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晴ればれとBlog

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池田先生の揮毫 永遠の一筆

2020.08.27
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「師弟乃誉」――この書は1983年5月、池田先生が氷川池田青年研修塾(当時)で認めたもの。氷川は、戸田先生が、池田先生をはじめ水滸会の青年を薫陶した第1回野外研修の天地である。
 
 池田先生は24日の各部代表者会議で同書を紹介し、後継の友に呼び掛けた。
 「『師弟乃誉』――これこそ、19歳の日より、私が高く掲げて走り抜いてきた、生命の最極の旗であります」「不二の君たちに『師弟乃誉』という旗を譲り託します」









最終更新日  2020.08.28 00:15:16


2018.11.23
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「共戦」――昭和54年(1979年)5月3日、池田先生が会長辞任直後に神奈川文化会館で認められた書。
 脇書には、「五十四年 五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」と記されている。

​人生の最高の勝利者に​

 先生は、共戦の二字を通して幾度も学会精神を訴えている。


「学会に尽くし抜いていく。それが私との共戦です。長い人生には、失敗も、挫折もあるかもしれない。しかし、それでも前へ進んでいくんです。いちばん大事なことは、何があろうが、生涯、学会から離れず、同志のため、広布のために、献身していくことです。自分が脚光を浴びようとするのではなく、冥の照覧を信じて、広宣流布に生き抜くんです。それこそが本当の勇気です。その時に、自身が最も輝くし、その人こそが、人生の最高の勝利者です」(小説『新・人間革命』第30巻上「雌伏」)



 ――今、仏法を持つ世界中の同志が、師の励ましを抱きしめて、幸福へ、人生の勝利へ、心の財を輝かせながら友情のスクラムを広げている。
                   (2018-12 グラフSGI 「永遠の一筆」)より

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最終更新日  2018.11.23 22:11:55
2018.10.19

「栄光の山」の揮毫

限りない勇気と希望を

「栄光の年」の創立の月を、力強く励まし合って迎えた創価の同志――北海道の友は、本年を”三代城・栄光の年”と定め、仲良く朗らかに進んできた。
「栄光の山」の揮毫は、池田先生が北海道の同志へ贈った書。北の大地は、 初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生が共に大志を育み、 そして、若き日の池田先生が、札幌、小樽、夕張と正義の闘争を刻んだ、誉れも高き''創価の三代城である。


  池田先生が、かつて友へ贈った長編詩「地平線に燃える真紅の魂」には、 万感の思いが込められている。
「天空輝く王者の太陽と / 皓々たる月光の世界の / 北海道は / 絶望の皆無の天地であり / 限りなく勇気と / 巨大なる希望を与えゆく / 歓喜と歌声の天地だ (中略)悲劇を / 喜劇に変えるのだ / 困難を / 愉快に変えるのだ」(『池田大作 全集』第45巻)
 信心は限りない希望。創価の師弟は温かな励ましの世界。北海道の友は、 尊い負けじ魂を燦然と輝かせている。​









最終更新日  2018.10.19 23:45:33
2018.05.03
池田先生の揮毫 永遠の一筆




「五月三日山」

創価の師弟は不二

 「五月三日山」 一 脇書(わきがき)には、「昭和五十四年五月三日」と記されている。池田先生が会長を辞任した、1979年(昭和54年)4月24日の直後だった。
     
 会長就任20年目の佳節(かせつ)を、全同志(ぜんどうし)が慶祝(けいしゅく)するはずだったその時に、嫉妬(しっと)に狂(くる)った退転・反逆者(はんぎゃくしゃ)や宗門僧らが創価の師弟の絆(きずな)を切り裂(さ)こうとした。先生は、その歴史の真実を小説『新・人間革命』につづり、折あるごとに語ってきた。

 「師による弟子たちへの生命の触発(しょくはつ)があってこそ、勇気と確信(かくしん)は増(ま)し、歓喜(かんき)が湧(わ)き起こる。広布に生きる創価の師弟(してい)は不二(ふに)であり、その絆は、永遠不滅でなければならない」(「雌伏」の章)

 今、師弟不二の道を歩む創価の友が、世界広布新時代の5月3日を晴れやかに迎えている。いかなる嵐(あらし)にも、不動(ふどう)の大山のごとく厳然たる師の魂(たましい)を受け継いで、地域社会に希望の風を送りながら、朗らかに躍動している。







最終更新日  2018.05.03 05:00:13
2018.04.20

池田先生の揮毫 永遠の一筆 

​「母桜」
婦人部へ   ​創価の母よ咲き薫れ!​

 ”桜は平和の象徴。いつか日本中の駅に桜の木を植(う)えて皆の心を晴れやかにしたい―”。
 かつて池田先生は少年の日に抱(いだ)いた夢を語った。 厳寒(げんかん)の風雪に負けない桜。一生懸命、戦って戦い抜いて満開(まんかい)の笑顔を咲かせ、最後の一片まで咲ききっていく。落花芬々(らっかふんぶん)、水面に落ちてなお、花筏(はないかだ)を浮(う)かべ春を彩(いろど)ってくれる。そのけなげな姿に、 人は心を打たれる。
 総本部の信濃文化会館(旧創価婦人会館)にある「母桜」。青年を育成し、未来を開く婦人部を象徴するかのように、「青年桜」を見守りながら、見事なる花を咲かせ、友を温かく包み込んでいる。
 池田先生は語る。「創価の婦人部の皆さまこそ、 勇気と希望を皆に贈りゆく、偉大な勝利の『母桜』 の存在なのである」と。







最終更新日  2018.04.20 12:39:00
2018.04.18

永遠の一筆
池田先生の揮毫



​ 「大恩」​

報恩の道を歩む
 1982年(昭和57年)9月9日、第2代会長,戸田城聖先生の誕生の地である石川県加賀市塩屋の写真アルバムを見た池田先生は、北陸青年部の 友へ「大恩」との揮毫を認めて贈った。
「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」(御書293ページ)との一節を胸に刻み、報恩の道を歩んできた池田先生。戦後間もない混乱の中で、戸田先生の事業が窮地に陥った時には、 ただ一人奮闘し、恩師を支え抜いた。また全国各地で広布の突破口を開き、師の願業である75万 世帯の折伏達成の原動力となったのである。
 池田先生は語った。
「私も、恩師・戸田先生に、人生の正しき道を教えていただいた。この大恩ある師匠に、どう報いるか。ただ、この点に、弟子の私は、青春を捧げたのである」と。
 池田先生と心一つに進む創価の友が、明年も”報恩の心”で新たな広布の歴史を築きゆく!







最終更新日  2018.04.22 16:38:24

​​​池田先生の揮毫 永遠の一筆​



「福健美」
平和は女性の幸せから!

「福健美(ふくけんび)」の揮毫には、慈父(じふ)が愛娘(あいむすめ)を見守り、また、子どもがお母さんへ花束(はなたば)を贈りゆくような温(あた)かさがあふれている。
 池田先生は、小説『新・人間革命』第13巻(北斗)に「女性の幸福なくして、人類の平和はない。女性が輝(かがや)けば、家庭も、地域も、社会も輝く」とつづった。


 皆が福徳(ふくとく)に満(み)ちて、健(すこ)やかに、心美しく―。


 師匠の心に応えようと朗(ほが)らかに、友へ妙法を語りゆく創価の女性たち。法華経では、 広宣流布にまい進していく人を、美しい「人華(にんげ)」に例(たと)えて賛嘆(さんたん)。

 先生は、その尊い友は必ず、「歓喜に輝き、功徳が薫(かお)り、人びとに幸(さち)の芳香(ほうこう)を放ち、人生の充実という満開の時を迎(むか)える」と励ましている。「大誠実」を尽(つ)くして祈る母たちを、桜花爛漫(おうからんまん)の春は包(つつ)んでくれる。


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最終更新日  2018.04.22 16:37:30
2017.05.02
池田先生の揮毫 永遠の一筆



11   「五月三日」

 絶対の信頼を寄せる関西の地で、友の勝利と栄光を願い、「五月三日」の揮毫を大書したSGI会長。
 それは第3代会長を辞任した翌年の1980年5月3日の事である。
 新たな創価の未来を開いてみせるとの決意が、雄渾(ゆうこん)の肇致(ひっち)に 漲(みなぎ)る。


 この書の脇書には、戸田会長が第2代会長に就任した「昭和二十六年五月三日」、SGI会長が第3代会長に就いた「昭和三十五年五月三日」などの日付とともに、「西暦二〇〇一年五月三日」の日付が厳然(げんぜん)と書き留(とど)められ、その後には「此の日は わが学会乃原点也」と認(したた)められている。

「我ら創価の友はいかなる試練に直面しても原点の五月三日から元初の太陽を心に燃やして勝利へ出発するのだ」とSGI会長。永遠に輝きわたる創価の魂を胸に、師の心を受け継ぐ青年たちの大行進が世界へと広がっている。(グラフSGI)


追記

〈座談会 栄光の峰をめざして〉 (2017年5月1日付 聖教新聞)より抜粋
原点の5月3日から師弟勝利の7月へ


 原田 5月の3日──この日は、創価学会の永遠の出発の日であり、広宣流布への決意の日です。
 池田先生は、「広布に生きゆく/我らの五月三日は/なんと晴れやかで明るく/なんと生き生きと/朝日の昇りゆく/心爽やかな/大歓喜の一日であろうか」と詠まれています。

 長谷川 SOKAチャンネルVODの番組「五月三日」でも紹介されていますが、先生はかつて、「五月三日」との「書」を認められたことがあります。

 伊藤 揮毫した日付として、「昭和五十五年五月三日 記す」「心爽やかなり 合掌」と書かれているものですね。

 長谷川 ええ。さらに脇書には、先生にとって、学会にとって、節目となってきた年の「五月三日」が書きとどめられています。

 伊藤 「昭和二十六年五月三日」──戸田先生が第2代会長に就任された日。

 永石 「昭和二十七年五月三日」──池田先生と奥さまが結婚された日。本年は65周年となります。

 伊藤 「昭和三十五年五月三日」──池田先生が第3代会長に就任された日。

 志賀 「昭和五十四年五月三日」──池田先生が前月の4月24日に第3代会長を辞任され、そのすぐ後に行われた本部総会の日。

 長谷川 さらに執筆から3年先となる「昭和五十八年五月三日」、そして「西暦二〇〇一年五月三日」の日付が記されています。
 
 原田 「昭和五十八年五月三日」といえば、東京会館(後の東京牧口記念会館)が新たに誕生した時であり、「西暦二〇〇一年五月三日」は、アメリカ創価大学の開学式が盛大に挙行された日です。

 このように、5月の3日には、「学会精神の真髄」があり、「異体同心の究極」があり、「師弟不二の極致」があります。ゆえに、先生は「此の日は わが学会乃原点也」と記されています。







最終更新日  2017.05.02 11:56:21
2017.04.01

永遠の一筆
池田先生の揮毫



師弟の歴史を築く

 1979年5月3日、池田先生は八王子の創価大学で、会長辞任直後の本部総会に出席。その後向かった神奈川文化会館で、「共戦」「正義」の書に先駆けて認めたのが「師弟山」の揮毫である。

 5月3日―この日には師弟の歴史が刻まれている。
51年、初代会長、牧口先生の後を継ぎ、第2代会長に戸田先生が就任。
 60年には第3代会長に池田先生が就き、恩師の構想を次々に実現。さらに学会は世界へと雄飛し、192ヵ国・地域へと広がった。
 師の誓願を自らの誓願とし、いかなる烈風にも揺るがない”師弟不二の山”を築き上げた創価三代の会長。

 池田先生は後継の弟子へ呼び掛けた。
「我らは、題目の獅子吼を響かせながら、「師弟常勝の山』をいよいよ異体同心 で、いよいよ威風堂々と聳え立たせていこうではありませんか」と。

(2017年4月号 グラフSGI)








最終更新日  2017.04.25 11:27:13
2017.03.21


19  「青年よ世紀山」

 1982年5月、池田先生は長崎を訪問。滞在中、諫早文化会館の敷地内にある「長崎池田青年塾」で未来を担う若き英雄たちに思いをはせて墨書したのが「青年よ世紀山」の揮毫である。

 その前年の12月、同じ九州の地で、世界に向けて長編詩「青年よ21世紀の広布の山を登れ」 を発表。
 当時、九州をはじめ全国では悪侶による謀略の嵐が吹き荒れていた。その中で、後継の弟子は師との誓いを胸に、学会員を断じて守ろうと創価の旗を掲げ戦っていた。''青年しかない。 青年が立ち上がる時が来たのだ!一一池田先生は険しき21世紀の世界広布の山を登りゆく 同志を、寸暇を惜しんで励まし抜いた。
「世界広布新時代青年拡大の年」である本年、山また山を越え、青年の気概に燃える友が新たな決意で、朗らかに前進している。

(2017年1月号 グラフSGI)






最終更新日  2017.04.25 12:33:53

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