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世界宗教の仏法を学ぶ 池田先生の指導・励ましから

2018/11/17
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​世界宗教の仏法を学ぶ 池田先生の指導・励ましから
第11回=完 座談会――善知識たる友の集まり


 連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。最終回となる今回のテーマは「座談会」です。

「大白蓮華」の巻頭言から
 「座談会」は、創価学会の伝統であり、今や、「ザダンカイ」として、世界中で開催されています。池田先生は、世界広布の推進力となってきた座談会の歴史と精神について、折々に指導しています。
 牧口常三郎先生は、戦時中、特高刑事の陰険な監視と怒号にも怯まず、忍難弘通の座談会を一貫して断行なされた。逮捕される直前も、伊豆・下田で座談会を悠然と行われていた。
 先生への弾圧の起訴状では、2年間で240回以上にわたって、座談会を開催したことが、その理由の一つとされている。
 戸田城聖先生が、出獄後、巌窟王(がんくつおう)のごとく学会再建の火蓋を切られたのも、座談会であった。
 昭和21年、戦後最初の座談会で、戸田先生は、殉教の牧口先生と三世永遠に共に戦う決意を天下に宣言なされた。
 ゆえに、この広布推進の座談会は、我ら後継の弟子にとって、初代・二代の「不惜身命」の学会精神をたぎらせ、晴れ晴れと意気軒昂に、真剣勝負で臨みゆく師弟一体の法戦場であることを、忘れてはならない。(2006年10月号「座談会こそ広布の源流」)
                     ◇◆◇
 私は座談会で、師匠とお会いすることができた。
 私は座談会で、大仏法を学び、実践してきた。
 私は座談会で、愛する同志と一緒に、日本そして世界へ、広宣流布の拡大を起こしてきた。
 私は座談会が、何よりも大好きだ。


 法華経の薬王品には、「如清涼池(にょしょうりょうち)」と説かれる。
 すなわち、清らかで涼やかな池は、渇きに苦しむ人々の心身も満たすことができる。その池の如くに、妙法には、生老病死の苦悩から一切衆生を解き放つ大功力が漲(みなぎ)っているという譬喩(ひゆ)である。
 “心の砂漠”が広がる社会にあって、座談会は、集い来る友が、皆、生命を満たし、蘇生していくことのできる「如清涼池」のオアシスといってよい。
 御本仏日蓮大聖人は、明快に宣言なされた。
 「仏になるみちは善知識にはすぎず」「善知識たいせちなり」、そしてまた「而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり」(御書1468ページ)と。
 「一生成仏」のために、最も大切であり、しかも最も値い難き存在が「善知識」だ。この善知識たる友と友の集まりこそが、創価の座談会なのである。
                     ◇
 座談会は参加者全員が主役だ。老若男女を問わず、皆、大地から躍り出てきた地涌の名優ではないか!
 1人1人が汗と涙でつかんだ体験は、何ものにも代え難い「人間革命」の感動のドラマではないか!
 どんなに悩みを抱え、どんなに疲れ果てていても、必ず元気になれる。前向きになれる。勇気が湧いてくる。これこそが、座談会という幸福劇場なのだ。
 今や世界中で、「ザダンカイ」が朗らかに行われている。あらゆる差異を超え、地球民族の心に生命尊厳の哲理の火を灯し、人生や国土のいかなる試練にも負けない活力と連帯を生み出しているのだ。
 人類が待望してやまない新たな「対話の文明」を創造しゆく無限のエネルギーが、座談会にはある。(2017年11月号「ザダンカイは元気の幸福劇場」)

理解を深めるために


自他共に福徳を積む会座
 仏法は、その出発点をたずねれば、小さな「法座」、つまり“座談会”でした。
 釈尊は覚りを得た後、5人の旧友との語らいから、説法を開始しました。
 大聖人も「少少の大衆にこれを申しはじめて」(御書894ページ)と、少人数の会座から、末法広宣流布の法戦の幕を開けられたのです。
 戦後の学会の再建も、座談会からでした。
 ここでは、仏法の集いを開く功徳について学びます。


 法華経の随喜功徳品(ずいきくどくほん)第18には、「勧めて坐(ざ)して聴(き)かしめ、若しは座を分(わか)かって坐しめば、是の人の功徳は、身を転じて帝釈の坐処(ざしょ)、若しは梵天王の坐処、若しは転輪聖王(てんりんじょうおう)の坐する所の処を得ん」(法華経521ページ)とあります。
 法座に友を誘い、仏法を聴かせ、座を詰めて座らせる人は、その福徳で未来に梵天・帝釈天・転輪聖王の座を得ることができると示されています。
 友人を連れてくる人、妙法の偉大さを示す体験談を語る人、他の人のために自分が詰めて座る場所をつくる人、会場を提供してくださる人など、座談会を成功させようとする人々の真心に、無量の福徳が輝くのです。
 現実世界で妙法を弘め、自他共に福徳を積む最極の会座が、創価の座談会なのです。



日蓮大聖人の御書から 「佐渡御書」について


大変な時こそ支え合う
 「佐渡御書」は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡から、門下一同に与えられたお手紙です。
 前年の「竜の口の法難」を機に、投獄や所領の没収など、迫害の嵐は門下にも及び、「千が九百九十九人は堕(お)ちて候」(御書907る門下に、“今こそ成仏の時である”と、不惜身命の信心を力強く教えられたのが本抄です。
 創価の3代の会長が、心肝に染め、あらゆる迫害を勝ち越えてきた師弟勝利の御書でもあります。
 本抄の追伸で大聖人は、「心ざしあらん人人は寄合(よりあう)て御覧じ料簡(りょうけん)(そうらい)て心なぐさませ給へ」(同961ページ)と仰せです。大変な時だからこそ、孤立するのではなく、励まし合うことが大事なのです。
 他の御書でも、「互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」(965ページ)等、顔を合わせ、語り合っていくことを促されています。私たちで言えば「座談会」に集うことです。


 人間は得てして、一人だけでは、燃え立つような決意も、時間と共に薄れてしまうものです。また、どんなに強いと思っていても、思わぬ逆境に遭えば、心が折れてしまうこともあります。
 逆に、共に信心の原点を確認し、誓いを共有し、励まし合う同志がいれば、どんな障魔の嵐にも倒れずに、勝利と幸福の軌道を歩み抜くことができるのです。

(2018年11月17日 聖教新聞) 


​       







Last updated  2018/11/17 03:00:32 PM
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2018/10/23

世界宗教の仏法を学ぶ 
池田先生の指導・励ましから

​第10回 人材育成――広宣流布の大河の流れを

 連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に紹介。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第10回のテーマは「人材育成」です。

「各部代表者会議」でのスピーチ(2005年7月20日)
 創価学会の永遠性を確立しゆく根幹は人材育成です。自ら後継の人材育成に全魂をそそぐ池田先生は、2005年7月20日、各部代表者会議に出席。“後輩を自分以上の人材に育成する”学会の伝統精神についてスピーチしました。
                     ◇
 「学会は人材をもって城となす」
 これが戸田先生の永遠の指針であった。
 昭和29年(1954年)の4月、私は、戸田先生にお供して、仙台の青葉城址を訪れた。
 当時、私は、いつも戸田先生のおそばにいた。先生のご指導をひとことも聴き漏らさず、命に刻もうと必死であった。
 いかにして、戸田先生のご構想を実現していけばいいのか。
 どうすれば、戸田先生と「不二」の心で進んでいけるのか。
 若き私は、それを真剣に悩み、祈りながら、わが使命の道を懸命に切り開いていた。
 青葉城址には、有名な伊達政宗(だてまさむね)の像がある。その像に向かって、「伊達君、元気か!」と呵々大笑されていた先生。
 このとき、戸田先生は、堅固な石垣が残る青葉城址に立ち、厳として、こう言われた。
 「かつての日本は、城をもって戦った。学会は永遠に人材の城でいこう。学会は人材をもって城となすのだ」と。今も、その声が耳朶(じだ)に響いて離れない。
 大事なのは、人材である。人材の城を築いたところが、未来永遠に勝ち栄えていく。
 ゆえに先輩は、真心こめて、後輩を育てていくことである。後輩の成長のためなら、喜んで犠牲になるくらいの覚悟で。そして、育ててもらった後輩は、また次の後輩を全力で育てていく。このようにして築かれる人材城は、永遠に滅びない。
 反対に、大切な後輩を利用したり、自分が偉くなるための手段にするようなところは、絶対に伸びない。一時は栄えているように見えても、最後は必ず滅びていくものだ。
 伸びている組織、伸びている団体は、濁りのない誠実な心で人材を育成し、立派な人格をもって人材を触発しているところである。
 そして正邪の基準をしっかりと持ち、明快に教えているところである。
 先輩は後輩を自分以上の人材に育てていく――これが、牧口先生、戸田先生以来の学会の伝統である。私もまた、人材育成を一切の根本に置いて、広宣流布の指揮を執ってきた。戸田先生の指導のとおりにやってきた。だからこそ、学会は、世界的に賞讃される「黄金の人材城」とそびえ立っているのである。
 学会は永遠に「人材の城」で勝ち進んでまいりたい。
                     ◇ 
 未来のすべては、青年の手の中にある。私は、創価の青年の健康と勝利と活躍を心から祈っている。
 社会的にも偉くなってもらいたいし、人間的にも立派になって、周囲の人々を平和へ幸福へと糾合していく存在となってもらいたい。そのような力ある青年が、さらに増えていけば、広宣流布は、いちだんと大きく広がっていく。
 戸田先生は、「青年の時代だ。青年に一切を託す」と言われ、私を中心とした青年部に後継のバトンを渡された。私も今、同じ心で、新しい青年部に学会のすべてを託したい。(『池田大作全集』第98巻)

理解を深めるために


「令法久住」こそ仏の願い
 法華経見宝塔品第11で釈尊は、“私の滅後、だれか法華経を説く者はいないか?”“虚空会(こくうえ)の儀式で無数の仏が来集したのは、令法久住のためである”と語ります。
 「令法久住(りょうぼうくじゅう)」(法華経387ページ)とは、「法(ほう)をして久(ひさ)しく住(じゅう)せしめん」と読み下し、未来にわたって、法華経が伝えられていくようにすることです。
 大聖人は、虚空会に無数の仏が集まった意義について、「三仏の未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんと・おぼしめす御心の中をすいするに父母の一子の大苦に値うを見るよりも強盛にこそ・みへたる」(御書236ページ)と仰せです。
 「三仏」とは釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏のこと。すなわち、すべての仏が全民衆を救わんとの願いは、一人の苦しむわが子を救う親の思いよりも強盛に思われると記されています。令法久住こそ仏の切なる願いなのです。
 大聖人は、「一切の仏法も又人によりて弘まるべし」(同465ページ)、「伝持(でんじ)の人無(ひとなけ)れば猶(なお)木石(もくせき)の衣鉢(えはつ)を帯持(たいじ)せるが如し」(同508ページ)と仰せです。
 いくら偉大な法があるといっても、それを受持し、弘通する人がいなければ、未来にわたって民衆を救済することはできません。令法久住といっても、その真意は、伝持の人の出現にあるのです。

日蓮大聖人の御書から 「上野殿御返事」について


従藍而青の後継を輩出
 「上野殿御返事」(御書1554ページ)は、日蓮大聖人が青年門下の南条時光に与えられた御抄です。
 時光は7歳の時、父を亡くします。それから14年、21歳になった時光は、「情けに厚い人」と言われた父のすばらしい資質を受け継ぎ、信心の後継者としても立派に育っていました。
 本抄で大聖人は、父以上に成長した時光の姿を、「あいよりもあをく・水よりもつめたき冰かなと・ありがたし・ありがたし」(同ページ)と、「従藍而青」の譬えを通して、喜ばれています。
 「従藍而青(じゅうらんにしょう)」は、『摩訶止観(まかしかん)』にある言葉で、「藍(あい)よりして而(しか)も青し」と読み下します。植物の藍の葉から取る青い染料は、何度も重ねて染めることで、濃く鮮やかな青色を発します。
 同じように、大切な後継の友をどこまでも信じ、真心の激励を重ね、自分以上の立派な人材に育てることが大切です。
 今、広宣流布の舞台は、世界の各分野へと広がっています。世界広布の大河の流れを、さらに大きく広げ、水かさを増すためには、これまで以上に多様な人材群の輩出が必要です。
 地域にあっても、学会の伝統である“後輩を自分以上の人材に”との心で、新しい人を育てていくことが重要です。人材を育てる人が真の人材なのです。 



(2018年10月23日 聖教新聞) 







Last updated  2018/10/24 12:27:32 PM
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2018/09/15

​​​​世界宗教の仏法を学ぶ 
池田先生の指導・励ましから

第9回 心の財――信心で生命を磨き鍛える

 連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第9回のテーマは「心の財」です。

小説「新・人間革命」第25巻「福光」の章


 【あらすじ】1977年(昭和52年)3月12日、壮年、婦人の代表が参加して、第2回となる福島文化会館の開館記念勤行会が行われた。終了後、山本伸一会長は、20人ほどの代表幹部と懇談。壮年幹部からの“炭鉱が閉山となり、職探しをしているメンバーを、どのように激励すればよいか?”との質問に対して、全力で答えていく。
                      ◇
 「炭鉱に勤めていた人だけでなく、関連会社の人や、商店街など、多くの方々が、転職などを余儀なくされ、大変な思いをされたことでしょう。
 大変な人生の試練の時であればこそ、強盛な祈りが大事なんです。大聖人が『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)と言われているように、魂を込めて、必死に唱題し抜くんです。
 祈れば、福運を積めます。大生命力が涌現し、智慧が湧きます。そして、その智慧を絞り抜き、考えに考えて、果敢に行動を起こしていくんです。ただ祈ってさえいれば、どこからか、いい仕事が降って湧くように思っているのは間違いです。
 何か仕事を始めるにしても、アイデアが大事です。また、人脈等を駆使しなければならない場合もあるでしょう。ともかく、『強盛な祈り』と『懸命な思索』と『果敢な行動』で、事態を開いていくんです」
 「はい!」
 質問した壮年は、伸一の指導を、全身で受け止めるように、大きな声で答えた。


 伸一は、気迫にあふれた声で言った。
 「学会員ならば、師子ならば、何があっても信心の確信と満々たる生命力にあふれ、挑戦の気概に燃えていなければならない。つまり、元気で、生命が輝いていることが大事なんです。生命の光彩こそが、人生の暗夜を照らす光なんです。福光なんです」
 伸一は、「大切なのは生命力ですよ。わかりますね」と、確認するように言い、壮年の反応を見ながら、言葉をついだ。
 「人間は、仕事がなくなってしまえば、落胆するし、ましてや、先が見えない状況になれば、無気力になったり、心がすさんでしまったりしがちです。
 その時に、生命力にあふれ、元気に、勇んで挑戦しようとする姿は、人びとに、かけがえのない勇気を与えます。勇気は、波動していきます。また、学会員の前向きで元気な、生き生きとした挑戦の姿は、仏法の力の証明になります。宗教の力は、人の生き方にこそ、表れるものなんです。
 転職して、新しい仕事に就くとなれば、炭鉱での技能や経験は生かされない場合が多いでしょう。それだけに、挑戦心に富み、元気で、粘り強く、はつらつとしていることが大事になります。企業側も、悲観的で無気力な人を雇おうとは思わないものです。
 つまり、厳しい状況になればなるほど、磨き鍛えてきた生命という“心の財”は輝いていくんです。閉山だろうが、不況だろうが、“心の財”は壊されません。なくなりもしません。そして、“心の財”から、すべてが築かれていきます。
 いわば、逆境とは、それぞれが、信心のすばらしさを立証する舞台といえます。
 人生の勝負は、これからです。最後に勝てばいいし、必ず勝てるのが信心です。
 苦闘している皆さん方に、『今の苦境を必ず乗り越えてください。必ず勝てます。勝利を待っております』と、お伝えください」

理解を深めるために
●御聖訓「ただ心こそ大切なれ」​​


 ここでは「心」の大切さについて確認します。
 日蓮大聖人は、門下の四条金吾に“祈る姿勢”を教える際、「ただ心こそ大切なれ」(御書1192ページ)と仰せになっています。これは、“この仏法を信じて、強盛に祈ってこそ、かなう”ことを伝えるために教えられている御文です。
 また、大聖人がおられる身延から遠く離れた佐渡の地に住み、大聖人にお会いできない女性門下に対しては、「あなたの身は佐渡の国にいらっしゃいますが、心はこの国に来ています」(同1316ページ、通解)と励まされています。
 そして、直接、顔を会わせることはできなくても、その真心は十分に大聖人に伝わっているとされて、「心こそ大切に候へ」(同ページ)とつづられています。
 他にも大聖人は、「神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候」(同1186ページ)、「さいわいは心よりいでて我をかざる」(同1492ページ)等々、さまざまな御書の中で“心の大切さ”を強調されています。
 池田先生も、「信心は『心』で決まる」「大事なのは『心』である。うわべではない」と語られています。
 仏法では「一念三千」の法理を説きます。人間は心一つで自身も環境も大きく変革していけます。この自身の心(=一念)の変革こそが根本なのです。

日蓮大聖人の御書から ​「崇峻天皇御書」について​
人生の明確な価値基準

 日蓮大聖人は四条金吾に送られた「崇峻天皇御書」で、「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)と仰せです。
 「蔵の財」とは物質的な財産。「身の財」とは健康や身に付けた技能など、身に備わる財産を意味します。
 これに対して「心の財」とは、いかなる試練にも負けない生命の強さや輝きであり、人間性の豊かさです。また、三世永遠にわたって、崩れることのない福運ともいえます。
 この「心の財」は、信心の実践によって得られます。さらには「心の財」を積むことで、「自他共の幸福」を願う生命が呼び覚まされます。この「心の財」こそ、人生において最も重要であるとの価値基準を、大聖人は明確に示されたのです。
 “何のために生きるのか”という人生の根本目的を見失えば、結局はわびしい一生となってしまいます。反対に、「心の財第一」で生き抜く人は、「蔵の財」「身の財」の価値を正しく生かしていくことができるのです。
 池田先生は語っています。
 「『蔵の財』や『身の財』は、時とともに移ろいゆくものだ。三世永遠の妙法を受持して積み上げた『心の財』だけは、決して崩れない。ゆえに、わが創価の同志こそ、一閻浮提で最も『心富める人』なのだ」 ​​


(2018年9月15日 聖教新聞)







Last updated  2018/09/15 03:10:07 PM
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2018/08/14

世界宗教の仏法を学ぶ 
池田先生の指導・励ましから

​第8回 仏法は勝負 ―― 生きること自体が戦い

 連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第8回のテーマは「仏法は勝負」です。

小説「新・人間革命」第8巻「布陣」の章

 【あらすじ】1963年(昭和38年)6月、山本伸一会長は東京第一本部の新出発の幹部会に出席。広宣流布の活動における、「勝利」の重要性について語っていく。
                                                                 ◇
 あいさつに立った伸一は、ユーモアを込めて語った。
 「このたび、理事長が東京第一本部の本部長になりましたが、ほかの本部の本部長になった副理事長たちは、理事長の本部を打ち負かしてやろうという魂胆なんです。
 私は、立場上、どこかの本部だけを応援するわけにはいきませんが、今日は、第一本部員のつもりで、この幹部会に出席しています。
 したがいまして、本日だけは、東京第一本部こそ、東京の、日本の、世界の広布のトップランナーたれと申し上げたいと思います。そして、ひとたび戦いを起こすならば、必ず勝つという伝統をつくっていただきたいのであります。
 何ごとも勝てば嬉しい。活動の勝利は、わが生命に躍動と歓喜をもたらし、希望と活力の源泉となる。しかし、負ければ歓喜もなくなり、元気も出ません」

 山本伸一は、広宣流布の活動において、なぜ、勝利を収めなければならないかを、今度は、個人に即して語っていった。
 「折伏にせよ、あるいは会合の結集にせよ、勝とうと思えば、目標を立て、決意を定め、真剣に唱題に励むことから始めなければならない。さらに、知恵を絞って、勇気をもって挑戦し、粘り強く行動していく以外にありません。
 そして、一つ一つの課題に勝利していくならば、それは、大きな功徳、福運となっていきます。また、何よりも、それが人生に勝つための方程式を習得していくことになる。さらに、活動を通してつかんだ信仰への大確信は、人生のいかなる困難をも切り開いていく力となります。
 御書には『仏法と申すは勝負をさきとし』(1165ページ)と仰せです。それは、広宣流布とは、第六天の魔王という生命破壊の魔性との戦いであり、さらには人間が生きるということ自体が、人生そのものが戦いであるからです。
 人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、勝つことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくことであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます。
 私は、その時々の折伏の成果など、問題にしておりません。大事なことは、皆さんが強盛な信心に励み、大功徳を受け、生活も豊かになり、幸福に満ち満ちた悠々たる大境涯になっていくことです。そのための布教であり、学会の活動であることを、銘記していただきたいのであります」

理解を深めるために
苦難も「信心の眼」で捉える
 日蓮大聖人は、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」(御書1165ページ)と仰せです。
 このお手紙を頂いた四条金吾は当時、極楽寺良観等の画策によって、主君の江間氏から法華経を捨てるという起請文(誓約書)を書くよう迫られていました。しかしながら、金吾はこれを敢然と拒否し、不退転の決意を大聖人に報告。その返信の中に認められたのが、冒頭の一節です。
 主従関係を軸とする当時の中世武家社会では、主君による「賞罰」が武士たちの命運を決する根本であったことから、王法(世法)においては「賞罰を本とせり」と仰せられていると拝されます。
 しかし、大聖人は、あくまで仏法においては勝負こそが第一であると指摘されています。これは、主君による弾圧という苦難を世間の表面的な次元から「賞罰」として捉えるのではなく、仏法の眼、信心の眼で仏と魔との「勝負」として捉え、“断じて負けてはならない”と励まされているのです。池田先生は、つづられています。
 「『仏法は勝負』と強調されているのは、いかなる困難にも立ち向かっていく強靱な心を持て、ということです。臆病な心では、胸中の魔にも、社会の魔にも勝てないからです。『臆病にては叶うべからず』(御書1193ページ)です」

日蓮大聖人の御書から 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」について
道理の力で「主に勝つ」
 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」では、仏法は勝負であることを示し、仏とは最も勝れた法を持ち、世の中で最も勝れた「世雄」であると仰せです。
 その上で日蓮大聖人は、「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(御書1169ページ)と仰せです。これは法華経への信心を根本に、正直に誠実に生きれば、道理としてあらゆるものに勝利できることを教えられていると拝することができます。
 具体的に「主に勝つ」とは、仏法の道理の力は、賞罰によって家来を支配する力をもった主君にも勝つことができるとの意味です。
 「法華経を捨てよ」と主君が四条金吾に迫ったことは、道理に反する不当な仕打ちでした。しかし、大聖人は本抄で金吾に対して、こうした事態に直面しても、感情に流されず、粘り強く誠実な振る舞いに徹していくのが信仰者の生き方であることを教えられています。
 別の御書では、佐渡流罪の時、他の門下が所領を取られたりする中で金吾は主君から守られてきたと諭し、その恩を忘れ、道理から外れて主君を恨んでは、諸天善神も金吾を守らなくなると戒められています。
 実際、金吾は大聖人の御指導の通りに、信心根本に振る舞い、主君からの信頼を回復して、新たな所領を賜るという勝利の実証を示していったのです。


(2018年8月14日 聖教新聞)







Last updated  2018/08/14 11:15:19 PM
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2018/08/12

世界宗教の仏法を学ぶ 
池田先生の指導・励ましから
第5回 宿命転換─負けない自分をつくる

 連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。
 第5回のテーマは「宿命転換(しゅくめいてんかん)」です。

小説「新・人間革命」第13巻「楽土」の章
 【あらすじ】1961年(昭和36年)12月、沖縄・名護(なご)の地区担当員・岸山富士子(きしやまふじこ)は、火災で2人の娘を亡くす。その報告を聞いた山本伸一会長は、自身の思いを沖縄の幹部に語っていく。
                      ◇
 「岸山さんは、さぞかし辛(つら)いだろう。悔(くや)しいだろう。胸が痛(いた)みます」
 伸一の目には、涙さえにじんでいた。
 「私たち凡夫(ぼんぷ)には、自分が、どんな宿業をもっているかわかりません。大聖人は、御自身が大難に遭(あ)ったことについて、過去の『謗法(ほうぼう)の重罪(じゅうざい)』によると仰せです。
 ましてや私たちは、過去遠遠劫以来(かこおんのんごういらい)、いかに多くの重罪を犯(おか)してきたか計(はか)り知れない。そして、大聖人は、本来なら、その罪の報(むく)いを未来永遠にわたって一つずつ受けるべきところを、法華経の敵を強く責めたので、大難となって一時に集まり起こったのだと言われている。
 それは、今世で成仏するためです。しかも、その難は、仏法の功徳の力によって、過去の重罪の報(もく)いを現世(げんせ)で軽く受けているのだと、断言なされている。これが、転重軽受(てんじゅきょうじゅ)ということです。
 つまり、信心をして苦しみを受けるということは、一生成仏への道を進んでいる証拠(しょうこ)です。それは、絶対に間違いない。

 岸山さんは、地区担当員として、名護(なご)の広宣流布に決然と立ち上がったから、過去世の罪障(ざいしょう)が一気に出て来たんです。信心の旗(はた)を掲(かか)げ持ったがゆえに、魔も激しく競(おそ)い起(お)こった。彼女が倒れれば、名護の広宣流布は大きく後退するからです。仏法の視座(しざ)に立って考えるならば、大苦悩を受ける意味も、明らかになります」
                      ◇ ◆ ◇ 
 「娘さんたちは御本尊に巡(めぐ)り合い、お題目も唱え、広宣流布のためのお母さんの活動に協力して亡くなった。それは、三世の生命観に立つならば、今世(こんぜ)で罪障(ざいしょう)を消滅(しょうめつ)し、永遠の幸福の軌道(きどう)に入るために、生まれて来たということなんです。来世は、必ず、幸せになって生まれてきます。
 大聖人は『無一不成仏(むいちふじょうぶつ)と申して南無妙法蓮華経を只一度(ただ いちど)申(もう)せる人・一人(ひとり)として仏にならざるはなし』(御書1573ページ)と仰せです。

 岸山さんが、さらに強盛な信心を貫(つらぬ)き通していくならば、いつか、きっと、心の底から“そうなんだ!”と、確信できる日がきます。
 人間は苦悩を離れて生きることはできない。人は病気もするし、老いもする。そして、遅(おそ)かれ早(はや)かれ、いつか、誰もが死を迎える。
 病気が治(なお)る。事業が成功するといったことも、信心の力であり、功徳ですが、まだまだ小さな利益です。本当の大功徳は、どんな大苦悩に直面しても、決して負けない自分自身をつくり、何があっても、揺(ゆ)るがない大境涯を築いていけるということなん
です。それが、絶対的な幸福境涯です。

 もし、岸山さんが、今回の問題を乗り越えていったら、どんなに大きな苦しみを抱えた人にも、勇気を与えることができるでしょう。万人を奮い立たせる力をもつことになるでしょう。大変な宿命を背負(せお)っているということは、同時に大使命を担っていることになる。
 どうか、『負けるな。断じて、負けるな。あなたが元気であり続けることが、信心の力の証明です』と伝えてください。私も、日々、真剣にお子さんの追善の唱題をしていきます」

理解を深めるために
罪業も霜露のように消える
 日蓮大聖人の仏法は、今世における「宿命の転換」を説きます。
 大聖人は「佐渡御書」の中で、御自身が大難を受けているのは、仏教で一般に言われている通常の因果(いんが)によるものではなく、過去において法華経を誹謗(ひぼう)した故であると述べられています(御書960ページ)。
 これは万人成仏、人間尊敬を説いた正法である法華経を誹謗すること、すなわち謗法こそが根本的罪業であり、あらゆる悪業を生む根源的な悪であるということを教えられているのです。
 この正法に対する、不信(ふしん)・謗法(ほうぼう)という根本的な悪業を、正法を信じ、守り、弘めていくという実践によって、今世のうちに転換していくのが、大聖人の仏法における宿命転換です。そして、その核心こそ南無妙法蓮華経の題目なのです。


 大聖人は「衆罪(しゅざい)は霜露(そうろ)の如く 慧日(えにち)は能(よ)く消除(しょうじょ)す」(法華経724ページ)という、普賢経(ふげんきょう)の文を引き、自身の生命に降り積もった罪障も、南無妙法蓮華経の題目の慧日(えにち)(智慧の太陽)にあえば、たちまちのうちに消し去ることができると言われています(御書786ページ)。
 御本尊を信受して、自行化他(じぎょうけた)にわたる唱題に励み、自分自身の胸中に太陽のような仏界の生命が現れれば、さまざまな罪業も霜露(そうろ)のように消えていくのです。

日蓮大聖人の御書から 「転重軽受法門」について
苦難をはね返す真髄の力
 日蓮大聖人は「転重軽受法門(てんじゅきょうじゅもん)」で、「先業(せんごう)の重き今生(こんじょう)につきずして未来に地獄の苦(く)を受くべきが今生にかかる重苦(じゅうく)に値(あ)い候へば地獄の苦(くるし)みぱっときへて」(御書1000ページ)と仰せです。
 私たちは信心に励んでいても、人生の苦難や試練に直面することがあります。また、広布のために戦う中で、それを妨げようとする障魔(しょうま)が競(きそ)い起こり、難にあうことがあります。


 大聖人は、このような苦難に出あって宿命転換できるのは、むしろ「転重軽受(てんじゅきょうじゅ)」の功徳であると教えられています。
 転重軽受とは、「重(おも)きを転(てん)じて軽(かる)く受(う)く」と読みます。過去世の重い罪業によって、今世だけでなく、未来世にわたって、重い苦しみの報いを受けていかなくてはならないところを、現世に正法を信じ、弘(ひろ)めると、その実践の功徳力によって重罪の報いを一時に軽く受けて、罪業を全て消滅させていくことができるのです。

 池田先生は、つづられています。
 「『転重軽受』は、苦難をはね返す真髄の力を明かした希望の法理だ。太陽が昇(のぼ)れば、闇(やみ)は消え去る。強盛なる信心を貫く中で、苦悩が『ぱっ』と消える時が必ずある。
一番、自らを悩(なや)ませる難問が、一番、境涯を躍進させゆく転機(てんき)となるのだ」​​​​



(2018年6月12日 聖教新聞)







Last updated  2018/08/12 05:00:10 PM
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2018/07/17

世界宗教の仏法を学ぶ 
池田先生の指導・励ましから

​第7回 唱題根本――生命力を無限に涌現

   連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第7回のテーマは「唱題根本」です。

小説「新・人間革命」第11巻「開墾」の章

 【あらすじ】1966年(昭和41年)3月、ペルーを初訪問した山本伸一会長は、ホテルで代表の幹部と懇談する。伸一は、「題目」こそ人生の勝利者になるための要諦であることを語っていく。
 「皆さんには、全員、人生の大勝利者になっていただきたい。
では、そのための要諦は何かについて、今日は少しお話ししたいと思います。
それは、第一に、お題目です。
健康ということも、勇気も、智慧も、歓喜も、向上心も、あるいは、自分を律するということも、生命力のいかんで決まってしまうといえる。その生命力を無限に涌現しゆく源泉こそが唱題なんです。ゆえに、唱題根本の人には行き詰まりがない」
皆、題目の力は教えられてきたし、それぞれが、体験もつかんできた。しかし、唱題の意義を、伸一から聞くことによって、さらに確信を深めていった。


「ともかく、日々、何があっても、題目を唱え抜いていくことです。題目は宇宙の根本の力です。朝な夕な、白馬が天空を駆け巡るように、軽快に、すがすがしい、唱題の声を響かせていくんです」
すると、女性のメンバーが尋ねた。


「先生。お題目を唱える時には、どういう気持ちで御本尊に向かえばいいのでしょうか」
伸一は、ニッコリと頷きながら答えた。
「仏と相対するわけですから、厳粛な気持ちを忘れてはいけませんが、素直な心で御本尊にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、大慈悲の仏様です。自分自身が願っていること、悩んでいること、希望することを、ありのまま祈っていくことです。
苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕に身を投げ出し、すがりつくように、『御本尊様!』と言って、無心にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、なんでも聞いてくださる。思いのたけを打ち明けるように、対話するように、唱題を重ねていくんです。やがて、地獄の苦しみであっても、噓のように、露のごとく消え去ります。


 もし、自らの過ちに気づいたならば、心からお詫びし、あらためることです。二度と過ちは繰り返さぬ決意をし、新しい出発をするんです。
また、勝負の時には、断じて勝つと心を定めて、獅子の吼えるがごとく、阿修羅の猛るがごとく、大宇宙を揺り動かさんばかりに祈り抜くんです。
そして、喜びの夕べには『本当にありがとうございました!』と、深い感謝の題目を捧げることです。

  
御書には、『朝朝(ちょうちょう)・仏と共に起き夕夕(せきせき)仏と共に臥(ふ)し……』(737ページ)と仰せですが、題目を唱え抜いている人は、常に御本仏と一緒です。
それも今世だけでなく、死後も、御本仏が、諸天・諸仏が守ってくださる。
だから、生命の底から安堵できるし、何も恐れる必要がない。悠々と、人生を楽しみながら、生き抜いていけばいいんです。

 
題目は、苦悩を歓喜に変えます。さらに、歓喜を大歓喜に変えます。ゆえに、嬉しい時も、悲しい時も、善きにつけ、悪しきにつけ、何があっても、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。これが幸福の直道です」


理解を深めるために
方便品・自我偈を読誦する理由
 私たちは、生命変革の具体的な実践の柱の一つとして、毎日、朝夕の勤行を行っています。日々の勤行では、御本尊を信じて題目を唱え、「法華経方便品第2」と「如来寿量品第16」の自我偈を読誦します。
 全部で28の品(=章)からなる法華経の中でも、方便品第2と如来寿量品第16を読む理由について、日蓮大聖人は「寿量品・方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」(御書1202ページ)と仰せられています。

 方便品と寿量品は、それぞれ、法華経の前半と後半の中で、最も大事な内容が説かれている部分であり、この2品を読むことで、その他の品の意義も備わることになるのです。


 勤行は、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える唱題が根本なので、唱題を「正行」と言います。また、方便品・自我偈の読誦は、「正行」である題目の功徳を助け顕すために行うので、「助行」と言います。


 勤行では、あくまでも南無妙法蓮華経の題目を唱えることが根本です。その上で、私たちが方便品・自我偈を読誦するのは、究極の仏の生命を意味する南無妙法蓮華経を最も深く説明し、大いに賛嘆している経文だからであり、御本尊の功徳をたたえるためなのです。


日蓮大聖人の御書から 「日女御前御返事」について
曼荼羅に顕し修行の本尊に
 日蓮大聖人は、御自身の仏界の生命を一幅の曼荼羅に顕されました。凡夫の私たちが大聖人と同じく、南無妙法蓮華経をわが身に体現し、成仏するための修行の本尊とされたのです。

 
大聖人は「日女御前御返事」で、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書1244ページ)と仰せです。
曼荼羅の本尊に顕された根源の法であり、仏の御生命である南無妙法蓮華経を拝して、それが、私たち自身の生命にも厳然と具わっているのだと、信じ受け止めていくことが大切です。そのことによって、自身の内なる妙法が開き顕され、仏の境涯を開いていくことができるのです。

 
御書には「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(788ページ)とあります。自身が本来、仏である、南無妙法蓮華経そのものであると知り、その計り知れない福徳をわが身に開き顕していくこと以上の人生の喜びはありません。
妙法を根本に、さまざまな困難を勝ち越えていく時、永遠に何ものにも壊されない幸福の軌道を進むことができ、この一生を大歓喜で飾っていくことができるのです。



(2018年7月17日 聖教新聞)







Last updated  2018/08/14 11:12:06 PM
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2018/06/23

世界宗教の仏法を学ぶ 
池田先生の指導・励ましから


第6回​ 異体同心――皆が心を一つに団結​

​​ 連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第6回のテーマは「異体同心」です。

小説「新・人間革命」第13巻「光城」の章
 【あらすじ】1968年(昭和43年)秋、各地で芸術祭が開催される。芸術部の首脳(しゅのう)と懇談(こんだん)した山本伸一会長は、“芸術祭を成功させるうえで、一番大切なことは何か?”との質問に対して、「皆が仲良く、団結して行っていくことです」と答える。
                             ◇
 質問した芸術部の幹部が、再び尋(たず)ねた。
 「一人ひとりの“個性”を尊重することと“団結”とは、どうも相反(あいはん)することのように思えるのですが……」
 伸一は、ニッコリと頷(うなず)いた。
 「大事な質問です。実は、その原理が『異体同心(いたいどうしん)』ということなんです。
 世間では、団結というと、よく『一心同体(いっしんどうたい)』と言われる。これは、心も体も一体ということであり、心を同じくするだけでなく、行動や形式も同じことを求める。つまり、全体主義となり、どうしても、個性は抑圧(よくあつ)されることになる。
 それに対して、大聖人は『一心同体』ではなく、『異体同心』と言われた。これは“異体”である個人、また、それぞれの個性や特性の尊重が大前提になっています。
 その一人ひとりが“同心”すなわち、広宣流布という同じ目的、同じ決意に立つことから生まれる、協力、団結の姿が異体同心です。

 つまり、それは、外側からの強制によるものではなく、個人の内発的な意志による団結です。だから強いんです。また、自主性が基本にあるから、各人が個性、特質をいかんなく発揮できるし、それによって、さらに全体が強くなる。
 たとえば、城の石垣(いしがき)というのは、同じ形の石ではなく、さまざまな形の石を組み合わせ、積み上げていくから、堅固(けんご)であるといわれている。野球をするにも、優秀なピッチャーばかり集めたからといって、勝てるものではない。『異体』すなわち、いろいろな人材が必要なんです。芸術部員は、一人ひとりが力もあり、強い個性をもっているだけに、皆が心を一つにして団結すれば、すごいパワーが発揮できます。


 学会の強さは、この『異体同心』の団結にありました。その力によって、常に不可能の壁を破り、新しい歴史を開いてきた。
 さらに、皆が仲よく団結しているということは、それ自体が、各人の境涯革命、人間革命の証なんです。なぜなら、我欲(がよく)が強く自己中心的な人、傲慢(ごうまん)、見栄(みえ)っ張(ぱ)り、嫉妬心(しっとしん)が強い人、わがままな人などは、団結することができないからです。
 そして、結局は、組織をかき乱し、皆に迷惑をかけ、最後は、自分から学会を離(はな)れていってしまうことになる。しかし、そうなれば、自分が不幸です。最後は哀(あわ)れです。
 だから、広宣流布のために団結しようと決め、自分を見つめて、わがままや慢心(まんしん)に挑戦し、人間革命していくことが大事になるんです」
 「わかりました。芸術部もしっかり団結して、最高の芸術祭を行ってまいります」
 芸術部の幹部が答えると、伸一は頷いた。

​理解を深めるために​


御本尊への信心を同じくする
 「異体同心」の「異体」とは、各人の個性や特質、年齢や性別、さらに社会的地位や職業が異なっていることを指します。
 「同心」とは、志(こころざし)、目的を同じくして、力を合わせることです。私たちで言えば、御本尊への信心を同じくすることであり、また広宣流布という目的観・使命感を同じくすることです。
 同じ心に立って、各人が広布のために自身の力を存分に発揮し、自身の役割と使命を果たしていくことで、広宣流布が前進するのです。
 この「異体同心」と正反対なのが「同体異心(体同異心)」です。表面的には同じ行動をとっているようでも、心がバラバラであれば、力を十分に発揮することはできません。
 日蓮大聖人は御書で、「異体同心(いたいどうしん)なれば万事(ばんじ)を成(じょう)じ同体異心(どうたいいしん)なれば諸事叶(しょじかな)う事なし」(1463ページ)と仰せです。そして、周(しゅう)の武王率(ぶおうひき)いる800の諸侯(しょこう)の軍が、70万騎の殷(いん)の紂王(ちゅうおう )の軍勢(ぐんぜい)を打ち破った古代中国の故事(こじ)を挙(あ)げられ、勝負は人数の多少ではなく、戦う心が一致しているかどうかで決まると示されています。
 異体同心とは、広宣流布を進めるに当たって、私たちが信心で団結をしていく時に、最重要とすべき指針なのです。

日蓮大聖人の御書から 「生死一大事血脈抄」について


「広宣流布の大願」も必ず成就
 日蓮大聖人は「生死一大事血脈抄」で、「総じて日蓮が弟子檀那等(でしだんなら)・自他彼此(じたひし)の心なく水魚の思(すいぎょのおもい)を成して異体同心(いたいどうしん)にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処(ところ)を生死一大事の血脈(しょうじいちだいじ の けつみゃく)とは云うなり」(御書1337ページ)と仰せです。
 大聖人はこの御文で、広宣流布を目指す大聖人門下の在り方について、具体的な指標を示されています。それが「自他彼此の心なく」「水魚の思を成して」「異体同心にして」の3点です。


 「自他彼此の心なく」とは、「自分」と「他人」、「彼」と「此」とを切り離して考える、差別や対立の心を持たないということです。それは、「自己中心」の心を乗り越えていく挑戦であるともいえます。
 「水魚の思を成して」とは、水と魚のように、切り離すことができない関係をいいます。私たちに置き換えれば、互いをかけがえのない存在として尊重し合い、支え合っていくことです。
 「異体同心にして」とは、一人一人が個性や特質、立場は違っても、同じ目的観、価値観を持つこと。私たちでいえば、広宣流布へ心を合わせて前進していくことです。
 大聖人は、御自身の弘通の目指すところは異体同心の実現にあり、異体同心の信心によって「広宣流布の大願」も成就することは間違いないと教えられているのです。​​


(2018年6月23日 聖教新聞)







Last updated  2018/06/23 05:29:57 PM
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2018/05/09

世界宗教の仏法を学ぶ 
池田先生の指導・励ましから

​​第4回 持続の信心――日々、新たな決意で出発

 小説「新・人間革命」第26巻「奮迅(ふんじん)」の章

 「『さあ、出発しよう! 悪戦苦闘(あくせんくとう)をつき抜けて! 
 決められた決勝点は取り消すことができないのだ』
 これは、ホイットマンの詩集『草の葉』にある、有名な一節であります」
 集った青年たちは、伸一の指導の一切を吸収するのだとばかりに、眼を輝(かがや)かせて、耳を澄(す)ましていた。
 このホイットマンの言葉は、伸一が若き日から深く心に刻(きざ)み、暗唱(あんしょう)してきた詩であり、これまでに何度となく、多くの青年たちに伝えもしてきた。


 「さあ、出発しよう――とは、過去にとらわれるのではなく、晴れやかに、未来をめざして生きる青年の姿です。“いよいよ、これからだ”という日々前進の心意気です。間断なき挑戦の気概(きがい)です。
 信心は持続(じぞく)が大切ですが、持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは惰性(だせい)です。“さあ、出発しよう”と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞(こぶ)して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。
 毎日、毎日が、新しい出発であり、勝利の日々であってこそ、人間革命も、人生の大勝利もあることを知ってください。​​


 悪戦苦闘――これは、広宣流布のため、自身の人生の勝利を飾るために、必ず経(え)なければならない道程(みちのり)なんです。偉業を成した人は、皆が、迫害(はくがい)、非難(ひなん)、中傷(ちゅうしょう)にさらされ、ありとあらゆる苦難と戦っています。
 創価の大道を開いてくださった初代会長の牧口先生も、第2代会長の戸田先生も、軍部政府の弾圧(だんあつ)と命(いのち)を懸(か)けて戦われています。私たちは、その師子の子どもです。勇(いさ)んで悪戦苦闘のなかに身を置き、それを突き抜けていくなかに、自身の人間革命があるんです」
 人生は波瀾万丈(はらんばんじょう)であり、悪戦苦闘しながら進んでいかなければならない日々もある。しかし、その試練(しれん)に挑(いど)み立つ時、自らが磨(みが)かれ、鍛(きた)えられ、強く、大きく、成長していくのだ。

 山本伸一は、一段と強い語調で語った。
 「悪戦苦闘(あくせんくとう)は、われらにとって、避(さ)けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運(ふくうん)に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない。
 たとえば、ひとたび飛行機が飛び立ったならば、飛び続けなければ次の目的地に着くことはできません。その途中には、強風もある。雷雲も発生するかもしれない。ましてや、われわれは、地涌の菩薩の聖業であり、人生の最極の目的である広宣流布のための戦いを起こした。悪戦苦闘を覚悟(かくご)するのは当然です。私は、皆さんが苦闘を誇りとして、信心の確信と歓喜を胸に、凜々(りり)しく進んでいかれることを、日々、真剣に祈っております」

日蓮大聖人の御書から

​ 水の流れるような実践を 「上野殿御返事(水火二信抄)」について

 日蓮大聖人は「上野殿御返事(水火二信抄)」で、信心に取り組む姿勢に「火の信心」と「水の信心」があるとして、次のように仰せです。
 「聴聞(ちょうもん)する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544ページ)
 具体的に「火の信心」というのは、火が一時的に激しく燃え上がるように、感激した時には真剣に唱題や弘教に励みますが、永続性のない信心です。
 一方、「水の信心」は、派手で目立った行動はなくとも、心堅固(こころけんご)に、常に水が流れるように、不退(ふたい)の決意と使命感をもって、生涯(しょうがい)、信(しん)・行(ぎょう)・学(がく)を持続し抜いていく人の信心です。


 私たちが実践するべきは、「水の信心」です。
 創価学会第2代会長の戸田城聖先生は語られました。
 「たゆまず流れ出(い)ずる水の信心であれ! 溜(た)まり水は、動かないから腐(くさ)ってしまう。人間も同じだ。進まざるは退転(たいてん)である」と。
 私たちは、どこまでも水の流れるような信心を続けていきましょう。​



(2018年5月9日 聖教新聞)







Last updated  2018/05/09 09:23:49 PM
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2018/04/18

世界宗教の仏法を学ぶ 
池田先生の指導・励ましから

​第3回 弘教――永遠の幸福を開く「極善の実践

 連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に紹介。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第3回のテーマは「弘教」です。

小説「新・人間革命」第13巻「北斗」の章

 今度は、壮年が指名された。
「私は、仕事が忙しくて休日も取れません。でも、なんとか折伏をしたいと思っています。ところが、なかなかできないもので悩んでおります」
「人を救おうとして悩むなんて、すごいことではないですか。尊く誇り高い、最高の悩みです。本当の慈悲の姿です。それ自体、地涌の菩薩の悩みであり、仏の悩みです。」
 集った同志は、弘教を実らせようと、日々、懸命に戦っていた。
それだけに、折伏についての話に、皆、目を輝かせ、真剣な顔で聞き入っていた。
「折伏を成し遂げる要諦は何か。それは決意です。一念が定まれば、必ず状況を開くことができる。
 折伏は、どこでもできるんです。戸田先生は、牢獄のなかでも法華経の極理を悟り、看守を折伏しています。まず、折伏をさせてくださいと、御本尊に懸命に祈り抜くことです。すると、そういう人が出てきます。また、ともかく、あらゆる人と仏法の対話をしていくんです。
 もちろん、信心の話をしても、すぐに入会するとは限りません。それでも、粘り強く、交流を深めながら、相手の幸福を日々祈り、対話を重ねていくことです。種を蒔き、それを大切に育て続けていけば、いつか、必ず花が咲き、果実が実ります。焦る必要はない。
 さらに、入会しなくとも、ともに会合に参加して教学を勉強したり、一緒に勤行したりすることもよいでしょう。自然な広がりが大事です。
 ともあれ、苦労して弘教に励んだ分は、全部、自分の福運になります。相手が信心しようが、しまいが、成仏の因を積んでいるんです。」
 皆が笑顔で頷いていた。伸一の話を聞くうちに、安心感と勇気がわいてくるのである。

 彼は、言葉をついだ。
 「また、対話してきた人を入会させることができれば、何ものにもかえがたい、最高最大の喜びではないですか。折伏は、一人ひとりの人間を根本から救い、未来永遠の幸福を約束する、極善の実践です。寄付をするとか、橋を造ったとかいうような慈善事業などよりも、百千億倍も優れた、慈悲の行為なんです」
 答え終わると、すぐに次の手があがり、質問は後を絶たなかった。



理解を深めるために
 日蓮大聖人の仏法は「下種仏法(げしゅぶっぽう)」と言われます。「下種」とは、衆生に成仏の根源の種子である妙法を語っていくことです。
 「下種」には「聞法下種(もんぽうげしゅ)」と「発心下種(ほっしんげしゅ)」があります。聞法下種とは、友人に妙法を説き聞かせること、発心下種とは、妙法を説いて友人が仏法の実践を決意(発心)することを指します。
 御書には、「とにもかくにも法華経を強(し)いて説き聞かせるべきである。それを聞いて信ずる人は仏となる。謗(そし)る人は毒鼓(どっく)の縁(えん)となって仏になるのである。どちらにしても、仏の種は法華経より外にはないのである」(552ページ、通解)とあります。
 第2代会長の戸田城聖先生は、「初めて会って折伏した。けれど信心しなかった。これは聞法下種である。ところが、次の人が行って折伏し、御本尊様をいただかせた。これは発心下種である。どちらも下種には変わりはない。功徳は同じである」と語られていました。
 大聖人の仏法を語っていく行為は、その人の成仏への機縁(きえん)をつくっていく最も尊い行為です。聞法下種も発心下種も妙法を教えていく尊い実践であり、功徳も大きいのです。
 
 日蓮大聖人の御書から「持妙法華問答抄(じみょうほっもんどうしょう)」について

 日蓮大聖人は「持妙法華問答抄」で「須(すべから)く心を一(いつ)にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧(すすめ)んのみこそ今生人界(こんじょうにんかい)の思出(おもいで)なるべき」(御書467ページ)と仰せです。
 大聖人は、この御文の直前で、法華経に説かれる「現世安穏(げんせあんのん)・後生善処(ごしょうぜんしょ)」の文を引き、「現世は安らかであり、来世には善い所に生まれるため」の妙法であることを示されています。そして、「『現世安穏・後生善処』の妙法を持つ」(同ページ)ことが、今世の真の名誉であり、来世も揺るがぬ安楽へと生命を導く力となる、と教えられているのです。
 では、「妙法を持つ」とは具体的に何を指すのか。それは、単に御本尊を〝もっている〟ということではありません。

 第一に、「須(すべから)にして」と仰せの通り、心を一つに定め、純粋に御本尊を信じ抜くことが重要です。
 第二に、自行化他(じぎょうけた)の実践が大切です。「自行」とは日々の勤行・唱題であり、「化他行(けたぎょう)」とは、他者の幸福を願い、弘教に励むことです。
 自行(じぎょう)と化他行(けたぎょう)の二つは、いわば〝車の両輪〟のようなもので、〝両輪〟が伴(ともな)った自行化他の実践があってこそ、「受持」となるのです。さらに「他をも勧んのみ」と仰せのように、友に仏法を語る「下種(げしゅ)」こそが、大聖人の仏法における仏道修行の要諦(ようてい)なのです。​



(2018年4月17日 聖教新聞)







Last updated  2018/04/18 12:46:24 AM
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2018/03/13
​​世界宗教の仏法を学ぶ 

池田先生の指導・励ましから

第2回 衆生所遊楽 ―― 揺るぎない大境涯の確立​


【あらすじ】1978年(昭和53年)1月6日、新春本部幹部会で広布第2章の「支部制」の実施が発表される。山本伸一会長は、1月14日には、東京・立川文化会館で行われた第2東京本部の婦人部勤行会に出席。伸一は、婦人部の小単位の学習・懇談に一段と弾みをつけ、皆が歓喜の信心に励めるようにと願い、語り掛ける。

小説「新・人間革命」第26巻「法旗」の章

 「われわれは、なんのために、この世に生を受けたのか――」
 一瞬、場内は静まり返った。思案顔(しあんがお)の人もいれば、早く伸一の次の言葉を聞きたいと、瞳(ひとみ)を輝(かがや)かせる人もいた。
 「それは、『衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)』と御書にもあるように、この人生を〝楽しむ〟ためであります。そして、苦渋(くじゅう)の人生から、遊楽(ゆうらく)の人生へと転換していくための信心なんです」

 ここで伸一は、遊楽へと転ずる具体的な実践が、御本尊への唱題であると結論を述べたうえで、その原理を明らかにしていった。
 「御本仏の生命の当体である御本尊に、南無妙法蓮華経と題目を唱えていくならば、自身の生命が仏の大生命と境智冥合(きょうちみょうごう)していきます。それによって、己心(こしん)に具(そな)わっている仏の生命を開いていくことができるんです。
 その生命境涯が『四徳(しとく)』、すなわち『常楽我浄(じょうらくがじょう)』であると説かれています。
 『常』とは、常住(じょうじゅう)であり、仏、衆生の心に具わる仏の生命は、三世永遠であることを示しています。『楽』とは、苦しみがなく、安らかなことであり、『我』とは、何ものにも壊(こわ)されない強靭(きょうじん)な生命です。『浄』とは、この上なく清(きよ)らかな生命をいいます」
 自身の胸中に、「常楽我浄」の生命が滾々(こんこん)と湧(わ)き出ているならば、何ものをも恐(おそ)れず、何があっても、悠々(ゆうゆう)と、歓喜(かんき)にあふれた日々を送ることができる。

 伸一は、仏法で説く「遊楽」とは、単に財産や地位、名声、技能などがあるということでもなければ、健康であるといった相対的なものでもないと述べた。そして、それは、自らの生命の奥底から湧(わ)きいずる充実と歓喜であり、絶対的幸福境涯であると訴えた。
 「皆さんは、ご主人の月給がもう少し高ければとか、もっと広い家に住みたいとか、子どもの成績がもっと良ければなど、さまざまな思いをいだいているでしょう。
 その望みを叶(かな)えようと祈り、努力して、実現させていくことも大切です。しかし、最も大事なことは、どんな大試練(だいしれん)に遭遇(そうぐう)しても、決して負(ま)けたり、挫(くじ)けたりすることのない、自身の境涯を築いていくことです。
 すべての財産を失ってしまった。大病を患(わずら)ってしまった。最愛の人を亡くしてしまった――そんな事態に遭遇(そうぐう)しても、それを乗り越え、幸福を創造していける力をもってこそ、本当の遊楽なんです。
 日蓮大聖人は、いつ命を奪(うば)われるかもしれないような佐渡流罪の渦中(かちゅう)にあって、『流人(るにん)なれども喜悦(きえつ)はかりなし』(御書1360ページ)と言われている。この大境涯の確立こそ、信心の目的なんです。
 したがって、遊楽(ゆうらく)の境涯(きょうがい)には、広宣流布のために、大難にも堂々と立ち向かっていく勇猛心(ゆうみょうしん)が不可欠(ふかけつ)なんです。勇猛心なきところには、崩(くず)れざる遊楽(ゆうらく)はありません」


 最も大事なことは、どんな大試練に遭遇しても、決して負けたり、挫けたりすることのない、自身の境涯を築いていくことです。


理解を深めるために
「楽しむために生まれてきた」

 ここでは仏法で説かれる「衆生所遊楽」という言葉について説明します。
 法華経如来寿量品(ほけきょうにょらいじゅりょうほん)第16には、「衆生(しゅじょう)の遊楽(ゆうらく)する所(ところ)なり」(法華経491ページ)とあります。「衆生」とは凡夫(ぼんぷ)、「遊楽」とは遊び楽しむことで幸福境涯を指し、「所」とは娑婆世界(現実社会)のことです。
 法華経以前の爾前経(にぜんきょう)では、仏の住む世界を「浄土(じょうど)」とし、苦悩に満ちた現実世界である「穢土(えど)」とは懸(か)け離れた別世界であると説いてきました。それに対して、法華経では、仏は娑婆(しゃば)世界に常住するのであり、この娑婆世界が実は、衆生が楽しむ所であると説き明かしたのです。

 第2代会長の戸田城聖先生は、「衆生所遊楽」の経文を通して、「人間というのは、世の中へ楽しむために生まれてきたのです。苦しむために生まれてきたのではないのです」と語られていました。
 池田先生も、「仏(ほとけ)の眼(まなこ)で見るならば、また衆生が胸中の『仏の境涯』を開くならば、この娑婆世界が即、衆生の遊楽する楽土となる。いわば、この世の舞台で、私たちは『楽しく生きぬく』という人生の劇を演じているのです」と語っています。
 私たちは本来、誰もが悠々と人生を“遊び楽しむ”力を持っています。幸福になるために、私たちは生まれてきました。どんな苦難をも勝ち越えゆく力――その偉大な“生命の力”を引き出すための実践が「信心」なのです。


日蓮大聖人の御書から ​

「四条金吾殿御返事」について
「苦楽ともに」思い合わせた祈り

 日蓮大聖人は、「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」の中で、「一切衆生(いっさいしゅじょう)・南無妙法蓮華経と唱うるより外(ほか)の遊楽(ゆうらく)なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽(じゅじゅほうらく)にあらずや」(1143ページ)と仰せです。
 また、同じ御書で「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽(くらく)ともに思い合せて 南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽(じゅじゅほうらく)にあらずや、いよいよ強盛(ごうじょう)の信力をいたし給へ」(同ページ)とも述べられています。

 四条金吾が、このお手紙を頂く2年前、金吾は主君(しくん)の江間氏(えまし)を折伏したことを機(き)に、主君から遠ざけられてしまいました。さらに、金吾に嫉妬(しっと)していた同僚(どうりょう)からの讒言(ざんげん)などによって、江間家の中で苦しい立場に立たされていたのです。
 大聖人は、苦境のまっただ中にあった金吾に、深き信心を起こして南無妙法蓮華経と唱える以外に真の遊楽はないことを強調され、そこに法華経に説かれる「衆生所遊楽」の本当の意味があることを教えられています。
 この大聖人の指導を忠実に守り、実践していった金吾は、主君からの信頼を回復し、それまでの3倍の領地を賜(たまわ)るなど、勝利の実証を示していったのです。

(2018年3月13日付 聖教新聞)
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