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広布史

2019/11/18
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カテゴリ:広布史

2019・11・18 牧口先生の殉教
75年に誓う
正義の言論こそ広布拡大の力


 中国には、「飲水思源」という言葉がある。水を飲む時に井戸を掘った人に思いをはせる、人から受けた恩を忘れてはいけない、などの意味である。
 常に「源流」の精神を確認し、「原点」に立ち返り、恩ある人に報いようと努力を重ねる。その中でこそ、組織も団体も時代の激流に翻弄されず、発展していくことができるのである。


 きょう11月18日は、創価学会の創立記念日。学会の「原点」の日である。
 淵源は1930年(昭和5年)の同日、初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生の師弟の手で『創価教育学体系』第1巻が発刊されたこと。その奥付には、学会の前身である「創価教育学会」の名が記された。いわば、学会は、“師弟の魂の結合による言論戦”から産声を上げたのである。


 また、治安維持法違反と不敬罪の容疑で軍部政府に逮捕された牧口先生が、信念の獄中闘争の末に殉教したのは、44年(同19年)の11月18日。不思議にも、創立と同じ日の早朝であった。
 当時、軍部政府の弾圧の嵐が学会を襲っていた。迫害を恐れて多くの退転者が出る中、牧口先生は厳しい取り調べにも屈することなく、政府の精神的支柱であった国家神道の誤りを指摘するなど、仏法の正義を堂々と語り抜いた。
 逝去の1カ月前、獄中から家族に宛てた手紙には、「三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」と。大難に臆するどころか、むしろ御書を身で読んだ歓喜に燃えて、最期まで不惜身命の言論闘争を貫かれたのである。
 この正義を叫ぶ言論の魂は、牧口先生と共に入獄し、生きて出獄した戸田先生と、その不二の弟子である池田先生に受け継がれた。そして、創価の師弟の激闘によって今、地涌のスクラムは世界192カ国・地域へと広がっている。


 本年は、牧口先生の殉教から75年。師弟の勝利の歴史を象徴するように、今月16日には、世界広布の言論城たる「創価学会 世界聖教会館」の開館記念勤行会が盛大に行われ、五大州の友の晴れやかな笑顔が会場に広がった。
 同会館の入り口に設置された「聖教新聞 師弟凱歌の碑」には、池田先生が記した碑文が刻まれている。その冒頭には「広宣流布とは言論戦である。仏法の真実と正義を叫ぶ、雄渾なる言葉の力なくして、創価の前進はない」と。
 学会の原点とともに、一人一人が自らの信心の原点を再認識し、学会創立90周年の明「前進・人材の年」に向かって、生まれ変わった息吹で社会に信頼と友情の輪を大きく広げていきたい。
 私たちの勇気と信念の声で!

(2019年11月18日付  聖教新聞社説)







Last updated  2019/11/18 01:43:40 PM
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2019/11/16
カテゴリ:広布史

11・18「創価学会創立記念日」特集 <中> 

インタビュー 米ジョージ・メイソン大学 名誉首席副学長 ピーター・スターンズ博士

対話こそ社会を変革する力
牧口会長は正義の信念貫いた「平和の英雄」
調和と共生の理想掲げるSGIに期待

 11・18「創価学会創立記念日」特集 中は、米ジョージ・メイソン大学名誉首席副学長のピーター・スターンズ博士のインタビューを掲載する。135以上の編著書を持つ世界史の大家である博士は、池田大作先生の平和思想に感銘を受け、自らの歴史へのアプローチを大きく見直した。そうした経緯や「対話」の重要性、牧口常三郎先生の生涯を巡り、話を聞いた。(聞き手=萩本秀樹)

 ──混迷の世界を照らし、人々に希望をともすのは心通う「対話」である──創価学会は1930年の創立以来、この信念を掲げ、三代会長のリーダーシップのもと、平和の連帯を広げてきました。アメリカの池田国際対話センターでは、ジョージ・メイソン大学出版局と共同で英文学術書『対話を通じた平和構築──教育・人間変革・紛争解決』を出版し、博士がその編集に当たられました。
  
 大変に興味深い経験となりました。学術書では対話について、1.教育 2.個人の成長 3.紛争解決という三つの側面から多角的に論じていますが、非常に意欲的な試みであったといえます。
 同書の序文の中で、私は、「Google Ngram Viewer」(注=あるキーワードが蔵書に出現する頻度を年代ごとに表示するグラフ)を用いて、「対話」という言葉がどの時代に、どれほど使用されていたのかを分析しました。すると、その頻度は平和への関心の大きさに左右されることが分かりました。
 例えば、宗教改革後のヨーロッパでは、異なる宗教の間に橋を架けるべく対話への関心が一段と高まりました。一方で、こうした宗教間の取り組みが衰退(すいたい)し、帝国主義の時代を迎えると、その関心が著しく低下していたのです。
 こうした変動に目を向けることで、改めて気付かされることがありました。
それは、対話とは努力を要するものであるということです。自然発生的に生まれるのではなく、積極的につくり出していかねばならないものなのです。
  
 ──では、そうした対話を効果的に生み出し、促進していくにはどうしたらよいでしょうか。
  
 二つの道があると思います。まず、差異や争いに向き合う上で、対話は暴力よりもはるかに優れた方途であると、繰り返し訴えていくことです。これは、精力的かつ理論的に、対話という概念を広めていくことであるといえます。
 二つ目は既に述べたように、対話が用いられ、効果を発揮した過去の事例を提示していくことです。具体性をもって示すことで、観念論ではなく現実的なアプローチとして、対話の重要性を伝えることが可能です。
 『対話を通じた平和構築』では、アフリカやアイルランドでの紛争、冷戦など、対話が国家間の緊張(きんちょう)を緩和(かんわ)し、社会の変革に貢献した例を紹介しています。
  
 ──博士は2014年に『世界史における平和』と題する研究書を出版され、ジョージ・メイソン大学では同タイトルの授業をしておられます。その中で、歴史家として半世紀以上のキャリアを積んでこられた博士は“歴史とは戦争の繰り返しである”との通説を離れ、平和に焦点を当てて歴史を捉えられています。こうした変化に至った経緯を教えてください。
  
 暴力ではなく、平和こそが“標準”である──この思想は、いまだ広く普及しているとはいえません。疑いもなく正しい事実であるにもかかわらず、です。
 その背景には、特にアメリカ社会があまりにも頻繁に、戦争状態にあったことが挙げられます。そのため、今は争いがなくとも、またすぐに戦争が始まるであろうと人々は考えるのです。こうした危険な思考に対峙するための努力が、現代社会に求められています。
 2010年、私は日本を訪れ、池田博士にジョージ・メイソン大学「名誉人文学博士号」を授与する機会に恵まれました。その折に見聞きした、創価学会が展開する平和運動に、大変に感銘を受けました。
 そして、“どんな人も平和に貢献できる”との池田博士の主張に心動かされました。私も、そう強く確信する一人であるからです。
 そして、そうした思想を広めるために何ができるだろうと考えました。私は歴史家であり、教育者ですので、研究や授業で、平和に光を当てた歴史観を提示することが、真っ先にできる貢献であると思ったのです。
 池田博士の偉大さを改めて申し上げるならば、まず1点目は、数十年にもわたって示し続けた、平和へのエネルギーと責任の大きさです。これほどのスケールで平和に生涯をささげた人物は、非常にまれです。
 2点目に、博士が多くの人と志(こころざし)を分かち合ってこられたことが挙げられます。
それは自身の価値観を押し付けるのではなく、寛容(かんよう)、対話、相互理解といった普遍的な価値に基づく連帯です。
 博士の偉業に触れ、歴史の焦点を変えることで私は、人類史には平和構築の成功例が多くちりばめられていることを、再確認することができました。
 そうした事例に共通していたのは、立場や意見の違いを超え、“勝者”であろうとなかろうと、あらゆる人々を包括的に結びゆこうとする努力があったということです。
  
 ──平和構築のプロセスでは、政治家や権力者がその主体者であると思われがちですが、市民にしか果たせない役割とは何でしょうか。
  
 実際に私が研究してきた平和構築の取り組みでも、その中心にいるのは政府レベルの人々である場合が多くありました。しかし特に19世紀以降、民衆運動が平和に貢献したさまざまな事例が見られるのも事実です。
 こうした市民による運動は、紛争を平和的解決に導いた直接的な要因ではなかったかもしれません。しかし、平和的解決が社会に受け入れられるための「土壌づくり」をしたのです。
 これが、市民による大きな貢献です。
 そして、平和は“戦争と戦争の間の一時的な状態”ではなく、本来あるべき状態なのだという考えを普及することも市民が果たし得る役割です。こうした思想が社会の底流に流れることで、平和は実現可能であるとの確信が、育まれていくのだと思います。
  
 ──今月18日は、牧口常三郎初代会長の殉教(じゅんきょう)から75年に当たります。戦時下の日本で、厳しい弾圧にも屈せず初代会長が貫いた平和の信念は、今日に受け継がれています。
  
 牧口氏は平和と正義の理想を掲げ、それを自らの人生の基底部に据えることも、信念のために殉じることすらも恐れませんでした。こうした人物について学ぶたびに、粛然(しゅくぜん)とした思いを抱(いだ)きます。
 当時の日本を、軍国主義とひとくくりに形容して語ることは簡単です。しかし実際は、軍国思想に当てはまらない人がいて、その人たちの叫びがありました。私たちは、そうした歴史を忘れてはいけないのです。
 “戦争の英雄”は世に知られていますが、私たちはより声高に、“平和の英雄”の功績を語り広めなければなりません。牧口氏は、この“平和の英雄”の素晴らしいお一人です。
 「世界史における平和」と題する私の授業では、ガンジーやマーチン・ルーサー・キングはもちろんのこと、創価学会の平和運動についても紹介しています。
 そのほかに、インドのムガル帝国(16~19世紀)の話なども織り交ぜています。多様な文化や慣習の例を紹介することで、平和の建設者とはある時、ある場所に突然現れたのではなく、さまざまな時代や社会に存在していたことを伝えられるからです。
 平和を希求する上では、異なる人たちの間に「共通項」を見いだすことが重要です。そして、それを可能にするのは、日常における「寛容(かんよう)」の実践にほかなりません。
 この寛容の実践は、グローバル化する今日にあっては、より不可欠なものとなります。
 一方で、グローバル化によって物事が複雑に連関し合っているために、ともすれば人々が“無力さ”を感じやすいのが、現代の特徴であるともいえます。その点、“一人の偉大な変革が世界の変革を可能にする”との池田博士の「人間革命」の思想は、大きな光を放つと私は確信します。
 博士が創立された池田国際対話センターもまた、多岐にわたる活動を展開しています。深い敬意を表するとともに、私自身も、センターでの交流をいつも楽しみにしています。
 アメリカをはじめ世界は今、かつてない混乱の時代を迎えています。池田センターやSGIのように、「分断」ではなく「調和」と「共生」のビジョンを示し、行動する人々の存在は、かけがえのないものです。
 より良い世界の建設を目指す皆さんの献身に感謝し、その重要な役割を果たし続けてくれることを切に願っています。

 Peter Stearns 
米ジョージ・メイソン大学名誉首席副学長。博士。ハーバード大学、同大学大学院で歴史学を専攻。シカゴ大学、カーネギーメロン大学などで教壇に立ち、『The Journal of Social History』誌の創刊を手掛けた。2000年にジョージ・メイソン大学教授に就任し、14年まで同大学首席副学長。社会史、世界史を中心に135を超える編著書がある。


(2019年11月16日 聖教新聞)








Last updated  2019/11/16 12:40:35 PM
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2019/11/15
カテゴリ:広布史

11・18「創価学会創立記念日」特集 -上 

初代会長・牧口先生の崇高な生涯

各国語に翻訳されている牧口先生の「創価教育学体系」
 初代会長・牧口常三郎先生の殉教から、11月18日で75年。創価の光彩は今、地球を照らしている。11・18「創価学会創立記念日」特集上では、学会永遠の原点である師弟の闘争とともに、創価教育に期待を寄せる識者の声を紹介する。

​1930年11月18日「創価教育学体系」発刊
 凍てつく校舎の一角。子どもたちのあかぎれた手を取り、優しく湯にひたして傷を癒(い)やす──。
 1893年(明治26年)、21歳の牧口先生は、北海道で教員生活の第一歩を踏み出した。尋常(じんじょう)小学校の義務教育制が始まって、まだ数年。近代初等教育の黎明期にあって、慈愛に満ちた振る舞いは、人々の心に深く刻まれている。
 「幸福が人生の目的であり、従って教育の目的でなければならぬ」(『牧口常三郎全集』第6巻、第三文明社、現代表記に改めた)
 後にそう記した思いは、生涯を通じ、どんな境遇の人に対しても変わることはなかった。

●「人道主義」の先駆け
 28歳で北海道師範学校の教諭となった牧口先生は、その後、上京し、六つの小学校で校長を歴任する。牧口の名を広く世に知らしめたのは、1903年(同36年)の『人生地理学』の出版であった。
 風土、地形、気候といった地理的現象と人間生活の関係を探究した同書は、40以上の新聞・雑誌に書評が掲載されている。後に「この書の出現によってわが国の地理学がその外貌を一変した」(社会学者の田辺寿利氏)と評されるなど、大きな話題を集めた。
 中でも注目すべきは、同書が、日本において、世界市民や人道主義の理念を示した、先駆けの一つという点である。
 日露戦争の前年、帝国主義が世界を席巻しつつある中で、先生は「人道的競争」を提唱。人類は、軍事的競争から、政治的競争、経済的競争を経て、人道的競争へ向かうべきであると訴えた。
 この『人生地理学』出版の翌年から、牧口先生は中国人留学生のために設けられた弘文学院(のちに宏文学院)で地理学を教えている。講義は留学生の話題に。4年後には、同書の中国語訳『最新人生地理学』が上海で出版された。
 日清戦争による中国人蔑視の風潮もあったが、牧口先生は彼らをこよなく愛した。かの文豪・魯迅(ろじん)も同校で学んでいる。
 また牧口先生は、庶民のための女性教育の道を、いち早く開いた。
 1900年代の初頭は、小学校を出た後、女学校で学ぶことのできる女性は、ごく少数だった。
 その状況を憂い、牧口先生は女性のための通信教育を行う「大日本高等女学会」を創立(1905年)。自ら編集・発行人となって教材『高等女学講義』を刊行し、教育の機会を広く提供していく。
 ある新聞評では“知識のみを学んで精神を忘却(ぼうきゃく)するような女学校より、女子の本分の自覚を促(うなが)す、この講義録に学んだ方が幸福”(「九州日日新聞」)とも。
最盛期、受講者は2万人にも上った。

戸田先生との出会い
 1920年(大正9年)、牧口先生は三笠尋常小学校、同夜学校の校長に就任する。
 同校は、壊れた窓ガラスを厚紙で塞ぐような資金の乏しい学校であり、800人が3部に分かれて授業を受けていた。牧口先生は家族と校内の官舎に暮らし、子どもたちのために精魂を注ぐ。
 おなかをすかせた子には、身銭を切って豆餅などを用意。弁当を持参できない児童のために、学校としてパンやみそ汁を無料で提供していく。その様子は新聞などでも紹介され、牧口先生の“米シカゴ郊外の貧民学校で行われている「ペニーランチ」を参考にした”との談話も掲載されている。
 さらに先生は、子を学校に通わせず、労働を優先させる家庭へ何度も足を運び、登校を促した。
 この年、北海道から上京していた戸田先生が牧口先生の自宅を訪ね、こう訴えた。「私を採用してください。私はどんな劣等生でも必ず優等生にしてみせます」
 牧口先生、48歳。戸田先生、19歳。子どもの可能性を信じ抜く、運命的な師弟の出会いであった。
 戸田先生は牧口先生の教育理論を実践する場として、私塾・時習学館を開設。
教材をまとめた『推理式指導算術』は、100万部のロングセラーとなった。
                      ◇ 
 この師弟の出会いから10年後の1930年(昭和5年)2月。
 ある夜、牧口先生と戸田先生は時習学館の一室で、火鉢を囲み、深夜まで語らいを続けた。
 寸暇を惜しみ、牧口先生が書きためてきた思索の紙片は、膨大な量となっていた。
 自らの教育学を世に問いたいと語る師に、戸田先生は尋ねた。
 「牧口先生の教育学は、何が目的ですか」
 「それは、価値を創造することだ」
 「では先生、創価教育、と決めましょう」
 出版に向け、戸田先生は原稿の編集や資金の準備を申し出た。
 重複を避けながら紙片の一枚一枚を体系的に整理し、牧口先生の幾度もの推敲(すいこう)を経て、『創価教育学体系』第1巻が完成。奥付には創価学会の前身である
「創価教育学会」の名が記された。
 発刊日である11月18日が、のちに創価学会創立記念日となる。

1944年11月18日 「不惜身命」の大精神
 牧口先生が日蓮大聖人の仏法と出あったのは、1928年(昭和3年)。戸田先生も、その後、入信に至っている。
 当初、教育者の集いとして始まった創価教育学会の活動は、やがて、日蓮仏法の実践に基づき、各人の幸福と社会の繁栄を目指すものへと発展。牧口先生は一人一人との対話を重視し、折伏のための座談会に力を尽くす。
 北は北海道から南は九州へ。新幹線も飛行機もない時代である。約10日で北海道をほぼ1周したこともあった。41年(同16年)5月からの2年間だけでも、実に240回を超える座談会に出席したことが明らかになっている。
 しかもそれは、行く先々に特高警察が付いて回る中での弘教だった。治安維持法の改正(41年3月)により、座談会は思想犯などを取り締まる特高の監視下に。国家や神社に話が及ぶや、「中止!」の連呼。だが牧口先生は刑事に「よく来た。こっちへいらっしゃい」と声を掛け、「新来者が来ているよ」と、場を和やかにと努めた。

●迫害を見下ろして
 日ごとに軍靴の音は高まり、日本は国家神道を精神的支柱に太平洋戦争に突入する(41年12月)。
 迫害を覚悟の上で牧口先生が弘教に歩く一方、宗門は当局から目を付けられることを恐れ、戦争協力の道をひた走る。
 勤行の御観念文を天皇と国家神道を賛嘆(さんたん)する内容に改変し、御書全集の発刊を禁止。さらに「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(御書974ページ)など、御文を14カ所も削除し、迎合を重ねていく。
 43年(同18年)6月27日、宗門は牧口先生、戸田先生らを呼び付け、「神札を受けてはどうか」と勧める。だが牧口先生は、「承服(しょうふく)いたしかねます。神札は絶対に受けません」と言下に否定。この直後、権力の魔性が牙をむいた。
 2日後の29日に学会幹部が連行されるが、牧口先生は微動だにせず、逮捕者の家族を激励。7月1日には青年を入信に導き、幹部会に出席。当初の予定通り、伊豆の下田方面へ対話に向かう。
 伊豆は大聖人が流罪された法難の地。牧口先生は72歳という高齢をものともせず、翌2日から5日まで弘教に歩き、6日の朝、特高刑事に同行を求められた。
 下田署まで約5キロもの夏の長路を、袴姿(はかますがた)の先生が、まるで刑事を従えるかのように歩いて出頭した。
 容疑は、治安維持法違反ならびに不敬罪である。別れ際、会員に託した言葉は「戸田君によろしく」。その戸田先生もまた、この日の朝、東京で検挙されていた。

獄中での勝利宣言
 取り調べは苛烈(かれつ)を極(きわ)めた。逮捕者の大半が収入を断たれ、家族は「国賊」と罵(ののし)られた。最後まで信念を貫いたのは、牧口先生と戸田先生の二人のみである。
 だが牧口先生は逮捕を“諫暁(かんぎょう)の好機(こうき)”と捉(とら)え、取り調べで国家神道の誤(あやま)りを指摘。
旧内務省の資料「特高月報」には、権力の横暴に一歩も引くことのない先生の発言が、克明に残っている。
 およそ2カ月半の尋問の末、牧口先生は警視庁から巣鴨(すがも)の東京拘置所へ。暗く冷たい独房での獄中闘争は、約420日に及んだ。しかし、先生は泰然自若として家族に手紙を送っている。
 「災難と云ふても、大聖人様の九牛の一毛(=ほんのわずか)です」
 「大聖人様の佐渡の御苦しみをしのぶと何でもありません」と、大聖人を一切の基準とした。
 逝去の1カ月前、家族に宛てた最後の手紙には、こうあった。
 「(大聖人の仏法を)数千人に実証したのを見て、自分ながら驚いている。これ故、三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」
 命に迫る法難を、「経文通り」と悠然と見下ろす大境涯──これが牧口先生の絶筆となった。
 この“勝利宣言”から1カ月後となる44年(同19年)11月18日、奇しくも学会創立の日の朝、牧口先生は崇高な生涯を閉じた。
                       ◇ 
 戸田先生が牧口先生の死を獄中で知ったのは、その2カ月後。45年(同20年)7月3日に出獄し、学会再建に一人立つ戸田先生を、一心に支えたのが池田先生であった。
 戸田先生の願業である75万世帯の折伏、牧口先生が念願とした創価教育の学舎の創立をはじめ、両先生の一切の悲願を実現。学会は192カ国・地域に広がり、世界宗教へと飛躍を遂げたのである。
 池田先生は随筆に記している。
 「創価のすべての門弟が、広宣流布への『不惜身命(ふしゃくしんみょう)』『死身弘法(ししんぐほう)』の魂(たましい)を、わが生命に厳粛に燃え上がらせゆく原点の日──それが、十一月十八日である」


(2019年11月15日 聖教新聞)








Last updated  2019/11/15 12:01:03 PM
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2019/11/12
カテゴリ:広布史

華陽姉妹が誓いの前進 

晴れやかに11・12「女子部の日」
明年1月中心に全国でロマン総会

 きょう11月12日は「女子部の日」。
 誓いの前進を続ける華陽姉妹に、うれしいニュース!
 友情と幸福を広げる「ロマン総会」が明年1月を中心に、全国各地で行われることが決定した(本部・支部単位)。SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)を活用するなどして、信心を学び深める集いとなるよう、各地域で創意工夫を凝らす。
 また、このほど総会の折に配布される「ロマンカード」が完成した。これには、「女子部 永遠の五指針」等が記され、1年間の目標や決意が記入できるようになっている。

 ――1961年(昭和36年)11月12日、晴れ渡る青空のもと、横浜・三ツ沢の競技場で第9回女子部総会が開かれた。
 席上、池田大作先生は、各地から集い来た8万5000人の女子部員を前に、「信仰の目的は幸福になることにある」「次代を担う女性指導者に」「全員が教学部員になろう」との指針を贈った。
 以来、時代は変われど、華陽の友は師の期待を胸に、行学の二道に率先。近年は毎年、「11・12」を目指して、各地で「池田華陽会御書30編」の読了運動を推進してきた。
 この日は創価の乙女にとって、永遠に広宣流布の“決勝点”であり、次なる栄光の峰への“出発点”なのである。
 さあ、明「前進・人材の年」へ!
 かつて池田先生はつづった。「共に語り、共に喜ぶ。共に充実した時間を過ごし、共々に戦い勝つ――心に積み重ねた、その福徳の歴史は、互いの人生を支える土台となる」
 ロマン総会は、華陽姉妹の真心光る語らいを広げ、絆を結びゆく絶好の機会となろう。
 大串女子部長、横井書記長は誓う。「一人でも多くのメンバーと総会に集い、信心の歓喜を広げ、池田先生の誕生月を祝賀してまいります!」​

学会創立90周年の大佳節を刻む2020年のロマンカード


(2019年11月12日 聖教新聞)







Last updated  2019/11/12 12:04:56 PM
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2019/11/11
カテゴリ:広布史

社説  12日は「女子部の日」  

​希望の連帯で師弟勝利を!​


 
 明後12日、「部の日」を迎える。


 現代社会は、あらゆる分野に女性が進出し、目覚ましい活躍をしている。こうした時代の先駆けの一人として、20世紀初め、女性初のノーベル賞を受賞したのがキュリー夫人だ。その生涯は、肉親や夫との死別、嫉妬による誹謗中傷など、苦闘の連続だった。しかし、彼女は「第一原則、誰にも、何事にも、決して負けないこと」(『マリー・キュリー1』田中京子訳、みすず書房)と、青春時代に誓ったままの人生を貫いた。


 “女子部1期生”であった池田先生の奥さま・香峯子夫人のモットーは、「勝たなくてもいいから、負けないこと」「どんな事態、状況になっても負けない一生を」であり、キュリー夫人の生き方に通じる。 


 女子部の日の淵源は、1961年(昭和36年)の11月12日、横浜・三ツ沢の競技場で行われた第9回女子部総会。この席上、池田先生は三つの指針を贈った。「信仰の目的は幸福になることにある」「次代を担う女性指導者に」「全員が教学部員になろう」


 以来、華陽の乙女らは時代を超えて、行学の二道に励み、すがすがしく、仏法を語り、幸の花を咲かせてきた。

 今、その先頭を走るのが、11・18「創価学会創立記念日」を目指し、「セレブレイト(祝賀)期間」を躍進する白蓮グループの友。各地で記念の総会が、にぎやかに開催されている。 
 名古屋のある白蓮グループ班長は、総会に参加し、“私も信心第一に、今までやったことのない聖教新聞の拡大に挑戦しよう!”と決意。その日のうちに、友人の幸せを祈りながら、勇気の対話に挑戦し、初の購読推進を実らせた。


 喜ぶ班長の声を聞いた一人の班員は、“私にもできるかもしれない”と奮起し、仏法対話を重ねてきた2人の友人に推進することができた。また、初めて購読推進に挑戦した副班長が「“励ましの新聞を”ぜひ読んでもらいたい」と自信を持って知人に語ると、その知人は購読を快諾。歓喜の波動は、周囲の女子部メンバーに幾重にも広がり、かつてない聖教拡大につながったのである。


 池田先生は女子部の友にこう呼び掛けた。「幸福とは、困難がないことではない。何があっても負けない勇気! 嵐にも揺るがない希望! それを手放さぬ人が幸福になれる」

 2010年の「学会創立90周年」から、希望あふれる100周年へ。妙法に生き抜く乙女の清新な連帯が、師弟勝利の門を大いに開く。


(2019年11月10日 聖教新聞)









Last updated  2019/11/11 07:31:42 PM
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2019/11/05
カテゴリ:広布史

きょう11・5「男子部の日」 日本一の人材城を

 11、12月方面大会を目指し拡大に総力 

 
リーダーが広布の最前線へ 






 きょう「男子部の日」を晴れやかに迎えた。


 1961年11月5日、10万人の若人が集結したことが淵源。若き池田大作先生が、恩師・戸田城聖先生の師子吼に応えて一人立ち、弘教と人材の大拡大で成し遂げた広布史に輝く金字塔である。


 この師弟勝利の精神を受け継ぐ男子部は今、11、12月に全国で行われる「方面男子部大会」へ、拡大に総力を挙げている。


 その原動力こそ、「部活・本部活」などの小単位の会合の充実である。各地で活発に開かれる集いには、男子部大学校生など“新しい力”が結集し、人間革命と広布拡大の誓いがあふれる。


 リーダーが小単位の会合という“広布の最前線”に飛び込み、自身の師弟の原点と、宿命転換の体験を確信を込めて語り、友に勇気の励ましを送る――そこから折伏・弘教の勢いが増している。


 池田先生は、小説『新・人間革命』第12巻「新緑」の章につづった。「人間の発心を促すものは、大きな会合よりも、むしろ、一対一の対話である」


 男子部は、小単位の会合や訪問・激励を通した、目の前の一人への徹底した励ましで、部・本部で勝利

の核となる10人の一騎当千の人材を育てる「広布十傑」運動を大きく推進。「3万の折伏」を必ず成し遂げ、日本一の人材城を築きゆく。
           

                                ◇

 
 西方男子部長は、埼玉・久喜圏の桜田部の「部活」(10月30日、久喜市内)へ。


 10人を超える友が意気軒高に集い、皆が口々に広布に走る喜びと誓いを述べた。


 槇島亨部長がこだわってきたのは、「楽しく元気になる会合を続けること」。“何でも語れる場”を目指し、友の持つ悩みや課題を皆で共有し、励まし合う。また参加者が多くても少なくても定期的に集いを開催し、“大好きな同志に会える場”をつくり続ける。


 これらは、転勤続きだった槇島部長が、どこに行っても創価家族の集いから元気をもらい、仕事に、学会活動に挑戦できた経験がもとになっている。


 集いでは「SOKAチャンネル モバイルSTB」で池田先生のスピーチ映像を視聴。また、皆の温かな激励に御本尊を受持する決意を固めた友に、全員から大きな拍手が送られた。
 西方男子部長は、一人一人の近況に耳を傾け、全力で激励。「鉄桶の団結」で、皆が前進の歴史を開こうと望んだ。



 一方、鹿児島・鹿屋平和圏鹿屋本部の「本部活」(同29日、鹿屋市の鹿屋文化会館)には、岩田九州男子部長が出席。


 同本部は、4年半にわたり、毎週、「本部活」を開催してきた。


 当初は数人の参加者だったが、一回一回、企画に工夫を凝らしたことで参加者が増加。


 特に好評な企画が、教学のディスカッション。グループに分かれ、御書の一節をテーマに自身の体験や決意などを語り合う。この日も新来者が参加し、にぎやかな対話の花が咲いた。


 「教学が、どう仕事や生活に生きるのか。それが分かると、信心即生活の実感が深まり、歓喜が生まれます」と亀岡潤本部長。


 同本部では、信心の確信を深めて友人を入会に導いた男子部大学校生も誕生した。


 岩田九州男子部長は皆の奮闘をたたえ、わが地域から対話と人材の大波をと激励した。


(2019年11月5日  聖教新聞)







Last updated  2019/11/05 10:54:23 PM
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2019/10/21
カテゴリ:広布史

10・24「結成の日」を記念 団地部が勇躍の大会
方面団地部長会も

 10・24「団地部結成記念日」を祝賀する団地部大会が20日、巣鴨の東京戸田記念講堂で盛大に行われた。
 橋井団地部書記長、五十嵐同女性部長のあいさつに続き、千布晴恵さん、萩原好三さんが、地道な地域貢献の活動で、信頼と友情を広げる模様を報告。
 篠原団地部長は、皆が“団地部10項目の指針”を実践し、地域の幸福責任者の誇りも高く創価の新時代を切り開こうと呼び掛けた。
 沼倉婦人部書記長は誓願の心で団結光る前進をと強調。池田主任副会長は、団地部の活躍が学会の発展に直結すると訴え、祈りを根本に知恵を出し、工夫を凝らしながら、一人一人が未来を創る先駆けにと励ました。
 また19日には、方面団地部長会が東京・信濃町の学会本部別館で開催。渡辺秀一さんが活動報告し、萩本主任副会長が、団地部の友の奮闘をたたえた。


(2019年10月21日 聖教新聞)

団地部10項目の指針

   1.「小さな合衆国(団地)」の無事・安穏を日々ご祈念。
 2. 笑顔のあいさつで明るい団地。
 3. 良き住民として、常識豊かに模範の生活。
 4. 近隣を大切に、広く、大きな心で、皆と仲良く。
 5. 友情の花を咲かせて、心豊かな人生。
 6. 地域貢献活動には、率先垂範で積極的に取り組む。
 7. 自然保護で緑あふれる希望の団地。
 8. お年寄りを大切に、励ましの一声かけて今日も安心。
 9. 青少年の健全な育成に協力。
 10. 冠婚葬祭は、思想・信条を超えて相互扶助。







Last updated  2019/10/21 12:25:49 PM
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2019/10/07
カテゴリ:広布史
結成45周年の勝利島部

10・7は「勝利島部の日」

10・7「離島部の日」 | 晴ればれとBlog

社説 あす7日は「勝利島部の日」

地域を照らす希望の光源たれ
 明7日は「勝利島部の日」。日本には約7千の離島があり、約400島が有人の島といわれる。産業衰退や少子高齢化など、近未来の日本の縮図ともいうべき環境下で、地域の希望の光源として奮闘しているのが同部の友である。
 1978年(昭和53年)のこの日、120島の代表が学会本部に集い第1回離島本部(当時)総会が開催。総会で池田先生は、一つの島は、一つの国と同じ存在意義があると言われ、「信心強盛な一人の学会員がいれば、島全体が希望に包まれ、歓喜に満たされていきます。どうか皆さんは、一人ひとりが、その太陽の存在になっていただきたい」と励ました。

 以来、41星霜――「10・7」の誓いを原点に、広布模範の幸福島建設へ向け前進。旧習深い地域で信頼の根を張り、知恵と勇気で学会理解の裾野を広げてきた。
 3年前、愛媛・松山市沖の津和地島(つわじじま)で入会した婦人は、「こんな素晴らしい世界があったなんて、もっと早くに入会していれば良かった」と語る。学会のことをもっと知りたいと、小説『人間革命』『新・人間革命』を読了。読み進めるうちに、折伏こそ宿命転換の直道であることを学び、居ても立ってもいられずに仏法対話に挑戦。今も悩みはあるが、「この島で学会員として生き抜き、幸福になった姿を皆に見てもらう。それが創立100周年までの私の目標です」と。


 “鬼ケ島”として知られる女木島(めぎじま)は香川県高松市沖の半農半漁の島。この島で、座談会やインターネット中継の会場を提供し、長年、広布を支えてきた壮年は、島内で文化祭や絵画教室も手掛けてきた。現在は島の10自治会をまとめる連合自治会長として奔走。離島航路の維持など難しい課題を抱える中、現在は、女木島を含めた12の島々と港を舞台に、3年ごとに開催される「瀬戸内国際芸術祭」に取り組む。4回目となる通称“瀬戸芸”には、国内だけでなく、世界各地から大勢の観光客が訪れ、現代アートの祭典を楽しんでいる(秋会期は11月4日まで)。

 数々の困難を信心で乗り越えてきた壮年は、「島も組織も大事なのは後継者。“瀬戸芸”をきっかけに、島の活性化をどう未来につなぐかを考えることが多くなりました」と笑う。
 「皆さんは、偶然、それぞれの島に暮らしているのではない。日蓮大聖人から、その島の広宣流布を託され、仏の使いとして、地涌の菩薩として、各島々に出現したんです。仏から遣わされた仏子が、負けるわけがありません。不幸になるわけがありません」(小説『新・人間革命』第28巻「勝利島」の章)。
 師が祈り、確信した勝利の実証が今、全国の島々で花開く。


(2019年10月 6日 聖教新聞)







Last updated  2019/10/07 10:58:37 AM
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2019/09/07
カテゴリ:広布史

9月7日「鹿児島の日」

随筆 新・人間革命 179 

 『同志の歌』と鹿児島
  広宣流布の大願へ 断固と生き抜け!

 ある詩人が言った。
 「鹿児島の天地は、男らしい。その薩摩の風も、波も、桜島の響きも、断固たる正義のために、男らしく立ち上がれ!と叫んでいるように、私には聞こえる」と。
 たしかに、火の国の象徴の天地として、アジアヘ、世界へ、新しき世紀の幕開けの偉大な雄叫びを上げている。

 わが広宣流布の創価学会は、本年の11月18日をもって、創立より、70周年の軌跡を刻む。
 かの詩人が言われた。
「これだけの平和の大民衆の行進は、世界に燦たる歴史として残るだろう。 それは、『必ず!』である」また、その詩人は、「不思議な使命を深く秘めた庶民の中から、湧き上がった革命である。これこそ、真実の文化革命であり、平和革命であり、人間革命である。
 歴史の常として、いわれなき非難の礫(つぶて)を多く浴びせられながらも、平然として賑やかに、堂々と戦い抜いてきた、この無血の革命こそ、尊き生命の模範中の模範である」と語っていた。
 広宣流布の先駆を切り開きゆく火の国・九州の使命は、まことに尊く、そのカは全国に響きわたっている。
                                      ◇
 それは、1972年(昭和47年)の9月7日、木曜日のことであった。 私は、大切な鹿児島の同志との記念撮影会に出席するため、鹿児島市内の県体育館に向かった。
 折りからのにわか雨が、南国の厳しい残暑を、幾分か和らげてくれた。

 牧園町に完成した、霧島の九州研修道場(当時は九州総合研修所)の開所式が、前日行われたばかりであり、記念撮影に集った友の顔は、喜びと誇りにまばゆく輝いていた。
 「みなさん、お元気ですか!今日は、お会いできて嬉しい!本当に嬉しい!と、私は真心込めて呼びかけた。
 即座に、明るい声が跳ね返ってきた。
「先生、ようこそ先生、ようこそ!」私は、涙が出るほど嬉しかった。
 ともあれ、県下の代表幹部、約4000人の意気は軒昂であつた。
 15グループに分かれての、楽しい創価家族の記念撮影が始まった。
 遠く種子島や屋久島、奄美大島からの参加者もおられた。
 終了後、私は、周りに躯け寄ってきた、凛々しき礼儀正しい男女青年部と、共に学会歌を歌った。皆の未来をめざしゆく瞳は、あまりにも美しく清らかであった。
 「田原坂」を歌ったあと、私は言った。
「次は『同志の歌』を歌おう,一緒に歌おう!」

 我いま仏の 旨をうけ 
 妙法流布の 大願を 
 高くかかげて 独り立つ
 味方は少なし 敵多し

 私と青年たちの歌声は一つにとけ合い、会場は厳粛な空気に包まれていった。
                 ◇
 古今東西を通じて鑑となる、あらゆる偉業は、そして革命等の勝利は、必ず、青年たちの同志の結合によって勝利した。
 「同志という大目的に生きゆく魂と魂の一体性は、最も尊く、最も強い。その同志を裏切ることは、最も、卑しき卑怯者のやることだ。畜生にも劣る」と、ある哲人は言った。
 日蓮大聖人、日興上人の御在世も、くだって牧口初代会長、戸田第二代会長の当時も、同じく反逆の方程式があった。
 御書には、「出世の恩のみならず世間の恩を蒙((こうむ)りし人」(1051ページ)、つまり、仏法上はいうまでもなく、世間的な次元でも大聖人にお世話になっていた人間までが、違背したと記されている。
私も、信頼してきた同志に、何人も裏切られた。

 あらゆる点で成功させるように努力し、功成り名を遂ぐように支援した。
 その挙句、彼らが卑劣にも裏切っていったことは、皆様がご存じの通りである。
                ◇
 「不惜身命」の経文通りに、戸田先生は、広宣流布のために生命を捧げられた。
 しかし、法理が永遠・普遍のものであっても、それを弘める人が続かなければ、仏法の命脈は断ち切られてしまう。

 捨つる命は  惜しまねど 
 旗持つ若人  何処にか   
 富士の高嶺を 知らざるか
 競うて来たれ 速やかに

 ここを歌われる時、いつも、鋭い眼光を私に向けられる戸田先生であった。「これは、君たちの歌だよ」と、よく青年に語られる先生であった。
                                   ◇
 この日の夜、私は、記念撮影を陰で支えてくれた男子部の整理役員を研修道場に招いた。
 そして、満天の星のもとで、キャンプファイアーを囲みながら、声高らかに、そして厳粛に「同志の歌」を歌った。
  私は、その場に集った若き同志に、「柿の実党」と愛称をつけてはどうかと提案した。
 「桃栗三年、柿八年」のことわざのごとく、柿は実をつけるまでに八年かかるといわれる。
 私は、青年たちに「諸君も八年間、あらゆる困難にぶつかっても、悠々と生き抜き、断じて勝ち抜いていただきたい!」と語り、次の一句を贈ったのである。

  柿の種
    共に仲間だ
      いつか咲け

 後に、この9月7日は「鹿児島の日」となった。
                                     ◇
 「善を為す自覚に基く固い決心によって、征服出来ない困難は殆んどない」(大類伸訳)とは、19世紀イタリアの独立・統一運動の思想家マッツィー二の言である。
 この大確信のごとく、「柿の実党」の760名の友をはじめ、偉大な鹿児島の同志は、私とともに、険難の山々を厳然と勝ち越えてこられた。
 その広宣流布の拡大は目覚ましい。
 全国模範の町村の筆頭としても、鹿児島・奄美大島の宇倹村、ならびに住用村が、市では名瀬市が顕彰されている。
 御聖訓には、
「日天・朝に東に出で給うに大光明を放ち天眼を開きて南閻浮提を見給うに法華経の行者あれば心に歓喜し行者をにくむ国あれば天眼をいからして其の国をにらみ給い」(御書1380pページ)と説かれる。
 この「南閻浮提広布」のモデルの宝士が、「南」から広がっていることは、本当に嬉しい。

 九州研修道場には、私も、建設前の視察を含めて17回訪間し、黄金の歴史を刻んだ。
 本年4月には、懐かしき、この道場は、「21世紀自然研修道場」として、希望の未来へ、新出発している。
 2001年の5月3日まで、あと240日 - "第二の七つの鐘"を乱打しゆく瞬間も、眼前に迫った。
 21世紀に乱舞する、わが鹿児島の同志よ! 妙法の薩摩隼人たちよ! 誉れある先駆の大闘争を頼む。
 朝なタな、雄大な桜島を仰ぎながら、君の使命の舞台で、正義の砲撃を、歓喜の祝砲を轟(とどろ)かせていくのだ。
 今再び、誇りも高く「同志の歌」を歌いながら!



          (2000年9月6日付  聖教新聞) 


    霧島研修道場から桜島を望む













Last updated  2019/09/08 01:16:39 AM
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2019/07/19
カテゴリ:広布史
華陽姉妹が誓いの前進 
きょう7・19「女子部結成記念日」

 正義と友情の華の対話を広げる華陽姉妹が誓いの前進! きょう19日、「女子部結成記念日」を迎えた。
 1951年(昭和26年)7月19日、東京・西神田の旧学会本部に74人の乙女が集い、結成式が行われた。
 当時、終戦から6年足らず。依然として戦争の傷痕は深く、不幸を嘆く女性の声は、社会の随所にあふれていた。そうした時代状況にあって、結成式の席上、戸田城聖先生は、慈愛のまなざしを注ぎながら語り掛けた。
 「女子部は、一人も残らず幸福に」「女性の幸福の根本条件こそ、永遠不滅の妙法の哲学である。純粋な、忍耐強き信心に生涯を生ききることだ」
 翌52年(同27年)には、“華のように美しく、太陽のように誇り高くあれ”との願いを凝結した女子部の人材グループ「華陽会」が誕生。戸田先生は、同会の友に「広宣流布は、女性の手でできる」と述べ、限りない期待を寄せた。
 そして、恩師の心を受け継ぎ、全女子部員の健康と福徳と勝利を祈り、今日まで励ましを送り続けてきたのが池田大作先生である。
 部結成から68星霜――。師弟共戦の「池田華陽会」のスクラムは今、日本中、世界中に広がっている。
 かつて池田先生は語った。「女子部が伸びれば、学会の未来は盤石である。一人の立派な女子部の存在は、十人、百人に匹敵する力を発揮していくからである」と。
 “苦しんでいる人を幸せに”との仏の心をわが身に開き、仏と同じ行動に立つ。師弟の誓願を胸に、広宣流布の大願に生き抜く――これが女子部の使命と誇りである。
 大串女子部長、千尋書記長は固く誓う。
 「『女子は門をひらく』(御書1566ページ)との御聖訓を心に刻み、私たち華陽姉妹が祈り、動き、縁する友に正義を語り、師弟勝利の門を開いてまいります!」


〈社説〉 きょう「女子部結成記念日」
負けない“誓春”を歩む華陽の輝き

 きょうは「女子部結成記念日」。女子部の友は、6・4「世界池田華陽会の日」から、この日を目指し、「誓いの拡大! 師弟勝利月間」をはつらつと駆けてきた。今、各地で正義と友情の対話の華が満開に。仏縁の拡大に立ち上がる娘の姿に、“私も負けていられない!”と奮起する創価の父・母の姿も。使命の“誓春”を歩む女子部の姿が、喜びと共感の輪を大きく広げている。
 原点は1951年(昭和26年)7月19日の結成式。当時の学会本部に集った74人の凜々しき乙女に、第2代会長・戸田先生は慈父のまなざしで語りかけた。
 「これまでの女性史というものは、一口にいえば、宿命に泣く女性の歴史といってよかった。皆さんは、若くして妙法を持った女性です。もはや宿命に泣く必要はない」
 宿命に翻弄されてきた女性が幸福に輝く時代へ──第3代会長・池田先生もまた、恩師と同じ心で“女子部は一人も残らず幸福に”と励ましを送り続けてきた。先生はかつて、結成記念日に寄せて和歌を詠んでいる。
 「女子部の日/この日は広布と/学会の/誓い込めたる/師弟の日なるか」
 創価の師弟の誓いのままに、目の前の一人を励まし、希望と友情の連帯を広げる華陽の友。蓮華のように清らかで、太陽のように朗らかな、その輝きは、家庭や職場、地域を照らす。
 神奈川のある女子部員は、母の病を機に仕事を辞め、父と協力して介護に当たることに。宿命の嵐が吹き荒れ、何度も心が折れかけた。しかし、「私は負けない! 必ず勝利する!」と師に誓い、御本尊に向かい続けた。女子部本部長として、組織の最前線で友を励ます日々。それぞれの壁に挑む華陽姉妹の姿に勇気をもらうことも多かった。
 多くの友に対話を広げゆく中で、母は優秀な医師の元で治療を受けられることに。
介護と仕事を両立できる、願った通りの職場も見つかった。厳しい環境にあっても負けない心で前を向き、友の幸福を願う彼女の振る舞いに、これまで20人以上の友が入会を決意している。

 池田先生は新たな“女性の世紀”をリードする女子部の友に、万感の期待を込めてつづり贈った。
 「絶対的幸福の華は、自分自身の生命の中に咲きゆくのだ!」「貴女が現実社会で生き抜くその姿が太陽なのである!」
 御聖訓に「女子は門をひらく」(御書1566ページ)と。勇気と確信の声を響かせ、華陽姉妹から「幸福勝利の門」を開こう。

(2019年7月19日 聖教新聞)






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