12385390 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

晴ればれとBlog

PR

全179件 (179件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 18 >

「新・人間革命」と私

2020.11.22
XML

​〈心に刻む珠玉の言葉〉
「新・人間革命」と私 

オランダ婦人部長 ジーナ・ハメーテマンさん

 広布の使命を自覚し、戦いを起こしていく時、地涌の菩薩の大生命が、わが胸中に脈動します。


 それが何ものにも負けない強靱な生命力をもたらし、自らの境涯を高め、広げていくんです。
 <第17巻「民衆城」の章>​


〈時代背景〉
 1973年5月26日、山本伸一は欧州訪問の帰国の途次に、経由地であるオランダ・アムステルダムの空港に到着した。待機時間は約1時間の予定だったが、飛行機のトラブルで4時間ほど出発が遅れることに。伸一は疲労が蓄積していたが、空港に駆け付けたオランダのメンバーのために、空港近くの公園で青空座談会を行い、励ましを送る。


試練の今こそ周囲に励ましを
 「民衆城」の章では、疲労のために発熱しているにもかかわらず、山本伸一がオランダの同志のために青空座談会を開催する場面がつづられています。師を求めて集った同志に、まさに命を削るような思いで励ましを送る心に感動しました。

 故郷のインドで知人から仏法を勧められ、入会した私が、本格的に会合に参加するようになったのは、仕事の関係でシンガポールに移住してからのことです。その時、どんな会合でも「師弟」の重要性について確認し合っていたことに驚きました。その理由がなぜなのか、初めは分かりませんでしたが、小説『新・人間革命』を読み進める中で納得できました。
 
 そこには、いつも同志の幸福を願い、成長のために心を砕き、励ましを送り続ける山本伸一の姿が描かれていました。その“師の心”に触れる中で、偉大な師匠に巡り合い、師と共に生きることができる人生が、どれほど尊いものであるかが伝わってきたのです。
 
 『新・人間革命』を学び抜く時、師弟の原点を築くことができる! そして、その中で示された学会精神のままに戦い抜く時、勝利の人生を歩むことができる!――そうした思いから、オランダでは、昨年から全ての地区で『新・人間革命』を毎月、1章ずつ学んでいく運動が始まりました。
 
 コロナ禍で、対面での会合が難しくなりましたが、そうした中でも工夫を凝らし、電話などで互いの感想を語り合いながら、地道に研さんを進めています。それとともに、“皆が山本伸一の心で周囲に励ましを送ろう”と、オンラインなどを活用して真心の声掛けに当たってきました。
 その中で、ある地区の座談会では、御本尊を受持しているメンバーよりも多くの友人が参加するなど、共感の輪が大きく広がっています。
 
 新型コロナウイルスの脅威は長期化しており、欧州では再拡大が深刻な状況になっています。試練の今こそ、オランダSGIの一人一人は、広布の使命を自覚して立ち上がり、立正安国への祈りを強め、社会に励ましの光を送ってまいります。


(2020年11月22日  聖教新聞)







最終更新日  2020.11.22 12:56:47


2020.11.12

新・人間革命」と私  第2総東京青年部長 長田泰弘さん

〈心に刻む珠玉の言葉〉
 何があろうが、広宣流布の軌道を外さず、自ら定めたことを、日々、黙々と実行していく――まさに太陽の運行のごとき前進のなかにこそ、人生の栄光も広布の勝利もある。<第30巻(上)「雌伏」の章>
 
〈時代背景〉
 山本伸一は、第3代会長を辞任した1979年(昭和54年)、広布の新たな未来を展望し、行く先々で同志と語らい、励ましを重ねていった。9月15日には東京の狛江(こまえ)文化会館(当時)を訪れ、居合わせた同志を激励。田園と新しい住宅が広がる風景を見ながら、「第二東京は広宣流布の新舞台だ。ここも未来が楽しみだ」と期待を込めて語る。
 
“会う”挑戦で希望の凱歌を
 山本伸一が純真に戦う同志を草の根を分けるように探し、励ます姿に、何があっても変わらない師の慈愛と、会員厳護の烈々たる気迫が脈打っていると感じます。
 私は高校生の時、部活動で頸椎の骨がずれるけがをし、医師から“一生治らない”と宣告を受けました。治療と学業を両立するため、定時制高校へ転校。宿命転換を懸けて唱題と仏法対話に挑みました。やがて治療が実を結び、奇跡的にけがは完治。5年間の高校生活を経て、創価大学へ進学することができました。
 
 男子部の部長時代、再び自身と家族に宿命の嵐が。苦悩する私に先輩は「題目だよ。大事なことは、他の誰でもない、君が信心で立ち上がることだ」と激励してくれました。また折々に、「戦いの中で『新・人間革命』を研さんしていこう」と師と共に前進する姿勢を教えてくれました。
 自身を見つめ直し、地道な祈りから開始。『新・人間革命』を読み深めると、命の底から勇気が湧くのを感じました。そして訪問激励と仏法対話に走り抜いた結果、部として最高の結集を果たし、私自身も弘教を実らせることができたのです。


 現在、青年部は、新型コロナの苦境に負けず、一人一人が目標を定め、“「新・人間革命」世代”の誇りを胸に前進。男子部では、学会創立90周年の「11・18」から100周年への初陣を飾る責任感で、「体験談大会」を活発に開催しています。
 
 明年は、第2総東京の前身である「第2東京本部」の設置から50周年の節目を迎えます。かつて池田先生は「第2総東京の建設は、第2の創価学会をつくる決心での大事業であったことは間違いない」と語られました。第1次宗門事件の渦中、第2総東京で指揮を執られ、同志を守り抜いてくださった先生。当時の真情を「会うこと、それ自体が戦いであり、一瞬一瞬が真剣勝負であった」とつづられています。
 第2総東京青年部は、師が示された“徹底して人に会う”行動に連なってまいります。そして、友と固い絆を結び合いながら、希望の天地に勝利の凱歌を響かせます。







最終更新日  2020.11.12 20:03:56
2020.11.08

〈心に刻む珠玉の言葉〉
「新・人間革命」と私  ハンガリー婦人部長 ベーチェイ・エニクーさん

 二十世紀は、「戦争と革命の世紀」といわれているが、同時に、人間革命の開幕の世紀となるだろう。(中略)二十世紀は、人類史上、最も輝かしい、生命の光彩の世紀への序曲として記録されることになると、私は確信している。みんなは、そのヒーローだよ。
<第9巻「光彩」の章>


<時代背景>
 1964年10月11日、山本伸一はハンガリーのブダペストへ。戸田先生が“地球上から悲惨の二字をなくしたい”と切望した「ハンガリー事件」の傷跡が残る市街地を見学する。伸一は、社会主義について思索を巡らせ、「人間」という視点に立った「人間性社会主義」の必要性を確信。そして、社会主義国の指導者と語り合うことを決意する。


価値創造の哲理を社会へ
 「光彩」の章には、山本伸一がブダペストを訪れ、市民とソ連軍が衝突した「ハンガリー事件」に心を痛めていた戸田城聖先生をしのび、人間性を抑圧する社会体制の矛盾について、思索する姿が描かれています。
 


 この場面を読んだ時、ハンガリーの民衆が経験してきた歴史を、池田先生は、こんなにも深く知ってくださっているのかと驚くとともに、どこまでも人々の苦しみに心を寄せる創価の師弟の慈愛に感動しました。
 


 「時代は動き、常に時代は変わっていく。春になれば、花が咲くように、ヨーロッパの大地にも、さらに多くの地涌の友が育ち、人華の花園が広がるにちがいない」――本章には、伸一が欧州各国を訪問する中、こう確信するシーンもあります。
 


 今、こうして広布の大道を歩めるのは、一人一人に妙法の種をまき続けた池田先生の必死の行動があったからこそだと、感謝の思いが尽きることはありません。







最終更新日  2020.11.08 13:48:34
2020.11.06
​〈心に刻む珠玉の言葉〉
「新・人間革命」と私  総愛知婦人部長 荒谷育子さん

​ 「信心」の二字があれば、これから、その何倍、何十倍という功徳、福運を積んでいくことができます。(中略)すべてを信心の飛躍台として、見事に変毒為薬(へんどくいやく)してください。そして、信心の勝利の実証を示しきっていただきたい​。<第2巻「錬磨」の章>
 
〈時代背景〉
 1959年(昭和34年)9月26日、超大型の伊勢湾台風が上陸し、中部をはじめ、各地に甚大な被害を与えた。当時、学会の総務として、救援活動の総指揮を執った山本伸一は10月3日、被害の大きかった名古屋へ。泥だらけになりながら、同志のもとへ駆け付け、翌4日には、西枇杷島(にしびわじま)町での緊急の幹部会に出席。力強く同志を励ます。
 
師恩に報いる時は「今」!
 「錬磨」の章には、山本伸一が伊勢湾台風の被災地を訪れ、全精魂を込めて激励し、被災した友の心に勇気をともす姿が描かれています。
 
 名古屋市港区に住む婦人部員の父親も、この台風で被災した一人で、途方に暮れていた時、励ましを送ってくださったのが池田先生だったそうです。父親は当時、未入会で先生のことを知らなかったそうですが、先生の真心の振る舞いに感銘を受け、その後、縁あって入会。学会活動に励む中で、伊勢湾台風の時の先生の行動を知ることになり、今でもこの原点を胸に、広布のために元気に活動しておられます。
  
 私の先生との原点は、高校2年生の時。1978年(昭和53年)4月23日に開催された三重文化合唱祭に中部未来会第4期として参加し、初めて先生とお会いしました。“次の学会を頼むよ”との師の言葉に触れ、広布後継の弟子として成長することを誓いました。
  
 本章では「人間の真価は、最も大変な苦しい時に、どう生きたかによって決まります。さらに、勇気の人、希望の人がいれば、周囲の人も元気が出てきます」と教えてくださっていますが、この精神は、まさにコロナ禍の今こそ求められていると感じます。
  
 総愛知婦人部のメンバーは今、地域・社会に励ましの光を大きく広げています。ある友は、本年4月に病で夫を亡くした友人から相談を受け、真心の友人葬を執り行いました。学会の温かさを感じた友人は、勤行・唱題を実践するようになり、9月に御本尊をいただくことができました。
  
 9月の世界青年部総会では“婦女”のスクラムが光りました。小説『新・人間革命』の一節を通して励ます婦人部員の真心に、女子部員が奮起。共に祈り、部員に声を掛ける中で、目標を上回る女子部のメンバーが総会に参加できました。 
 いかなる戦いにあっても先頭に立って勝利を開き、広布の一番星と輝くのが総愛知の使命です。学会創立100周年へ、“師恩に報いる時は今”と心を定め、メンバーへの訪問激励と対話拡大に率先してまいります。







最終更新日  2020.11.06 12:34:42
2020.11.05

〈心に刻む珠玉の言葉〉
「新・人間革命」と私   創価班書記長 有田伸一さん


 青年たちは“自分たちの地域は私たちが守る。この地域を必ず繁栄させてみせる。それが、仏法を持った者の使命だ”との決意に燃えていた。(中略)その姿を通して、多くの地域で、学会への理解が深まり、皆が共感と賞讃を寄せるようになっていったのである。 <第15巻「開花」の章>
 
〈時代背景〉
 1971年(昭和46年)、学会は仏法の哲理を現実社会の上に開花させる時を迎えていた。山本伸一は、地域の人々との懇親の集いを持つことを提案。その構想が具体化した「鎌倉祭り」が7月22日、「三崎カーニバル」が翌23日に行われた。この催しは、地域の興隆を願う学会員の真心が輝き、社会に開かれた信頼と友情の舞台となった。
 
地域の発展に尽くすことが創価班の誓い
 「開花」の章では“自分たちは地域の発展のために何ができるのか”と考え、さまざまな催しや運動に自主的に取り組む各地の青年部員の様子が描かれています。
 
 創価班では、毎回の任務前に「着任の誓い」を皆で読み上げ、絶対に事故を起こさないことを確認して運営に臨みます。その一節には「広宣流布の全責任を担い、地域の発展と勝利のために尽くす」とあります。地域の発展に尽くすことは創価班としての誓いであり、その範を示すべく、皆が挑戦しています。
 
 私自身、地元で開催される地域行事には積極的に参加し、地域の青年と力を合わせて運営などに取り組んできました。そのうち、40年前から開催されている地域の伝統行事には、7年前から学会青年部も役員として協力しています。
 交通整理や誘導などの地道な取り組みを重ねる中で信頼が深まり、現在では展示物のデザインから設置まで学会青年部が担い、毎年、参加者をはじめ実行委員会や地域の方から多くの喜びの声をいただいています。
 
 行事で目にするそうした私たちの真摯な姿に感銘を受け、私の友人の一人も入会を決意してくれました。“自分さえよければいい”という軽薄な風潮に流されがちな時代にあって、青年が先頭に立って地域に入り、その発展に尽力していく――この師匠の深い思いを、命に刻んでいます。
 
創立100周年の勝利開く
 池田先生は本章で、次のようにつづっておられます。「友情は人間性の証です。友情を広げ、人間と人間を結び合い、人類の幸福と平和の連帯をつくるのが、私どもの目的です」 
 小説『新・人間革命』を学べば学ぶほど、先生は一貫してその言葉通りに行動され続けていることを感じます。
 創価班は11・2「創価班の日」から「新時代の創価灯たれ! 正義の師子の拡大期間」(明年1月6日まで)と掲げ、対話と弘教の拡大に総力を挙げています。学会創立90周年から100周年へ――一切の勝利を担う創価班の誇りを胸に、師の言葉を体現する弟子へと成長してまいります。







最終更新日  2020.11.05 15:00:05
2020.11.03
​〈心に刻む珠玉の言葉〉
「新・人間革命」と私   学生部書記長 西田祐一さん

 時間があれば、環境条件が整っていれば、力が発揮できるというものではない。大事なことは使命の自覚である。広宣流布への強き一念である。山本伸一は、彼ら(学生部の友)に、使命に生きる精神の種子を植えたのである。<第23巻「勇気」の章>
 
〈時代背景〉
 1976年(昭和51年)5月、大学の2部(夜間部)に学ぶ男子学生部員による「勤労学生主張大会」が開催された。前年、山本伸一の提案で2部学生の集い「飛翔会」が結成され、友は伸一と同じ青春の道を歩む誇りに燃えていた。大会の報告を聞いた伸一は“大勝利の突破口を開くのが飛翔会”と語り、その後も励ましを続けていく。
 
勝利の突破口を開く陣列を!
 「勇気」の章には、向学の志を燃やしながら、一歩も引かずに広布に駆ける飛翔会のメンバーの姿が描かれています。その原動力として示されているのは、“自分たちが勝利の突破口を開く!”との誇りでした。
 これこそ、先駆の使命に生きる学生部が、忘れてはならない重要な魂であると思います。
 
 現在の学生部もコロナ禍の中にあって、“広布の前進を止めてはならない”“困難な時代だからこそ、私たちが希望の先駆を”と誓い合い、オンラインを活用して会合や懇談などを開き、画面越しに励ましを届けてきました。その中で友人への仏法対話にも果敢に挑戦し、御本尊流布を実らせたメンバーもいます。
 いかなる状況にあっても広布の最前線に勇んで立ち、自分の力で勝利を開く。この決意が大事であり、池田先生と心を合わせた時に、その決意は深まり、実現しゆく力となることを実感します。
 
 私自身、東京・足立総区の学生部長時代に、一人立つ精神で戦う原点を築くことができました。
 当時の私は、新たな人材の発掘を誓っていました。しかし、理想を掲げて訪問激励に歩いても、話に耳を傾けてくれるメンバーは少なく、大きな壁にぶつかりました。
 そんな時、小説『新・人間革命』に描かれた山本伸一の戦いを研さんしました。そこには、目の前の一人と心を結び、何のために信心をするのかを訴え抜く伸一の振る舞いが示されていました。
 その姿に自分も連なろうと決意し、メンバーと会った折には、“自身の人間革命のための信心である”ことを常に語ってきました。その中で信心の目的がしっかりと伝わった時、メンバーの心が動き、結果として、多くの新たな人材を輩出することができました。
 
広布に走る歓喜を胸に
 学生部の時代は、人生の基盤を築く重要な時です。その時期に、広布に走る歓喜を生命に刻んでもらえるよう、今もメンバーの励ましに挑戦する日々です。学会創立90周年の「11・18」、そして創立100周年の2030年を目指し、民衆厳護のリーダーの陣列を必ずや築いてまいります。






最終更新日  2020.11.03 12:02:17
2020.11.01

〈心に刻む珠玉の言葉〉
「新・人間革命」と私 香港婦人部長 胡惠娟(ウーワイギュン)さん

 メンバーは悩みをかかえている人と出会えば、信心の力を、御本尊の功徳を、語らずにはいられなかった。(中略)広宣流布は状況のいかんが決するのではない。同志に脈打つ使命感と確信と歓喜ある限り、前進の大道は開かれるのだ。<第18巻「飛躍」の章>
 
〈時代背景〉
 1974年1月26日、山本伸一は九州から香港へ。初訪問時(61年)には、10世帯ほどだった香港の創価家族は、13年間で8000世帯を超える陣容に飛躍を遂げた。
 伸一は27日、約1000人の同志と記念撮影。翌28日、香港広布の第2期となる次の10年へ、「仏法即生活なれば、一人も漏(も)れなく功徳の生活の実証を!」等の三指針を示す。
 
師弟共戦の魂こそ飛躍の力
 世界経済の激動の中で幕を開けた1974年。“試練の時代だからこそ、仏法を持(たも)った私たちが、希望を、勇気を、活力を、社会に発信していくのだ!”――この誓願に燃える同志らが、各地の新年勤行会に喜々として集う描写から「飛躍」の章は始まります。
 
 大悪を大善に! 逆境を前進の糧(かて)に! 未曽有(みぞう)の人類的危機に直面する今、本章に学ぶべき精神は、あまりにも多くあると感じてなりません。
 香港広布の歩みを振り返ると、苦難を躍進のバネに転じてきた歴史と誇りが脈打っています。


 61年1月に池田先生が初訪問し、アジア初となる地区を結成。その後、支部から総支部、本部へと発展。66年には機関紙「黎明聖報(れいめいせいほう)」が創刊され、香港会館も誕生しました。しかし70年ごろ、日本で起きた「言論・出版問題」の影響が及び、香港メディアはこぞって学会を批判。事実無根の喧伝(けんでん)に踊り、敵意をむき出しにする人が世間には数多くいました。


 そうした中、私たちは“今こそまことの時”と捉え、闘魂を燃え上がらせながらも冷静に対応。大規模な会合の開催は控えるなど配慮し、「訪問激励運動」に力を注いでいったのです。すると、草の根の対話を通して、信心で功徳の実証を示した同志の歓喜が連鎖(れんさ)し、逆風の時代にもかかわらず毎月、40世帯、50世帯と弘教の波が広がっていきました。
 池田先生は本章で、誤認識の批判をはね返し、社会に信頼の花を咲かせてきた当時の香港の友の奮闘に言及。冒頭の引用の言葉をつづってくださいました。

 時は巡り半世紀――。アジア通貨危機、中国返還、SARS(重症急性呼吸器症候群)の流行……香港SGIは幾多の難局を、全て飛躍への転換点にしてきました。その原動力はひとえに、池田先生との固い「師弟の絆」にほかなりません。
 創価の精神の正史が描かれた小説『新・人間革命』の研さんこそ、師弟共戦で進む力の源です。後継の青年部と共に学び深めながら、香港広布60周年を迎える明年へ、心一つに前進します!







最終更新日  2020.11.01 14:13:22
2020.10.29

〈心に刻む珠玉の言葉〉
「新・人間革命」と私
韓国壮年部長 李明喆(イミョンチョル)さん



 われらの団結とは、縦には広宣流布の師匠と弟子との不二の結合である。そして、横には同志との連帯である。いわば、師と同志という縦糸と横糸の異体同心の団結によって、広宣流布は織り成されるのだ。
<第21巻「SGI」の章>


〈時代背景〉

 1975年1月26日、グアムに世界51カ国・地域の同志が集い、「世界平和会議」を開催。SGI(創価学会インタナショナル)が結成された。しかし、会場に韓国の友の姿はなかった。当時、一部の幹部によって派閥争いや分派活動が起こり、組織が分裂。山本伸一は、韓国の友が団結して進めるよう、指導・激励の手を打ち続ける。


心一つに社会に貢献を!


 日本の支配下に置かれた韓国の人々にとって、日本から伝えられた宗教には長い間、強い警戒心がありました。学会の活動が制限される日々が続き、日本の幹部の派遣も渡航の許可が下りませんでした。組織的な激励・指導の手が届かず、人脈をもとにした幾つかのグループが形成され、激しく対立するように。グアムでの世界平和会議に、代表を送り出すことはできませんでした。



 「韓国メンバーが仲良く団結して前進していけるように激励、指導することが、SGIとしての最初のテーマである」――「SGI」の章には、混乱の渦中にある友に、思いをはせる山本伸一の姿が描かれています。
 この言葉通り、池田先生は世界平和会議以降、韓国の友が来日すると真っ先に会い、励ましを送ってくださいました。また両国関係の発展のために文化・教育交流に尽力され、1990年9月、ソウルで行われた東京富士美術館所蔵「西洋絵画名品展」の開幕式に出席するため、韓国を初訪問してくださいました。
 韓国の純真な同志は、こうした師匠の万感の思いに応えたいと、心一つに社会貢献活動などに力を入れ、信頼の輪を広げてきました。そして2000年4月には、SGIの法人設立が許可され、今日に至る飛躍的な発展につながっています。同章を読み返すたび、韓国広布は、先生の祈りと行動によって切り開かれたと実感します。



 毎年、SGI結成の日である1月26日に発表される「SGIの日」記念提言も真剣に学んでいます。

「南北首脳会談の早期開催」など、韓・朝鮮半島の平和と安定に関する先生の諸提案は、師の構想を実現する弟子として常に研さんに努めています。私は鉄道部品関連の会社に勤めており、06年からは非武装地帯をつなぐ南北鉄道の連結事業に従事。南北首脳会談の開催に、図らずも貢献することができました。また同年、これまでの功績がたたえられ「大統領産業褒章」を受けることもできました。


 これからも師弟不二の実践を貫き、勝利の実証を示していく決意です。







最終更新日  2020.10.29 23:41:13
2020.10.25

〈心に刻む珠玉の言葉〉
「新・人間革命」と私 ブルガリア婦人部長 ヨネオカ=ゴレメホヴァさん

 今回のブルガリア訪問で植えた文化交流と友情の苗は、大地深く根を張り、幹を伸ばし、21世紀の大空に、大きく枝を広げるにちがいない。また、やがて、この国にも、御聖訓に照らして、地涌の菩薩が陸続と出現する時が必ず来るはずだ。時代は変わる。ブルガリア広布の朝は、きっと来る!
 <第30巻(上)「暁鐘」の章>


〈時代背景〉
 1981年5月、ソ連、欧州、北米訪問の旅へ出発した山本伸一は、“本格的に世界平和と広布の道を開く”と心を定めていた。20日には、ブルガリア文化委員会の招聘で、ブルガリアを初訪問。同国最古の国立大学・ソフィア大学から名誉教育学・社会学博士の学位が贈られ、「東西融合の緑野を求めて」と題して記念講演を行う。


獅子のごとく不屈の心で
 山本伸一のブルガリア初訪問を描いた「暁鐘」の章。ソフィア大学での講演では、ブルガリアのシンボルが獅子であることから「獅子のごとく雄々しく、獅子のごとく不屈に、人間の自由と平和と尊厳の旗を」と語る場面がつづられています。

 “いかなる苦難にも負けず、広布の道を進む獅子を育てたい”との池田先生のお心を感じてなりません。この講演から20年後の2001年、ブルガリアにSGIの支部が結成されました。
  
 私は、女子部時代を神戸の同志と共に過ごしました。大学を出て就職しましたが、子どもの頃から抱いていた「海外で働きたい」との夢を諦め切れず、支部結成から間もない2004年、日本語講師としてブルガリアに渡りました。
  
 しかし、海外で働く夢をかなえたものの、将来が見通せず、悩みに直面していたのです。
  
 当時、毎月の支部座談会が楽しみで、バスで片道5時間をかけて参加していました。そうした活動の中、先生がブルガリアの同志に贈ってくださったメッセージに触れるたび、“日本から遠く離れた私たちのことを、ここまで思ってくださるのか”と感じ、ブルガリア広布に生き抜く誓いを固めることができました。
  
 縁あってブルガリア人の夫と結婚。その後、さまざまな苦難が襲いましたが先生の励ましを胸に乗り越えることができました。ある時は腹部に激痛が走り、病院に搬送。大手術の末に九死に一生を得ることができましたが、医師からは“子どもを授かることは難しい”と告げられました。しかし、病気を通して夫は私のことを祈ってくれるようになり、信心の良き理解者になりました。また2年後には長男が誕生。信心を貫けば必ず変毒為薬できると実感します。
  
 明年は、先生のブルガリア初訪問40周年、そして支部結成20周年。ブルガリアでは現在、青年部を先頭にオンラインを活用しながら、励ましの対話に挑んでいます。
  
 感染症の脅威が世界を包む今こそ、一人一人が獅子として立ち上がり、愛する地域に希望を広げてまいります。







最終更新日  2020.10.25 09:52:48
2020.10.16

​​〈心に刻む珠玉の言葉〉
「新・人間革命」と私 東海道男子部長 鈴木貴博さん

 ​​末法という濁悪(じょくあく)の世にあって、広宣流布に生きるならば、御聖訓に照らして、法難が競(きそ)い起こることは必定である。ゆえに、広宣流布は「不惜身命」の決意に立つ人によってのみ、成し遂げることのできる聖業といえるのである。​​<第8巻「宝剣」の章>​


〈時代背景〉
 1963年(昭和38年)7月、山本伸一は静岡で、宗門の僧侶らが学会員をいじめる現状を耳にする。会員を守り、僧俗和合を実現するために、伸一は宗門に対策を促(うなが)す。そして、同月末の聖教紙上に、学会を批判する宗門の僧、法華講を戒める法主・日達の訓諭(くんゆ)が掲載された。伸一はその後も、宗門の衣(ころも)の権威(けんい)に潜(ひそ)む魔性(ましょう)との闘争に挑んでいく。


勝利の実証示し、破邪顕正を
「宝剣」の章には、宗門の悪侶の横暴な振る舞いがつづられています。


「僧が上、信徒が下」という差別的な立場で学会員に接し、真摯(しんし)に折伏に励む様子を見ても“供養を持ってくればそれでいい”等となじる。日蓮大聖人の御精神に反して万人の尊厳を否定し、自他共(じたとも)の幸福を実現しようと奮闘する人々をあざ笑う態度は、法華経で説く「悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)」さながらの様相です。宗門との関係史から、人々の可能性をおとしめ、人々を分断する悪と戦う大切さを学ぶことができます。







最終更新日  2020.10.16 12:04:51

全179件 (179件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 18 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.