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勇気の旗高く

2019/11/04
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カテゴリ:勇気の旗高く

勇気の旗高く 池田先生と山口
“草の根”の戦いが一番尊い

日本最大のカルスト台地・秋吉台。緑の稜線に黄金色のススキが映える(1984年10月、池田先生撮影)
 池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は山口県を掲載する。

臆病に打ち勝て
 広布史に輝く「山口開拓指導」は、1956年(昭和31年)10月から翌年1月まで行われた。池田先生の訪問は3回、合計22日間である。
 この闘争の意義について、先生は繰り返し言及し、世界中の同志がその精神を学んできた。2005年(平成17年)の随筆では、自身の臆病の心に打ち勝つ大切さがつづられている。

 あの明治維新の火ぶたを切った山口県。
 歴代の日本の総理が多く出た山口県。
 ゆえに今後も、日本の重要な地位を占めていくであろう山口県──。その山口から、地涌の菩薩たる広宣流布の闘士が陸続と躍り出ないはずは絶対にない!
 つぶさに現状を把握(はあく)されると、戸田先生は断を下された。
 「中国が一番遅れている。大作、お前が行って、指導・折伏の旋風を起こせ!」
 「はい。やらせていただきます!」
 一瞬の呼吸であった。

 日蓮仏法は「下種仏法(げしゅぶっぽう)」であり、学会は「折伏」の尊き団体である。
 勇敢にして、誠実に語り抜いた分だけ、自他の生命に満足と幸福の花が咲き薫っていくのだ。
 いかに悪口を浴びようが、中傷されようが、折伏を実践する人が最も偉いのだ。これは、大聖人が断言されている。
 「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗(ぼう)ぜん者は毒鼓(どっこ)の縁(えん)となって仏になるべきなり」(御書552ページ)
 強いて、仏法の正義を訴えていくのである。相手の反応がどうあれ、妙法に縁させることが大事なのだ。
 そして、「強いて」語るためには、何よりもまず、自分の臆病()な心、弱い心を打ち破らねばならない。そうであってこそ、勇気をもって、悠然と楽しく対話ができる。
 その結実は、真心と執念で決まる。
 折伏が実らず旅館に戻った同志を励まし、私は言った。
 「もう一度、その人の所へ、明るい顔をして、師子の心をもって、行ってきなさい!」
 またも肩を落として戻った同志に、再び私は言った。
 「では、もう一度、行ってき給え! これが、本当の仏道修行だ」
 決定の一念で、再び対話に臨んだ同志の顔は、あまりにも尊く、喜び勇んでいた。
  三度目に、頑強に反対していた相手が、「信心します」と叫んだのである。
 試されているのは、常に自分の心だ。相手を絶対に救うのだという、広い慈愛、忍耐強き勇気という、本気の決意があれば、いかなる人でも心を動かしていけるのだ。

「会う」ことから
 山口開拓指導では、あまたの人材が躍り出た。その「人材育成の要諦」について、先生は随筆で「会う」ことを強調した。

 私は決断していた。断じて山口県を蘇生させてみせる!
 歴史に残る、広宣流布の人脈を作ってみせる! と。
 会って、語る。
 会って、悩みを聞く。
 会って、励ます。
 会って、指導する。
 会って、共に祈り、御書を拝する。
 直接会えなくとも、手紙等で、会ったと同じだけの誠実を尽くし切っていく。
 私は、喜び勇んで、体当たりで毎日毎日を走りながら、飛びながら、勝利のために、建設のために、乱舞していった。
 そして、「縁した方々を、皆、偉大な広宣流布の大闘士に育成していくのだ!」と、歓喜踊躍して、苦しみを楽しみに変えながらの人生を、自分の身で創っていった。

 1994年(平成6年)11月26日、山口文化会館で行われた総会では、山口開拓指導が、“草の根の民衆運動”であったことを力説した。

 「草の根の戦い」は、現実に根を張っているゆえに地味である。たいへんである。
つらいことや、ときには、つまらなく思うこともあるかもしれない。
 しかし、「草の根」の戦いがいちばん強く、いちばん尊いのである。これをやりぬいているから、学会は強い。学会は負けない。
 「民衆に根ざす」「民衆を大事にする」──ここにしか永遠の勝利はないことを、きょうは強く語っておきたい。
 あの昭和31年(1956年)の山口開拓指導の勝利も、まさにその点にあった。
 当時、私は28歳。この会場にも28歳の方がおられると思う。
 すぐさま第一線の友の中に飛び込んでいった。まだ学会員もわずかであり、家族の反対の中で信心されている方も少なくなかった。
 私は皆さまと一緒に勤行した。一緒に御書を学び、一緒に弘教に励み、一緒に歴史を刻んでいった。
 皆、仏子である。上下などない。あってはならない。
 社会でも、立場が上になると、人間まで偉くなったように錯覚し、人を見くだす人がいる。とくに日本に、そうした封建的な傾向が強いようだ。
 しかし学会は、そうではない。人間と人間、同志と同志の、美しき共和の世界なのである。


師弟不二の闘争
 1999年(平成11年)10月24日、東京牧口記念会館で開催された第7回「山口総県記念幹部会」。席上、先生は山口の同志に「人間革命」の闘争を呼び掛けた。

 自分の小さな「エゴ」を中心とするのでなく、宇宙の根本の「法則」にのっとって、命を燃やし、人々のため、社会のために行動していくとき、わが「生命の鏡」は磨かれ、光っていきます。
 妙法という「鏡」には、大宇宙の森羅万象の不思議さが映り、それぞれの本然の実相が、ありのままに映っていく。また過去も、現在も、未来も、瞬間瞬間、如々としてきたり、律動しゆく「因果(いんが)の理法」も、ありありと映る。
 さらに、万物が語る言葉が、その声なき声までが絶妙に映し出されていく──仏法の真髄は、そう説いております。ゆえに、妙法を根本に、みずからの「生命の明鏡」を、心を、日々、おこたらず磨きあげていく「人間革命」こそが不可欠になってくるのであります。

 私は、28歳の若き日に、愛する山口県の大地で同志とともに「開拓闘争」の歴史をつづりました。なぜ、あれほどの歴史を残せたのか?
 それも、「この瞬間は二度とない」という決心で戦ったからであります。
 山口の基盤は、私が「師弟不二の闘争」でつくったのであります。
 私は勝った。だれの追随も許さない歴史をつくりました。いずこにおいても。
 皆さんも、何でもいい、「さすがだ!」と言われる歴史をつくっていただきたい。
 勝てば爽快である。楽しい。胸を張れる。負ければ悲しい。ばかにされる。
 「勝つ」ための信心であり、人生であります。

 先生はかつて、山口の友に「あまりにも 縁もふかき 山口の 三世に残る 栄冠 待つらむ」と詠み贈った。師が青春時代を駆けた思い出の天地・山口。先生は、万感の期待を寄せている。

 激戦、また激戦の日々であった。中傷批判の嵐の真っ只中を、私は一段と決意深く、前進の指揮を執った。
 先生に喜んでもらいたい。勝利を報告したい。これのみが、弟子の道であるからだ。
 ああ、懐かしき山口闘争!
 私は勝った。この舞台にあっても、師弟は不二として勝った。
 わが弟子よ! 君も、断じて何ものにも負けるな!
 「正義の拡大」のために、勝って、勝って、勝ちまくってくれ給え!



(2019年11月4日 聖教新聞)







Last updated  2019/11/05 12:16:32 PM
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2019/10/21
カテゴリ:勇気の旗高く

​勇気の旗高く 池田先生と山梨
山の如く揺るがぬ心で

 池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は山梨県を掲載する。

師弟の人材城
 山々に抱かれた山梨県。1955年(昭和30年)、県内で行われた水滸会の野外研修の折、戸田先生は語った。「この山紫水明の天地に、広宣流布の人材の城を築きたいな」。池田先生はこの恩師の言葉を胸に、幾度となく足を運んできた。2007年(平成19年)、山梨最高協議会に出席した池田先生は、師弟の精神について語った。
  
 戸田先生は、天下の要所である山梨をこよなく愛し、大切にされた。この地で、青年を薫陶してくださった。
 山梨には、創価の師弟の深い縁がある。重大な使命の天地なのである。
 山梨創価学会の前進は、まことに立派である。偉大なる広宣流布の歴史を現実に大きく切り開いてくださっている。
 私はいつも、戸田先生のお心を思い、そして、広宣流布の新時代を展望して、山梨を訪問させていただいている。
  
 私は、ただ師匠のために戦った。
 師匠に直結しない戦いは、いかなる戦いも意味がない。そう、私は決めていた。
 全部、戸田先生の言われる通りに戦ってきた。
 これが師弟である。
  
 山梨の皆さまには、本物の師弟直結の人材城を築いてもらいたい。
 皆さまはどうか、私とともに、真実の師弟の道を歩み抜いていただきたい。そして、勝ち抜いていただきたい。
 師弟の精神が盤石であれば、それが土台となり、因となって、「大山梨」を築くことができる。
 そうした見事なる「大山梨」ができれば、日本中、いな、世界中に、勝利の波動は広がっていくのである。

行学の二道を
 山梨は、日蓮大聖人が晩年、末法万年の未来のために諸御抄の御述作と弟子の育成・教化に当たられた地である。1997年(平成9年)、その山梨に教学研修センター(笛吹市)がオープン。池田先生は開館間もない6月10日、同センターを訪れ、御書講義を。その中で「『教学第一』の山梨たれ! 『行動第一』の山梨たれ!」と呼び掛けた。
  
 「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)――これが、大聖人の根本の教えである。この「心」を、どうつくるか。
 すなわち、一念に三千を具する、わが「心」を、どう鍛え、どう磨き、どう人間革命へと回転させていくか。そのために信心があり、学会活動がある。
  
 大聖人は、この山梨の地から、四条金吾に、「陰徳あれば陽報あり」(同1178ページ)――人の目に見えないところで積んだ徳は、必ず目に見える報いを受けることができる――と励ましておられる。
 金吾は、それまで、妬みの讒言によって、主君から遠ざけられていた。その難を、金吾は、けなげな信心と、真心の行動で見事に乗り越え、信頼を勝ち取っていった。
 門下の勝利の姿を、大聖人はこよなく喜ばれながら、重ねて、こう仰せになられた。
 「此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ」(同ページ)――これは、まだ始まりです。さらに大果報が来ると確信しなさい――。
 法のための労苦は、すべて功徳となって、わが身を飾る。見えない陰の献身の行動が、目に見える結果となって、福徳は汲めども尽きない泉のごとくに、ぐんぐんと満ちてくる。
 その確かな幸福の軌道に、皆さまは間違いなく入っておられる。この軌道から、絶対に外れてはならない。そのためにも、教学を学びゆくことが大切なのである。
  
 「諸法実相抄」の有名な御文にいわく、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同1361ページ)――行学の二道に励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分自身も行い、人にも教えていきなさい。行学は信心より起こるのである。力があるならば一文一句でも語っていきなさい――と。
 どうか、わが山梨の皆さまは、日々、少しずつでも、御書を拝していただきたい。
 そして、あの山々のごとく、揺るがぬ確信を築くことである。また、雄々しき行動へと勇みゆく、模範の「実践の教学」であっていただきたい。

何かで日本一に
 かつて、上杉謙信と覇を競い、徳川家康・織田信長の連合軍を破った、武田信玄の軍団を輩出した山梨。2007年、池田先生は「首都圏を、さらには日本と世界を、堂々とリードしていっていただきたい」と、山梨の前進に期待を寄せている。
  
 山梨は、最強の武田信玄の軍団を生み出した天地である。
 同じ生きるなら、誇り高く生きるのだ。
 仲良く前進!
 朗らかに勝利!
 そして日本一の充実した山梨を築いていただきたい。
 何かで「日本一」を目指すのだ。
 折伏日本一! 人材日本一! それも、すごい。
 「団結日本一!」「朗らか日本一!」。これもまた素晴らしい。​


 ――あの山梨の団結を見よ! 山梨は、どこか違う。あの姿の中に、真実の創価学会の魂がある!――
 こういわれる模範の県を、築いていただきたいのだ。
 それには、お金はいらない(笑い)。心で決まる。難しい話も、必要ない。心一つで決まるのだ。
 ほかのどこよりも麗しい、異体同心の前進をお願いしたい。
  
 立ち上がるのだ。
 行動するのだ。
 波を起こすのだ。
 外へ、外へと打って出るのだ。折伏精神を胸に!
 小さな世界にいるだけでは、新しい発展はない。停滞してしまって、傲りの心、退転の心に侵されてはならない。
 列車も、飛行機も、どこかへ向かっていく。進まなければ、目的地には着けない。これが道理である。
 人もまた、生き生きと、新天地に向かって飛び出すのだ。心を外へ開くのだ。自分の殻を破るのだ。そこに希望の拡大がある。幸福の光が広がる。
 勇んで、外へ打って出る――これが、勝利し、発展し続けていくための原則なのである。
  
 明年は、「ニュー山梨」との指針が示されて35周年の佳節。春には、待望の新「山梨文化会館」の完成が予定されている。山梨の同志は今、建設のつち音とともに、幸福の光を広げている。


(2019年10月21日 聖教新聞)







Last updated  2019/10/21 12:12:10 PM
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2019/09/30
カテゴリ:勇気の旗高く

勇気の旗高く 池田先生と三重
信仰は「永遠の希望」


師弟一体の闘争
 本年は、三重にとって幾重にも広布の佳節を刻む意義深き年である。1059年(昭和34年)10月5日、池田先生は伊勢湾台風の甚大な被害に見舞われた四日市方面を訪れ、同志の激励に奔走。この「三重初訪問」から60周年を迎える。その10年後の69年(同44年)12月には、高熱を押して松阪・伊勢を訪問(本年で50年)。当時の様子が、随筆につづられている。
  
 『万葉集』にも薫り高く歌われた美しき三重――。
 しかし、戦後にあっては、あの伊勢湾台風の被災や四日市の公害など、三重の方々は厳しい試練も受けた。
 そのなかで「立正安国」の法旗を掲げた同志も、悪口(あっこう)、中傷、村八分等の圧迫に耐え抜き、必死に広宣流布の道を切り開いてきたのである。
 “友よ、負けるな、断じて負けるな!”
 1969年(昭和44年)の暮れ、私はそう念じながら、三重の皆様のもとへ駆けた。
 3日前に大阪入りした時は40度の高熱であり、まだ発熱は続き、体調は最悪であった。だが、私は、奈良に続いて、三重の松阪、伊勢へと苦しい体を走らせた。
 弟子が懸命に戦い、待っているのだ。どうして行かずにいられようか。

 あの日、私と三重の同志は「開目抄」を拝した。
 「我並(われなら)びに我が弟子・諸難(しょなん)ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし……」(御書234ページ)
 いかなる苦難があろうが、疑いを起こして、「広宣流布に戦う心」を失っては絶対にならない! 「我並びに我が弟子」と仰せのごとく、師弟一体で戦い抜くのだ!
 ここ三重の地に、わが魂魄(こんぱく)を留(とど)めんと、時々刻々、命の限り戦った歴史は、絶対に忘れることはできない。
  
 10・6「三重の日」が制定されたのは74年(同49年)。本年で45周年を迎える。制定から2年後、中部第一総合研修所(現・三重研修道場)で行われた記念勤行会では、池田先生を囲んで「人間革命の歌」を高らかに歌った。席上、先生は恩師・戸田先生の言葉「御本尊に対して、つねに感謝の気持ちがある人は、ますます福運が開かれていくものだ」を通して指導した。
  
 ここでいう“感謝の心”とは御本尊を受持し、その功徳の源泉に縁することへの感謝であり、大勢の同志に守られ、指導、激励を受け、御書を学び得たことに対する感謝という意味です。
 この強い感謝の一念は、自分自身の境涯を大きく開き、功徳の薫風を生命の宮殿に吹き込ませる福運開花の本因につながるのであります。
 日々の仏道修行に心から感謝している人は、やはり諸法実相の道理で、なんともいえない福々しさがある。皆さん方も、そういう人生を築き、悠々自適(ゆうゆうじてき)の生涯を送られんことを心から願望してやみません。
 
「信念の人」は若い
 池田先生は92年(平成4年)12月15日、三重・津市にある中部池田記念墓地公園を訪問。6日間の激励行は、今も多くの同志の胸に刻まれている。同19日には、第9回中部総会が開かれ、先生は「創価」とは「無限の希望」であるとスピーチした。
  
 「ホープ」――人生の「希望」は無限である。
 私は、いつもいつも御本尊に祈り、念じてきた。何があろうとも、わが創価学会員に「無限の希望」を与えたまえ、と。
 その通り、学会には、年ごとに、いよいよ壮大なる希望の道が広がっている。
 「信心」は「無限の希望」である。そして、「創価」とは「無限の希望」である。
 向上の人生、努力の人生、信念の人生には、希望が湧く。 
 何があっても、永遠に「希望を生み」「夢を実現」しながら生き抜いていく。それが仏法者の人生である。
  
 アメリカの詩人、サムエル・ウルマンについては前にも紹介したが、彼の詩をふまえているとされる、次のような言葉がある。
  
 人は信念と共に若く
  疑惑と共に老ゆる。
 人は自信と共に若く
  恐怖と共に老ゆる。
 希望ある限り若く
 失望と共に老い朽(く)ちる。
  
 素晴らしい、有名な言葉である。
 人を「若く」するもの。それは「信念」である。
 確固として「信ずる」「念ずる」――その一念が生命の力を強める。
 正しきものを信じ、正しき方向へと念ずるゆえに、正しき、幸福への信念となる。「正法」を実践する私どもこそ、最高の「信念の人」なのである。ゆえに若い。ゆえに、はつらつとしている。
  
 「人は自信と共に若く」――と。
 どんな課題、どんな試練であれ、「さあ、来い!」という「自信」である。「わが地域は、必ず大勝利してみせる」という気概である。そこから前へ、前へと進む不屈の力が湧き出ずる。
 実力が伴わない自信もあるが(爆笑)、要は、何でも率先してやろうという一念が大きく人生の道を開いていく。
  
 ともあれ、「信念」に燃え、「自信」と「希望」がある限り、人は若々しく、生き生きとしている。その人こそ、真に生きた人、勝利を得た人、生命の勲章を得た人である。
 ここに、人生の究極もある。信心の究極もある。仏法の究極もある。
 私どもの正しき信仰は、希望と確信の人生を生きる「根源の力」である。この「力」を知るゆえに、わが創価学会は、何ものも恐れない。「永遠の希望」に生きることができる。
 
勇壮なる飛翔を
 10月が来ると、三重の同志の心はいや増して燃える。青年部は現在、10・7「三重青年部 師弟誓願の日」へ、記念月間を躍進。あす1日からは、各部一体で10・6「三重の日」を祝賀する記念月間がスタートする(10月31日まで)。先生は、愛する三重の友に呼び掛けた。
  
 三重県の形は、「翼(つばさ)を広げた鷲(わし)」の姿に似ているといわれる。
 四日市・桑名(くわな)方面が一つの翼、熊野・尾鷲(おわせ)方面がもう一つの翼であり、伊勢・鳥羽(とば)方面が頭部にあたる。そして、津・松阪などの中央部が胴体であろうか。
 それぞれの地域が一体となって、栄光・大勝の空へ羽ばたく三重の皆様の英姿と重なって見える。
 戦おう、三重の同志よ!
 空飛ぶ者の王・鷲のごとく、大空に向かって勇壮(ゆうそう)なる飛翔(ひしょう)を共々にしてゆこうではないか!
 最も大切な庶民の真っ只中に飛び込み、偉大にして崇高な「人間革命」の波動を起こしゆこうではないか!
 民衆が民衆のための勝利の凱旋曲を、我らの万葉の天地に心ゆくまで響かせてゆこうではないか!


(2019年09月30日 聖教新聞)







Last updated  2019/09/30 12:00:07 PM
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2019/09/23
カテゴリ:勇気の旗高く

​勇気の旗高く 池田先生と佐賀
変毒為薬の功徳舞

 佐賀文化会館に再現された、吉野ケ里遺跡(よしのがりいせき)のミニチュアを池田先生が見学。佐賀の未来に万感の期待を寄せた(1990年9月24日)

 池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は佐賀県を掲載する。

「仏の使い」の陣列
 今年、9・15「佐賀の日」制定から45周年の佳節を迎えた。淵源は1967年(昭和42年)、池田先生の佐賀初訪問。99年(平成11年)の随筆で、当時の模様がつづられている。
  
 この佐賀県に広宣流布の支部の旗が翻(ひるがえ)ったのは、1960年、すなわち昭和35年の5月3日である。
 私が、第3代会長に就任した、その日であった。
 その7年後の9月、私は初めて、佐賀の天地に、わが同志と握手するために伺った。
 広宣流布の第一線で戦ってくださる、全県の中堅幹部の方々との記念撮影であった。
 当時、九州第一の折伏を敢行した、佐賀の「地涌の菩薩」の誇らしげな笑顔また笑顔。
 本当に人生を「価値ある道」に生き抜いた方々の姿。
 そして、本当に人生の真髄を勝ち抜いた方々の崇高なる「仏の使い」の陣列は、あまりにも神々しく、私の目には映った。
  
 今年の8月下旬、佐賀県をはじめ、九州北部を記録的な大雨が襲った。今なお、生活への影響が残っている地域が多くある。創価の同志も、男子部有志の清掃ボランティア「かたし隊」を結成するなど、復旧作業に尽力した。
 被害が特に大きかった地域の一つ、武雄市は、76年(昭和51年)10月10日に、「佐賀文化祭」が行われた地。その前月、台風17号の影響により、全国的に記録的な大雨となった。池田先生は文化祭に万感のメッセージを寄せた。
  
 佐賀の同志の皆さん、全国の最後を飾る文化祭おめでとうございます。台風の被害はもう大丈夫でしょうか。きょうの文化祭が、皆さまの見事な変毒為薬の功徳舞となり、本年の文化祭の総仕上げとなることを御本尊に祈っております。
 私はこの8月に、霧島の総合研修所(当時)で行われた九州輸送班(当時)の野営キャンプの光景を忘れることはできません。
 豪雨の中、佐賀県の男子部メンバーは、一糸乱れぬ団結で互いの士気を鼓舞しつつ、最後まで部署を守り抜いておりました。ここに学会魂があります。
 私は佐賀の同志を心から信頼いたします。
 この佐賀健児の心意気は、全佐賀の同志の心でもあると思います。先輩を大切に、後継の人材をたくましく育てつつ、御本尊根本の、全国に誇る佐賀県創価学会を築いていってください。

幸福を築く根本
 佐賀初訪問から10周年となる77年(同52年)の5月、先生は佐賀市に完成したばかりの佐賀文化会館へ。
 25日から3日間の滞在で、多くの同志と懇談し、記念のカメラに納まった。さらに26日の開館記念勤行会で、渾身の励ましを送った。
  
 何事をなすにも必ず「根本」というものがある。では、この宇宙、生命の「根本」とは何か。また人間が心から願望する真実の幸福境涯を築く「根本」は何か。
 いうまでもなくこの根本こそ、南無妙法蓮華経であり、即「御本尊」である。
 その根本を受持した人にとって最も大切なことは、御本尊に対する「観心」である。
 すなわち、御本尊に備わった偉大なる仏力・法力を、現実の生活の中に顕現しゆく信力・行力の持続こそ、仏道修行の生命である。この基本姿勢を、何があっても絶対に崩さない佐賀の同志であっていただきたい。
  
 この3日間の佐賀訪問の思い出を、先生は随筆で次のようにつづっている。
  
 立派に完成した佐賀文化会館が、友の歓びで輝いていた。
 尊き草創の功労者の、追善の儀式もさせていただいた。
 3日間の忘れ得ぬ滞在。
 ──佐賀は、青年がぐんぐん伸びている。佐賀は、これから強くなるぞ。
 21世紀の佐賀は楽しみだなと、私の胸は熱くなった。
 嫉妬(しっと)に狂いに狂った宗門の坊主らの暴虐(ぼうぎゃく)が始まったのは、その翌年のことである。
 彼らは、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の和合僧を陰険に引き裂き、広宣流布を進める健気な学会員を苦しめ抜いたのだ。
  
 私の“会長勇退”から、ちょうど1年後の4月、私は中国・上海から長崎に降り立った。その長崎の空港にも、誠実なる佐賀の友が迎えに駆けつけてくれた。
 また、長崎から福岡に列車で移動する途中、佐賀駅のホームにも、わが同志が待っていてくれた。
 「佐賀よ、負けるな! 佐賀よ、頑張れ!」と、窓越しに手を振り、目と目は涙と笑みに光った、あの瞬間は、今も鮮烈に心に焼きついている。

「栄え」の郷土を
 90年(平成2年)9月24日、先生は13年ぶりに佐賀を訪問。「13年 待ちに待ちたる 佐賀の旅 喜び満ちたる あの顔この顔」など3首の和歌を詠み贈り、代表の友に語った。
  
 その人その人によって、幸福の味わいもさまざまである。経済的な豊かさや、地位、名声等、人それぞれである。
 だが、ひとたび心の破れた人は、幸福の「醍醐味」を味わうことはできない。信心に徹し、どこまでも題目を唱えながら生き抜いた人こそ、永遠の勝利者であり、醍醐味(だいごみ)の幸福を得ることができるのである。
  
 私どもは皆、平等である。皆、仏子である。だれが偉いのでもない。信心のある人こそが偉大なのである。
 尊き仏子をかりそめにも軽んじるようなリーダーであってはならない。
 求道の人には、まさに「立って仏を迎える」ごとく、真心で応えゆくリーダーであっていただきたい。
  
 固く団結しながら、麗(うるわ)しき「栄え」の郷土、素晴らしき「栄え」の人生を築いていただきたい。
  
 この佐賀訪問から6日後の9月30日、九州研修道場(当時)で開催された全国男子青年部幹部会。席上、池田先生は、佐賀の友の広布功労をたたえつつ、スピーチした。
  
 佐賀は、九州の中でも地味な地域ではあるが、佐賀の友は地道に、真面目に広布の活動に励んでこられた。その労苦を私は最大にたたえたい。
 とともに、むしろそうした目立たないところで活躍していくのが、本当のリーダーとなっていくための修行であることも忘れてはならないであろう。
 世間には、華やかな大都会にあこがれて、幻のごとき名声や人気を追い求める生き方も少なくない。
 しかし、幻はどこまでも幻である。現実はどこまでも現実である。
 そして、自分はどこまでも自分であって、それ以上でも、それ以下でもない。
 それを忘れて目先のことにとらわれ、真実の生きがい、人生の目的を見失ってはならない。
 たとえ、喝采(かっさい)のない地味な一隅にあったとしても、自身の立場で「良き人生」と「良き社会」の建設へ、そして「広宣流布」へと懸命に祈り、行動していく。
 そこに仏法者の生きがいがあり、その健気な心根こそ大切なことなのである。​


(2019年9月23日 聖教新聞)







Last updated  2019/09/23 01:03:30 PM
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2019/09/17
カテゴリ:勇気の旗高く

​勇気の旗高く 池田先生と沖縄

世界広布の模範たれ
 
 池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は沖縄県を掲載する。


一番、幸福に!
 池田先生が沖縄を初めて訪問したのは1960年(昭和35年)。会長に就任した年の真夏の7月16日であった。
 日蓮大聖人が、「立正安国論」を提出されて700年のその日に当たってもいた。
 先生は「一番、苦労した沖縄が一番、幸福に!」と心から祈り、励ましを送り続けてきた。折々の随筆では、沖縄の同志と刻んだ“宝の思い出”を述懐している。

 私は、世界の広宣流布の使命をもった第三代会長として、沖縄を訪問させていただく機会を、最大に意義ある儀式として臨んできた。
 沖縄での一日は「一年分」──私は、常にこの思いで戦ってきた。
 今を逃せば、いつ、また、来られるか分からない。いつ、会えるか分からない。一瞬一瞬が「一期一会」である。だからこそ、徹して友と会い、友と語り、友と動いた。
だからこそ、思い出は、交響曲のように胸中に響いている。

 那覇市に建った沖縄本部の落成式(昭和37年7月)では、会場に入りきれなかった友のために、私が屋上に出て指揮を執り、「沖縄健児の歌」を一緒に歌った。
 私が小説『人間革命』の執筆を開始(昭和39年12月2日)したのも沖縄の中心地・那覇(なは)であった。
 本土復帰の日が近づく、昭和47年の1月、私は沖縄で二番目の宝城となるコザ会館(現・中頭文化会館)の開館式に出席した。

 昭和49年には、念願の八重山・宮古を訪問し、共に語り、共に歌い、共に舞いながら、皆様方と生涯忘れ得ぬ交流を結んだ。
 西暦2000年には、「戦争の世紀」といわれた20世紀にピリオドを打ち、沖縄から「平和の世紀」へと転換しゆく希望の祭典が行われた。宜野湾(ぎのわん)市の沖縄コンベンションセンターでの「世界青年平和大文化総会」である。
 あの時、出演したメンバーの多くが、青年部の中核として、壮年・婦人部の若きリーダーとして活躍してくれている。青春の誓いに生き抜く闘争ほど、尊く偉大な勝利の人生はない。

「人間革命」を起稿
 なぜ、小説『人間革命』の執筆を、沖縄の地で開始したのか。池田先生は2004年(平成16年)5月の随筆に、その真情をつづっている。

 その朝、私は一人、文机に向かい、万年筆を握ると、原稿用紙の第一行に力を込めて書き始めた。
 「人間革命」──
 そして、「第一章 黎明一」と続けた。
 「人間革命」とは、人間の、そして人類の平和と幸福の「黎明」を開きゆく闘争である。
 私は、『人間革命』という平和建設の大ドラマを、なんとしても、沖縄で書き起こし、歴史を残しておきたかった。
 太平洋戦争の末期、凄惨極(せいさんきわ)まる地上戦の戦場とさせられた沖縄である。

 かくも戦争の「残酷(ざんこく)」と「悲惨(ひさん)」を味わったからこそ、いずこの地よりも、平和への誓いを宿命としながら、決意も強く、沖縄は戦後の復興に向かった。
 「平和の心」「生命の心」「幸福の心」は、いかなる権力にも脅威にも、絶対に譲り渡すことはできない。これこそ、正義の怒りの炎を持った沖縄民衆の不滅の魂(たましい)だ。
 日本は永遠に、この「沖縄の心」を尊敬し、感謝し、宝としていかねばならない。

変毒為薬の信心
 「沖縄の心」を象徴するのが恩納村(おんなそん)の沖縄研修道場だ。かつての核ミサイル発射台が先生の提案で「世界平和の碑」へと生まれ変わった場所である。1992年(平成4年)2月、先生は沖縄研修道場で開催されたアジア総会の席上、信心の姿勢を語った。

 研修道場の前に広がる海は、美しい沖縄の海のなかでも、とりわけ有名である。民謡にも歌われ、広く愛されている。この沖縄の青き海は、「かりゆしの海」と呼ばれている。「豊かな海」との意味である。多くの生きものを養う、広大な海。アジアへ、世界へと続く海。──私どもは、この海のごとく豊かな心、広々とした境涯でいきたい。

 何かあるごとに「いよいよ喜んでいきなさい」「それが強盛の信心である」──大聖人のお教えは明快である。この通りに生きたい。この通りの信心でありたい。その人が勝者である。成仏の人である。
 すぐに、“またこんなことがあった”“嫌になるな”などと、心が揺れる場合があるかもしれない。しかし、それだけでは、周囲まで暗くしてしまう。誰も得をしない。その時こそ、「変毒為薬(へんどくいやく)」の信心をすべきである。
 自分の一念で、苦しみも楽しみに、悩みも喜びに、宿業も功徳に変えられる。全部、輝く常楽の世界に転換できる。難があるから自分も成長できるのである。堂々と「大確信」の信心を貫いていただきたい。

 学会は末法濁世(まっぽうじゃくせ)の今、大聖人の仏意仏勅(ぶついぶっちょく)を受け、出現した不思議なる「広宣流布の教団」である。

 難また難を悠然と受けつつ、前進そして前進の糧にしてきたからこそ、今日の学会の大発展があった。世界の広布大海への展開があった。
 ともあれ、“一切はわが生命を豊かにしてくれる滋養(じよう)であり、栄養である”とのおおらかな境涯で、新たな船出をしてまいりたい。

「誠実」で勝つ
 98年(平成10年)2月、フィリピン・香港歴訪の旅を終えた池田先生は、沖縄最高会議(恩納村の沖縄研修道場)に出席。席上、「21世紀の沖縄」の使命を語った。

 沖縄の創価家族は、「誠実」で勝ってきた。「誠実」ほど強いものはない。どうかこれからも、沖縄は沖縄らしく、着実に、堅実に進んでいただきたい。そして、アジア広布、世界広布の模範となる友好活動の連帯を、愉快に仲良く、拡大していただきたい。21世紀の憧れの「幸福島」を建設していただきたいのである。

 創価学会の21世紀の勝利。その根本は何か。それは、尊き学会の友を、ともかく大切にすることである。
 形式や組織主義ではなく、「会員のため」に徹して、温かく、柔軟(じゅうなん)に、丁寧(ていねい)に、皆が伸び伸びと、自在に広宣流布へ活躍できるように、心を砕いていくことである。
 その「革命」ができた分だけ、広宣流布の「勝利」は広がる。 ​


(2019年9月17日 聖教新聞)







Last updated  2019/09/17 06:44:56 PM
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2019/08/30
カテゴリ:勇気の旗高く
勇気の旗高く 池田先生と愛媛

幸福は心の深さで決まる

色鮮やかに咲くパンジーの花。1985年2月、池田先生が愛媛文化会館(現在の松山文化会館)の屋上から松山市の街並みを望みつつ、シャッターを切った
   池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は愛媛県を掲載する。

日本一麗しい家族
 いにしえより伊予国として栄え、歴史的建造物が数多く現存する愛媛県。1973年(昭和48年)11月11日、池田先生は松山市内での県幹部総会の席上、「日本一麗しい仲の良い愛媛家族」との指針を贈るとともに、愛媛の風土や県民性を語り、友の活躍に期待を寄せた。
  
 愛媛の郷土は「古事記」の「国生み」のくだりに「伊予(いよの)国は愛比売(えひめ)と謂(い)ひ」と記されているごとく、まことに、麗(うるわ)しい平和なところであります。特に、この松山市の辺りは、額田王(ぬかたのおおきみ)が「万葉集」において「熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出(い)でな」と詠んだ、昔から詩情豊かなところであります。
 近くは正岡子規(まさおかしき)、夏目漱石(あつめそうせき)が起こした新派俳句の都であり、また、学問の盛んなところでもあります。
  
 よい意味の従順(じゅうじゅん)で勤勉で、勇敢(ゆうかん)で、そのうえ情がこまやかであるとされているようであります。どうかそれらの特性をより以上信心で磨いて、また崩さないようにして、立派な所願満足の人生を完成していってほしい。
 “愛媛の同志をごらんなさい”といわれるようになっていただきたいのであります。
 そして、ますますこの麗しいよい郷土を、皆さん方の力で守り築いてください。

「真剣」が壁を破る
 「聖教の四国」と呼ばれるほど、機関紙の購読推進において全国をけん引してきた四国。この伝統は、愛媛の同志を先頭に築かれた。73年(同48年)5月、聖教拡大で師恩に応えようと懸命に対話に走り、同年10月には8000部を超える拡大を達成。翌月、師匠を愛媛に迎えた。先生は、愛媛の友の奮闘を随筆につづった。
  
 「聖教新聞」は、戸田先生が、「日本中、世界中の人に読ませたい!」と念願されていた新聞である。
 “よし、私たちは、愛媛中の人々が「聖教新聞」を読む時代をつくってみせる!”
  
 「創価学会の新聞か!」と取りつく島もなく、断られることもあった。「だめだ、だめだ」と厳戒な警備さながら追い返されたことも多かった。しかし、「勇気」の愛媛のわが同志は、絶対に挫けなかった。
  
 わが友は、あの堅固な松山の城を見つめながら走った。そしてミカン畑が広がる地域にも、さらには瀬戸内の島々や山間の村々も駆け巡った。
 愛媛の津々浦々で、学会の正義を訴える声が、勇気凜々と響き渡っていった。
 真剣な心が、友をつくる。
 真剣な行動が、厚い壁を打ち破る。
 そこから、人々の心が動いた。時代が動いた。いな、動かしたのだ!

題目一筋の人に
 第1次宗門事件の渦中の79年(同54年)4月、先生は第3代会長を辞任。“先生が来られないのなら、私たちが行こう”と、愛媛をはじめ四国の友は翌年1月、大型客船「さんふらわあ7」号で神奈川文化会館にいる師のもとへ。愛媛の同志は同年5月にも海を渡った。その折、先生は神奈川での交歓の集いに出席し、次のように語った。
  
 御本尊に題目をあげる力に勝るものはない。この題目を唱え、広めていく地涌の菩薩の皆さんは、一切の根本法に則っているがゆえに、誰人より尊く、幸せであり、人間王者といってよい。この題目一筋に生き抜く人にかなうものはない。誰よりも偉大な法則に則った人生を生きることができるのである。これこそ最高の人生なのである。
  
 虚像の人生の人は弱い。信仰の大地に根を張った庶民の力は強い。我が創価学会の強みは、無名の庶民が題目を唱え、連帯し、広宣流布の大願に進んでいるところにある。
  
 一声の題目が、全宇宙に響き渡り、先祖代々に妙法の功徳が回向されるような決意で、また、自身の根本的な宿命転換の原動力となり、親族、全支部員にもその波動を与えていくとの確信をもって題目を唱えていただきたい。

一軒また一軒と
 85年(同60年)、先生は2月と4月の2度、愛媛を訪問。2月4日には、悪侶の迫害と戦った大洲市へ。南予圏の合同地区部長会に出席し、不退転の同志の勝利をたたえた。
  
 “仏法は勝負”である。仏と魔との戦いであるが、皆さんは信心で勝った。まぎれもなく勝利したのである。
  
 「ただ心こそ大切なれ」(御書1192ページ)と日蓮大聖人は仰せである。「心」とは「信心の心」である。御本尊を根本として、信じ、行じゆく「信心の心」が、どうであるかが大事なのである。
 信心は、一生成仏つまり幸せになるための信心である。御書にも、理解はできても信心なき「有解無信」の人は「成仏すべからず」と説かれている。逆に理解はできなくても信強き「有信無解」の人は「成仏すべし」と仰せである。
 つまり、学歴、才能の違いも、貧富の差も、信心における幸・不幸とは無関係なのである。御本尊を信じ、南無しゆく心の深さこそが、幸・不幸の岐路を決める要諦となることを知っていただきたい。  
 地区部長会の後、先生は市内の功労者宅へ。くしくも会長辞任後、500軒目となる家庭訪問だった。その時の思いが、随筆にしたためられている。
  
 500軒目は、坊主の迫害に耐え抜いた愛媛の勇者の家であった。1985年(昭和60年)の寒い二月のことである。その後も、全国各地、また世界を回るなかで、寸暇を惜しんで、広宣流布の尊き同志のお宅を訪問させていただいている。
 一軒また一軒と数が増えるにつれ、自分の家族も増えるような思いであった。
 苦労して個人指導、家庭指導に歩けば、その分だけ、人間としての厚みがまし、豊かな境涯になれるものだ。
 やはり、一軒また一軒と家庭まで足を運び、語り合わなければ、その人の苦しみも、その人の本当の悩みもわからない。すなわち、その人の人生と使命と未来への希望を与えることができない。
  
 会長辞任の直後、地道な家庭訪問から闘争を開始し、今や学会の民衆のスクラムは、世界をも結ぶまでになった。
 一人を味方にできない人は、世界を味方にできない。
 一つの家庭の幸福に尽くせない人は、人類の幸福に貢献できない。
  
 明年の5月3日は、池田先生の会長就任60周年。愛媛初の支部となる松山支部の結成60周年でもある。愛媛の友は、さらなる弘教・人材の拡大で“師弟共戦の60周年”を荘厳する。



(2019年8月30日 聖教新聞)







Last updated  2019/08/30 03:00:06 PM
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2019/08/19
カテゴリ:勇気の旗高く

勇気の旗高く 池田先生と和歌山
連続勝利の歴史を飾れ


和歌山・白浜の関西研修道場から大海原を望む。池田先生は「和歌山の海は美しい。とりわけ白浜の海は明るく、壮大である。暖かい光に満ちている」とたたえた(1988年3月、先生撮影)

 池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は和歌山県を掲載する。

詩情薫る天地
 紀伊山地の山々が県の面積の大半を占め、太平洋にも面する和歌山県。
 白浜町にある関西研修道場は、風光明媚(ふうこうめいび)な景観が広がる。1988年(昭和63年)3月、同道場で行われた和歌山県総会で、池田先生は和歌山への思いを述べつつ、友の広布への献身をたたえた。
  
 和歌山は、海も山も、自然そのものが“和歌”であり、美しき詩歌の天地である。
 私にとっても、この地は、青春時代からの憧れの地であった。若き日の日記に、私は「あこがれの和歌山」との一言を記した。
  
 この詩情薫る天地で、私は草創の同志と数々の金の思い出を刻んだ。記念のカメラにも納まり、また未来に思いをはせ、ともに語り合った。
 28歳、29歳と、和歌山市と白浜を訪れて以来、私の訪問も、すでに約20回。この間、苦も楽もともにしながら、黄金の日記をつづることができた。その黄金の歴史を共有した和歌山同志のことを、私は生涯、忘れないであろう。
  
 皆さま方は日夜、広布のリーダーとして、懸命に民衆の嘆(なげ)きに耳をかたむけ、その幸福を祈り、行動されている。
 仏法の眼、生命の因果の眼から見るとき、いかなる栄誉の指導者よりも尊き存在であられる。
 その無償にして、信念の行動に対して、御本仏の御称嘆はもとより、全宇宙の諸天善神が皆さま方を守りに守っていくことはまちがいない。
 私も戦う。
 指導者として、休みたくとも休むわけにはいかない。
 止まりたくとも、走るのを止めるわけにはいかない。
 その、広布への渾身の実践にこそ、大聖人の仏法の生きた脈動が、また魂があると信ずるからだ。
  
 県総会の前日に開催された和歌山広布35周年の開幕を記念する研修会では、リーダーが“陰の人”に光を当てる大切さを訴えた。
  
 広布の庭には、光の当たらぬ舞台でも、誇り高く黙々と活躍している人がいる。
 たとえ、だれにほめられなくとも、ひたすら自らの使命の道に徹し、行動している人もいる。
 そうした友を徹底して守り、支え、励ましていくことを、広布のリーダーは決して忘れてはならない。

高熱を押して
 「和歌山の 友に 魂とどめむと 熱き生命の 舞の歴史は」──この和歌を池田先生が詠んだのは、69年(同44年)12月21日。和歌山県幹部会が行われた日である。
 先生は高熱を押して、24分間に及ぶ烈々たる指導を。2003年(平成15年)の随筆で当時の模様をつづった。
  
 和歌山訪問を前に、私は大阪で、40度を超す熱を出してしまった。疲れに疲れきってしまった。
 私の容体の連絡を受け、妻も急きょ駆けつけた。
 体を診てくれた医者は、「熱が下がれば……」と口にしたものの、本心は、絶対に和歌山行きは中止すべきだと訴えていた。側近の幹部からも、断じて行かぬよう止められた。
 私は、妻と二人きりになった時に言った。
 「どうしても和歌山に行ってあげたい。途中で倒れれば本望だ」
 暗々のうちに二人で納得し合った。行くことが決まったのだ。
  
 遂に和歌山の同志と共に迎えることのできた、あの県立体育館での幹部会では、会場を揺るがせゆく、歓喜と勇気の漲る師子たちのシュプレヒコールが天まで轟(とどろ)き響(ひび)いた。
 「和歌山は、戦うぞ!」
 「和歌山は、勝つぞ!」
 誰も私の本当の病状など知らないはずだ。
 私は嬉しかった。高熱を忘れて、同志の勇敢なる雄叫びに喜びもし、安心もした。
 その会合の最後に、同志の求めに応じて学会歌の指揮を執った後、もうその体は自分のものではなかった。
 宿舎に移り、汗ビッショリとなった下着を替え、ただちに医師に注射を打ってもらうと、ほんの少しだが、体が楽になった。
 起き上がって、窓のカーテンを開けると、眼下に別世界の和歌浦湾があった。
 海の彼方に煌(きら)めいていたのは、海南市の灯りであった。あの地でも、わが同志が、生き生きと不屈の活躍を続けているにちがいない。私は合掌し、人知れず友の幸福を祈った。
  
 御書には「一は万が母といへり」(498ページ)と仰せである。
 一人の勇気ある行動が次の一人の行動を呼び、遂には万人の勇気の行動となり、勝利を呼ぶのだ。
 恐れなき和歌山の友よ、一人ももれなく幸福と栄光を勝ち取り、和歌山の連続勝利の歴史を、全世界の友のために築き飾っていっていただきたい。

日本一の人材城を
 愛する和歌山の天地に永遠に崩れぬ人材の城を築くため、池田先生は励ましを重ねてきた。1996年(平成8年)3月、和歌山文化会館を初訪問した際には、次のように呼び掛けた。
  
 私は、ずっと思ってきた。
 「和歌山に住んでみたい。もし、東京から引っ越すとすれば和歌山を選ぶにちがいない」と。
 和歌山で広布の指揮を執り、また詩をつくり、書きものをしたいと願ってきた。
 『老人と海』などで有名なアメリカの文豪・ヘミングウェイも、紀州に憧れを抱いていたという。
  
 21世紀へ、「理想の和歌山」をつくっていただきたい。日本一の偉大なる「人材の城」を残していただきたい。
 広宣流布を進めた分だけ、自分が功徳を受け、永遠の財産を生命に積む。
 立派な「人材の城」をつくった分だけ、自分の生命が堅牢な城のごとく強くなり、健康になる。
 「責任」を自覚した分だけ、「喜び」もある。これが仏法の方程式である。
  
 師の激励に応えようと、和歌山の友は勇んで前進してきた。先生は2000年(同12年)の随筆で、その姿に喝采(かっさい)を送る。
  
 嵐と怒濤(どとう)を切り抜け、暗雲を破り、学会創立55周年にあたる1985年(昭和60年)の四月には、晴れ晴れと、あの日、あの時と同じ県立体育館で、勝ち誇った
顔も明るく賑やかに、和歌山の青年平和文化祭が開かれた。
 私が舞ったその場所で、今度は、凜々(りり)しき後継の若武者たちが雄渾(ゆうこん)なる乱舞を、そして、学会歌の大合唱をしてくれたのであった。
 若々しく空に伸びゆく青年の姿が、私は何よりも嬉しい。君の心の中に、あなたの心の中に、不滅の勝利の舞が輝いているからだ。
  
 晴れ渡る朝、友と歩んだ南紀・白浜海岸──。幾度、私は、金波、銀波がきらめく水平線の彼方に、広宣流布の栄光を見つめたことだろう。
 和歌山は、私の胸に光り続ける、憧れの世界だ。
 美しき紀の国・和歌山!
 「木の国」の名のごとく、わが同志の心には、不動の信念の大樹がそびえる。
 黒潮躍る光の国・和歌山!
 恐れなき同志は、青き太平洋のごとく、悠然と、勇気と希望の大波を広げる。
 私は、そんな和歌山の輝ける天地を愛する!
  
 師が渾身(こんしん)の指揮(しき)を執(と)ってから、今年は50周年の佳節。意義深き“創価勝利の年”の上半期、和歌山の友は「日本一」の対話拡大を成し遂げた。
 「連戦連勝」の歴史に、新たな一ページが刻まれた。


(2019年8月19日 聖教新聞)








Last updated  2019/08/19 09:09:32 PM
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2019/08/05
カテゴリ:勇気の旗高く

勇気の旗高く  池田先生と長崎
平和の鐘を打ち鳴らせ
誰よりも幸福に


 1945年(昭和20年)8月9日、長崎に投下された原子爆弾は、7万3884人もの人々の命を奪った。
 池田先生が長崎を初訪問したのは、恩師・戸田先生が逝去した年である58年(同33年)。当時の思いを長編詩に記している。

 恩師逝去の年
 菊花(きっか)の十一月
 私は
 師の心を わが心として
 この大地に
 平和の火をともさんと
 初の支部結成式に臨んだ
 そして
 長崎の天地に涌き出でた
 一万余の友の
 前途を祝しつつ
 万感の思いをこめて
 私は語った――
 黒き被爆の大地に
 平和の真の楽土を!
  
 もっとも不幸に
 泣いた人こそ
 もっとも幸福になりゆく
 権利がある
 被爆の苦汁をなめた
 長崎の友は
 平和の尊さを誰よりも知る
  
 それゆえに
 あなたたちには
 この街を この天地を
 どこよりも平和な
 どこよりも幸せな
 国土と変えゆく
 使命があるのだ
  
 平和は
 決して
 与えられるものではない
 自らの意志で
 自らの手で
 額(ひたい)に汗し 語り 動き
 岩盤を
 こぶしで砕(くだ)くが思いで
 戦い 勝ち取るものだ

 この長編詩が詠まれたのは88年(同63年)10月2日。学会の「世界平和の日」である。60年(同35年)のこの日、先生はアメリカ・ハワイを目指し、初の海外指導に出発した。その後の先生の平和行動は、いつも長崎への思いと共にあった。

 私は走った
 世界の国々を
 巡っては
 心と心の橋を架け
 友誼(ゆうぎ)と信頼の
 道を開き
 文化の交流の
 水路をつくるために
 ああ 友よ
 長崎の友よ
 わが心の平和図には
 常に長崎があり
 あなたたちの雄姿をば
 思いえがいて
 私は 平和旅を続けた

 古来、海外との“玄関口”であった長崎。江戸時代には鎖国政策を進める幕府のもと、直轄(ちょっかつ)の貿易地として出島(でじま)がつくられ、オランダや中国との交易で栄えた。先生は、75年(同50年)の第1回長崎県大会に寄せたメッセージで、長崎の歴史や地理を通し、友の深い使命を語っている。
 長崎は江戸の封建時代にも町人の天下でありました。この点でも、まさに近代の先駆けをなした地ということができます。
 権力を拒否し、庶民が主人公という輝かしい伝統、そして“文化の溶鉱炉”として外国文化を理解し、受け入れ、同化し、独特の文化を創り上げていった力は、長崎の創価学会にも脈々と受け継がれ、発展させられていることと信じます。
 静かな入り江の懐(ふところ)深く抱かれ、湾の入口の島々が天然の防波堤となっている長崎は、自然の良港であり、人々の憩いの地でもあるわけです。
 今日ここに集われた皆さん方は、この恵まれた自然にも優って、迷い悩む庶民の心を温かく皆さん方自身の懐深く抱き、平和と人間の防波堤となってください。
 それには、一人ひとりを大切にする運動を続け、誠実な創価学会、愛される創価学会を築き上げることです。
  
 朗々たる唱題の声こそ、現代の危機を救い、平和を呼び、幸福の確立へ至る“一声”であります。
 私は、その一声が長崎の地から、市民の総和として広く沸き上がることを信じて疑いません。

覚悟の人は強い
 82年(同57年)5月26日の長崎県幹部会では、池田先生が作詞・作曲に携わった県歌「平和の鐘」が発表された。席上、先生はリーダーの姿勢について語った。
 後輩の人々がよく戦っておられることをよく知ってあげることである。真剣に、地道に、無名の人々が活躍していることを見つけ、認め、包容し、ほめたたえていくことが、幹部の最大の要件であることを忘れてはならない。
 御書に「ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをも・しらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり」(1360ページ)とある如く、凡夫である我々は、互いにこの一点を鋭く、かつ正しく見極めながらの激励がまことに重要であることを知らねばならない。
  
 誓いを持つ人生は深く、充実がある。覚悟(かくご)を決めた人ほど強いものはない。「後漢書」に「志(こころざし)有れば事竟(つい)に成る」とある通りである。
 また、真剣な人ほど人をして感動せしむるものはない。確信と希望にあふるる指導ほど人々を感動させ、自信に満ち満ちた信心と人生を歩みゆかせる原動力となるものはない。
 信心の指導は峻厳(しゅんげん)たりとも、春風のごとき人間性をもった包容力ある人には、人々は安心してついていくものだ。
  
 23日から5日間にわたる激励行の焦点は「青年」だった。初日には、諫早(いさはや)文化会館の敷地にある「長崎池田青年塾」で青年たちを激励。最終日の27日には、九州男子部の愛唱歌「火の国『青葉の誓い』」の発表会が開かれた。その時の模様が、99年の随筆に記されている。
  
 私が長崎入りした初日、青年たちが、九州男子部の愛唱歌をつくりたいと、原案をもってきてくれた。
 “大楠公(だいなんこう)”などの歌に込められた父子の心を、後継の決意を表現したいというのだ。
 私は応援を約束し、滞在中、時間をこじあけるように、四度五度と推敲(すいこう)
を重ねていった。ある時は「青年塾」の一室で朱筆をとり、ある時は大村湾に沈む夕日を眺めながら、不滅の光の言葉を探した。
 長崎の県歌「平和の鐘」が、一足早く発表となり、九州男子部の歌が完成したのは、最終日の朝である。それを、凜々しき九州男児たちが歌ってくれた。
 火の国・「青葉の誓い」の誕生であった。
   
 〽厳父は覚悟の 旅に発つ
  生い立て君よ 民守れ
     …  …
  火の国我らの 旗光り
  広布の山の 先駆たり
  友よいざ征け 黎明だ
  ああ青葉の誓い 忘れまじ
  夜明けの世紀だ 黎明だ
  ああ青葉の誓い 忘れまじ
  
 多くの若人が傷つき、空しく青春を彷徨(ほうこう)する時代にあって、今、情熱の血潮たぎる青春を生き抜く、誓いの歌が誕生した。

友情結ぶ対話を
 いかにして真の平和を築くか。先生は、2012年の随筆で、被爆体験を語り伝える長崎の壮年を紹介しつつ、こう述べている。​


 「恒久の平和は脅迫(きょうはく)によってではなく、相互の信頼を招く真摯(しんし)な努力によってのみ、もたらされるものです」とは、大科学者アインシュタインの言葉である。
 平和への直道である対話を実らせるには、信頼を築いていくことだ。友情を結び、育んでいくことだ。
 そのためには――
 相手の話を「聞く」。
 相手を「敬う」。
 相手から「学ぶ」。
 これが、価値ある対話の鉄則である。
 御聖訓には、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せである。私たちの誠実と真剣な行動によってこそ、平和の思潮の水かさも増していくのだ。


 誠実な振る舞いと勇気の対話で、人間の絆は強くなる。長崎の友は、きょうも心豊かに友情の連帯を広げ、平和への確かな道を歩む。


(2019年8月5日   聖教新聞)







Last updated  2019/08/06 12:10:57 AM
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2019/08/02
カテゴリ:勇気の旗高く

​勇気の旗高く 池田先生と高知  
「大勇」の信心に立て

高知市内を流れる鏡川が、町並みと空を映す。緑の中で、黄金色のススキが秋風にそよぐ(1990年11月、池田先生撮影)​


 池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は高知県を掲載する。
広布回天の出発を


 幕末から明治にかけて、近代日本を切り開いた偉人を、数多く輩出した高知県。


 池田先生は、1955年(昭和30年)1月に、戸田先生と一緒に高知を初訪問。師弟同道の広布旅は、大阪、宮城、北海道に次いで4カ所目であった。


 2001年(平成13年)の随筆で、当時の様子を振り返っている。 
  


 その日は、皆が待ちに待った、高知地区の記念の総会が活気に満ち満ちながら、開催されたのである。


 この晴れの総会で、私は学会歌の指揮をとるように言われた。それは、戸田先生自ら直々に、私を指名されたのであった。


 “四国の友よ、勇敢に立ち上がれ!”と、私は渾身の指揮をとって、皆を励ました。皆、喜んでくださった。


 やがて、戸田先生の講演となった。


 先生は、板垣退助(いたがきたいすけ)や中江兆民(なかえちょうみん)など高知が生んだ自由民権の先人たちが、フランスの思想家ルソーを学んで、政治革命をめざした歴史を語られ、強く、強く訴えられた。


 「今日の新しい時代の平和革命は、日蓮大聖人の思想を実践する以外にない。


 高知の地から、新たな平和革命のうねりを頼む!」 
  


 1990年(同2年)11月の訪問の折、池田先生は、坂本龍馬の像を見学。高知文化会館で行われた第1回四国総会において、偉人たちを育んだ土壌に言及した。 
   


 土佐の海は雄大である。ロマンがある。この土佐の大海原は、坂本龍馬たちの青春の魂を、壮大なる新世界へと広げた。また、その潮騒は、明治維新という近代日本への歴史回天の大波を力強く育んできた。 
  


 私は戸田先生の訪問の折、お供をして、この地に法戦の第一歩を刻んでいる。高知は、ことのほか忘れがたい、大好きな天地である。


 戸田先生は、龍馬について、よく私ども青年に語ってくださった。この高知から、歴史回天への船出をした龍馬。それは、日本の新しい夜明けを告げる、青春の旅立ちだった。どうか、今度は皆さま方が、人類史に希望の夜明けを開く新しき広布回天の出発をしていただきたい。
流れる水のごとく


 高知県民は気骨があり、勝ち気で、容易には自説を曲げない気質ともいわれるその県民性を深く理解していた池田先生は、「水の信心」と「団結の高知」との指針を贈った。1972年(昭和47年)6月20日、「高知の日」の淵源である、記念撮影会の席上でのことだ。


 6年後の12月、先生は8日間にわたって高知に滞在。二つの指針に、新たに「功徳の高知」を加えた。この高知訪問について、先生は1999年(平成11年)の随筆につづっている。 
 

  
私の、この1978年(昭和53年)の高知指導は、滞在も7泊8日となり、(中略)記念の勤行会や幹部会だけでも10回以上にわたった。


 満潮の潮のごとく、嬉々として集まる情熱が噴き出し、その希望と抱負に満ちた同志の生命の輝きは、決して忘れることはできない。


 皆、質素であるが、尊き広布の英雄たちである。


 折から行われた教学の初級試験の当日も、私は、自ら試験会場を回って激励もした。


  
相手が一人であれ、何百人、何千人であれ、可能な限り、直接、会って語る。


 誠意を尽くして激励する。


 それが、真のリーダーの責務であろう。


 戦う人には勇気の風を。


 悩める友には希望の光を。


 そして、求道の闘士には、歓喜と満足を送るのだ。


 民衆のなかへ!


 人間のなかへ!


 これが、私の信念であり、行動の原理である。


 ここにしか、生きた、熱き血の通った人間主義はないと信ずるからだ。 


  
この訪問中、私が強調したのは、「“水の信心”を貫いてほしい」ということであった。御聖訓にいわく。


 「今の時・法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、(中略)水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544ページ) 
 

 持続は力である。


 持続の行動こそ、歴史を根底から動かす。


 楽聖ベートーベンも、病に苦しみながら、必死に創作に挑んでいた40代の半ば、「ほんとうに点滴石をうがつ。実際、ほんとうに点滴石をうがつ」(小松雄一郎訳)と書いた。


 流れる水のごとく、何があっても、弛まず、断固と前進する闘争のなかにこそ、信仰と人生と革命の勝利がある。
朗らか王」たれ


 高知では草創期から、宗門の悪侶らが衣の権威を振りかざしていた。しかし高知の友は、度重なる師の激励を胸に、敢然と戦い抜いてきた。 


 1990年(平成2年)の高知指導において、池田先生は、高知の友をたたえ、呼び掛けた。


  


 人生は“強く”また“強く”生きることである。“前に”また“前に”進み続けることである。頭を上げて、堂々と生きる人は幸福である。その人に、人生は道をあける。魔も逃げていく。


 かつて、この高知においても、ご存じのとおり、仏子への迫害の嵐が吹き荒れた。悪侶のために、どれほど皆がいじめられたことか。多くの人が涙を流し、私はその訴えを聞いた。この事実は一生涯、私たちの胸から離れないであろう。


 二度と、こうした不幸の歴史を繰り返してはならない。鋭く真実を見抜き、強く護法のために戦わねばならない。

「大勇」の信心に、乗り越えられぬ山はなく、打ち破れない壁はない。


 これからも広宣流布の途上には、どんな難があるかわからない。しかし、何ものも恐れることはない。

「法華経の兵法」に勝るものはないからである。


 正義を正義として、真実を真実として、勇敢に叫びきっていくことである。沈黙する必要はない。へつらう必要も絶対にない。 
   


 “朗らかに”人生を生きぬいていただきたい。簡単なようで、じつはそこに信心の一つの要諦がある。幸福を呼び寄せる大切な秘訣がある。 


 “朗らか”のなかには、強さがある。賢明さがある。豊かな心情もある。“芯”の通った人格の輝きもある。 
 

 幸・不幸を決めるのは、環境ではない。人間である。自分自身の境涯である。 
 

 弱き人は、幸福そのもののような環境でも「不幸」を感じる場合がある。 
 

 強き人は、不幸そのもののような悩みの境遇のなかから、金剛のごとき「幸福」を打ち鍛え、つくり出すことができる。 
 

 そして信仰とは、最高に“強く”生きぬくことである。悩みも圧迫もすべてをはね返し、ねじり伏せ、わが「精神の王国」には一歩たりとも寄せつけない。 
 

すべてを希望へのたきぎとし、幸福へのエネルギーとしていける――それが王者である。「朗らか王」である。 
  
 

 創立90周年の明2020年は、池田先生の高知初訪問65周年の佳節である。 
 

「世界広布の魁(さきがけ)」の誇りに燃え、“高知新時代”の黎明を告げる人材城の構築へ、友の新たな前進が始まる。


(2019年8月2日   聖教新聞)







Last updated  2019/08/02 10:08:03 PM
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2019/07/26
カテゴリ:勇気の旗高く

勇気の旗高く 池田先生と福島 
人材の「宝の山」を築け

東北発展の要​


 日本第3の面積を誇る福島県。南は関東、北は宮城県と山形県、西は新潟県と接し、豊かな自然に恵まれている。1995年6月、東北代表協議会に出席した池田先生は、“東北発展のカギをにぎるのが福島”と強調した。
  


 「福島」とは、つくづく、良い名前である。


 “福の島”――それは、“福運の島”“福徳の島”“幸福の島”とも読める。山があり、緑があり、海がある。どれをとっても、一流の趣を感じる。


 また、将来の東北にあっても、福島は首都圏と結ぶ“要衝の地”として、大きな可能性が指摘されている。


 21世紀は「東北の時代」である。その発展のカギをにぎるのが福島とされているのである。
  


 福島、なかんずく会津の地には「人を育てよう」という精神が脈打っている。古来、教育に尽くした会津人は多い。


 江戸時代の会津の藩校「日新館」は、全国三百藩中でもトップクラスの学校であったと評価されている。


 この「日新館」には、吉田松陰(1830―59年)も21歳の折、はるばる訪れている。


 松陰は、東北が日本の将来にとって重要な地域であることを見抜いていた。会津藩も訪れ、人々と語らった印象を「文武の士が多いので大変有意義だった」と、松陰は記している。


 会津は、確固たる人間を生み出してきた国土である。世界に通じる「信念の人」「知性の人」も多く出している。
  


 この誉れ高き福島の天地に、私どもの力で、人材の「宝の山」を堂々と築いてまいりたい。


 心こそ大切である。人材を見つけよう、人材を育てようという心が「宝の山」を築く土台となる。


 若い人を育てれば、自分も若くなる。学会員のために尽くせば、自分が幸福になる。


 「心」である。「心」で決まる。



生命力を満々と


 本年は、10・30「福島の日」50周年の佳節を迎える。池田先生は、この淵源となった福島総合本部幹部会で、「希望に燃えて」「経済力」「生命力」との三つを示し、激励した。
  


 申し上げたいのは“希望に満ちた人生”であってほしい、また“希望に満ちた信心”であってほしいということです。自身の生活を革命していくのが人生ではないかと思います。いわんや、更に偉大な革命を成し遂げて厳然たる証拠を示していくのが、真実の信仰ではないでしょうか。


 それを退廃的になったり、意固地になって、人生を惰性に終わらせるようなことがあっては断じてならない。大切な一生というものを、紙くずのようにむだにしてはいけない。最大・最高に幸せを満喫し、それを我が人生のうえに証明していかなければならない。そのために希望に燃える人生、信心を続けていかねばならないことを、まず申し上げたいのです。
  


 次に“生命力の福島”であってもらいたい。生命力が一切の本源力です。それは、力強い題目で、御本尊に真っ正面からぶつかっていくことです。
 

 御本尊にビーンと響くような勤行であり、唱題でなくてはいけません。声がリンリンと響くような唱題です。だれが聞いても「いいなあ」と思い、信心に反対している人が聞いても、たとえ、それが小さな声でも「ああ、いいなあ、さわやかである」というような勤行であり、唱題でなければいけない。そこに初めて、たくましい生命力が生まれてくるのです。



負けない強さこそ


 1984年5月13日、福島市の信夫ケ丘競技場に3万人が集って行われた第1回「福島青年平和文化祭」。池田先生は、99年の随筆でこの文化祭に触れ、苦難に屈しない福島健児の魂をたたえた。
 

 
鉛色の空から、我慢しきれないように、絹糸の雨が落ちてきた。しかも、日中というのに、3月下旬の寒さであった。私は皆様の健康を考え、開会を早めてもらった。


 しかし、戦い抜いた青年たちの魂の底からの大音響は、雨のなか、フィールドいっぱいに轟き、その躍動する生命は燃え、舞っていた。


 なかでも、5段円塔を中心にして、そこから左右に人間ブリッジを渡すという、“5段円塔ブリッジ”は圧巻であった。


 雨に濡れながらの、凜々しき騎士たちの一人ひとりに、私は“王の冠”を載せてあげたかった。


 私は、声高らかに謳った。


 ――君たちの顔は、清らかであった。


 君たちは、光の満ち満ちた、新しい生命の若き天使である。


 その生命が幸福であることには間違いない、と。
 

 
 私は、一人の幹部に言った。


 「雨が降ったからこそ、すばらしき思い出となった。苦難と苦戦のなかに、偉大な思い出ができるものだ。この思い出が勝利の源泉になるのだ」と。


 もちろん、皆は晴天を祈りに祈ってきたのであり、晴れるに越したことはない。


 しかし、青年たちの情熱は、この試練の雨さえも、揺るぎなき信仰のドラマを演出する、意義深き銀の慈雨に変えたではないか!
 あの日、あの時、冷たい雨に堂々と胸を張った、愛する福島同志の晴れわたる勝ち鬨は、今も私の心に響いている。


 苦難に遭うことが、不幸なのではない。苦難に負けることが不幸なのだ。


 ゆえに、何ものにも負けない強さこそが、信心の極意であり、永遠の勝利と幸福の土台となるのだ。
 

 
 さらに先生は、破邪顕正の重要性を訴えつつ、東北の未来をリードする福島の使命に万感の期待を寄せた。
 

 
 仏法は、永遠に仏と魔の闘争である。


 断固として、邪悪を破り、民衆の連帯の痛快なる万歳を叫びきっていく時代を、勇敢に開いていくことが「東北革命」である。その推進力こそ、わが「人材の福島」の闘士の粘り強き行動なのである。


 蓮祖は仰せである。


 「(法華弘通の法戦の)その時、いち早く先陣を切る者は、三世十方の仏を供養するのと同じ功徳を必ず得るだろう」


 (「其の時先まずさきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし」〈御書1415ページ〉)


 福島は、東北の「先駆」の法城だ。


 さあ、出発しよう! 広宣流布という平和の大遠征へ!


 我らが携えるものは、勇気、勇気、そして勇気である。


 美しき福島研修道場が立つ猪苗代湖(いなわしろこ)の銀の鏡は、福島の友の笑顔を映し、今日も輝いている。


(2019年7月26日   聖教新聞)







Last updated  2019/07/26 10:43:58 PM
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