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東日本大震災

2019/03/12
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カテゴリ:東日本大震災

共に歩む 岩手 宮城 福島の友の8年

みちのくの大地を照らす旭日(福島で)​


  東日本大震災から8年。この間、自ら被災しながらも、目の前の一人に「励まし」の光を送り続けてきた創価の友がいる。そこには、苦楽を共にする心と心の絆があった。岩手・宮城・福島の友の「8年の歩み」を追った。


  震災後、岩手県・大槌町の黒澤修一さんは、同志のもとを訪ねる機会が増えた。
「やっぱり気になる人が多くてね。元気がないなと思ったら、すぐに会いに行くようにしています」
2015年から圏長を務める三陸常勝圏は、釜石市と大槌町が広布の舞台。婦人部や先輩幹部と協力し、日常的な声掛けを大切にしている。
 津波で甚大な被害を受けた岩手県沿岸部。黒澤さんも、自営の理容店が一瞬にして流されてしまった。
だが、“もっと大変な思いをしている人がたくさんいる”と、直後から避難所の立ち上げなどに奔走。組織では支部長として、妻の典子さん(支部婦人部長)と共に「こういう時こそ信心しかないね」と激励に歩いて回った。
「それでも、家族を亡くした人には正直、何も言えなかった。ずっと横で話を聞いて、『一緒に頑張っていこう』って言うのが精いっぱいでした」
 
一緒に頑張っていこう
 以来、同志と会う際は、これまで以上に聞き役に徹した。その中で、最初は玄関先だった人が家に上げてくれたり、ふさぎ込んでいた人が悩みを打ち明けてくれるようになったり……。徐々にではあったが、皆が前向きになっていくのを感じた。
 20歳で学会に入会した黒澤さん。原点は、東京・豊島区での男子部部長時代。何度通っても会えない部員がいた。
 諦めずに手紙を書き続けると、偶然出会った彼から、思いがけず感謝の言葉が。やがて一緒に学会活動に励めるようになった時、「人が変わっていく姿にこそ、信心の一番の醍醐味がある」と実感した。
 友人の応援で現在の理容店を再開し、間もなく3年になる。店には散髪に、お茶飲みにと、さまざまな人がやって来る。仕事や生活の相談に乗ることも多い。
先日も、一人の壮年が、ふらっと店に入ってきた。家族や自宅を失った同志が励まし合う姿に感動し、震災を機に活動するようになったメンバーだ。
 それまでは座談会場の片隅に座っているだけだった彼が、今では地区部長として、共に涙を流しながら、 被災した同志に寄り添っている。さらには亡くなった妻の分も「息子の嫁を折伏したいんだ」と。その思いを知り、黒澤さんは胸が熱くなった。
故郷に戻って24年。帰るべきか迷っていた時、背中を押してくれたのは「広宣流布の総仕上げは東北健児の手で」との池田先生の指針だった。その誓いは震災を経て、一段と強くなっている。
 被災地では、目に見える復興が進んだ分、被災者の本音が見えにくくなっている。「皆、表向きは元気でも、じっくり話すと苦しい胸の内が出てきます。でも、同時に必ず口にする言葉があるんです。“あの時、誰々さんが来てくれたから今がある”“あの励ましのおかげで、どうにか乗り越えてくることができた”って」友の心にともされた“励ましの灯”を絶対に消さない。それが自分の使命だと黒澤さんは決めている。
 
心に手を差し伸べる
 「あの頃は、歩きながら声を出して泣いていました。部員宅に近づくと、そっと涙をふいて。でも、同志の存在って不思議。励ましに行ったつもりが、逆に“村岡さんも大丈夫ですか?”と声を掛けてくれてね。また、涙がこぼれてきて……」
 宮城県多賀城市の村岡菊枝さん(宮城太陽県婦人部主事)は、当時を感慨深く振り返る。
村岡さんの自宅は塩釜港から直線距離で約2キロ。津波によって、大規模半壊となった。
 震災時は婦人部員宅を訪問中だった。揺れが収まるのを待ってから、自宅へ。ラジオで“津波警報が発令された”と報じられ、ただ事ではないと思った。急いで車に乗り、高台に向かったが、道路は大渋滞。やむなく、その場に車を置き、多賀城市文化センターまで走った。乗り捨てた車は流されていた。
 センターでの避難生活が始まったが、いてもたってもいられず、同志の安否確認へ。1カ月間で3足の長靴をはきつぶしたという。村岡さんは当時、地区婦人部長を兼任していた。「幾つもの避難所を回り、地区の全メンバーの状況をつかむまで歩き続けました」
 自ら被災しながらも、同志のもとに向かう原動力は何だったのか。
「大切な同志を一人たりとも、ほうっておけない。“どうしよう”と考える余裕もなく、体が勝手に動いていたんです。長年、信心してきて身にしみついていたんでしょう」


 村岡さんは今年の6月で入会65年となる。多賀城市に越して40数年、一軒一軒、自ら歩き、語ってきた分、地域に精通している。「村岡さんに聞けば、何でも分かる」と周囲の信頼も厚い。
 この8年間、自宅の再建や夫の大病をはじめ苦境に直面してきたが、励ましの歩みを止めたことはない。「自分が苦しんだ分だけ、友の悩みにも、より深く寄り添えるようになった気がします」
現在、村岡さんは復興団地がある地区を担当している。「普段の生活で震災のことを語り合う機会はほとんどなくなりました。ただポロッと出る一言から、震災後の心の変化を感じることがあります」
 団地で1人暮らしをするメンバーは、「寂しいね」とよく口にする。自宅を失い、住み慣れた場所を離れざるを得なかった。かつての隣近所との“つながり”がなく、誰とも話さない日もあるという。
村岡さんは今、こうした“心の隙間”に手を差し伸べるように、小まめに足を運び、話に耳を傾けている。
「なかなか本当の気持ちが見えづらくなっています。電話で本音は出てきません。だから祈り、直接会い、話を伺う。この励ましが今、地域に必要な時でしょう。特別なことは何一つできませんが、これからも、同志と語り合っていきます」
 
人のつながりを大切に
 唐木幸恵さん(福島常磐総県副婦人部長)は“500キロ”の距離を超えて、同志に励ましを送り続けた。
福島第一原発事故が起きた後、富岡町の自宅から中通りの小学校に避難した。だが、身重の次女と高齢の両親を連れていた一家は、やむを得ず、夫・義則さん(副総県長)の実家がある長野県へ。
 当時、福島旭日県の婦人部長。同県内には原発があり、誰もが不自由な生活を強いられた。「地元にいられない申し訳なさに、初めは悶々としました。ですが、婦人部の先輩から激励を受け、“できないことを数えて嘆くのはやめよう。できることをやっていこう”と決めたんです」
 その年の6月から、唐木さんは月に数回、車で長野と福島を往復した。すでに次の避難先へと移転し、会えない時もあったが、友のもとへ足を運び続けた。
 訪問した先で、共に広布に駆けた婦人部員から、家族を津波で失ったことを知らされる。肩を抱き、手を握り締め、一緒に泣くことしかできなかった。
 その時からずっと彼女の幸せを祈り続け、数年がたった昨年の4月。自宅を訪ねた帰り道、“あの日”以来、初めて彼女が亡き家族の話をしてくれたことに気付いた。
「時間がたっても悲しみは消えません。今になって口にできることもあれば、心の奥にしまっていた傷が表に出てきている人もいるように感じます」
 やり場のない思いをぶつけられることもあった。そんな時は、決して結論を出さず、相手が自分で答えを出せるまで、1時間、2時間と待った。
「同志はおろか、隣近所も散り散りになってしまった今、どうやって学会活動していけばいいか分からない」と嘆く楢葉町の婦人部員がいた。彼女の不安な思いにじっと耳を傾けた唐木さんは「私はね、一度関わった人は、この手から離さないよ」と。
 その気持ちがあれば、どんな形でも励ましていける――それを伝えたかった。
「唐木さんのあの言葉、忘れられません」と振り返るその友は、楢葉町に戻り、同志と声を掛け合いつつ、地域広布に尽くす。


 富岡町の自宅が帰還困難区域にある唐木さん。昨年3月から、いわき市に居を構え、現在は楢葉町、川内村、広野町などに住む同志の所へ通っている。
 避難先から戻った人たちからは、知った顔がいなくなった寂しさを耳にすることも。「だからこそ、同志の“つながり”を強めていきたい。一人も置き去りにしたくない」と、唐木さんは力を込める。
「私たちは震災と原発事故で多くのものを失いました。そこに残ったのは、人と人との“つながり”でした。でも、それこそが、池田先生が最も大切にされてきたものなのではないか、と気付いたんです。その絆を結んでいく励ましが、広宣流布なんだと思います」


(2019年3月12日 聖教新聞)







Last updated  2019/03/12 11:56:49 PM
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2019/02/09
カテゴリ:東日本大震災

​​​​みらいへの記 
岩手 高田新生支部 東日本大震災から7年11カ月
太陽のように明るく

三陸沿岸に広がる陸前高田市。町の再建が一歩ずつ進む。昨年末には、隣接する気仙沼市へと通じる気仙大橋も復旧した

 今月11日で、東日本大震災から7年11カ月。本連載では毎月、「今この時」の被災地の姿を紹介する。
今回は、岩手県陸前高田市の高田新生支部を訪ねた。

 震災遺構の旧気仙中学校の横を通り抜け、市内を見渡せる高台へと向かった。


 津波によって、県内最大の人的被害に見舞われた陸前高田市。町は一瞬にしてのみ込まれ、多くの尊い命が犠牲となった。​​


 8年近くがたった今、沿岸部には巨大な防潮堤が建設され、市街地は土地がかさ上げされている。


 名勝・高田松原は、津波で約7万本の松が壊滅。唯一耐え残った「奇跡の一本松」は、震災から立ち上がる人々の“希望の象徴”となってきた。白砂青松の景観の復活を待ち望む声は強く、一帯では再生に向けた作業が開始されている。


 一昨年春、復興への歩みを続ける市の中心地に大型商業施設「アバッセたかた」がオープンした。「あばっせ」とは「一緒に行きましょう」という地元の方言だ。


 同施設には市立図書館が併設され、周辺には店舗も開店。新たなにぎわいが生まれ始めている。


 さらに昨年、三陸沿岸道路の唐桑高田道路の一部が開通し、JR大船渡線のBRT(バス高速輸送システム)等が乗り入れる「交通広場」も完成。水産業の活性化や観光客の拡大などへの期待が高まっている。


 その一方、震災後、市の人口は減少し、高齢化が加速。地域が抱える課題は少なくない。


 だからこそ、大好きな陸前高田をもっと元気にしたい――それがここで暮らす人々の願いであり、この町を使命の舞台とする創価家族の祈りでもある。


                      ◇ 
 

「地域も学会の組織も、多くの人たちの応援があって、ここまで復興することができました」


 今野睦支部長が、7年11カ月を振り返り、しみじみと語った。


 震災前年の10月、今野さんは単身赴任先の静岡から陸前高田市に戻ってきた。


 “千年に一度”の災害が起きたのは、その5カ月後。自宅の被災は免れたものの、想像を絶する惨状に言葉を失った。津波はかけがえのない同志の命をも奪った。


 「もっと一緒に学会活動がしたかった。悲しみは消えませんが、“彼らの分まで広布に尽くそう”――その思いで進んできました」


 この間、支えになったのは、聖教新聞などを通して届く池田先生からの励ましであり、全世界から寄せられる共戦のエールだった。
 音楽隊の「希望の絆」コンサートや、来日したSGIメンバーとの交流も、どれほど力になったことか。長期の復興事業で訪れた県外の同志からも、たくさんの勇気をもらった。


 その中で師匠の誕生日である昨年の1月2日、今野さんの妻・眞津美さん(三陸旭日県副婦人部長)が、近隣の友人に弘教を達成。対話のきっかけとなったのは、本紙の配達だった。


 5月には、編成替えに伴い、市の学会組織が「高田新生支部」として新出発。広宣流布大誓堂完成5周年

の11月には、壮年世代の友が入会し、生まれ変わったような“新生の息吹”が支部内に広がっている。


 釜石良子支部婦人部長は誓う。「亡くなった同志に恥じない生き方をしたい。追善の題目を送らない日はありません。皆さんが幸せになるために、一人一人に寄り添い、太陽のように明るく前進していこう――それが私の決意です」 


佐々木二久さん(副県長)


 震災の翌日から、妻(秀子さん=総岩手副婦人部長)と共に同志の安否確認と救援活動に動きました。ここまで歩んでくることができたのは、池田先生からの度重なる激励があったからです。ありがたいことに、一昨年には新会館(大船渡文化会館)も開館しました。


 仕事では、1級建築士として現場を回り、地域の建物を一つ一つ再建してきました。組織では、ブロック黄金長も兼任し、訪問・激励に取り組んでいます。


 私の誇りは、「人間革命の歌」が発表された日に入会したことです(1976年7月18日)。“千年に一度”の災害を乗り越えたのだから、千年分の福運が付き、素晴らしい境涯が開かれていくに違いない――そう確信しています。


村上俊子さん(婦人部副本部長)


 震災で大切な同志や友人たちが亡くなりました。経営していた美容室のお得意さんもです。毎朝毎晩、題目を送っているけれど、思い出すと悲しくて、すぐに涙が出てきます。


 自宅もお店も失い、大船渡に住む次男の所に避難しました。しばらくして息子に言われたんです。

「やらなきゃいけないことがあるんじゃないのか」って。その一言で目が覚めました。


 以来、高田民謡愛好会の会長や老人クラブ連合会の副会長として、慰問活動などを続けています。


 現在は、陸前高田の高台にある古い家を購入して住んでいます。先日、東京の創価高校に通う孫が電話

をくれました。本当にうれしかった。孫やひ孫の成長を楽しみにしながら、元気に過ごしていきたいです。


戸羽勝安さん(副本部長)


 陸前高田に家を建て直して2年半になります。新しい仏壇の前で朗々と題目を唱えることができる――これ以上の喜びはないです。


 これまでの道のりを振り返ると、ただただ「感謝」しかありません。自宅兼職場が流され、長年営んできた塗装業の廃業も考えましたが、皆さんのお役に立ちたい一心で、今も続けることができています。


 池田先生に最高の恩返しがしたいと、2013年5月に続いて、昨年11月にも弘教を実らせることができました。題目だけは誰にも負けないとの心意気で、これからも唱題根本に、折伏と後継者の育成に頑張っていく決意です。


高橋香代さん(支部副婦人部長)


 2013年1月17日、お父さん(夫の俊雄さん)が病で亡くなりました。その時は頭が真っ白になり、海外で暮らす娘にもかなり心配をかけました。でも1年後の命日に、初孫が生まれたんです。それが生きる希望になりました。


 私の原点は1973年2月20日。東京・渋谷の青年部の一員として、池田先生と記念撮影を行ったことです。“題目は「出発」であり「目的」です”とのご指導は、人生の指針です。


 当時、住んでいた地域には立派な個人会場がありました。いつか私も広布の会場を提供できる境涯に――その願いをかなえてくれたのはお父さんでした。


 お父さんを折伏したのは私です。でも入会後は、逆に私のことを引っ張ってくれるようになりました。
 震災時、学会の救援物資を運ぶ拠点となった自宅には、お父さんの思いがたくさん詰まっています。いつまでも皆さんに使ってもらうために、健康第一で生きていきます。
 
 


東北のチカラ――識者が語る


岩手日報社 代表取締役社長 東根千万億氏
全ては一人の変革から

  2011年の東日本大震災の時、私は編集局長でした。惨状に心を震わせながら報道に当たり、会議では編集幹部たちに、こう説きました。
​​

 「千年に一度の災害なら次に起こるのは31世紀。31世紀に記録を残す気概でやろう」


 この思いは今も全く変わりません。
 震災直後から記者たちは避難所を回り、延べ5万人の避難者名簿を掲載。その後も被災地の方々の姿を報道し続けました。犠牲者を追悼する企画も立ち上げました。遺族から生前の顔写真をお借りし、紹介文を添えて掲載。生きた証しを記録することで尊厳を守ろうと考えたのです。


 さらに私の後任の編集局長のもとで、後世への教訓のための企画「犠牲者の行動記録」も連載しました。犠牲になった方々が、地震発生から津波襲来までどう行動したかを、遺族に取材して再現したのです。インターネットとも連動させ、一人一人の避難の軌跡を線で表現して動画として見られるようにしました。


 こうした一連の報道は11年と16年に新聞協会賞を受賞しました。ご協力いただいた遺族、県民の皆さまにあらためて心から感謝申し上げます。


 取材に走った記者たちは悲しみや葛藤を抱えながら、地方紙記者としての崇高な使命を確信したと思います。


 記者だけではありません。震災当時、小学6年生だった子どもたちは今年、成人式を迎えました。震災を経験した青年や子どもたちは立派に育っています。彼らは“苦しんでいる人や地域のために何かをしたい”という使命感が強く、地域や国を越えて励ましを送ってくれた人々への感謝の心を持っています。


 岩手の青年たちを見ると、使命感と報恩感謝の決意が人を急速に成長させると実感します。そしてその思いこそが岩手、東北の大きな力だといえるのではないでしょうか。


 私は生きていく上で「想像力」と「創造力」が大事だと考えます。人の痛みを知り、人の有り難みを知ると、人を思う想像力が深まります。それが価値を生む創造力を培う糧になると思います。その意味では、「価値創造」という言葉に名称の由来がある創価学会の哲学に、共感を覚えます。


 価値を創り、よりよい社会を築くために人はどう行動すべきか。ある日の聖教新聞1面に「『世界』の変革は『一人』から」とありました。


 私は仕事の合間を見て、郷土の文化を残すために、民謡「南部牛方節」の伝承に取り組んでいます。岩手で数百年間うたい継がれながら、近年ほとんどうたわれなくなった歌です。私一人でもうたい継いで後世にリレーします。先の聖教新聞の言葉を目にした時は力を得る思いがしました。


 一人の変革から――その生き方、哲学の模範として池田先生に学ぶところ大です。その励ましは時代を超えて、世界中に広がっています。


 かつて、池田先生が東北に寄せられた長編詩「みちのくの幸の光彩」(1988年)に私は感銘しました。そこには、こうつづられています。


 「幾千万の無告の民の/慟哭の声を飲みこんできた/虐げられし東北の民衆史/なればこそ/民衆の時代という輝かしい世紀への/未聞の架橋作業にあって/みちのくの君たち あなたたちこそ/主役でなければならない/王座に遇されて当然なのだ」


 岩手、東北は古来、天災と人災による度重なる苦しみを乗り越えてきました。支配をもくろむ野望の徒に踏みにじられ、苛政の重圧にも耐えてきました。


 池田先生は東北の歴史や悲しみを深く理解し、東北人の人間性をたたえ、励ましを送り続けてくださっています。


 今、世界が東北を注視しています。まさに、長編詩につづられた通りの時代になりました。次世代、少年少女たちが希望を持てる社会を築くため、「一人の変革から全てが始まる」との信念を胸に、私たちも県民の皆さまと共に前へ進んでまいります。


 あずまね・ちまお

 1952年生まれ。岩手県出身。早稲田大学卒業後、株式会社岩手日報社に入社。報道部長、事業局長、編集局長などを経て、2014年6月、代表取締役社長に就任。著書に『SOSツキノワグマ』など。


(2019年2月9日   聖教新聞)







Last updated  2019/02/09 08:15:25 PM
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2018/03/11
カテゴリ:東日本大震災

小説「新・人間革命」第25巻「福光」の章
福光1より

 春を告げよう!
 新生の春を告げよう!
 厳寒の冬に耐え、
 凍てた大地を突き破り、
 希望の若芽が、
 さっそうと萌えいずる春を告げよう!

 梅花は馥郁と安穏の園を包み、
 桜花は爛漫と幸の歓びを舞う、
 民衆の凱歌轟く、勝利の春を告げよう!

 踏まれても、踏まれても、
 われらは負けない。
 どんなに、どんなに、
 激しい試練に打ちのめされても、
 頭を上げて、われらは進む。
 前へ、前へ、ただただ前へ!
 怒濤がなんだ! 大風がなんだ!
  
 われらには、
 不撓不屈の「みちのく魂」がある。
 わが胸中には、
 地涌の菩薩の闘魂が燃え、
 仏の慈悲の大生命が、
 金色燦然と輝いている。
 われらには、
 この世で果たさねばならぬ
 久遠の大使命がある。
 万人の幸福と社会の繁栄を築く、
 創価の師弟の大願がある。
  
 君よ!
 「悲哀」を「勇気」に変えるのだ。
 「宿命」を「使命」に転ずるのだ。
 暁闇を破り、
 わが生命に旭日を昇らせゆくのだ!
 「みちのく」に春を告げる
 新生の太陽となって躍り出るのだ!


東北 心の福光 プロジェクト​​







Last updated  2018/03/11 06:10:08 AM
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カテゴリ:東日本大震災

平成23年3月11日(金)午後2時46分、東日本大震災が発生しました。

マグニチュード 9.0 震度 7  津波の高さ 仙台港:7.2m 石巻市鮎川:8.6m以上


被災地の方々を忘れてはならない! 負けでたまっか!

​​みやぎ復興情報ポータルサイト
いまを発信!復興みやぎ(宮城県震災復興本部)​​

​​ 東北 心の福光 プロジェクト


地面に書いた「復興するぞ!」
震災直後の2011年4月、自宅兼店舗跡に黒澤健一さんらが記した文字。













Last updated  2018/03/11 06:00:14 AM
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2017/03/12
カテゴリ:東日本大震災
東日本大震災直後の激励のメッセージ 2011年3月の「わが友に贈る」抜粋 






Last updated  2017/03/12 07:30:45 PM
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2017/03/11
カテゴリ:東日本大震災
「がんばろう!石巻」
 この看板が最初に設置されたのは、震災1カ月後の4月11日。「(震災に)負けたくない」と黒沢健一さんが、流失した自宅兼店舗跡地に、友人の佐藤光敏さんらと、がれきの材木などを集め、がれきの合板に太字でメッセージを書いて自宅跡に立てた。
 復興のシンボルともなり、花を手向ける場になり、追悼集会も開かれる。
 かさ上げ工事により移設されて、看板は2代目となり、復興祈念公園となっている。
 黒沢さんは「初代は自分と住民を奮い立たせるために立てた。2代目は震災の教訓を伝える役目も持たせたい」と話している。

なお、5年間持ちこたえた、初代の看板は、5年間の汚れやホコリ取り、東北歴史博物館に、東日本大震災を、伝えていくものの一つとして保存されたそうです。

がんばろう石巻の会

NHK 石巻「看板物語」









Last updated  2017/03/11 07:00:15 AM
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カテゴリ:東日本大震災

  3月11日 午後2時46分、東日本大震災が発生。

 直ちに学会本部と仙台の東北文化会館はじめ被災地に 「 災害対策本部 」 が設置され、全国規模で迅速に対応に当たった。
  被災地の各会館は一時避難所として被災者を受け入れ、支援物資の調達と供給ルートを確立。最終的に東北を中心に42会館が一時避難所として開放され、会員であるなしを問わず、約5000人の避難者を受け入れた。

 交通も通信も寸断され、孤立する被災地で多くの学会員が人命救助、安否確認、被災者支援に不眠不休で動いた。
 自らも被災し、疲れ果て、大切な人の行方が分からない苦悩をかかえながら、「もっと大変な人のために」と救援に尽くした。
 学会の災害対策本部が送った支援物資は、簡易トイレ約6万点、衣類約2万4000点、寝呉約4700点、生活用品約18万3000点、飲料・食料品約29万 6000点、薬品類約4万600点、その他の備品類約3万3400点と、合計で約64万点におよんだ。
 各地からのボランティアの延べ出動人数は3カ月余 で2万人を超えた。

 東日本大震災の時、被災地3県の各創価学会の会館には会員を始め、避難したその多くは近隣住民の非会員であった。その避難者の数は多い時では5,000人にもおよんだ。
すぐに必要な救援物資を学会は即座に自発的に行動し、驚異的な支援を繰り広げて行きました。

 学会は、池田名誉会長の思いを踏まえ、半世紀以上前の会長就任から一貫して、会員ひとりが地域社会に根ざし、地域社会に貢献することを教えてきた。そしてこの被災した会館でも以前から地域に開かれた会館運営を心掛け、例年『近隣友好の集い』が行われてきた。その集いで各会館責任者は、『地震などの災害があった場合、この会館を避難所として是非使ってください」と、そして、池田名誉会長のメッセージを述べるのが恒例となっていた。その事が、会館に多くの非会員である避難者が集まった要員でもある。

 各会館に集まった避難者たちに対し、学会員たちは困難な状況の中、全力で真心の対応をした。
『学会の会館に避難してこられた方々を、一人残らず絶対に守らなければならない、』との思いからである。
 学会員の努力で確保された食糧、今回の震災で、多くの公的避難所も食料の確保に苦慮した。
 そんな中、学会の会館では比較的潤沢に食べ物が用意された。
 それは学会員の様々な努力の結果、確保されたものなのである。
 例えば、東北文化会館では、会館管理者や女子職員が、総出で、徹夜でおにぎりを作った。
 会館にあった無洗米と婦人部員が自宅から持ってきてくださったお米を、非常用電源で近隣から借りてきた8つの炊飯器を、交互に使って炊きだしたそうだ。
 会館管理者や女子職員と避難してきた婦人部員や女子部員、それに高校生や小・中学生までが手伝ってくれて、みんなでおにぎりを握った。
 おにぎりは常時10人ぐらいでにぎりました。避難者が千人を超えてからは、カップラーメンを出すにもお湯を沸かすところから始まるので、大変苦労した。
 関西から届けられたガスボンベが1,000台、そのうちこの会館では300台をフル回転で使う。
兵庫県の創価学会からは、震災翌日に沢山のポットが届けられました。
『阪神淡路大震災の経験から、こういう時に必要なものがわかる』と感動したそうです。

 被災した避難所の中では、食べ物がいきわたらない状況がでていた中で、創価学会の会館には食べ物が沢山あるらしいと言う被災者の間で口コミで広がり、避難者ではないのに、食事の時だけ、地域の人が、会館に来る例もあった。
 会館の責任者は、そうした人の存在に気づいていても排除したりはしなかった。
 創価学会の原田会長は震災発生後の3月17日に早くも宮城の被災地を訪れ、激励に奔走した。
 その際、避難してきた学会員一人ひとりに握手をかわしたが、その列の中に、学会員ではない婦人が混じっていた。
「会長さん、本当にお世話になっています」
 そう言ってその女性は深々と頭を下げたのだが、会館に居た学会員たちは彼女をしらなかった。
 数日後、地域の学会幹部の方が、会館に来ていた女性を見つけ声をかけて話を聞いてみた。
 彼女は次のように言ったという。
『実は私は近くに住んでいるものです。この会館に行けば食べ物があると聞いて、ごはんだけ頂きに来ていたのです。みなさんそんな私にも温かく接してくださって、本当に助かりました。
 会長さんが来られたと聞いて、一言お礼を申し上げたいと思ったんです。』

 創価学会は、震災直後、会館を自主的に一時避難所として提供。42会館で5,000人の被災者を受け入れた。

                         「東日本大震災―創価学会はどう動いたか」より引用









Last updated  2017/03/11 01:00:04 AM
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2017/03/10
カテゴリ:東日本大震災






Last updated  2017/03/10 11:00:43 PM
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2016/03/11
カテゴリ:東日本大震災
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Last updated  2016/03/13 12:16:40 AM
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2013/03/12
カテゴリ:東日本大震災
 東日本大震災の三回忌となる11日、犠牲者を追善回向し、被災者の幸福・安穏と被災地の復興を願う「復興祈念勤行会」が、東北をはじめ、全国の主要会館や世界の各地で行われた。

 池田名誉会長は東京・新宿区の創価学会第2別館で厳粛に勤行・唱題し、原田会長は信濃町の学会本部別館で代表と勤行した。

 また、名誉会長は被災地の友にメッセージを贈った。
 その中で名誉会長は「この2年、皆様方が、どれほど深い悲しみを抱かれ、どれほど大きな苦難に挑みながら、生き抜いてこられたことか。戦い抜いてこられたことか。本当に本当に、よく頑張ってこられました」と友の不屈の信心を讃え、御本仏は全て御照覧であると述べた。

 そして、我らの題目は、亡くなられた方々に必ず届いていると語り、「生死は不二であるゆえに、今日の、この会座にも、喜びの生命で連なっておられます。 瞬時も離れず、皆様方の生命の中におられます」と強調。

  強盛に妙法を唱え、同志と仲良く朗らかに、「常楽我浄の人生を」「福光の勝利の姿を示しゆかれる一 日また一日」にと念願した。

(2013年3月12日付 聖教新聞)






Last updated  2013/03/12 10:24:48 AM
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