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御書と師弟(全31回・完)

2012/08/28
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池田名誉会長講義 御書と師弟 
              

     第31回 妙法の陰徳陽報

    我らは願って広布に尽くす!
    師弟一体の労苦こそ必勝の力


聖訓
 「此れ程の不思議は候はず此れ偏に
 陰徳あれば陽報ありとは此れなり」

         (四条金吾殿御返事、1180ページ)

 陰徳の
  労苦に励みし
   皆様は
  必ず幸(さち)の
   陽報あるかな

 朝、手にする聖教新聞から伝わってくるのは、寒風を突いて配達してくださっている「無冠の友」の真心の温もりです。
 いつ、いずこにあっても、私と妻の一念から、広布のために陰で戦われる尊き同志への感謝が離れることはありません。

 個人会場のご家庭の方々、いつもありがとうございます。
 創価班、牙城会、王城会、白蓮グループ、香城会、白樺会・白樺グループ、会館守る会、創価宝城会、サテライトグループ、設営グループなど、青年部、壮 年・婦人部の皆様のご尽力にも、心より感謝申し上げます。また、各種会合の役員の方々には、この一年も本当にお世話になりました。
 さらに新聞長、教宣部、書籍長、文化長、統監部、民音推進委員等、広宣流布を大きく開拓してくださっている皆様方。そして儀典長、儀典委員の皆様、本当にご苦労様でございます。

 未来部育成部長、21世紀使命会をはじめ、大切な大切な人材を育む皆様方が、厳しい社会情勢のなか、どれほど奮闘してくださっていることか。
 私は、各地の誉れの一人一人に、直接お会いして、御礼をお伝えする思いで、今回の御文を拝してまいります。

 「此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり」(御書1180ページ)──これほど不思議なことはない。まったく陰徳あれば陽報ありとは、このことである──

 これは、四条金吾に贈られた御聖訓です。金吾は、正しき信仰ゆえに、讒言をされ、主君である江間氏の不興をかい、所領を没収されかけるなど、長期にわたって苦境が続きました。
 しかし、ついには、主君の信頼を再び勝ち得て、以前より所領も加増された。坊主の謀略も、同僚の妬みもはね返し、威風堂々たる大勝利を飾りました。その弟子の実証を、日蓮大聖人は「陰徳あれば陽報あり」と喜ばれ、讃えてくださったのです。

 もともとは、中国の古典『淮南子(えなんじ)』に出てくる言葉です。
 「陰徳」とは、人の知らないところで積んだ徳をいいます。
 「陽報」は、目に見える具体的な結果を表しています。
 「陰徳」を積まずして「陽報」のみを追い求める。それは人生の正道ではない。そこには、因果律を弁えない愚かさがあり、努力を怠り、苦労を避けようとす る弱さがあるからです。私たちにとって「陰徳」とは、人が見ていようがいまいが、勇気ある信心を貫き、真剣に誠実に智慧と力の限りを尽くしていくことで す。「陽報」は、自ずとついてくるのです。
 いつ現れるか。それは、わからない。けれども絶対に、陰徳は陽報となって現れる。これが、「冬は必ず春となる」という仏法の法理です。

 四条金吾の過酷な逆境の冬は、5年の長きに及びました。普通であれば、へこたれ、つぶれてしまったかもしれない。
 しかし金吾には、自らの「陰徳」の一切を、見守り導いてくださる大聖人がおられた。
 御書には一貫して、金吾の「心」「心ざし」「一念」が深く強く固まるよう激励されております。

 「此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持(たも)つなり」
 「心ざし人にすぐれて・をはする」
 「心の財第一なり」
 「心の財をつませ給うべし」
 「いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ」
 「されば能く能く心をきたはせ給うにや」

 仏法の陰徳は「心」で決まる。「心」で耐え抜く。「心」で開く。そして「心」で勝つのです。まさに「心こそ大切なれ」です。
 ただ、その心というものは、すぐ縁に紛動され、揺れ動いてしまう。だからこそ、師の言われる通り仏道修行に励み、師の心にわが心を合致させていく。この不二の結合から、金剛不壊の仏の力が生まれるのです。

前へ前へ永遠に前へ
 私は、戸田城聖先生が最も苦難に立たれた時、師子奮迅の力でお仕えし、お護りしました。それは死闘でありました。当時の日記にこう記しております。
 「毎日、地味な、誰人にも知られぬ仕事。これが大事だ。自分の振る舞いを、満天下に示すのは、時代が決定するものだ」
 「私は再び、次の建設に、先生と共に進む。唯これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」
 師弟の労苦に、少しも無駄はありません。全部、不滅の宝となり、栄光となっていきます。
 大変であればあるほど、自分が率先して祈り動く。誰よりも苦労して、勝利を開いてみせる。その決定(けつじょう)した「不惜身命」の信力・行力に、偉大な仏力・法力が現れるのです。
 広布も人生も真剣勝負です。油断や逡巡、要領や狡さがあれば、戦いは勝てません。

 昭和31年の大阪の戦いの折、私は早朝から全身全霊の指揮を執りました。
 一人一人の友を誠心誠意、励まし、大阪中を隅から隅まで駆けずり回りました。そして深夜は、ただ一人、丑寅勤行を続けました。
 もともと「絶対に不可能」と言われた戦いです。しかし「戸田先生のために断じて勝たせてください」と、私は祈って祈って祈り抜きました。打てる手は、すべて打ち尽くしました。
 丑寅勤行のことも誰も気づかなかった。だが御本尊は御照覧です。その陰徳に無量無数の仏天も応えて「“まさか”が実現」の陽報が厳然と現れたのです。
 学会活動に徹し抜いた功徳は絶大です。その功徳は、足し算ではなくて、いわば掛け算のように溢れ出てくる。これが一念の力であり、妙法の法則であり、勝利の方程式です。広布の責任を担い立つ行動は計り知れない威光勢力を広げます。

アメリカの良心カズンズ博士
「希望こそ私の秘密兵器」

祈りの宝刀で開け!
 古来、「陰徳陽報」とは、真面目に生きゆく人々の切実な願望であったといってよい。現実は複雑であり、健気な努力が報われない場合があまりにも多いから です。まして、人々の生命が濁った時代は、むしろ正義の行動が反発される。陽報が現れない。ここに人間社会の宿命的な矛盾がある。
 これに対して、妙法を根底とした「陰徳」は必ず「陽報」となって輝きます。仏法には「内薫外護」の法理があるからです。これも、戦う四条金吾に示された深義であります。

 「仏法の中に内薫外護と申す大(おおい)なる大事ありて宗論(しゅうろん)にて候」(御書1170ページ)、「かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり」 (同1171ページ)。

 「内薫外護」とは、私たちの生命に内在する仏性が内から薫発し、外から自分を守り助ける働きとなることをいいます。つまり「陰徳」によって自身の仏性を輝かせることで、必ず外護の働きを招き、「陽報」を現していくことができるのです。
 妙法の「陰徳陽報」とは、自らの内なる一念の力で、外界の状況も揺り動かして勝っていく「生命の法則」なのです。

 戸田先生は言われました。
 「妙法の功徳は目に見えないうちに大きくなってくる。胸に植えた仏の種は必ず大樹になる。いったん、そうなってしまえば、その時には“もう功徳はいらない”と言っても、どんどん出てくるんだ」
 私のもとには、この厳しい不況と戦いながら、崇高なる「陰徳」を積まれゆく同志の報告が次々と届きます。
 「必ず勝ちます!」「見ていてください!」。私は妻とともに懸命に題目を送り続ける日々です。断固として「陽報」を勝ち取ることを祈っています。
 私が対談した、アメリカのカズンズ博士は「希望こそ私の秘密兵器」と語られました。

 「陰徳陽報」の妙法は、究極の希望の力です。勝利の力です。
 「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(同1143ページ)

 何があっても題目を唱え抜きながら、永遠に崩れざる幸福の大境涯を開き切っていく。祈りは「宝刀」です。これに優る陰徳はありません。これが、妙法の「陰徳陽報」です。
 大聖人は、絶え間なく金吾に励ましを贈り続けられた。これが仏の振る舞いであられる。

 トインビー博士は、北海道の青年教育者に言われました。
 「人々が『ありがとう』という言葉を、昨日よりもきょう、一回でも多く交わすような人間社会の創造に努力してほしい」
 陰で苦労する人に、最敬礼して感謝と労いの声をかける。喜びが広がり、力は倍加する。ここに、創価の世界があります。

 さあ創立80周年へ! 共々に励まし合い、偉大な「陰徳陽報」の勝利の金字塔を、痛快に打ち立てようではありませんか!

 晴ればれと
  この世 勝ち抜き
   三世まで
  我らの生命(いのち)は
   不滅の功徳と

(2009年12月18日付 聖教新聞)







Last updated  2012/08/28 02:49:42 PM
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2009/11/10
池田名誉会長講義 御書と師弟 
            

第30回 生命の勝利の王道

師子王の学会と歩め
我らは思想界の王者


御聖訓
 「地走る者の王たり師子王のごとし
  空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」

                   (千日尼御前御返事、1310p)


 恩師・戸田城聖先生は、私に語られました。
 「創価学会は、間違いなく、思想界の王者になる。
 妙法の大地から、社会のあらゆる分野に、真に優れた人物を送り出すことができる。
 その一人一人の偉大な人間革命が、新しい世紀における人類社会に偉大な貢献をすることになる」
 まさしく創価学会は、哲学界の王者であり、思想界の王者であります。哲学界・思想界の王者であるとは、試練の時代であればあるほど、偉大な希望の光を放って、社会を照らしゆく人材を送り出すということです。
 本当に、この通りの創価学会になりました。自他共の幸福を願い、「人間のための社会」を築きゆく学会員の活躍が、世界の各界から賞讃されております。
 日蓮大聖人は、一切経の王である法華経について、「地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(御書1310p)と仰せになられました。
 ──法華経は、地を走る者の王である師子王の如くである。また、空を飛ぶ者の王である鷲の如くである。
 なんと力強い、妙法最第一の御確信でありましょうか。
 この御文は、弘安元年(1278年)の7月、佐渡の女性リーダーである千日尼に宛てて記された御返事の一節です。

 法華経は「経王」──諸経の中の王者であると言われます。それはなぜか。一切経の中でも、法華経のみが全民衆の成仏を完璧に説き切っているからです。
 「皆成仏道」が明かされた法華経こそ、万人の生命から無上の可能性を開き、幸福へリードする「希望の経典」です。
 「広宣流布」が示された法華経こそ、生命の尊厳を確立し、理想の世界の建設へ民衆を結合する「平和の経典」です。
 「師弟不二」が説かれた法華経こそ、青年を地涌の使命に目覚めさせ、人類を永遠に繁栄させゆく「勝利の経典」です。
 法華経には、師子王である仏の慈悲と智慧の大境涯が、そのまま留められているのです。
 この妙法を持ち行ずる人は、師子王が大地を駆けめぐる如く、人生と社会の王道を、威風も堂々と前進できる。大鷲が天空を舞う如く、一切を見下ろしながら、正義と栄光の軌道を悠然と上昇していけるのです。

 人間の偉大さは、何によって決まるか。権力でもなければ、名声でもない。財産でもなければ、肩書でもない。
 戸田先生は言われました。
 「広宣流布の闘士は、人間の大王である。この気概と誉れを持ち続けるのだ」
 創価学会は、妙法を世界192カ国・地域に広宣流布してきました。
 大聖人の大慈大悲に直結して、人類救済の大目的に進んでいる仏意仏勅の不思議なる団体が、学会です。地涌の菩薩の教団であり、仏そのものの陣列であります。
 ゆえに戸田先生は、こうも叫ばれました。
 「自分自身を卑しめていくことは、絶対にあってはならない。もったいなくも、御本仏と同じ生命を抱いている自分自身に誇りを持ちなさい。気高い心で人生を勝ち抜くことです」

 仏は、万人が頭(こうべ)を上げて胸を張って生きる道を開き示されました。仏に等しい自分を卑下することは、仏を卑下することにも通じてしまう。
 大聖人は、「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(同1337p)とも教えてくださっております。
 この題目を唱え弘めゆく自分自身の生命が、いかに尊極であるか。その大歓喜の自覚をもって、わが使命の人生を断固として強く強く生き抜いていくことです。少々のことがあろうとも、「いまだこりず候」(同1056p)との御聖訓を拝し、いやまして勇猛精進していくのです。

大難に奮い立て!
 古来、法華経を読んだ人は多かった。
 しかし、大聖人ほど、法華経に説かれている通りに、大難を受けられた方はおりません。
 御書には、「法華経を持(たも)ち実践しているといっても、実際に敵が出現していないのであれば、仏の言葉は虚妄(きょもう)になってしまう」(386p、趣意)とも綴られています。
 仏法を語れば必ず難にあう。悪世の中で、真実を語り抜くほどの難事はありません。
 大聖人は、千日尼を励まされました。
 「仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにく(憎)まばにくめ」(御書1308p)
 正法を語って悪口罵詈されることは、最高の名誉である。
 仏法のために、嫌な思いをした分だけ、すべて功徳に変わる。勇気をもって正義を語り抜くことこそ、「如説修行」の実践であると示されているのです。
 生命は永遠であり、妙法の力用は宇宙大です。この世の非難中傷など、あまりにも小さな波にすぎない。そう心に決めた大勇の信心が、無量無辺の大福運となって、わが生命を、一家眷属を、三世永遠の幸福と栄光で包んでいく。これが仏法の因果の理法であります。
 戸田先生も、「何があろうと、広宣流布のためには、びくともしない人間となれ!」と教えられました。

 師子王の
  雄叫び聞いて
     奮い起つ
  広布の旅の
    子等ぞ勇まし

 昭和30年(1955年)の11月、恩師は私にこの和歌を贈ってくださいました。
 「師子王の子は師子王となる」(同1216p)と仰せの如く、師の雄叫びを聞くや、弟子は瞬時にして奮い立つ。この師弟の大精神が貫かれてこそ、広宣流布は永遠なる大河の流れとなるのです。

堂々と師弟を叫べ
 威風堂々と王者の風格で進む。これが、草創以来、変わらない、学会精神の真髄です。
 戸田先生は、こう語られた。
 「日本国を救おうというわれわれなのだから、われわれの精神は師子王の如く誇りをもっていてもいいのです。そうしたら仏になれる」
 信心の世界は、世間の評価でも、役職でもありません。他人と比較するものでもありません。「ただ心こそ大切なれ」(御書1192p)であります。

 昭和26年の3月31日、私は日記に記しました。
 「信念も、基準もなく、批判のみしている人が、賢明に見える社会である。信念、基準を持てる人は、一往、受け身になるようなれど、結局は強く、幸福であることを忘れてはいけぬ。
 理念を持し、進む者は強し。王者の帆に打ちあたる風波は、一番強烈なのだ。恐るるな。恐るるな」
 当時は、断崖絶壁の事業の苦境を、戸田先生とともに勝ち越えた頃です。この時、私は戸田先生の会長推戴へ、着実に一つ一つ手を打っておりました。
 長い人生です。思うようにいかない時もあるかもしれません。しかし、その苦難に負けない「勝利への執念」があれば、必ず、明るい未来が待っているのです。私たちには、世界最高の哲学と、一切を「変毒為薬」できる信心があるからです。
 強き祈りと行動は、すべて御本尊に通じ、諸天善神を揺り動かしていきます。なかんずく、リーダーは勇気凛々と声を挙げていくことです。師子王の心で語り切った分だけ、叫び抜いた分だけ、仏の陣営の威光勢力が増し、魔軍は退散するのです。
 「私は、世界に二人とない大指導者・戸田城聖先生の弟子だ」
 私は、師匠の偉大さ、真実の姿を、広宣流布のために言い切ってきました。何度も何度も繰り返し、繰り返し語り抜いてきました。それが折伏精神であり、広宣流布だからです。
 「声仏事を為す」(同708p)ゆえに、どんどん言っていくのです。沈黙を始めれば、正義は闇の中に入ってしまう。真実を叫び切っていく勇気が、勝利の波動を起こしていくのです。
 恩師は、よく言われました。
 「我々は、自分で仏法を体験し、真実の学会を知っているんだから、誰よりも強いに決まっている」と。
 その確信の対話の原点が、座談会であります。今、世界中の心ある識者が、創価の大座談会運動に注目し、讃嘆してくださっております。
 この座談会を軸として、我らは、戸田先生が宣言なされた「宗教界の王者」として、生命の勝利の王道を、一段と晴れ晴れと大行進してまいりたい。
 わが創価の友よ、今こそ、地走る者の王たる師子王の如く、空飛ぶ者の王たる鷲の如く、勝ち進もうではないか!

 君たちも
  私も同じく
   師子奮迅
  栄光大道
    歩む嬉しさ

  (2009年11月08日付 聖教新聞)






Last updated  2009/11/11 12:07:53 AM
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2009/10/24

池田名誉会長講義 御書と師弟

 第29回 妙の三義


社会を変えゆく正義の仏法運動
・開く=開かれた対話
・具足=可能性の信頼
・蘇生=限りない希望



闇を打ち破る宗教
 日蓮仏法は、どこまでも現実変革の宗教です。「妙の三義」に即して言えば、閉ざされた時代の闇を打ち破る宗教である。
 すなわち──
 1.開く=はつらつと社会に飛び込み、人々の心を開きゆく「対話の宗教」です。
 2.円満・具足=万人に具わる尊貴な生命を、共々に輝かせてゆく「信頼の宗教」です。
 3.蘇生=いかなる壁をも打開し、永遠の幸福境涯を生き生きと築いてゆく「希望の宗教」なのです。
 
 その偉大な実践者が、わが創価の同志の皆様であります。
 人間は、人間の中でしか自分を磨くことはできません。人と交わり、人に学ぶ中でこそ、自分を鍛え、向上していける。
 爽やかに、挨拶の声をかける。友の悩みに耳を傾ける。
 それは、「必ず幸福になる仏の力が、あなたの生命の中に具わっています」との大確信を伝える対話です。
 そして「何があっても、絶対に道は開けます」と勇気と希望を贈る励ましです。
 「自他ともの幸福」を目指して進む、婦人部をはじめ学会の同志こそ、地域・社会における人間交流の太陽なのです。学会ほど、ありかたいところはありません。
 日蓮大聖人は、病気と闘う富木常忍の夫人に対して、「尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり」(御書978p)と仰せになられました。
 この御本仏の大慈大悲に直結し、同志の悩みを我がこととして、真剣に祈り、励まし合う世界が創価学会です。
 何かあれば、すぐに同志が飛んで来てくれる。自分の方が大変であっても、心にかけ、声をかけ、渾身の力で支えてくれる。菩薩の振る舞いです。いな仏そのものの心です。

 インドの名門ヒマーチャル・プラデーシュ大学のシャルマ副総長は語ってくださいました。
 「SGIは、この世界に永遠に続いていくべき団体であると私は信じます。なぜなら、創価の皆さんの世界への貢献は、誠実・希望・慈愛といった人間的な価値を、それを失った人々に蘇らせてくれるからです。破壊のためではなく、建設のためのエネルギーを贈ってくれるからです」

 この秋から始まった「大座談会運動」も、砂漠のような社会に、対話と友情のオアシスを広げゆく、学会の“本流”というべき大前進であります。
 全国の同志、なかんずく地区部長・地区婦人部長の尊い労苦に、私も妻も心から感謝申し上げます。“絶対無事故で健康・長寿たれ”“断じて断じて幸福に”と祈りに祈る日々です。

誠意、誠意、誠意で
 嬉しいことに、各地に新しいリーダーも続々と誕生しています。祈って祈って祈り抜く。走って走って走り抜く。誠意、誠意、誠意を尽くしていく。新しい人材を育て伸ばしながら、新しい広宣流布の拡大を、私と一緒に開こうではありませんか。
 もちろん、長い人生ですから、決して順風満帆な時だけではない。会社の倒産や突然のリストラ、農漁業では凶作や不漁の時もある。さらに病気や災害、不慮の事故など、「もう駄目だ!」と思うような絶体絶命の苦境に直面することもあるかもしれません。
 しかし、妙法は「蘇生」の力です。「苦をば苦とさとり」と仰せのごとく、一切を御本尊に訴え、師子吼の題目を唱え抜いていくならば、わが生命の仏の力用が発動し、断じて勝ち越えていける。それだけの広大無辺の力が妙法には具わっている。宇宙をも包みこむ大境涯を開き、無数の諸天善神を動かせるのです。
 仏法には無駄がない。仏眼・法眼で見れば、信心の途上でぶつかる苦悩や課題は全部、意味がある。祈り、戦い、負けずに進んでいけば、あとで振り返つたとき、一番良い方向に進んでいたことがわかります。
 恩師は私に「大ちゃん、人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて、信心もわかる、偉大な人になるのだ」と言われました。
 最強無敵の妙法の利剣を持つ私たちは、不幸を幸福に、宿命を使命に変えることができる。
 「苦しみはどんな苦しみでも、必ずわれわれに益するものである」(北御門二郎訳)とは、大文豪トルストイの至言です。
 どんな苦難でも来い! さあ、宿命転換の時だ。大境涯を開くチャンスだ──そう腹を決めた人は、一切を幸福への原動力に変えていけるのです。
 信心とは、永久に「蘇生」であり、永遠に「復活」の道だからであります。
 戸田先生は青年に語られた。
 「妙法を受持して、絶望の淵から美事に立ち上がって、生きがいをもって蘇生した学会員が、どれほど多くいることか。
 学会は考えれば考えるほど、不思議な団体です。使命を持った教団です。この学会と縁(えにし)を結んだ諸君も、誠に不思議な青年と言わなくてはならない」
 どうか、信心を貫く皆様方の生命そのものが「開く」「円満・具足」「蘇生」という「妙の三義」の当体であることを、強く深く確信して、広宣流布の先頭を進み抜いてください。

「自らの主(あるじ)たれ!」
 戸田先生は「妙法蓮華経とは、宇宙の一切の森羅万象を包含する一大活動なり」と断言されました。
 「妙の三義」とは、この宇宙根源の妙法を持つ人間生命それ自体の偉大さ、無限さを表現した哲理です。
 いわば「わが生命は宇宙大なり!」という大いなる讃歌にほかなりません。
 天文学の分野では、星が何度も生死を繰り返すことによって、生命は生み出された、という洞察があります。
 大海の一滴の水に一切の河の水を納めるように、一個の人間に大宇宙の生命の潮流が流れ込んでいる。私たちの細胞の一つ一つにまで、大宇宙の法則が脈動しているのです。
 15年前、私がモスクワ大学の講演で語った眼目も、「人間は大いなるコスモス(宇宙)である」「人間よ自らの主たれ!」という生命讃嘆のメッセージでありました。
 今、SGIの青年研修で、世界中の若き地涌の指導者が来日しております。
 SGIは、世界の民衆を結び、青年をつなぎ、1千万の人々に生きがいを贈り、社会を「蘇生」させてきました。まさに平和と幸福のシルクロードを広げゆく、21世紀文明の栄光の大行進であります。
 「妙」なる大法を持つ我らの人生は、三世永遠にわたる無限の希望の大航海です。
 妙法を唱え、広宣流布へ逞しく戦えば、「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書1135p)の生命となるのです。

 いよいよ「わたしの創立80周年運動」の幕開けです。
 「八」とは「開く」義である。
 どうか共々に、妙法を唱えに唱え、正義を語りに語り、生まれ変わったような瑞々しい生命で、勝利また勝利の師弟の劇を勝ち開いていきましょう!

 妙法の
  力は宇宙の
   力なば
  何も恐れず
   すべてに勝ち抜け

(2009年10月22日付 聖教新聞)







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池田名誉会長講義 御書と師弟 
              

第29回 妙の三義

わが生命は偉大なり
創価学会は仏の大連帯

御聖訓
 「妙と申す事は開と云う事なり」
 「妙とは具の義なり 具とは円満の義なり」
 「妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すはよみがへる義なり」

                (法華経題目抄、943・944・947p)


 人間の生命は、計り知れない不思議な力を持っています。
 仏法は、万人に具わる偉大な仏の力用を引き出す大法です。
 私は広宣流布の闘士として、誰もが持つ生命それ自体の偉大な力を触発し、地球上に幸福と平和の花を咲かせゆくことを願って、行動してきました。

モスクワ講演15年
 35年前の1974年(昭和49年)9月、私が初めてロシア(旧ソ連)を訪問したとき、「宗教否定の国になぜ行くのか」と問われました。私は、「そこには同じ人間がいるからです」と即答しました。
 同じ人間として、わかり合えないはずはない。友情を結べないはずがない。
 これが、仏法の人間主義に生き抜く私の信念であり、結論です。平和への道も、人類の発展も、一切は人間に始まり人間に帰着するからです。

 以来、日ロ友好の橋を大きく結んできた私は、15年前(1994年)の5月には、モスクワ大学で「人間──大いなるコスモス」と題し、2度目の講演を行いました。
 ソ連邦の崩壊(91年)後の激動の社会を毅然とリードされゆくロシアの第一級の学識者や、瞳凛々しき学生たちを前に論じたのが、日蓮大聖人の仏法の「妙の三義」であります。
 この時は、「妙」の一字に込められた哲理を、「規範性」「普遍性」「内発性」という観点から語り、自身の内面の価値に目覚めた人間こそ歴史転換の鍵を握ることを論じました。
 今回は、この「妙の三義」を、私たち信仰者の実践と人生に即し、学んでいきましょう。

妙とは不可思議
 この「妙の三義」は、大聖人が「法華経題目抄」で示された甚深の法門に基づきます.
 万人を成仏に導く法華経の題目──南無妙法蓮華経の「妙」の字に込められた功力を、1.開く義 2.具足・円満の義 3.蘇生の義、という意義に集約なされたものです。

 第一に、大聖人は「妙と申す事は開と云う事なり」(御書943p)と仰せである。
 「開く」義とは、法華経こそが諸経の蔵を開く鍵である──すなわち、仏教の大目的である一切衆生の成仏の道を開く唯一の経典であると明かしています。
 妙法には、九界の現実の人間生命に秘められた仏界という胸中の宝蔵を開き、万人の生命に伸び伸びと躍動させていく力があるのです。

 第二に、「妙とは具の義なり具とは円満の義なり」(同944p)であります。
 「具足・円満」の義とは、法華経の題目は「根源の一法」であり、あらゆる価値、あらゆる功徳が、完全に収まっていることを明かしています。
 「譬えば大海の一たいの水に一切の河の水を納め」「秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉(しよう)・華菓(けか)・出来するが如し」同p)と仰せのように、「妙」の一字には、あらゆる法と功徳が円満に具わり、漲っている。
 そして第三に、「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同947p)です。 これは、いかなる衆生をも蘇生させ、成仏させることができるという妙法の無量無辺の功力を説いたものです。
 爾前の経々では、二乗などは、成仏の種を炒ってしまったようなもので、仏になれないと差別されていた。しかし妙法は、権経で「死せる者」とされていた人々の種も蘇らせ、広々と成仏の境涯へ導くことができるのです。

 以上が「妙の三義」の大要です。すなわち、わが胸中の仏の大生命を「開く」。大宇宙に遍満する仏の大生命が、わが一念に「具足」する。そして凡夫の生命を仏の生命へ「蘇生」させる。この妙法の「大良薬」の働きを表しているのです。
 天台大師も、「妙は不可思議に名くるなり」 (同400p)と述べている。
 私たちが唱える題目の「妙」の一字には、これほど絶大な功徳力があります。
 唱題に励み、広宣流布に進みゆく我らの仏道修行は、まさにこの「妙の三義」を、わが生活・人生の上に晴れ晴れと現じゆく尊極の実践にほかならない。
 ゆえに我らの信仰即人生には、絶対に行き詰まりはありません。どんな境遇にいても、必ず蘇生できる。宇宙の大法則に則り、すべてを円満に調和させながら、無限の活力をもって勝利を開いていけることは、御聖訓に照らし間違いないのです。
 わが師・戸田城聖先生は、病気や経済苦と闘う、草創の関西の同志に師子吼されました。
 「信心をする目的は、みんなが本当に幸福になるためです。我々の生活は、悩みの生活です。貧乏なものは裕福になり、病気の人は病気が治る。一家団欒して、この世を幸福に暮らすことです。そして未来永劫に幸福になるために、信仰するのです」

民衆を救ってこそ
 この恩師の宣言の通り、妙法を持(たも)った友は、病魔を乗り越え、仕事で実証を広げ、一家和楽を実現し、何ものにも崩されない幸福境涯を開いてこられました。
 あの「“まさか”が実現」と言われた「大阪の戦い」も、健気な庶民の人生の勝利劇こそが拡大の推進力となったのです。宿命の嵐に翻弄され、絶望の底にいた庶民に手を差し伸べてきたことこそ、学会の誇りです。
 「妙とは蘇生の義なり」
 創立の父・牧口常三郎先生が拝されていた御書をひもとくと、この一節に傍線が引かれています。
 牧口先生・戸田先生が身読なされた、この御聖訓を抱きしめて、どれほど多くの庶民が立ち上がり、幸福を勝ち取ってきたことでしょうか。まさに、民衆を絶望の淵から蘇生させずにはおかぬ希望の御金言です。
 不幸な民衆を救ってこそ、真の力ある宗教であり、生きた宗教である。学会こそ、「妙の三義」の功徳を体現した金剛不滅の仏の大連帯なのであります。

妙法の力用に包まれた人生
労苦に無駄はない 全部、意味がある

念仏の哀音を破折
 ここで、本抄の時代背景を確認しておきたい。
 この「法華経題目抄」は、文永3年(1266年)の正月、大聖人が安房国(現在の千葉県南部)で認められました。いまだ念仏に執着を持っていた女性に、力強く法華経の題目の大功力を綴られております。
 「女人は法華経を・はなれて仏になるべからず」(御書948p)、「常に南無妙法蓮華経と唱うべし」(同941p)と明快に励まされているのです。
 当時、念仏宗では、法華経を捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)て(捨閉閣抛しゃへいかくほう)と説いていた。
 法華経という人間生命の尊厳性を説き切った大法を「捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」することは、実は自分自身の尊極の生命を「捨閉閣抛」することにほかならない。それでは、希望を捨て幸福の道を閉ざしてしまうばかりであります。
 大聖人は、こうした人々の生命力を奪う邪説の哀音を、鋭く破折し抜かれたのです。
 今日の時代相も、同様の風潮が色濃く現れています。
 確かな哲学に目を閉ざし、小さなエゴに閉じこもりがちで、未来への希望が持てない青年も少なくない。人と人が織りなす交流の縁起を断ち切ることは、人生の豊かな宝を自ら「捨閉閣抛」することになってしまう。
 「当世は世みだれて民の力よわ(弱)し」(同1595p)と、大聖人は慨嘆なされました。
 生きる活力が弱まれば、新時代を創る息吹も生まれません。
 いうならば、捨閉閣抛(しゃへいかくほう)の悪弊(あくへい)ともいうべき閉塞感(へいそくかん)・虚無感(きょむかん)を打破しゆく根本のエネルギーこそ、妙法なのです。(2に続く)
(2009年10月22日付 聖教新聞)






Last updated  2009/10/25 03:55:01 PM
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2009/10/10
池田名誉会長講義 御書と師弟 

第28回 仏法即社会

人生に勝つ信仰

信心の眼で賢く勇敢に

御聖訓
 「天晴れぬれば地明かなり
 法華を識る者は世法を得可きか」

             (観心本尊抄、254p)


 わが師・戸田城聖先生は、語られました。
 「強く正しき信仰は、必ず幸福をもたらす。断じて明朗な人生が開かれることを確信せよ」
 人生に勝ち、社会を照らしゆくことが、仏法者の生き方です。現実を離れて仏法はない。千変万化する世界を見つめ、価値創造の光を放つ力こそ、信心です。

 今回、共々に拝する「観心本尊抄」の一節は、この「仏法即社会」の法理を、明快に説いてくださった御金言です。
 「天晴(てんは)れぬれば地明(ちあきら)かなり法華を識(し)る者は世法を得(う)可(べ)きか」(御書254p)
 ひとたび天が晴れわたれば、大地が明るく照らされる。それと同じく、妙法を信じ行ずれば、世法で勝ちゆく道も晴れ晴れと開かれてくるとの仰せです。

 この「観心本尊抄」は、文永10年(1273年)4月、日蓮大聖人が流罪の地・佐渡で認(したた)められ、下総国(しもうさのくに)(現在の千葉県北部)の中心的な門下であった
に送られた御書です。
 一切衆生を救う御本尊の真義を明かされていることから、「法本尊開顕の書」と呼ばれます。
 大聖人が末法の御本仏であられることを宣言された「人本尊開顕の書」である「開目抄」と並ぶ、重書中の重書です。

広宣流布の大瑞相

 今回の御文は、「観心本尊抄」の結論部分の一節です。この直前では、当時、相次いだ前代未聞の災難を、仏法上、どう捉えていくかが、明確に示されております。
 それらは、末法における思想の乱れによるものである。しかし、今こそ、民衆のための大仏法が広宣流布する時にほかならない。
 「地涌の菩薩」が出現する時であり、「一閻浮提第一の本尊」が建立される瑞相(ずいそう)である──と。
 めまぐるしく転変する眼前の事象に右往左往して、うろたえたり、嘆いたりするのではない。
 透徹した仏法の眼で、その深き意義を見極めつつ、大変であればあるほど、勇み立つ。そして、人間のため、社会のために行動を起こしていく。これが、師弟の誓願に生き抜く「地涌の菩薩」の大生命なのであります。

 じつは、私たちの創立の父である牧口常三郎先生が、昭和3年(1928年)に入信された当初から、大切に拝されていた御聖訓が、今回の御文です。
 牧口先生は記されています。
 「一大決心を以て、いよいよ信仰に入って見ると、『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』との日蓮大聖人の仰せが私の生活中に“なるほど”と肯かれることとなり、言語に絶する歓喜を以て、ほとんど六十年の生活法を一新するに至った」と。
 最高峰の知性の牧口先生が、最先端の学究と思索の果てに到達されたのが、日蓮仏法です。先生は、信心の力によって、「暗中模索の不安」が一掃され、「引っ込み思案」もなくなり、「生活目的」が遠大となり、畏れがなくなったとも断言されています。
 これが信心の喜びであります。
 哲学にせよ、芸術にせよ、科学にせよ、尊き英知の光を発している。それぞれに一次元を、一定期間、照らすことはできる。しかし万人の生命の全体を普く照らし出し、生老病死の苦悩を打開できる永遠の大光は、一体、どこにあるか。それは、太陽の大仏法しか、ありません。

困難は幸福を開くチャンス

経済学者サロー博士
宗教には『人間を向上させる力』があります」

『即』=変革の原理
 この希望の哲理を、民衆の一人一人が抱いて、濁世の深い不幸の闇を打ち破るのだ──牧口先生が直弟子の戸田先生と共に、決然と立ち上がって創立されたのが、わが創価学会です。
 両先生に連なる私たちも、真剣に戦えば、「法華を識る者」として、一切の現象を妙法の眼で捉(とら)えていけるようになります。
 最も苦しんでいる人が、最も幸福になるための仏法です。人生の上でぶつかる困難は、信心の次元から見れば、すべて意味がある。必ず大きく境涯を開くチャンスとなる。
 勇気ある祈りを忘れなければ、断じて勝利できる。御本尊は勝つためにあられる。こう確信し、祈り切るのが信心です。
 わが創価の友は、大仏法の尊い実践者である。広宣流布の真正の闘士である。ゆえに、現実社会で絶対に勝たねばならない。また、絶対に勝ち抜いていける大法則を持った皆様方なのです。

 「一切の法は皆是れ仏法なり」です。生活の確立が、信心の確立である。信心の確立が、生活の確立なのです。
 仏法は「即社会」です。「即職場」「即地域」であり、「即家庭」となるのです。「即」とは、信心の一念です。学会という和合僧の中で、使命の役職を担い、広宣流布に戦えば、「即」という変革の原理が躍動します。
 人生は、さまざまな困難の連続である。しかし、信心の上では決して負けない。一歩も退かない。この一念が、「即」人生の勝利、社会での勝利を開くのです。
 仕事でも、学業でも、題目を唱え抜いて真剣に挑戦すればこ勝利の智慧が湧いてきます。これが「天晴れぬれば」の生き方であり、「地明かなり」の妙用です。
 大聖人は、「智者とは世間の法より外(ほか)に仏法を行(おこなわ)ず」(御書1466p)とも仰せである。
 智者とは、世間の法から外には出ない。真の宗教は、社会の真っ只中で勝ちゆく源泉なのです。
 世界的な経済学者のサロー博士も、私との会見で「宗教には『人間を向上させる力』があります」と話されていました。
 宗教は、社会の向上のために活動する使命がある。社会を離れて宗教はない。社会に対して何の貢献もせず、聖職者が供養を貪(むさぼる)るならば、懶惰懈怠(らんだけたい)の姿と言わざるを得ません。
 創価の師弟は、社会の中へ、人間の中へ飛び込んできました。
 社会のために進む信仰者!。
 平和のために戦う仏法者!
 皆様方は、どれほど偉大な、人類の最先端の道を歩んでおられることでしょうか。

 戸田先生は明言されました。
 「仏法を行じ抜いた人は、今世では絶対の幸福境涯を勝ち開き、生々世々に大指導者になる。
 御本仏・日蓮大聖人と一体の生命で、大宇宙を舞台に広宣流布に活躍していけるのだ」
 仏法は、「十界互具」「一念三千」という極理を説き、生命と宇宙の実相を解明しています。
 妙法は「生活」と「社会」と「宇宙」の根本のリズムです。観念ではない。道理である。
 “ただ拝めばなんとかなる”という、安っぽい低次元の宗教ではない。
 真剣な祈りから出発する。そして、これ以上ないという努力を重ね、死力を尽くす。これが「信心即生活」の生き方です。そこに、諸天も動くのです。
 大聖人は厳然と仰せです。
 「但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし」(同1124p)
勇気で進む。勇猛精進です。

創価は人類の太陽
 太陽の力がいかに偉大か。世界的な天文学者モウラン博士が、アマゾンで観測した「日食」の思い出を聞かせてくれました。
 ──日食が始まると、鳥たちの鳴き声も止み、暗闇の数分間、森は息を殺し沈黙を守り続けた。
 太陽が再び姿を現した刹那(せつな)、鳥が勢いよく飛び立った。そして太陽の光とともに、森林は素晴らしき活力を取り戻し、「生命のシンフォニー」を劇的に奏で始めた、というのです。
 
 太陽は、地球の生きとし生けるものを育む「お母さん」です。
 私たちの国土世間にあっても、広布の太陽である婦人部の皆様方の明るい笑顔が輝くところ、皆の勇気が広がります。
 人類は、世界的な経済不況や地球環境の変動、自然災害、紛争・テロの勃発など、幾多の難問に直面しています。一つ一つ、学術・言論の力や政治・経済の力などを結集し、解決への挑戦が続いている。私も諸問題の打開へ、具体的な提言や行動を重ねてきました。
 このような時代相の病根に、「人間」の喪失があり、「生命」の軽視があることは、多くの識者との対話でも一致を見たところです。だからこそ、現代は、仏法ヒューマニズム(人間主義)の太陽を渇仰(かつごう)しております。

 闇(やみ)が深いほど、暁(あかつき)は近い。
 今、悪世末法の闇を突き破り、創価の旭光は192力国・地域へ広がりました。幾百千万の民衆が「地涌の菩薩」として溌剌と妙法流布に進む姿そのものが、「天晴れぬれば」の壮大な実現であり、新しき地球文明の到来を告げる──「地明(ちあきら)か」となる希望の黎明ではないでしょうか。
 太陽の限りないエネルギーは、どこから生み出されるか。
 それは、1500万度、2500億気圧の中心部で、間断なく起きている核融合反応です。
 次元は異なりますが、創価の太陽は、「師弟不二」という燃え上がる生命の究極の融合があるゆえに、最も強く明るい勝利の大光を放つことができるのであります。

教学試験頑張れ!
 この秋、全国で「教学部初級試験」「青年部教学試験3級」が行われます。御書を拝し、仏法の甚深の法理を学ぶことは、「法華を識る」正道であり、「世法を得」る大道にほかなりません。
 学んだ分だけ、自分が得をします。大仏法を生き生きと学び、社会で勝ち抜く英知を体得していっていただきたいのです。
 先輩の皆様方、担当者や役員を務めてくださる方々も、どうか、よろしくお願いいたします。
 「学は光」です。米ハーバード大学の調査によると、事業で成功した人の多くは、学歴に関わらず、社会で苦労しながら、大学院生と同レベルの語彙を獲得していたそうです。豊かな、よき言葉をたくさん学ぶことが、大成の力となるのです。
 いわんや、大仏法の教学運動は、庶民の大賢者を育成し、「幸福博士」の記別を贈る聖業です。共に「行学の二道」に励みゆく中で、無量の福智に包まれゆくことは絶対に間違いありません。
 戸田先生は青年に語られた。
 「世界の動きをよく見つめ、御書を頭の中に入れて、言論戦を展開するのだ。大聖人は佐渡で、開目抄、観心本尊抄を、すらすらとお書きになっています。そこには、辞書も経典もない。ただ驚くばかりです。君たちも、いつまでも若い情熱を保ち続けて勉強してほしい」と。
 学会は、平和と正義の大哲学を学ぶ偉大な民衆大学です。

 法華経の如来神力品(にょらいじんりきほん)第21には、
 「日月(じつげつ)の光明(こうみょう)の 能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除(のぞ)くが如く
 斯(ご)の人は世間(せけん)に行じて 能く衆生の闇(やみ)を滅(めっ)し」
 と説かれています。
 この通りに、学会は一段と人類の未来を照らす「太陽の大運帯」を強め広げてまいりたい。
 文豪ゲーテは歌いました。
 「元気よく思いきって、元気よく出よ!」
 「太陽を楽しめば、どんな心配もなくなる」(高橋健二訳)と。
 「天晴れぬれば地明かなり」──拝すれば拝するほど、わが生命の天空に旭日が昇り、見渡すかぎりの使命の大地に、明るい陽光が降り注ぐ御金言です。
 さあ、太陽の大生命力で、堂々と朗らかに対話の最前線へ打って出ようではありませんか!

 天晴れて
  法華を識るは
      幸福王
 (2009年10月8日付 聖教新聞)






Last updated  2009/10/11 12:25:55 AM
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2009/10/07

池田名誉会長講義 御書と師弟 
              

第26回 源遠流長(げんおんりゅうちょう)

威風堂々と世界広布へ

我らは末法万年の先覚者


   御聖訓
 「日蓮が慈悲曠大ならば 
  南無妙法蓮華経は万年の外
  未来までもなが(流布)るべし」
  (報恩抄、御書329p)

 永遠に
  広布と創価の
    人生は
  勝利と功徳の
     仏の人びと

 新しき舞台の開幕だ!
 新しき時代の号砲だ!
 創立80周年へ、世界192力国・地域の同志と共に、新たな大行進が始まりました。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561p)
 「大願とは法華弘通なり」(同736p)
 創価学会は、広宣流布の団体です。日蓮大聖人の妙法を世界に弘め、民衆を幸福にしゆくことこそ、我らの「大願」です。
 この大願に生き抜く偉大な使命のリーダーは、いついかなる時も、元気いっぱい堂々と、勇猛精進していくのです。
 末法万年の人類を照らす大法を弘通し、恒久平和へ根本的な寄与を果たしているのが、創価の師弟です。この誇り高き大遠征は、燃え上がる「勇気」と「確信」、そして「智慧」と「不屈の精神」がなければ、成し遂げることはできない。
 今回拝読する「報恩抄」の一節は、広宣流布の根本の大精神を示された御聖訓であります。
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが(流布)るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(同329p)
 大聖人の広大無辺の大慈大悲によって、南無妙法蓮華経は、万年、そして未来までも流布しゆくのだ、との御断言です。
 私たちの広宣流布の大運動は、「全世界」が舞台であり、「一万年」の彼方をも視野に入れています。この壮大なスケールに立って、一切を悠然と見晴らして戦い進んでいくことだ。
 汝自身の生命の旅も、三世永遠であります。目先のことで、一喜一憂することはありません。妙法を唱え弘めて生きる人生は、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」ながら、自他ともに、どこまでも「常楽我浄」の軌道を悠々と上昇していけるからです。

 報恩抄は、建治2年(1276年)の7月、大聖人が身延の地から、安房国(現在の千葉県南部)の浄顕房と義浄房の二人に与えられた御書です。師であった道善房の死去に際して送られました。
 この御文は、本抄の結論です。法華経の肝心である南無妙法蓮華経こそ、末法万年尽未来際の一切衆生を救う大法であることを宣言されています。
 そして、妙法を弘通なされた大聖人の功徳が、故・道善房に集まることを明かされ、報恩の証しとされているのです。
 一切衆生の苦を、わが苦となされる大聖人の慈悲の大きさ、深さは、計り知れません。その不惜身命・死身弘法の大闘争には、人間の苦悩の元凶である無明を、完璧に打ち破る力が漲っております。だからこそ、末法万年にわたり、無間地獄への道をふさぐことができるのです。

「源」ありて清流が
 「根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながし」(御書329p)──大聖人は、報恩抄でこう述べられています。
 どのような時代の転変、社会の振幅があろうとも、大聖人の仏法が一閻浮提へ広宣流布していくことは断じて間違いない。「一定(いちじょう)なるべし」です。
 それはなぜか。絶対に尽きることのない「源」があるからです。この「源」から滾々と湧き出ずる妙法流布の清流は、永劫に止まることはありません。
 日蓮仏法は、その深遠(じんのん)なる哲学性のゆえに、国家や民族など、諸々の差異を超えて、全人類の心を潤すことができる。
 金剛の信念の先師・牧口常三郎先生は、「行き詰まったら原点に戻れ」と教えられました。
 大聖人が唱え出(いだ)された南無妙法蓮華経には、無量無辺の大功力があります。どんな試練が行く手を阻もうとも、この題目を唱えれば、久遠元初の大生命に立ち返ることができる。その瞬間から、新しい勝利勝利の旭日が燦然と輝き始めるのです。
 ブラジルの天文学者モウラン博士も語られました。
 「『南無妙法蓮華経』という音律には、宇宙が創り上げられていくような根源のエネルギーを感じます」と。
 題目の力用は、宇宙大です。
 恩師・戸田城聖先生は、厳然と言われています。
 「この大宗教を信ずることによって、生命のリズムは宇宙のリズムに調和し、生きている幸福をしみじみと感ずるのである。生命の歓喜こそ、幸福の源泉力である」
 幸福になるための信心です。そして絶対に幸福になれる仏法です。何があっても、安心して朗らかに、異体同心で、題目を唱え抜いていってください。

主師親の三徳の光
 今回の報恩抄の御文を、日寛上人は「主師親の三徳」に配されました。
 「日蓮が慈悲曠大ならば……ながるべし」=「親の徳」。すなわち民衆を慈しむ働きです。
 「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」=「師の徳」。すなわち民衆を導く働きです。
 「無間地獄の道をふさぎぬ」=「主の徳」。すなわち民衆を護る働きです。
 この御聖訓には、日蓮大聖人こそ、「主師親の三徳」を具えた末法の御本仏であられるとの元意が込められているのです。
 この御文の前には仰せです。
 「一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人(いちにん)も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(御書328p)
 大聖人がただ御一人から開始された、この末法広宣流布の大闘争を、現代に正しく受け継いでいるのは誰か。
 我ら創価の友以外には、絶対におりません。
 戸田先生は、関西の天地で師子吼なされました。
 「百年の大計、いな何千年の平和の大計を立て、もって日蓮大聖人の御恩に報ずるとともに、民衆万年の幸福を確立することが、創価学会の使命である」
 この師の心を、わが心に炎の如く燃えたぎらせて、人間の中へ飛び込んでいく。そして一人また一人と、信念の対話を繰り広げる。これが学会精神です。
 この創価の師弟の源流に立ち戻っていく限り、広宣流布の前進の力は満々と漲ります。そこには、弱々しい臆病な命などない。そしてまた、傲り高ぶった増上慢の命もありません。

 君が愁いに我は泣き
 我が喜びに君は舞う──
 移ろいゆく人の世にあって、私たちは、変わらざる人間の心の深く強き結合をもって、威風も堂々と前進していくのです。
 仏教発祥の天地インドの大哲人であるロケッシュ・チャンドラ博士も、日蓮大聖人が提起された「主師親の三徳」を、現代に力強く展開しているのが、創価の師弟であると讃えてくださっております。
 敷衍していえば、「勇気」(主の徳)、「智慧」(師の徳)、「慈愛」(親の徳)──。
 この三徳を具える世界市民の登場こそ、荒れ狂う迷いの海に漂う人類の精神を目覚めさせる。その菩薩の大連帯を、博士はSGIに見出されているのです。
 創価の平和・文化・教育の運動も、この「主師親の三徳」を、社会における「価値創造」の原理として具現化したものです。
 生命の尊厳を護る「主の徳」を目指すのは、平和の貢献です。
 青年を正しく導く「師の徳」を体現するのが、人間教育です。
 人類の心を耕し、結び合う「親の徳」は、文化の交流です。
 この平和・文化・教育の大城は、いよいよ21世紀の希望とそびえ立っております。

 報恩抄には、こう仰せです。
 「極楽百年の修行は穢土(えど)の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」(同329p)
 万年の未来を思えば、我らはまだまだ草創期です。万代に崩れざる盤石な土台を築いているのだから、苦労も多い。悪口罵詈(あっくめり)も猶多怨嫉(ゆたおんしつ)の難も必然です。
 だからこそ、現在の仏道修行が、いかに時に適い、その功徳がいかに大きいか。子孫末代にわたる大福運を積む信心は、今の一日一日にあります。不思議な“時”が来ているのです。
 御書には、この世の栄耀栄華など「夢の中の栄え」「幻の楽しみ」に過ぎない、はかなく消え去ると喝破されております。

 60年前の昭和24年の9月、私は日記に綴りました。
 「正義の剣を持(じ)し、戦う者は、必ず、歴史が証明することだろう。大聖人の照覧なれば、断じて恐れてはならぬ。卑屈になってはならぬ。雄々しく進め。大胆に進め」
 「今日の日に、最上を尽くすとき、未来は、必ず光明に輝く。歓喜の焔は燃えたってくる」
 広宣流布に生き抜く栄光と福徳は、不滅であります。歴史を残せるのが、人間です。そして、最も尊き歴史を永遠に残していけるのが、仏法なのです。
 我らの舞台は、世界です。
 我らの友人は、人類です。
 我らの栄光は、永遠です。
 さあ、「慈折広宣流布」の壮大なるスクラムを、愉快に勇敢に広げようではありませんか!

 君ありて
  広布の流れは
    幾重にも
  万年までも
    輝き渡らむ

(2009年9月10日付 聖教新聞)







Last updated  2009/10/07 07:14:49 PM
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2009/09/29
池田名誉会長講義 御書と師弟 
             

第27回 仏縁の拡大

皆が創価の大使たれ

地域へ 光り輝く生命で
世界に仏法共感の大潮流


御聖訓
 「其の国の仏法は
 貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ
 仏種は縁に従って起る」   
 (高橋殿御返事、1467p)


 広宣流布は、どこから始まるか。それは「地域」です。
 わが地域を発展させたい。わが地域から人材を出したい──この切実な祈りと行動から、最も確かな広布の波が広がる。

 戸田先生は語られました。
 「大事なのは足元だよ。何があっても浮き足だつのではなく、妙法の旗を掲げて、現実の大地にしっかりと立つことだ」
 今回、拝するのは、「地域」に住む一人から広宣流布が始まることを日蓮大聖人が教えられた御聖訓です。
 「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし」(御書1467p)──その国の仏法流布は、あなたにおまかせします。仏種は縁によって起こるものです。このゆえに一仏乗の法華経を説くのです──。

 まことに有名な御金言です。高橋六郎兵衛入道にあてた御手紙とされてきましたが、異説もあります。建治年間から弘安年間のころ、駿河国(現在の静岡県中央部)の富士地方で、中心的な立場で弘教に励んでいた在家に送られた御文とも推定されます。
 当時、富士地方では日興上人を中心とした折伏戦が力強く進んでおりました。その旭日の勢いに恐れをなした権力者らが卑劣な迫害を加え、弘安2年(1279 年)には「熱原の法難」が最も熾烈になっていたのです。この御書は、弾圧が激しさを増していた渦中に送られたと拝察されます。
 ここで仰せの「国」とは、門下の住む地域一帯のことです。「その国土の仏法は、あなたにおまかせします」──あまりにも重大な仏の信託であります。「頼むよ」と師の信頼の一言に、弟子は武者震いする思いで、勇み立ち上がったことでしょう。
 これが師弟の深遠(じんのん)なる生命の呼吸です。増上慢の坊主ではない。民衆のリーダーです。師の心を心として、自らの使命を自覚した勇気ある弟子こそ、地域広布の指導者なのです。

 この御文の前には、苦難の中で勇敢に師弟の道を歩み抜く信心を讃えられ、「釈迦仏・地涌の菩薩が、あなたの御身に入り替わられているのでしょうか」(同ページ、通解)と仰せです。
 釈迦仏・地涌の菩薩といっても、どこか遠くにいるのではない。いざという時に勇猛精進しゆく、わが生命にこそ、生き生きと躍動しているのです。

 法華経の勧持品第13には──
 「我れは是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所無し」(420p)と説かれております。
 仏の使いとして広宣流布に戦う自分である。ゆえに、誰人に対しても臆することはない。堂々と妙法を説き弘めていけるのだという誇り高き宣言であります。師弟の道に生きゆく人生に畏れなし。正義は徹して強気でいくのです。
 法華経では、地涌の菩薩は、「娑婆世界の三千大千の国土」に涌出したと説かれます。
 娑婆世界とは、苦悩が渦巻く人間世界のことです。この現実の社会を離れて、仏法はない。
 地涌の菩薩は、必ず“使命の国土・地域”に躍り出るのです。

笑顔の太陽 婦人部 万歳


仏勅の同志に感謝
 この法華経の正しき方軌に則って、創価の師弟は、大聖人と釈尊の遺命である広宣流布を、地域に世界に遂行してきました。
 全国の本部で、支部で、地区で、そしてブロックで、友のため、地域のために献身を重ねる、わが創価の同志こそ、御本仏・日蓮大聖人から「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」と正義の興隆を託された仏勅の闘士なのであります。
 これほどの名誉ある人生は絶対にありません。皆様方は、どんな権力者や大富豪も及ばない「使命即栄光」「責任即福徳」の大道を歩んでおられるのです。
 友の健康と幸福を祈る。悩んでいる方がいれば飛んで行って励ます。活動の一切を担い戦う。自分のことはさておいても、愛する天地のために奔走する。
 その地その地に根を張って、広宣流布のために苦労して戦う人こそが、一番、偉大なのです。地域を離れ、責任を持たない。自分はやらずに、人にやらせる。それは、仏法の精神に反します。

 わが地域の一世帯を、どう励ますか。新たな一人を、どう広げるか。それが根本です。
 本部長、支部長・支部婦人部長、地区部長・地区婦人部長、ブロック長・白ゆり長をはじめ、師弟の大精神に燃えて進まれる全国の尊貴な同志の皆様方に、私も妻も最敬礼して、朝な夕な真剣に題目を送っております。
 とくに、どんな時も太陽の如き笑顔で、地域を照らしてくださる婦人部の皆様の健康長寿と幸福勝利こそ、私たち夫婦の最大の願いです。
 また太陽会をはじめ、地域で“おじさん”と、皆から慕われる壮年部の方々こそ尊いのです。

 続く「仏種は縁に従って起る」との仰せは、地域広布を進める上での甚深の御指南です。
 相手の方が「一生成仏」という永遠の幸福を勝ち取る道も、まず私たちが「仏種」を植える対話から始まります。それこそが、仏の誓願を果たす具体的な行動なのです。広宣流布の大使が真剣に誠実に行動した分だけ、妙法への縁が広がる。皆さん方が仏縁を結ばなければ、何も始まりません。

 人の心は、縁によって瞬間瞬間に変わる。御書には「一人一日の中に八億四千念あり」(471p)とも説かれています。
 悪縁にふれれば、醜い命が出てくる。善縁に出あえば、素晴らしい生命が現れるのです。

結んだ縁は永遠に
 大事なのは、私たち自身が、相手の仏の生命を呼び起こし、薫発しゆく強い「縁」となっていくことです。その「仏事」(仏の仕事)を為すのが「声」です。
 「おはようございます!」
 毎朝、「無冠の友」の方々が、聖教新聞を配達してくださりながら、行き交う方々にかける挨拶は、なんと清々しく喜びの波紋を、わが街に広げゆくことか。
 「お元気ですか!」「一緒に成長しましょう!」──祈りと確信を込めた私たちの「仏の声」「仏界の響き」が、大勢の人々と縁を結び、広げていくのです。
 その振る舞いは必ず「仏縁」となる。その時は、かりに反発したとしても、相手の生命の奥深くに「仏種」として刻まれる。冬を越えて春が来るように、時とともに、「自他共の幸福」の大花と咲き薫ることは必然です。
 「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(御書552p)と御断言の通りです。
 ゆえに、まず自分が強くあれ!
 相手がどうあれ、自らが「縁」となって、その生命を幸福の方向へ力強く変えていくのです。これが仏の強さである。相手の弱い命や愚癡の命に引きずられるのではない。こちらが、毅然と引っ張っていくのです。
 戸田先生は「広宣流布のために会い、勇敢に、誠実に仏縁を結んだ人は、未来において、その人が必ず自分の眷属となって、自分を護り支えてくれるようになるのだ」とも語られました。

 仏法の縁は、三世永遠です。
 「是の故に一乗を説くなるべし」と御聖訓には仰せです。
 仏は「説くべき時」が来たならば、敢然と方便の教えを捨て、一仏乗の成仏の教えを説かれました。その仏の命を受けた私たちも、遠慮や逡巡はいりません。誰人にも具わる仏の大生命を開く、これ以上ない尊極の道を、自信満々に語り広げるのです。
 私は若き日から、この御書を拝し、自らの担当する地域を、大聖人から直々にまかせて頂いた使命の国土と受け止めてきました。そう思えば、力が出ないわけがありません。

 大森地区の地区委員として、蒲田支部の支部幹事として、青年部の第一部隊の部隊長として、文京支部の支部長代理として、さらに葛飾区の総ブロック長として、全責任を担い立ちました。
 さらに、北海道・札幌の夏季地方折伏にも、大阪の戦いにも、そして山口の開拓闘争にも、師子奮迅の力で臨みました。
 広宣流布の師匠である牧口先生、戸田先生に直結して、わが宿縁の天地で広宣流布の未曾有の拡大を成し遂げてみせると心を定めて、祈りに祈り、動きに動き、語りに語ったのです。
 一切の根本は、御本尊への真剣な祈りにある。御本尊は、勝つためにあられる。これが私の大確信でありました。
 すべて「地域革命」であり、「立正安国」の大闘争です。
 人に頼ることはできない。自分が責任をもち、執念をもって、粘り強く戦う以外にありません。
 「自分の法戦場で断じて勝ってみせる!」と題目を唱え、悩み、苦しみながら、一人また一人と対話を積み重ねていく。この人こそが、広布の英雄です。その祈りに、諸天善神も仏菩薩も、必ず応えて、働き出すのです。わが地域の広宣流布を避けて、世界広宣流布はあり得ません。
 邪智謗法の日本という国で、恐れなく不惜身命・死身弘法を貫き通してきたからこそ、一閻浮提広布の道も開かれたのです。

 恩師の遺影を抱きしめて、私は昭和35年(1960年)の10月2日、世界広布に旅立ちました。明年で50年になります。
 昭和50年(1975年)の1月26日、SGIの発足にあたり、私はグアムの地に集った各国の代表に申し上げました。
 「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします!」
 これが広宣流布の先駆者の心意気です。私と共に、この心で生き抜いた先覚者がおられればこそ、今日、創価学会は世界192力国・地域に広がる民衆の大連帯となったのです。
 経文通りの悪口罵詈、猶多怨嫉の難にも、妙法流布の情熱と誇りに燃える先達たちは負けなかった。いかなる障害にあおうと、「いまだこりず候」(同1056p)との師子吼を、わが胸に滾らせ、岩盤に爪を立てる思いで信頼を勝ち広げてきたのです。
 断じて妙法を弘めてみせる!
 この責任感こそ、「貴辺にまかせ」の御金言を身で拝する法華経の行者の証しであります。
 今や、妙法の仏縁は地球上に広がり、人類史に例のない仏法共感の大潮流となりました。その先頭を行くのが皆様方なのです。
 私は国内外のどこへ行く時も、題目を大地に染み込ませる思いで唱題を重ねてきました。 強い一念の唱題は、国土の隅々にまで波動を広げます。 
 友情を広げる一歩一歩が仏縁の拡大です。苦労した分、悩んだ分だけ、喜びも功徳も大きい。その福運は、一家一族が未来永遠に勝ち栄えていく源泉となります。
 さあ、気高き地涌の友よ!
 今再び、光り輝く生命で、地域に生き生きと飛び出していこう!
 創立80周年へ、創価の大使となって、新たな仏縁を結ぶ「対話の風」を、楽しく朗らかに広げゆこうではありませんか!

  君もまた
   元初の同志の
    創価かな
   その地 その国
     勝利の旗持て

 (2009年9月24日付 聖教新聞)






Last updated  2009/09/29 10:56:43 PM
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2009/09/01
池田名誉会長講義 御書と師弟 

第25回 普賢の英知

新世代の智慧で勝て
君よ仏法勝負の勇舞を
尊き創価の父母に最敬礼


 御聖訓
  「此の経の広宣流布することは
   普賢菩薩の守護なるべきなり」
              (御義口伝、御書780p)

 「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(御書986p)
 大宇宙の全財宝よりも尊い、この一日の命を、広宣流布のために捧げて戦い切る。これほど崇高な生命の道はない。その功徳は、無量にして永遠です。
 仏にも等しい、全国の同志の皆様方の尊き奮闘に、私は妻と共に最敬礼して、強く深く題目を送っております。
 絶対に幸福になる仏法です。全同志が一人ももれなく、健康で無事故で、堂々たる人生の大勝利者になっていただきたい。これが、私と妻の祈りです。
 男子青年部の勇敢なる拡大も、頼もしい限りだ。
 女子青年部の朗らかな前進も、本当に美事です。
 広布の実戦の中で、英知と信念の人材が澎湃と伸びている。

8・31「学生部の日」
 あす31日は「学生部の日」です。さらに9月9日は「女子学生部の日」です。
 昭和37年(1962年)の8月31日、私は学生部の代表に「御義口伝」の講義を開始しました。
 万人の幸福と、平和の大建設のための生命の極理を、若さ門下が心肝に染めてもらいたい。その願いを込めて、毎月1回、約5年間、私は全魂の講義を続けました。その間、関西では「百六箇抄」、中部では「諸法実相抄」の講義も行いました。
 今回は、この「御義口伝」の御金言を拝したい。
 「此の法華経を閻浮提(えんぶだい)に行ずることは普賢菩薩(ふげんぼさつ)の威神(いじん)の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」(御書780p)
 甚深なる御聖訓です。妙法を閻浮提(全世界)に行じゆくことは、普賢菩薩の守護によって成し遂げられるのだ、との御予言であります。
 法華経28品の最終章(普賢品)には、この普賢菩薩が妙なる音楽を奏でて、大衆と共に明るく賑やかに登場します。
 「普賢」つまり「普く賢い」という名前の如く、宇宙をも包みゆく智慧をもって、一閻浮提への妙法流布を助ける。そして民衆を幸福にしゆく知性の指導者が、この普賢菩薩なのです。
 わが学生部には、この「普賢の英知」の力で、広宣流布の和合を厳護し、民衆勝利の時代を開きゆく重大な使命がある。
 学生部の結成に際して、師であられる戸田城聖先生が、「嬉しいね。私がどうしても創りたかった組織だよ」と喜ばれていたお姿が、私の命から離れません。恩師の心を心として、私は、学生部よ、青年部よ、創価の普賢菩薩たれ! と祈り、念じ、薫陶してきました。

 ここで、普賢菩薩の特質を3点にわたって述べておきたい。
 第1に、普賢とは、行動する「誓願の知性」である。
 普賢菩薩自ら、「普賢の威神の力」をもって、滅後に法華経を受持した者を徹して守り抜くことを誓っています。
 すなわち、いかなる魔性も打ち破って、法華経の行者を厳然と守護すること、そして一閻浮提の広宣流布を絶対に断絶させないことを、師に約束します。
 どんなに優秀であっても、自分の名聞名利だけを追い求める人生では浅ましい。まして恩を踏みにじるようでは「才能ある畜生」と成り下がってしまう。
 学とは、人格の勝利であり、人々を幸福にするためにある。
 師匠を持ち、哲学を持ち、学び鍛え、人々のため、社会のために行動し抜いていく。何と意義ある創価の青春でしょうか。

 第2に、普賢とは、勇敢なる「正義の知性」である。
 師・釈尊は、法華経を持つ者を誹謗する罪報を鋭く挙げられた。仏子を悩ませる悪と戦い、不退転の決意で前進する正義の陣列に連なれ! という教えです。まさに創価学会です。
 正義の和合を断じて護り抜く──その絶対の責任感と勇猛なる力を具えた生命が、普賢なのです。

 第3に、普賢とは、誠実なる「人間尊敬の知性」である。
 「当起遠迎(とうきおんごう)、当如敬仏(とうにょきょうぶつ)」(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)
 この奥義を、師・釈尊から譲り託されたのが普賢菩薩です。日蓮大聖人は、この八文字を「最上第一の相伝」と意義づけられました。広布のために戦う人を仏の如く尊敬し、大切にし、尽くし抜くことです。
 自らの才覚や地位に傲り高ぶって、庶民を見下す増上慢とは対極にある生き方です。

真の「知性」とは
 真の「知性」とは、単なる知識ではない。「誓願の行動」「正義の連帯」「誠実の振る舞い」──こうした「普賢の生命」を脈動させた、人間としての総合力なのであります。
 わが学生部も、わが青年部も、断じて、普遍の知性光るリーダーに育っていただきたい。
 それは、学歴などにとらわれない真正の実力であります。
 私は19歳で恩師と出会い、20代を恩師に仕え抜いた。私の98%は恩師から教わったものです。20代に受けた訓練が今の私を形作っています。
 戸田先生は私に個人教授をしてくださり、法律や経済・歴史・哲学・科学・天文学など万般の学問を授けてくださった。
 「一切の法は皆是れ仏法なり」(御書564p)です。
 仏法は、あらゆる学識や技術を人間の幸福のために活かし、大いなる価値を創造しゆく究極の智慧であります。だからこそ、学んだ分だけ、努力した分だけ、活用していける。
 この「戸田大学」の講義は、火花の散るような魂の触発の連続であった。25歳の時、私は日記に綴っています。
 「毎朝、冴えた頭で聴講できる自己を築かねばならぬ。負けじ魂。根性。意地」「十年後を、勝負と決めて、戦おう。十年後をみよと、勉強し、頑張ることだ」と。
 先生は常々、言われていた。
 「大作、勉強、勉強だよ。それは、仏法のことだけではない。社会全般のことはもちろん、全世界の運命のなかに自分というものを置いて、一切の発想をしていくことだよ」

民衆大学の誉れを
 私が世界の大学・学術機関から拝受した250を超す名誉学術称号も、「戸田大学」の卒業生としての報恩の栄誉です。
 それ自体、法華経に則った平和・文化・教育の運動への共鳴であり、普賢菩薩の守護の証左であると確信しております。
 青春の力は無限です。10代、20代、30代の青年が本気で立ち上がれば、時代は変わる。
 これが、古今東西の歴史の大鉄則だ。
 広宣流布は、永遠に智慧の戦です。使命の青春を生きゆく諸君は、労多きことを誉れとし、広布と社会の指導者としての真価を、深く強固に磨き上げてほしいのです。
 それが、苦労に苦労を重ねて戦い続けてくれている、皆さん方の偉大な父母の願いである。
 私は、昭和43年(1968年)の9月8日、第11回学生部総会で「日中国交正常化提言」を行った際にも、この「御義口伝」の一節を拝して俊英たちへの期待を語りました。
 今、真摯に生命尊厳の大仏法を学び、同志と共に実践する青年こそ、創価の民衆大学の誉れの学徒であると自負していただきたい。後継の君たちこそ、21世紀の普賢菩薩です。普賢菩薩の「威神の力」とは、「信心の力」にほかなりません。
 戸田先生は「最も偉大な人とは、結論するに、青年時代の信念と情熱を、生涯、失わない人だ」と明言されました。
 それぞれの分野で培った経験や見識も、妙法を根本にすることで生きてくる。そのすべてが、普賢菩薩の智慧の輝きを放ってくるのです。
 法華経の壮大な絵巻の最後に登場するのが、我らの普賢菩薩です。御書には、普賢菩薩が遅れてきたことを恐縮しながら、その分、張り切って、真剣に広宣流布に戦う様子が、ほほ笑ましく記されております。
 最後に勇んで躍り出る若き人材群が、広宣流布の勝利の決定打を放つのです。

 普賢品の正式な題名は「普賢菩薩勧発品第28」。
「勧発(かんぼつ)」とは「勧(すす)め発(おこ)させる」。つまり「励まし」という意義に通じます。大事なのは「励まし」です。
 疲れた先輩方を労(ねぎら)い、皆を勇気づけ、勝利へ勝利へ前進する。普賢菩薩とは、溌刺たる「励ましの知性」なのです。
 男女学生部、ヤング男子部、池田華陽会の健闘にも一致する力用です。
 宇宙には、刻々と新しい星が誕生している。世界的天文学者のモウラン博士は言われた。
 「自分の一番輝く時を待って、その出番の時にしっかりと輝く。そして、後輩たちが来たら、しっかりと輝かせていく。これが宇宙の方程式です」
 さあ、仏法勝負を決しゆく、不思議なる使命を帯びた若き「普賢の金星」たちよ!
 勇気と英知の生命を輝かせ、創価の永遠なる常勝の軌道を、賢く朗らかに勝ち進もう!
  (2009年8月30日付 聖教新聞)






Last updated  2009/09/01 11:17:00 PM
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2009/08/20
池田名誉会長講義 御書と師弟 
             
第24回 動執生疑(どうしゅうしょうぎ)

“限界の壁”を痛快に破れ
師弟の勝利の舞を

創価の大興隆に社会が驚嘆
梵天・帝釈が守りに護る


  御聖訓
 
「上行菩薩の
  大地よりいで給いしには
  をどり(踊)
てこそ い(出)で給いしか
           (大悪大善御書、御書1300p)


 人間の生命には、大海原よりも深く、天空よりも広大な「仏の力」が秘められている。
 日蓮仏法は、師と共に、一人一人の弟子が偉大な仏の力を引き出していく大哲理です。
 人生や社会に対して、「仕方がない」と諦める心。「こんなものだろう」という惰性(だせい)の心。その“心の壁”を破り、元初の太陽の如き仏の大生命で、躍動の人生を生き抜き、そして勝ってきたのが、わが創価の師弟であります。
 幾百千万の「人間革命」の実証に、社会も世界も驚嘆している。使命深く尊き学会員の生き方が人々の心を動かし、確かな信頼を勝ち広げてきました。

踊り出た菩薩たち
 今回は、有名な「大悪大善御書」の御聖訓を拝します。
 「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(御書1300p)──上行菩薩が大地から涌出された時には、踊り出られたのである──。

 法華経の涌出品第15では、師・釈尊の呼びかけに応じて、無量千万億の地涌の菩薩が出現する。この時、上首(最高リーダー)である上行菩薩は喜び勇んで登場したと仰せなのです。
 この地涌の出現に驚いたのは、会座(えざ)にいた弟子たちです。
 それに先立ち、師・釈尊は、三類の強敵の出来(しゅったい)など、悪世に妙法を弘めることが、いかに困難かを繰り返し説かれていた。
 ところが、そうした大闘争を喜び求めて、尊貴な仏の生命の光明を放つ菩薩たちが勇んで踊り出たのです。その一人一人には、師匠である釈尊と共に戦い抜く誇りが漲(みなぎ)り溢(あふ)れていた。

 会座の人々の疑問を代表し、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が釈尊に質問します。
 「これほどの無量の菩薩は、今まで見たことがありません。どこから来たのでしょうか?」
 釈尊は語りました。
 「私は、久遠よりこのかた、これらの大菩薩を教化してきたのである」──。
 釈尊が今世で仏に成られたとばかり思っていた人々は驚愕(きょうがく)し、さらに疑問が深まります。
 「わずか四十年余りの間に、釈尊はどうやって無数の菩薩を薫陶(くんとう)されたのでしょうか?」
 この質問に答える形で、釈尊は、如来寿量品第16に入って、久遠の過去に成道していたという永遠の大生命(久遠実成)を説き明かしていくのです。
 いわば、地涌の弟子たちの光り輝く姿によって、想像を絶する偉大なる師匠の大境涯が示されていくわけです。

 このように、それまでの小さな法に執着した心を揺さぶり、より大きな価値観へ目を開かせる説法を「動執生疑(どうしゅうしょうぎ)」(執を動じ、疑を生ず)と言います。
 末法の日本において、この「動執生疑(どうしゅうしょうぎ)」を起こしゆかれた方が、日蓮大聖人であられます。民衆を苦悩に陥れる邪義を糾(ただ)す「立正安国」の師子吼(ししく)が、傲(おご)り高ぶった権力の魔性を震憾(しんかん)させたのです。
 狂暴な弾圧は、既成勢力の動揺の表れにほかなりません。
 しかし大聖人は、身命に及ぶ迫害をも「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(御書910p)と悠然と見下ろされ、戦い抜かれた。
 「日蓮は流罪を二度までも蒙(こうむ)り、すでに頸(くび)の座にもすえられたけれども、少しも恐れなかったので、今では日本国の人々の中にも『日蓮の言うことが道理かもしれない』という人もあるであろう」(同1138p、趣意)と仰せの通りです。

 この大聖人に直結する創価学会も、日本と世界に「動執生疑(どうしゅうしょうぎ)」を呼び起こしてきました。
 源流期の国家諫暁(こっかかんぎょう)の殉難。
 草創期の民衆救済の折伏。
 躍進期の地域友好の拡大。
 そして今、仏法を根幹とした人類貢献の平和・文化・教育の大潮流を広げています。
 創価の理念も運動も人材も、旧来の精神土壌では考えられない前代未聞の壮挙である。
 真剣な皆様方の対話と行動は、日々、地域・社会に「動執生疑」の波を起こしています。
 法のため、人のため、社会のため、いかなる労苦も惜しまぬ皆様方の勇気と智慧と雄弁は、神々しいまでに、地涌の菩薩の大力用を放っているのです。

 本抄には「大悪をこれは大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき」(同1300p)ともあります。
 どんな大悪があろうと、何も嘆くことはない。深い闇も大善の旭日が昇りゆく大瑞相(だいずいそう)なのだ。これが仏法の大確信です。
 時代は乱れに乱れている。不確かな風に不安を抱きながら、流されゆく人生があまりにも多い。誰もが、心の中では正しい哲学の指標を求め始めている。
 だからこそ、確固たる信念を勇敢に誠実に語り抜く皆様方の声は、仏の声の響きとなって、人々の心を揺り動かさずにはおかないのであります。
 たとえ相手が反発しているように見えても、根底では必ず仏性が薫発されているのです。
 以前、「先駆」の九州の一人の婦人から、入会の決意を伺ったことがあります。
 「皆さんの大情熱に『動執生疑(どうしゅうしょうぎ)』を起こされ、ついに私も『蘭室の友』となれました!」
 すでに入会前から、紹介者の方と教学を学んでいたのです。
 深き哲学を持つ人生は強い。
 米国アイダホ大学のガイヤ博士も語ってくださった。
 「創価学会の方々は、自らの強い信念に生きておられる。
 強い信条、信念のもとに、人々に目的観を示し、導いていくところにこそ、宗教本来の使命はあります」と。
 世界の知性が讃嘆してくださっているように、わが創価の友の行くところ、向かうところ、必ず正義の波動が広がります。

 今回の御文の直前には、「迦葉尊者(かしょうそんじゃ)にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗(しゃりほつ)にあらねども・立ってをどりぬべし」(同p)と仰せです。
 師匠は不惜身命で大難と戦い抜き、そして勝ち抜かれた。ゆえに、その師匠に続く弟子も苦難に立ち向かうのは当然だ。
 崇高な使命の闘争に、楽な戦いなどない。試練と戦うからこそ、仏の力が出せる。苦難に打ち勝つからこそ、師と共に仏になれる。これが法華経を貫く師弟の勝利の舞なのであります。
 あの大阪の戦いも、皆が地涌の舞を舞いながら「まさか」を実現した。常勝関西には師弟の真髄がある。ゆえに負けない。
 ともあれ、大変であるほど、師弟不二の信心の力で、仏の智慧を出して、我らは戦い進む。
 その姿を、心ある人々は真摯に見つめています。必ず仏縁が結ばれ、味方は広がります。

思い切り楽しく!
 大聖人は「元品(がんぽん)の法性(ほっしょう)は梵天(ぼんてん)・帝釈等(たいしゃくとう)と顕(あら)われ」(御書997p)と仰せになられている。
 梵天・帝釈といっても、遠くにいるのではない。強盛な祈りで、わが法性(仏性)を発揮する時、その生命が梵天・帝釈として現れ、我らを厳然と守護することを忘れてはなりません。
 信心とは、究極の勇気です。その勇猛なる信心の一念で、衆生世間、国土世間をも大きく動かし、勝利していける。これが「一念三千」の極意です。

 私が戸田先生の弟子として、中国とロシアを初訪問してから今年で35年になります。
 当時は、反対や圧迫の声が渦巻いていた。しかし今や、両国をはじめ世界の五大州と結んできた平和・文化・教育の金の橋は、日本にとっても大事な命脈として感謝されている事実は、皆様方がご存じの通りです。
 法華経では、地涌の菩薩の出現によって本門が始まる。世界を舞台に、幾百万の地涌の青年が立ち上がった今、いよいよ創価の「本門の時代」の開幕です。

 戸田先生は叫ばれました。
 「前進前進、勝利勝利の創価学会であれ! そのためには、勇気と確信と真剣勝負の創価学会たれ! 断じて皆が勝つのだ。負けてはならない。これが広宣流布の方程式だ。これが自分自身の永遠の勝利の人生、すなわち仏になりゆくことだ」
 わが広布の英雄の皆様よ! 歓喜踊躍して舞う上行菩薩の生命力を漲(みなぎ)らせて、生まれ変わったように生き生きと戦おう!
 そして思い切り楽しく声を出しながら、仏になりゆく勝利の万歳を叫び、勇敢に進もう!
 (2009年8月20日付 聖教新聞)






Last updated  2009/10/07 07:09:02 PM
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2009/08/14
池田名誉会長講義 御書と師弟 

第23回 三世の勝利劇 下

未来へ 偉大な共戦譜を
「平和」とは不惜の大闘争



 「きょうはすごい功徳を話すことにする」── ある時、戸田先生は切り出されました。
 「我々はこの世に生命を受けて生きているが、決して今世だけの生命ではない。過去、現在、来世にわたって、三世に仏の大生命を体得するのである」
 我ら凡夫が三世にわたって常楽我浄の幸福境涯を会得できる。そのための信心であり、師弟の道なのであります。

 きょう8月14日は、昭和27年(1952年)、私が愛する関西への第一歩を印した日であります。
 縁深き大関西、そして東京、神奈川の友をはじめ、全国の同志は今、大聖人の仰せのままに「立正安国」の対話を広げ、「広宣流布」の拡大に挑戦してくださっている。その尊き同志の健康・長寿とご多幸、そして栄光勝利を、私は祈りに祈っています。生命の次元で、私と皆様は永遠に一体不二であります。
 また、お盆に当たり、私は亡くなられた全同志の方々に、追善回向のお題目を送らせていただいております。
 仏法の三世の生命観に照らすならば、広布の途上に逝いた同志も「寂光(じゃっこう)の往生(おうじょう)を遂(と)げ須臾(しゅゆ)の間に」(御書574p)と仰せの如く、元初の生命力を漲(みなぎ)らせて、すぐに妙法流布の陣列に戻って来られることは絶対に間違いありません。
 広宣流布のため、信心の上での苦労は、未来永遠の自身の大勝利と、一家一族の大福運に直結しています。

「君の師匠は僕だ」
 それは、昭和25年(1950年)の8月の24日。私の入信3周年の日でした。
戸田先生の事業が破綻をきたし、先生は一切の責任を担われ、学会の理事長職を辞任することを発表されたのです。
 しかし、理事長が誰になろうとも、私の師匠は戸田先生以外におられませんでした。
 「先生! 私の師匠は……」。こう申し上げる私に、先生は「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は僕だよ」と、涙を浮かべて応えてくださいました。
 この一言に勇気百倍して、私はますます畏れなく、師をお護りする戦いに打って出たのです。胸を患い、痩せ細っていた体から、鋼の如き一念で師子奮迅之力(ししふんじんしりき)を湧き立たせました。そして先生を、学会を、阿修羅(あしゅら)の如く護り抜いたのです。
 当時、私は日記に綴りました。
 「私は再び、次の建設に、先生と共に進む。唯これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」
 「歓喜で働ける日、苦しみながら戦う日、様々だ。だが、これ程、真剣に戦えば、絶対に悔いはない。倒れても、誰人も見ていなくとも。御本尊様のみ。すべてを解決して下さる」
 その絶対の誠心を一首の和歌に託し、先生に捧げました。

 古(いにしえ)の
  奇(く)しき縁(えにし)に
    仕(つか)えしを
  人は変(かわ)れど
    われは変(かわ)らじ

 恩師の不二の分身として、私は戦いました。そして勝って、師の正義と真実を、満天下に示してきたのです。

終戦の日に寄せて

 あす8月15日は、64回目の終戦記念日です。
 私は妻と共に、戦争で亡くなられた日本、アジア、そして全世界のすべての方々のご冥福を心より祈っております。
 終戦2年目の夏、国が亡んだ日本で、19歳の私は、戸田先生にお会いしました。
 師と弟子は、広宣流布という人類未聞の“無血革命”“平和闘争”に、敢然と立ち上がりました。
 そして今日、創価の平和・文化・教育の大河は、世界192力国・地域に燦然と広がっています。
 「古の奇しき縁」に目覚めた弟子は、あらゆる迫害の烈風を乗り越え、全同志と共に、この地球上に平和と人道の大潮流を創り起こしたのです。
 創価大学でも教鞭を執られた経済学者の故・大熊信行博士は、戦後日本の民主主義・平和主義のあるべき姿について、警鐘をこめて鋭く論じておられました。
 日本と世界に永続的な平和を建設するためには、「死をおそれぬ平和主義者の出現を必要とするように思われる」
 「人類を破滅からすくうためには、そのために命をささげて悔いない覚悟が、だれかれの胸中に生まれてくることが必要である」と。
 「平和」とは、観念の遊戯ではない。また、保身や宣伝のための掛け声でもありません。
 「不惜身命」の精神で、民衆の幸福のため、自らは犠牲となって戦う覚悟なくして、真の平和社会は創り出せません。
 指導者自身がいかなる哲学を持つか。その生命観・生死観・民衆観が、浅薄であれば、どんなに美辞麗句を並べても、社会を誤った方向へ向かわせてしまう。それが歴史の教訓です。

 小説『人間革命』の冒頭に、私は綴りました。
 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」。そして「愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである」と。
 三世永遠の甚深の生命観に立脚した仏法こそ、21世紀の人類を平和ヘリードしゆく最高の指導理念であります。
 初代・牧口先生、2代・戸田先生の師弟は、軍部権力の弾圧で投獄されました。牧口先生は獄中で殉教であります。お二人の命を継いだ私も、無実の罪で獄中闘争・法廷闘争に挑みました。そして巌窟王の決心で、厳然と打ち勝ってきたのです。
 戸田先生はや最も苦境の中で、私に言われました。
 「大作、私のこの世に生まれた使命は、また君の使命なんだ。私と君とが使命に生きるならば、きっと大聖人の御遺命も達成する時が来るだろう」
 今度は、わが宿縁深き青年たちが、この三代の「師弟不二」にして「生死不二」の平和闘争を断固として受け継ぎ、人類の悲願を実現してくれることを、私は固く信じています。
 8月14日は「伸一会の日」でもある。後継の伸一たちよ、不二の弟子と立て! 絶対勝利の将の将たれ! これが「師弟の契約」です。

 私の友人である、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長が語ってくださいました。
 「私は、三代にわたって大きく展開されてきた”創価の理念”が、地球上の多くの人々の心の中へと広がり、万年にわたって輝き続けることを念願しています」

「当(まさ)に前進(すす)むべし」
 さあ、平和の仏国土を建設しゆく我らの聖業は、いよいよこれからが本番であります。
 法華経で「在在諸仏土常与師倶生」と説いた釈尊は、弟子たちに呼びかけました。
 「汝等(なんだち)は当に前進むべし」
 「当に大精進を発(おこ)すべし」
 前進せよ! 大いに精進せよ! その人こそが「師弟不二」である。これが仏の遺命です。

 非暴力の英雄ガンジーの高弟バジャージは叫んでいる。
 「私は、幸せである。恐れなど、何もない。私にあるのは、ただ一つの願いだけである。それは、師とともに戦うという、この至福の喜びを楽しむことだ」と。
 戦おう! 私と一緒に勝ち進もう! 全員が19歳の青年の心意気で、“創価の師弟ここにあり”と、未来永遠に痛快な勝利劇を綴りゆこうではないか!

 新世紀
  胸張り進まむ
   師弟不二
  断固と勝ち抜き
    歴史ぞ残さむ
(2009年8月14日付 聖教新聞)






Last updated  2009/08/14 09:34:12 PM
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