(ようりょう)よく生きて、何で本物の人間ができるだろうか。
 苦労をして働く。広布のために戦う。時には、いじめられる。それでも前進を続けていく。そして勝つ。
 それが全部、自分自身の訓練となり、財産となるのです。
 仏法でも、“強敵”こそ、自分を強く大きく鍛えてくれる“第一の味方”であると教えている。仏になるための「善知識」なのである。
 トルストイは、政治の権力による弾圧(だんあつ)にも、宗教の権威による破門にも、卑劣(ひれつ)な虚偽(きょぎ)の中傷にも、絶対に屈(くっ)しなかった。
 「屈しない」ことが勝利である。永遠の勝利だ。屈してはならない。私も何があっても、絶対に屈しなかった。
 師子王である戸田先生に薫陶(くんとう)された直弟子は、何ものにも負けないからです。

真実を広める
 一、「なすべき大切な使命」とは何か。
 トルストイは、青年に伝えました。それは、「持てる力の限りを尽くして、わが身に知り得た真実を世界に広めながら、生き抜いていくことである」と。
 これこそ、創価学会の精神ではないか。世界広布の人生ではないか。
 理想を目指す人には生きがいがある。
 その理想を実現しゆく方程式を、トルストイは示唆してくれているといえよう。
 わが青年部の皆さん! 「生命の尊厳」そして「人間革命」の希望の哲学を、生き生きと、大確信をもって、これからも、さらに力強く大師子吼していこうではありませんか!

 一、トルストイの『戦争と平和』には、こうも記されている。
 「勇気あれば 勝利ゆるぎなし」(藤沼貴訳、岩波文庫)
 「戦いに勝つのは、必ず勝とうと堅く決心した者だ」(米川正夫訳、岩波文庫)
 ここから、社会を変革しゆく要諦(ようてい)を読み取ることができる。平和を築く、我らの言論戦も、勇往邁進(ゆうおうまいしん)して勝ってきた。
 仏法は「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」「勇猛精進(ゆうもうしょうじん)」と説く。わが身を惜(お)しまず、勇猛に戦ったほうが必ず勝利するのである。

 ショーロホフ先生の作品からも、「勝負」の哲学を学び取ることができる。
 こう綴られていた。
 「勝利は頂上にあるんだ」「重要なのは頂上に達すること、どんなことがあってもたどり着くということだ!」(昇曙夢訳『祖国のために』角川文庫)

 この不屈の心意気で進もう!
 君たち青年よ! 師子王のごとく、大鷲のごとく、勇気と執念で断じて勝ちまくれ!
 トルストイ先生も、ショーロホフ先生も、ずる賢(かしこ)い大人たちの傲慢(ごうまん)や恩知(おんし)らず、また、ウソや攪乱(かくらん)を許さなかった。正義と誠実の「青年」を信じ抜かれたのである。
 戸田先生も、誰よりも「青年」を信じておられた。青年部、頼むよ!

 一、トルストイ先生の一人の若き弟子(グーセフ)は、師の大思想を勇敢に広め、戦った。そのために不当に弾圧され、2年間も追放・流刑された。
 しかし、この若き弟子は、師のもとで戦いきった青春に、一点の後悔(こうかい)もなかった。
 〈グーセフはトルストイ最晩年の1907年から09年まで2年間、トルストイの下で働く。09年に流刑。流刑の地から帰った後も、他の弟子とともに、師トルストイの原稿収集、出版、師の思想の研究に生涯を捧げた〉

 「これでいいんだ」と、わが心に叫べる人生は、幸せである。
 若き弟子は、流刑の地から、81歳になる師匠トルストイに、こう書き送っている。
 「もしも私に、今より千倍厳しい困難が降りかかったとしても、私は、この2年間、こんなにも長く、あなたのおそばにいることができたことを、ただ天に感謝したことでしょう」
 「あなたとともに過ごすことができ、いつも最高の幸福を感じておりました」
 師弟に生きることほど、幸福なものはない。これこそ真実の価値ある人生である。
よくよく心に留めていただきたい。
 牧口先生と戸田先生も、そうであられた。
 戸田先生と私も、深い深い絆の、人生の劇であった。師弟一体の戦闘を続けてきた。何一つ、後悔はない。
 今度は、私と君たちで、尊極の師弟の勝利の歴史を、誇り高く、永遠につくり残していこうよ! きょうから!

( 2018年7月19日 聖教新聞)
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Last updated  2018/07/19 12:06:16 PM
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2018/06/13

​​第35回本部幹部会で紹介された池田先生の指針   

​「黄金の日々」を勝ち取れ
 広布は「一人」から始まる  
 永遠に輝く「今生人界の思出」を


 「世界広布新時代第35回本部幹部会」(2日、千葉の船橋池田講堂)の席上、1997年1月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。行学の二道に励む友への指針として掲載する。

 一、思えば牧口先生は、昇りゆく旭日(きょくじつ)のような勢いで、「価値創造」の青春を生き抜かれた。そして真っ赤な太陽が黄金の光を放ちゆくように、荘厳な人生の総仕上げを飾られた。
 素晴らしき夕日は、素晴らしき明日を約束する。西空を黄金に染(そ)めて沈む夕日は、明日の晴天を約束する。同じように今世の偉大なる安祥(あんじょう)の「死」は、「永遠の幸福」を約束する。
 悔(く)いなく広宣流布に生ききった一生は、三世永遠に仏界の大境涯へと輝きわたっていく。
 ゆえに「一生成仏」の大道を進め! 今世を広宣流布に生き抜け! そう日蓮大聖人は、厳しく教えられているのである。

「毅然たる信心」で
 一、戸田先生は、大確信をもって語られた。
 「大聖人のおことばを信じて、この(法華経の)鏡に照らしてみるならば、(牧口)先生は法華経流布の国のなかの、もっとも徳清(とくきよら)らかな王家に、王子として再誕(さいたん)せらるべきこと、堅(かた)く信じられるべきで、先生の死後の幸福は、吾人(=私)に何千、何万倍のことか、ただただ、おしあわせをことほぐ(=祝福する)ばかりである」と。
 生命が存在する天体にしても、この地球だけではない。数多く存在するとされる。そこには、多くの「法華経流布の国」があると考えられる。
 ゆえに戸田先生は、御書に照らし、法華経に照らして明言された。
 ――牧口先生は素晴らしき「法華経流布の国」の、素晴らしき王家に、王子としてお生まれになられることだろう。それほど牧口先生の幸福は計り知れない。われわれの何千何万倍である、と。

 一、牧口先生、戸田先生に連なる学会員も、この一生を広宣流布に生ききったとき、皆、こうした永遠の勝利と栄光に包まれゆくことは、絶対に間違いない。ゆえに、負けてはならない。何があろうと「毅然たる信心」を貫くことである。
 御書に「一切衆生(いっさいしゅじょう)・南無妙法蓮華経と唱(とな)うるより外(ほか)の遊楽(ゆうらく)なきなり」(1143ページ)とある。
 また、「南無妙法蓮華経と我も唱へ他(た)をも勧(すすめ)んのみこそ今生人界(こんじょうにんかい)の思出(おもいで)なるべき」(467ページ)と。
 はかない、夢のような一生である。「一生はゆめの上・明日をごせず」(1163ページ)である。明日がどうなるかさえ、だれもわからない。いわんや永遠はわからない。
 いかなる富も地位も名声も、はかなき夢のごときものである。死後に持って行けるわけでもない。そのなかで、私どもは永遠の妙法を唱え、弘め、広宣流布に命を燃焼(ねんしょう)させている。これ以上の崇高(すうこう)な生き方はない。学会活動にこそ、人生の無上道がある。

学会は「日蓮と同意」の団体  
究極の幸福の軌道を邁進

太陽はわが胸中に
 一、また、大宇宙の一切は、「南無妙法蓮華経」の力用である。その「南無妙法蓮華経」という根本の法は、私どもの胸中にある。何と素晴らしいことか。
 太陽は今日も昇(のぼ)る。私どもも、題目を今日も唱え、胸中に太陽を昇らせていく。ひとたび太陽が昇れば、すべてが照らされていく。
 わが「生命の太陽」を赫々(かくかく)と燃やしながら、今日も祈っていこう、戦っていこう、生き抜いていこう、人生の福運をつくっていこう。ここに究極(きゅうきょく)の幸福の軌道(きどう)がある。
 どうか、「黄金の一日一日」を信心で勝ち取っていただきたい。この現実の「娑婆世界(しゃばせかい)」「忍耐の世界」で、晴れ晴れと勝っていただきたい。

 一、牧口先生は、千葉で立宗された大聖人の御姿を通して、学会員を励まされた。1939年(昭和14年)、折伏のために九州に足を運ばれたときのことである。
 当時は、列車の長旅である。今のように飛行機はない。高齢(67歳)のお体には、相当こたえたはずである。しかし、先生は、法のためならば、いかなる労もいとわれなかった。
 その折、初対面のある婦人も、牧口先生の青年のようなすがすがしい音声、絶対の確信、誠実と慈愛の姿に感動して入会を決意する。
 声が大事である。確信が大事である。姿が大事である。すべて諸法実相である。
 牧口先生は、その発心した婦人に、こう語りかけ、心にクサビを打ち込まれた。
 「あなたが御本尊をいただくということは、仏法の原理に照らして、九州の全民衆が不幸という悩みから救われることになるのです!」
 「一人立て!」である。どの地でも、広宣流布は常に「一人」から始まる。

妙法の種は必ず花開く
 一、牧口先生は、その時、「諸法実相抄(しょほうじっそうしょう)」の一節を拝された。
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(1360ページ)
 そして先生は、しみじみと語られたのである。
 「大聖人も千葉の嵩が森で第一声を放たれたときは、お一人でした。今、あなたが九州で一人、この最高の御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるということは、地涌の義によって、九州にも必ず、二人、三人、百人と御本尊を持つ人があらわれるということなのです」
 この言葉の通り、牧口先生が自ら蒔かれた妙法の種は、見事に花開いている。

 一、大聖人は、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同ページ)と仰せである。
 ただ「拝んでいる」だけでは、「日蓮と同意」にはならない。折伏をやろう! 広宣流布をやろう!――この心の炎が燃えている人が「日蓮と同意」なのである。その意味で、まさしく「日蓮と同意」で戦い抜かれた象徴が牧口先生である。
 「日蓮と同意」の団体は、現在も、未来においても、断じて創価学会しかない、と申し上げておきたい。
 本当に「日蓮と同意」の心をもった、本当の「学会の同志」で一緒に邁進(まいしん)しましょう!
 どうか、健康第一で、朗らかに、何ものをも乗り越えて、一日一日、福運を積んでいっていただきたい。
 私も、皆さまの健康、長寿、幸福、裕福を祈り続けたいと思っている。
 本日、お会いできなかった方にも、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 長時間、ありがとう!

(2018年6月13日 聖教新聞)
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Last updated  2018/06/13 10:13:48 PM
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2018/04/26

​​​「世界広布新時代第33回本部幹部会」(14日、八王子市の東京牧口記念会館)の席上、2002年12月の本部幹部会での、池田先生のスピーチ映像が上映された。対話拡大に走る友への指針として掲載する。


友情と信頼の連帯を広げよ
何事も「一対一の対話」から 青年を先頭に希望の未来へ!​​​

 一、日蓮大聖人は、仰せである。
 「日本国の人々は、大勢いるが、体同異心(形はまとまっているようでも、心はばらばら)なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心(いたいどうしん)であるゆえに、人数は少ないけれども、大事(広宣流布)を成し遂げ、必ず妙法が広まるであろうと確信する。悪は多くとも、一善(いちぜん)に勝つことはない」(御書1463ページ、通解)
 「団結」が大事である。創価学会は、「日蓮の一門は異体同心」との仰せのままに、異体同心で世界的な発展を成し遂げた。この一点を、断じて忘れてはいけない。ゆえに、悪い人間、増上慢(ぞうじょうまん)の輩(やから)に、清浄な学会を乱させてはならない。正義の団結に、かなうものはない。堂々たる異体同心の団結で前進しましょう! 

新世代の大建設を
 一、折伏は、一番、難しい大偉業である。それが、これほど成されたことは、奇跡中の奇跡ともいえよう。
 御聖訓には、「一句(いっく)をも人にかたらん人は如来(にょらい)の使(つか)と見えたり」(同1448ページ)と仰せである。
 如来とは、仏のことである。信心の素晴(すば)らしさを、たとえ一言でも語る人は「仏の使い」である。相手が信心してもしなくても、仏法を語ったこと自体、「仏の使い」として、無量の福徳を積んでいるのである。

 一、幾多(いくた)の青年が澎湃(ほうはい)と結集し、立ち上がり、活動を開始した。この姿を見て、日蓮大聖人が、そして牧口先生、戸田先生が、最大に喜んでくださることを私は確信している。
 日本の社会全体は、高齢化と少子化が進み、青年の占める割合が小さくなっている。大変な時代である。
 そのなかで、学会青年部が先頭を切って、新しい時代、新しい世代の広宣流布の大建設を成し遂げようと、偉大なる羽ばたきを開始した。
 私は、うれしい。尋常(じんじょう)ならざる、奇跡ともいうべき偉業である。学会の未来は、大勝利の路線に明確に入った。
 もう一度、学会は、青年から始まり、青年で勝っていく大路線をつくりたい。青年部の皆さん、よろしく頼みます!


ヘンダーソン博士「困難があると、やる気が湧く」
創価の母はいつも朗らか


世界一の平和運動
 一、アメリカの未来学者であるヘイゼル・ヘンダーソン博士は、より良き地球環境の構築のために戦い抜いてこられた、世界的に有名な市民運動の闘士であり、女性リーダーである。
 巨大な権力や、傲慢(ごうまん)な学者らと、真っ向から論戦を繰(く)り広げた。無数の非難中傷(ひなんちょうしょう)を受けた。
 しかし、博士は、すべてを打ち返し、はね返した。戦い、また戦い、戦い抜いて勝った。堂々たる正義と真実の論陣(ろんじん)で、邪道(じゃどう)の論調(ろんちょう)を、ことごとく打ち破った。そして、世界的な学者になられたのである。

 一、戦わずして偉大になった人間はいない。対談の中で、忘れられない博士の言葉がある。
 「運動を始めた以上、困難があるのは、当たり前と覚悟していました。それに私は、困難を前にすると、やる気が湧いてくるんです」
 その博士が、市民運動の成功には、民衆の連帯だけではなく、その基盤に、確固たる「哲学」が必要であると訴えておられた。
 博士は言われた。「その意味で、私は、人間精神の変革を基調にして平和・文化・教育の運動を進めるSGIに、大きな期待を寄せるものです」
 特に博士は、「草の根」のスクラムを広げる創価の女性たちとの心の交流を、“涙が出るほどうれしい”と喜んでおられた。

 一、博士の世界的な環境保護の運動も、主婦たちの少人数のグループの対話から始まったことは、有名な話である。
 博士は、私に語ってくださった。「何事も、一対一の友情と信頼を結ぶことから始まりますね」
 その通りである。
 「一対一の友情」「一対一の対話」――これがあるから、学会は崩れない。これを、だれよりも実践しているのが、婦人部・女子部の皆さまである。世界一の女性の平和運動である。だからこそ博士も、心から讃嘆し、共感を寄せてくださっているのである。

 一、わが婦人部の皆さまは、全国の津々浦々(つつうらうら)で、グループ単位の「婦人部総会」を、にぎやかに開催される。創価の母の小単位の集いは、朝から晩まで明るい会話がとまらない。
 ともあれ、日ごろ、婦人部にお世話になっている青年部や壮年部は、気持ちよく、さわやかに、真心の応援をお願いしたい。

前進また前進!
 一、かつて中国の周恩来総理(しゅうおんらいそうり)が、鄧穎超夫人(とうえいちょうふじん)に贈られた手紙に、こういう一節がある。
 「年をとると人間は、過去を振り返るようになる。しかし、激動の時代にあっては、より前を見つめ、より後世のためを考え、より青年に学んでいくことです。うかうかしていると、落伍(らくご)してしまう。意気を鼓舞(こぶ)して、前進また前進していこう!」
 全く、その通りである。仏法は「現当二世(げんとうにせ)」と説く。常に、現在から未来へ、希望に燃えて、先手先手を打っていくための仏法であり、信心である。
 御聖訓に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(同1190ページ)と仰せの通りである。
 「進まざるは退転」である。ともどもに、一生涯、広宣流布の道を邁進してまいりたい。

 一、鄧穎超先生は若人に、こう呼びかけている。
 「青年は、胸襟(きょうきん)を開いて、大いに友情を広げていかなくてはいけない。そして、戦おうとする、すべての人と協力していく気概を持つべきです。民衆の中に陣営を拡大していけば、私たちの事業は、勝利を収めることができる」
 「民衆の中に陣営を拡大する」――素晴らしい言葉である。
 私たちで言えば、座談会運動である。小単位の活動である。青年部こそが、この民衆運動の先頭に立ってもらいたい。
 青年部は、青春の「希望王」である。「友情王」であり、「勝利王」である。正義と栄光の「陣営」を、さらに拡大し、永遠不滅の創価学会を構築していただきたい!


(2018年4月26日 聖教新聞)







Last updated  2018/04/26 05:00:06 PM
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2018/04/09

「世界広布新時代第32回本部幹部会」(先月25日、札幌市の北海道池田講堂)の席上、1993年12月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。友情拡大の春を進みゆく友への指針として掲載する。

永遠に崩れぬ「仏」の境涯を開け
励ましはスピードで決まる
ともに悩みともに祈る
学会こそ人生の「安全の軌道」

 一、先日も、ある方が言われていた。
 「何があっても、創価学会は朗らかに前進している。すごいことですね。この何10年、全部そうですね。全部、朗らかに乗りきっていますね」と。
 そのとおり、私どもは一切の波を押しのけ、乗り越えて、戦い、勝った。重ねて「よく頑張ってくださいました」と御礼申し上げたい。

「能く忍ぶ」強さを
 一、仏の別名を「能忍(のうにん)」という。「能(よ)く忍(しの)ぶ」。何でも耐えていける人のことである。
 何があっても恐れない。何があっても屈しない。迫害されようが、牢へ入れられようが、全部、耐えぬいて、不平ひとつ言わない。こういう人には、だれもかなわない。
 その意味で、人間として「最高の幸福」の根底は、何があっても「能く忍ぶ」強さである。生きて生きて生きぬく力である。それが「仏」の境涯なのである。創価学会には、この力がみなぎっている。ゆえに耐えぬいた。ゆえに勝った。

 一、「仏」という三世永遠に崩れない幸福境涯をかためるのが、信仰の目的である。
そのために今世の仏道修行がある。今世を戦いぬいて、その境涯を勝ち取っていくのである。
 「永遠」から見れば、30年や50年は、あっという間である。
 「仏」の境涯になる「原因」を、自分自身がつくっていく。そして、その「結実」を証明する、最高に幸福な自分自身となっていく。それが仏道修行である。
 どんな世界にも「修行」はある。柔道、剣道、相撲、ピアノ、その他、修行なくして向上があるはずがない。勝利があるはずがない。
 耐えて練習しぬいて、その「道」を進んでいく。技を磨き、学問を磨いていく。それで初めて上達がある。これが道理である。
 「仏法は道理」であり、仏道修行も同じく、耐えて進んだ人が勝つ。
 これからも、さまざまな波があるにちがいない。何があろうと、わが学会は、平然として、生きぬき、勝ちぬき、永遠に「この道」を堂々と歩んでまいりたい。

 一、牧口先生が“最も感銘した”と言われた言葉がある。
 『創価教育学体系』の中で、スウェーデンの化学者であり、ノーベル賞の設立者でもあるノーベルのある言葉を引いて、「余の一生中にこれ程力強き適切なる教訓を、言語の上で受けた事がない」(『牧口常三郎全集』第5巻)と言われた。いわば、仏法以外に“一生でいちばん共感した言葉”という意味である。
 その言葉とは、「遺産は相続することが出来るが、幸福は相続する事は出来ぬ」であった。
 事実、財産を相続したために堕落したり、悪人や愚かな人間となって不幸を招く場合も多い。
 幸福は相続できない。「幸福」は、だれからも与えられない。だれも与えることはできない。
 「幸福」は、自分自身が「創造」する以外にない。自分自身の正しき信行で勝ち取る以外にない。これが仏法である。これが牧口先生の信条であった。

 一、ゆえに牧口先生は、「教育」と「信仰」を通して、「自分で幸福を創造できる人間」「価値を創造できる人間」をつくろうとされた。それ以外に、人類を幸せにする方法はないからである。
 「創価」すなわち「価値創造」の「価値」(美・利・善)とは、「幸福」の別名である。その意味で、創価学会とは、「幸福創造」の学会であり、「幸福創造」の道を学ぶ集いなのである。
 「財産は相続できるが、幸福は相続できない」──「財産」を「地位」や「知識」などに置き換えても同じである。「地位」は相続できても、「幸福」は相続できない。
「知識」は継承できても、「幸福」は継承できない。“地位イコール幸福”でも、“知識イコール幸福”でもない。これが真理と思うが、どうだろうか。

牧口先生の信条
 一、牧口先生は一生涯、「どうすれば人間が幸福になれるか」を追求された。
 その結論は「教育革命」以外にない、より根本的には「宗教革命」以外にない、ということであった。
 人間をつくる、すなわち「人間革命」する以外に幸福はないのである。
 この点、牧口先生は、「だれかの力で幸福になる」とか、「だれかに祈ってもらう」などという“おすがり信仰”とは、初めから正反対であった。これが学会の創始者である。

 一、人生は、「生老病死」との戦いである。
 しかし私どもは、妙法の「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」の力用によって、生死の苦しみを、そのま
ま悟りへ、すなわち幸福の境涯へと開いていける。何があろうとも、大聖人の絶対の加護がある。このことを確信しきっていくことである。
 私どもは凡夫である。当然、さまざまな悩みや、病気などの困難にあうこともある。
しかし、同じ苦難であっても、学会の世界では、多くの同志がともに悩み、心をこめて祈ってくれる。
 これほど、ありがたい世界はない。これほど喜びの大きい、人生の“安全の軌道”を歩んでいける世界は、ほかに絶対にない。

 一、大聖人は、あるお手紙で仰せである。
 「貴辺(きへん)此(この)の病(やまい)を受くるの理(ことわり)或人(あるひと)之(これを)を告(つぐ)ぐ予(よ)日夜朝暮(にちやちょうぼ)に法華経に申し上げ朝暮(ちょうぼ)に青天(せいてん)に訴(うった)う除病(じょびょう)の由(よし)今日之を聞く喜悦(きえつ)何事(なにごとか)か之に過ぎん、事事(ことごと)見参(けんざん)を期(き)せん」(御書1298ページ)
 ──あなたが、この病気にかかったことを、ある人が報告してきたので、私は(病気平癒を)日夜、朝となく夕となく、法華経に申し上げ、朝夕に青天に訴えてきましたが、病が治ったことを、きょう聞きました。これ以上、喜ばしいことはありません。くわしいことは、お会いしたときに申し上げましょう──
 なんという慈愛のお言葉であろうか。病気は、その本人にとって重大問題である。
それを、ご自身の重大問題としてとらえ、日夜、祈ってくださっている。
 そして、病気が治ったことを“本当によかった。これほどうれしいことはない”と、喜び、励まされている。
 さらに、“くわしいことは、またお会いしたときに聞かせてください。語り合いましょう”と。
 大切な会員のために真剣に祈り、守りぬく。これが創価学会である。だからこそ、いかなる迫害にもビクともしないで、ここまで発展してきた。

頑健・健康・長寿で
 一、信心の根本は「祈り」である。自身のこと、友のことを、具体的に祈っていくことである。
 「慈悲」の根本も祈りである。「指導」の根本も祈りである。「指揮」をとる根本も祈りである。その根本を忘れると、すべて御本尊から外れた“策”になってしまう。策は、結局、空転し、皆に迷惑をかけるだけである。

 一、また大聖人は、“病気が回復した”という報告を聞かれると、その日のうちにお手紙をしたためられ、すぐに励ましておられる。間髪を入れず、迅速そのもののお振る舞いであられる。
 大聖人のお振る舞いを拝して、私も報告を聞いたら、すぐに反応し、手を打つよう徹してきた。
 報告を聞いたなら、すぐに「反応」すること、すぐに「手を打つ」こと。これが、リーダーの鉄則である。この迅速な行動があるかぎり、学会は栄えていく。その人自身も成長する。その分、大勢の人を救っていける。
 一事が万事である。国でも、会社でも、反応がいい組織や団体は伸びていく。反応が悪い組織は、暗く沈滞してしまう。まして、現代はスピードの時代である。車のスピード違反はいけないが(爆笑)、勝負は「スピード」が決め手となる。
 ある人は、“学会の発展の原因も、指導者のスピードにある”と見抜いていた。迅速また迅速に、会員のため、広布のために行動するリーダーであってほしい。

 一、祈りを根本に、全員が「頑健」「健康」「長寿」の生命を、御本尊からいただいてもらいたい。また、御本尊に祈り願って、「朗らかな日々」を生きゆく「無量の智慧」を、わかせていただきたい。そして悠々と、縦横・自在、自由奔放に行動し、広布の指揮をとっていかれるよう期待したい。


(2018年4月4日 聖教新聞)







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